「驚いた。お前、料理も達者だったんだな」
俺の作った海軍カレーを一口含んだ三笠さんが、大袈裟なくらい目を見張っていた。
いちおう、俺の乗艦だった『あまつかぜ』の艦カレーということになるが、全てレシピ通りに作っているわけじゃない。ルーは出来合いのものを使っているし。隠し味はオリジナルと同じものをいくつか使っているので、普通に作るよりは美味だとは思うが、オリジナルはもちろんの事、三笠さんの乗艦『おおよど』の艦カレーには遠く及ばない。
お世辞なんだろうけど、褒めてもらうと嬉しかった。
考えてみれば、食事なんて自分の腹を満たすためだけに作っていたようなもんだし、誰かに食べてもらうために作ったのなんて今回が初めてだ。
「いちおう言っておくが、世辞じゃないからな」
「うん、ありがとう」
礼を言って自分の分を食ってみる。うん、まあ、こんなもんだろう。それなりに上手くできたと思う。
食事をしながら、俺達はこれからの生活についての話をした。
一週間の療養があけたら、まずは軍令部に出頭し、宙将補の辞令を受けることになっている。
「退官直前で昇進か。良いのかなぁ……」
そうなると、将官で退官したことになるわけで、退職金や軍人年金も退役将官と同等の額が支給される。
将官としての仕事を何一つこなしていないにもかかわらず、禄だけは受け取るというのがどうにも気が引ける。
「前にも話したが、あの戦闘に参加した将士は全員一階級の昇進をしている。お前も例外ではない。ただそれだけのことだ。お前と同じように、昇進後に退官している者もいるし、深く考える必要は無い」
「それは、そうなんだろうけど、佐官と将官じゃ、受け取れる額に結構差があるしなぁ……三笠さん、サラダもきちんと食べて」
カレーと味噌汁を綺麗に平らげた三笠さんだったが、サラダは全くの手付かずだった。
「……私はトマトが苦手なんだ」
「なら、トマトは残してもいいから」
俺が言うと、三笠さんは目を泳がせた。
「カレーに入っている野菜はきちんと食べたんだから、問題ないだろう」
「駄目。生野菜もきちんと食べる」
渋々といった感じで、キャベツの千切りをひとかけら箸でつかみ、端っこから少しずつ齧った。ウサギみたいでちょっと可愛い。
そうか、生野菜は苦手なのか。カレーに入れた野菜は普通に食べてくれたし、火を通せば大丈夫なのかな。次からは温野菜にでもするか。それとも、手間はかかるけど、野菜スープにしたほうが食べやすいかな。
よし。明日の朝食はそれにしてみよう。
「あとは、宮内庁のスケジュール次第だが、一ヶ月以内に陛下に拝謁することになる」
そうだった。畏れ多くも、今上陛下からお言葉を賜ることになっていたんだっけ。
そして、それが終われば、俺は正式に退官し、晴れて一民間人となるわけだ。
俺に専業主婦が、それも軍人の妻が務まるのか、当然のことながら不安はある。宙軍将士の勤務時間はただでさえ不規則だ。特に艦艇の乗組員は、急な出動などで、何日も家に帰れなくなるなんてことはザラだ。
しかも、軍事機密であるため、どこで何をしているのか、家族に明かすことはできない。
不規則な勤務時間が原因で、夫婦生活が破綻してしまうなんてことも少なくない。帝國軍は、もっとも離婚率の高い職業でもあるのだ。
しかも俺の場合、ただの専業主婦ではなく、一軍の長である機動艦隊群司令長官の妻だ。
自ら前線に赴くことはあまり無いとはいえ、司令長官の重責と重圧は並大抵のものではないはずだ。
そんな立場にある三笠さんを、俺は支えていかなければならない。
(家に居るときや休暇の時は、ゆっくり休ませてあげないとだな。今日はこき使っちゃったけど……)
今日は俺のために有休を使ってくれたけど、明日からは通常通りの勤務となっている。
いくら最近の情勢が落ち着いているとはいえ、司令長官が何日も休むわけには行かない。
何事も無ければ、定時で上がれるかもしれないけど、遅くなったときに備えて、夕飯は温めなおすだけで美味しく頂ける献立にしておこう。
「摩耶。夕飯は食べてくるようにするから、無理に作ることは無いぞ」
気を使ってからなのか、三笠さんは言った。
俺は笑って頭を振る。
「大丈夫だよ。それが俺の仕事なんだから」
「しかしだな……」
「それともなに? 俺の料理なんて食べたくないって?」
「い、いや、そういうわけじゃなくてだな……」
わざとらしく、少し拗ねるように言ったところ、三笠さんは予想以上に狼狽していた。ちょっと面白かった。
士官食堂で食べてくるつもりなんだろうけど、食事代だって無料じゃない。しっかり、給料から天引きされる。
それに、この人、あまりバランスの良い食事を摂ってなさそうだ。
俺がきちんと生活習慣を管理してあげないといけない。
三笠さんが進んで家で食事を摂りたくなるように、俺自身も料理の腕を上げないとだな。
「ご馳走様。想像していた以上に美味かったよ」
「お粗末様。口にあったようでよかった」
俺は食器を片付けようと腰を浮かせた。三笠さんが自分の分を運ぼうとしたので、やんわりと制止した。
「自分の分ぐらい、片付けるぞ」
「いいよ、いいよ。俺の仕事なんだから」
共働き夫婦ならともかく俺は専業主婦だ。旦那にそんなことをさせるわけには行かない。
「だが、病み上がりだろう」
「それなら、尚更リハビリがてらにやっとかないとね」
心配そうな三笠さんに笑いかけると、俺は食器を片付け始めた。
「のんびりテレビでも見ててよ」
「……わかった」
何か言いたそうにしていた三笠さんだったけど、想いなおすようにしてテレビのチャンネルを手に取った。
流し台で洗い物をしていると、背後のリビングからテレビの音声が聞こえてきた。
どうやらニュース番組らしく、女性キャスターの記事を読み上げる声が耳に入る。
「……続いて、市民運動が続く蝦夷星系惑星札幌より、超光速通信で映像が届いています」
蝦夷星系というキーワードに、俺は洗い物を続けながら耳をそばだてた。
入院中、暇な時間を活用して、俺は可能な限りの情報収集を行った。
大まかな世界情勢や国家の傾向に関しては、俺がゲームとして認識していた知識とあまり相違は無かった。
その中には、内国の危機と呼べそうな事案がいくつかあり、蝦夷星系の独立運動の件はそのひとつだ。
現在の帝國領内には、いたるところに、遥か昔の高度な星間文明が発展していた名残が、天体規模の遺跡という形で残されている。
その殆どが数十キロから数百キロに及ぶ大きさの巨大な壁のような人工物で、僅かに湾曲していることから、ダイソン球か、それに類する天体規模の構造物の破片ではないかと言われているが、詳細は未だ解明されていない。
ちなみにダイソン球とは、恒星を球殻で取り囲み、宇宙空間に放射されるエネルギーを逃がさず利用するというコンセプトの、常軌を逸した超巨大宇宙建造物のことだ。
中でも、蝦夷星系周辺宙域には、そういった遺構が数多く発見され、先史文明の首都があった場所ではないのかという説を唱える学者もいるくらいだ。
だがその割には、惑星には高度な生命体が入植していた事を示す痕跡は一切存在しなかったりと、とにかく謎が多い。
俺もこの手のネタは大好きだ。
現在の人類では到底不可能な超技術を誇りながらも、忽然と姿を消した宇宙人なんて、色々な想像を掻き立てられて心が躍る。
まあ、それだけならば、古代のロマンで終わる話なんだけど、いつの頃からか一部の住民の間で、自分達蝦夷星系の住民は、古代先史文明を築いた先住民の末裔で、帝國の人間とは先祖を別にする民族だと主張する連中が現れ始めた。
彼らは、帝國の先祖が蝦夷星系を発見したとき、惑星は無人の状態だったというのは偽りで、平和に暮らしていた蝦夷星系の住民を暴力によって支配し、植民地化したと主張している。
殆どの人々は一笑に付したが、大人になっても中二病を拗らせている人間は少なからず居るもので、そんな連中が寄り集まって、帝國からの独立を求めて市民運動まで始めてしまった。
元々は木っ端市民団体でしかなかったのだが、リベラルを自称していた前政権時代に外国から相当金や人が流れ込んだらしく、僅か数年でその規模は数倍にも膨れ上がっていた。
日本時代、北海道にはロシアの、沖縄には支那や朝鮮の工作が入っていたが、それと同じ様相を呈しているわけだ。
「こちらは蝦夷星系、惑星札幌です! ご覧ください。こんなに沢山の人がデモ行進を行い、帝國からの独立を訴えています! 十代・二十代の若者の姿も大勢見えます!」
テレビから興奮気味の現地リポーターの声が聞こえてくる。
まるで、札幌の市民が全て帝國からの独立を望んでいるかのような口振りに、俺は洗い物をしながら顔を顰めた。
食後のお茶を淹れて居間に戻ると、ちょうど画面には、デモの主催者にインタビューする映像が映っていた。
三笠さんは難しい顔で腕組みしながら、画面を注視している。
「はい、お茶。コーヒーで良かったよね」
「ああ。すまんな」
礼を言って、三笠さんはコーヒーカップを手に取った。
俺も自分のぶんのカップを手に取り、テレビに目を向けた。
画面に大写しになっているのは、この市民運動の代表とかいう一人の女性だった。
驚いたことに、まだ未成年の少女だった。俺のような特優者というわけではなく、極々普通の女の子のようだ。
画面に表示されているテロップどおりなら、年齢は十六歳らしい。
マイクを向けられた少女は、何やら感極まった表情で演説をしている。
「……今、私達の郷土は帝國からの独立を勝ち取れるかどうかの瀬戸際に来ていますっ! 私は学生ですが、学校なんかに通っている暇は無いと思い、この運動に参加しました!」
三笠さんと俺は顔を見合わせ、失笑気味に笑った。
地球時代からそうだったが、この手の革命ゴッコが好きな輩は、女子供を矢面に立てるのが大好きだ。
そして、用済みになれば火炙りにする。そこまでがテンプレだ。
そう考えると、蔑むよりも哀れみを覚えてしまう。
「まだ若いのに、気の毒にな」
「ねー」
地球時代に国連で演説というか暴言をぶちかまして失笑を買っていた女の子がいたが、アレと同類の臭いを感じる。
ばっちり顔と名前と年齢が公開されちゃっているわけなんだけど、将来は大丈夫なんだろうか。
この先、就職するにしろ進学するにしろ、若い時分からこんな活動に染まっているような人間を欲しがるような企業は無い。
それを分かっているのかどうかは不明だが、少女の空虚な弁舌はヒートアップしていた。当然のことながら、現政権に対する批判が殆どだ。リポーターは感心したようにいちいち何度も頷いていた。
その少女の話では、このデモの参加者は自分と同年代の若者が殆どで、この決起集会には千人を越える札幌市民が集まっているらしい。
映像は終始主催者という少女と、その周囲にいる同年代の青少年が映されているため、実際の規模がどれほどなのかは確認できない。
「うさんくせえな」
「うん。胡散臭いぞ」
俺が鼻を鳴らすように言うと、三笠さんは手元にある端末のモニターをコンコンと指で叩いた。
三笠さんに身を寄せるようにして、端末のモニターを覗き込む。
モニターに表示されていたのは、公安調査庁の公式サイトだった。
かつての日本同様、帝國では集会や結社、表現の自由は憲法で保証されている国民の権利だが、当然の事ながら、この手の騒乱の種になりそうな団体は、思想信条の区別なく監視対象となっている。
かつての日本では、暴力革命による政権転覆を党是としていた公党が監視対象になっていたりもしたし、それほど特異なことではない。
その公安のデモ参加者発表数は、なんと五十人弱だった。
アカが数字を盛るのは、この時代でも変わらないらしい。
それにしても、盛りすぎだが。
「SNSも盛り上がってるぞ。当然、マスコミはスルーしているが」
三笠さんが端末を操作すると、札幌在住の一般人の書き込みや、実際にデモの様子を撮影した動画や写真が表示された。
「うわ、こりゃひどいな」
思わず失笑してしまうような写真がそこにはあった。
歩道橋か何かの上から撮影したと思しきその写真には、デモ行進の全体像が映っていた。
わざわざ数えるまでもなく、人数は千人に遠く及ばない。
しかも、前から二列目ぐらいまでは、主催者と同年代のに若い人間で固められているが、三列目以降はあまり小奇麗ではないお年を召した方々がトボトボと続いている。
なんというか、痛ましい。
「おじいちゃんもうやめて!」と思わず叫びたくなる光景がそこにはあった。
静止画だけではなく、動画もアップロードされていた。
デモ参加者の一人と思われる老人が、撮影者に対して口汚い暴言を吐いて詰め寄り、警護の警官に制止されている映像だった。
撮影者のほうも負けてはおらず、老人の罵声に対して、「蝦夷は帝國領だ!」「嫌なら出ていけ!」と真っ向から怒鳴り返していた。
いずれにしろ、実際に現地で生活している人々の感情と、マスコミで報道されている内容では、ずいぶんと大きな差があるように思える。
このぐらいなら、パヨクは相変わらずだなー、と失笑する程度で済むのだが、一部無視できないような動画もアップロードされていた。
それは、札幌の地上軍施設前を撮影した動画で、デモ参加者と同様の小汚い身なりの老人達が、軍関係者の車両に暴言を吐いたり、取り囲んでフロントガラスを叩いたりしている映像だった。
その様は、ホラー映画で主人公達の乗る車に群がってくるゾンビそのものだった。
ゾンビ共は口々に「蝦夷を返せ!」「帝國は出ていけ!」などと、噴飯物の奇声を上げている。
連中も、軍施設に一歩でも足を踏み入れれば憲兵に捕縛されるのが分かっているのか、施設外でそういった行為を行っているようだ。
神出鬼没に行っているらしく、警察が駆け付けたころには蜘蛛の子を散らすように逃げ出している。
こういった動画を元にした通報で何人かが逮捕されているが、今度は、不当逮捕だなんだと警察相手に喚き散らしているらしい。
「これは事案じゃないのか?」
「相手は一般市民だからな。この段階で軍がどうこうする話ではない」
まあ、この段階ならただの犯罪だしな。警察の管轄だよな。
こういう時、公権力に逆らう輩を問答無用で粛清できる共産主義がちょっとだけ羨ましい。
「詳しくは話せないが、軍部も内乱の可能性を無視しているわけではないとだけ言っておこう」
「そっか」
蝦夷星系に最も近い艦隊の根拠地は、陸奥星系の大湊警備府だ。
鎮守府ではなく警備府なので、駐留している兵力はさほど大きくはなく、舞鶴を根拠地とする第三機動艦隊群の分遣艦隊が配備されていたはずだ。
三笠さんがそう言うからには、水面下で何か動きがあるんだろう。
なんにせよ、俺が口を出せる話じゃない。
その後は、その件については会話に上ることはなく、まったりしてと過ごした。
アクシデントがあったとすれば、風呂上がりの若干髪が濡れた三笠さんに妙にドキドキしたり、自分が風呂で湯船につかっている時、それが三笠さんが入った湯であることに気づいて悶々としてのぼせそうになったり、俺の中で勝手に修羅場になったぐらいだ。
ちなみに、その日の夜は普通に寝た。
求められたらどうしようと、かなり緊張していたが、特にそういうこともなく、若干拍子抜けしてしまった感があった。
よくよく考えてみれば、退院したばかりで病み上がりの俺に対して、紳士の三笠さんがそんな気を起こすわけがない。
ほっとする反面、少し残念だったという思いもあり、これまた布団に入ってから暫く悶々とし続けたのだった。