そこはいかにも何かの実験室と思えるような部屋だった。
機材が散乱し、資料ともいえる紙束が積み上げられ、端末の画面には幾つものデータが表示されている。
そこでひたすらキーボードを叩いているのは白衣を着こんだいかにも研究者風の男だった。
手元にあるコーヒーの入ったカップに口を付け、ご機嫌な様子で作業を進めている。
そこにポケットに入れてあった携帯端末が鳴り響いた。
「誰だ? 今忙しい後にしろ」
≪申し訳ありません、博士≫
「ああ、お前か。何の用だ?」
≪博士に耳寄りな情報を提供しようかと思いまして。……実はテタルトスが博士の身柄を拘束しようと迫っております≫
博士と呼ばれた男は途端に興味を無くしたように、声を落とす。
「それだけか? なら切るぞ」
≪いえ、こちらが本題です。そちらに向かっているのはテタルトスだけではなく、カウンターの一人もです≫
「何? 誰が来る?」
≪アスト・サガミですよ≫
「そうかカグラの息子か……くっ、くくく、アハハハハハ!! そうか、こちら来るのかァ! いいぞ、いいぞ! 丁度いいタイミングだぞ!」
博士は先ほどの様子から一転し、小躍りしそうなほどに歓喜しながら立ち上がると、狂ったように笑い始めた。
「そうか、そうか! んで、そっちの要求はなんだ?」
≪そんなものは……博士は私の命の恩人。私が今も生きていられるのは博士のおかげですから、当然のことをしただけですよ≫
「つまらんご機嫌取りはやめろ。私はそういうのが一番嫌いだ」
博士の言葉に会話をしていた人物から笑みのような声が漏れ聞こえてくる。
≪本心だったのですが……失礼しました。では一つだけ―――≫
相手の要求に博士は心底どうでもよさそうに吐き捨てる。
「なんだ、そんな事でいいのか?」
≪ええ。博士には申し訳ないのですが≫
「実に下らんし、興味もないな、あんなもの。まあそれで情報の対価になるというなら、望み通りにしてやるさ」
≪ありがとうございます≫
端末を切り会話を終えた博士は今まで以上に機嫌よくキーボードを叩き始める。
「世界のことなどどうでもいい。……いやいや、楽しみだねぇ。早く来いよ、私のサンプルくん」
◇
手に伝わる固い感触を確かめながらアレンはシミュレーターの画面に映る敵の姿を注視する。
「よく出来てはいるけど……」
アレンが今使用しているシミュレーターはモビルスーツのコックピットに直接投影されるタイプのマシーンである。
自分の機体を使用する為に訓練には最適な代物ではあるが、一つ欠点がある。
それは所詮シミュレーターでしかなく、敵機のデータがどこかプログラムじみているということだった。
無論、動きはランダムで実機に近い動きをするのだがエース級の実力を持つ者達には不満な出来栄えとなっている。
これが対戦ならばまた事情が違ってくるのだが、最近の相手であるアオイやルナマリア、ベアトリーゼは仕事でブリッジに呼ばれている為、生憎相手がいなかった。
「まあ肩慣らしにはちょうどいいけどな」
やや不満に感じつつも、アレンはシミュレーターに映る敵を順調にさばき始めた。
「やっぱりぬるいな」
難易度に不満を持ちながら丁度一時間ほど、日課となった訓練をこなす。
特に問題もなくシミュレーターを終えると仕事を片付けたルナマリアがエクリプスのコックピットを覗き込んできた。
「お疲れ様です。なんだか気合が入ってますね? 何かあったんですか?」
「ん、そんなことはない」
差し出された飲み物を口にしながら、言葉を濁すとルナマリアはあからさまに不満そうな表情を浮かべた。
「あのですね、私ってそんなに頼りになりません?」
「いや本当にたいしたことじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「……最近は情けない事ばかりだったからな、自分に呆れているだけさ」
「前の戦闘の事ですか? そんなことないと思いますけど。機体も万全じゃないんだし」
「それは言い訳にもならないよ。『ヤキン・ドゥーエ戦役』ではもっと酷い状態で戦うことも当たり前だったんだ。それに比べて今の俺は甘えている……情けない」
アレンはシートに沈み込むようにして体を預けると目を閉じる。
「これじゃユリウスやアスランには勝てないわけだよ」
「ユリウスとアスランって……あの有名な?」
ユリウス・ヴァリス、アスラン・ザラの勇名はプラントにおいても健在である。
評議会はさっさと厄介者の名前は消し去ってしまいたいというのが本音のようだが彼らが打ち立てた戦果は消しようがなく、軍部では未だユリウスを慕うものすらいるらしい。
「奴らは今でも俺と決着をつけることを望んでいる。特にアスランはな。新しい機体まで用意して、その時を待っているんだよ。引き換え俺は……」
正直劣化しているのではと思う時がある。
昔ならばもっと上手くやれた筈だと。
そんな自分を追い詰めるような物言いに不安を覚えたルナマリアはコックピットの中に踏む込むとそのままアレンの体を抱きしめた。
「大丈夫ですよ、アレンはきちんとやれてます」
「……すまない、あの子たちを見て少し昔を思い出した。イレイズで戦っていた頃の事を」
あの頃はただ何も考えず、昔のような後悔だけはしたくないと我武者羅に戦った。
それでも守りきれないものがあって。
今はどうだろうと考えても、少しも進歩したような気がしない。
「俺は前に進めているんだろうか?」
「大丈夫、大丈夫です」
抱きしめてくれたルナマリアに身を預け、アレンは少しの間だけコックピットの中で目を閉じていた。
◇
ヴィルフリート・クアドラードの機嫌はすこぶる悪かった。
地球の初戦闘で無様な敗北を喫したり、ようやく標的に追いついたと思えば保守派に邪魔されたりと理由は様々ある。
だが今日はそれとは別の要因から苛立ちが収まらなかった。
急遽別件により任務を中断せざる得ない状況になってしまったのである。
「クアドラード少佐、もうすぐ指定された合流ポイントです」
「……そうか」
指定された場所にたどり着いたカルキディウスを待っていたのは色違いの同型艦だった。
『ディオネ級 クレオメデス』
特務を任されたアスラン・ザラに与えられたカルキディウスの同型艦である。
ただし通常のディオネ級とは違い、船体後方に大型の推進器を追加で設置しており、大幅に巡行性能が増加されている。
そう、ヴィルフリート達に急遽与えられた任務とは特務をこなすアスラン・ザラ中佐の支援であった。
「何故、我々が……」
正直な話、「知るか!」と一喝して蹴りたいくらいの話だが、正式な任務として下された以上、無視することはできない。
さらに言えば追撃していた連中もまたこれから向かうアムステルダムへと歩を進めているという情報もある。
ならば今回のコレは業腹ではあるが、好機でもあった。
戦闘禁止区域ではあるが、やり方次第で奴らに一矢報いることはできるだろう。
《お久しぶりですね、クアドラード少佐≫
「……そうですね、ザラ中佐殿。それで今回特務ということですが我々は何をすればよいので?」
《仔細は申し上げられませんが、アムステルダムにいると思われるとある人物の捕縛が今回の任務です。最悪でもその人物が持っているであろうデータの回収だけでも行うようにと命令を受けています。そこで我々が都市内で作戦行動を取っている間、カルキディウスにはアムステルダムから標的が逃れないよう監視をお願いしたい≫
それはつまりアスラン達の尻拭いをしろという事だ。
これが自分達も直接関わる任務であれば納得できたかもしれない。
しかし任務の仔細も話さず、参加させず、ただ外から見ていろと。
これではそれこそアスランの小間使いと同じではないか。
ヴィルフリートにとってこの任務は屈辱以外の何物でもない。
叫びたくなるような衝動を抑えるように拳を握りしめ、どうにか「了解」とだけ答えると横に立っていたヴァルターが口を挟んだ。
「ザラ中佐、こちらからもよろしいでしょうか?」
《……何でしょうか、ランゲルト少佐?》
「そちらとの任務の仔細が語られない以上、我々には標的の詳しい情報も得られない事になります。特務である故に仕方がない事だとは思いますが、いざという時の為にせめて連絡だけでも円滑に行いたいのです。そこで我々の艦からも数人、アムステルダムの方へ待機させたい」
《なるほど、分かりました。人選はお任せしますが、正確な人数と配置をこちらに知らせてください》
「了解しました。それからもう一つ、我々に排除命令が下っていた地球軍改革派の戦艦もまたアムステルダムに向かっているという情報が入っています」
ヴァルターからもたらされた情報にアスランはモニターの中で僅かに顔を顰める。
その表情を見たヴァルターは若干楽しそうに彼を掻き乱すもう一つの事実を告げた。
「その中にはエクリプスの姿も確認されています」
《ッ!?……なるほど。地球に降りて改革派と合流していたのか。了解しました、情報提供感謝します。では後ほど》
今のやり取りを横で聞いていたヴィルフリートは怪訝そうな表情を浮かべる。
「何だ? ザラはエクリプスと因縁でもあるのか?」
確かに前の戦闘ではエクリプスに逃げられたようだから、ある程度の執着は持ってもおかしくない。
しかし先程のアスランの表情からにじみ出ていた感情は執着などという生易しいものではなかった。
「まあ色々あるのでしょうね。それより配置はどうされますか、クアドラード少佐?」
「……貴方に任せる。というか言いだした以上、何か考えでもあるのでは?」
「いえ、ただ運が良ければ会えるかと思っただけですよ」
それ以上は語らず、ヴァルターはただ笑みを浮かべていた。
◇
訓練を終えたアレンはルナマリアと共に時間ギリギリで間に合った昼食にあり付いていた。
アイザック艦内の雰囲気は相変わらず悪く、民間人が集まりやすい食堂も重い空気が流れている。
しかし目的地であるアムステルダムに到着する時刻が近づくに従ってそれも徐々にだが緩和されつつあった。
「もうすぐアムステルダムですね」
「ああ、これでようやく連絡が取れる」
「……連絡ですか?」
前の席で同じく食事を取っていたミレイアがケイの口元を拭きながら首をかしげた。
この前の一件以来、彼女たちとはこうして食事を取ったり、話をしたりするくらいには打ち解けていた。
特に幼いケイはアオイに非常に懐いており、姿を見るたびに駆け寄っていく様子をよく見ている。
「保護するときに言ったと思うが、俺たちは元々地球軍改革派所属じゃないんだよ」
「ああ、そうだったんですか」
さほど興味のある話題では無かったのか、ミレイアはケイの口を吹き終えると手元に置いていた本を開いた。
「その本は……『SEED思想』に関する本か」
SEED思想が明るみになって数年。
この手の書籍はネットや書店などでいくらでも見かけるようになっていた。
内容は否定的なものから、単純な考察ものなど様々であり、ミレイアが読んでいるものは解説本に類するもののようだ。
「興味があるのか?」
「はい。人の可能性。肉体ではなく精神の改革。これが本当ならば、私もそうなりたいと思うほどには興味があります」
「何故?」
「そうですね。これは私なりの考えですけど、精神の改革を謳う『SEED思想』やローザ博士の『過度な状況変化に対応する為の適応能力』という研究結果。これって要するに人は変わっていく事が出来るって事じゃないですか。ならこの先、世界だって変われる。極端な話、戦争だっていつかは無くなるかもしれないって事でしょ」
アレンは思わず言葉を詰まらせた。
彼女の考えをただの妄想と切って捨てる事は簡単だ。
でもそれは可能性という希望を切って捨てるのと同じ気がした。
「……そうだな。そうなると良い。しかしそれはSEED思想が無くても変わらないと思う。人はSEEDなんて無くても変わっていけると、歩いていけると俺は信じている。……それにSEEDなんて戦争の役にしか立たないさ」
「そんな事ありません。いつかSEEDの可能性が―――変革した人類が未来を示す時が来ます。その時、私も未来の為に何かできればいいと思ってるんです」
現実はそう甘くはないだろう。
現に各陣営はSEEDをあくまでも軍事転用を前提とした研究が盛んに行われている。
最初にSEEDの存在を明るみにしたローザ・クレウス博士が所属する同盟ですら、そういう側面を持っているのだから。
「……未来の為にか。それこそSEEDは関係なく、自分の意思で決める事だと思うが―――」
《セイファート大尉、ホーク中尉、もうすぐ目的地へ到着いたします。ブリッジへお越しください》
「アレン、もうすぐ到着みたいですよ」
「……ああ。ミレイア、ケイ、色々迷惑をかけてしまって済まなかった。アムステルダムに着けば今までよりは安全な筈だ。まだ会う機会はあると思うが、別れを言っている暇があるか分からないから今の内に言っておくよ」
「色々あったけど元気でね」
「はい。お世話になりました、どうかお元気で」
手を振るミレイアとケイに別れを告げ、アレンとルナマリアはブリッジへと向かう。
本来であればもう彼女達と関わる事はなかっただろう。
しかし運命は彼らを別の場所で引き合わせる事になる。
◇
光が強いほど生まれる影も濃くなるもの。
光に照らされたアムステルダムの中心部から外れたそこはまさに影。
裏路地とも言える場所をアスランは歩いていた。
ここはお世辞にも治安が良いとは言えずガラの悪い連中や避難民からあぶれた連中が溜まり場としているような所だ。
まともな人間であれば好き好んで近づいたりはしないだろう。
だからこそ標的が身を隠すには絶好の場所とも言える。
だが、それはこちらにとっても好都合。
極秘の作戦故に目立つのは上手くない。
「ここか。A班、配置につけ」
「了解」
《ザラ中佐、B班配置に着きました》
《C班、周辺のクリーニング完了しました》
「よし、作戦を開始する」
路地の陰から目標となるビルを覗き込む。
二階建ての小さなビルで壁や窓には手入れが行き届いておらず、もはや廃ビルといっても過言ではないほど荒廃している。
警戒しながら反対側の路地に回り込んだラディスにハンドシグナルで指示を飛ばすと慎重にビルに近づいていく。
罠がない事を確認し、ラディスと他の部下達に頷きかけ、銃のセーフティを外すと慎重にビルの中に踏み込んだ。
踏み込んだ廃ビルは埃塗れの荒れ放題。
数人を二階に向かわせ、アスランは一階の捜索を開始する。
「中佐、これを」
部下の1人が見つけたのは床に倒れた机だった。
一見、不審な点も無いように見えるが、そこには確かにおかしな部分があった。
「ここだけ埃を被っていない?」
「ラディス、少し下がれ」
机を横へずらすと小さな扉が設置されており、地下へ続く階段が隠されていた。
「ずいぶんとレトロな事で」
「確かに。少し気に入らないな」
あからさま過ぎる。
それに埃の件も気にかかる。
探している標的の事を考えるとこんな初歩的なミスを犯すとは思えないのだが。
「爆発物の反応はあるか?」
「ありません」
「よし。ここに居ても仕方ない、行くぞ、油断するな」
さほど長くない階段を下って行くと荒廃した廃ビルには似つかわしくない最新の研究機材がいくつも置いてあった。
銃を構え、死角に注意しながら部屋を隅々まで調べていく。
「誰もいませんね」
「どうやら遅かったようだな。一応端末を調べる。データが残っていれば回収する」
アスランは手近な端末を立ち上げ、中身を確認するが案の定何の痕跡も確認できなかった。
他の端末も同じだろうとここでの探索よりも標的の行方に思考を巡らせ始めたその時、別の端末を調べていた部下の1人から声が上がる。
「中佐、こちらに来てください!」
「どうした?」
部下が調べていた端末の画面を覗き込むとそこには見た事がないデータ群が映し出されていた。
『e.s.system』
「これは……」
「収穫ですかね」
「そうだな。だが、なんでこんなデータが残っている?」
先程見た端末には痕跡すら残っていなかったというのに。まるでわざと残しているとしか思えない。
「……ラディス、B班と一緒にデータを持って帰還しろ。A班はこのままビル内の探索を続行、C班は俺と周辺の探索を」
「「了解」」
一応は最低限の任務を完了し、安堵すべき所なのだろう。
しかしアスランにはどこか釈然としない。
このビル内にも罠はなく、あっさりと地下への階段が見つかった所も気に入らなかった。
「誰かがわざとデータを回収させた? 一体何のために?」
疑問は消えない。
アスランは考えを纏めながらC班と合流する為、ビルの外へと歩き始めた。
◇
アムステルダムという都市はベルリン条約において戦闘禁止区域に指定された初めての貿易都市である。
この戦闘禁止区域設定の背景にはユニウス戦役における国家間の疲弊や頻発する武力衝突による世界経済の影響の考慮など様々な理由が存在する。
その中で戦闘禁止区域設定された大きな要因の一つになっているのがかつての中立都市コペルニクスから移住してきた旧市長や経営者達の手腕があったからだと言われている。
コペルニクスで得た人脈やノウハウを生かし、各国家、各陣営に働き掛けを行い、アムステルダムを戦闘禁止区域に指定させる事に成功したのである。
もちろんそれには相応の条件が存在していた。
その一つが各陣営の部隊を治安維持の為に駐留させるというものだ。
観光客や貿易商、戦闘区域から逃れてきた避難民達など不特定多数が溢れるこの都市で起こりうる混乱を軍を駐留させる事で未然に防ぐというものだ。
しかしそれは建前に過ぎず、本当の所は他の陣営が手を出さないか、不正な事をしていないかなどをいわば監視する為のもの。
その中の一つである同盟軍のベース。
ウィーン前線基地の兵士達と訪れたアレンは現場を任されている司令官に今までの経緯の説明を行っていた。
「―――以上が事の経緯であります。つきましては本隊の方へ連絡を取って貰いたいのです」
「なるほど。まずは御苦労だった、セイファート大尉。君達のおかげで生き延びた兵士達や民間人が救われた、私の方から礼を言わせてもらう。それからストックホルムの方へ連絡を入れておく」
「ジブラルタルではなく?」
「そうか。君達は知らないのも無理は無いな。実はもうすぐミュンヘンの方で我が同盟とプラント、地球軍、テタルトスの四陣営で会談が行われる事になった」
「会談? この間、決裂したばかりでですか?」
「ああ。詳しい経緯は知らんが、上の方で上手く話し合いが行われたのだろう。連中の降下作戦はこれを見越していたのかもしれんな」
「……その後のヨーロッパ戦線の情勢に変化は?」
「特には。保守派が活発に動いてはいるようだが相変わらずの膠着状態だ。テタルトスに関しては以前とそう変化は見られない。不気味なほどにな」
あれだけ派手に降下作戦を行っておきながら、動きがないとは。
司令が訝しむのも当然だ。
あの時、降下する戦力のすべてを確認した訳ではないが、結構な数が降下した筈。
あの数を他の陣営に対する牽制だけで地球に下ろしたとも思えない。
「大尉、今は考えていても解らんよ。我々はもしもの場合に備える事しかできん。とにかくその関係でプラントのカーライル議長がジブラルタルを訪れているんだよ。その所為で向こうは警戒厳重なのさ。噂では特務隊も連れてきているらしいからな」
「了解しました」
司令官の話を聞いて納得する。
確かに考えていても答えは得られない。
それに議長が地球に来ているとなると、こっちに迎えを寄こしている余裕も無いだろう。
「迎えが来るまで少し時間もかかる。到着するまで少し休むと良い。ここまで激戦続きで疲れているだろうからな」
「ハッ! ありがとうございます!」
前線基地から一緒だった将校達にも別れを告げ、ベースを後にする。
ルナマリアはアオイやミレイア達と一緒に先にアムステルダムへ入っている筈だ。
「さて、思わぬ休暇か。ルナマリアとの待ち合わせ時間にも少しあるし、街中を歩くか」
アムステルダムの街は多くの人で賑わっていた。
煌びやかな高級店から路上に開かれている露天まで。
多くの店が立ち並び、そこに多くの人が詰め寄っている。
戦闘禁止区域に指定されているだけあって観光客も多いようだ。
「しかし凄い人ごみだな。迷いそうだ」
のんびり観光とは行かなそうだと少し辟易し出した所で、背中から近づいてくる気配を感じた。
咄嗟に振り替えるとそこには予想外の人物が立っていた。
「本当に会えるとは思いませんでしたよ」
「レティシアさん!? いや、違う、のか」
「ふふ、また会えましたね。アスト・サガミ君」
「ッ……その声、ヴァルター・ランゲルトか」
ヴァルターは長い金髪を背中でまとめ、目立たない為かジャケットを羽織っていた。
彼女に良く似ている。
いや、似すぎている。
レティシアより年下のようだが、顔立ちはそっくりで声まで同じだった。
何故こんな場所にいるのかと聞くのは愚問だろう。
彼らは自分達を追ってここに来たと考えるのが自然だ。
アレンは動揺しながらも警戒し、懐にある銃に手を伸ばす。
「そう警戒しないでください。それにここで騒ぎを起こすのはお互い不味いでしょう?」
「……ハァ、それを見越して近づいてきた癖に食えない奴だな。それで俺に何の用だ?」
「いえ、よろしければ一緒に街を回りませんか?」
「は?」
一瞬、何を言われているのか解らなかった。
「先程から見ていると単に街を見ていただけのようですし、暇なのでしょう? 一人で見て回っても退屈なだけですし、一緒に回らないかと誘っているんですが?」
「……どういうつもりだ?」
「いえ、私の方も時間が出来ましたし、後は単純な好奇心というか、貴方に興味があるんですよ、アスト君」
笑顔を浮かべるヴァルターを胡散臭げに見つめるアレン。
何を考えているのか全く読めない。
何かの作戦なのか。
どちらにせよ目的が分かるまでは、放置するのは得策ではないかもしれない。
「……どこに行くんだ?」
「あら、一緒に回ってくれるんですね」
「そういう風に誘導した癖に、本当に食えない奴だな。お前の好きな所でいい、ヴァルター・ランゲルト」
そう言うとヴァルターは考え込むように顎に手を当てる。
「……ふむ、フルネームで呼ばれるのは些か堅苦しいですね。……よし、いいでしょう、ここで私の事はヴィクトリアと呼んでください。私もアスト君と呼ばせてもらいましょう」
「ヴィクトリア? それがお前の本名なのか? いや、それよりもアスト君はやめてくれ」
この顔、この声で、しかもその呼び方をされるとどうも調子が狂う。
「なるほど、誰かさんとダブるという事ですね。ふむ、普通の呼び方ではつまらないですし……」
「いや、待て。変な呼び方されたらたまらない。普通に呼び捨てで良いだろう」
「そうですか、ちょっとつまらないですけど、とりあえずはアストで」
呼び捨てというのもどうかと思ったが、変な呼び方をされるよりはマシであると無理やり自分を納得させる。
「それでどこに行くんだ、ヴァ―――いや、ヴィクトリア」
ヴァルターと呼ぼうとしたら、妙に迫力のある笑顔を向けられたので渋々先程告げられた名前を呼ぶ事にした。
どうにもやりにくい。
「では行きましょうか、アスト」
こちらの手を掴み、逃がさないとばかりに腕を組んで歩き出すヴァルターにアレンは黙って着いて行くしかなかった。
溢れる人ごみをかき分けるようにアレンはそこら中の店という店を見て回る羽目になった。
「……お前、やっぱり女か」
ヴァルターなんて男の名前を使っているがやはりこいつの性別は女性のようだ。
「あら、どこで気がついたんですか?」
「ぐっ」
腕に当たる柔らかい感触で気がついたとは言い難く、言葉を詰まらせてしまう。
「冗談ですよ。そもそも私は男なんて言った事は一度もありませんよ」
「じゃ、なんでヴァルターなんて偽名を使ってるんだよ」
「さあ。でも偽名を名乗っているのは貴方もじゃありません? アレン・セイファートなんて何時まで名乗っているつもりですか? 貴方はアスト・サガミでしょ」
「ハァ、そうだな。お互い様か、くだらない事を聞いて悪かった」
こちらをからかうようにクスクスと笑うヴァルター、いやヴィクトリアはやっぱり彼女によく似ている。
「……君は何者なんだ? レティシアとどういう関係だ?」
「気になりますか?」
「当たり前だろう」
「ふふふ、内緒です。今はね」
ヴィクトリアはそれ以上何も言う気がないのか、楽しそうに笑いながら近くの店を覗き込んでいる。
結局、答えは聞けないまましばらく歩いていると、少し疲れた。
この人ごみは思った以上に堪える。
休憩を兼ねて露天のアイスを買い、街の外れにある殆ど人が居ない公園のベンチに座る事にした。
「流石アムステルダムですね。ここまで賑わっているとは」
「ああ。俺もここまで多いとは思っていなかったよ」
アレンが買ったのは普通のバニラ味だ。
アイスを舐めると喉の渇きを潤すような冷たさと甘みが口に広がる。
美味しい。
喉が渇いていたからか余計にそう感じる。
横を見ればヴィクトリアがストロベリー味のアイスに口をつけずジッと見つめているのに気がついた。
「……食べないのか? 溶けるぞ?」
「え、ええ。分かっています」
ヴィクトリアは緊張気味にアイスに口を付けると、驚いたようにこちらを見てきた。
「アスト、アスト! すごくおいしいですよ、これ!」
「そうか。気に入ったなら良かったよ」
「はい! 初めて食べましたけど、とてもおいしいですね!」
「初めてなのか?」
「ええ。ずっと戦場に立っていましたからね、こんな風に任務以外で誰かと出歩くのも初めてですよ」
どうやらヴィクトリアもまともな生き方をしてきた訳じゃないらしい。 その事を聞こうと思ったのだが、誤魔化されるだけだろう。
アレンはそのまま何も聞かず、溶け始めたアイスを食べる事に集中する事にした。
「さて、アイスも食べ終わりましたし、行きましょうか」
もう諦めの境地に達していたアレンは何も言わずに立ち上がると、ヴィクトリアの後に続いて歩き出す。
その先であり得ない人物と鉢合わせする事になる。
ルナマリアやアオイ、ミレイアとケイ。
その四人と共に立っていたのは―――
「貴様、アスト・サガミ」
「……アスラン・ザラ」
相容れない宿敵同士。
再び邂逅する事になった。
◇
中立同盟にとって『ヨーロッパ戦線』の要の一つであるストックホルム基地は警戒体勢のまま、各部隊が出撃と帰還を繰り返していた。
それはテタルトス軍や保守派との戦闘が散発的に繰り返され、ヨーロッパの緊張感が高まっている事も関係している。
だが最大の理由は違うものだ。
そう、近々行われるミュンヘン会談が近づいてきた事が最大の理由である。
「こちらデスティニー、偵察から帰還します」
《了解、一番滑走路を使用してください》
偵察任務から戻ったシンはデスティニーを一番滑走路に着地させると、格納庫のハンガーへと移動させた。
「お疲れ様、シン」
「ありがとう、セリス」
差し出された飲み物を口に含み、水分を補給していると少し慌てた様子のキラが端末を片手に近づいてきた。
「どうしたんですか、キラさん。例のデバイス―――えっとe.s.デバイスでしたっけ? 調整してたんじゃ」
「ああ、そっちはまだ進めている最中なんだけど。シン、実は君に頼みがあるんだ。偵察から戻ったばかりで申し訳ないけど、アムステルダムへ向かってもらえないかな?」
「アムステルダムですか?」
「うん。実はアストから連絡があったんだ」
「アレンから!? ということはルナも一緒だよな」
「無事だったんだね、良かった」
アレンとルナマリアが大気圏の戦闘で地球に降下したという話は聞かされていた。
しかしそこから行方が全く掴めず、大気圏突破に失敗したのではという無責任な噂まで流れていたのだが――
「良かったぁ、やっぱり無事だった」
「だから言っただろ? あの二人がそう簡単にやられたりしないさ」
まあアレンやルナマリアの技量ならば、よほどの相手でない限り、遅れを取る事もない。
大丈夫だとは思っていたが、こうして無事を聞かされるとホッとする。
「色々あってどうにかアムステルダムに辿りついたらしいんだけど、そこから身動きが取れないらしくてね。迎えに来て欲しいらしい」
「分かりました。でも俺だけじゃないですよね?」
「もちろん。まずはオスロ基地に停泊している戦艦と合流してくれ。君もよく知っている戦艦だから」
手渡された端末を見ると記載されていた戦艦の名前を見て、シンは思わず目を見開いた。
「……ミネルバ」
懐かしさすら覚えるその名前にシンは自然と笑みが浮かべていた。