自分が眠る布団の中の違和感で目が覚めた。私は、今私が抱きしめている自分の妹、朝潮がもぞもぞと動き、私の中から出て行くのを感じた。
「……あれ? 朝潮?」
「あ、ごめんなさい姉さん……起こしてしまいましたか?」
「んー……どうしたの?」
「お手洗いに行ってくるだけです」
朝潮が私達の布団から出て、部屋を後にした。寝起きで頭がぼんやりしていた私はその時、比叡さんがいなくなっていたことに気が付かなかった。
「朝潮……遅いな……」
すぐ部屋に戻るはずの朝潮を待ち続けている間に、次第に私の頭がハッキリしてくる。暗闇の中にいたが、どう考えても、ここにいるべきもう一人の人間の気配がない。
「……?!」
気付いた私は飛び起き、部屋の明かりをつけた。隣で寝ているはずの比叡さんの姿はない。
「比叡さん……やっぱり……!!」
部屋を飛び出し、私は先輩の部屋に行く。ノックもせずに部屋に入るが、そのベッドで寝ているはずの先輩の姿はない。先輩の部屋はもぬけの殻になっていた。
しまった……やられた……朝潮があまりに比叡さんに懐いていたために、知らない内に私の警戒も緩んでしまっていた……これではお母様に無理を言って今日泊めてもらった意味が無くなってしまう……
そういえば朝潮は? 大切な私の妹はどうした? 先ほど部屋を出たあとにすぐ戻るはずだった朝潮は、そのままどこに行ってしまった? ……まさか比叡さんが? 先輩だけでは飽きたらず、朝潮までをも私から奪い取ろうとしているのか?
私はすぐさま自室に戻り、枕元に置いてあった自分のスマホを操作した。いざという時のため、スマホのGPS信号を追跡できるよう、私は朝潮に持たせたスマホに設定をほどこしてある。もちろん朝潮もこのことは知っているし、朝潮のスマホからも私のスマホの信号を追跡することは出来るのだが……朝潮はスマホを今手元に持っているだろうか……
しばらくして、私のスマホが朝潮のGPS信号をキャッチした。地図によると、朝潮はまっすぐ小田浦港に向かっているようだ。なぜだかは分からないが、直感で理解した。このままでは、朝潮は私の元から離れてしまう。あの人の手によって、私と朝潮は引き剥がされてしまう。
私は急いで着替え、外に出て自転車に乗り、GPS信号を頼りに深夜の町中を走り抜けた。自転車にさえ乗ってしまえば、先輩の家から港まではそう時間はかからない。間に合って欲しい。手遅れになる前に間に合え……間に合え……!
小田浦港の入り口に到着すると、すぐさまその異様な光景が目に着いた。入口付近にはパトカーが一台停車しているのだが、そのパトカーは無人でパトライトだけがピカピカと眩しく光り輝いている。少し離れた場所には警官が二人倒れており、誰かに襲われたかのようにうずくまって気を失っていた。
「なにこれ……」
不安になった私は、すがるようにスマホで朝潮の信号を確認する。朝潮はさらに港の奥の方に移動していて、今は停泊している船のそばにいるようだ。急がなければ……早く朝潮の元に行ってあげないと……! 私は再度自転車にまたがり、朝潮がいるであろう船のそばまで急いだ。
全速力で自転車を走らせていく中、何人かの人が倒れていたのを見た。服を見る限り、少なくともこの港で働く人というわけではないだろう。一度何かのテレビで見たことがあるが、どうも海上保安庁の人のようだ。停泊している船の壁面に『JAPAN COAST GUARD』という文字が見えた。ということはあれは海上保安庁の船で……ここで倒れている人たちは海上保安庁の職員なのか……分からない……こんな体験したことないから怖い……
それでも勇気を振り絞り、恐怖で震える両足でなんとか自転車のペダルを漕いで先に進んだ。先輩に会いたい一心で……朝潮を取り返したい一心で。
「そんな……やっと同じカンムスに会えたのに……?!!」
少し離れたところから、そんな悲鳴にも似た朝潮の叫び声が聞こえた。私は声がした方に向かい、そこで信じられない光景を見た。
私の妹、朝潮が光り輝き、泣き叫びながら消えた。
「いやだ! 消えたくない!! 助けて下さい!! 比叡さん! 助けて姉さん!!」
消える寸前、朝潮は確かに私と……そして今私の前で平然と佇んでいるこの人……比叡さんに助けを求めていた。
「朝潮ちゃん……?」
何をした? この比叡さんは……朝潮に何をした? 何をして私から朝潮を奪い取った?
「秦野……これは……」
「秦野さん……あのね?」
この人は何をした? 私の妹をどこへやった?
「私の妹をどこへやったんですかッ!!!」
私の声に比叡さんも、そして先輩も身体をこわばらせた。私の心が黒い感情でうめつくされていく。この人……比叡さんへの憎しみがどんどん膨れ上がっていく。お腹から胸までせり上がってきたこの黒い感情は、私の足を無理矢理に比叡さんの元まで動かすと、私の右手をも動かし、彼女の頬に平手打ちをしていた。
「……ッ」
「秦野!! 姉ちゃんは……」
「あなたはッ! 私から先輩だけでなく!! 朝潮ちゃんまで奪うんですか!! 私から妹まで奪わないと気が済まないんですかッ!!」
「違うよ秦野さん……朝潮さんは……」
「朝潮ちゃんはあんなにあなたのことが気に入っていたのに……それなのにあの子を裏切るんですか!! あなたはッ!!」
私の右手は、私の意思とは関係なく力がこもった握りこぶしを作り、それを何度も比叡さんの胸にぶつけていた。比叡さんは何も言わず、抵抗もせず、私の拳を胸で受け止め続けていた。
「朝潮ちゃんを返して下さい!! 私の妹を……私の大切な妹を返して下さい!! 返して下さい!!!」
先輩が私の元に駆け寄ろうとしたが、それを比叡さんが制止していた。何だその態度は……先輩を危険にさらしているくせに……私から先輩を奪ったくせに……妹まで奪ったくせに……私から何もかもを奪ったくせに……すべて奪っていったくせに!!
私の意思を代弁するように比叡さんを責め続けていた私の拳は、やがて比叡さんの襟をつかみ、比叡さんを必死に揺さぶっていた。比叡さんは抵抗しなかった。ただ悲しそうな瞳で、私のことを見ていた。
「返してよ!! 朝潮ちゃんを返して!! 先輩を返して!!!」
「秦野さん……あなたの妹は、死んでなんかないよ? 必ず会えるよ?」
「だったら今すぐ会わせて!! 返して!! いますぐ!!!」
「……ごめんなさい……それは……」
「謝らなくていいから!! 返して!! 私から奪ったものすべて!! 返して!!!」
涙が止まらない。自身の中の黒い感情が膨らんでいくのを抑えられない。今この時私は、私から何もかもを奪い去っていく目の前のこの女性に対し、死ねばいいと心から思った。死んでしまえばいい。死んでいなくなればいい。あなたがいなくなればすべて元通りだ。
……でもその前に、私から奪ったものをすべて返して下さい。お願いですから、私に妹と先輩を返して下さい。それからいなくなってください。すべて元通りに戻してから死んで下さいお願いですから。
気がついた時、私は両目からボロボロと涙を流しながらその場に崩れ落ちていた。立つ力も残ってなかった。最愛の人だけでなく、妹まで奪われた悲しみと慟哭は、私から立ち上がる力すら奪いつくすには充分だった。
「返して……みんな返して……」
比叡さんが私に声をかけようと歩み寄ってきたが、それを先輩が引き止め、二人は走って船の甲板に続く階段を駆け上がっていった。
先輩……あなたは私の元にはいてくれないんですか……その人を選ぶんですか……なぜ私ではなくその人なんですか……私ではダメなんですか先輩……先輩……
ひとしきり泣いた後、私の胸にはもうひとつの大きな決意が芽生えつつあった。その新たな決意は私の足に立ち上がる力をくれ、前を向く勇気をくれた。私は乗ってきた自転車にまたがり、この場をあとにして先輩の家に急いだ。
どんな手を使ってでも……先輩を取り戻す。そのためなら私は何だってする。奪われたものは奪い返す。必ず奪い返す。