現の世界
世界初のVRMMORPG《ソードアート・オンライン》、通称SAO。
ゲームの世界に直接入り込むことを可能にする新世代
SAOは、ゲーマーあるいはゲームが好きな人間であれば誰しもが一度は憧れる夢そのものとなるはずだった。
ゲームクリアまで
こんな冗談のようなルールが宣言されるまでは。
あるものは、それこそ冗談であると鼻で笑い飛ばして虚空に身を投げ死んだ。
あるものは、ただひたすらに絶叫し、泣き叫び、心を病んだ。
あるものは、どうせいつか助けが来る筈だと何もしないことを選んだ。
そして、ほんの一部のイカれたものたちは、瞬時にこの世界のルールを受け入れ終わりの見えない戦いにその身を投じた。
かくいう俺も、そんなイカれ野郎の一人である。
鋭い尾の先端が右の頬を掠めて後方の空間を抉った。
咄嗟の判断で首を傾けていなければ、脳天を深々と貫かれていただろう。
半人半蛇の怪物は俺のかすかな恐れを愉しむかのように軋んだ音を立てて不気味に笑うと、細かく枝分かれした尾を一斉に俺へと差し向けてきた。
尻尾の刺突を一本ずつステップで回避していては追いつかれる。そう判断して最初の一本はその場で体を捻じって躱し、勢いを殺さないままくるりくるりと回るように攻撃の隙間を縫っていく。
(あの与太話は本当だったのか……)
ゲームが進行するにつれて当然のことながらモンスターは強くなっていく。だからと言ってモンスターは現実にいるような本物の生物とは全く違うし、原則として決められたアルゴリズムの範囲で動く敵性存在がモンスターと呼ばれる。
このことは公式のヘルプやガイドにもしっかりと明記されている。
しかしゲームも後半に差し掛かった今になって、本当に意思を持つかのように振る舞うモンスターが存在するという噂が立った。
俺個人としてはそんな噂などまったく信じていなかったし、一考にも値しないとすら思っていた。
今はもう昔となった第5層にもNPC扱いではあるが多少高度なAIを持つモンスターは存在していたがそれはイベントを成立させるための例外で、もし本当にモンスターが人間たるプレイヤーを学習しているのならとっくの昔にプレイヤーは敗北しているはずだ。
不確かな情報が混ざり合った結果として根も葉もない憶測が飛び交うようになったのだとほとんど決めつけていたが、こうも寒気のするような邪気を直接向けられては事実であると認めざるをえない。
俺を仕留めるつもりで放った攻撃が全て回避されたのが気に食わなかったのか、業を煮やした半蛇モンスター《クイーン・ラミア》は上半身の両腕を俺の首めがけて勢いよく振り下ろした。
しかし所詮はその程度。
「読んでたよ」
俺はこの瞬間をこそ待っていた。
ただ闇雲に回避していたのではなく、徐々に間合いを詰めることで腕による攻撃を誘発していた。
その場で跳躍することによりラミアの抱擁から逃れ、空中で右手に握る
紺青の光が剣から迸る。
これこそがSAOという世界においてプレイヤーに許された
その名は、《ソードスキル》。
隙だらけになったラミア目掛けて刃を振り下ろす。
斬撃は縦に深々とラミアを抉る。HPを削りきるには至らないが、このスキルはそれだけでは止まらない。
片手剣カテゴリ・ソードスキル《ファントム・レイヴ》は、
剣を跳ね上げるようにもう一撃。勢いのまま体を翻して交差する三、四撃。
剣を後方にに引き戻して突きの五連撃目を放ち、大上段からの六撃目でフィニッシュ。
HPを全て削り取られた《クイーン・ラミア》は常に生々しく蠢かせていた全身をピタリと制止させる。
あっという間に色彩を失いガラス片となって散って行くラミアを最後まで見届け、静かに空を薙いで残心する。戦闘はここに終了した。
同じ爬虫類でも堅牢なドラゴン素材とは違い、蛇やトカゲの素材は柔軟性に優れる。戦闘用の装備だけではなく普段着などの衣服にも使われることから特に絹のような上質な肌触りを生むラミアの素材は常に一定の需要がある。
つまり、これがなかなかに高く売れるのだ。
それに、一番の目的は果たした。
アイテムの入手記録に次いでバトルログに流れる文面に視線を移す。
――《武器防御》スキル、
《回避》スキル、
《索敵》スキル、
《隠蔽》スキル、
《識別》スキル、
《軽業》スキル、
《舞踏》スキル、
《集中》スキル、
――エクストラスキル《電光石火》の習得上限が解放されました。
エクストラスキル《精神統一》の習得上限が解放されました。
エクストラスキル《流麗転身》の習得上限が解放されました。
エクストラスキル《明鏡止水》の習得上限が解放されました。
エクストラスキル《剣人一体》の習得上限が解放されました。
「まだ、まだ足りない……まだ」
一か月にも及ぶ不眠不休の過酷な行軍に無謀な狩り。そんな生活に身を投じた本当の理由は、一つでも多くのスキルを一刻も早くコンプリートするためだ。
わざわざモンスターが徘徊するフィールドに出るリスクを負わなくても街にいるだけで鍛えられるスキルもあるが、この世界において戦いを生業とする俺にとってはこのやり方こそが最も効率的だ。
SAOプレイヤーを牽引するトップ集団に及ばない俺を含む中堅以上のプレイヤーは、何事につけても常に優先される上位層とは違って最高率の狩場を贅沢に使うことが出来ない。
だが時間だけは全プレイヤーに等しく与えられている唯一のものだ。
何週間、何か月と飲まず食わずで戦えば効率のいい狩場など考える必要は無い。
レベルは覆しようのない差であるとしてもスキルは使用した時間と回数に比例して鍛え上げられていく。
故に、習得したスキルの数とコンプリートしたスキルの数だけを見るなら、俺はこの世界の誰にも負けないと自負している。
負けないということは、死から遠ざかるということだ。死から遠ざかればその分だけ生きていくことができる。
そう、だからまだ足りない。
どんなゲームにおいてもレベルという格差は絶対的だ。SAOではそれがあまりに顕著で、一つでもレベルが違えばダメージ補正や命中補正に多大なるマイナス補正が掛かることとなる。
どんなに時間をかけてスキルを鍛えても、日ごろからボスや高レベルのモンスターを相手に戦い続けるトッププレイヤーにレベルで追いつくことは決してできない。
新しいフィールドが追加されるたびに強さを増すモンスター。それらを打ち倒し更に強くなるプレイヤー。化け物と人が殺しあうことで紡がれる狂った世界でそれでも死の恐怖に怯えることなく最後まで生き残るには、俺自身が何らかの方法で安心を得られるほどに強くなるしかない。
俺は生まれ持った戦闘センスだの、勘だの、経験だの、特別なものは何一つ持ち得ない凡人だ。だからこそ人力を超えるシステムの力に縋るしかなかった。
強いモンスターを倒さなければ上がらないレベルとは異なり、スキルはただひたすら使えば使うほど強くなる。
会得した能力の説明文は隅から隅まで読み込み、効果時間や範囲に至るまで可能な限り頭に叩き込んだ。
必殺技たる《ソードスキル》は新しく獲得するたび幾度となく発動の練習を重ね、たとえ無意識であったとしても完璧に使えるようになるまで精度を磨いた。
様々な武器を駆使し、何通りもの手練手管を編み出し、二年という長い時間をこの世界で生き抜いた。
そんな世界の実態こそ、蒼穹に浮かぶ《浮遊城アインクラッド》。百の層からなるアインクラッドはその二年という長い時間をかけてゆっくりと攻略が進められてきた。
今の時点で解放されている最上層……通称「最前線」は76層。俺が現在住処として滞在しているのは74層。
俺は最強のプレイヤー集団である《攻略組》の後を付け狙い、最前線ではないものの、さりとて一応は高レベルなフィールドで彼ら彼女らのおこぼれを回収しつつ、実際の攻略に参加したりしなかったりする《準攻略組》。
時に《攻略しない組》と揶揄されてしまうような、卑屈で惨めで臆病で情けないプレイヤーなのである。
アイテムを捨てればまだ狩りを続行することが出来る。開いたままのウィンドウに手をかけ所持している戦利品を削除しようとしたところで、急に視界が不確かに歪んだ。
途端に平衡感覚を失った体は地面に倒れそうになるが、壁に手をついてそれをこらえた。無理やりにでも息をするために呼吸を荒げ、前だけでも確認しようと目を擦るが、強烈な悪寒が全身を縛り付けてもう一歩たりとも進めそうにない。
軽やかな足音が薄暗い洞窟に響くのが聞こえたのはそんな時だ。
「あ~あ、やっと見つけた。相棒のあたしを置いて一か月もどこかに行っちゃうなんて、流石に酷くない?」
聞き覚えのある声。誰かがすぐ近くにいるのは確かだが、もう目の前の景色さえまともに把握できない。
「きみ専属の何でも屋、《
(……ぃ)
ここはどこだっただろうか。夢なのか、現実なのか、いまいち判然としない。
(ぉ……い)
いつか聞いたような耳に馴染む声が遠くから聞こえてくる。
(うるさいな、俺は眠いんだ)
そうだ、俺は心地のいい微睡みの中にいる。こんなにも暖かくて安心できるのに、邪魔をしないでほしい。
(ぉぃ……い)
ああもう、どこかへ行ってくれ。誰だか知らないけどうるさいし、邪魔だし、不愉快だ。
「起、き、な、さ~~~い!!!」
「うるせえええええっ!!」
思わず体を起こしておもいきり叫んだ。空気の読めない声の主に拳の一つもお見舞いしてやろうかと(本当にやれば犯罪者の印がついてしまう)左右を見渡すが誰もいない。
「どこ見てるの? こっちだよこっち、う~し~ろ」
さっと振り向くと髪を鮮やかな紅に染めた少女が俺と同じ目線で地べたに座っていた。
「お前、いつからここに――」
「えーいっ」
その少女――レインは中途半端に振り向いた俺の肩に手を置くと、驚くほどの機敏さと羽のような柔らかさで俺を押し倒した。唇が触れるような至近距離で目を覗き込まれる。
「あたしが誰だかわかる?」
「お前は……」
「お前じゃないでしょ」
「キミは、そう、レイン。レインだ」
「ただのレインじゃないよ」
「ああ、そうだ。俺の……相棒で……」
「そうだよ、でもまだ足りないね」
「俺の……専属の何でも屋」
「そう、その調子。あと一歩」
「それで、俺の、恋人」
「大正解。私のことちゃんと覚えててくれてよかったよ」
髪の色よりも美しく透き通った瞳で俺の相貌を覗きながら、レインは唇を押し付けてきた。目を閉じることも、視線を逸らすことも、彼女に取られたマウントポジションを解くこともできない。
「ん……ぷは」
そんな異常な時間をどれほど続けただろうか。レインはようやく唇を離して俺の体を自由にした。
「レイン、なんで急にこんなこと」
「きみはふらっと何処かに行っちゃってその度に戦闘マシーンになって戻ってくるし、あたしのことも曖昧にしか覚えてないし、こうなったらアタマの記憶じゃなくてカラダに教えておかなきゃいけないって思ったから……かな」
確かにその通りなのかもしれないが、別に本当に記憶から消えているわけではない。疲労の蓄積で頭の働きが悪くなり、戦うために辛うじて動いている状態になっただけだ。
「それにしたって……もうちょっとやり方があるだろ」
「まるまる三日間も薄気味悪い洞窟で寝たきりだった彼氏さんをかいがいし~く介抱したんだから、あたしがライヒ君を好きにする権利があったっていいと思わない?」
「
「あたしが何処かに行ったら、その後きみはどうするの?」
「それは……」
つい言葉が詰まる。
「ほらね、思いつかないでしょ? きみはあたしがいないと駄目なんだから今のままでいいんだよ」
それは……何かが違うような気もするがおおむね正しい。彼女と一緒に過ごした時間があまりにも長いせいで、それ以外の日常を俺は思い描けなくなっている。
「今日は野営だね~」などと言いながらキャンプの準備を始めたレインは、心の底から楽しそうな笑顔を浮かべていた。
装備の点検や夕食を済ませ、焚火を挟んで二人が向き合う。
「それではきみが放浪していた一か月間にSAOでは何が起こっていたのか、かいつまんで説明するね。まずは76層について……」
レインの口から飛び出したのは衝撃の事実。
皆さま初めまして、私は狩奈といいます。数年前に書き始めた本作を改定するにあたって改めてここに挨拶を申し上げたいと思います……なんて、お堅いのはナシで。
やっとやる気になったので、頑張ってちゃんとした物語にバージョンアップさせていきたいと思います! これからもどうぞよろしくお願いします!
感想その他お待ちしております。