「摩耶。いい加減、機嫌を直してくれ。ほら、これでも食え」
俺は口元に差し出されたフライドポテトを咥えた。
むしゃむしゃとはしたなく咀嚼して飲み込む。
映画を見終わった俺達は、フードコートで、少し遅めの昼食をとっているところだった。
俺達の様子は、傍から見れば、いちゃついているカップルのように見えるかもしれない。
実際、そんな感じのリア充滅びろ的な視線をちらほら感じていた。
しかし、俺の心境は、そんなものとは大きくかけ離れていた。
「…………俺は、あんなビッチじゃない」
「そんなことは、私が一番よく知っているよ。ほら、食え」
呻くように呟くと、さらに口元にポテトが差し出された。
「済まない、摩耶。まさかあんなふざけた内容だったとは、想定外だったよ」
「えっ! いやいやいや。三笠さんのせいじゃないよ! 見たいと言ったのは俺自身なんだし!」
申し訳なさそうに頭を下げる三笠さんに俺は慌ててぶんぶんと首を振った。
確かに最悪な気分ではあったが、それは断じて三笠さんのせいじゃあない。
話は少し前にさかのぼる。
俺達は映画館の前に来ていた。
入り口で上映されているタイトルを見て、俺は軽く目を見開いた。
「ねえ見てよ、三笠さん。対馬事件を題材にした映画だって」
「ほう」
対馬事件。
俺がそれまでの記憶を失い、代わりに前世の記憶を思い出すきっかけとなった戦闘。
未曽有の大災害である宇宙震の最中、孤立した対馬星系にリャンバン艦隊が侵攻し、当時俺が提督として率いていた第二宙雷戦隊が、多大な犠牲を払って撃退したあの事件だ。
映画のタイトルはそのまんま「ツシマ」だった。何故かカタカナなのが謎だ。
案内用のポスターの写真には、どこか愁いを帯びた20代ぐらいの帝國軍士官服に身を包んだ女性と、それに向かうようにしているリャンバン軍のものと思われる軍服姿の軟弱そうな若い男が写っている。
男のほうは、ハンサムはハンサムなんだが、大昔の出来の悪いコンピュータグラフィックスみたいに肌がつやつやだ。乙女ゲームの攻略対象をそのまま立体化したような感じで、正直気持ち悪い。
たぶん、どちらも有名な俳優なんだろうけど、興味のない俺にはよくわからなかった。
唯一つわかったのは、この映画が確実に地雷だということだけだ。
「なになに。『全宇宙が泣いた! 二つの勢力が相争う呪われた地対馬をめぐる愛憎渦巻く今世紀最大の感動スペクタクル巨編!』? ……意味が分からん」
ポスターのキャッチコピーにそう書いてあった。
「二つの勢力が相争う」って、対馬星系はれっきとした帝國領だぞ。もしかして、作った奴は、八紘人じゃないのか?
「全宇宙が泣いた」とか「今世紀最大」とか、どこかで聞いたことのある煽り文句もいちいちイラっとする。
「……臭いな。地雷の臭いがプンプンするぞ」
痰壺でも覗き込んだかのようなしかめっ面で、三笠さんは呻いた。心情的には、俺も似たようなものだった。
実際の戦争や事件を元にしたフィクションはいくらでもあるけど、ポスターを見る限り、そんな作風じゃないのは一目瞭然だ。
かといって、戦争の虚しさや悲惨さを訴えるような、手垢の付きまくったありがちな作風ってわけでも無さそう。
ポスターの絵面から考えると、帝國の指揮官が敵の指揮官と色々あって恋に落ちて、だけど立場上戦う羽目になって、最後はどっちも死んじまうっていう結末の、出来の悪い三流メロドラマモドキっぽいものなんだろう。
ちなみに、俺の好みの戦争映画は、宇宙最強無敵帝國軍万歳! みたいなテンションの上がる戦意高揚ものだ。
頭空っぽにして、何も考えずに楽しむことが出来るし、何より気分が良い。
「映画はやめておくか。目の前に転がっている犬のクソを、好き好んで踏みに行く事も無いだろう」
そう言って、回れ右をしようとする三笠さんの手を引っ張った。
「摩耶?」
「いやいやいや。せっかくここまで来たんだから入ってみようよ」
確かにヤバそうな映画だけど、だからこそ、かえって見てみたい気がする。ヤバさ加減を体験してみたい。怖いもの見たさみたいな?
「しかしなぁ……」
「まあまあ、いいからいいから」
渋る三笠さんの腕を引っ張り、俺達は映画館に入って行った。
「やばい。ゲロ吐きそう……」
「ほらな。だから言ったんだ」
上映が開始され、最初の十分であたりでもう限界だった。
出来の悪い三流メロドラマという俺の予想は、ある意味では当たっていた。
あらすじとしてはこんな感じだ。
俺のポジションらしい主人公の女士官は、リャンバンに留学していた時にリャンバン軍の士官と恋仲になった。
二人とも軍人ということもあって、結ばれること無く、それぞれの祖国で軍務に邁進する。
やがて、艦隊司令になっていたお相手のリャンバン軍の士官は、対馬を正当な所有者の元にという軍の命令に従い、艦隊を率いて対馬星系に侵攻、同じく艦隊司令になっていた主人公の女士官は、それを防衛するために対馬に出動し、二人は戦場で対峙する。
熾烈な戦闘の末、何故か互いに相手がかつての想い人であることに気付く。
そんで、主人公の女士官が、例え戦闘に勝利したとしても結ばれる ことが無いなら、いっそのこととばかりに、敵艦に向かって自艦で特攻して双方ともに死亡でフィナーレというドン引きする内容だった。
色々突っ込みたいところは多くあるが、まず、対馬事件を元にしたという割には、戦闘の経緯が全く異なっている。
リャンバンの侵略は、震災の混乱にかこつけた完全な火事場泥棒であり、民間人にも多数の死者を出しているのだ。
それと、ラストで女士官が、相手の名前を叫びながら乗艦と共に特攻するシーン。
自分の個人的な理由で、部下を道連れに特攻しているのだから、開いた口が塞がらない。
大日本帝國時代にも、敗戦を受け入れることが出来ず、部下を引き連れて特攻した将官がいた。
しかしこちらは、敗戦を憂いての悲壮な決意からではなく、低俗な色恋沙汰で部下を道連れにしていやがる。これがクサレドビッチでなければなんだと言うのか。
一応オリジナルキャストでフィクション扱いではあるが、ポジション的に俺と同じ立場にある主人公の女士官がこの体たらくだだ。まるで、俺自身がそういう女だと喧伝されているみたいで、吐き気をもよおすぐらいに気分が悪かった。
三笠さんと同じポジションの司令長官役の扱いも酷いものだった。
若きエリートってところは三笠さんと同じだけど、それをを鼻にかける高慢ちきな超絶嫌な野郎で、主人公を快く思っておらず、日頃から無理難題を押し付け、恋人のリャンバン軍司令官が艦隊を率いて侵攻してきた時も、主人公の指揮する宙雷戦隊にだけ出撃を命じている。こちらも、個人的な理由で部下を死地に追いやろうとする最低最悪な役どころなのだ。
戦死者はもちろんのこと、あの一連の事件に関わったすべての人間に対する冒涜としか思えなかった。
「この映画の下馬評をネットで調べてみたんだがな。なかなかの酷評の嵐だぞ」
俺に給餌しているのとは反対の手で、三笠さんは携帯端末を弄っていた。
実際の対馬事件の経緯と全く違うことが、やはり低評価の原因なんだろう。
実際に起こった戦闘を題材にしているというだけあって、映画鑑賞が趣味の人だけではなく、軍人やミリタリーマニアも多く視聴していた。その中には、あの戦闘に参加していた俺の元部下もいたらしい。
もちろん、右っぽい思想の人も多く視聴しており、作中で対馬を帝國領として扱っていないことが槍玉に挙がっていた。
叩かれているのは、ストーリーや設定だけでは無かった。
実際に起きた軍事衝突を題材にしているのに、軍の協力を一切得ていないところだ。
そのため、戦闘シーンの映像はすべてコンピュータグラフィックスで、帝國軍艦艇の実写映像は一切使用されていない。
それに加えて、軍人や艦内の映像や号令などの描写が、実際のものと大きく異なっていたのも、一般の映画好きはともかく、ミリタリーマニアに不興を買っている一因となっていた。
問題はそれだけじゃない。
帝國軍の艦艇が登場するシーンで、本来、軍艦旗のホログラフが表示される個所に軍艦旗の描写が無く、代わりに日章旗が表示されていた事だった。
いくらフィクションだからと言っても、これは頂けない。
そもそも、軍艦が軍艦旗を掲げていないのは、国際法上違反となる行為だ。この映画での帝國軍は、常に国際法を犯しているというわけだ。
ちなみに、この映画の監督が、なぜ軍艦旗の描写を削ったのかについては、監督のSNSに言い訳じみた釈明が掲載されていた。
曰く、「不幸な行き違いで発生した対馬事件を題材にするにあたり、リャンバンの国民感情を傷つける可能性があったから」とのことだったが、何の釈明にもなっていないどころか、「何故敵国民の感情を慮る必要があるのか」「帝國国民の感情を傷つけている」など、さらなる炎上を引き起こしていた。
ネットでは、公開直後から悪い意味で話題になっていたらしいが、普段映画なんて見ない俺は、全く知らなかった。
あらかじめこの情報を仕入れていたとしたら……。いや、たぶん、それでも観たかもしんないな。そんでもって、同じように後悔したんだろうなぁ、俺の性格からして。
「それで、この後はどうする?」
「どうしようか」
俺はため息交じりに吐き出した。
映画を口実にイチャイチャするのが目的だったんだけど、作品があまりにもアレ過ぎて、とてもそんな気分にはなれなかった。
せっかくのデートだってのに、しょっぱなからミソがついてしまった。
「とりあえず、買い物に付き合ってくれる?」
「ああ、いいぞ」
時間も時間だし、買い物して帰ることにした。夕飯の支度とかもあるしね。
デートだって、何もこれっきりってわけじゃないんだし、こんな失敗をするのも醍醐味の一つだろう。
そう前向きに考えることにした。
今度デートするときは、は思い付きではなく、きちんとリサーチしてからにしよう。
「いやー、野菜や果物がこんなに安価で手に入るなんて、良い時代だなー」
俺は良い気分で三笠さんの押すショッピングカートに新鮮な野菜や果物を次々に放り込んだ。
「あまり買いすぎるなよ」
「わかってるって。大丈夫だよ」
今の時代、農作物は基本的に惑星軌道上の農業プラントで一元的に生産されるのが普通だ。
品質管理が容易だし、病害虫の心配もなく、惑星上の四季に左右されず大量生産できるからだ。
特殊な製法、特殊な環境でしか生育できない作物というものも少なからず存在し、そういったものはそれなりに値が張ったりするが、普段口にするような野菜は、比較的安価で入手できるものばかりだ。
家計に優しいのは素晴らしいことだ。
しかも、安心と安全の国産品ときているので言うことは無い。
「そうなのか? 野菜の値段なんてこんなもんだろ」
感動している俺の横で、カートを押す三笠さんが、まるで関心が無さそうに言った。
今の発言は、ちょっと聞き捨てならない。
「ちょっと、三笠さん。俺と同じで前世の記憶があるんだろ」
それなら、農作物の値段が季節や天候によって、かなり変動するのは知ってるはずだ。
基本、高くなることはあっても、安くなることなんてあんまり無い。
「野菜なんて、店で買ったこと無いからな」
あー、そういえば、この人はそういう人だったっけ。
料理なんてしたことのない、料理は食べるものであって作るものじゃないなんて、面白い事を真顔で言っちゃうような人だもんな。
「そこらへんは、お前に全部任せるよ。良きに計らってくれ」
おいおい、丸投げかよ。
俺は呆れてしまった。
「金出してるのは三笠さんなんだからさ。少しは把握してほしいんだけど。俺が生活費をちょろまかしたりしたら、どうすんのさ」
「お前はそんなことしないだろう」
そりゃあ、しなけどさ。
信用されているっていうことなのかもしれないけど。
「良くないよ、そういうの。三笠さんだって、部下の提督達を信頼しているだろうけど、何でもかんでも一任して、好き勝手にやらせたりはしないだろ?」
「それはそうだが。軍務と家計は別だろう」
「はい。いいえ、閣下。軍務も家計も同じです。これからは、家長としての自覚を持っていただきます」
「大袈裟な……」
信頼してもらうのは嬉しいけどさ、やっぱり、ちゃんとした線引きは必要だよ。
考えるのが面倒くさいだけなんだろうけどさ。
まあ、仕事が大変だろうから、ある程度は仕方ないか。
俺がきちんと主婦するしかないな、これは。
とりあえず、今夜は、何か精が付くものでもご馳走することにしよう。
「今夜は豪華にウナギを食べます」
「任せる」
農作物に限らず、食肉の類も、程度の差はあれ、そこそこの値段で買える。
国産のウナギなんて、前世では高級品だったからなぁ。某国産の安物は、ゴムホースみたいで食えたもんじゃなかったし。
さすがにウナギは、養殖物でもそれなりの値段ではあった。
「いやー、でもさ。良いよねこういうの。憧れてたんだよなー」
「何がだ?」
「今の俺らって、新婚夫婦っぽいじゃん?」
旦那がカートを押し、新妻が商品を吟味しながらカートに入れていく。
傍から見れば、どこからどうみても、新婚夫婦だろう。
「そこのお嬢ちゃん! ひとつどうだい?」
そんなところへ、試食品販売のおっちゃんから声が掛かった。
せっかくお声が掛かったので、俺は試食品を受け取った。
何の変哲もないウインナーなんだが、こういう場所で口にすると、やけに美味しく感じるから不思議だ。
「兄さんもどうだい?」
おっちゃんは、三笠さんにも同じものを手渡した。
「さっきから見てたけど、兄妹で買い物かい? 仲が良くて良いね~」
悪意のかけらもないおっちゃんの声に、俺は絶句し、三笠さんは顔を背けて笑いをこらえていた。
「兄妹……兄妹……兄妹……」
三笠さんの運転する車の中で、俺はうわ言のように呟いていた。
「まあ、そう落ち込むなよ。お前はまだ十代なんだから、そう見られても仕方がない」
「うん……」
「あと十年もすれば、そんな目で見られることもなくなるさ」
十年。十年も待たないとだめなのか。
「ところで摩耶。ウナギとか、長芋とか、精が付きそうなものを随分買ったみたいだが」
俺の気を紛らわそうとしてなのか、三笠さんが話をそらした。
「うん。三笠さんに元気でいてもらいたいからね」
激務続きなんだし、過労で倒れられたりしたら大変だ。
しかし、三笠さんはちょっと違うふうに捉えたみたいだった。
「それは、つまり、今夜も構わないということなのか?」
「え……?」
全く意図していなかった一言に、俺は顔が熱くなった。
たしかに、精力が付きそうな食べ物ときたら、そういう発想になってもおかしくは無い。
「そ、その、優しくしてくれるんなら……」
「そ、そうか。わかった。善処する」
その夜。
「やさしくって言ったじゃねーか」
「す、すまん……」