青い破片が砕け散る。その中から人影を認識した瞬間に駆けだした。それが一体誰なのかは既に分かっていた。ストレアの体が落ちていく。後50メートル――30メートル。何もない床に躓いた、無理矢理踏みとどまった。走る、走る走る。何が何でも届きたい、届かなければならない。奔る――残り10メートル。
届いた。ストレアは未だ目を閉じたままだが間違いなく実態がある。だが、刹那の安堵も許すまいとHPバーが目にもとまらない速さで減っていく。
「お、おい! ふざけんな! ここで死ぬなよ、俺、何の恩も返してないだろ……。俺を助けるために出てきたなら最後まで責任取れよ!」
黄色から赤へ、そして次には。
「任せてください! わたしだってストレアさん、いえ。
いつから居たのか。そんなことを考えていると、ユイちゃんの前でデータの羅列が閃いた。それこそほんの一刹那に過ぎなかっただろうか。データが消えると、ストレアの体は淡く白い光に包まれながら姿を消した。恐らくは消滅ではない。俺の予想が合っているのならば――。
「ストレアはカーディナル・システムから切り離されて独立したAIとしてライヒさんのナーヴギアのメモリに転送されました。これで、少なくともストレアが消えることはありません!」
やった。
思わずそう呟いてから、ひんやりとした床に座り込んだ。無我夢中だったせいか頭が少しくらくらする。少ししてから周りの音に耳を澄ましてみると誰も彼もが喜びの叫びを上げていた。踊り狂う者、笑い続ける者、泣く者、茫然とする者。三者三様に達成を噛みしめていた。
――まさに大団円です!
――私たち、やったんだよね。遂に百層を……。
――ぜえ、ぜえ……。これじゃ、一層の雑魚イノシシにだって勝てねえや……。
――ライ兄~! カッコよかったよ~!
ああ、俺は。やっと帰れるのか。最初から最後まで、今の今までずっと望んでいたこと。心をすり減らし、手をひたすらに汚してようやくたどり着いた頂上。
嗚呼、でもどうして。
救われる寸前に、どうして。
どうして、俺の前には何かが立ちはだかるんだ……?
あらゆる音は消え去った。新しい音が生み出される。悪魔の足音だ。
希望の光は消え去った。新たな光を見た。悪鬼の武具の映す光だ。
信じた物が消え去った。信じられないモノを見た。
魔王だ。
赤いマント、鎧。そして十字を模した対の剣と盾。何処までも人間らしくない、その顔立ち。
「約束の時だ、プレイヤー諸君」
本当に。
「そうですか、お久しぶりです。
俺は、何処まで行っても。
「やっぱり。生きていたか、ヒースクリフ」
救われない。
***
おめでとう。ヒースクリフは初めにこう言った。相変わらず含蓄のありそうな、そして全くなさそうな声色をしている。それに対してどのように返すべきか、俺は分からないでいる。俺以外のプレイヤーも同様に対応を図りかねている。
「まずは、こうなった経緯を話す義務が私にはあると思うが……。恐らく全ては知っての通りだ。アルベリヒ――須郷君の介入によってSAOを構築するシステムが一時的に瓦解。不本意極まりないが、その始末に追われていてね。一切の説明が無かったことをここに詫びよう」
しかし、その顔はあくまでも支配者の顔だった。支配対象には、一切下手に出る気は無い。その所作には創造者たるプライドすら感じさせた。それが今ここで何の意味を成すかは分からない。初めて口出しをしたのはやはりキリトだった。俺はまだ、言えることを何も見つけていないのに。どうしてこいつは、このようにいられのだろう。個人的な疑問が脳裏をよぎって消えていく。
「約束の時、と言ったな。そのまま意味を取ればここからの解放、だが。違うだろ。お前は一体何がしたくてここに出てきた」
ヒースクリフは一つ苦笑を洩らし、そしてそれを魔王のそれに変質させた。これは、この表情は最早人間ではない。ヒースクリフは大仰な仕草で腕を一つ振った。現れたのは、
「約束の時、いや。最後の審判と言い換えてもいい。魔王の運命を決定するのはいつだって勇者の役目であり、そこまで勇者を導くのは魔王の力だ。……さあ、三人の
そう言うと、一瞬にしてヒースクリフは姿を消した。奴の言う決戦の場に出たのだろうか。キリトはアスナさんとほんの一瞬目を合わせ、そしてポータルに乗った。シノンはキリトの覚悟を信じて乗った。そして俺は、乗れていない。乗り込む理由が、意味が、大義が、責任感が、無い。この展開は予想していないでもなかった。それに覚悟をしてこの場へと来たはずだ。だというのにどうして――歯がカチカチと音を立て、脚は寒くも疲れてもいないのにブルブルと震えているのだろう。歩け、さっきのように走ってもいい。一歩でもいいから進め、進んでくれ。
「あのねライヒ君。やっぱり、さ。あたしたちって離れ離れになるしかないのかな」
レインがこんな時なのに、いやこんな時だからこそだろうか。他愛のない話を持ちかけてくる。
「意味分からん。どうしてそうなるよ」
「だって、最後までは一緒にいるって言ってくれたのに。それを破らないといけないなんて。酷過ぎると思わない?」
確かに、言われてみればそうかもしれない。俺はレインを引きはがそうとしたし、レインは俺にひっつこうとして。通じあえたのもつい最近のことだ。それでも結局交わした約束さえ護れない。そういう運命。
「それで? 今ここで別れようって話か?」
「ううん。あたしは君を放すつもりなんて無い。だからね、嘘をつくの」
嘘。レインが生きようとして身に付けた、まあ十八番と言ってもいいその在り方。それを持ち出してどうしようというのだろうか。俺はそこまで女心に敏感なわけでもない。でも、ほんの少しなら一緒にいてもいいと思えた唯一の存在の話だ。ほんの少しなら、聞いてみてもいい。
「君が、あの時した約束なんて、
「……そうか」
「だからね」
「うん」
「もう一回、約束し直すの。全部終わったら、約束してほしいことがたくさんあるの。――だから」
――これ以上。あたしに嘘をつかせないで。
もういい。そう思ってレインに踵を返してポータルに乗った。これ以上その顔を見ていたくなかった。三人がそれぞれのポータルに乗ると同時に、ワープは発動した。ここからが結末。これが長い長い旅の終わり。
――レインは、ずっと泣いたままだった。
***
黄昏の空は、何処までも何処までも何処までも広がっていた。果てがない世界は中身を持たずに空虚だ。その美しくも虚ろな世界に、俺たちは立っていた。少し下には浮遊城が浮いていた。不思議な感覚に思わず呆けていると、この世界でやってきたことが急に懐かしく思えてきた。何もない世界なのに。一体何を大切にしていればよかったのだろうか。
「中々に絶景だろう」
ヒースクリフの声。先ほどとは違い、ほんの少し憂いを帯びているような。そんな気がした。
「どう、でしょうか。俺にはやっぱり、こんな場所は虚構でしかないと。そう思いますよ」
「君は、やはりそう言うか。ではキリト君そしてシノン君。君らはどうだ? ここが美しいと思うかね」
「美しいな。本当に美しくて綺麗だ。でもな、この景色のために何人を犠牲にした? 今もなお苦しんでいる人たちのその苦しみも嫌と言うほど見えるぞ。俺も俺のためにならあらゆる犠牲を厭わない。けど、プレイヤーを代表して言うならこの世界は絶対に許せない」
「ええ、そうね。私はこの戦いに美学は持ち出そうとは思わないけど、アンタ見たいな人外を殺さないでいられるほど目は腐ってない。――私は、強くならなきゃいけないの」
みんなが空っぽだと思っていたのに。空っぽなのは俺一人だった。
虚ろな剣を携えて。
俺は、俺を取り戻す。擦り切れて無くなった日常を、今ここで奪い返す。全ては俺のために、隅から隅まで一から十まで過去も未来も何もかも。俺の望むありとあらゆるものを取り返すために、最後の剣を振るう。
「《OSS》起動ッ!」
プレーモーションすら霞む勢いで全力の《スネークバイト》を放った。盾に阻まれるが構わずに攻撃を繋げ続ける。キリトも出番を取られたのが不服なのか、いつもの何倍もの希薄で俺を押しのけていくように斬撃を両手で放ち続ける。火花が絶えず散り続ける。しかしユニークスキル使い二人の全力攻撃すら紅い悪魔は確実に防ぎ続ける。重さのある片手剣は確実に盾で、俺のレイピアや短剣は空いた剣で正確に弾く。そしてほんの少しでも隙を見せようものなら、重く鋭い一撃を叩きこまれる。
キリトと一瞬目配せを交わしてボスの大剣にも匹敵する威力を備えた突きを二本の剣で去なし、そして体を翻しつつ二人同時に後方へ飛んだ。ヒースクリフの胴体に何本もの矢が飛来し突き刺さる。シノンのソードスキル。
二割は削れただろうか。シノンを中心に集まり一旦仕切り直しとなる。全く頭のおかしい堅さだ。向こうも様子を見るべきと考えたのか、迂闊には攻めてこない。思考が限界まで加速しているせいか周りの景色に目を奪われる心配はなさそうだ。
「二人掛かりで何とか抑えつけられて……三人でやっとまともにダメージ、か。前回と比べて明らかに強すぎないか?」
「そうだとも。ラスボスと言う存在はすべからく理不尽でなくてはならない――これは私の持論だがね。そういう意味では先程のバグの塊は十分にその資格を保有していた。まあ、ああまでして綺麗に終わってしまってはつまらないだろう?」
「少しは口を慎めよテロリスト。お前に持論だの美学だのを語る資格なんて無い。いいからとっと勇者に殺されろよ」
連携を無視して斬りかかる。時間差で両手の剣を打ち込むが、どんなに巧くフェイントをかけても巧く躱されてしまう。それでも攻撃の手は決して緩めない。壁をひたすらに斬る感覚に怯みそうになるが、無視する。壁があるなら、崩れるまで切り崩す。タイミングを読みつつキリトと連携しつつひたすら削る。キリトに隙ができればそれを俺が埋める。俺の連撃に間が出来たならキリトがそれを埋める。今でこそ息を合わせて戦えてはいるが、俺にとってこいつは憎き敵に違いは無い。
二人同時に剣を叩きつけてブレイクタイムを作り、矢の穿つべきポイントを明白にする。また二割ほどHPが減少する。
「全く……。半端者がよくもここまで辿りつけたものだ――!!」
深紅に染まった剣が放つソードスキル。確か名を《ディバイン・クロス》。
しかし軌道が全く視認できない。システムのオーバーアシストによって極限まで威力を乗せた二連撃をかつての記憶と半ば勘で防ぐ。発動にあと少しでも遅れていたら、死にこそすれ腕が両方とも落ちていただろう。死ぬ気で交わした。ならばまた――死ぬ気で斬りつける。
「おちろ。落ちろ落ちろ落ちろ
「君は相変わらずここぞという時の気迫と、そして技の正確さに関しては全プレイヤー中最強と言っても全く過言ではない」
どこか憐れむような声。しかしその声すら打ち消してしまおうとさらに腕を加速させる。それでも声は剣戟の隙間を縫って耳にまで届いてくる。
「ああ、実に惜しい。君がもう少し出会いや環境に恵まれていたのなら――きっとキリト君をも超える勇者になりえたのだが」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」
いよいよ痺れを切らして盾を殴りつけに掛かる。打属性の攻撃でなら或いは盾をもぎ取ることが出来るかもしれない。
「つまりだね。君は――邪魔なんだよ」
オーバーアシストの乗った突き込みが放たれた。当然このインファイト状態では躱す術も防ぐ術もない。故に受けた。どれほど強力だろうと即死には至らない筈。そう読んでの行動だったが、剣は俺の頭に――頭蓋を砕き脳を貫いて――突き立った。ふと目線を横へやると、ペインアブソーバが更新された旨のシステムメッセージが浮き上がっていた。そして、ヒースクリフは。
「あっ。ああッ……」
体がまるで取れたての魚のように跳ねた。
「あ、あ――――ああああああ――ッ!!!」
脳が調節焼かれている。まさにその通りの圧倒的苦しみが俺を襲って放さない。呼吸が全くできない。苦しみに呼応してひたすら絶叫が口から迸る。体がビクビクと痙攣して止まらない。視界は深紅に塗りつぶされて苦しみ以外の一切を感じることができない。頭を押さえるのに必死で剣はとうに放り捨てていた。体が焦げている。思考が焦げている。
「さあ、キリト君。これで邪魔者は消え去った。そこにもう一人異邦人がいるのだが……まあ彼女に罪は無いからいいだろう」
灰になりかけた思考でおぼろげに考える。そもそも俺は招かれざる客だったのだと。そもそも俺はこのように、罪を裁かれるために或いは魚のようにさばかれるためにここへ連行されたのだと。どこまでもどこまでも惨めで、ひたすら悲しかった。最早感情すらも灰のように細かく散っている。俺は死んだのだ。恐らく。
***
暗い海の底へと沈んでいる。ゆっくりと目を開けてみると、俺は真っ暗な空間に存在していた。ぷかぷか、ぷかぷかと時折泡が弾けるような音が聞こえる。それ以外は完全に虚無の世界だった。いや、見えている物すらも何かの比喩の一部なのかもしれない。底の見えない世界は、広いはずなのに、窮屈で寂しかった。
――怖いな。
素直な感想が漏れる。何に対して怖いといったのか。分からないまま出てきた言葉をしばし吟味する。思えば俺はなんでこんなことになっているのだろうか。こんな世界の中でも何とか生き延びてやろうと、当然のことを考えて、それだけを考えて生きていただけなのに。その途上で、確かに方法論としては劣悪かもしれないが人助けも多少してきた。攻略に関しても出来る範囲で情報提供は怠らなかった。
なのに、どうしてこんな目に。
他のプレイヤーを殺したのも、あくまでその延長線上だ。俺は何にも悪いことをしていないのに。
どうして。
――
――――
――――――
思考がそこへいたった瞬間に、頭が急に冷え切ったというか、よりクリアになった。よくよく考えてみると、俺はなんで他人に一々期待をしているんだ? 自分では何もできないわけでもない筈だ。寧ろ一人のほうが真価を発揮できるかもしれない。そうだ。そうなんだ。俺が他人に縋り、慈悲を求めるなんてちゃんちゃらおかしいではないか。
スッと意識が呼び起こされる。さあ、いい加減目を覚ます時だ。
虚無の海を越え、狂気の世界へもう一度降り立つために。俺は脚を蹴り出した。
指がほとんど自動的に閃き、《クイックチェンジ》のショートカット・ボタンを最低限の動きでつついた。腰に二つ、脚に二つずつの心地よい重みが蘇る。黄昏の世界ではキリトとヒースクリフが真のラストバトルを繰り広げていた。シノンは打ち倒され、生きてはいるが這い蹲っており、キリトに至ってもHPは残り四割といったところだろうか。全く、
一瞬にして起き上がり、ソードスキルを始動させて空を駆ける。ヒースクリフが心底から驚愕の表情を見せた。キリトを薙ぎ払い、オーバーアシストで迎え撃ってくる。だが、『遅い』。
オーバーアシストに
とどめに顔面へ蹴りをブチ込み数十メートル以上も吹き飛ばす。無様に転がるヒースクリフを見て、興奮で口元が大きく歪む。
「お、おい。今の、なんだよ……」
呆けた声でキリトが訪ねてくる。人の不幸を踏みにじって自分だけ満足に戦っていたくせに、よくもまあそんな舐め腐った口のきき方が出来るものだと、正直感心している。だがまあ、正真正銘初披露のソードスキルだ。見られたからには別に話しても構わない。
「《アート・オブ・デザイア》」
効果は単純だ。十五秒間だけ身体のありとあらゆる動きにオーバーアシストの加護が付与されるというもの。異双流スキル唯一にして最強のソードスキル。ただし、一度発動させればキャンセルは不可。脳にも多大な負荷をかけることになる。酷使すれば恐らく死ぬだろう。
だからまあ、多分使う機会はほとんどないと思っていた。
それよりも今は、一刻も早く戦いに終止符を打たねばならない。この技はそう何度も使えるものではないし、三人のHPもそろそろ限界に近い。だから、これで最後だ。これで最後に出来なければ耐えきれずに死ぬ。
「なあ、キリト。お前、ソードスキルが当たればアレのHP吹き飛ばせる確信があるか」
キリトは答えない。恐らく一度完全にソードスキルを捌かれた経験からだろう。デザインしたのが茅場であるのかどうかは知らないが、全てのソードスキルを把握していても不思議ではない。だが、重要なのはあたればどうか、の話だ。
「当たれば、確実に削りきれる。でもどうやってその隙を作るつもりだ。さっきのあれもかなり無茶をして使ったはずだぞ」
「黙れ偽善者。今更仮面かぶって人を気遣っても無駄なんだよ。お前らはいつも通りに、黙って俺から英雄の資格をふんだくっていけばいいんだ。余計なこと考えてんなら先にお前を殺すぞ」
みんなが一斉に黙りこくる。何を感傷に浸る必要があるのだろう。
嗚呼、今更ながら俺も色々と気がついた。別に人は完全な悪意だけで動いているわけじゃない。自分の為に他者を犠牲にしなければいけない、そんな事もあるというだけ。俺は、そう――俺はきっと本当に星の巡り会わせが悪かっただけなのかもしれない。であれば、もしかすると、仲良くだって。
「なんてな」
余計な思考は振り落とす。
「隙は作る。何が何でも作るから、だから絶対に外すな」
覚悟は決めた。何度も死にかけたお陰で、生への執着が恐ろしいほどに膨らんでいるのもあるが。
ヒースクリフも剣を取り戻している。これ以上長々と話してはいられない。
「いっくぜ――」
しっかりと剣を握り直し、身を低くして走り出す。これが正真正銘《御影》のライヒ最後の剣技。最後の最後まで影のように蠢くしか出来なかった愚か者の末路だ。
「援護するわッ!」
鋭い射撃が後方からヒースクリフの盾に突き刺さる。一瞬だけヒースクリフがその場に釘付けになり、そこを逃さずにソードスキルを始動させる。濃桃色のライトエフェクトが俺の周囲を渦巻く。この世界の万物を置き去りに、間違いなく最速の斬撃を何度も何度も繰り出す。思考が弾けて白熱する。内側から色々なものが爆発しそうだ。
「死ね。死ね死ね死ね死ねえぇぇぇーーッ!!」
負けじと放たれるオーバーアシストの斬撃を上から叩く。また回り込まれる。その上を行く。いよいよ向こうも完全にリミッターを外したらしい。斬って防ぐというよりも、回り込み合うという表現が正しいだろうか。武器がだんだん当たらなくなる。残り五秒。
そして、向こうの集中力が切れたことを間違いなく感じた。残り四秒。攻めるならここしかない。
突きを、体を浮かせて宙返りでかわし、
「ぐ……貴様ああぁぁっ!!」
剣が先ほどと同じように頭めがけて突きこまれる、が。
「ぬぎぃぃ……ガァッ!!」
口を開け、歯で受け止めた。
痛い痛い。歯が痛い。昔、歯は神経に近いから痛むととんでもないことになると聞いたが何か関係あるのだろうか。
「放っ……せ!!」
既にソードスキルは終了した。だが顔くらいは動かせる。歯はがっちりと剣を噛んだまま放さない。そして、後ろから剣を振りかぶる影が見えた。
「《ジ・イクリプス》――――ッ!!」
右手には蒼、左手には紅の激光を宿して英雄たる証の剣技が余すことなくクリティカルヒットした。
暗転。
***
いつの間にか気を失っていたらしい。いつの間にか世界は星空に包まれていた。幾つもの流れ星が暗闇を引き裂いている。素直に綺麗な世界を見ていた。すると、あまり覚えのない気配が近づいてきた。白衣を纏い、だらしなく髭を伸ばした博士然とした誰か。
「初めまして、と言うべきかな。私は茅場晶彦、この世界の創造者だ」
「ああ。そっか。アンタ科学者だったっけ」
「思ったよりも冷静なようだな。てっきり恨まれていて、斬り殺されるかとひやひやしたよ」
「もう、俺の仕事は終わり。この世界も、アンタも。少なくとも俺がそれを恨む権利は無い……と思うんだけど」
茅場は何も返しては来ない。――そう思ったのだが、無駄に気さくに話を続ける。
「もうすぐ、君の言うとおりにこの世界は終わる。だがその前に、君にはどうしてもこの景色を見せたかった」
「へえ……なんで?」
「ここはホロウ・エリア中枢。ひいては主である《オクルディオン・ジ・イクリプス》が存在した部屋だ。どうやらいつの間にか君が倒してしまっていたようだが」
「ああ、あれ。久々に死にかけた戦いでした。ソロで挑むよう相手ではないですね」
「全くだ。君のその強さは一体どこから来るのか。割と初期段階から観察していたつもりなのだが、ついぞ分からなかったよ」
茅場は苦笑した。どこか嬉しそうな表情は相変わらず意図を汲ませなかった。
「まあ、私も一介のプログラマだ。自信作を最後までゴミだと言われたままでは、ほら、色々と傷つくのだよ。だがまあこの景色は綺麗だろう? 」
「知りませんよ、そんなの。でもまあ、征服した後なんで気分はいいですね」
二人で腹を抱えて笑う。嗤う。やがて笑いを引っ込めると、茅場は言った。
「さて、私はそろそろ行くよ。君にはまだ、話すべき人間がいる。君を待つ人間がいる。行きたまえ、ライヒ君」
行け、と言いながらも茅場は去って行った。とにかく、目的も無く歩きだした。跳び回る流星は掴めそうで掴めない。世界が広くて心細い。そう言えば洞窟でスケルトン狩りをしていた時のことを思い出した。そうだ、確かその時――。
「《エネミーサーチ》」
空間に溶け込んでいた何かが姿を表す。紅くカスタムした長い髪に、かっこよさを感じさせるメイドモチーフの戦闘服。嗚呼、間違いない。ずっとおれ彼女は俺を待っていてくれたんだ。
「あ~あ。見つかっちゃった。相変わらずライヒ君は目ざといね」
レインは満面の笑みを浮かべていた。そこに一切の嘘は無く、ただ一人の現実の少女の本音で笑っている。それが嬉しくて、しかし、これで最後なのかと思うとやはり悲しくて。
「うん。終わったんだね、君が全部終わらせてくれた」
「そうだな。まあ、とどめはキリトなんだけど」
「それもきっと譲ってあげたんでしょ? やっぱり……君は優しいね」
何故だか涙が溢れてきた。こんなに虚しい気持ちは初めてだ。命を何度も失いかけた経験をしても、全て無に帰すなんて。
「レイン。俺、これでよかったのかな。何にもないのに、外に出れば全部無くなるのに。そのためにここまでしてよかったのかな」
「いいんだよ。だって、私は満足したもん。君と出会えて、一緒にお話とかできて楽しかった」
この瞬間が満ち足りていた。この瞬間だけでよかった。俺が大切にするべきものはきっとこの一時だった。
「俺……怖かった。痛くて、辛くて、苦しくて。それでも戦ったんだ……」
「うん。知ってるよ」
「どんなに酷いことを言われても、どんなに邪険にされても頑張ったんだ」
「うん。分かってる。全部、分かってるよ」
仄かに感じる熱は徐々に遠のいて行く。この世界の存在がすべからく抹消されているのが分かる。このアバターもまた例外ではない。
「もう、あんまり時間ないみたいだね」
「……ああ」
「だからね、約束。あたし、絶対に君を見つけ出すから。それで、向こうでもきっと恋人になれるように頑張るから。だから、泣かないで。ね?」
「うん。待ってるから。ずっとずっと待ってるから、頼む。俺を見つけ出してくれ」
「約束、するね」
白い光が全てを飲み込んだ。ここで育んだ友情も、愛も。必死で上げたスキルも、レベルも。スキル上げオタクとしては非常に悲しいがこれが仕様なら仕方がない……そう思いたい。データとしての俺がほどかれていく。散り散りになって消滅していく。
しろくて、まろい。
◆◆◆
微かに果物の香りがした。空気の匂いだ。規則的な間隔で機械音を鳴らしているのは心電図、だろうか。
そうだ――帰ってきた。
今の俺は、白紙だ。
これまでもこれからも、何者でもない。
だから、これから見つけに行くんだ。
だからまず自分を少しでも誇れたらいい。
誇れるような人間でいたい。
うん。それはなんて待ち遠しい――
――遥かな、未来。
SAO編、完結です。ここまで辿りつくためのモチベーションは間違いなく頂いた感想や評価――ひいては皆さんのお陰です。飽きっぽい私が、一区切り着いたというだけの話ではありますが、ここまで書きあげられたと言うのが未だに信じられません。私の空想にのみ存在した物語をこうして形に出来たのは、本当に奇跡のように思えます。
それではまたALO編でお会いしましょう。
感想その他お待ちしております。