私の[ダンナ様/先輩]   作:おかぴ1129

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13.壊れていく先輩 〜秦野〜

 学校の授業が終わり、私は今日も部活を休む旨を顧問に告げ、家路を急いだ。顧問からは『用事なら仕方ないが、パートリーダーのお前がこう休み続けるのはマズいぞ』と釘をさされ、同時にこれ以上欠席が続くようなら、パートリーターの座も降りてもらうことになるかも知れない……と言われた。それならそれで別にいい。そんなことにかまっているヒマは、私にはない。

 

 家に戻ると自室で制服から私服に着替え、先輩の家に向かう。今日は特別に先輩が使っていたトロンボーンを持ち帰らせてもらった。もし先輩が興味を持つようなら、お母様と一緒に大滝川のほとりかどこかでトロンボーンを吹いてもらおうか。今日は天気もいいし、春が近いせいか寒さも幾分マシだ。少しぐらい外に出ても、問題はないだろう。

 

 あの日から今日で3日ほど経つ。あの日の混乱はテレビで大々的に放送された。海上保安庁の船が一隻、沈没寸前の状態まで追い込まれたのだから、テレビで大々的に取り上げられたのも頷ける。あれだけの大騒動だったにも関わらず、死人やけが人がまったく出てなかったことを、テレビやネットの報道では『奇跡だ』と言っていた。

 

 その度に私は、体中に痛々しい傷を負い、泣き叫びながら比叡さんの元に帰りたがった先輩を思い出さずにはいられなかったけど……

 

 先輩の家のドアの前まで来た。私はドアを開け、努めて明るく挨拶をする。

 

「お母様! 先輩! こんにちは!!」

「はーい」

 

 先輩の部屋から返事が聞こえ、ドアが開いてお母様が顔を覗かせた。少し影のある表情が、私の顔を見てほんの少しだけ明るくなったのを、私は見逃さなかった。

 

「ぁあ、秦野さん、いらっしゃい」

「いえ。先輩は?」

「ええ……まだ相変わらずなの……」

「そうですか……」

 

 靴を脱ぎ部屋に上がらせてもらう。先輩の部屋の中の空気は少し湿っており、粘度を感じられるほどに重苦しい空気が漂っていた。

 

「先輩。こんにちは」

 

 部屋の中の空気を少しでも軽くしたくて、私は努めていつもと変わらない声の調子で先輩に挨拶した。ベッドの上の先輩から返事はない。部屋はカーテンが閉じられており、電気もついてないので暗い。

 

「先輩、まだ外明るいですし、カーテン開けたほうがいいですよ。空気も入れ替えましょう。少し窓開けますね」

 

 窓のカーテンに開けた。夕方のため朝のような眩しさはないが、オレンジ色の陽の光が部屋の中を照らした。先輩は、ベッドで上体を起こしていた。

 

「今日は少しは気分はいいですか?」

 

 先輩は返事をしない。顔を上げて入るが、ぼんやりと天井を眺めている。

 

「先輩?」

 

 少しだけ目を見開いた先輩が、ゆっくりと私の方を見た。右目は相変わらず包帯が巻かれていてふさがっているが、左目はまっすぐ私を見ていた。少しぼんやりとしてはいたが、吹奏楽部の時、私の隣で微笑んでいた時の先輩の眼差しと同じだった。

 

「……ぁあ、秦野か」

「はい。今学校が終わったんでお見舞いにと思いまして」

「そっか。……ん、なんで秦野こっちにいるの?」

「へ……?」

「あー……そっか夢か。こっちに秦野がいるわけないもんねぇ」

「どういう意味ですか?」

「秦野や母さんたちにちゃんと事情を説明してないことがこんなに気になってたのか僕は……心配かけてるんだろうなぁ……父さんと母さん元気かな……秦野はちゃんと練習やってるかな……」

 

――私はここにいます

 

「先輩。今日トロンボーン持ってきました。あとで河原でちょっと吹いてみませんか?」

「そうだねー。朝からアカツキちゃんとビスコさんのレッスンあるから、僕もちゃんとウォームアップしとかなきゃ。起きたらボーン吹こう」

「……そうですよ。ちゃんとボーンあっためとかないと」

「その前に起きなきゃいけないんだけどねー……最近は布団から出るのつらいなー……姉ちゃんあったかいし……手きもちいし」

 

 先輩ははにかみながら、左手をもぞもぞと動かしていた。その様子はまるで、見えない誰かと手をつないでいるようだった。私には見えない比叡さんの手が、まるで先輩の目には写っているようだった。

 

 先輩は再び天井を見上げた。その時の先輩は明日の遠足を待ちわびる小学生のように活き活きとしていた。

 

「あー……早く目、覚めないかなー……」

「……なんでですか?」

「だってさ。目を開いたら、隣に姉ちゃんいるんだよ。早く会いたいなー……」

 

――私ではダメなんですか……

 

「そうですね。先輩は超絶鈍感クソ野郎ですから……目の前の私よりも、比叡さんなんですよね」

「そうだね。……あ、夢の中の秦野だとしてもさすがに失礼だったかこれは……」

 

 先輩はしまったという感じで苦笑いをしていた。確かにそれは、本人に言うのは失礼すぎます。たとえ超絶鈍感クソ野郎だとしても。

 

「だよねぇ。秦野本人には言わないようにしないと……」

 

 先輩、もう手遅れです。

 

「そっかそっか。ごめんね秦野ー。でも本人に会った時は言わないから」

 

 あの日以降、先輩は夢と現実の区別がついてないようだった。……いや、現実を夢だと思っているようで、私に対して失礼なことを平気で言うようになっていた。自分は夢を見ていて、目の前の私のことを、夢の登場人物だと思っているらしい。

 

「シュウ、そろそろご飯よ。秦野さんも食べていって」

「あ、僕はいいから二人で食べて」

「……今日もですか?」

「だって美味しいごはんは姉ちゃんと一緒に食べたいから。コンゴウさんとか岸田とかは別にいいけど……姉ちゃんとはちゃんと毎日一緒にごはん食べたいし」

 

 そういって先輩は、私たちの心配などどこふく風でケラケラと笑う。

 

 あの日以降、先輩は水以外をまったく口にしなくなった。食べ物はもちろん、飲み物もジュースやお茶、大好きだったはずのココアすら口にしなくなっていた。理由を聞いても『不思議と喉はかわくもんなんだねぇ』『おなか空いたなぁ……今日は起きたら姉ちゃん以上に食べられそうだ』としか言ってくれない。

 

 栄養を取らない先輩の怪我の状態は、全くと言っていいほど改善されなかった。一度医者に診てもらったのだが、『まったく治ってない』と言われ、この状態が続くなら入院するしかないと言われた。

 

 あの日の朝に戻ってきた先輩のお父様は、先輩を見るなり絶句していた。血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった先輩を見たお父様は、無言で先輩の顔の汚れを拭き、頭を撫で、私とお母様を先輩の部屋から連れだした。

 

「……何があった?」

 

 私達にそう問いただすお父様の顔は、憤りとそれ以上のやるせなさ、悲しみをにじませていた。私はお父様に事の次第を全て話し、色々なものを犠牲にして、先輩を取り返したことを伝えた。

 

「本当にそれが……姉弟を引き剥がすことが、シュウの為になると思ったのか」

「はい。……この方が、先輩のためだと思ったんです」

「……あのシュウを見てもか」

「お父様は、先輩を取り巻く環境がどれだけ異常で狂気をはらんだものだったのかを……ご存じないんです。だからそんなことが言えるんです」

 

 歯ぎしりの音が聞こえた。お父様の広角が強張り、顎に力をこめているせいで小刻みにふるえているのが見て取れる。

 

「……病院に連絡する。そのあとシュウの様子を見てくる」

 

 お父様はそう言い残し、居間に向かった。その後固定電話で病院と連絡を取っていると思しきお父様の声が聞こえた。ひどく事務的に聞こえるやりとりが終わった後、お父様はワイヤレスの受話器を強引に投げ捨てたようで、『ガシャン』という大きな音が聞こえた。私とお母様は、その音の大きさに身体を強ばらせた。お父様の怒りを、投げ捨てられ破損して散らばった受話器が代弁しているようだった。

 

 さらに数日後、先輩を診察した医者からの勧告で、先輩は入院することになった。怪我がまったくと言っていいほど改善されず、先輩自身もまったく食事を取らないため、強制的に入院させることになったようだ。先輩は今、点滴でかろうじて栄養を補っている状態だ。だが先輩はそれすら

 

「これしてるとなんだか食欲なくなるんだよね。姉ちゃんとご飯食べられなくなる……」

 

といい、医者にこれを外すように何度も頼んでいた。

 

「ごめんなさい先輩。それは出来ないんです」

「ひえぇぇぇ……姉ちゃんとご飯食べられないよ……」

「……1回ぐらい、比叡さんと食べられなくてもいいじゃないですか」

「イヤだよー。姉ちゃん好きだもん。秦野だって、美味しいごはんは好きな人と食べたいでしょ」

「……そうですね」

 

 先輩が人への好意をこんなにストレートに表現する人だというのは意外だった。でもだからと言って、食事をまったく摂らないというのは……私が一緒にご飯を食べたい相手はあなたなんですよ、先輩。

 

 一度、私がお見舞いに行った時、先輩が眠っていたことがあった。ベッドの中で縮こまって子供のようにあどけない寝顔で眠っている先輩の手を取る。ここしばらく食事を取ってないせいか、先輩の腕は以前よりもやせ細っていた。

 

「先輩……早く元に戻って下さい……」

 

 私は先輩の頭を、少し髪が乱れる程度に乱暴に撫でた。その途端、先輩は母親に頭を撫でられて安心しきった幼児のようにニコッとほほ笑み、自身の頭を撫でる私の手を取って、大事なものを両手で包むように握ると、再び眠りに入った。

 

「姉ちゃん……」

 

 まだ先輩は、比叡さんの世界の中にいた。私が入り込む余地はまだない。私では……まだ、先輩を支えてあげることは出来ないことを悟った。

 

 ある日のことだった。その日先輩は今一焦点の定まらない眼差しで天井を見上げていたが、突然ハッと目を見開いた。そのまま緩慢な動作で私の方を向き、今までとは比較にならないほどのハッキリとした発音で、私にこう言った。

 

「秦野」

「? はい」

「岸田って分かる?」

「……いえ。先輩の友人ということ以外は」

「そっか。じゃあ父さんか母さんに聞いてみて。そして、岸田のノートパソコンを持ってきて」

「その、岸田先輩のノートパソコンを……ですか?」

「うん。早く」

 

 私はお父様、お母様とともに岸田先輩の家を訪れ、同じく行方不明の子供を憂う岸田先輩のお母様から、彼のノートパソコンを借り受けた。そのノートパソコンを先輩に渡すと、先輩はすぐさま電源を入れ、WI-FIにつないでどこかのサイトを見始めた。一体何を始めようと言うのか……

 

「かんこれっ!」

 

 聞いたことがある。美少女が怪物と海の上で戦うゲームだったか……私はゲームはやらないのでその辺の話にはうとい。詳しいことは全く分からないが……

 

 先輩はキビキビとバソコンを操作していた。そしてしばらくするとパソコンから、比叡さんとしか思えないような声が聞こえた。先輩は何度もタッチパッドをクリックし、その比叡さんとしか思えない声を再生させていた。

 

『司令、もう……いいんです。弟は、別のところで幸せになると思います』

 

 妙に今の状況に合った比叡さんそっくりな声のセリフが流れ、先輩はワナワナと震えだした。

 

「秦野」

「はい」

「これは夢じゃないの?」

「夢じゃないです」

「姉ちゃんはいないの?」

「いません」

「もう会えないの?」

「……会えません」

 

 先輩は、ノートパソコンを持ち上げ、それを床に叩きつけようと真上に大きく振りかぶった。

 

「先輩ッ!!」

 

 私は先輩を背中から抱きしめ、ノートパソコンを叩きつけるのをやめさせた。先輩は動きを止め、ワナワナと震えながら必死に、自分を抑えつけているようだった。

 

「……先輩、今までが異常だったんです。あの人たちとともに歩んだ日々がおかしかったんです。先輩にとっての日常は、私たちです。私やお母様、お父様……学校、部活、勉強……それらが先輩の平和な日常なんです。今が先輩にとっての、日常なんです」

「違う……僕は……ッ!!」

「比叡さんと出会ってから、先輩の日常は壊れたんです。だからあの人との日々が日常だと思い込んでるだけです。先輩にとっての日常は、こっちなんです」

「……」

 

 ノートパソコンを振りかぶる先輩の手から少しずつ力が抜けてきた。私は先輩のやせ細った腕に自分の腕を優しく添え、静かにノートパソコンを手元に下ろし、そして置かせた。その後先輩の手に自分の手を絡ませ、先輩の手を優しく握った。

 

「先輩。私は先輩が好きです。先輩はもう比叡さんと会えないけれど、私が代わりになります。比叡さんに抱きしめて欲しいなら、私が代わりに先輩を抱きしめます。頭を撫でて欲しいなら、私が代わりに先輩の頭を撫でます」

「……」

「あなたがあの人と引き換えに失ったものを、私があなたの代わりに取り戻します。あの人の代わりに、私が先輩を幸せにします」

「……」

「だからもう……あの人を追いかけないで下さい。私を見て下さい」

「……」

「私も……妹を失いました。大切な妹と引き換えに、あなたを日常に戻しました」

「朝潮ちゃん……だっけ」

「はい。……だからせめて、あなたを幸せにさせて下さい。あの子のためにも、私のためにも、あなたを幸せにさせて下さい」

 

 私が手を添える先輩の腕が、プルプルと震えていた。その振動がノートパソコンにも伝わり、私は勢いでノートバソコンのタッチパッドに軽く触れてしまった。ノートパソコンはそれをクリックと認識し、再び比叡さんの声が再生された。

 

『司令、もう……いいんです。弟は、別のところで幸せになると思います』

 

「そっか……」

 

 先輩は力なくそう答えると、パソコンのブラウザを閉じ、ゲームを終了させた。その後パソコンの電源を切り、それをベッドから下ろした。

 

 その夜、先輩は病院を脱走した。

 

 異変に気がついたのは見回りの看護師だった。先輩の病室から水滴が滴る音が聞こえ、確認してみると点滴が抜かれており、先輩が失踪していたとのことだった。

 

 私はその連絡をお母様から聞いた。そしてその連絡を聞いた時、すぐに思い当たる場所があった。それは先輩があの人とはじめて出会い、悩んでいた先輩の背中を私が押してあげた、あの神社だ。

 

 直感に従い神社に足を伸ばしてみる。やはり先輩はいた。街灯の薄明かりの下で、夜空を見上げながら先輩は、静かに佇んでいた。

 

「先輩」

 

 先輩は声をかけると、ゆっくりと私の方を振り返った。頬がコケて、体全体がやせ細っていた。

 

「ここで何をやってるんですか?」

「いや……ここに来たら、何か色々分かる気がするから」

「何かって……何がですか?」

「わかんないけど……色々」

「……帰りましょう先輩。みんな心配してますよ?」

「え……でも……」

 

 帰るのを渋る先輩の手を握り、強引に神社の外に連れ出す。今の先輩の腕は、私が力を込めれば簡単に折れてしまいそうなほどに細く、脆い。まるで今の先輩の心のように、先輩の身体は脆弱になっている。自身の手を引っ張られることに先輩は抵抗していたようだが、私にすら抵抗出来なくなっているほど、先輩の力も削ぎ落とされていた。

 

 この頃私の心には、『これでよかったのか?』という疑念が渦巻きはじめていた。あの日から先輩は、自身の理想の日常と現実の間をたゆたっていた。今日、やっと私たちのことを現実だと認識したが、それでも先輩は、比叡さんの姿を追い求めるのを止めなかった。

 

 私は、先輩を日常に戻すことが、先輩にとっての幸せだと信じていた。そうすることが、私が愛する人に出来る、私なりの精一杯だと思っていた。

 

 それなのに、今のこの状況は先輩にとって幸せなのか。この、私でも簡単に折ることが出来そうな先輩のガリガリの腕は、幸せの証なのか? この痩せこけた生気のない先輩の表情は、幸せな者の表情なのか?

 

 今はただ、初めての女性を忘れられないだけなのかもしれない。時が経てば、先輩は比叡さんのことを忘れ、いずれ隣でただただ見守っていた私のことを愛してくれるかもしれない。あるいは別の女性と恋に落ち、愛し合って結ばれるのかもしれない。そうして、普通の人の幸せを享受することになるのかもしれない。あの狂気の世界から戻ってきた先輩が、元の世界に戻り普通の幸せの中で笑顔を見せるためには、もう少し時間が必要なのかも知れない。

 

 だが、今の先輩の姿を見るに、とてもではないが今後幸せになっていく姿を想像することが出来ない。この先輩が私を見て、私を愛してくれ、私とともに幸せになるところが想像出来ない。他の女性の隣で、幸せなほほ笑みを浮かべる先輩の姿を想像出来ない。私は、この人を幸せに出来るのだろうか。このままでは、不幸になってしまうビジョンしか思い浮かばない。

 

 でも後悔してはいけない。私だけは、後悔が許されない。私は、妹の朝潮を犠牲にしてまで、先輩を取り戻したんだ。私は、先輩を幸せにしなければならない。比叡さんの代わりに先輩を愛し、先輩を抱きしめなければならない。そうしなければ……

 

 翌日も、その翌日も、先輩は脱走して神社に向かった。点滴を外した上での脱走が何度も続いたことを受けて、病院は先輩の身体に点滴を縫いつけたが、先輩はそれすら引きちぎり神社に赴いた。日を追うごとに先輩の腕や鎖骨部分に新しい生傷ができ、それでもなお先輩は、点滴を引きちぎり脱走した。

 

 入院し続けているにも関わらず、先輩の身体は治癒していくどころか、ますますボロボロになっていった。食事も取らず生傷を作り続け、傍から見て、先輩はすでに限界に来ていると行っても良かった。私はその先輩の姿を見る度に頭に浮かび上がる疑問を必死に払拭するべく、お見舞いに訪れた時は、ただ無心に先輩の世話をした。

 

「先輩、体拭きます。服を脱がしますね」

「……」

 

 もはや返事すらしなくなった先輩の上着を脱がし、上半身を蒸しタオルで拭いてあげる。もうずっと食事を取ってないせいで、先輩の身体はもうガリガリだ。胸からお腹にかけては肋骨が浮き出ており、背中も背骨や肩甲骨の位置がハッキリ浮き出るほどになっている。その様は本当に痛々しい。

 

「先輩、お昼は雨でしたけど、今はいい天気ですよ。あとでちょっと外にでも出てみませんか?」

「……」

「卒業式、もうすぐですね。今年は受験出来ませんでしたけど、来年から高校生になれば、私と先輩、同級生になれますね。……もういっそのこと、同じ高校行きましょっか。クラスメイトになれるかも」

「……」

 

――声をきかせて下さい……先輩……

 

 今晩は、私がご両親に頼み込み、泊まり込みで先輩の世話をさせてもらうことになっていた。病院にそのことを告げると、先生が先輩の点滴に“よく眠れる薬”を追加してくれた。

 

「これなら多分、脱走することはないよ。本当は使いたくなかったけど、今日だけは特別に許可する」

「はい。ありがとうございます」

 

 消灯時間になり、病院内の明かりが消えた。私は先輩の個室のソファに腰掛け、眠る先輩を起こさないよう、静かに本を読んでいた。時折顔を覗きこんで先輩の様子を見ると、先輩は死んだように眠っている。呼吸の度に先輩のおなかが上下に動いていることで、かろうじて先輩が生きていることが分かるほどに、先輩の顔は死人同然のように生気がなかった。寝返りすら打たなかった。

 

 少し外の空気が吸いたくなり、私は窓を開けた。外は少し風が出ていたようで、窓を開けるなりレースのカーテンが風でなびいた。冷たい空気が室内に入ってきて、私の肺の中が心地いい冷たさの新鮮な空気で満たされた。

 

 同時に、外が稲光のように光った気がした。時間にして本当の一瞬だったが、稲妻が鳴る前の稲光のように、一瞬だけチカッと光った。

 

 私は反射的に空を見上げた。おかしい。稲光が見えたはずなのに、星が見えるほどのいい天気だ。……今のはなんだったんだろう……

 

「姉ちゃん……」

 

 何日か振りに先輩の声が聞こえた。私が先輩の方を見ると、先輩が目を開いていた。うっすらとだが確実に、先輩は目を開いていた。

 

 

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