不思議なヤハタさん   作:センセンシャル!!
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四話 変化

 異常が発生したのは、二学期最初の日だ。

 

「……はやてはまだ寝ているのか?」

 

 7時になり、朝食を摂るため八神邸を訪れる。インターホンを鳴らしても出てこなかったため、彼女から持たされた合鍵を使って中に入る。

 しかしリビングにもキッチンにもはやての姿はなく、寝坊をしているのかと思い彼女の寝室へと歩を進める。

 そして彼女の部屋の扉を開け――最初に目に飛び込んできたのは、床に倒れているはやての姿だった。

 

「……は?」

「あ、ミコちゃん……」

 

 一瞬、何が起きているのか分からなかった。松葉杖はあらぬ方向に倒れており、まるで起き上がるのに失敗して転んだかのようである。

 はやての顔は、何処か苦しげな笑み。何かがあったのだと直感するのに十分すぎる判断材料だ。

 

「あはは……なんや、足がちっとも動かんようになってしまったわ」

「ッ、……全く動けないのか?」

 

 想像の中の一つにあった答えを言われ、何故か一瞬動揺してしまった。だがそれもわずかな時間のことで、オレはすぐに状況理解を始めた。

 

「うん。あ、這いずってとかなら移動できるんやけどな。松葉杖で立つのは、もう無理みたいや」

「何度かチャレンジしたのか。……腕を見せてみろ」

 

 寝間着の袖をまくり見てみると、何度も床に打ち付けたのだろう、青あざが出来ていた。放っておけば治る程度で一安心だ。

 ……なんだ、さっきから。心がざわついて落ち着かない。そんなことをしている暇があるなら、他にやるべきことがあるだろう。

 

「服は着替えられるか?」

「えーっと……ベッドに座らせてもらえれば、何とかなると思うわ」

「そうか。よっ、と……」

 

 はやての両脇に手を差し込み、体を起こす。そしてベッドの端に腰掛けさせた。

 箪笥から適当に服とスカート、靴下を取り出し、そばに置く。

 

「異常があるのは足だけだな?」

「うん。足が全く動かなくなっただけで、他は何ともないわ」

「分かった。それじゃあ9時になったら病院に行くぞ。学校には休みの連絡を入れておく」

「ミコちゃんはどうするん?」

「オレも付き添う。今のはやてを一人にはできんだろう」

「そんな、悪いわ。一人でも病院行けるから……」

「今は学校よりもはやての検査の方が優先度が高い。病人が文句を垂れるな」

 

 「病人ちゃうし……」というはやての異論を無視し、オレは部屋を出た。学校への連絡と、ミツ子さんへの報告のためだ。オレが欠席の連絡を入れたら、形式上の保護者であるミツ子さんには確認の電話が飛ぶだろう。

 あとは、病院に行く前に朝食を摂らなければ。元々はそのために来たのだ。はやては寝室から動けないだろうから、向こうで食べられるものがいいか。

 やるべきことを頭の中でまとめながら、いまだざわざわと波を立てる心を無視した。

 

 

 

 9時になると同時、海鳴総合病院に連絡を入れる。はやての主治医であるという石田幸恵(いしださちえ)医師と話がつき、即時の診察予約を入れることが出来た。

 タクシーを呼び(オレがはやてを病院まで運ぶことは出来なかったため、勿体ないが仕方なかった)病院へと行く。子供だけでタクシーを利用することに、運転手は懐疑的な目を向けてきた。知ったことではない。

 生まれてこの方風邪一つ引いたことのないオレは、病院を利用するのは初めてだ。建物の規模から考えて大きな病院なのだと思う。

 石田医師はオレのことを知っていた。今年の4月から、はやては診察の時にたびたびオレの名前を出していたらしい。

 

「学校を休んでまではやてちゃんの付き添いをしてくれるなんて、とても仲が良いのね」

「えへへ、わたしの一番のクラスメイトやで」

 

 和やかに会話をする主治医と少女。しかしオレはいまだ心のざわつきが収まっていなかった。

 

「そんなことより、診察結果を教えていただきたい」

「……はやてちゃんから聞いてた通りの性格みたいね。分かりました、真面目な話をしましょう」

 

 咳払いを一つして、石田医師は表情を真面目なものにする。

 

「以前からはやてちゃんの足は麻痺の影響で感覚が鈍くなってたんだけど、それが完全になくなってしまっみたい。血流等は一切滞りがないから、壊死の心配だけはないのが救いね」

「なるほど。相変わらず原因は不明なままですか?」

「そうね。神経に損傷があるわけでもない。言った通り血流に問題があるわけでもない。脳機能の方も疑ってみたけど、そっちも完全に正常。今回も何も変わらなかったわ」

 

 何も変わらなかったのに、麻痺は広がってしまった。言葉はなかったが、医師の顔が苦々しく歪む。それをはやてが心配そうに見ているのに気付き、慌てて表情を戻した。

 

「多分あなたもはやてちゃんも「大丈夫、きっとよくなる!」なんて無責任な励ましは求めてないのよね」

「当然だ。そんなものは一時の気休め程度にもなりやしない」

「ちょ、ミコちゃん! わたし相手やないんやから、少しは歯に衣着せぇや」

「いいのよ、はやてちゃん。そのぐらいはっきり言ってもらった方が、遠慮されるより心配がいらないもの」

 

 そう微笑みはやてを宥めてから、石田医師は言葉を区切った。

 

「最善の努力はします。だからミコトちゃんも、今まで通りはやてちゃんを支えてあげてください。お願い」

「……オレははやてを支えていたのか?」

「まーミコちゃんのことやから、無自覚やったとは思うよ。つまり、今まで通り接してくれればええねん」

 

 つまりは、単なる結果論ということか。はやてがそう言うならばその通りにしよう。

 

「理屈は理解出来たので話を進めよう。それで、はやては今後どうなる」

「とりあえず、松葉杖はもう無理ね。今後は車椅子を使ってもらいます。本当は登校するのも心配なんだけど……」

「ミコちゃんがいるから大丈夫や!」

「……ということらしいの。お願いしても平気かしら」

「環境が変わるのだから、完全に今まで通りというわけにはいかないだろうな。確約はできないが協力はする、と答えさせてもらう」

「ふふっ。面白い子ね」

 

 はやてが心を許していることからも、この人もそれなりの器を持っているのだろう。オレと相対して持て余してはいないようだ。

 石田医師からお願いされていようがいまいが、同じことだ。オレははやてとの契約に従い、可能な範囲で彼女をサポートする。そのスタイルに変化はない。

 結局今日の診察で分かったことは、はやての病状が芳しくないという一点のみ。いつまた麻痺が広がるとも限らないのだ。

 だからオレの胸中は、波がおさまらなかった。

 

 

 

 

 

 翌日の学校へはオレが車椅子を押して行った。学校が近づくにつれ、児童たちからの奇異の視線は強くなった。

 

「八神さん!? ど、どうしたの!?」

 

 教室につくと、いつもの連中がはやての周り(必然的にオレの周りでもある)に集まってきた。その表情は、一様に驚きと困惑、そして不安だった。

 

「あはは、ちょっと調子悪くてなー。松葉杖やと登校できひんから、ミコちゃんに車椅子押してもらってるんや」

「だ、だいじょうぶなの……?」

「そんな顔せんでもへーきやって。むーちゃん心配性やなぁ」

 

 泣きそうな顔をする伊藤の頭を撫でるはやて。伊藤の表情が晴れることはなかった。

 

「……きのう休んだことだよね」

「ミコトちゃんも休んでたけど、何か知ってるの?」

 

 田中と亜久里が尋ねてくる。……ここで本当のことを話すのは容易い。彼女らが理解できるかどうかは別として、頭の中にある事実をアウトプットすればいいだけだ。

 だが……何故かそれをするのは憚られる。相変わらず胸の辺りがざわついて落ち着かない。

 

「はやてが大丈夫と言っているなら大丈夫だろう。あまり騒いでやるな」

「う、うん。そうだよね。でも、何かあったら言ってよ! ぜったい力になるから!」

「ありがとうなぁ、あきらちゃん」

 

 席が近い矢島がはやての手を取って宣言した。

 本当は、大丈夫なことなど何もない。はやての足は依然として麻痺したままだ。医学的には何の問題も見つからないのに、ただ動かすことだけが出来ない。

 だけどはやては「平気だ」と言ったのだ。彼女のことだから、クラスメイトに不安を与えることを嫌ったのだろう。和を乱すことを避けたのだろう。

 なら、オレはその意志を尊重する。相変わらず仏頂面しか出来ないオレは、ならばそれを利用してポーカーフェイスを貫けばいい。

 

「……八幡さんも、しんぱいなんだね」

 

 皆が席に着き始める中、残った伊藤がオレに話しかけてくる。

 

「そう見えるか?」

「うん。いつもと同じに見えるけど、いわかん?っていうのかな。ちょっといつもとちがうかんじがする」

「車椅子を押してるからそう見えるんじゃないのか?」

「んー……たぶん、ちがうよ。八幡さんのかお、今日はちょっとかたいもん」

 

 仏頂面に固さの差などあるのだろうか。いや……この少女は正確に感じ取っているのだろう。そういえば夏祭りのときも、オレの言葉を理解しようとしていたな。

 オレが心配しているのかどうかは、自分でも分からない。だが、胸中のざわつきを抑えられていないというのは、紛れもない事実だ。

 それが表情に全く表れていないかと問われれば、断言する自信はない。だから多分、はやてにも気付かれているのだろう。

 オレがはやての不安に気付いているのと同じように。……ああ、だからか。

 

「君がそう思うのならそうなんだろう。君の中ではな」

「……えっと?」

「ミコちゃん、むーちゃんがネタを理解出来てへん」

 

 表情に不安を出さないようにするはやてを見て、ざわつきが増す。つまりはそういうことだ。オレは、はやてがオレを頼らないことが気に食わないのだ。

 これまではやてがオレの前で不安を出したことは何度かある。大体は「寂しい」だとかそんな感じのものだ。それはつまり、不意に寂しさを感じたとき、近くにいるオレに頼ってきたということだ。

 それ自体は別にいい。それを許すだけの利害の一致はある。だが、肝心なときにオレを頼らないとはどういう了見なのか。

 オレは、はやてとの間にある種の信頼関係を築いていると思っている。お互いに借りを踏み倒すことがなく、ちゃんと清算できる仲だと認識している。

 ならば今はやてがやっていることは、その信頼関係を踏みにじる行為ではないだろうか。彼女のことだから、こちらに余計な迷惑をかけないようにとか思っているのだろうが、それは全く逆だ。

 伊藤が苦笑しながら席に戻り、オレ達の席の周りはようやく人が少なくなった。そのタイミングを見計らって、オレははやてに告げる。

 

「溜め込むな。何のためにオレがいると思っている」

「っ。……あはは、せやね。ごめんやわ」

「そう思っているなら、後で全部吐き出せ。どうせ帰る先は一緒だ」

「うん。ミコちゃん……ありがとう」

 

 ただの利害の一致だ。オレはいつも通り、そう返すことが出来た。胸中のざわつきは、ようやく影を潜めた。

 

 ――このときのオレは気付いていなかった。はやてとの信頼関係の大きさも、それが意味するところも。オレにとって、既にはやてが切り捨てることのできない存在であることにも。

 

 

 

 八神邸に帰ったあと、はやては溜め込んでいた涙を全部出した。オレの胸に顔を押し付け、声を上げて泣いた。

 「何で自分だけこんな目にあうのか」「本当は皆と並んで歩きたい」「麻痺が広がったらと思うと怖くて仕方ない」などなど。答えを求めない、弱音の吐露だ。

 聞き流すことはしなかった。それは不義理だと思ったからだ。はやてはオレを頼ったのだから、受け止めるだけの義理がある。

 歳不相応に達観している少女だが、それでもやはり小学一年生なのだ。オレと同じく、6、7年しか生きていない子供なのだ。

 オレならば何も思わない現実も、彼女にとってはそうではない。彼女はオレとは「違う」のだから。

 その心情を理解出来るわけがない。彼女の辛さなど、共有できるはずもない。オレに出来るのは、彼女が疲れたときに寄りかかって休むことが出来る大樹となるだけ。だからそうした。

 それは多分正解だったのだと思う。最終的にはやては泣き疲れて眠ってしまったが、その寝顔は穏やかなものだった。

 結局この日ははやての側を離れる気が起きず、内職をすることが出来なかった。が、それで良かったと思っている。

 

 翌日、はやてから提案があった。

 

「あんな、ミコちゃん。うちに住んでもらえへんかな」

 

 提案の内容は、オレが八神邸に住み込みで常駐して、はやての生活をサポートするということ。

 足が完全に動かなくなってしまったことで、いかにバリアフリーの家とはいえ、一人での生活は困難を極めることとなった。ヘルパー的なものが必要になったのだ。

 そしてオレは、これまでに交わした色々な約束によって、毎日八神邸を訪ねていた。毎食ここで食べているし、風呂もはやてと一緒だ。時折はやての希望で泊まることもある。

 実を言えば、既に何着かの衣類ははやての箪笥にしまわれている。今更拒否する要素が何処にもなかった。

 

「ただ、オレ一人で決めていいものではない。あの部屋はミツ子さんに無理を言って借りている。ちゃんと話を通さなければ」

「それならもうオッケーもらっとるで」

 

 行動速いな、おい。そのことに文句があるわけでもないが。

 まあ、話が通っているなら、あとはオレから直接言いに行くだけだ。ちゃんと頭を下げるのは筋だろう。

 

「では、今日の放課後にミツ子さんに話しに行って、その足で荷物を運ぶ。運び込みの間は騒がしくなるが、我慢してくれ」

「気にせんでええよー。わたしがお願いしたんやから」

 

 こうして、オレは八神邸住み込みではやてのサポートをすることになった。

 ……内職の効率は落ちるだろうな。これは本格的に別の収入源を探さなければ。

 

「ちなみに寝る場所はわたしの隣やでー」

「毎日抱き枕は勘弁してもらえないだろうか」

 

 効率は落ちる(確信) 探さなきゃ(使命感)

 

 

 

 学校の方は、数日の間は見慣れぬ車椅子に困惑する児童もいたが、人間は慣れる生き物だ。それほど経たずに騒がれることはなくなった。

 また、学級の方でも、はやてへの協力体制が確立した。と言っても、今までとそう変わりはない。メインがオレで、サブにあの5人組がついた程度だ。

 元々オレは、出席番号と家が近かったことで、担任からはやてのことを任されていた。その関係で、席替えをしてもオレは常にはやての側にいた。

 

「いっくよー、やがみん!」

「おー! いちこちゃん、ゴーや!」

 

 次は体育で体育館に移動なので、突撃バカの田井中が車椅子を運んだ。途中で事故ってくれるなよ。

 

「田中。後で田井中に車椅子の運び方を教えてやれ」

「う、うん。いちこちゃんがごめんね、ミコトちゃん……」

「謝られる理由が分からない。オレ達もとっとと行くぞ」

 

 着替えを終え、教室を出る。残りの4人もぞろぞろと後を着いてきた。

 

「ねーねー八幡さん。それで、八神さんとのどーせーはどんなかんじ?」

 

 にやにや笑いながら矢島が言う。はやてがペラっとしゃべったせいで、今やオレ達の共同生活は周知の事実だ。

 

「同棲という言葉の意味をちゃんと理解しているのかはさておき、今までとそう変わりはない。元々半分ぐらいは八神邸で生活していたようなものだ」

「おー、はやてちゃんとミコトちゃんの「あいのす」ってことだねー」

「……何故君達はそうまでしてオレとはやてのことをカップルにしたがるのかね」

「え、違うの……?」

 

 伊藤、君はちゃんと理解していると思っていたのだが?

 

「そもそもの年齢やら性別やら、否定材料の方が圧倒的に多いだろうに」

「れんあいにとしはかんけいないってドラマで言ってたよー」

「八幡さんと八神さんなら、せいべつもかんけいないってしんじてる!」

 

 勝手に信じるな。そっち方面では、オレはノーマルのはずだ。

 そして伊藤。何を想像して顔を赤くしている。現実はこっちだ、戻って来い。

 

「こ、こういうのってなんていうんだっけ……えっと、たしかレz」

「言わせねえよ」

 

 この子、意外と耳年増かもしれな……別に意外でもないかもしれないな。

 

 途中で転倒していたはやてとアホの田井中を回収し、体育館へ辿り着く。今日の授業はバスケットボールだ。

 今まで軽い運動程度なら参加出来ていたはやてだが、車椅子となったことで完全に見学のみとなっている。何と言えばいいか、どうしても距離を感じてしまう。

 パス練習中、矢島からのパスを受け、ちらりとはやての方を見る。顔はニコニコとこちらを見ているが、その心中を推しはかることは、オレには出来ない。

 ……今出来ることは何もない。頭を振り、矢島に強めのパスを出すと、彼女は大げさにのけぞった。

 

「ちょっと八幡さん、つよすぎー!」

「そこまで力を入れたつもりはなかったんだが。君が貧弱なだけでは?」

「んなー!? これでもくらえー!」

 

 クラス内で一番の長身である彼女のオーバースロー。逆に一番身長の低いオレからすれば、「天からお塩」か。……何故塩なんだ?

 が、難なくキャッチ。いくら身体能力が高いと言っても、小学一年生のレベルだ。オレの「プリセット」を動員すれば、余裕を持って対応できる。

 

「捕球の仕方にもコツがあるものだぞ。こんな風に腕と手首をクッションにすれば、勢いを殺せる」

「なにそれぇ……」

 

 「見よう見まねでやってみろ」と、パスを返す。違う、そうじゃない。それは体が避けてるだけだ。

 ちらりと見たはやては、やっぱりニコニコしていた。

 

 5人チームになって5分間のミニゲーム。オレは伊藤と亜久里、それから交流のない男子二人と同じチームになった。

 今回の対戦相手は、5人組の残り3人+男子二人。どうにも戦力が偏っている気がするが、小学一年生の授業でそれを気にするほどのものでもないのか。

 

「……こっちのチームで一番背が高いのはお前だな。ジャンプボールは任せる。その後はディフェンスに回れ」

「は、はい! 八幡さんのためならばっ!」

 

 下手くそな敬礼をする男子の片割れ。運動直後の興奮状態にあるためか、若干顔が赤い。もう片方の男子は、何故かぐぬぬと唸っている。

 悔しがるな、お前にも役割はあるのだから。

 

「お前は相手のパスカットを意識しろ。かなりの運動量が必要な役割だ。気合を入れて行け」

「イエス、マム!!」

 

 やっぱり下手くそな敬礼をするもう片方の男子。お前達の中でオレは何者なのかと問いたい。

 

「ミコトちゃん、あたしたちはどうすればいいかな?」

「亜久里はこいつからボールを受け取ったら前線に運べ。オレにボールを集めれば、あとは何とかする」

 

 フリーの状態でシュートを打てれば、オレは確定事象をトレースして確実に決めることが出来る。だが、裏を返せばディフェンスという乱数が割り込んでくると上手くいかないということでもある。

 そこで、残った伊藤の出番だ。

 

「伊藤は動くな。オレの周囲に寄ってくる奴がいたら、大体の方向とゼッケン番号を教えてくれ」

「う、うん、わかった。ほうこうっていうのは、わたしから見てでいいんだよね」

「それでいい。まさかどっちが右でどっちが左か分からないということはないよな」

「おはしもつ方がみぎ!!」

 

 亜久里が元気よく言った。オレの場合はそれだと逆なんだがな。伊藤は確か右利きだったはずなので、問題はない。

 向こうで特に注意すべきなのは、2番の矢島と5番の田井中だ。矢島は体格で、田井中は運動能力で、それぞれ脅威となる。

 やはり向こうは矢島がジャンプボールをするようだが、こちらの男子よりも身長が高い。初手は向こうだろう。

 だからオレは、男子の片割れに初期位置を指示し、亜久里にもいつでも走りだせるように促す。そしてオレもまた、ゲームメイクのために行動を始める。

 

 試合開始の笛。ジャンプボールを制したのは、やはり矢島の方だった。

 だがオレはそれを見越していた。背の高い男子をジャンプボールに配置したのは、最初の経路を限定するためだ。

 予想通り、山なりに弾かれたボールが敵陣に落ちる。それを相手に拾われるよりも先に、走り込んでいた男子がキャッチする。

 

「んなぁ!?」

「す、すげえ! 八幡さんの言ったとおりだ!」

「こらー! ボーっとしてないでさっさとパスー!」

 

 皆が驚いて一瞬止まる間に、亜久里は敵コートの半分を過ぎていた。彼女の喝で復帰した男子が、慌ててパスを出す。

 ちょっと狙いのずれたボールを、亜久里はバランスを崩しながらキャッチする。その間に、相手チームの全員が彼女を包囲した。

 それがオレの狙っていたタイミング。敵の注意がオレから離れた瞬間、オレは走りだした。

 

「亜久里!」

「っ、ミコトちゃんまかせた!」

 

 山なりのパス。相手の全員が「やられた」という表情をし、慌ててこちらに向かってくる。

 

「八幡さん、左から5番!」

 

 伊藤の大声。さすがは突撃バカの田井中である。ファールとなることも厭わず、こちらに突進してきている。シュートを放つまでに到達しそうな勢いだ。

 だからオレは、一度シュートの体勢を作り。

 

「とうあっ!」

「だが甘い」

「おうあー!!?」

 

 ジャンプした田井中をフェイントでかわし、今度こそシュートを打った。右手は添えるだけのワンハンドシュートだ。

 事前のシミュレート通りの軌道を通ったボールは、リングに反射することもなくゴールネットの乾いた音のみを立てた。よし。

 

「全員後退、守備を固めろ!」

 

 チームメイトが浮かれる前に、声を張って指示を出した。

 

 そんな感じで終始優位に立つことが出来、この試合は20-4で勝利することが出来た。

 ゲームに一切参加することのできないはやては、やはり終始ニコニコしていた。

 

 

 

「確かに運動できんのが辛くないって言ったら嘘になるけど、わたしはミコちゃんが元気に走り回ってるのを見るんが楽しいんよ」

 

 帰り道、何故体育の時間にあんなに楽しそうにしていたのかと尋ねたら、はやてからはそんな答えが返ってきた。

 

「それは、自分が体を動かすことよりもなのか?」

「せやね。この足のせいで、生まれてこの方息が切れるほど走り回ったことはないけど、それでも見てる方が楽しいと思う」

 

 「もちろん、一緒に走れたらもっと楽しいと思うけど」と続ける。

 スポーツ観戦みたいな感覚だろうか。プロのスポーツ選手と呼ばれる彼らは、一般人とは比較にならない運動能力を持っている。我々が彼らのように動くことは出来ないが、それを見て楽しむ人たちは数多い。

 オレの推測に、はやてはしばし考え、首を横に振った。

 

「単純に、ミコちゃんが大好きだから、やろうな。イキイキしてるミコちゃんを見るんが、たまらなく嬉しいんや」

「オレは出来ることをしていただけだが」

「つまり、本気だったってことやろ。子供相手に大人気ないなぁ」

「生憎オレは子供だよ。彼らと同学年だ」

 

 精神は違えど、肉体は同じ、下手をしたら彼らに劣る程度だ。全力を出さなければ負けてしまう。

 もっとも、「たかが学校の授業なのだから負けてもいいだろう」と言われればその通りだが。それを言ってはつまらないだろう。

 能力と難易度の釣り合いが取れている課題にチャレンジしているときこそ、人は楽しみを感じるものだ。

 ……話が逸れた。

 

「結局はいつも通りにしていればそれで十分、ということか」

「今まで通りに、やね」

 

 結論として、病院で石田医師からお願いされた内容そのままということだ。

 ……しかし。

 

「今まで通り、か。果たしてそれだけでいいのか……」

 

 理由は分からないが、オレの中に直感的に囁くものがある。「このままではいけない」と。

 いや、究極的に言ってしまえば、世の中の須らくは「現状維持」では限界がある。進化を忘れた存在は、いずれ陳腐化し滅びの定めを辿る。

 だから、「今まで通りにする」というのが最適解かと言われれば、オレは「ノー」と答える。これはあくまで、現状可能な妥協解でしかない。

 本当の最適解を選ぶなら、オレははやての足を治さなければならない。それが出来ないから、妥協解を選んでいるのだ。

 

「もちろん、よくはないんやろうけどね。こればっかりは石田先生に任せるしかないやろ」

「まあな。オレに人体の構造に関する知識はあっても、医術に関する知識はない。それは「法則」ではなく、人々が積み重ねた「技術」だ」

 

 これまでに分かっていること。オレの保有する"能力"についてだ。

 

 オレには、生まれた直後から持っている「知」が存在する。「プリセット」と呼んでいるものだ。

 世界の普遍的な法則等に関して、漠然としたイメージの形で頭の中に収まっている。それらを表す言葉を得ることで、初めて「知識」となる。

 あくまで法則のみであり、技術や歴史といった「人などの存在が積み重ねたもの」については分からない。それを知るためには、本を読んだり人から教わったり、あるいは自分で構築するしかない。

 だから、人の体の造りについては分かる。何処に障害が発生すれば足が動かなくなるかは分かる。だが、治し方は分からない。それは自分で学ばなければならない。

 これははやても知っていることだ。日々の会話の中で話す機会があった。そして、当たり前に受け入れてくれた。……まあ、はやてだからな。

 

「もしオレに出来ることがあるとしたら、彼女の知らない観点から治療法を構築することぐらいか。それなら石田医師に任せる方が、まだ確率は高そうだな」

 

 少し気が迷ったが、やはり世の中そう簡単にはいかないものだ。人類が数千年をかけて築き上げてきた医術に並ぶものを短期間で構築するなど、無理無謀にほどがある。

 結局、オレに出来ることはオレに出来ることしかないのだ。

 

「わたしはミコちゃんがそばにおってくれるだけで十分や。これ以上もらってしまったら、何も返せんくなる」

「それはオレも君も困るな」

「せやろ?」

 

 そんな会話をしながら、オレ達は八神邸の中へ入った。

 

 ――これもきっと、一つのきっかけだったのだろう。オレだけに出来ることをしようと決意した、そのきっかけの大事な思い出。

 

 

 

 

 

 秋は短い。残暑が収まってきたと思ったら、すぐに肌寒さを感じるようになる。呼応するように、学校行事は駆け足で過ぎ去っていく。

 運動会、山への遠足、写生会。足が動かなくなったはやてにとって、どれも大変な行事だ。

 オレと5人組は、彼女がイベントをこなせるようにサポートをした。一学期の頃以上に、オレ達は7人で行動をすることが多くなった。

 そうしているうちに、いつの間にか冬がやってきた。昨日終業式を終えて、今日は冬休みの一日目。そしてクリスマスイブであり。

 

『ミコトちゃん、お誕生日おめでとー!』

 

 八神邸にて。ミツ子さんのところで用事を済ませて戻って来ると、いつもの面子が集まってクラッカーを鳴らしてオレを迎えた。

 ……ミツ子さんがいつも以上にニコニコしていると思ったら、こんなことを企んでいたのか。少々呆れ顔になってしまう。

 そう。本日クリスマスイブは、オレの誕生日でもある。とは言っても、オレの誕生日とはイコール孤児院に拾われた日であり、正確な誕生日は分かっていない。

 確かに生まれてすぐからの記憶を保持してはいるものの、それが本当に生まれて間もないときだったかの保証はない。何日か誤差はあるだろう。

 だがまあ、そんなものは言い出したらキリがないので、オレも今日が誕生日であると納得している。

 

「……君達は何をしているんだ」

「まーまーミコちゃん、こっち座りー。今日は逃がさへんでー」

 

 車椅子を器用に動かすはやてに手を取られ、ソファに座らされる。先手を取られてしまったようだ。

 オレ自身としては、祝われるつもりなど毛頭なかった。というか、「誕生日を祝う」という習慣が理解できない。

 半年前にあったはやての誕生日も、特に何もせずにスルーしたはずだ。はやても何も言わなかったし、一度話題に出たっきりだった。

 オレの誕生日にしても、半月ぐらい前にはやてが「ミコちゃんの誕生日ってイブやったっけ?」と確認した程度だ。こんな祝いの席を用意するなどとは聞いていない。

 

「聞いたよーミコっち。やがみんの誕生日はおいわいしなかったんだって?」

「それはダメだよーミコトちゃん。およめさん失格だよ?」

「そもそもはやての嫁になった覚えはない。それとこれとがどう関係している」

「えっとね。八神さんから聞いたんだけど、八幡さんってそもそもおいわいされたことがないんだよね」

 

 まあ、そうだな。誕生日に限らず、これといって祝われた記憶はない。孤児院時代は「異物」扱いだったし、その後もミツ子さんとは最低限しか交流を取っていない。

 今年に入ってはやてという隣人を得たが、特に祝うような機会はなかった。先述の通り、誕生日を祝う習慣もない。

 

「だから、まずは八幡さんをおいわいして知ってもらおうって、八神さんが」

「それにあたしたちもそろそろ付き合い長いんだし、ちょうどいいタイミングじゃん」

「というわけや。今日はミコちゃんを主役にした交流会兼クリスマスパーティってことやんな」

「ダシにされただけの気がしないでもないな。そういうことなら、別に文句はないが」

 

 つまりはパーティの雰囲気を知れ、ということらしい。夏祭りのアレで十分じゃないかと思わなくもないが、はやてがこう言うということは、何かが違うのだろう。

 5人はオレのサブに入ってから何度か八神邸に来ている。最初は子供だけでこれだけの家に住んでいるということに驚いていたが、今や勝手知ったるなんとやら。再度になるが、人間は慣れる生き物なのだ。

 田井中と田中がジュースとカップを持って来て、人数分入れる。そして各人に配り。

 

「そいじゃま、ミコちゃんの7歳の誕生日を祝って!」

『かんぱーい!!』

 

 はやての音頭で、オレの誕生日会と銘打ったごちゃまぜパーティが開始した。

 

 とはいえ、これといって新しいことが起こるわけでもない。皆で菓子を食べ、ゲームをして騒ぐ。オレとはやてだけではそうはならないが、この5人がくればいつもこんな感じだろう。

 違いと言えば、追加でケーキがあったことか。

 

「これね、駅前の「翠屋」っていうケーキ屋さんのケーキなの! ママと食べにいって、すっごくおいしかったんだよ!」

「さっちゃん、ちがうよ。翠屋さんはきっさてん屋さんだよ」

 

 ケーキを食べたのは孤児院時代のクリスマスケーキ以来だろう。あれとは比較にならないものだったのだが、孤児院が手抜きだったのか、このケーキのレベルが高いのか。亜久里の話から後者だろう。

 何といってもクリームのこだわりが違う。しっかりとした甘みがありながら、ふんわり柔らかで軽い。いくらでも食べられてしまいそうだ。

 伊藤の話では、その喫茶店の名物はシュークリームであり、毎日完売するほどの売れ行きなのだそうだ。そちらも一度確認しておきたいものだな。

 もっとも、それも機会があればの話だが。贅沢は敵だ。依然、変わりなく。

 

「ふふん、ミコちゃんもこのケーキは気に入ったみたいやな」

「そうだな。これだけ美味いものを食べて、何も思わないのは無理だ」

 

 はやてがオレを見ながらニヤニヤしている。のみならず、他の5人も大体似たような、微笑ましい何かを見るような顔つきだ。

 普段仏頂面のオレが、ケーキで頬を緩ませているからだろう。これほどの破壊力、ワザマエと言わせてもらおう。

 

「あーあ、ごはんがまいかいケーキだったらいいのになー」

「栄養が偏るぞ。もやしを食え、もやしを」

「八幡さんのそのもやしにかける思いは何なの……?」

「あかん、あかんでぇあきらちゃん。もやしは万能食材や、なめたらあかん」

「八神さんもせんのうされてるぅ……」

 

 こういうのは時々食べるからいいのだろう。やはり毎食食べられるもやしは格が違った。

 

 主賓ということで片づけなどはさせてもらえず、その辺りは伊藤や田中が請け負っていた。この二人なら比較的しっかりしているから安心か。

 日が傾いてきて、そろそろパーティも終わりが近づいてきた。

 

「あまり遅くまでいると暗くなるぞ。親御さんが心配しないうちに帰った方がいいんじゃないのか」

「あ、もうこんな時間なんだ」

 

 オレの一言で皆が時計を見て、ゲームをやめる。既に16時を過ぎており、冬のこの時間帯はもう薄暗い。子供だけで夜道を歩くのは危険だろう。

 これにてごった煮パーティは終了し、皆帰宅すると思っていた。

 

「? 帰るんじゃないのか?」

 

 だが皆は一ヶ所に集まり、何やらこそこそと話している。5人の体で何かを隠しながら。

 はやては何か知っているのだろうか。視線を移すが、多分知っていても何も答えないだろう。そんな顔をしている。

 そうこうしていると、矢島が先頭に立ち、オレに歩み寄ってくる。後ろ手に何かを隠しているようだ。

 

「はい、八幡さん。これ、わたしたちからの誕生日プレゼント」

 

 オレの目の前に出されたのは、包装紙に包まれた小さな箱だった。リボンで丁寧に封がされており、これが大事な贈り物であることを示していた。

 オレは……少し、困惑した。こんなものは想定していなかった。誰かから物をもらうなどという、直接的な借りを作ったことはない。今まで頑なに避けてきたことだ。

 一学期のファッション事件にしたってそうだ。オレは彼女達から、何かをもらう気はなかった。

 

「それは……」

「あ、中身はふつうのうで時計だから。八幡さんって、プレゼントにがてみたいだったから、安いのにしたよ」

「本当は一人ずつわたしたかったんだけど、そうしたらぜったいうけとってくれないって、八神さんが教えてくれたんだよ」

 

 「だからみんなでこれ一つ」と伊藤は続けた。確かに、それをやったらオレは絶対に受け取り拒否をしただろう。この場の空気を壊すことなどお構いなしに。

 だからと言って、一つだけなら受け取れるかと言われると……正直微妙だ。

 確かに以前よりは彼女らと交流を取っている。以前のように、大きな出費を強いるものでもない。そこまでオレの心に負担をかけるものではないのは確かだ。

 だが、貸し借りには違いないのだ。たとえ小さいとはいえ、借りを作れるだけの信頼関係の築いているのかどうか。そこが問題なのだ。

 時間は……現在16時15分。道が完全に暗くなるまで、まだ時間がある。ふぅと一つため息をついて、言葉を紡ぐ。

 

「まず初めにはっきりさせておく。オレは、君達を「友達」として見たことは一度もない。オレの認識として、君達は「たまたま同じクラスに所属した他人」だ。それは今も変わらない」

 

 誰も、何もしゃべらない。真剣な顔でオレの言葉を聞いている。

 

「これまでにも覚えがあると思うが、オレは君達とは「取引」でしか関係性を持っていない。貸しと借りの釣り合いの中でしか、君達と交流を取っていない」

 

 多分彼女達の中で、今の言葉を理解出来る可能性があるのは、伊藤だけだろう。彼女だけが今までを思い返し、振り返っている。

 構わず、言葉を続ける。

 

「オレは基本的に、オレにとって必要か不必要かでしか物事を判断しない。君達と交流を取るのも、君達がはやてにとって必要であり、オレにとってはやてが必要だからだ。それ以上の意図はない」

 

 友達の友達は友達、などという暴力的な理屈をオレは信用していない。それは既に断崖に隔てられているほどの距離がある。

 

「だからオレにそれを渡すということは、オレに不必要なお荷物を押し付けるということだ。君達がどう思っているかじゃない、オレがそう感じるということだ」

 

 彼女らが何を思っていても、オレには関係ないのだ。彼女達と「違う」オレは、その感情を共有することが出来ない。

 果たして彼女達は、その事実と向き合うことが出来るのだろうか。……既に着いてこれてないところからして、無理だろうな。

 

「もう一度言う。オレは君達と「友達」ではない。「友達」にはなれない。オレは、君達とは「違い過ぎる」」

「……じゃあ、八神さん、は?」

 

 消沈しきった様子で、矢島が尋ねる。……はやては、オレにとって何なのか。

 

「それはオレにも答えられない。「他人」ではない。それは確かだ。だが「友達」かと言われると、それも違う気がしている」

 

 オレ達の関係を表す言葉を、オレはまだ知らない。しっくりくる言葉が見つかれば、きっとパズルのピースがはまるように表現できるようになるのだろうが。

 だが、今重要なことはそこじゃない。

 

「そして君達とオレがその関係性になれるかと言ったら、オレは「ノー」と答える。断言するが、君達とはやてでは器が違い過ぎる」

 

 八神はやてという少女の器の大きさ――知性、理解力、受容性などなど、様々な面から見て非凡であることは間違いない。オレがこれまで出会った人物の中で一番だろう。

 そしてそれほどの才覚を、この5人の少女達全員が持っているなど、ありえるだろうか。既に着いてこれず、消沈してしまっている少女達が。

 

「君達は平々凡々な少女達。別にそれが悪いなどとは言ってない。君達はそれでいいのだと思う。ただ、わざわざ「異物」と関わる必要はないというだけだ」

「い、いぶつって……」

「オレは「異物」だったから、孤児院から追い出された。これが真実だ」

 

 全員が息を飲んだ。孤児院出身であることを知っていたのは、はやてだけだ。

 

「オレはそのことに対し、何も思っていない。はやてはそんなオレの存在を、ありのままに受け止められた。今の君達のように同情したりもしていない」

「で、でも、だってそれって……」

「そう思ってしまう時点で、オレとの交流が不可能なのだよ。理解できないものを理解しようとしてしまっている。いつかの田井中のように、「結論を決めてしまおう」としている」

 

 伊藤が目を見開いた。オレの言いたいことが分かったようだ。

 

「……わたしたちのしてることって、八幡さんにとって、めいわくなだけ、なんだね……」

「むーちゃん!?」

「その通りだ。今の伊藤なら、はやてと君達の間にある差が理解出来るんじゃないか?」

「うん。八神さんは、ほんとにすごいよ……」

「むーちゃん……」

 

 はやては悲しげな顔で伊藤を見ていた。

 分からないものを分からないまま受け入れる。それが出来るはやてと、出来ない伊藤。二者の間にある差は決定的だった。

 どうやら、ここまでのようだ。

 

「分かったら、その箱を下げてくれ。君達はオレにとって必要な――」

 

 

 

 パァンという乾いた音。頬を鋭い痛みと熱が襲った。

 言葉に意識を割いていたオレは、反応できなかった。だが、何をされたのかは正確に理解していた。

 目の前の矢島が、オレの頬を叩いたのだ。

 

「……ふざけんじゃないわよ!!」

 

 そして、怒りとともに言葉を吐きだした。皆、呆然と矢島を見ていた。

 

「なによ、さっきから聞いてりゃわけわかんないことをベラベラベラベラ! なにが言いたいのかはっきりしなさいよ!」

「君達はオレにとって必要ない。君達はオレの「友達」ではない。これで理解出来たか?」

「あーそうですか! よーく分かりましたよ!」

 

 真っ赤な顔で叫ぶ少女。これで彼女はオレを切り捨てるだろうな。……はやてまで切り捨てないでもらいたいものだが。彼女にはまだ人の手が必要なのだから。

 そう思っていたら。

 

「……おい。何をしている」

「だきしめてる!」

 

 何故か矢島に力の限り抱き着かれた。身長差のせいで覆いかぶさられていると言った方が正しいか。

 

「なら、そっちのつごうなんか知ったこっちゃないわよ! かってにかわいそうって思ってやる! かってに友達だって思ってやるんだから!」

「今の話でどうしてそうなるのやら。納得いく説明を……してもらえるわけがないか」

「そーよ! あんたのつごうなんかかんけいないんだから! 「ミコト」はわたしのだいじな友達! わたしのかってなんだから!」

 

 よく聞けば、矢島は涙声だった。感情が高ぶり過ぎて泣きだしたようだ。

 ……この反応は予想外だったな。いや、ひょっとしたらオレは、こんな反応を望んでいたのかもしれない。

 孤児院連中の「拒絶」でもない。はやてのような「許容」でもない。新しい何かを、求めていたのかもしれない。

 要するに、この矢島晶という少女は、とてつもなく優しい子だったのだろう。一方的になってもいい、その覚悟を持った優しさ。抱きしめられた腕から痛いほどに伝わってくる。

 

「苦しいからそろそろ離してもらいたいんだが」

「やだ! ぜったいはなさないもん!」

「子供か。……子供だったな、そういえば」

 

 ふうぅと息が漏れる。予想以上に苦しいな、これは。さすがに辛くなってきたので、矢島の背中に二回タップする。これで伝わればいいのだが。

 

「あ、あきらちゃん! ミコトちゃんがほんきでくるしそう!」

 

 亜久里がオレの様子に気付き、慌てて矢島を止める。それでようやく拘束の腕が緩んだ。ちょっと息が乱れたぞ。

 

「あ、ごめ……ふ、ふん! あやまらないんだからね!」

「分かった分かった。オレの負けだ。降参だよ、矢島晶」

 

 彼女の様子がおかしくて、思わず苦笑が漏れてしまった。それを見ていた他の面子は、ポケーっとした顔を浮かべる。どうにも状況の推移についてこれていないらしい。

 

「いやいや、どうして中々。予想外の反応で楽しませてもらったよ」

「……あんた、わたしたちのことためしたわね」

「ああ、試させてもらった。誤解のないように言っておくが、オレの言葉に嘘偽りは一切ない。相変わらず君達は、オレにとって「他人」だ」

 

 オレにとって必要のない存在が、そう言われてオレにどう関わろうとするのか。切り捨てられる可能性も織り込み済みで試した。

 結果、矢島晶は見事オレに勝利したというわけだ。

 

「けれど、君にとってそんなことは関係ないのだろう?」

「そうよ、かんけいない! めいわくだろうが、かってに友達って思ってやるんだから!」

「それでいい。オレにそこまで口出しをする権利はないし、それは無駄な労力だ。好きにしてくれ」

 

 多分に鬱陶しくはあるだろうが、それもまた一興と思えた。それは彼女が見せた可能性故だろう。

 たとえ器が小さくても、それだけで人は決定しない。変容と成長により、思いもよらない結果を見せてくれる。

 オレの言葉に含まれた承認は、正しく伝わったのだろう。矢島晶は目に涙を浮かべ、再びオレを抱きしめた。苦しい。

 どさくさに紛れるように、亜久里が後ろに回って抱き着いてきた。苦しさはさらに加速した。

 

「……くやしいなぁ」

 

 亜久里の呟きは、ひょっとしたら伊藤の心も代弁していたのかもしれない。

 

 しばしそうして落ち着いてから、オレは改めて矢島晶からプレゼントを受け取った。箱を開けると、中から出てきたのは黄色のベルトの腕時計。1,000円~2,000円の品といったところか。

 オレはその場で右手首につけ、見せてやった。彼女は満足そうに頷いていた。

 

 

 

 

 

「中々派手にやらかしたなぁ」

 

 叩かれた方の頬に氷嚢を当てながら、はやてがごちる。オレは必要ないと言ったが、彼女は聞く耳を持ってくれなかった。「顔の傷はさすがにあかん」だとか。

 矢島晶の一発はかなり痛かった。感情に任せて振り抜いたから、一切の手加減がなかったのだろう。オレの方も反応できなかったから、まともに喰らってしまった。

 

「いずれは通過しなければならなかったことだ。遅いか早いかの違いだけだ」

「……あきらちゃん以外には、まだ早かったんとちゃうかな」

 

 かもしれないな。伊藤は前々から考えていたはずだが、答えは出ていないだろう。亜久里はあの通り、何も言えず悔しがっていた。

 田中と田井中はどうなるだろうか。結局最後まで一言も発さなかった。オレ達との付き合い方を考え直しているかもしれない。それはそれで仕方なかろう。

 

「皆が皆手を取り合って、なんていうのは、小説の中だけの話だ。現実は必ずどこかに綻びが出る」

 

 オレは既に孤児院で経験しているのだ。「異物」として避けられることを。排斥されることを。知識でなく実体験として知っている。

 だから、そんな夢物語を信じる気になどなれないし、そんなものにどれほどの価値があるのかとも思っている。

 考えてみてほしい。皆が皆、終始笑顔だけを浮かべている光景を。マインドコントロールを疑ってしまう。率直にホラーだ。

 

「それでも、オレが「人」と対話できる可能性は見られた。成果は上々というところだろう」

「プラス思考で考えた方がええってことやな」

「そういうことだ。終わった後で「たられば」を言い出したらキリがない」

 

 あの5人がプレゼントを用意した時点で、こうなることは避けられなかったのだ。ならば、矢島晶の可能性を見られたという成果を重要視すればいい。他はどうだっていいことだ。

 休み明けに他の4人がオレを避けるようになっても、それはそれで構わないのだ。俺にとって重要なのは、はやてとの会話が出来ることのみ。

 

「そういえば、矢島晶に言われたが、オレとはやての関係性は何と答えればいいんだろうな」

「夫婦でええんちゃう?」

「オレは真面目に聞いている」

 

 オレの表情を見て、はやては顎に手を当てて考え始めた。はやても、本当のところはつかめていないようだ。

 はやてと過ごす時間が楽しくないかと言われたら、そんなことはない。今や一日のほとんどの時間を彼女とともに過ごしている。それが全く苦にならないのだ。

 では彼女のことが大切かと言われると、実はよく分かっていない。そもそも大切というのがどういうことなのか、感覚としてつかめない。

 なくしたくない。それはその通りだ。彼女がいなくなってしまったら、肩が軽くなり過ぎる。彼女の重みに慣れてしまった。いまさらいなくなられたら、調子が狂う。

 では、彼女がいつも言っているように、オレは彼女のことを好きなのか? それもやっぱり分からない。好きという感情は、どういうものなのか。

 オレが彼女達と「友達」になれないと言ったのは、この事実も多分にあるだろう。オレは幼い頃から物事をフラットに見過ぎたせいで、好悪という感情の発達が致命的に遅れている。

 「友情」という言葉からして、「友達」というのは好き嫌いの感情によるところが大きい関係性だろう。もしそれが分かっていれば、あるいは彼女達とも分かり合えたのか。……どうなんだろうな。

 思考が千々に飛ぶ。オレにとってはやてという人物はどういう位置付けなのか、結局答えは出なかった。

 

「……そや。「相方」なんてどうやろか?」

 

 そんなとき、はやてが思いついたように、何気なく答えた。

 

「「相方」……というと、漫才とかのアレか?」

「そういうのもあるけど、夫婦や恋人の片割れって意味もあるやん。結構ふわっとした意味の言葉だと思うんよ」

 

 「だから、自分達のようなよく分からない関係にも使えるんじゃないか」と。

 そういう意味だからなのだろうか。それとも別の理由からなのだろうか。不思議と、オレの中で「相方」という言葉は落ち着いていた。

 

「なるほど。確かにオレ達は、「相方」というのがしっくりきそうだな」

「せやろ? 普段の会話も、漫才みたいなもんやし」

「自分で言ってりゃ世話ないな」

 

 顔を見合わせてクックッと笑う。鏡写しのような笑いだったと思う。ああ、まさに「相方」だな。

 二人の関係が形を得た。互いに思うことは一緒で、右手を出し合った。

 

「改めて、これからもよろしくな。「相方」」

「こちらこそ。頼りにしてるで、「相方」」

 

 握手とともに、目に見えない何かが結ばれたような感覚。きっと、人はそれを"絆"と呼ぶのだろう。

 

「っと、忘れるところやったわ」

 

 「ちょっと待ってて」と言って、はやては車椅子を操作して自室の方へ向かった。氷嚢を自分で支えて彼女を待つ。……そろそろいいんじゃないだろうか。頬の感覚がなくなってきたんだが。

 鏡のところに行き、顔を見る。もう頬は赤くなかったし、腫れてもいなかった。

 ソファに戻り氷嚢をミニテーブルに置く頃、はやてが小さな箱と一緒に戻ってきた。

 さっき矢島晶から受け取ったのと同じ、プレゼントの箱だった。

 

「まさかわたしからプレゼント受け取るのに、さっきみたいな真似はせんよな?」

「するわけないだろう、相方。その分体でご奉仕させてもらうさ」

「何や卑猥な言い方するなぁ。楽しみにしとくわ」

 

 「はい」と短い言葉で渡されたプレゼント箱を開ける。中から出てきたのは、バッテン印のヘアピン。

 

「おそろいか」

「おそろいや。わたしのお気に入り。ミコちゃんにも絶対似合うと思って用意したんや」

「プレゼントというか、君の趣味なだけの気がするな」

「気に入らん?」

「いいや、全く」

 

 答えながら、前髪の左側をヘアピンで止める。はやては満足そうに笑って頷いた。

 

「うん、可愛い可愛い。さすがはわたしのお嫁さんや」

「そのネタはいつまで引っ張るのかね、相方」

「わたしが満足するまで。つまりは一生やな」

「はあ。将来行き遅れなきゃいいが」

 

 「なにをー」と笑うはやて。多分オレも、彼女のような笑みを浮かべているのだろう。

 一息つき、はやては慈しむように笑った。

 

「誕生日おめでとう、ミコちゃん」

「ああ。ありがとう、はやて」

 

 こうして、クリスマスイブの一騒動は収束した。

 

 

 

 

 

 優しい時間が流れていた。オレとはやてを包むように、ゆっくりと流れていた。

 決して止まることなく。無慈悲に、残酷なまでに……――




田井中と田中終了のお知らせ。でも無印始まったらどうせ皆いなくなるんだよなぁ(なんであんな事書いた! 言え!)
ミコトの性別はファンタジーです(ダメだ……まだ笑うな……こらえるんだ……し、しかし……)



ミコトの能力について

・「プリセット」
世界の法則や事象といった普遍的なものが、漠然としたイメージとしてストレージされている。これらはそのままでは表現することが出来ないが、言い表す言葉を得ることによって知識としての形を得ることが出来る。
情報量が莫大ではあるものの、前述の通り形を得ていない状態で保持されることによって、脳を圧迫せずにストレージすることが可能になっている。
応用することで後述の高精度なシミュレーションとトレースや、時間はかかるものの新たな技術の確立などを行うことが出来る。
なお、精神が歪な形で早期成熟してしまったのはこの能力が原因。



・「確定事象のトレース」
「プリセット」から物理法則を引き出すことによって可能な高精度シミュレーションと、その正確なトレース。これにより、乱数要素を除くとほぼ確実にシミュレーションの通りに動くことが出来る。
人為的要素などの環境乱数に弱い。これは、「プリセット」に含まれていない人間の心理や行動原理などが存在するために発生する。
また、トレース出来ると言っても身体能力を操作出来たりはしないので、出来ないことは出来ない。出来ることだけが出来る。
これが一番役に立っているのは、実は内職の造花作り。ミリ単位で正確な造花を作れるため、取引先からの評価は非常に高いという裏話があったりする。





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