最初に剣を交えた時とは違う。一切の出し惜しみをせずに戦っている……筈。だというのになぜこうも敵わないのだろうか。こちらが繰り出すあらゆる攻撃は悉くが躱され、去なされ、防がれる。リーチも威力も明らかにこちらが勝っているというのに、どうして攻めあぐねるなんてことになるのだろうか。悪魔的なまでに凄まじい防御テクだ。
――だったら、無理やりにでも一撃を叩きこむまでだ。
「これならどうよっ!」
両手に持つ鎌の片方。《パンドーラ》をライヒ目掛けて投げつける。回避でも防御でも何でもいい。
「……は」
ため息とも嘲笑とも知れない様子で微かに呼吸を漏らすライヒ。寸分違わないタイミングでソードスキルを起動させてこちらの攻撃を迎え撃つ。ソードスキル《バーチカル》。橙色と若草色のライトエフェクトが激突して火花を散らす。そのお陰で俯いていてよく見えなかった彼の表情がよく見えた。
彼の、ライヒの顔は、怖気が走るほどの無で満たされていた。今にも星が流れてきそうな程に深い色だった瞳には、最早何も映ってはいない。こんなに近くにいるワタシの顔さえも。
なのに、なぜ、信念どころか生きる意味さえ失ったようなその状態でここまでの強さが出せるのか。それがワタシには許せない。今の彼を許容してしまえばワタシの信念すら全否定されてしまう。持たざる者の努力など無意味であると、
ではなぜ彼はこんなにも虚無なのだ。これだけ全力で相対しているのに何も伝わっていないのか。
ほんの少しでもワタシに共感或いは理解を示してくれたからこそ、ここまで付き合ってくれたのではなかったのか。
「何か言いなさいよっ!」
「……」
「何も無いならっ……。今のアナタに何も無いなら
「――。何が……?」
もうすぐソードスキルの持続時間が切れる。向こうも同じように迎え撃ってきたとなればこの攻撃が本命だと認識されているのだろう。そうであってくれなくては困る。
「分からないなら、分からせてあげる。――
「――!」
ボイスコマンドが起動して《ファルクス=パンドーラ》が不可視の引力によって手元に戻ってくる。もちろん
「が……ぁぐ」
「はあ……はあ……。どう? 少しは何か言う気になったかしら?」
軽く挑発するも相変わらず彼を満たすのは虚無のまま。ライヒは何事もなかったかのように改めて構えを取る。その様子に思わず唇を噛みしめた。悔しいとすら思わないのか。自分で仕掛けておいて言うのもなんだが、ほとんど不意打ちのような形で最初のクリーンヒットを取られたというのに。
本当に、たとえ負けてもいいとすら思われるほどに、彼にとってワタシという人間は価値がないとでもいうのか。
屈辱だ。
ワタシの犬のクセに。ワタシの相棒のクセに。いつも分かったような態度で、いつも「仕方ないなあ」みたいな顔で、いつも上から目線で。
「なんで!」
斬り掛かるが躱される。とんでもない間合い感覚だ。どんなに攻めてもひらりひらりと鎌の攻撃範囲から逃れられてしまう。そのくせ自分が攻撃に転じる時は絶妙な距離から仕掛けてくる。まるで雲の上で踊っているかのようだ。本当に掴みどころがない。
「なんで!」
追撃。掠りはしたが有効打にはなっていない。
「答えなさいよ!」
こんなにも強いのに。こんなにも凄いのに。こんなにも格好いいのに。
「……これに。何の意味が、あるんですか。お嬢」
攻撃が防がれたと思えば、いつの間にか懐にまで潜り込まれていた。ワタシが鎌を引こうとする際のほんの僅かな間隙を突いて、
それでは格闘で勝負を決めに来たのかと言えばそうでもないらしい。もしそうだとすればとっくに浮かされてコンボを食らっていたに違いないからだ。では、狙いは一体どこにある。
瞬間。ゾワリと背筋が凍った。いつの間にか握っていたダガーが首筋に宛がわれている。なんて奴だろう。こんな、精神的にも揺さぶりをかけるような方法で首を取ろうなんてロクな人間じゃない。だが、こんなところでやられる訳にはいかない。死の予感に固まる体を強引に動かし、思い切り体を沈める。小さい体が功を奏してガラ空きの下半身を射程に捉えた。足を刈り取れば勝負は殆ど決する。
「だから、無駄なんですよ。……全部」
持ちうる中で最速のソードスキル《ランバー・ジャック》で鎌を横薙ぎに振るう。でも当たらない。ライヒはその場で跳躍し宙返りをしながら軽々と私を飛び越えてワタシの刃を回避した。ワタシが体制を整えている間にシステム操作で――おそらくは《クイックチェンジ》を使ったのだろう――ロングソード・レイピア(彼の自称)の構えに戻る。
「無駄なんかじゃ、ないわ。ワタシが後先度外視でゼノビアを斃そうとするのも、こうして今アナタをぶった切ろうとするのも、ワタシにとっては全部意味がある事なの」
「……面白い。そう思ったから俺は貴方に付いて行くことにした」
「前に聞いたわ」
「でも今の貴方は理解に苦しむ。こんな状態の――腑抜けた俺をさらに斬り殺そうとして、その先に何の意味がある? お嬢、貴方の行動には、未来がない。達成した後の、その先がない」
「それはアナタも同じでしょ!!」
鎌を振りかざす。向こうも同じように剣を振るう。余りの物言いの酷さに鍔迫り合いの状況であろうとも言葉をぶつけずにはいられなかった。
「過去だ未来だどーのこーの言いながら
もう片方の鎌を振るう。ライヒは防ごうとはしたが細剣でガードしきれるほど弱くは無い。鎌の先端がライヒの体に突き刺さる。
「どんなに頑張ってても、どんなに上手くいってても、もし全部ひっくり返ったとしても!
「何でだ……。何で、こんなになってまで戦えっていうのかよ!!」
気付いているのか、いないのか。分からないだろうけど。ワタシにも分からないけど。気付いてる? ちょっと感情が戻っている事に。 気付いてる? 今のアナタはもう虚無じゃない事に。
「へ、へえ。ちゃんと怒れるじゃない。感情垂れ流しにして泣けるんじゃない」
こんなのワタシの強がりだ。それでも言わなければならないが、彼の攻撃を凌ぎながら話すのは余りにキツい。
「なに……何、を。なにが……」
好きだから。全部じゃないけれど少しは分かってあげられる。分かってあげたいと思う。だって、諦めたくないから、もう一回立ち上がりたいからワタシに会いに来たんじゃないの? 今のアナタが死ぬほど嫌いだけど、本当のアナタはそうじゃないって知ってるから、こうして分の悪い戦いだろうと挑めるって、分かってほしい。
「……俺はっ――負けたくない……」
「誰でも同じよ……っ、そんなの!」
ライヒの《ヴォーパル・ストライク》を鎌専用重攻撃《モータル・ディバイド》で辛うじて受ける。だが
「調子に――乗らないで!」
ワタシだって以前のままじゃない。アナタの戦いを見て影響されないという方がおかしい。大型武器の一部ソードスキル発動中は
「な……っ」
もう一度、今度は右の《パンドーラ》ではなく左手の《ミーミック》で《モータル・ディバイド》。両利きじゃないし、左手に鎌を持っているのも片方の攻撃の隙を埋めるための追撃が目的だからあんまり威力は無い。でも、ソードスキルならまあまあ威力は出る。《ファントム・レイヴ》を一撃の威力で勝る《モータル・ディバイド》で強引に中断させる、が、こちらも体制を崩して転んでしまう。
これが精一杯。これ以上の連携はおろか、単発技に単発技を、しかも運が良ければまあなんとかギリギリ繋げられる程度。オマケにスーパーアーマーが前提。でも、今回は運が味方してくれた。そして、ここを逃してしまえば二度と正気は訪れない。気力を振り絞りステータス全開で立ち上がる。
両手の鎌を短く、深く握り直す。そして思い切り彼の元へと飛び込んでいった。両の刃を重ね合わせ、鋏のように閉じる。これは真似事なんかじゃない。間違いなくワタシの技で、そしてワタシの全身全霊。抱くように、包み込むように、その威力は瞬きの間のみ無限大になる。文字通り必殺の《OSS》。
「《デス・バイ・エンブレイシング》――!!」
ライヒの体を二本の鎌が横一文字に分断した。爆破音が後ろで響く。そして『WIN』の表示が視界を流れていった。ワタシは、勝てたの? あのライヒに、タイマン勝負で?
「はぁ……はぁ……っ。やってやった、わね」
集中力が切れたせいか思わず両手の鎌を取り落としてしまう。振り返ると、ゆらゆらと紫紺の
霊体化したライヒは驚愕の表情でワタシの顔を見つめていた。このままにしておくわけにもいかないから、仕方なく蘇生アイテムを使う。ライヒは復活するとその場にぺたんと尻餅をついた。ワタシはそんな彼の胸倉を掴み上げ、縋るようにして言った。
「アナタ……アナタね……。調子に乗りすぎなのよ。忘れてるかもしれないでしょうけど、ワタシだって《領主》なの!」
「そう、でしたね。……すみません」
違う。本当にワタシが言いたいことは、そういう事じゃない。思わず歯ぎしりをしてしまう。声も手も震えだす。
「何にも無いとか、言ったわよね」
「すみません。俺、リアルで本当に大事なものを失くしちゃって、それで」
「ふざけるな! ズルい、卑怯よ! 言い訳ばっかり! アナタは
強引にライヒの顔を自分の方に引き寄せて、ワタシは言い放った。
「
こんなのただの嫉妬だ。だけど、嫉妬で何が悪い。勝手だけど二人だけの旅路だとばかり思っていて、その中に突然ストレアだとかルクスだとか知らない人が――しかも女性プレイヤーばかりが――ライヒの元に集まってきて。しかもライヒがSAOをクリアに導いた《勇者》の一人だと分かって。自分が彼には分不相応だとこっそり思う時もあって。あの約束を、契約を、無かった事にされたくなくて。
「アナタは! ワタシがいいって言うまでずっとワタシと一緒なの! ワタシがいるのに何も無いなんて……二度と言わないで!!」
ライヒはぽかんとした顔になると、弾けたように笑い始めた。
「はは、あはははは!」
「ちょっ、何笑ってるのよ!?」
「だって、だって……あはははは……」
なんて奴だ。普通こんな状況で大爆笑をかますだろうか。やっぱりコイツはロクな人間じゃない。
「はぁーあ。ははは。……確かにそうでしたね。俺は、お嬢の野望を手伝う代わりにお嬢を頂いていく。そういう契約でした」
「……そうよ。なのにアンタは……。もういいけど」
「すみません。だから多分、もう、こんなザマは晒しません。誓います」
「そう、じゃあ何であんなザマを晒したのか話して」
「――――えっ」
「いいから話しなさい! は、な、す、の!」
「えぇ……マジで? いや、ちょっとそれは勘弁してほしいっていうか」
「話さないってことはアナタには罪悪感ないわけ? さんざん謝ってたのは嘘だっていう事かしら?」
「んー、あー……。じゃあ、はい、分かりました。お話しします」
「そう。じゃあ、聞いてあげるわ」
***
色々な話を聞いた。SAOでの出来事や、はっきりとは自覚していなかったものの彼自身にとってその殆ど全てがトラウマであったこと。その後遺症で現実の彼がおかしくなってしまっていたこと。そして、SAOで彼が愛した人が離れて行ってしまったこと。
薄々分かってはいたことではあるけれど、彼にかつて無二のパートナーがいたという事実に胸がちくりとした。一時でも彼に全てを委ねられていた存在を羨ましく思った。
「じゃあアナタは好きな人にフラれたからあんなになった……ってわけ?」
「有り体に言うとそう、ですね。ハイ」
溢れかえりそうになる感情を抑え込みながら、努めて呆れたように振る舞う。
「バカね、本格的にバカだわ……。本気で心配したワタシがバカだわ……」
「いやあの、流石に気を遣ってほしいんですけど」
気なんて遣ってやるものか。フラれた癖に諦めが付かないまま未練たらたらなのがよく分かる。自分の事ばかりで人の気持ちを顧みない奴に気遣いなんて要らない。本当はワタシの気持ちにも気付いているんじゃないのか思う程に、本当に自分の感情ばかりを優先する人間だ。
「今更そんな気を遣い合う仲でもないでしょ。アナタがSAOでどんな人間だったのかなんて別にワタシは興味ないわ、だから――正直に話してくれて嬉しかったわよ」
「お嬢だって、相当なバカじゃないですか。俺みたいな人殺しの話聞いて、それでも嬉しいなんて。本当に、バカですよ」
そう言うとライヒは堰が切れたように私の体に顔を埋めて泣き出した。
「ごめんなさい……ごめんなさい、お嬢。今だけ、許してください」
「仕方ないわね。本当に、仕方ない人」
本当の意味で彼の心がワタシに向くことは今後絶対に無い。それが分かってしまった。だからワタシも今だけはバカになる。この気持ちをずっと秘めたままには出来ないから、強く在ろうとしてきた『ミズチ』のこの姿で今だけ弱い『
子供のように泣くライヒの頭を慰めるように抱きながら、誰にも見えないようにこっそりと、静かに涙を流した。
「大丈夫よ、大丈夫。どんなに辛くても一緒に居てあげるから」
どうかこれからもずっとワタシと一緒にいてください、と祈りながら、ワタシはずっとライヒの頭を撫で続けた。
◆◆◆
SAOで時を過ごし、いつか壊れて変性し、やがてクリアを成し遂げて、ようやく現実に戻ってから。心の底からあんなに笑ってあんなに泣いたのは初めてだったと思う。俺には自分の事がよく分からなくて、周囲の求めるままに、求められるために、誰よりも弱いのに誰より強がってきた。
どんな奇跡か一度完全に消え失せたと思った関係を取り戻した。ある意味必然的に自分の空っぽさを自覚させられた。現実に戻ってさえも自己が揺らぐのは、誰もが自分の事を《御影》のライヒとして見ているのではないかという勝手極まる自意識のせいだ。
現実の俺は間違いなく『四条謳歌』であり、それ以外の何者でもない。師匠が、ひよりが俺に会いに来てくれたのも『ライヒ』としての俺ではなく現実の『謳歌』に会いたいと思ってくれたからだ。勝手に自分を卑下し、自分の価値は『ライヒ』にしか無いと思い込んだ。
みんなは『四条謳歌』を見ている。『四条謳歌』を見てくれている。お嬢は俺にそう教えてくれた。これからもきっと散々迷うかもしれない、だが本当に勝手なのは分かっているが、お嬢が支えてくれるなら、お嬢が諭してくれるのなら、俺は立ち直れる気がする。全くバカだ。俺は同じことばかりを繰り返している。
もうレインはいないけれど。それは本当に悲しくて辛い事だけど。いい加減過去の呪縛から解かれなくてはならない。
SAOは、もう、無い。他でもない俺が、俺たちが破壊したのだから。
◇◇◇
瞼を持ち上げた。そこは俺の部屋で、カーテンが締め切られているせいか不快感は無かった。それでも何故か点滴やら心電図やらが置かれていて、俺が本当に壊れていたという事を改めて自覚させられた。両親や詩歌、木綿季を殴りつけた感触が今更ながらに感じられる。
「すぅ――すぅ……」
俺のベッドに体を預けながら、詩歌が穏やかな寝息を立てていた。起こさないようにそっと福の袖を捲る。俺のひ弱さもあってか骨折には至らないが、決して無視できない痣がいくつか見えた。
「詩歌、俺は……」
頭を撫でようとして、すぐに思いとどまった。俺が今後詩歌や木綿季に触れる事は許されない。せめて償いを。何の意味も成さないとしても謝罪を。
「ごめん。俺が悪かった。本当にごめん……」
「ぇ……あ、兄さん?」
詩歌と目が合った。こんな俺なのに、俺を諦めないでいてくれたのか。頭を掻きむしりたくなる程の罪悪感に目を逸らしたくなるが堪える。
「よかった……起きたんですね。よかった、本当によかった」
そう言うと詩歌は俺に縋りついて泣き始めた。何となく俺と似ているんだなと思う。俺も恥ずかしながらみっともなくお嬢に縋って泣き崩れていたばかりだ。
「三日三晩ずっと眠ってたんですよ……。だから、前に兄さんが行ってしまった時みたいに、また、会えなくなるんじゃないかって……」
「悪かった。俺、気付いたから。みんなの事夜な夜な殴ってたこと、本当にごめん。謝って許されることじゃないけど、もうしない。これだけは約束する」
「あれくらい、どうってことないです。兄さんだって辛い思いしてきたじゃないですか。妹なんだから分かるんです。痛いのも悲しいのも、全部一緒に背負いたいって……、そう思うんです」
「俺、向こうですごく大事に思ってた人から多分……もういいって思われてて、自業自得なんだけどさ。辛くて辛くて、だからもう何もかもどうでもいいって投げ出そうとしたんだ」
詩歌は何も言わない。なんて優しいんだろう、なんて誇らしい妹なんだろう。普通この年の女子であれば兄なんか嫌がっても不思議じゃないのに。
しばらくそのままでいると、ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえた。勢いよく部屋に入ってきたのは菊岡さんと比嘉さんだった。
「謳歌君……。君は、何という事だ……。君は、本当に自力で戻ってきたのかい?」
「え? それはどういう……」
「あれだけ壊れ、乱れていたフラ――もとい脳波が突然正常に戻ったんっスよ! 茅場晶彦との戦いにおける頭部への一撃が君の精神に大きな損傷を与えた……いや、他にも要因はある。でも、いずれにしても自覚できない程に破壊された心を自分で調整するなんてまさしく奇跡――神業だ……。本当に、何があったんっスか!?」
「ええ……」
突然入ってきて開口一番よく分からないことを言いだす比嘉さんと、心底驚いた様子の菊岡さん。正直もっと他に言うべきことがあるのではないかと思うのだが、あるいはそれも俺の心配の裏返しなのだろうか? 何があったのかと言えば、そう――。
「俺を、ちゃんと壊してくれた人がいたんです」
「
「俺には……俺には、よく分かりません」
菊岡さんは、そうなのか、というとそれ以上の追及はしなかった。両親と木綿季を呼んでくれて、改めて再検査の日程を組んでくれて、治療用具の片づけの手配をして他にも仕事があるからと戻っていった。
その日の夜は家族会議だった。内容としては本当に大丈夫なのかという確認と、いままで出来ていなかったお帰りなさいの会。出前で寿司やピザを注文して、家族で映画を観たりゲームをしたりして、散々遊んだ後に眠りについた。いや、眠りに付こうとはしたのだが、ずっと眠っていたせいか俺はなかなか寝付けないでいた。
「あの、兄さん。起きていますか」
「詩歌っ……!? ああ……詩歌か」
「なんでそんなに驚くんですか」
「いきなり入ってこられたら驚くだろ」
「いいじゃないですか、起きていたのなら。――あの、ちょっとだけ一緒に居てもいいですか」
「それはいいけど……」
詩歌は俺とは違ってずっと俺の事を見てくれていたのだから疲れているはずなのに、なぜだろう? まあ少し話すだけなら……と思っていると、突然詩歌がベッドに入ってきた。
「おいっ! 馬鹿か! 木綿季の布団あるだろ!?」
「うるさいです。木綿季さんを起こしちゃうので静かにしててください」
そう言われては黙って成すがままにされるしかない。じっと動かないで待つ。当然詩歌とは反対の方向を向く。
「こっち、向いてもいいんですよ?」
「アホか。出来るわけないだろ」
「嘘です。からかっただけですよ」
詩歌はくすくすと笑う。俺もため息交じりに少し笑った。それからは話がぷつりと途切れてしまう。俺も、詩歌も何も言わない。そういえば、SAO以前の俺は詩歌とここまで親しかっただろうか? 思い出せない。本当に、何も。だから、これを機会に聞いてみようかと口を開いた。
「なあ詩歌。俺って――」
「――兄さんは」
言葉を遮られる。凛としたその声に、このまま割って入ることは躊躇われた。
「兄さんは、木綿季さんとの事を覚えていますか」
「話したけど、俺、昔の記憶が無いんだ。木綿季って親戚がいて、近所に住んでて、何でか離れ離れになったのは覚えてるけど。それ以上の事は思い出せない」
「兄さん」
「うん」
「もし、もしもの話です。私が兄さんと木綿季さんを引き離した原因だって言ったら――私の事を恨みますか?」
俺と木綿季の離別の原因が、詩歌にあるとすれば。正直なところピンとこない。そもそも俺と木綿季は友達と言えるほどの仲だったのかも分からないし、実際そういう訳でもなかったのだろうと思っている。親戚という関係上仲が悪かった訳でもなさそうだが、今のように懐かれる理由があるかといえばそれも分からない。
ただ、木綿季本人ではなく、木綿季の周囲の何かが嫌だったことはぼんやりと感じている。その何かが嫌で嫌で仕方がなくて、俺は――。だめだ、これ以上は余りに抽象的過ぎて自分の中で上手く噛み砕けない。
「正直、特にどうとも思わないっていうか何とも思えない。でもお前は俺とは違って頭がいいから、たとえそうだとしても理由があったんじゃないか」
「本当にそう思ってくれますか。勝手なことをしたとは思いませんか」
「さあ。もしも全部思い出せたとして、もし俺がそう思っていたとしても、昔の事なんだから恨みようがない」
「そう――ですか」
また会話が途切れる。互いの吐息だけがはっきりと聞こえる。
「兄さんは、あったかいですね」
「お前もおんなじくらいだろ」
「そうですか」
「そうだよ」
「そうですね」
「うん」
俺は瞼を閉じる。幾度も現れる亡霊に、完全にとどめを刺した。そんな幻想、もしかしたら夢かもしれない。そういう類の何かを見た。俺は笑っていた。眠りは暖かく、そして穏やかだった。
◇◇◇
影の城の一番高い場所にある一室で、踊る姿があった。
「うふふ、うふふふふふ」
影の妖精を束ねるその者は、扇子を手に幽玄に踊っていた。その傍らには、大きな影がもう一つ。
「何故、嗤う」
「だって、可笑しいじゃない。まさか求めていたものが向こうから会いに来るかもしれない――なんて、こんなに嬉しい事はないでしょう?」
「理解しているのか、この先、修羅の道は長く険しい」
「貴方こそ。それが分かっていて何故私と同盟を組んでくれたのかしら?」
「――《トリックスター》。或いは、《
「壊す者。創る者。そして導く者。私だけじゃない、この世界そのものをを引っ掻き回す存在よ。その実在は正直分からないけれど、彼であったなら……。うふふふ」
「ゼノビアよ、我らノームが汝らスプリガンに手を貸す理由。忘れた訳ではあるまいな?」
「勿論よ。《転覆構想》――。虐げられる者たちを虐げるものに、願わくば永劫、敵わなくとも一時。《勝利》という事実を」
「一時では意味がない。続かなければ価値がない。ゼノビア、汝はそれを叶えんとする力があると公言して見せた。だからこその賛同だという事を忘れるな。貴様は試されている。その行く先が正しいのか、否か」
「いいじゃない、今は。まだ何も始まってはいないのにそれ以上を考えるのは無粋だわ。――ああ、《御影》のライヒ。もし貴方であったのなら嬉しいわ……本当に、ね。まあ事実関係を辿れば十中八九、正体はシオンなんでしょうけど。ま、いずれにしてもシルフは潰すから構わないわ」
扇子が畳まれる。今宵はここまで。
夢を見るのは誰しもが同じこと。例外は無く、あるいはそれが現実に起こりうるか否かは夢見の本人の手にこそ委ねられている。
実現すれば世界を完膚なきまでに壊す夢である。
SAOというある種の極限状態において適応できるかそうじゃないかはやっぱり個人差があるのかも、というお話ですね。完全に適応出来た人、出来なかった人、不完全だった人。色々いるんじゃないかと思います。
さて、国盗り編もそろそろ大詰めです。あともう一山か二山……の、はず。
感想その他お待ちしております。