比叡さんと別れて日常を取り戻した先輩は、日を追うごとに衰弱していった。今はもう、私の声が耳に届いているかどうかも怪しい。ただひたすら、死人のような眼差しで天井を一日中見つめ、夕方から夜にかけての時間には、必ず病院を脱走し、近所の神社で何かを待っているかのように佇んでいた。
「先輩、今日は私が身体を拭きますね」
そう言って、私は先輩のお世話をするべく先輩の服を脱がし、その身体を蒸しタオルで拭いてあげる。あの日以来、食べ物を全く口にしなくなった先輩の身体は衰弱しきっており、こうやって拭いている上半身はガリガリにやせ細り、トロンボーンのスライドを自在に操っていた腕も筋肉が削げ落ちていた。今では楽器を持つことすら出来ないんじゃないかと思えるほど、痛々しくやせ細っている。骨と皮……まさにそう呼ぶにふさわしい様相にまで変わり果てた。
そんな先輩の身体を丁寧に優しく拭いてあげながら、私は自身の胸に去来する疑問を必死に振り払う。これでよかったんだ。あんな危険な世界に、先輩を置いておくわけにはいかない。今は辛いかも知れない……でもいずれ先輩は、すべてを受け入れ、再び私達に笑顔を見せてくれるだろう……その日を信じて、私はずっと先輩を支えるしかない。この状況を作り出した張本人としての責任が、私にはある。
そんなことを考えながら、私は先輩の身体を拭いてあげる。途中、少し力が入りすぎてしまったのか、先輩の肌が少し赤く変色していた。力が入りすぎたといっても、自分の身体をこするときの半分ほどの力も入れてない。にもかかわらず肌を痛めてしまうほど、今の先輩の身体は衰弱しきっていた。
「ご……ごめんなさい先輩……痛かったでしょ……?」
私の謝罪の言葉すら、今の先輩の耳には届かないようだ。私の涙混じりの声にも先輩は反応せず、ただぼんやりと、天井を見つめていた。
あの日、私は比叡さんから先輩を奪った。危険な世界に先輩を巻き込んだ比叡さんを、私は許すことが出来なかった。
――なんでだァァアアア?!! なんで僕を置いていったァアアアアア?!!!
そして私は、先輩の気持ちすら踏みにじり、私の手元に先輩を残した。危険な世界にいるよりは、たとえ私以外の誰でも構わない……こちらの世界で幸せになって欲しかったからだ。でもあの日の先輩の慟哭が、気を抜くと何度も何度も私の耳に襲いかかる。私はそれを必死に打ち消し、ただひたすらに、先輩の世話に徹した。
だが、私がどれだけ懸命に先輩に語りかけても、どれだけお母様が必死に寄り添っても、先輩は壊れていく一方だった。例えるなら……組んでいる最中に間違いに気付き修繕を繰り返しても、余計に歪な仕上がりになっていく誤った組み立てブロックのように、先輩が元に戻ることはなかった。
でも、諦めてはいけない。私だけは、諦めることは許されない。
私は、自分の妹すら失ってまで、先輩を取り戻したのだから。