あの時鮮明に浮かんだのは、避けようのない敗北のイメージ。
央都アルンで初めてゼノビアと話した時の事。もしもお嬢より先にこの人の出会っていたのなら、と。ほんの僅かであるが想像してしまった。この世界を経済で牛耳る悪の女帝の手先として、剣を以て暴虐を成す――なんて可能性もあったのかもしれない。もちろんあの二人が姉妹だったという事は知らなかったが、そうであるという事実が俺に別の可能性を連想させたことに無関係という事はないだろう。
そんな事を考えるからか、彼女――ゼノビアには少しだけ後ろめたさがある。単に恨みをかっていること以上に、俺自身になんの動機もなく彼女に挑んでしまった。お嬢の野望だからだとか世界の混乱がどうとか、
だからこれは、お嬢を裏切るとかそういうのではなくて。
「いいよ。連れてこれるかは分からないけど、行くだけ行く。それでいいなら地下探検でもなんでも引き受けるさ」
直接会って、話してみたい。
それを聞いたゲントクは鷹揚に頷くと、テーブルにいくつかの地図を広げて見せた。
「早速で悪いが、ある程度ヨツンヘイムについての説明をさせてもらう。少し長くなるが我慢してくれ」
アルヴヘイム・オンラインの世界観は北欧神話をベースとして形作られている。モノの固有名詞はその北欧神話から来ているし、武器もまたそれにちなんだものが多い。そして世界そのものは三つの層状になっていて、上からアルヴヘイム、ヨツンヘイム、ニブルヘイムと分けられているそうだ。ハイティースタンドを想像すると分かりやすい。三つの連なった世界を、世界樹という長く太い柱が支えている。
しかし柱と形容しているだけで、ユグドラシルの本質は「樹」である。その梢に宿る聖なる力の源はヨツンヘイムやニブルヘイムから吸い取ったものではないのか……という考察も存在する。自然の恵みとしてアルヴヘイムに現れるその恩恵を、元は自分たちの世界のものだった力を不当に奪われているとして邪神や霜の巨人は誰に知られることもないままその憎悪を煮えたぎらせているのかもしれないとかなんとか。
「色々と注意点はあるが、地上との大きな違いとして妖精である我々プレイヤーはアルヴヘイム以外では羽を使うことは出来ない。地下世界に設定されたマップに足を踏み入れた瞬間に羽そのものが力を失ってしまうのだ」
「それじゃあ移動手段はどうなる? 単純に考えて地上と同じかそれ以上の広さがあるマップをどうやって探索するんだ」
「徒歩しかない、現状ではな。勿論可能性が皆無であると断言できないだけで、邪神を何らかの方法によって手懐けるという前例が噂程度ではあるが存在する」
「つまりそんな再現不可能な事例を方法の一つとしてはカウント出来ない、と。確かアレだろ? 邪神ってそもそもが妖精の敵対者だからケットシーのテイムも無効なんだとか」
「その通り。しかし種族ぐるみで対立していたとて、個人間での関係はそれとはまた別だ。長年戦争で傷つけあってきた国同士の人間だったとしても、その出会い方が争いでなければ融和の道もあるだろう。或いは争いであるからこそ分かり合えることもあるのではないか――、我はそのように考える。今の貴様と我がこうして対話できているように」
「…………。まあ、そういう事もあるのかな」
今更否定はしない。
何度も行ったり来たりを繰り返したが、否定できるようなことじゃ、ない。
「我は奴に使われていただけだ。妹の心をへし折るための道具として――それすらも打ち破った貴様なら奴とも向きあえるのではないかと、そう思ったから貴様に頼んだ」
「ゲントク、お前ゼノビアの事好きなの? 嫌いなの?」
「あの女狐をか? ははは、冗談でも勘弁願いたいな。あんな腹黒銀髪を相手に恋愛などそれこそ貴様の方が似合っている」
なんなんだこの男は――と思いながらまったく口を付けていなかった水を飲み干す。
「まあなんだ、ところで……これは何となく気にかかったのだが、貴様の連れはどうしている」
――うん?
「俺の連れって誰の事だよ。お嬢なら領主館にいるけど」
「いや、そうではない。貴様の仲間にノームの大剣使いがいただろう?」
ノームの大剣使い……もしかしてストレアの事か?
「アイツならノームの街で世話になってるって聞いたけど。話があるなら呼ぼうか?」
指を揃えて縦に振り下ろす。慣れ切った操作でストレアあてにメッセージを送ろうとするが、ゲントクは慌てた様子でそれを止めにかかる。
「なんだよ、用があるんだろ」
「いや止せ、止めろ、止めろと言っている。特に用があるわけではないのだ」
身を乗り出して強引に腕を押さえつけようとするものだから、じゃあいいのか、とホロキーボードに掛けていた手を止めた。
「あの重戦士、ストレア……とは何度か戦いを共にしてな。可能ならその、ノームの軍勢に来てはくれないかと思っていてな。少し」
ああそうとも少しだけ、とゲントクは言う。
「そっか、それはいいことを聞いたかな」
「――なんだと?」
「何でもだよ。アイツが俺から離れて好きに過ごしてるなら、それが俺は一番いいんだ。良ければ引き取ってやってくれ」
俺があの世界で最後まで生き残った理由にして、最後の戦いに赴かなければならなかった理由。それがストレアという名を付けられたAIと俺との関係性。
その後は一時的に俺のナーヴギアの内蔵メモリをよすがとしていたが、この世界に引っ越してきてからはもうその必要もない。もしこの世界も終わりを迎える時がきたのなら、その時にまた俺か他の誰かの手を借りて別の世界で生き続ければいい。そしていつか自分の人生に満足したのなら……、消えれば、いい。
「貴様に任せていいのかどうか、今更だが不安になって来たな」
「なんでだよ、さっきの言葉は嘘かよ」
「いつだってストレアは
妙な話だ、と思う。ストレアからすれば仮想世界での生活こそが完全なものであるはずなのに。
「貴様は人の心を
「はは、どうだろうな」
そんなこと日常的にみんなやっているだろう。
例えばベータテスターならみんなビーター、とか。
「まあいい、領主のほぼ全員を毛嫌いしているゼノビアを連れ戻せるとすればどのみち貴様しかいない」
「そりゃどうも」
どの面下げて会えばいいのか分からない俺の気持ちを無視するのは、友人として頼みごとをするためだと納得しておこう。
「ああそれと、これは個人的に話したかったことなのだが。貴様の、あの
「あれがどうかしたのか?」
「使うな」
「は?」
「あの力を、お前は使うな」
意味が分からない。
「あれは俺の力だろ」
意思を形にする力。心をわが物とする力。幻想と踊る、愚者の力。
「あの時あの場所で、貴様は――」
「そうだな。誰かさんを思い出してたりした」
多くの人同様に、こいつもあの決戦の様子を見ていたのだろう。
あの時俺が身の丈に合わない力を振りかざしたように、俺はあの時のような力を求めた。《ALO》に残るという《SAO》の面影が呼応したのか、俺の無我夢中が産んだイメージの強さがそうしたのかは分からないが、俺は
「もし貴様が本当の意味であの世界から解き放たれたいなら、その力は使うべきではない。あの時の貴様は紛れもなく魔王と対峙していた時の貴様そのものだったからだ」
「お前に俺の何が分かる」
「分かるとも。お前にとっての魔王を演じた我ならば」
構図としては、確かにそうなる。お嬢にとっての魔王に当たる人物はゼノビアだが、あの時の俺にとって一番の障害はこのゲントクという男だった。
「故にこれは友人として忠告する。貴様のために、貴様はあの力を使わないでくれ」
「ふ~ん。それで、ライヒはその後なんて言ったの?」
ヨツンヘイムに続くという隠し階段をストレアと二人で進んでいく。その道中に暇つぶしで話したゲントクとの会話は、どうやらストレアの興味を引いたらしい。
「別に、なんにも」
今日のストレアはピクシーではなく俺と同じプレイヤーの姿だ。ストレアの姉に当たるユイはピクシー形態しか持っていないようだが、ストレアは戦うことがどちらかと言えば好きな部類であるらしく孫為にプレイヤーとしての姿を得たのだとか。
「そんなつれない事言わないでさ~、せっかく二人きりなんだし秘密の話とかしようよ」
「俺の秘密が欲しいなら心を読めばいいだろ」
「なんか最近冷たくない? 戦力としても相棒としてもアタシがライヒに嫌われる要素ないと思うんだけどな~」
そうなのだ。
「はぁ……お前さ、少しは自由に生きていきたいとか思わないのか? 俺と一緒にいたって窮屈なだけだろ」
「ライヒのいう自由を行使した結果アタシはライヒと一緒にいるんだけどな~」
俺がどれほどストレアの本当の自由を願っていたとしても、他ならぬ俺自身がストレアから逃げきれないでいる。
「アタシさ、そもそもライヒが思うほど正確にヒトのココロなんて分かってあげられないよ? ライヒは見てて分かりやすいだけ」
ただ適当に生きているのではなく、そこには確たる理由付けがある。
「ヒトのココロのケアのために生み出されたアタシだけどさ、別にそのことに不満があるわけじゃないんだ。そもそもアタシはユイみたいに直接人のココロにアプローチするんじゃなくて、アタシ自身の在り方で周囲を良くするっていうコンセプトで生まれたから。だから悪意を全部取り込んでそれを殺させるっていう結果も、アタシからすれば間違いじゃない。その上で『助けた責任を取れって』言ったキミの方がおかしいんだよ」
そこまで深い考えあってのものではない。俺はただ、俺なんかを救った挙句に死ぬなんて、それこそがおかしい事だと反射的に叫んでしまっただけの事。
「ライヒのココロががちゃんと治るまでは、アタシはアタシであり続ける。ソードアート・オンラインで終わったはずのアタシに意味をくれたのは紛れもなくキミの言葉なんだから」
ストレアの言葉に何も返すことが出来なかった。俺とストレアの靴が階段を叩く音だけが回廊に虚しく響く。
階段を下りて行けば行くほどに空気は冷えていく。どこかのどかで温かみのあった地上の雰囲気を置き去りにして俺たちは進んでいく。
「あ、そろそろ到着するみたいだよ」
「ここがヨツンヘイムの入り口……」
アインクラッドのフロアボスの部屋の扉を思わせる大きな扉が目の前に屹立する。
「それじゃあ行くぞ。ナビゲーションは任せた」
早めに投稿できました、アクワと申します。
前回の投稿は一年以上もお待たせしてしまったというのに多くの方々に読んで頂けて本当に嬉しいです。引き続きお付き合いいただければと思います。
感想その他お待ちしております。