「ふう。さっぱりした」
若干オッサンじみた台詞と共に、シャワーの蛇口を閉めた。
昨夜の色々なものを洗い流して、ようやくひと心地着くことが出来た気がする。
しかし、初めては痛いと聞いていたけど、痛みよりも圧迫感や重苦しさみたいなののほうが強い気がした。まあ、そこはたぶん、個人差なんだろうけどさ。
突っ込まれた場所よりも、突っ込まれた先のところが、なんというか、とにかく色々とアレな感じなのだ。腹の中に何かが溜まっているような感じもするし。実際溜まってるんだろうけど。
「ふふ……」
そんなことを考えながら、自分の下腹部を撫でまわしていると、不意に笑みがこぼれた。
ついに一線を越えたことが、妙にうれしかった。
今までのお飯事のような関係から、ようやく夫婦としてのスタートラインに立てたような気がしたからだ。
髪を拭いてリビングに戻り、カーテンを勢いよく開け放つと、良い感じに朝日が射し込んで来た。
今日はいつになく、朝日が清々しいような気がする。
「歌でも歌いたいようないい気分だなー」
ちょっとばかりおかしなテンションで、どこぞの吸血鬼みたいな台詞を吐いてみたりした。
三笠さんが起きてきたら、どんな顔で迎えれば良いんだろ、とか考えながら、とりあえず朝食の準備を始めることにする。
やがて暫くすると、三笠さんがリビングにやって来た。
「あー、おはよう……」
キッチンに立つ俺の姿を認めた三笠さんは、なんだか、少しばつが悪そうな顔をしていた。
自分でも少しはしゃぎ過ぎたと思ってるのかな。
「昨夜は、その」
「ゆうべはおたのしみでしたね?」
「いや、そうじゃない。確かに、私一人十分に楽しんでしまったようだがって、だからそうじゃない!」
おお。いつも冷静な三笠さんが珍しく動揺している。ちょっと面白いかも。
「その、身体は大丈夫なのか?」
「うん、まあ」
俺は曖昧に言葉を濁した。正直、あんまり大丈夫じゃないんだよな。いまだに違和感があるし。たぶん、数日は取れないような気がする。
「次からは、少し手加減してほしいかな」
偶になら良いかもだけど、いつも昨晩みたいに「ガンガンいこうぜ!」だと、たぶん身体が持たない。
まったく。航空屋のくせに、宙雷屋の俺ですらお目にかかったことのないような長魚雷を隠し持ってるなんて。
反則にも程があるよ。
「つ、次からは、気を付ける。すまん」
「もしかして、俺の前に付き合ってた女にも、あんな風にしたのか?」
興味本位でそんなことを聞いてみた。もしそうだとしたら、速攻で振られると思うんだが。
「いや、そこまでじゃなかったな。初めて女を抱いた時でも、あそこまでがっつきはしなかった」
「へ、へえ……」
はぐらかされるかと思ったら、馬鹿正直に答えたので、少し反応に困ってしまった。
「お前の反応があまりにも可愛らしくて、つい自制が利かなくなってしまってな」
「お、おう。そうか……」
面と向かって、しかも真顔で可愛いなどと言われ、顔が熱くなった。だけど、ちょっと嬉しい。
「必死で耐える姿が何とも健気で、欲望の赴くままに貪ってしまった。まったく、男の本能というのは恐ろしいな」
「さ、さいですか……」
あー、まあ。うん。喜んでもらえたようで、何よりなのかな。
「と、とりあえず、朝飯の前に風呂入って来たら?」」
昨日あれだけハッスルしたんだから、汗かいてるだろうし。偶には朝風呂も気持ち良いもんだよ。
「ああ、そうしよう。ところで、さっきから気になっていたのだが」
いったん言葉を切り、三笠さんは俺を頭のてっぺんから爪先まで、まじまじと見つめた。
「その格好は、いったいなんだ」
「何って、彼シャツ」
今の俺は、下着の上に三笠さんのワイシャツを羽織るというかなりアレな格好をしていた。
自分でもどうかなーとは思ったんだけど、男ってこういうの好きだよね? みたいな安直な考えでのチョイスだった。
「あざとくて、中々そそるでしょ?」
「摩耶……」
何故か三笠さんは、疲れた表情で額に手をやった。お気に召さなかったんだろうか。
「お前な、摩耶。昨夜の事から何も学習していないのか。私は男なんだぞ」
「うん。知ってるよ」
「昨日のように、ふとしたきっかけで、理性のタガが外れてしまうかもしれないんだ」
「怖いねえ」
「そう、怖いんだよ」
真面目くさって語る三笠さんの表情は、何らかの葛藤を必死に押し殺そうとしているかのようにも見えた。
それが少しおかしくて、ついからかいたくなってしまう。
「ん? もしかして、昨夜の続きがしたいとか?」
両手で作った握り拳を顎の下に持っていき、わざとらしい上目遣いで三笠さんを見つめ返した。
「優しくしてくれるんなら、良いよ。今日は非番でしょ?」
三笠さんは、俺に手を伸ばしかけて、肩に手が触れる寸前のところで思いとどまった。どうにか自制に成功したようだ。
「摩耶。お前、性格が変わったんじゃないのか?」
「そうかな?」
俺はぱちぱちと目を瞬いた後、首を傾げた。別に今までと何も変わらないと思うんだけどなぁ。
どこがどう変わったって言うんだろうか。
「なんというか……。いや、何でもない。風呂に入ってくる」
俺の返事も待たず、三笠さんはさっさと風呂場のほうへ行ってしまった。
「うーん、何だったんだろ。何が言いたかったんだろうなぁ」
少し疑問を感じながら、熱したフライパンに卵を落とした。
(今夜もするんなら、今度は俺が何かやってあげたほうが良いよな)
油の跳ねる音を聞きながら、そんなことを考えていた。
何しろ、昨夜は俺がいろいろしてもらった挙句、気絶して終わっちゃったわけだし。
やっぱり、喜んでもらいたいし、満足してもらいたい。
妊娠したら、出来なくなるわけだし、手とか口でしてあげる方法も、色々覚えないとだな。
あれ。妊娠中でも安定期なら大丈夫なんだっけか。あとでちゃんと調べてみよう。
もちろん、色々やってあげたいのは、夜の生活だけじゃなくて、普段の生活でも同様だ。
まずは最低限、朝昼晩と美味しいご飯を食べてもらいたい。そのために、もっと料理の勉強もしないとだな。
三笠さんは今のところ、俺の料理を文句も言わず食べてくれているが、今の俺の料理なんて、所詮一人暮らしの自炊の延長でしかない。
そんなことをつらつらと考え、ふと、ある事実に気付く。
「今の俺って、どこからどう見ても、完全にチョロインだよな……」
以前、アデルに彼氏(今は旦那か)との惚気話を聞かされた時、あまりの変わりように愕然としたもんだが、自分が同じような立場になってみて、その気持ちがなんとなくわかったような気がする。
好きな人が喜んでくれると、それだけで嬉しくなってしまう。
チョロインっていうより、どっちかっていうとメス堕ちになるのかなぁ、俺の場合だと。うーん。
「まあ、いっか。今更あれこれ考えても仕方ない」
面倒なので、どこぞの究極生物よろしく、考えるのを止めることにした。
三笠さんは俺の旦那様なんだから、妻である俺が色々やってあげるのは当然の事だ。何もおかしい事じゃない。
ちょうど食卓に皿を並べ終わったところで、タイミングよく三笠さんが風呂から上がって来た。
「じゃあ、ご飯にしようか」
「ああ」
席に着いた俺達は、八紘人らしく頂きますと唱和した後、食事を始めた。
ちょっと起きるのが遅くて米を炊いてる時間が無かったので、今日の朝飯はパンだ。
おかずは目玉焼きとウインナー、生野菜が苦手な三笠さんのために作った野菜スープと至って普通な献立だ。
「ねえ、三笠さん」
「なんだ?」
「デートに行こう!」
脈絡のない唐突な提案に、三笠さんは軽く目を見開いた。
「デート?」
「そう、デート。今まで、そういうことしたことないじゃん?」
退院してこの家に住み始めた頃、近所のモールに出掛けたことがあったけど、あれはデートって言わないと思う。
ベタかもしれないけど、一度ぐらいそういうことをしてみたいのだ。
ああ、でも。もしかして疲れてるかな。
昨夜ハッスルしすぎたからとかではなく、観艦式やら集合訓練やらの準備や調整で忙しくしているみたいだし。
それを考えたら、家でゆっくり休んでもらったほうが良いのかな。
「わかった。どこへ行きたい?」
「良いの? 大丈夫? 疲れてない?」
「私も、少し気晴らしをしたいと思っていたんだ。それに昨夜の罪滅ぼしもしたい。それに……」
三笠さんは、僅かに目を細めた。
「この先、何があるかわからんからな」
何気ない口調でそう言い、三笠さんはコーヒーカップに口をつけた。
俺は思わず固まってしまった。
「おいおい。そんな不安そうな顔をするな」
不安そうに見つめる俺の視線に気付いたのか、三笠さんは苦笑を浮かべた。
いやいや。突然そんなこと言われたら、普通は不安になりますって。
どことなく、死亡フラグっぽい感じもするし。
「それで、どこか行きたいところでもあるのか?」
「あ、ええっと」
勢い込んでデートなんて口走ってしまったけど、そういうことをやってみたかっただけで、具体的に何をしたいかとかどこに行きたいかとか、深く考えて無かった。
「とりあえず、どっか適当なところに行って、イチャつこうよ」
「適当って、お前なぁ……」
やれやれ見たいな感じで、三笠さんは嘆息した。
「何かあるだろ。ほら、買い物に行きたいとか」
「買い物かー。食材の買い出しには行きたいかも」
この前買ってきた食材、ちょうど使い切っちゃったところだったんだよね。そろそろ補充が必要だ。
「買い物と聞いて真っ先に思いつくのがそれなのか。所帯じみてるな」
「そりゃあ、主婦だもの」
所帯じみるのは当たり前じゃないか。何言ってんだよ、まったく。
「……見た目、十五、六歳の女の子の口から、主婦という単語が出てきても、違和感しか感じないな」
「その見た目十五、六の小娘相手に、昨夜は何をしてくれたんですかねえ?」
ニヤニヤしながら言ってやると、不利を悟った三笠さんは、バツが悪そうに目を逸らした。
それに、夫婦でスーパーに買い物って、なんか新婚っぽくて良いんじゃないかな、なんて思ってみたり。
「まあいい。そのぐらいの事で、お前の機嫌を取ることが出来るなら、お安い御用だ」
口ではそんなことをいいながらも、三笠さんは嬉しそうに見えた。
もしかしたら、俺と同じようなことを考えていたのかもしれない。
そんなわけで、朝食を終えた俺達は、三笠さんの運転する車で、以前も行ったことのあるショッピングモールへと向かった。
三笠さん曰く、「食材の買い出しだけというのは、ちょっと寂しすぎるんじゃないか?」ということで、適当にモール内をぶらつくことにした。そういうのもデートっぽくて良いかもしれない。
寄り添う俺に、三笠さんがすっと腕を差し出してきた。
おっ。男らしくリードしてくれるってわけか。大変結構。
それに甘えて、俺はしがみ付くようにして自分の腕を絡めた。
少し照れ臭そうにしているけど、満更でも無さそうだ。
「デートコースとしては月並み過ぎて面白味に欠けるが、映画でも見てみるか?」
お、映画か。良いね。前世でも、映画なんて数えるほどしか見た記憶が無い。
異性と一緒に見た記憶に至っては、皆無と言って良い。
「いいね。どんなのがあるの?」
「さあな。提案しておいてなんだが、あまり興味が無くてな」
三笠さんは困ったように頬を掻いた。
まあ、ぶっちゃけ、イチャイチャするのが目的なので、映画の内容なんて、ぶっちゃけあまり興味は無い。
「まあ、とにかく行ってみようじゃないか」
「おっけ」