焚火の中から生木の爆ぜる音がする。
「いつもなら俺が一か月放浪してる間に二つか三つは先に進んでたと思うんだけど……原因は?」
「不明」
「その理由は?」
「もちろん不明」
「馬鹿にしてるのか?」
「もちろん違うよ。いい? 攻略の進み具合に関しては76層までしか解放されていないという事実しかないってこと」
一か月も攻略ペースが滞ったことが果たして過去に何度あっただろうか。攻略を先導する集団の枠組みさえなかった一層の攻略はおおよそ二か月の時間を要したが、それは例外だ。その後は一日おきとまではいかないが順調に攻略され、早ければ三日で一つの層を突破することもあった。
他にもクオーター……25層や50層、直近の75層は異様にボスモンスター討伐の難易度が高い。25層で多大な損害を負った《アインクラッド攻略隊》は戦力増強のため、一層に拠点を定めて可能な限り多くのメンバーを集めようとした。アインクラッド第一層《始まりの街》には今でも生存しているプレイヤーの半数以上、数にしておよそ4000人が暮らしている。
努力の甲斐あってか《解放軍》と名を改めるほど頭数を集めることに成功した彼らは74層からようやく最前線に再進出しようと目論んでいたらしいが、その目論見は外れて先遣隊は全滅。SAO最強のソロプレイヤーと名高い《黒の剣士》キリトにお株を奪われ面目も丸潰れ。一層で戦わないプレイヤーを相手に幅を利かせていたことが祟って居場所すら危うくなり内部抗争の末に解散したとかしていないとか。
話がそれてしまった。とにかく、76層の攻略が一か月も進んでいないのは明らかに異常事態だ。
「まあ現状は受け入れるにしても、だ。攻略が進まないってことは最前線に参加してる人数が少ないってことだろ、普通に考えて。前のボス戦で《血盟騎士団》クラスの有力プレイヤーが軒並み死んだ……とか」
想像もできないが
「それも間違ってはないかな。ただ、も~っとヤバいことが起こってる」
「それは?」
「76層に足を踏み入れたプレイヤーは、下の層に戻れない――かもしれない」
「……それは想像や憶測だけの話だよな?」
「75層のボス戦に参加したメンバーがただの一度も降りてきてないのを聞くとそうも言ってられないんだよね」
悪い冗談だ。
しかしレインが冗談でこんなことを言うとも思えない。
「さ、ここで本題! あたしとライヒ君には二つの選択肢があります。ライヒ君ならわかってるよね?」
「進むか進まないかの選択、いや違う。俺たち自身がSAOのクリアを諦めるか諦めないか――だよな」
現状から目を背けて攻略組に全てを委ねれば俺たちは恐らく75層以下に存在するプレイヤーの中では最強だ。モンスターやプレイヤーを問わず誰にも害されることなくこの世界で安心して生きていけるだろう。
しかし、もしも、もしもの話。今このタイミングに攻略組が全滅するなんてことになれば、否応なしに俺たちは繰り下がりの《攻略組》となる。
極論だがそういう事だ。どちらにしても上の層に進めば攻略に駆り出されるだろうし、進まなければまた別の不安要素に怯えて生きることになる。
「最悪だ……なんで、なんでこんなことに」
「こればっかりは運営を恨むしかないね。露骨にプレイヤーをふるいにかけようとしてる」
「ずっと考えてたら進まないのと同じ。考えて不安なのが嫌なんだったら進むしかない……。クソッ!!」
俺は、俺とレインはどうすべきだろうか。
死ぬのは怖い、死ぬのは嫌だ。だから中途半端でも進んできたというのに、ここから先はハンパな選択肢は許されない。
「レイン、お前はどうしたい? お前はどう思う……?」
「ライヒ君と一緒がいい」
「いやだからこんな時に話を茶化したって……」
「迷うことなんてないよ、攻略なんて全部忘れてやめちゃえばいいんだよ」
思わず抱えていた頭を上げて焚火越しにレインを見つめる。
てっきり俺は、レインは先に進もうと言うのだと思っていた。
「うん、あたしはそれがいい。景色が綺麗なところでも探そうよ」
「う~ん……あ、そうだ。童話に出てくるみたいなちっちゃな家とか買うのなんてどうかな」
「家にいるときも、お買い物するときも、ずっと一緒なんてステキだと思わない?」
「戦って死ぬよりもそうやってお気楽に生きて、気が付かないうちに全部が終わってる。そういうの、あたしはいいなあ……なんて」
今のレインはやけに饒舌だ。
「ふ~ん。それで、
レインは笑顔を崩さない。俺と出会うまではこの笑顔と脳すら溶かしてしまいそうな甘い囁きで生きてきた彼女のことだ。
多分幸せに暮らしたいだとか終わりがどうだとかではなくて、ただ俺に行ってほしくないのだろう。
俺だって、レインと離れたくない。
「俺は迷ってばかりで……えっと、優柔不断だから。はっきり言うとどうするべきかもう分からないんだ」
レインの張り付けたような笑顔は、慈しむような笑みに変わっていた。
「でも、君がそう言うなら、俺は……そうやって生きるのでも……」
自嘲気味に目を閉じると、不意にすぐ傍までレインが近づいてきた。俺の頬に伸ばされた手がやけに優しく感じられる。
「ずっと一緒だって、約束してくれる?」
レインには敵わない。俺は彼女の言葉を受け入れるようにもう一度だけ目を閉じる。
次に目を開けた瞬間、俺は知らない場所に一人で突っ立っていた。
「レイン?」
返事はない。
ここはどこだろう。突然のことに頭が追い付かない。
「俺は……ライヒ。SAOのプレイヤー」
自分のことやレインのことは正確に覚えている。俺は間違いなく俺のままだ。
目の前には樹齢何千という大樹をくり抜いた跡に、埋め込むようにして建てたような神殿があって、それ以外は四方八方に森が広がっている。
突発的に何かしらのイベントに巻きまれてしまったのだろうか、しかしそれならパーティを組んでいるレインも一緒でないと不自然だ。
転移結晶と呼ばれる帰還のためのアイテムを使おうとするが、手動の操作も声での操作も受け付けない。
一人何もない世界に放り込まれてしまったような感覚が、段々と恐怖に変わっていく。
「レイン、レイン! いや誰か、誰かいないのか!! 誰でもいい! いたら返事をしてくれ!」
俺はこのままどうなってしまうのだろうか? 仲間どころか俺以外の人間がいない中でどうしろというのだろう。
「なんだ……ここはなんなんだよッ!!」
苛立ちに任せて剣を抜く。
無意味な行為だと分かってはいても、それ以外にどうしようもない。
この空間では俺の浅い息遣いだけが音の全て。まるで俺以外のあらゆる存在の時間が止まっているかのようだ。
俺はもしかするとここで自ら命を絶ってしまったほうが幸福だったかもしれない。
先に進んでしまっていることを冷静に理解するべきだったのかもしれない。
何もわからないことを言い訳に、俺は決断を誤った。
「そこの君! 今すぐ逃げるんだ!!」
俺は、会ってはならない人間と会ってしまった。
『gggggggggggg』
巨大な口で歯ぎしりをするかのような、聞いただけで思わず竦んでしまうような音が上空から聞こえてきた。そして俺をすっぽりと覆うほどの影。
「う、うわああああ!!」
全力で後ろに飛んで回避行動をとる。触れただけでも腕の一本や二本は軽く切り落としてしまいそうな刃? 鎌? とにかく人の身長などよりも遥かに大きな武器状の腕が俺のつま先を僅かにかすめて地面に半分以上も突き刺さった。俺に回避を指示した声の主が俺の腕を引いて即座に立たせる。
「無事か? 無事ならすぐに立つんだ!」
「あ、あんたらは?」
「俺たちのことは後だ! とにかく、あの
「なんで俺たちを襲うんだ! そこの
「ちょ、ちょっとまってよ私は何も」
「いいか、とにもかくにも俺たちは協力してあのモンスターを倒す。それ以外に生き残る方法はない!」
声の主……黒衣の少年は、背負った二本の片手剣を同時に引き抜くと巨大な骨ムカデ――スカイリーパーと真っすぐ向かい合う。
「
「い、いきなりそんなこと言われたって……」
「俺はもう目の前で誰も死なせたくないんだ!」
「――ッ」
彼の瞳の中で激しい炎のように燃え盛る決意。俺などには決して否定も反論も出来ないような決意が俺にまで伝播する。
何の根拠もないのにこの人なら全てを変えてくれる……そう思わせる。
「分かった。スイッチ、ローテ、ソードスキル……なんでも指示をくれ。オレンジそっちは」
「オレンジじゃない、フィリアよ。私も大丈夫」
「よし、二人とも行くぞ――!!」
同時に地を蹴り三方向に駆け出す。
――やはり早い――!
キリトは一瞬にして正面からスカイリーパーに飛び掛かり戦闘を始めた。すでにパターンを見切ったのか、あるいは知っていたのか、迷いのない足運びで有利な状況を作り出している。
俺とオレンジ……もといフィリアなるプレイヤーは左右から僅かながらも確実にダメージを与えていく。
耳をつんざく硬質な交差音がしたかと思えばキリトの二刀流とスカイリーパーの鎌が鬩ぎあう。キリトが潰されてしまうのではないかと不安になったが、なんとキリトは鎌をそのまま押し返して見せた。
反撃のチャンス。
「全力でソードスキル!」
「「了解!」」
俺が、キリトが、フィリアが、それぞれ得意とするソードスキルを発動させた。色とりどりのライトエフェクトが骨ムカデの全身に殺到する。
(……あれ?)
予想以上のダメージ量に、攻撃している俺のほうが驚いてしまう。
そんな俺の疑問を見透かしたのか、キリトはわざわざ俺の隣にきて説明してくれた。
「アイツは75層のボスモンスターを模した何かだ。もし本物の
「ど、どうも……」
「君の名前、今のうちに聞いていいかな」
攻略組で最強の人を前にして、俺は名乗るべきかどうか迷った。
中途半端にしか攻略に参加せず、彼ら彼女らが既に通った道をわがもの顔で進む日々。引け目とか申し訳なさを感じていないと言えば噓になる。
「俺たち、もう他人じゃないだろ? 最強とか攻略組とか言われて持ち上げられてるけど……実を言うと恐縮とか遠慮とか、苦手なんだ」
いい人だな、と思った。戦いのときは真剣なのに時折快活な少年のような一面を見せる。これ以上の遠慮は失礼になるかもしれないと、俺は意を決して名乗った。
「俺は……俺の名前はライヒ、ライヒです」
「オーケー覚えた! フィリア、ライヒ、一緒に行くぞ!」
そうかこれが、これこそが
今までにない戦闘への高揚を感じながら、俺たちはこの戦いに終止符を打つため武器を携えスカイリーパーに立ち向かった。
さっきと同じだ。キリトがタゲを受け持ち俺らがその間に攻撃――
しかしスカルリーパーは突然全身を俺のほうを向けて腕の鎌を俺に振りかざす。
何故!?
俺とフィリアのダメージを足してもキリトには及ばない。前衛で敵を抑え込んでいたキリトのほうが圧倒的に多くヘイトをかっているはずだ。
振り上げられた鎌は真っすぐ俺を目掛けて落ちてくる。
「あ……ぁ」
即座に脳裏に押し寄せる恐れ、悔い、死の予感。そんな俺の意思に反して半ば勝手に右手が動く。レインが俺のために鍛えてくれた《
「はああああ……っ」
横薙ぎの一閃《ホリゾンタル》が奇跡的なタイミングで鎌を打ち返す。
しかしもう片方の鎌が来る。俺は、俺はもう、
「
左手にもう一本の装備、レイピアを携え、《ホリゾンタル》を発動させた後の硬直時間を無視して追加のソードスキルを繰り出した。
「《
敵を死に至らしめる鎌を潜り抜け、この世界で俺にのみ許された時間を真っすぐに駆け抜ける。
覚悟を胸に、決意を確かに。
迫りくる死を一閃する。
「《フラッシング・ペネトレイター》!!!!」
レイピアカテゴリ最強の技。一条の光線となった俺はスカルリーパーの長い胴体を真っすぐに貫きながら突き進む。
俺と骨ムカデの動きが交錯し、武器を振りぬいたまま停止する。
そして――
改訂版「虚ろな」二話をお届けしました。以前よりも読み応えのある作品になっていることを信じて。
感想その他お待ちしております