先輩と比叡さんが私を置いて行った後、私は一度全速力で自転車をこぎ、先輩の家に戻った。その後お母様を叩き起こし、私は今、お母様と共に港に向かって自転車を走らせている。
「ホントに?! ホントに比叡ちゃんがシュウを連れ去ろうとしてるの?!」
「本当です!」
「ホントにあの比叡ちゃんが?!」
「本当なんです! 朝潮も……私の妹も比叡さんのせいで……いなくなってしまったんです! 消えてしまったんです!!」
「消えた? 朝潮さんが? 消えたってどういうこと?!」
「分かりません! でも……朝潮は必死に助けを求めていたのに……あの人は何も助けてくれなかった!!」
今も私の頭に鳴り響く、朝潮の最期の叫び声。あの痛々しい悲鳴が、私の決意を固いものにさせた。
お母様を叩き起こしたのは一人でも多くの人出が欲しかったからだ。本当はお父様も連れて来たかったが、相当仕事が大変なのか、明日にならないと戻らないと聞いている。お母様一人だけでは心許ないが……仕方ない。
私とお母様は、朝潮が消えた場所まで戻ってきた。道中に倒れていた人たちは、まださきほどと同じ姿勢のまま倒れていた。船の上が大騒ぎになっており、パンパンという軽い爆竹を鳴らしているかのような音が船上から聞こえていた。
直感で分かった。先輩たちはあの船の中にいる。比叡さんは……あの人は、また先輩を危険な目に遭わせているのか。また先輩を連れ去ろうというのか。先輩を危険な世界に引きずり込もうとしているのか。
絶対に許さない。先輩は必ず取り戻す。
次の瞬間、船上で爆発音が鳴り響き、船の甲板が燃え上がり始めた。周囲がその炎で明るく照らしだされ、炎がどんどん大きくなっていった。暗闇の中にいたせいで夜の暗さに慣れてしまっていた私とお母様の目に炎の明るさはキツく、私たちは手でひさしを作って明るさを軽減させる。
「……!!」
「秦野さん?! ……こ、これなに?!」
「分かりません……でも先輩は……きっとあそこにいます!!」
証拠なんてない。何も確証なんてない。でも私の直感がそう告げている。初めて会った日から、ずっと隣で先輩を見続けてきた私の直感が、最愛の人はあの阿鼻叫喚と噴煙と豪炎の中にいることを、私の意識に告げていた。
炎の明るさに少しずつ慣れてきた。私は船の周囲の海上を見る。船からボートが降ろされ、たくさんの人が次々と逃げ惑っていた。船上では変わらず爆発が頻発していた。
フと、不思議なことに気がついた。ボートで逃げ惑う人たちの喧騒に紛れて最初は気付かなかったが、海面に立っている女性たちがいた。一人は和弓を構え、それを空に向けて放っていた。一人は海面に何か細長い筒を撒き散らし、その直後船の船尾の部分が大爆発を起こしていた。
そして一人は、自身の身体に取り付けられた巨大な機械から火を吹き、船に大穴を開けていた。その人は、初めて会った時の比叡さんと同じ服を着ていた。もっとも、比叡さんとは似ても似つかぬ長髪だったため、彼女ではないとすぐに理解できたのだけれど。
こんな人たちに、先輩は奪われ、危険な目に遭わされ続けていたのか……現実離れしたこの光景に、私の決意はさらに強固なものとなった。こんな人たちに関わらせてはいけない。この人たちから先輩を助けださなければならない。なんとしても。
「なんなのこれは……こんな危険なことにシュウは関わっているの……? 秦野さん?! ねえ答えてッ!!」
お母様が冷静さを欠いているせいか、今の私は逆にひどく頭がクリアな状態になっている。おかげでこの状況を冷静に観察し、様子をしっかりと見ることが可能だ。
船上から一組の男女が中空に浮いた状態で降りてきていた。その男女の頭上には小さなラジコンのようなヘリコプターが浮いていて、それに吊るされる形で浮いているのが、ここからでも分かった。海面で佇む一隻のボート大の船に回収されたその男女は……この位置からでも分かる……見間違うはずがない……あの二人は先輩と比叡さんだ。中空に浮いていたその時からボートに回収されたその後も、終始ずっと互いを抱きしめあっていた。誰にも剥がすことが出来ぬほどに、堅く抱きしめあっていた。
ならば私が引き剥がす。
「お母様! あのボートを追います! 先輩はあのボートにいます!」
「え?! ちょ、ちょっと?!」
私はお母様を強引に引き連れ、さきほど先輩を回収したボートを追いかけた。幸いなことに私の目で充分追える程度のスピードと距離でボートは航行しており、ある程度進んだ所で、ボートは停泊した。乗っていた人たちが海岸に降り立ち、その中には先輩と比叡さんもいた。もう一人、暗がりでよく見えないが、誰かが比叡さんの隣に座っていた。
「ね、ねえ秦野さん……あれ、シュウじゃないかしら?」
「そうです。今から先輩を取り返します。背後からこっそり近づきましょう」
私とお母様は、比叡さんたちに気付かれないよう、静かにみんなに近づいた。少しずつ近づいていったその時、海岸線近くにいる私の知らない男女二人が、まるで消える寸前の朝潮のように光り輝き始めた。その後比叡さんが立ち上がり、輝く男性の手を取った。その途端、比叡さんの身体も光り輝き始め、私は比叡さんが言っていたあのふざけた作り話の数々が、本当だったということを今ここに来てやっと理解した。
……だとしたら、なおさら先輩は渡せない。あんな、暴力が平然と行われ、爆発と炎上で命の危険にさらされるのが当たり前の世界に、先輩を連れて行かせるわけには行かない。
あの、船に風穴を開け船の後部を破壊していた、海面に立つ女性たちを思い出した。彼女たちは、酷く恐ろしい形相で船を破壊していた。私は今まで、あんな恐ろしい形相の人間を見たことがない……いや彼女たちは人間ではないのかもしれない。どちらにせよ、あんな恐ろしい人たちには、先輩には関わってほしくない。
不意に私のスマホが着信を告げた。すぐに収まったところを見ると、どうやらショートメッセージのようだ。だがこの夜明け前の時間帯に届くメールなんて、どうせスパムか何かだろう。無視していい。今大切なのは先輩だ。
私とお母様は物陰に隠れ、みんなの様子をうかがい続けた。
「お母様、私と一緒に走って下さい。先輩を取り返します」
「分かったわ」
先輩が立ち上がり、背の低い女性と握手をした。よし行こう。いまこの瞬間を逃してしまえば、私は二度と先輩と会えない気がする。今ここで先輩を奪い返さなければ……
「お母様! 行きましょう!!」
「はい!」
私の言葉を受け、お母様が走った。私も先輩に向かって全速力で走っていった。比叡さんや他の人たちは私達にまだ気付かない。今がチャンスだ。
「先輩!! いかせませんッ!!」
「?! 秦野?!」
私の声に、先輩と比叡さんだけでなく、その場にいた全員の注意が私に向いた。その隙を縫い、お母様が先輩を抱きしめ、そのまま先輩を後ろに引きずり始めた。
「ちょっと?! 誰だ!! 離せ!!」
「シュウ! ウチに帰るの!」
先輩はお母様に抵抗しようともがいているが、怪我のためかそれとも体力が落ちているためか、シュウくんはお母様にまったく抗いきれず、どんどん皆から引き離されている。
「シュウくん!!」
「姉ちゃん助けて!! 姉ちゃん!! 姉ちゃん!!!」
比叡さんが、お母様から先輩を取り返そうとするが、私が比叡さんの前に立ちはだかった。先輩は連れて行かせない。先輩は必ず取り返す。私の背後では先輩が泣き叫び、比叡さんに助けを乞うていたが気にしない。これが先輩のためなんだ。先輩にとってこれが一番いいんだ。
「先輩は連れて行かせない!!」
「秦野……さん……」
「秦野やめろッ!! 母さん離して!!」
「シュウ……帰りましょう……あんなあぶないとこ……いかせられない!」
「戻るから!! 必ず戻るから今は鎮守府に帰らせて!! 姉ちゃんと一緒にいさせて!!」
「シュウくん!! ……お母様! シュウくんを……」
比叡さんが何か言おうと口を開こうとしたが、もう私も黙ってられない。
「比叡さん! あなたがカンムスだというのは分かりました! あなたたちが別の世界から来たというのも分かります! 私はあなたを信じます!!」
「だったら……」
「だからこそ先輩は連れて行かせない!! またあなたたちは先輩を危険な目に合わせるつもりですか!! 私からさっき朝潮を奪ったときのように、何もかもを奪っていくんですか!!」
「それは違うよ! 朝潮さんは……」
言うに事欠いて……まだ何か言い逃れをしようというのかこの人は!!
「うるさい!! 私達は平和だったんです! 毎日部活して美味しいご飯食べて、先輩の隣で大好きな横顔を見て……こんな危ないことなんか起こらなくて……あなたが来てから! 全部壊れたじゃないですか!! あなたが!! 私達の静かな日常も……平和な毎日も……先輩の横顔も……全部壊した!! あなたが壊したんです!!」
「……ッ!!」
「別の世界の人は別の世界に帰って下さい!! カンムスだかなんだか知らないけれど……別の世界の人のくせに私達と関わらないで!! 帰って!! 私達から奪った先輩を返して、そのまま帰って!!!」
透明になりつつある比叡さんの動きが止まった。一番距離が離れた女性や、その女性と手をつなぐ男性が何やら大騒ぎしていたがもう遅い。いずれこの人たちは消える。先輩は取り返せた。
「……姉さん」
もう聞けるはずのなかった声が聞こえた。まさかと思い、声が聞こえた方を振り向くと、そこにいたのは、私に対して悲しげな表情を浮かべた朝潮だった。
「あさ……しおちゃん?」
「姉さん……ごめんなさい」
朝潮は、もう半透明になっていた比叡さんの手を掴んだ。途端に朝潮の身体も輝き始め、半透明になりはじめる。朝潮……なにやってるの? かえろ? 私と一緒にかえろ?
「……ごめんなさい姉さん。私は姉さんと一緒に帰れません」
「どうして? 先輩も戻ってきて……朝潮ちゃんも戻ってきたら……全部元通りだよ?」
「だって……私は、カンムスですから」
「え……」
私の体中に、一瞬で血の気が引いた時のような、ゾワッという不快な感覚が走った。思い出した。彼女は、まだ私と出会って間もない頃、私に何かを必死に伝えようとしていた。
『姉さん……私は、人間ではありません。カンムスです』
『最近はそういう遊びが流行ってるの? カンムスって何?』
『戦争中の船の魂を受け継いだ存在……とでも言えばいいんでしょうか……』
『なんかお話が作れそうな設定だね。それとも、もうそういうゲームとかマンガがあるのかな?』
『姉さん……』
必死に私に説明してくれる朝潮だったけど、私はそれをまったく信用しなかった……
「説明しましたよね……私、自分がカンムスだって……説明しましたよね」
「あ、あさ……」
「カンムスの私は……向こうの世界に行きます……さよなら姉さん……」
朝潮のその言葉を最期に、比叡さんと朝潮たちは、私たちの前から消えた。この暗い海岸に残されたのは、私とお母様、そして先輩の3人だけだ。
「ねえちゃん!! どこいった?!! ねえちゃん!!! ねえちゃん!!!」
先輩がお母様をふりほどき、私を突き飛ばし、消えていった比叡さんたちが立っていた場所に走っていった。必死に周囲を探り続け、ずっと比叡さんを呼び続けていた。
「言っただろ!! “絶対に逃さない”って約束しただろぉぉオオオオ!!! ッァァアアアアアアアア!!!」
先輩は口から血を吐かんばかりの痛々しい声で叫び続け、砂浜に何度も何度も頭を打ち付けていた。砂浜に石が埋まっていたらしく、先輩が頭を打ち付ける度にガツガツという音が周囲に聞こえていた。お母様が先輩に走りより、必死に先輩を抱きしめ、先輩が自分で自分を傷つけているのをやめさせようとしていた。
「落ち着いてシュウ! お母さんがついてるから! 比叡ちゃんがいなくてもお母さんとお父さんがついてるから!! 秦野さんもいるから!!」
「なんでだァァアアア?!! なんで僕を置いていったァアアアアア?!!」
私も先輩を必死に抱きしめ、先輩の動きを力ずくで抑えた。
「先輩! あの人の代わりになりますから!! 私があの人の代わりに先輩を愛しますから!! だからもうやめて下さい!! 元に戻って下さい! 私を見て下さい先輩!!」
「フーッ!! ……フーッ!!! ……ッァァアアアアアア!!!」
「先輩!」
「シュウ!!」
「なんでだよぉ……せっかく会えたのに……せっかく一緒になれたのにぃ……なんでだよ姉ちゃん……なんでだよぉぉオオオオ!!!……ッッッォォォオオオオアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
これでよかったのだろうか……喜びはなかった。『やってしまった』という喪失感に似た感情だけが私の胸に去来し、やっと先輩をあの狂気の世界から元に戻せた喜びも、愛する人の隣に自分がいられる嬉しさも、何もなかった。消える寸前の朝潮の顔を思い出して……先輩のこの様子を目の当たりにしてなお、そんな気持ちを抱くことは私には出来なかった。
「なんでだよぉ……母さん……秦野ぉ……なんで行かせてくれなかったんだよ……姉ちゃん……戻ってきて……僕を連れて行って……」
……そういえば、私は自分のスマホに先ほど着信が入っていたことを思い出した。私は少し落ち着いた先輩から離れ、スマホを取り出し、画面を見た。
――ご心配をおかけしました! 朝潮は無事戻りました! 姉さんどこですか?
私は決意した通りに、手段を選ばず、他を犠牲にして先輩を取り返した。妹の朝潮も、先輩自身をも犠牲にして、先輩を取り返した。
「朝潮ちゃん……ごめんね……姉さん、気付かなくてごめんね……信じなくてごめんね……」
喜びはない。うれしさもない。悲しみもない。ただ大きな喪失感だけが私の胸にズンとのしかかってくる。私は、愛する妹を踏みにじり犠牲にして、比叡さんから先輩を奪い取った。先輩は比叡さんと共にいることを望んでいたのに、先輩のために、私は先輩を比叡さんと引き剥がした。
後悔はない。してはいけない。どんな手を使ってでも先輩を取り返すと決意したのだから。妹を犠牲にして取り戻した先輩。ならば、私は先輩を幸せにしなければならない。犠牲となった朝潮のためにも、引き剥がしてしまった比叡さんと……なにより先輩のためにも。
私は新たな決意とともに、泣きじゃくる先輩を見た。……先輩、あなたが比叡さんを忘れて、あんな狂気の世界のことを忘れるまで、私がケアします。私があなたの心のケアをします。……私が、あなたを必ず幸せにします。いつの日か『そんなこともあったね』と笑って話せる日が来るように……
だが私の決意とは裏腹に……この日を境に、先輩は徐々に壊れていった。