ミコトからはやてへの二人称が一部「お前」になっていたので「君」に修正
八神はやてという少女の第一印象は、「逆境に負けない少女」だ。生まれつき足が不自由というハンディキャップをものともせず、明るい笑顔を絶やさず和を作る子だと思った。
オレとの会話を成立させるだけの知性と語彙は、読書によって培われたものだそうだ。外で元気に走り回れない分、妄想の中で大冒険をしていると冗談交じりに語っていた。
もっとも、それだけではオレの「プリセット」と対話できる理由にはならないだろう。頭の中の大冒険から必要な経験を抽出できるだけの才覚があってこそだと思う。
それでいて、クラスの中で浮いているわけでもない。オレとは違い会話を合わせる能力を持ち合わせている。むしろ健常者であるオレの方が浮いていた。
彼女はそんなオレをクラスの和の中に溶け込ませようと努力したが、やはり巨大な異物を混じらせることは出来なかった。
「わー、さっちゃんの消しゴムかわいいー! どこで買ったのー!?」
「えへへ、すごいでしょ! 駅の向こうに、こういうの売ってるお店があるんだよ!」
「いいなー! わたしたちにも教えてー!」
「ほんなら、今度の休みに皆でお買い物行こうや! そだ、ミコちゃんもどうや?」
「間に合っている。それと、日曜は既に予定があるから無理だ」
『…………』
「あ、あははー。そか、そら悪かったわ。あ、あー、そんなら来週の日曜でも……」
「向こう一ヶ月は無理だ。それと、オレには自由に出来る資金がそこまでない。他を当たれ」
それっきり、空気が悪くなって三々五々に散っていくクラスメイト。八神はやてのみ、席がオレの後ろであるため移動せず。
「むー。ミコちゃん付き合い悪いでー。あんな言い方されたら、そら皆気分悪くなるわ」
「余計な期待を持たせないためには、ばっさり切り捨てた方がいい。君はオレの事情を知っているだろう」
「……そら、分かっとるけどー」
八神はやての家は、オレの住むアパートのはす向かい。彼女の希望で一緒に下校した際に分かったことだ。
その関係で、オレが孤児院出身であること、今は実質一人暮らしであることを知っている。そしてオレもまた、八神はやてが家族を失っていることを知っている。
似たような境遇、鏡写しの関係。それでいてこれだけの差異が出るというのだから、人間は不思議なものだ。
「わたしは、ミコちゃんが皆に嫌われるのが嫌やねん」
「酔狂なことだ。オレはまるで気にしていないのに、何故君が気にしているのか理解できない」
「ミコちゃんには理解できんわ。わたしらがミコちゃんを理解できないのとおんなじ」
彼女の特筆すべき点として、オレが「違う」ということを理解している。これは、いつかの少女は辿り着かなかった事実だ。
だから彼女は、オレを理解しようとしない。理解せずとも対話できる方法を模索している。これには素直に感心している。
この歳どころか、大人になっても誰もが出来ることではない。間違いなくこの少女の器の大きさ故だろう。
現時点でオレの尊敬する人を挙げろと言われたら、ミツ子さんと八神はやての二人の名前を出す。それぐらいのことだ。
「ミコちゃんのええとこを分かってる、なんて知ったかぶりはせんけど。一番仲良うしとる子が嫌われ者っては気に食わんやん?」
「そういうものか。しかし、オレと君は仲が良かったのか。初耳だな」
「今初めて言うたもん。少なくとも、わたしはミコちゃんと話してる時が、一番楽しいで」
「ふむ。そういう価値判断で言えば、確かにオレも一番仲が良いのは八神はやてということになるな」
「せやろ? だから、早よわたしのこと「はやて」って呼びや」
「機会があればな」
確かに尊敬はしているが、それとこれとは話が別だ。
日曜には予定が入っていると言った通り、オレの日曜は大抵内職で潰れる。平日の昼間は学校に行っているため、日曜に集中してやらなければ収入がない。
収入がなくなれば、ミツ子さんが補填してくれるだろう。だがオレはそれに甘える気はない。たとえ彼女がいいと言っても、オレにとっては借りを作ってしまうことになる。
孤児院時代、「子供は大人に甘えるもの」と言われたことがある。これはオレには当てはまらないと思っている。
確かにオレは、生まれて6年ちょっとの子供だ。だが精神が完成され、相応の知識も保有している以上、オレは子供ではない。かと言って大人とも言えない。
何なのかと問われれば、「外れ者」と答えるしかない。今のオレは、力を持たない故に社会に寄生することしか出来ない「外れ者」だ。
だから、生き延びるために動かなければならない。それが初めから知識を持って生まれたオレが払うべき代償だと思う。
ミツ子さんからいただいた内職は造花作り。専用の紙を折り、テープで巻いてバラを作る。最初の頃は一つ作るのに5分ほどかけて、出来もあまりよくなかった。
一年間続けた結果、最近では一つ当たり30秒まで短縮することが出来た。1時間に120個、9時間休まず続ければ1000個を超える。
単価は10円となっており(相場より高いらしい、恐らくはミツ子さんが交渉してくれたのだろう)朝8時から夜9時まで、休憩を2時間挟んで1320個という計算になる。つまり、13,200円分だ。
この部屋の賃料は一月6,000円に設定されており、気合を入れれば日曜一日で賃料分は賄える。水道光熱費に関しても全部合わせて5,000円以内に抑えているため、これもカバー可能だ。
つまり日曜とは、皆にとっては休みであっても、オレにとっては最大の稼ぎ時というわけだ。
だというのに、だ。
「やっほーミコちゃん、可愛いはやてちゃんが遊びに来たでー」
こうやってオレの一番のクラスメイトを自称する少女が邪魔をしにくれば、胡乱な表情にもなろう。
安アパートの古い扉を開けた向こうにいたのは、松葉杖で体を支えている八神はやてだった。
オレは彼女に向けて一言。
「帰れ」
そう言って扉を閉めようとした。が、松葉杖が挟み込まれて阻止される。
「ちょ、待ちいや! いくらわたしかてその扱いは傷つくわ!」
「知らん。オレは忙しい。邪魔をするな」
「知っとるけど、ちょっとはこっちの話も聞きや! ミツ子さんの許可はとっとるんやって!」
彼女の名前を出されては無下には出来ない。こちらは借りを作っている立場なのだから。
渋々扉を開け、八神はやてを部屋の中に招き入れる。彼女は呆れとも感嘆とも取れるため息をついた。
「うわー。話には聞いとったけど、殺風景な部屋やな。綺麗は綺麗やけど」
「必要最低限を置いているだけだ。オレに不満はない」
この部屋にあるものと言えば、食卓件勉強机件作業台のちゃぶ台、小型の本棚、ランドセル、及び内職用の段ボールのみ。寝具やら箪笥やらは押入れの中だ。
光熱費を抑えるため冷暖房は存在しないし、冷蔵庫もミツ子さん宅のを借りている。夏場は薄着で、冬場は厚着で耐えればいい。
部屋の清潔に関しては、オレ自身が汚れた場所での生活を好まないため、掃除には力を入れている結果だ。入居時より綺麗になったとミツ子さんのお墨付きを頂いている。
八神はやてをちゃぶ台の前に座らせ、水を出す。冷蔵庫なんてないからジュースもない。彼女は苦笑を返した。
「ほんま、小学生とは思えん生活しとるな。頭が下がるわ」
「贅沢は敵だ。必要のないものは切り詰めなければ、この歳で一人暮らしなんぞ出来ん」
「ミコちゃんは、自分で稼いでんのやもんな。おじさん頼りのわたしとは大違いや」
彼女も一人で生活をしてはいるが、後見人がいる。亡くなった父親の遠戚であるイギリス人だそうだ。遠くに住んでいるため会ったことはなく、手紙でやりとりをしているらしい。
毎月それなりの額を振り込んでもらえているらしく、彼女はオレのように内職をする必要がない。もっとも、オレのこれは自分が望んでやっていることだが。
「で?」
ともかく、用件を聞こう。こちらはこの後やることがたくさんあるのだ。内職的な意味で。
「でっていう?」
「違う。何をしに来たか聞いている」
「最初に言うたやん、遊びに来たって」
「忙しいと返答をしたはずだが」
「諦めたとも言うてへんで」
なるほど、つまりオレの邪魔をするつもりか。
「そうや。ミツ子さんにも「ミコちゃんの邪魔します」言うたら「お願いする」って返されたんよ」
「……あの人は、オレとはドライな関係を保っていると思ったんだがな」
「だからわたしにお願いしたんちゃう? わたしが勝手にやったことなら、ミツ子さんは関係あらへんし」
そうだろうな。あの人はオレとの距離感を大切にしているが、その上で出来ればオレに子供らしく過ごして欲しいと思っている節がある。そのために八神はやてを利用したのだろう。
「心配するのはしゃあないやん、ミツ子さんはミコちゃんの保護者なんやから」
「身元保証人だ」
「ミコちゃんの主観としては、やろ。ミツ子さん的には、やっぱりミコちゃんは「自分の子供」なんやと思うよ」
「知っている。その上で、オレはオレの考えを通させてもらった」
「……はあ。筋金入りやで、ホンマ」
筋金入りの個人主義者だ。そういうパーソナリティを生後すぐに確立してしまったのだから、仕方のないこと。
八神はやてもそれは分かっているだろう。分かった上で、対話の方法を模索しているのだ。だから尊敬しているわけだが、正直今は鬱陶しい。
オレとしては、さっさと彼女にお帰りいただいて、内職作業に戻りたいのだ。
「どーしても遊びたくない?」
「資金稼ぎの方が優先される」
「わたしはミコちゃんと遊ぶ方が優先度高いよ」
「平行線だな」
「せやね」
オレにはこの少女を説得する手立てがない。同じように、彼女がオレを説得することも適わない。
今この場に必要なのは、妥協案だ。
「この部屋の中で遊ぶことを許可する。その代わり、オレの邪魔はしないでもらおうか」
「うーん、そこが今日の限界みたいやね。しゃあない、妥協したるわ」
まあ、この部屋に遊び道具なんぞあるわけがないのだが。テレビやゲームはおろか、トランプなどの非電源ゲームすら存在しない。
その辺は、八神はやてが持ってきた鞄の中に……。
「おい。何だその櫛やらリボンやらは」
「今頃気付いたん? そんなん、ミコちゃん弄りの道具に決まっとるやん」
「邪魔はしない約束だ」
「ちょいちょい髪弄るだけやから、邪魔にはならへんやろ。ミコちゃんせっかく可愛いのに、適当にしとるせいで素材全部ダメにしとんのやもん。女の子としては黙ってられんわ」
曰く、「これはクラスの総意」だそうな。信憑性は不明だ。……はあ。
「邪魔になったら追い出す。あとは好きにしろ」
「りょーかい。ほんなら、まずは髪を梳かそかー」
そう言って八神はやては、無駄に伸びたオレの髪を梳かし始めた。ちなみに、伸ばしていたのではなく床屋代を節約した結果である。美容院などもってのほかだ。
「ふわー、この髪やわくてすべすべで癖になりそうやわー。どんな手入れしとん?」
「特に何も。ミツ子さんが用意したシャンプーとコンディショナーを使っているだけだ。他に考えられるとしたら、食生活の恩恵だろうな」
「食生活って、何食べとん?」
「主にもやしだ」
「うわぁ……」
もやしバカにすんなよ? 調理法次第で高級料理に早変わりなんだぞ、あれ。
八神はやてと会話をしながら、手は次々造花を作っていく。我ながら慣れたものだ。
「えらい早いなぁ。手元見ても何やってんのかさっぱりやわ」
「一年も続ければ、誰だってこのぐらいにはなる」
「よう根気持つなー。さすがはわたしの一番のクラスメイトやわ。まずは三つ編みからなー。わたしやと短すぎてできんから、楽しみやわ」
「伸ばさないのか?」
「手入れが大変そうやからなー。触れば分かるけど、結構癖っ毛なんよ。ミコちゃんみたいな天然キューティクルってわけにはいかんねん」
「そんなものか」
「そんなもんです。興味ないのは分かるけど、ミコちゃんも女心ぐらい分かるようにならんとな」
「分かってどうなるという話だがな」
彼女お得意の方向性のない会話だ。普段はあまり好きではないが、何かやりながらだとちょうどいいかもしれない。
「出来たでー。って、この家鏡もないんかい!」
「オレが必要としていないからな」
「ああもう、手鏡どこやったっけ!」
がさごそとバッグを漁り、ようやく出てきた手鏡でオレを映し出す。
完成した造花を段ボールに入れる瞬間にチラリと見る。
「似合わんな」
「そらこんな野暮ったい服装じゃなー。今度来るときは可愛い洋服も持ってくるわ」
「いらん。というか次がある前提で話をするな」
「わたしの目標は、可愛い格好したミコちゃんを外に連れ出すことやで。無理な相談やな」
「はた迷惑な目標だ」
奇異の視線を集めそうだ。断固として拒否させてもらおう。
そうして八神はやては、オレの髪型を弄って遊んだ。ポニーテールやらツインテールやら、オリジナルアレンジやらを試した。
オレとしてはどれも似たり寄ったり(似合わない)だったが、彼女的には得られるものがあったようだ。
いつの間にやら12時になっており、昼の休憩だ。
「お邪魔してもうたし、今日のお昼は私が作るわ」
俺が伸びをし立ち上がろうとすると、それより早く八神はやてが松葉杖をついて立つ。
その申し出自体は、ありがたいと言えばありがたい。同じ姿勢で作業を続けていたため、体に若干の疲労感がある。楽が出来るならば、それはそれで嬉しい。
だが。
「狭いキッチンでの調理には慣れていないだろう」
八神はやては足が不自由だ。移動には松葉杖が必要で、あいにくとこの部屋はバリアフリーな設計にはなっていない。ただの安アパートの一室なのだから。
そんな環境で、たとえ彼女が年齢不相応に家事に慣れていたとしても、小学一年生の子供が適応できるとは思えない。
案の定、彼女は「確かに」と考え込んでしまった。触れなかったが、食材はミツ子さん宅から持ってこなければいけないという問題もある。彼女一人での調理は無理だ。
そう結論付けたが、彼女は名案が浮かんだと手を叩いた。
「せや、ミコちゃんがうちに来ればええやん!」
確かに、八神家はこのアパートのはす向かいで、そう遠くない。十分可能な距離だ。
「だがオレは食事が終わったら内職の続きをするつもりでいる。短距離とは言え、移動は望ましくない」
「でも、わたしはミコちゃんに御馳走したいんよ。ミコちゃん、借り作るのも嫌いやけど、貸し作るのも嫌いやろ?」
彼女に「変なの」と言われたオレの性分は、ちゃんと覚えているようだ。その通りである。
……仕方がないな。
「分かった、その提案に乗ろう。乗るから、死ぬほど似合わないこの髪をどうにかしてくれないか?」
「えー? せっかくの力作やのに。可愛いよ?」
「可愛さも格好よさも求めてないんだよ、オレは」
八神はやて曰く、「ストレートロングアレンジお嬢様スタイル・HAYATEカスタム」だそうだ。意味が分からん。
結局彼女を説得することは出来ず、オレはそのまま外に出ることになった。時間を無駄にするぐらいなら、とっとと用事を終わらせた方がいいという判断だ。
どうせ距離は短いのだから、そんなに人とは会わないはず。そう考えていたら、アパートの階段を下りたところでミツ子さんと遭遇する。
「あらあら、随分可愛らしくなっちゃって」
彼女はオレと八神はやてを微笑ましいものを見るような目で見てきた。オレは失礼のないように挨拶を一つしてから、変わらぬ仏頂面で返す。
「錯覚です」
「そんなことありませんよ。私はとても可愛いと思います。ねえ、はやてちゃん」
「自信作やからな。ミコちゃんをうちまで借りますね」
「ええ、どうぞどうぞ。遠慮なく連れ出しちゃって」
ミツ子さんは終始ニコニコしたまま、オレ達のことを見送った。解せぬ。
八神邸は二階建ての一軒家で、敷地面積はミツ子さんのアパートと同程度。つまり、オレの部屋とは比べ物にならない程度に広いということだ。
少女に促されて玄関に入る。一人分の生活感しかない、不相応に広い玄関。情報として知ってはいるが、収まりが悪い感覚を覚える。
八神はやてはとうに慣れているのだろう、不自由な足からよどみなく靴を脱ぎ、フローリングの床に上がる。
後から続いて履き古しのスニーカーを脱ぐ。通されたリビングは、やはり不相応に広かった。
「ミコちゃんはソファでゆっくりしとって」
「遠慮する。二人で調理した方が早いだろう」
「えー。それやと御馳走することにならんやん」
「君がメインでやればいい。移動が発生する作業をオレがやれば、時間の短縮になる」
八神邸に入るのはこれが初めてであり、当然キッチンもうちとは違う。勝手を知らないのだから、そこまで動けるわけじゃない。
オレの提案に、彼女は苦笑交じりに了解を示した。
「何を作るんだ」
「焼きそば。お手軽でええやろ?」
「もやしは?」
「うちのは入れません」
そうなのか、残念だ。
八神はやての指示に従いながら、材料やら調理器具やらを確認して取り出す。その間にも彼女との会話は途切れない。
「焼きそばに肉を入れるのか」
「不安になる発言やめい。聞くの怖いけど、ミコちゃんは普段何入れとん?」
「もやしのみ……と言いたいところだが、さすがに栄養が偏るからな。ニンジンとキャベツを追加している」
「野菜だけやん。ミコちゃんって肉食べへんの?」
「そんなことはない。週に一回程度はタイムセールで購入している」
豚ばら肉の包装を解いて八神はやてに渡す。熱したフライパンから油が撥ねる音がする。
「ちゃんと食べんと、色んなところがおっきくならんでー。ただでさえミコちゃん、背ぇちっちゃいんやから」
「色んなところを大きくする気はないが、身長が伸びないのは若干困るかもしれないな。戸棚に手が届かないのは不便だ」
「わたしは身長よりもミコちゃんの色んなところが育ってほしいわ。ちっちゃいミコちゃんも可愛いけど、おっきいのはロマンやで」
「何のロマンだ」
適当に流したが、それはセクハラ発言なのではないだろうか?
「というわけで、今後はうちで一緒にご飯食べようなー。ミコちゃんにちゃんと栄養取らせな」
「却下だ。近いとは言っても移動時間が発生するのは望ましくない」
「ミツ子さんにお願いして冷蔵庫使われへんようにするで?」
「卑怯者め」
「何とでも言いや」
カラカラと笑う狸少女。オレが言うのもなんだが、年齢不相応に達観した少女だ。
ふぅ、と八神はやてはため息をつく。
「それにな。うちって、一人で過ごすんには広すぎやん。ミコちゃんには分からんかもやけど、結構寂しいことなんよ」
「収まりが悪いとは感じた。やはり何事も過不足ないのがちょうどいい」
「過ぎたるはなんとやらってやつやな。せやから、わたしの都合でミコちゃんが一緒におってくれると嬉しいんよ」
「そういう場合、オレがどう返すかは、さすがにもう分かっているよな?」
「もちろん。「そうさせるにはどうすればいいか」やろ?」
聡明な少女だ。とても小学一年生とは思えない。
「食費の8割はわたしが負担するから、残り2割をミコちゃん。料理はこんな感じの共同作業。この条件でどうや」
「本当に小学一年生とは思えんな。大正解だ」
「えっへへ、わたしはミコちゃんの一番のクラスメイトやからな!」
彼女が提示した条件ならば、貸し借りをちょうどイーブンに出来る程度だ。全く恐れ入る。
「したら、後でミコちゃんのパジャマとか取りに行かなな」
「調子に乗るな。そこまで譲歩した覚えはない。食事を一緒に摂る程度だ」
「ちぇー。さすがにそう上手くはいかんか。まあええわ、今はその程度で我慢したる」
少女は、相変わらずの子狸だった。
食後はまたオレの部屋に戻り、内職を続ける。八神はやても着いてきたが、今回はオレで遊ぶことはせず読書をしていた。
一人で出来ることをするならわざわざ着いてこなくともと思ったが、恐らくは先ほどの件が関係しているのだろう。邪魔をしないなら邪険にする気はない。
「……ミコちゃんはさー」
「何だ?」
彼女に声をかけられ時間を見ると、15時を指していた。再開して2時間。それを意識すると疲労を感じたため、ちょっと伸びをして小休止を挟む。
「魔法使いって、おると思う?」
そう言った少女が今読んでいる本は、世界的ベストセラーな魔法使いの少年の物語。賢者の石な話のようだ。
彼女の問いに対し、オレの答えは。
「いる」
という自信を持った断言だった。決して無根拠ではない、「プリセット」された知識から湧き出した答えだ。
この世界には魔法とでも称するべき法則が存在する。いや、この表現は正しくない。目には見えない力の流れをコントロールする術が存在し、それを行使できる存在がいないことを証明できない、と言うのが正しいか。
そういう存在を、一般的には魔法使いと呼ぶのだろう。だからオレの答えは、肯定の断言だった。
「もっとも、オレは魔法使いという表現があまり好きではないがな」
「そうなん?」
「"魔法"という言葉は、理解できない法則を分かった気になるための言葉だ。分からないなら分からないで、アンノウンと表現した方が的確だろう」
「あはは、むつかしいこと言うとるなぁ。ま、ミコちゃんの言いたいことは分かるし、ミコちゃんならそう言うとも思うわ」
ゴロンと、八神はやては寝返りを打つ。
「それでもわたしは、魔法って言葉は好きやで。夢とか希望とかありそうやん」
「そんなものか」
「そんなもんや」
オレには分からない。夢だの希望だのと、不確定の事象を自分にとって都合のいいように捉える感性を、理解できない。
彼女の言う"魔法"を、言葉として表すことは出来ない。だが情報としては間違いなく存在している。"魔法"の範囲と限界を知っている。
「せやから、あるとしても実際に見たいとは思わん。夢から醒めてしまいそうや」
「それが大人になるということだよ」
「何言うとんのや、同い年」
なお、彼女の誕生日は6月だそうで、12月生まれのオレより半年は年上(?)ということになる。
「ミコちゃんは、魔法を見たことがあるん?」
「ない。知識として……とも言えないな、あくまで知っているだけだ。オレには使うことも出来ない」
「そうなん?」
「技術を持っていないし、資質もない。誰にでも使えるなら、魔法などとは呼ばれないだろう」
「何や、夢も希望もない話やなぁ」
「それが現実だよ、少女はやて」
まあ、オレに使える"魔法"を一から構築するという選択肢がないわけでもないが。はっきり言って労力に見合った見返りがないので、それをする気はない。
故にオレは、知っているだけの人間であればいい。関わる気もないのだから。
「魔法などという現実逃避をしている暇があるなら、オレは内職をする。そっちの方が有意義だ」
「ほんまに夢も希望もない、世知辛い世の中やで」
「それが現実だよ、少女はやて」
そうしてオレはまた、内職作業へと戻った。八神はやても、読書に没頭する。
17時になり、八神はやてが目を覚ました。
「……はれ? わたし眠ってた?」
「ぐっすりだったな。しかもごく自然に膝枕を要求してきた」
「あー、ごめんごめん」
そう言って彼女は、オレの太ももから体を起こす。テレビもオーディオもない、ただ内職の音がするだけの空間など、退屈なだけだろう。彼女が睡魔に負けたのも理解は出来る。
「んー……。ミコちゃんの側って安心できるから、ついついな」
「そうなのか?」
「わたしにとってはな。他の皆はどうか知らへん」
言いながら八神はやては、少し表情を曇らせた。
「皆ミコちゃんのこと、「冷たい」だの「気取ってる」だのって、レッテル張りして中身を見ようとせえへんのやもん。全然そんなことないのに」
「オレにそんな意志はないからな。だが皆にそう見えてるということは、彼らにとってはそうなんだろう」
「彼女ら、やで。男子にはクールビューティみたいな感じで見られとる。それも手伝ってるんやろ」
初耳だ。っていうか随分とませてるな、我がクラスの男子ども。本当に小学一年生なんだよな。
ともあれ、何故かオレが悪く言われることを嫌う彼女は、オレがレッテル張りされることが気に食わないようだ。
「オレは別に気にしないんだがな」
「わたしが気にする。ミコちゃんは不思議ちゃんなだけで、ホットで明け透けやん。真逆に見られてるってのが気に入らん」
「オレは不思議ちゃんだったのか?」
「見たことないのに魔法を「ある」って断言できるとことかな」
なるほど、そういうところでそう見られるのか。オレと彼女との間で"不思議"の範囲も違うようだ。
「ちなみにホットというのは?」
「わたしとノーガードで言葉の応酬しとって、ホットじゃないとは言わせへんで」
なるほど。
「だが、彼女らに八神はやてレベルを要求するのは無理があるだろう。なら、レッテル張りも適切な防衛反応だと思うが」
「ミコちゃんはそう言うと思ったわ。それが過剰防衛にならんとも限らんやろ」
「そのときは報いを受けさせるさ」
「そんな面倒を、ミコちゃんは望むんかい?」
もちろん、望まない。彼女の言いたいところが見えてきた。
「つまり、後々の面倒を避けるために、もう少し彼女らとも交流を取れと、そう言いたいわけだ」
「ミコちゃんを説得するための言い分としてはな。わたしの感情は、さっき言った通り「気に入らん」や」
本当にこの少女は、周りの小学生と比べて図抜けている。思わず笑みがこぼれた。
「あい分かった、善処しよう。だが何処まで出来るかは分からない。こちらの都合に合わないなら、そこまでだ」
「そんだけ譲歩引き出せれば上出来やで。わたしも今まで通りサポートするから、安心しぃ」
「今までの結果を考えると不安しかないな」
「るっさいわ」
ノーガードで言葉の殴り合いをするオレと彼女。我らながら、小学生らしくない会話だと思う。
それでいい。少なくともオレは、彼女と会話する時間を楽しめているのだから。
その後、八神邸で夕食を食べ、風呂も頂いた。というか八神はやてが入浴の手伝いを要求してきた。
曰く、「足悪いとお風呂も大変なんやで」だそうな。まあ、結構豪華な夕食をいただいてしまったのだ。その分を返すのは別にいいかと思った。
八神邸の風呂は、ミツ子さん宅よりも広かった。バリアフリーな作りになっているためか、全体的に余裕を持たせているようだ。
そのため、小学生児童二人が一緒に入っても、まだ余裕があるサイズだった。もう一人ぐらいいけそうだ。
なお、入浴中に。
「……お肌もすべすべやぁ。ほんとに手入れとかしてへんの?」
「もやしパワーだ」
「もやし凄いな!」
こんな会話があった。以降の八神家の食事に、もやしが必須項目となった瞬間である。
そしてオレは八神はやてと別れ、自室に戻って内職の続きをした。この日は10時までかかってしまったが、普段よりも充足感のある日曜だったので、よしとすることにした。
翌日、八神はやてと登校する。教室に入った瞬間、一瞬のざわめきとともにオレに視線が集中した。
視線を気にせず席に着きランドセルを置くと、前の席の矢島が話しかけてきた。
「ね、ねえ八幡さん。その髪、どうしたの?」
「後ろの席の豆狸にやられた」
「力作やでー」
そう。今日のオレの髪型は、昨日彼女がセットした「HAYATEカスタム」だ。約束通り朝食を一緒した後、セットされてしまった。
前の席に座る少女も、仏頂面のオレにこの髪型は似合わないと思っているだろう。信じられないものを見るように目を見開き。
「かっ……かわいいっ!!」
そんなことをのたまい、……は?
「やだー! なにこの子超かわいいー!」
「八神さんグッジョブ! やっぱり八幡さんってかわいかったのね!」
「なにナニ!? 何で今まで髪型いじらなかったの!? もったいないよ、ミコトちゃん!」
「これは服もいじらなきゃダメだよ! ねね、次の日曜日こそお買いもの行こう!?」
クラスの女子の大半が押し寄せてきた。……何なのだこれは、一体どうすればいいのだ!?
困惑するオレに、八神はやては「ふふん」と笑いながら。
「言うたでー、女心ぐらい分かるようにならんとって。女の子は、可愛いものが大好きなんや」
「……オレは悪く思われてるんじゃなかったのか」
「そんなこと言うてへんでー。真逆の性格で見られてるだけやん」
そういうことらしい。狸娘め。
この後、オレはチャイムが鳴るまで女子勢に弄られ続けた。教室に入ってきた担任も、オレを見るなり目を剥いて驚いていた。
そんなことがあって、オレとクラスメイト達の間にあった意識の壁は、少しずつ緩和されていったのだった。
はやてと紡いだ絆の物語は、まだまだ続く。
ミコトの性別はあえて明記しません(バレバレだけど)