未だに目を覚まさないシュウくんのそばにいたくて、私はシュウくんの部屋に戻ってきた。シュウくんを見ると、私が先ほどお母様と秦野さんに事情を説明するために居間に向かった時と、同じ姿勢で微動だにせず眠っていた。シュウくんのおなかだけが軽く上下しており、顔を近づけると聞こえる静かな寝息が、かろうじてシュウくんが生きていることを私に伝えていた。
しかし、あの秦野さんという子……私に対しての敵意をむき出しにしていた。以前お母様をはじめとしたシュウくんの家族に鎮守府や深海棲艦の説明をしたときのことから察するに、恐らくは説明をしても信用してもらえず、きっと話は難航するだろうとは思っていたが……まさかここまでとは……きっと信用以前の感情が彼女の中で渦巻いていたからというのもあるのだろうけど。
それにしても、秦野さんが発した言葉は、私の心に突き刺さった。
――あなた先輩を戦いに巻き込んでるじゃないですか。
あなたのせいですよ先輩のあの怪我は。
確かに……もしあの日、シュウくんが私を神社で見つけなかったら……私のダンナ様はどんな人生を歩んでいたのだろうと考えることはこれまでにもあった。
もし私と出会わなければ……きっとシュウくんは、私と一緒にレ級と命がけの戦いをすることはなかっただろう。あきつ丸さんに連れられ、突然世界を渡るなんて危険なことをすることなんかなかったはずだ。私と知り合ってないのだから、私とケッコンすることもなかったはずだ。
シュウくんの手を握る。シュウくんは男で、私よりも大きい手をしている。でも顔を見ると、まだまだ幼さの残る顔立ちだ。傷だらけの身体に包帯が巻かれ、今こうして静かに寝息を立てているこの少年は、まだ、たったの15歳なのだ。
15歳の少年が、この短期間の間に3回も、生きるか死ぬかの戦いをくぐり抜けた。そのうち2回は戦闘中に意識を失ってしまうほどの激しい戦いだ。私を助けに来てくれて、みんなの前でケッコンしろと言ってくれた時も、あと一歩何かが間違っていれば、確実にシュウくんは死んでいた。15歳の、艦娘でも何でもない少年がくぐり抜けてきた体験にしては、あまりに危険すぎる。
傷に触ってしまわないように、シュウくんの頭を撫でてあげる。昼間は戦闘中で撫でてあげられなかったもんね……。彼の柔らかい髪に触れ、頭をくしゃくしゃするのが私は好きだ。この気持ちは、シュウくんからもらったものだ。私は彼と出会って、色々なものを……大切なものをたくさん彼からもらった。
シュウくん……シュウくんはお姉ちゃんと会ってから、いつも危ない目に遭ってるね。お姉ちゃんのせいなのかな? シュウくんはお姉ちゃんに出会ってしまったから、こんなに危険な目に遭ってるのかな……そんなことを考えていたら、目に涙が溜まってきた。私はシュウくんの隣にいてもいいのだろうか……私は、シュウくんからもらった指輪をつけていてもいいのだろうか……
不意にだが静かに、部屋のドアが開いた。私は反射的にドアから顔をそらし、目に溜まった涙を吹いた。
「や。比叡ちゃん」
聞き覚えのある懐かしい声が聞こえた。シュウくんのお父様だ。
「お父様。お久しぶりです」
「ぉお〜そっかそっかそういえば。久しぶり比叡ちゃん」
お父様は今日、どうしても外せない用があったらしく、たった今帰宅されたらしい。スーツ姿のままのところを見ると、帰宅後部屋着に着替えることなく、この部屋に来たようだ。
お父様は私に向かって微笑んでくれると、シュウくんの方を見た。シュウくんのほっぺたに触れた後、彼の頭を軽くくしゃっと撫でていた。シュウくんが頭を撫でられるのが好きなのは、このお父様の影響があるのかもしれないと、私はその光景を見ながら思った。
「おかえりシュウ。……大冒険してきたみたいだな。顔が少し引き締まった」
シュウくんに対して優しくそう言った後、その優しい微笑みのまま、お父様は私の元に来た。その眼差しには、秦野さんのような怒りの色も、お母様のような困惑の色もなく、ただただ、シュウくんにそっくりな優しさに溢れる眼差しがあった。
「……比叡ちゃん、いなくなってから今までずっと、シュウと一緒にいてくれたのか?」
「はい。……でも、私の方がシュウくんにずっと助けられっぱなしでした……」
「そっか。比叡ちゃんが一緒にいてくれていたんなら、安心だったな」
そう言って、お父様はニコッと笑ってくれた。シュウくんの家からずっと、お母様への説明や秦野さんからの追求もあったりして、ずっと心が休まらなかった。限界まで張り詰め続けていた私の心は、このお父様の微笑みで、やっとテンションを下げて緩むことが出来た。
「少しだけだけど、母さんから話は聞いた。シュウのことを自分の弟だって言ってくれたんだって?」
「はい。シュウくんも、私のことを姉ちゃんと呼んでくれます」
「ブフッ……シュウにはもったいない姉ちゃんだ。……ダンナ様って聞いたけど?」
「私に……ケッコンしろと言ってくれました」
「まだ中坊のクソガキのくせにいっちょまえにプロポーズなんぞしやがって……」
お父様は楽しそうにククッと笑う。お父様、傷だらけのシュウくんが心配にならないんですか?
「まぁ心配っちゃー心配だけど……命に別状はないって話だし。比叡ちゃんが一緒にいたんなら大丈夫だろって思って」
お母様には困惑され、秦野さんからは憎しみの感情をぶつけられていた私にとって、今のこのお父様の言葉が、なによりもうれしくて、心に響く一言だった。言われた途端、私の両目に涙が溜まっていくのを感じた。
「ぇええ? ちょっと比叡ちゃんどうした?」
いけない。突然泣いてしまってお父様をびっくりさせてしまったようだ。
「す、すみません……なんだかお父様の言葉を聞いてるとホッとするというか……」
「……母さん言ってたぞ。比叡ちゃん、帰ってきたのはうれしいけれど、意味がよく分からないこと言ってるって」
「はい。お母様、私の話を聞いて困惑されてるようでした……まるではじめてここでハンバーグをごちそうになったときみたいに……」
「……そっか。まぁおれもあんときゃ今一よくわかんなかったしなぁ……」
「秦野さんにはどんどん突っ込まれるし……」
「あの子、しっかりしてるからなぁ……でもあれだ。比叡ちゃんも不安だったろ。誰にも信用されず、たった一人で」
やっぱりこの人は、私のダンナ様の父親なんだなぁと思えた。今日話をした人たちの中でただ一人、シュウくんだけでなく私の心配をしてくれた。シュウくんは誰に対しても優しい。その優しさは、このお父様から受け継いでいるのだろうか。
そんなことを考えていると、お父様が私の頭を撫でてくれた。
「ひ、ひぇええ? お、お父様?」
私が戸惑いつつもお父様の方を見ると、お父様は、先ほどシュウくんに向けていたものとまったく同じ眼差しを私に向けて、微笑みながら私の頭を撫でていた。
「比叡ちゃん、今までシュウを守ってくれてありがとな」
「お父様……」
「シュウの姉なら、俺達にとっちゃ比叡ちゃんは娘だ。まさかこの歳になってこんなデカい娘が出来るとは思わなかったけど……」
「お父様……本当にありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだ。シュウの姉になってくれて本当にありがとう。これからもうちのアホ息子をよろしく頼むよ……それから」
「?」
「おかえり」
「……はい! ただいま戻りましたお父様!!」
お父様の心遣いが本当に嬉しくて、私はつい大声でただいまを言ってしまった。お父様は即座に『シュウが起きちゃう! 起きちゃうからシィー!!』と小声で言い、その姿がいつぞやの、大声を出す私を諌めるシュウくんの姿とかぶって、とても懐かしい気がした。
シュウくん……ここは、私にとっても第二の家になりました。私は名実ともに、シュウくんのお姉ちゃんになれたようです。