「こいつに袖を通すのもこれで最後か……」
久々に軍服を身に着けた俺は、姿見を前に袖の皺を伸ばしたり、襟の捩れを直したりしていた。
軍服を着るのもこれで最後かと思うと、少し感慨深いものがある。
少しばかり余韻に浸っていると、背後のドアをノックする音が聞こえた。
「摩耶。準備はできたか?」
ドアの向こうから三笠さんが声をかけてきた。
「うん。大丈夫だよ」
俺が答えるとドアが開き、同じく軍服姿の三笠さんが姿を現した。いつ見ても、惚れ惚れするぐらい格好良い。
それに比べると、俺は小娘が軍人のコスプレしているようにしか見えない。今更ではあるけど。
これから俺は、三笠さんと佐世保鎮守府へ出勤するところだった。
退院以来初めてとなる、艦隊勤務への復帰となる。まあ、復帰といっても、退役の手続きをするためのものだ。
俺の場合少し手続きが面倒で、まず、対馬事件の功績ということで、宙将補に昇進後、退役の手続きを行うことになる。
佐官までの昇進なら、現地の艦隊司令長官(この場合は三笠さん)が軍令部総長の代理ということで行うことが出来るが、将官への昇進となるとそういうわけにはいかないらしく、わざわざ帝都まで赴いて、軍令部総長から直々に辞令をを受けなければならない。どうせ、そのあとすぐに退役になるのだから、書類上の手続きだけで十分だと思うんだけど、どうも慣例としてそうなっているらしい。税金の無駄だと思うんだけどな。
さらに、宮内庁のほうから、どうせ帝都に来るのならということで、急遽、皇命陛下への拝謁がセッティングされてしまい、昇進の辞令を受け取った後、その足で皇居に向かうことになってしまった。
ちなみに、途中の横須賀鎮守府までは、三笠さんと一緒に行くことになっている。
なんでも、軍令部総長の塚田さんに特別な用事があるらしい。
どんな用事なのかは聞いていないが、通信ではなく直接会う必要があるってことは、それなりに機密性の高い案件なんだろうと思う。
準備を終えた俺達は、軌道往復シャトルで佐世保鎮守府へと向かった。
三笠さんに続いて、守衛の敬礼に答礼しながら門をくぐったとたん、鎮守府に勤務する多くの将士がずらりと整列して俺を出迎えた。
完全に不意を突かれた俺は、みっともなく狼狽えてしまった。
戸惑いながら三笠さんに視線を向けると、悪戯が成功した悪ガキみたいな笑みを浮かべていた。どうやら知っていたらしい。
「おかえりなさい、摩耶提督。将士一同、お帰りをお待ちしておりました!」
さわやかな笑顔とともに、
それに、今更提督と呼ばれるのも滑稽な話だ。今の俺は艦隊司令官じゃないんだし。
将士達をかき分けるようにして、俺と三笠さんは庁舎に入った。
退役するにあたっての事務的な手続きを終えた後、 俺がまず最初にやったことは、同僚の戦隊司令をはじめ、病院で暢気に眠りこけている間、迷惑をかけただろう士官達に挨拶をして回った。
みんな俺の元気な姿を喜んでくれたが、退役する予定だということも既に知っているので、それを惜しむ声も少なからずあった。
「ガンさん。今まで世話になった」
最後に俺は、ガンさんに挨拶をした。
思えば、傭人だった頃から、このおっさんには迷惑をかけっぱなしだった。
「俺がここまで生き延びることが出来たのも、ガンさんのおかげだ。ありがとう」
「なんの。俺のほうこそ、随分と面白い体験をさせてもらいましたよ」
もちろん、ガンさん一人の助けだけではないけれど、鼻持ちならない特優者のガキに将士の皆が従ってくれたのは、彼がみんなを取りまとめてくれたおかげだ。
ま、そのガンさんも、最初の頃は、結構俺にあたりがきつかったんだけどね。
「どうですか、東郷閣下との生活は」
「うん。大事にしてもらってるよ」
「そいつは、重畳ですな」
顎髭を扱きながら、ガンさんは満足そうにうんうんと頷いた。
「閣下には毎日お弁当を作っているそうで」
「あー、うん。まぁね。大したもんじゃないけど」
「そんなことは無いでしょう。すっかり主婦が板について来たようですな。いや結構結構」
なんかガンさんがしきりに感心している。
そういやこの人は、女は家庭を守るのが仕事みたいな、少し古風な考え方の人だったな。
三笠さんと婚約した時も、しきりに退役をすすめていたし。
「おっと。そろそろ船が出る時間だ」
つい話し込んでしまったが、そろそろ三笠さんと俺の乗る輸送艦が出航する時間だ。
「それじゃ、行ってくるよ」
「お気をつけて」
ガンさんと敬礼を交わすと、俺は輸送艦が停泊している区画へと向かった。
三笠さんと二人で横須賀鎮守府に向かう定期便の輸送艦に乗り込む。
員数外の人員も、東郷さんと俺の二人だけだ。
そういえば、以前軍令部に出向いた時は、訓練で佐世保に寄港していた一群の空母をタクシー代わりに使ったなぁ。あの時の子供艦長は、元気にやってるんだろうか。相変わらず、お姉さん副長に弄られているのかもしれないな。案外、それが癖になっていたりして。
「横須賀に着いた後、私は帝都の軍令部に向かうが、本当に一人で大丈夫なのか」
「大丈夫だよ。ガキじゃないんだから」
横須賀に着いた後、三笠さんは軍令部に直行するが、俺はちょっとした我儘を聞いてもらい、寄り道してから行くことになっていた。
寄り道というのは、靖國神社への参拝だ。
所詮は自己満足でしか無いんだろうけど、軍人としての、死んでいった部下達に対する自分なりの最後のけじめだと考えているからだ。
心配性の三笠さんが、一緒に行こうと言ってくれたけど、私用に付き合わせるわけにはいかないので、丁重にお断りした。
これまでだって、軍の式典で慰霊祭や英霊感謝祭なんかに参加したことはあったし、それを個人でやるだけの話だ。
「よ、よよよよ、ようこそ! 輸送艦『ねむろ』へ、東郷閣下、東郷一佐! じじじ、乗員一同歓迎いたしましゅっ!」
俺達を横須賀まで運ぶ輸送艦『ねむろ』艦長の二等宙佐は、神経質そうな痩せ型のオッサンだったんだけど、乗艦時の挨拶するときにガチガチに緊張していたのが少しおかしかった。
噛んだ時には吹き出しそうになった。
まあ、三笠さんも俺も、自分よりも階級が上なのだから無理もない。しかも、その一方は司令長官閣下だ。万が一何かあったら、間違いなく首が飛ぶことになる。
ともあれ、俺達が乗り込んだ後、輸送艦『ねむろ』は定刻通りに佐世保鎮守府を発進した。
「ところで、閣下。本当に宜しいのですか? 宙将旗を揚げれば、緊急時を除く航路優先権を獲得できるのですが……」
艦長は恐る恐るといった感じで、三笠さんに尋ねた。
軍艦には軍艦旗以外にも、様々な旗章が存在する。
そのうちの一つに、指揮官旗というものがある。要するに、「この艦には偉い人が乗っています」という目印となる旗だ。
宙将クラスの将官の座乗を示す宙将旗以外に、宙将補旗や代将旗なんてのもある。
ちなみに代将旗は、本来司令官ではない最先任士官が指揮を執っている場合に掲げられる旗で、宙雷戦隊や巡航戦隊のような小艦隊で、将官ではない士官が司令官を務める際、旗艦に掲げるものだ。俺が戦隊司令だった時も、常時旗艦のメインマストに掲げていた。
軍法上、宙雷戦隊司令は司令官の代理という位置づけになっているわけだ。
他には、軍令部総長旗や宇宙艦隊司令長官旗、宙軍大臣旗や内閣総理大臣旗、皇命旗なんてのもあるが、観艦式みたいな特別なイベントでもなければ、お目にかかる機会は殆どないので割愛する。
「いいんだ、艦長。のんびりやってくれ」
三笠さんは、艦長に対して鷹揚に頷いて見せた。
宙将旗を揚げていれば、同じ軍用航路を利用する他の艦艇が道を譲ってくれるので、それだけ目的地に到達するまでの時間が短縮できるのに、あえてそれをしないということは、何か目立ちたくない理由でもあるのだろう。軍令部での用事というのが何かは知らないが、やっぱり、おおっぴらに出来ない案件なのかもしれない。
よくよく考えてみれば、通常、司令長官が公務で移動する場合、高級士官専用のちょっと豪華な感じの艦が使われるはずなのに、今回乗艦する『ねむろ』は、帝國宇宙軍で一般的に利用されている物資輸送用の輸送艦だし。
まぁ、部外者の俺があれこれ考えてもしょうがない。
横須賀までの道程は、以前とほぼ同じような感じになるだろう。到着するまでの間は、自室として割り当てられた士官用船室で過ごすことになる。
上級士官用の個室なので、快適ではあるのだが、やっぱり引き籠っていると暇を持て余してしまう。
三笠さんのところに行って、駄弁って時間を潰すことも考えたが、ずっと入り浸るわけにもいかない。三笠さんだって、ひとりで寛ぎたい時間があるだろうし、将士達に職場でいちゃついてるように見られるのもよろしくない。
部屋に備え付けの端末で広報用のビデオを視聴して暇を潰してみるが、これも直ぐに飽きてしまった。
艦内を散歩してみることも考えたけど、階級の高い士官が用もないのに無闇にうろついていたら、乗組員達に煙たがられるだろうしなぁ。
「んんーっ」
椅子の背凭れを倒して伸びをした後、何の気なしに、舷窓から宇宙空間を眺めていると、面白いものを見つけた。
それは、並列する民間航路を『ねむろ』と同航している民間船舶だった。
大きさはよくある民間貨客船サイズだが、その船腹にでかでかと何やら文字が書いてある。
『No War, No Life!』
「ぷっ!」
思わず吹き出してしまった。
まさか、軍艦が来るたびに、その恥ずかしい文字を見せつけているんだろうか。
地球時代の日本でも、自衛隊反対、自衛隊が居るから戦争が無くならないなどと声高に叫ぶ、平和主義者を自称するド低能共が存在したが、宇宙時代になった今でも、数は少ないものの、しぶとく生き残っている。
そして、日本時代と同様、致命的に頭が悪い。
本人たちは、「センソーハンタイ」とか言いたいんだろうけど、あの英文じゃあ、全く逆の意味になってしまう。
思い返してみれば、俺が日本人として過ごしていた時代でも、同じような間違った英文をプラカードで自慢げに掲げで、方々から袋叩きにあっていたっけ。
誰か一人ぐらい、止める奴は居なかったのかな。居ないかな。上の決めたことに意見なんぞしようものなら、総括されちまうもんなぁ。
これだけ時代が移り変わっても、学習能力が欠如しているのは相変わらずらしい。
わざわざ、
だいたい、帝國の人間に訴えたいのなら、
いかにもパヨクらしいといえばそれまでだけど。
それからしばらくの間、平和主義者の船は、しつこく『ねむろ』に同航していたが、やがて、国土交通省の航路保全船が接近してくると、進路を変更して離れていった。