少し外の空気が吸いたくなり、私は窓を開けた。外は少し風が出ていたようで、窓を開けるなりレースのカーテンが風でなびいた。冷たい空気が室内に入ってきて、私の肺の中が心地いい冷たさの新鮮な空気で満たされた。
同時に、外が稲光のように光った気がした。時間にして本当の一瞬だったが、稲妻が鳴る前の稲光のように、一瞬だけチカッと光った。
私は反射的に空を見上げた。おかしい。稲光が見えたはずなのに、星が見えるほどのいい天気だ。……今のはなんだったんだろう……
「姉ちゃん……」
何日か振りに先輩の声が聞こえた。私が先輩の方を見ると、先輩が目を開いていた。うっすらとだが確実に、先輩は目を開いている。
「先輩、起きたんですか?」
先輩は返事をしない。おかしい。今日は先生がよく眠れる薬を打っていたはずだ。そのおかげで、今日は先輩は朝まで目覚めないはずだ……。
先輩の眼差しに除々に光が戻ってきた。ゆっくりだが確実に、目がしっかりと開いていく。そのまっすぐに前を見つめる眼差しは……私が待ち焦がれていたその眼差しは、自身の鎖骨部分に刺さっていた点滴の針を見ていた。先輩の視線は点滴の針から伸びたチューブをたどっていき、やがて点滴の袋に辿り着いた。
点滴を確認した先輩は、再度天井を見上げた。ベッドから立ち上がるべく、もう人並み以下になってしまった力を必死に込めて上体を起こし、ベッドにこしかけ、立ち上がろうとしていた。
「?! ダメです! 寝てなきゃダメです先輩!!」
先輩は返事をしない。返事どころか、私の方を見てすらくれない。渾身の力を込めて立ち上がった先輩は、点滴のスタンドを杖のように使い、一歩ずつドアに向かって歩いて行こうとした。
「秦野……肩、貸して」
「……貸せば先輩はベッドに戻ってくれますか」
「だったら……いらない」
私の助力を明確に拒絶した先輩は、そのまま息も絶え絶えで部屋の出入り口の引き戸まで来た。引き戸は誤動作を防ぐ意味合いもあり、健康な私でもドアの開閉には少し苦労するほどに重い。引き戸の取っ手に手をかけた先輩は、渾身の力を込めて開けようとするが、取っ手を握る手に力も入らず、その重い引き戸は中々開かない。
「……ッ! ……ッ!!」
「先輩……」
「秦野は……来なくていい……ッ!! ッァァアアアアアアア!!」
先輩に拒絶されたことで私は先輩を手伝うことが出来ず、背後から見守ることしか出来なかった。先輩がこの引戸を開いてしまえば、先輩は二度と私の元に戻ってくることがないということを直感で感じ取ったが……不思議と私は、先輩が自身の力でこの引戸を開けることを望み始めた。渾身の力に加えて自分の体重をかけ、先輩はついに引き戸を開いた。
『シュウくん……』
「姉ちゃん……!」
通路の奥から聞き覚えのある声が聞こえ、先輩はそれに呼応した。引き戸を開けた勢いで転倒してしまった先輩は、そのまま立ち上がることが出来ず、しかしそのまま身体を必死に引きずって、引き戸の外の通路に出た。私はその場から動くことが出来ず、そんな先輩を部屋の中から見守ることしか出来ない。
『シュウくん! どこ?!』
「僕は……ここにいる……ここにいるよッ……!!」
また聞き覚えのある声が聞こえ、走る足音が聞こえた。先輩を呼ぶ声は近づいてきている。先輩の声は弱々しいが、少しずつ生気が戻ってきている。私はやっと動くことが出来、先輩の元に走り寄った。
「先輩、肩貸します」
肩を貸そうと隣でしゃがむが、先輩はこちらに手の平を見せてそれを制止する。険しい表情で……だけど私が部活の時にずっと見ていた真っ直ぐな眼差しをたたえた横顔で、先輩はそばの手すりに捕まり、渾身の力で立ち上がろうとしていた。
『どこ?! シュウくんどこ?!』
「ここだ……僕はここにいる……!!」
『!! 今行く!!』
そばの階段から声が聞こえ、誰かが階段を駆け上がる音が聞こえた。階段を見つめる先輩の目に涙が溜まってきていた。先輩は手すりに捕まったまま階段まで歩こうとするが、途中で足がもつれ転倒した。私は先輩の手助けをしてあげたくて先輩に走り寄るけど、いざ近づくと、鬼気迫る先輩の様相を見て、手を出すことが出来なくなった。
立ち上がる先輩の肩に縫い付けられた点滴が引きずられている。
「……邪魔だッ!!」
「ダメです先輩!!」
「……ッ!!」
私の制止を聞かず、先輩は自身に縫い付けられた点滴を引きちぎった。先輩は自身の肉片がついたままの点滴の針を投げ捨て、再び一歩一歩進み始める。
階段を駆ける足音が近づき、声の主が顔を出した。先輩の目に完全に光が宿った。
「シュウくん!!」
「姉ちゃん……!!」
先輩に語りかけ階段を駆け上がっていたのは、ズタボロになっている巫女服を着た比叡さんだった。
「姉ちゃん……姉ちゃん……ッ!!」
先輩はフラフラになりながらも立ち上がり、必死に比叡さんの元に一歩一歩歩いて行った。比叡さんも、今にも大声を出して泣き出しそうな……それでいてとてもうれしそうな表情を浮かべながら、先輩の元に走ってきた。
やがて先輩の元にたどり着いた比叡さんは、先輩を押しつぶしそうなほどの勢いで力強く先輩を抱きしめ、先輩はそんな比叡さんの顔を必死に自分に抱き寄せていた。そしてその感触を確かめるように……会えなかった時間を取り戻すかのように、比叡さんの唇を必死に奪っていた。
「嘘つき……ずっと捕まえててって言ったのに……」
「うん……ごめんねシュウくん……!」
「いい……また捕まえてくれたから……」
「今度こそ逃さないから! 今度こそ捕まえてるから!!」
「うん……」
比叡さんに抱かれ、先輩は今まで見せたことすらない、安らいだ表情を比叡さんに見せていた。私には今の今まで、まったく見せたことのなかった表情だった。先輩は比叡さんに会い、比叡さんに抱かれて、心から安心しきっているようだった。
その先輩の様子を見て……二人の確認の儀式を目の当たりにして、私は二人の間に入れないことを感じ取った。そっか……先輩は、この日をずっと待ってたんだ。比叡さんが自分を迎えに来てくれるのを、信じてずっと待ってたんだ。そして比叡さんは、それに応えて先輩を迎えに来たんだ。
「姉さん」
また懐かしい声が聞こえ、私は階段を見た。
「朝潮……ちゃん?」
「はい。そうです姉さん」
そこに立っていたのは朝潮だった。朝潮は比叡さんと同じく、着ている服がボロボロになっていた。朝潮は私の元まで来ると、あの時と変わらずビシッと敬礼してくれた。あれだけの仕打ちをした私を、彼女はまだ姉さんと呼んでくれることに、私は後ろめたさを感じた。
「お久しぶりです。姉さん」
「うん……久しぶり」
私は久々に会うことが出来た妹の頭を、反射的に撫でていた。朝潮は若干ほっぺたを赤くして照れていたが、それでも私のなでなでを喜んで享受していたようだった。
「朝潮ちゃん」
「はい。なんでしょうか」
そういえば思い出した。彼女は自身がちゃん付けで呼ばれるのがイヤだったんだっけ……。
「今まで……どこに行ってたの?」
「はい。比叡さんたちが暮らしている鎮守府にお世話になっていました」
「ずっと?」
「はい。ずっとです」
よく見たら、朝潮は顔が少し引き締まり、どことなく成長したように見えた。少し顔つきが大人びたというか……心持ち、背も少し伸びて大きくなったように感じられる。
「その鎮守府で……今まで何をやってたの?」
「私と比叡さんが……ですか?」
「うん」
「戦ってました。ここに帰ってくるために……」
「ここに帰ってくる?」
「はい。私達はあれから、ずっと一緒に戦い続けていました。私は姉さんに会うため。そして比叡さんは……シュウ先輩を取り戻すために……ずっと戦い続けてました」
私は朝潮から、二人がどのような気持ちで、何を成して戻ってきたのかを聞いた。終わりの見えない、無謀ともいえる度重なる激しい戦いの中で、比叡さんとこの朝潮は、何度も傷つき大怪我を負った。それでも、二人とその仲間たちは何度も立ち上がり、休むことなく戦い続け、そしてついにこの世界に戻ってきたということを。
朝潮は『再び私と会う』……比叡さんは『先輩を取り戻す』……二人は、たったそれだけの気持ちを原動力に、終わりの見えない命がけの戦いを潜りぬけ、こうしてここまで戻ってきた。
私は朝潮から視線を外し、先輩と比叡さんを見た。最愛の相手が今目の前にいることを、二人は強く強く抱きしめ合い、相手の唇を奪い合うことで確かめ合っていた。この瞬間のために……最愛の相手と抱きしめ合うために、先輩は比叡さんを信じて待ち続け、比叡さんは命がけで過酷な戦いをくぐり抜けてきたんだ。
私は改めて悟った。この二人には、私が入り込む余地はない。
そして、先輩を幸せにできるのは、比叡さんしかいない。
「シュウくん?!」
先輩と何度もキスを繰り返していた比叡さんが、急にキスをやめ、慌てて先輩の胸に手を当てた。先輩の素肌に触れ、心臓の鼓動を確かめる比叡さんの左手には、恐らく先輩からの贈り物であろう指輪が光り輝いていた。その後比叡さんは、安堵の表情を浮かべ、その手を先輩の胸から離した。
「よかった……」
「大丈夫だと思いますよ。先輩、安心して気が抜けたんだと思います」
「? そうなの?」
「はい。先輩……ずっと比叡さんを待ってましたから。“おいしいごはんは姉ちゃんと食べたい”って言って、ご飯もずっと食べてなかったですから」
「そうだったんだ……シュウくん、だからこんなに……」
比叡さんは、先輩を抱きよせながら、優しく、でも少しだけガサツにくしゃっと撫でていた。うん。やっぱりだ。この頭の撫で方は、先輩が好きな撫で方だ。この撫で方をするのは比叡さんだったんだ。やっばり先輩にとって、運命の相手は比叡さんだったんだと、妙に納得出来る撫で方だった。
「秦野さん」
ひとしきり先輩の頭を撫でた後、比叡さんは私の名を呼び、まっすぐな眼差しで私を見据えた。私も、そのまっすぐな眼差しをまっすぐ見据えた。
「はい。なんですか?」
「私は、シュウくんを連れて帰ります」
「また私たちから先輩を奪うんですか?」
「はい」
「先輩をあの狂気の世界に引き戻すんですか?」
「私がシュウくんを守ります。絶対に」
「先輩にとってそれが最善だと思いますか?」
「最善かどうかは分かりません。でも、シュウくんはきっとそれを望んでる」
そう言い切る比叡さんの眼差しに迷いはなかった。そこまで先輩のことを理解できていることが少し悔しかったが、なぜか今の私には黒い感情は芽生えてこなかった。
「……なぜ、そう言い切れるんですか?」
理由が半分分かってる疑問を、わざと比叡さんにぶつけてみた。最後のイジワルのつもりだった。だが……
「私がシュウくんとケッコンしたから……シュウくんが選んだのは私だからです。シュウくんを幸せに出来るのは、私しかいない」
予想以上にダメージを受けたのは私のようだ。比叡さんのこの予想出来た一言は、私から、かすかに残っていた先輩への希望すら失わせてくれた。
私は二人の元に歩み寄り、先輩の顔を見た。気を失ってはいるが、先輩はこの数週間の間にはまったく見せることのなかった穏やかな顔をしていた。私はその顔を見ながら、先輩の頭を撫でてあげた。
「先輩……私は先輩が好きでした。……でも私じゃ、先輩を幸せには出来ないみたいですね。比叡さんしか、先輩を幸せに出来ないみたいですね。私じゃ……ダメかぁ……」
恐らくは、先輩の髪に触れることも、これで最後になるだろう。先輩の頭から手を離す。少し乱暴に頭を撫でていたせいか、指に少し髪がからまっていた。だがそれも、するっと解けた。私から、先輩が離れた。
「比叡さん……先輩が気がついたら伝えてくれませんか?」
「?」
「“最後まで私の気持ちを受け止めなかった超絶鈍感クソ野郎なんかこっちから願い下げだ!”って」
「分かった。伝える。……秦野さん、ごめんなさい」
「謝らなくていいです。私こそ……すみませんでした」
「んーん。秦野さんのおかげで、私は覚悟が出来た。だから私は、秦野さんのことを責めない」
「先輩の、この様子を見ても?」
私と比叡さんは、自然と先輩を見た。先輩は安らかな顔をしているものの、傷だらけで、痛々しい姿をしている。
「うん。許せないけど……ダンナ様をここまで追い詰めたあなたは許せないけど、取り戻せたから。あとは私が、ダンナ様を幸せにすればいいから。私ならできるから」
先輩から視線を外し、私をまっすぐに見据えてそう話す比叡さんには、先輩を置いて行った時のような迷いは感じられなかった。覚悟と自信に満ち溢れたその眼差しは、私の両肩にのしかかっていた罪悪感を、少しだけ軽くしてくれた。
「ありがとうございます。比叡さん」
一言だけ例を言って、私は踵を返し、比叡さんと先輩に背中を向けた。このままでは泣いてるところを見せてしまう。見せるわけには行かない。
「ほら。早く行って下さい。先輩の体調も心配ですから」
「でも……」
「行って下さい! じゃないと……」
――別れられなくなります
「秦野さん……」
「似た者夫婦なんですね。あなたも超絶鈍感クソ野郎なんですか?」
「……」
朝潮が、二人に近づいていくのが分かった。背中越しに二人の会話が聞こえる。
「それじゃ、あとはお願い」
「はい。比叡さんも、お元気で」
「うん。朝潮さんも」
「はい。……比叡さん、また」
「うん」
私の背後が、少し明るくなった気がした。あの、朝潮が消えた時のことを思い出した。朝潮は消える寸前、光り輝いていた。
「……先輩!」
最後に先輩を一目見たくて、私は振り返った。だが振り返り、二人の姿を視界に捉えた途端、二人の姿は消えた。
「先輩……さよなら……」
記憶に刻まれた、ほんの一瞬の先輩の姿を必死に思い出した。先輩は、本当に安らいだ顔をしていた。何かを追いかけるまっすぐな瞳ではなかった。ぼんやりとした死人のような目でもなかった。ただひたすらに、比叡さんの温かさを感じて、比叡さんの感触を確かめて、心から安心している表情だった。
――シュウくんを幸せに出来るのは、私しかいない
比叡さん、確かにあなたの言うとおりです。私では先輩を幸せに出来ませんでした。そして恐らく、あなた以外の誰にも、先輩を幸せには出来ないでしょう。
比叡さん、大切な先輩を、あなたに託します。どうか幸せにしてあげて下さい。出来なかった私の分まで。
「姉さん」
私のそばに、朝潮がやってきて私の手を取った。その様子は、ちょうど小さな子が自然と母親の手をとり、手を繋ぎたがるかのようだった。
「ん?」
「シュウ先輩のことは……残念だと思います。でも私は、二人に幸せになってほしいと思います。たとえ姉さんが、シュウ先輩のことを好きだったとしても」
「うん……そうだね」
私の手を握る朝潮の手に、少し力がこもったのが分かった。彼女の手が小刻みに震え、同じく声も震えていた。
「でも……私ではダメでしょうか……シュウ先輩の代わりに……私が姉さんの隣で……姉さんと一緒にいるのは……ダメでしょうか……?」
いつか、私が先輩に『私が比叡さんの代わりになります』と言ったことを思い出した。やっぱり私たちは姉妹だね。でも、朝潮ちゃんはひとつ間違ってるよ。
「朝潮ちゃん」
「はい」
「朝潮ちゃんはね。先輩の代わりなんかじゃないよ? 朝潮ちゃんはね。私の大切な妹だよ?」
「私のことをまだ……妹だと思ってくれるんですか……?」
「そうだよ。朝潮ちゃんは、世界でたった一人の、大切な私の妹だよ?」
「……ねえさん……」
私は朝潮の前に移動した。私も、朝潮に確認しなければならないことがある。彼女の言葉をまったく信用せず、最後にあのような仕打ちをした私は、彼女の姉を自負していていいのか……こんな私のことを、朝潮は赦してくれるのだろうか……
「朝潮こそ、私が姉さんでいいの?」
「?」
「私は、あなたの言葉を信用しなかったし、あの日、あなたのことを裏切ったんだよ?」
彼女の、まっすぐで私にそっくりな目には、涙が少しずつ溜まってきていた。
「……姉さんも、間違ってます」
「え? 私が? 何を?」
「私は……あなたに会うために……またあなたと一緒に毎日を過ごすために、命がけで戦ってきました。死ぬかもしれないと思ったことも、何度もありました」
「うん」
「私は……なんでもない人のために……そんなことをしません!」
「……」
「私にとってあなたは……姉さんなんです! 私が大好きな姉さんは世界でたったひとり……あなただけなんです!」
朝潮はボロボロと涙を流し、喉からそのセリフを必死に絞り出していた。
私も、朝潮と同じ勘違いをしていたようだ。私は、自分が世界でただ一人の、大好きな朝潮の姉だということを忘れていた。私にとって彼女が、かけかえのない妹であったことと同様、私自身も、朝潮にとってかけがえのない姉であることに気がついてなかった。そんな当たり前で、大切なことを忘れていた。
今、私の目の前で涙をポロポロと流し、私の手を握るこの小さな少女は、私の妹なんだ。私は彼女を裏切ってしまったけど、それでも私のことを姉として受け入れてくれる、大切な妹なんだ……そんな妹の頭を、私は優しく撫でてあげた。
「朝潮ちゃん?」
「はい」
「間違えてごめんね。確かに私は、朝潮の姉さんだね」
「はい!」
「ありがとう。私の妹になってくれてありがとう」
「はい! 姉さんこそ……私の姉さんになってくれてありがとうございます!」
「ずっと信じなくてごめんね……あの時裏切って……ごめんね……」
「いいんです! 私はこうやって……姉さんと一緒にいられれば……」
「うん。ありがとう……それから」
「?」
「おかえり」
「……はい! ただいま姉さん!!」
私の妹はそう返事をすると、涙でぐしゃぐしゃだけど嬉しそうな笑顔で、私に向かって敬礼してくれた。しばらく会わないうちに少し成長し、たくましくもなったようだったが……それでも根本の部分は代わってない。この敬礼、そしてこの笑顔……私の知ってる朝潮のままだ。私のかわいい妹のままだった。
「ところで姉さん」
「ん?」
「いい加減……ちゃん付けはやめて下さい」
「分かった。朝潮“ちゃん”」
「姉さん!」
確かに最愛の男性を手に入れることは出来ず、その人は私の元を離れて遠いところへ行ってしまった。でもその男性は、私とは違う場所で、私とは違う人と、必ず幸せになるだろう。だから、もうそれでいい。
私が願うのは、先輩の幸せだ。先輩を幸せに出来る人は私ではなかった。ならば、先輩を幸せに出来る比叡さんに託せばいい。そうすれば先輩は、私が望んだ通り、幸せになるだろう。その姿をとなりで見ることが出来ないのは残念だけど、先輩が幸せなら、それでいい。
それに私の元には、とてもかわいい妹がいる。私の事を姉さんと呼んでくれ、私のことを慕ってくれるかわいい妹がいる。それはとてもうれしいことだ。妹と手を繋ぎ、彼女の手のぬくもりを感じながら、私はそんなことを思っていた。
「朝潮?」
「はい」
「もう、ずっと一緒だからね。姉さんは、ずっと朝潮と一緒にいるからね」
「はい。私も、姉さんがどこにいても、必ず捕まえますから!」
「ホント?」
「はい。気合、入れて、捕まえます!」
「ぷっ……誰のマネ?」
朝潮、これからまたよろしくね。今度は絶対に裏切らないからね。今度こそ、本当の姉妹になろうね。
ありがとう。私の妹になってくれて。