ああ、どうか。いつまでも醒めないで欲しかった。
どこかでこのように嘯く俺は、確かに俺自身ではあったが今の俺ではない。いわば、過去の俺。例えそうだとしても何故あの嘘だらけの馴れ合いを楽しかったと嘆くのか。今の俺にはとても理解できない。
「何が楽しかったんだ」
その問いには誰も答えない。
***
「カフェオレと、黒パン一つ」
最低限の注文を済ませてカウンターに一人着く。まだ朝早いこの時間帯に、俺以外の客はいなかった。いまだ俺はボス戦に駆り出されようとしているらしく、騎士団の幹部の連中が集団で押し寄せてきたときには一対複数人のデュエルで全員完膚なきまでに叩き潰した。勿論半減決着で勘弁してはおいたが。注文通りに運ばれた料理に手をつけながらこれからの予定を考える。九十層ボス攻略はもうまもなく始まるだろう。とりあえずはボス部屋を発見することが第一優先。街の掲示板クエストは既にこなしてある。問題があるとすればボス戦に参加できるかどうかだが、それについては勝手に参加すればいい。
一コルの黒パンをカフェオレで流し込みつつ、昔はこういう食事で十分だったな、と。そんなことを思い出す。レインが俺に気に入られるためにあれやこれやと料理を作っていたが、作ったものを無下にするほど俺が悪魔では無いから食べていただけで。ソロ活動を再開した俺には関係のない、ただの思い出だ。
「なあレイン。今日は――」
自分の発言に思わずはっとした。なんで今更そんなことを思い出してしまったのか。あわてて少しコーヒーの割合が多めのカフェオレを喉に流し込む。
今でも耳にこびりつくレインの啜り泣き。しかしそれを頭から何とか叩き出す。いっそ結婚も解除してしまおうと考えたが、アイテムがシステムによってランダムに二等分されてしまう。代金の硬貨をカウンターに放って店を後にしようとしたが、その前に片手サイズの包みが何処からともなく飛んできた。反射的に受け取る。
「ほれ、弁当だぞ」
「別に、必要ないですよエギルさん」
顔に豪快な笑みを浮かべるエギル。まるで拒否を見越していたように言葉を続けた。
「俺じゃない、レインから頼まれてな。さっきまでお前のために早起きして作ってたんだぜ? 自慢の彼女なんだろ。受け取れよ」
「はっ……。ゲームで夫婦とか。ホント茅場は救えない屑だ。何が楽しくて結婚システムなんて」
「レインの事は否定しないんだな」
その言葉に思わず振り向き、そして睨みつける。こいつらは一体どれだけ人の心に踏み込めが気が済む? そして今更味方の素ぶりを見せて気分がいいのか。いずれにしてもあまりにも腹が立つ詮索だった。
「悪かった、ちと詮索が過ぎた。行って来い」
「どいつもこいつも、偽善者のくせに」
スイングドアを蹴り飛ばして出て行った。朝から最低な気分だった。モンスターを狩らないと怒りでどうにかなりそうだ。今日だけでレベルが一つ上がるかもしれない。
***
「――ライヒ君は行きましたか」
「ああ、行ったよ。俺にはあいつは救えないのかもな、少なくとも言葉じゃ無理だ」
「救うって表現、止めてください。彼は元々ああいう人ですよ。それを踏みにじって従順を強いたのはあたしたちだって分かっていますか」
「……そうか」
「どうして、なんであたしはライヒ君と一緒にいちゃいけないの? 結婚だってして……。あんまりだよ……」
その慟哭は果たして。本当に偽物だったのだろうか。
門番だろうか、騎士型の重装兵士が二体。それなりに手間はかかったが死ぬことなく殺すことができた。地面に転がった武器や鎧の一部を回収して先に進むと、そこにはボス部屋があった。相変わらず死の気配を漂わせている。回廊結晶によるマーキングを済ませると、扉横の壁に体を預けてそのまま座り込んだ。当然ボス部屋前の広間にモンスターは発生しないので寝ようが生活しようが自由だ。
「腹……減ったな」
そう言えば昼飯を調達するのを忘れていた。こうなればグロいモンスターの肉でもいいとストレージを漁ると、出てきたのはハンカチに包まれた箱だった。
夢中で食べた。もう何がなんだか分からなくなるくらいに、好物で埋まった弁当を食べ続けた。
「俺は、俺はどうすればいいんだよ……。何でこんなことしてくれて、それなのに殺そうとするんだよ。意味、分かんねえよ――」
俺は泣き続けた。たった一人で泣いて泣いて泣いた。この日は街に戻れなかった。
どうやら泣き疲れて眠っていたようだった。これではまるで子供のようだと自分を笑う。気がつけば冷たい石畳の床は白く柔らかで、それでいて冷たいものに覆われていた。雪だ。
「あー……そっか。クリスマスか、雪イベ……」
もう少し気がつくのが遅ければ埋まっていたかもしれない。或いは、それでもよかったのだろうか。座ったままで暫く積もり続ける雪を眺めていた。黒いコート姿の俺はこの場にひどく不釣り合いで、俺の現状そのものに思えた。現実では何の変哲もない学生だったのに。父さんは、母さんは、
体が芯から冷え切っているのを感じる。これ以上体温を冷やしてしまえば、やがてダメージを受けることになるだろう。しかし、分かっていても立ち上がる元気がどうしても出てこなかった。
「このまま、死ぬのかな」
思えば辛い目にたくさん会ってきた。ユニークスキルによって欲しくもないライバルが生まれ、如何なる方法か捕えられおぞましい方法で殺意を思い出させられ、そして。そして、なんだろう。大事なものを自分から捨てて俺はここにいる気がした。何の損得勘定もなく、ただそばに居たいという理由だけで俺に寄り添ってくれた少女。
そうだ、結局俺はレインが好きだった。それでも頑なに偽物だと言い続けてきたのは何故だろうか。まあ、きっと怖かったのだろう。どこかで切れてしまうような浅はかな関係ではないと常に確認して信じていたかったのだろう。しかしやはり俺には足りないものが多すぎた。キリトにあって俺に無いものがあまりに多い。いつだったかレインは気にしないと言った。最初からそれを信じていればよかった。一番の卑怯者はやはり俺だった。
俺は、一体何なのだ。
「あたしの彼氏で、あたしの勇者様。強がりで、怖がりで。それでもやさしくて、どんな時でもアタシを守ろうとしてくれた。アタシが愛してる人。――風邪ひくよ、一緒に帰ろ」
いつの間にか目の前にはレインがいて、手を差し伸べてくれていた。何度も何度も斬り落として来たその手で、俺を助けようとしてくれていた。それでも俺はすぐに縋ることが出来ない。何もないはずなのに何かが邪魔して、何も出来ない木偶に成り下がっている。やはり何処までも救えない。
「なんで、俺を愛してるのか。愛してられるのか。ずっと分からないんだ。だから無くなるのが怖くて、ずっと確かめていたかったんだ」
「知ってる」
やがて俯いた俺の顔を、ひんやりとした手が優しく包む。近くで見るレインの顔はやはり綺麗だった。それだけで俺は泣いてしまった。みっともなく涙を流し、無様に呻いている。
「君は泣き虫だね、あたしと同じ。嘘をつくのも一緒で、だからあたしのことも分かってくれると思ったんだ。一人ぼっちのあたしのそばに、ただ居てくれればよかったんだ。本当に、それだけ」
「……そう、だよな」
「だから深い理由なんて無いんだよ。どんなに面倒でも一緒に旅してきたから好きになれたんだ」
これでようやく理解した。理由なんて求めていた俺が愚かだったのだと。無いものに縋ると言う点では俺もキリトとなんら変わらない。だから俺はもう一度差し出された手をようやく掴むことができた。ただ、そこにあるぬくもりに縋りたいから縋った。それを受け入れてくれたレインが何より愛おしかった。
「俺、好きだ。お前が好きだよやっぱり」
「……やっと聞けた。君の言葉があれば、あたしはそれだけで生きていけるから」
「悪かったよ。だから、あともう少しでいいから、一緒に居てくれないか」
そこから先は俺の心だけにとどめておく言葉。他の誰にも聞かせたくない約束。白い闇の果てに、俺は人の温もりを感じた。
報いは救いへと転じる。
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