ユーラシア連邦。
それはロシア、EU諸国を中心とした連邦国家であり、巨大な地球連合という組織の中でも大西洋連邦と並ぶ発言力を持った一大勢力であった。
しかしそれも今は昔の話。
ヤキン・ドゥーエ戦役終盤からユニウス戦役に掛けて起こった様々な出来事の煽りを受けて勢力は分裂、大きく弱体化してしまったのである。
現在では風前の灯とまではいかないものの、かなり追い詰められた状況へと陥っていた。
「さて、では会議を始めよう。我らユーラシアの未来の為に」
議会場に集まったユーラシアの主要人物を取り仕切るように初老の男が声を発した。
「今回の議題は言わずもがな、ミュンヘン会談に対する我が勢力の対応と対策を協議したい」
「対応と対策と言っても、我々が取れる手立ては多くありませんよ」
「ですな。今まで通りの静観か、どこぞの勢力に尻尾を振るか。もしくは……」
「静観はあり得ないでしょう。ユニウス戦役やベルリン条約と同じ轍を踏むことにもなりかねない」
ユーラシア弱体化の要因の一つとして語られているのが、ユニウス戦役時における対応だった。
ユニウス戦役中盤、世界を裏側から牛耳っていた組織『ロゴス』の存在がギルバート・デュランダルによって世界にさらけ出された。
当然ではあるが世界は混乱の只中へ突入する事になり、最終的に二つの立場へ自ずと分けられていった。
ロゴスに従うか。
それとも抗うか。
従うもの達はロゴスの下へ。
抗うものはデュランダルの下へ走った。
中には中立同盟のように反ロゴスを掲げながらも、デュランダルと協調しなかった勢力もあったわけだが。
そんな状況でユーラシアが選んだ選択は静観。
ロゴスからの離脱を掲げるわけでもなく、特に協力も表明しないというものだ。
これはユーラシア西部地域の対連合感情が悪化傾向にあり、連合からの分離独立運動が活性化していた為、鎮圧に力を注がなければならなかったという理由もある。
だがそれ以上に大きな理由もあった。
確かに混乱したものの戦力的に勝っていたのはロゴス側だった事。(少なくともユーラシアはそう判断していた)
幾らデュランダルが騒ごうとプラント側の不利は否めないと判断したからだ。
しかし、結果はその予想を覆し、反ロゴス側の勝利に終わった。
ユーラシアは最後まで自分達の立場を明確にする事をしなかった。
世界からはロゴス派であると認識され、国際的にも孤立した状態に陥ってしまったのである。
「では、どうする? 仮に他勢力と組むとしてもイスラフィールやロアノークとの同盟など不可能だろう。アラスカの件もあるしな」
「ええ。新型機開発でも遅れを取っていますし、戦力的に役に立たないと見なされれば上手く組めたとしても立場は以前と同じかそれ以下。下手すれば捨て駒扱いでしょう」
「となれば一番可能性がありそうなのは、中立同盟ですが」
「それも我々と組むメリットを示さねば、アルムフェルトやアスハは首を縦には振るまいよ。奴らとて火中の栗を進んで拾うような真似はすまい」
静観も他勢力との協調も難しい。
そうなると必然的に残った手立てを取るしかない。
「となると最後の手段しかないかと……」
「あの男からも再三にわたって返答の要求がきています」
「あんな男の事が信用できるのか? 我々を都合よく利用しようとしているようにしか思えん。あの機体やそれを操るエクステンデットの提供など都合が良すぎる」
「それは同感ですが……アルテミスの件もありますから」
全員が一様に顔を顰めて押し黙った。
「……受け入れたのは間違いだったのでは?」
「それこそ言っても始まらんよ」
再び黙る一同に再び初老の男が口を開いた。
「そろそろ結論を出したいのだが?」
「……私は反対です。リスクが高すぎる。少しでも可能性があるなら、同盟との協調を模索した方がまだいい」
「賛成だ。手をこまねいていても埒が明かんよ。無論、相応の対策も必要だが」
賛成と反対の手が次々に上がり、それを初老の男が確認すると軽く頷いた。
「……結論は出たな。異議はあるまい」
不満そうにしている者はあれど、その場で反論する者は誰もいなかった。
◇
テタルトスからの追撃を逃れたアイザックは援軍として駆けつけていたミネルバと合流を果たしストックホルムへと向かっていた。
久々にミネルバの格納庫に足を踏み入れたアレンとルナマリアに笑顔で近づいてきたヨウランやヴィーノ、それに部下であるパイロットたちが駆け寄ってくる。
皆と無事を喜び合いながら、二人は安堵したように肩の力を抜いた。
「何というか、帰ってきたって感じですね」
「そうだな。何だかんだと1か月以上は離れていたからな」
アイザックの生活も悪くはなかったが、やはり長年過ごした艦の方が気分的にも落ち着く。
それにアレンにしてみればこれでようやく艦の指揮から解放されることもありがたかった。
正直、艦の指揮を執ることは性に合わない。
モビルスーツに乗って戦っていた方が遥かに気楽だった。
艦の指揮を執っているマリューやタリアの苦労が身に染みた。
今度、労いの贈り物でも渡そうと思う。
「アレン、お姉ちゃん!!」
「メイリン、元気だった?」
「もう、元気だったじゃないよ、すごく心配したんだからね!」
「ごめん、ごめん」
よほど心配していたのかブリッジから降りてきたメイリンが不満そうに抗議してくる。
本気で怒っている訳ではなく、それだけ心配していたということだろう。
「二人とも相変わらず、仲いいよね」
「ホントだよな」
「え、シンに……セリス!?」
「おいおい、久しぶりだなぁ! セリスは体はもう大丈夫なのか?」
「元気、元気。前より調子いいくらい」
ミネルバに運び込まれたデスティニーリファインとランドグリーズから降りてきた二人の姿に先ほど以上に歓声が上がった。
中には二人を知らない者もいるが、大半がユニウス戦役からミネルバに乗船しているメンバーである。
事情があって艦を降りた形となった二人を心配していた者も多かったのだ。
「ヨウラン、ヴィーノ、そっちこそ元気だったか? まだアイドルの追っかけやってるのかよ?」
「うるさいよ。過酷な軍勤務の中の癒しなんだからいいだろ。やっぱいいよ、ミーア・キャンベルは」
「前はティア・クラインがいいとか言ってた癖に」
「アレはアレだっての!」
シンやルナマリア、そしてセリスは同期であるヨウランやヴィーノ達と懐かしみながら楽しそうに笑みを浮かべている。
ユニウス戦役での別れ方からして、再会の喜びもひとしおなのだろう。
「ルナマリア、後でシンとセリスを連れてきてくれ。俺は先に艦長のところへ行く。班長、機体の修復をお願いします」
「了解! おし、お前ら仕事だ仕事!」
アレンはエイブスにその場を任せ、タリアの待つ艦長室へ足を向ける。
艦長室では安堵した表情を浮かべながらタリアとアーサーが待っていた。
「アレン、無事でよかったわ」
「はい。ご心配おかけして申し訳ありませんでした」
「ええ。積もる話もあるのだけど、それは後で。現状を話しましょう」
「アムステルダム駐留の部隊から聞いているとは思うが、近日中にミュンヘンにて地球連合、中立同盟、プラント、そしてテタルトスの四つの陣営で会談が行われる事になっている」
アーサーが詳細を記した端末を手渡してくれる。
「同盟からはアスハ代表とアイラ様が出席される……護衛につくのはアークエンジェル、カーライル議長の護衛にドミニオンと特務隊か」
「ええ。我々ももしもの場合に備えてミュンヘンにて待機しろと命令が下っているわ。アイザックと一緒にね」
「アイザックも?」
「改革派は今回の会談には出席できないと打診があったの。その代わり戦力だけでもってことなのかもしれないわね」
メキシコ戦線はそれだけ気が抜けない状況なのか、せめてアイザックの戦力だけでもこちらに回し体裁だけでもという思惑なのだろう。
「艦長は今回の件をどう思われますか?」
「……そうね。当然この会談に何らかの思惑があるのは間違いないでしょう。情報が足りないから断言はできないけど。それから今回の会談、もしかすると何かの契機になるかもしれないわね」
「はい」
タリアの言葉に賛同しながらアレンは再度手元の端末に視線を落とした。
◇
アイザックとの戦闘を終えたアスランはヴァルターからの状況報告にため息をついた。
ほぼ計算通りにアイザックをかわし、味方の損害を最小限に抑える事には成功した。
それでも被害は決して軽視できるものではなく、すぐさま立て直すという訳にはいかない状況であった。
「……なるほど。カルキディウスはアムステルダムで修復作業を行うしかないな」
「それが懸命ですね」
アグニの一撃をエンジン付近で受けたカルキディウスのダメージは思った以上に酷く、遠距離航行に支障が出るレベルだと報告が上がってきていた。
この状態ではバルカナバート基地まで帰還できるものではない。
「最低限のモビルスーツを護衛に残して、他は全機クレオメデスに移動するように命令を」
「了解しました」
「クアドラード少佐の容体は?」
先の戦闘における誤算、それがヴィルフリート・クアドラードの撃墜だった。
幸いコックピットへの直撃は避けられていたが、ヴィルフリートは相応の怪我を負っていた。
「命に別状はありません。まあ重傷には違いありませんが」
「そうですか」
両手、片足を失い、胸部に穴が開いて完全に大破したH・アガスティアをため息をつきながら見つめる。
この件についてはヴィルフリート自身にも責任がある。
あの時、素直に撤退していれば彼が負傷する事もなかっただろうに。
「……今更それを言っても仕方ないか。ランゲルト少佐、貴方もクレオメデスに移動してください」
「カルキディウスの方は良いのですか?」
「そちらの指揮はアムステルダム駐留軍に任せます。我々には一度バルカナバート基地へ帰還するように命令が下っていますから」
「帰還命令ですか?」
「ええ、会談もあります。万が一に備えて待機せよという事でしょう」
もちろんそんな事態に陥らないに越したことは無い。
だが、アスランには確信があった。
戦争はまだ終わらないという確信が。
ヴァルターとの打ち合わせを終え、ブリッジにも戻ろうとしていると格納庫の端で数人が集まっているのが見えた。
「何かの騒ぎですか?」
「さあ?」
どうやら数人のパイロットと整備士たちがシミュレーターを囲って何かをしているらしい。
深刻な事ではないようだが、些か緊張感に欠けてみえる。
別に騒ぐなとは言わないが、適度な緊張感というものは必要だろう。
「何の騒ぎだ?」
「ち、中佐!? い、いや、これはその……」
狼狽えるパイロットたちの間からシミュレーターを覗き込むと意外な人物が座っていた。
「ミレイア・ロスハイム!? どういう事だ、ラディス?」
「別に。ただ単に士官室に閉じこもってばかりじゃ、気が滅入るかと気を使っただけですけど」
パイロットたちに混じっていたラディスが悪びれる事もなく、肩を竦める。
「ここは民間人を入れる場所じゃない。すぐに――」
「少し待ってください、ザラ中佐、あれを」
ヴァルターが指し示したのはシミュレーターに映し出されたミレイアの数値だった。
民間人にしてはかなり高い数値が記録されている。
「彼女は素人だった筈だな?」
「は、はい。最初は本当に大した事なかったんですけど繰り返してるうちにコツを掴んだのか、数値が上がっていって」
「……才能があるという事か」
それが良い事なのか、悪い事なのかアスランには判断できない。
ただ才能があろうが、無かろうがこの場で言うべき事は決まっているが。
「とにかく彼女を格納庫に入れるな。軍事機密の事もあるが、それ以前にモビルスーツの出入りもあって危険だ」
「り、了解しました」
パイロットたちを解散させたアスランはシミュレーターを終えたミレイアを気分転換も兼ねて食堂へ連れていくことにした。
ラディスの言い分にも一理あると思ったからだ。
民間人をずっと士官室に閉じ込めておくのは、流石に配慮が足りなかった。
「ミレイア・ロスハイム、不便な思いをさせているがバルカナバート基地に戻れば少しはマシになる筈だ。それまでは我慢してほしい。しかし配慮が足りなかった事については謝罪する。済まなかった」
「い、いえ、そんな事ありません。私こそ勝手な事をしてしまって」
まさか謝られるとは思わなかったのか、頭を下げたアスランにミレイアは驚いたように手を前で振った。
ミレイアの知っている男、つまりは父親が主になるが決して頭を下げるような人間ではなかった。
だからこそ男性であるアスランが自分に頭を下げた事が驚きだったのだ。
「とにかく格納庫にはもう近付かないでくれ。君が危険な目に遭う可能性もある」
「わかりました」
「ラディス、お前が彼女をエスコートしてやれ」
「なっ、俺が!?」
後ろから付いて来ていたラディスがあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
「彼女に気を使って格納庫でシミュレーターをやらせるくらいに気にかけているんだろう? なら最後まで面倒を見るんだな」
ラディスはミレイアを勝手に連れだしただけに反論もできず、バツの悪そうな表情を浮かべながら食堂まで歩いていった。
「さて、ランゲルト少佐。貴方に聞きたい事があります。……アムステルダムの件で」
「分かりました」
鋭い視線に全く怯む事無く笑顔を浮かべるヴァルターに内心ため息をつきながら、部屋へと向かった。
◇
夜の帳が下りた頃、ミネルバとアイザックはどうにかストックホルム入りする事ができた。
整備士達が二隻の艦に取りつき修復作業を開始するのを尻目にアレンは急ぎとある場所へ向かっていた。
本当ならアイザックのメンバーとも打ち合わせを行いたかったのだが、時間が時間なので今日は遠慮する事にした。
基地内を進んで、目的の部屋へたどり着くと扉の前にあるボタンを押して、声を掛けた。
「失礼します」
《どうぞ》
先日にも聞いたヴィクトリアの声とダブる。
複雑な気分になりながら、扉を潜るとベットに金髪の女性が座っていた。
「気分はどうなのですか、レティシアさん?」
「ええ、大した事はありません」
ベットに座るレティシアが柔和な笑みを浮かべながら、手を振っている。
その姿に安堵しながら、アレンは常備されている椅子に座った。
「驚きましたよ、貴方が倒れたと聞いた時には」
聞きたい事があってレティシアを探していたアレンは彼女が職務中に倒れたという話を聞いて、急いで医務室に駆け付けてきたのだ。
「倒れた訳じゃなくて、少し疲れていただけですよ。でも心配してくれてありがとうございます、アスト君」
確かに最近の目まぐるしい情勢の変化と対応でアレン達もクタクタになるほど疲れている。
しかも彼女はこの上、教官まで務めているのだからその疲労はアレン達の比ではないだろう。
「体には気を付けてください。……それから少し聞きたい事があるのですが?」
「なんでしょうか?」
「……ヴィクトリアという女性を知っていますか?」
アレンの口から出たのが女性の名前だった事が気にくわないのか、先ほどまでの穏やかな表情から一転。
冷たい能面のような顔でこちらを睨みつけてくる。
「……また貴方の悪い癖が出たみたいですね。そういえばグラオ・イーリス所属のパイロット達とも仲が良いとか。ルナマリアさんとの事もありますし」
底冷えするような声にアレンは思わず椅子からずり落ちそうになってしまう。
というか怖すぎて、震えが止まらない。
そもそもどこからそんな話を聞きつけてくるのだろうか?
「い、いや、違いますから! ていうか真面目な話なので!」
命の危機を感じ、必死に弁明する。
聞いてくれた事はあまりないけど、無実である事は訴えておきたい。
「ふん、こっちも真面目な話なのですが……まあ聞きましょう」
「マユにも言っておかないといけませんね」とかいう声が聞こえてきた気がするけど、聞かなかった事にする。
「実はアムステルダムで貴方そっくりの人物に会いました。名前はヴィクトリア、普段はヴァルター・ランゲルトと名乗ってテタルトスでパイロットをしているようなのですが、貴方に心当たりは? 例えば妹さんとか」
「私に妹はいません。いませんけど……ランゲルト、ですか」
レティシアには心当たりがあるのか、考え込むように顎に手を当てている。
「知っているんですか?」
「いえ、私自身の知り合いではありませんが、両親の職場の同僚に同じ名前の人物がいました」
「両親の?」
レティシアの両親はヤキン・ドゥーエ戦役で戦闘に巻き込まれ死亡したと昔に聞いた事がある。
確かその前は月のコペルニクスに住んでいたらしいとも言っていた。
「両親は何の仕事をされていたんですか?」
アレンの意図に気が付いたのか、レティシアは苦笑しながら否定する。
「アスト君の危惧している事は分かりますが違いますよ、研究者じゃありません。両親は薬剤関係の仕事についていました。研究職とも違う、事務関係の仕事です」
「ではそのランゲルトさんも?」
「確かその筈ですけど……」
では何故、ヴィクトリアがあれほどレティシアに似ているのだろうか?
最初は両親が研究者でレティシアのクローンか。
ティアのような特殊な事情で妹を誕生させていたのか。
どちらかだと思っていた。
しかし彼女の両親がコペルニクスにいた事。
そしてランゲルトの名前を持つ同僚がいた事。
そしてヴィクトリアが月に誕生したテタルトス月面連邦のパイロットをしている事。
すべてが偶然とは思えない。
そこで何故かあの研究者、ヴェクトの顔が思い浮かんだ。
何故かは分からない。
しかし奴はメンデルの研究者であり、テタルトスの関係者である事も間違いないのだ。
もしかすると――
「アスト君、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」
「え? あ、ああ、何でもありません」
それは最悪の想像だった。
自分やキラ、ラクスだけでなくレティシアまでメンデルの忌まわしい運命に巻き込まれているなど、想像もしたくない。
仮に巻き込まれていたとしても、彼女に知らせるべきではない。
絶対に。
アレンはヴィクトリアがレティシアの関係者である事を今の話でほぼ確信していた。
根拠はないが、ヴィクトリアと対面したからこその結論。
だから、これ以上レティシアをこの件に触れさせるつもりはなかった。
それはメンデルに翻弄され、心に大きな傷を負った事があるからこその決意だった。
「……ありがとうございました、レティシアさん。偶然だとは思いますが念のために、この件は俺の方で調査します。だから他の人にはできるだけ伏せておいてください」
「アスト君、また自分だけで何かを抱え込んでいませんか?」
「いえ、そんな事はありません。今はミュンヘン会談の事もありますからそっちに集中します。何かあれば報告しますから」
アレンは椅子から立ち上がり、一度だけレティシアの髪を撫でるとそのまま医務室を退出した。
「……嘘つき」
痛ましいものを見るかのような悲しい表情でレティシアはアレンの背中を見送っていた。
◇
医務室を後にしたアレンは別の部屋を訪れていた。
そこは戦友であり、最も親しい友人であるキラ・ヤマトの部屋だった。
「キラ、入るぞ」
扉を開けたアレンの視界に入ってきたのは、キーボードを叩きながらカップに口を当てているキラの姿だった。
その背後には長い黒髪を靡かせた色っぽい女性が控えている。
「アスト、こっちに来ていたんだね。到着は遅くなるって聞いていたから、今日は来ないかと思っていたよ」
「ああ。少し確かめたい事があったからな。それからニーナ、元気そうだな」
「ええ。お久しぶりです、サガミ大尉」
「今の俺はアレン・セイファートだよ」
キラの後ろに控え恭しく頭を下げる黒髪の女性に思わず苦笑する。
彼女はニーナ・カリエール。
ユニウス戦役以前からキラの部下として仕えている女性である。
セリスの親友でありどんな人物と接する時も礼節を忘れない美しい女性であるが、その能力は優秀でキラも重宝していると聞いている。
アレンは用意された席に座りると、ニーナが用意してくれた紅茶に口を付ける。
「美味いな。何時もこんな至れり尽くせりなのか? 良くラクスが怒らないな?」
「……もう、十分怒られてるよ」
「ふふふ、キラさんの面倒を見る事は私の楽しみの一つですから」
ニーナの言葉にキラはどこか諦めたように遠くを見た。
彼女は昔からキラに対する好意を隠しておらず、隙あらば迫っていると前に愚痴られた事があった。
今、ラクスはマユと共にミュンヘンの方へ警備に向かっている為、ここにはいない。
だから今日もニーナからアプローチを受けているのだろう。
「……刺されないようにしろよ」
「……それ、僕のセリフなんだけどね」
二人は苦笑し合い、それ以上踏む込む事無く別の話題を振った。
「それより色々大変だったみたいだね」
「ああ。慣れない艦の指揮まで執らされて、もう本当に大変だったよ。戦場では奴ら、ユリウスとアスランにも会ったしな」
その名前を聞いた途端キラは一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべる。
キラとしても彼らに関しては複雑な思いがぬぐえないのだろう。
「キラ、ユリウスは未だにお前を狙っているぞ。今度こそ決着をつけるつもりなんだろうな」
「やっぱりそうか。アスランの新しい機体の話を聞いた時から、分かっていたけどね」
「……開発を依頼した機体の方はどうなってる?」
キラは疲れた様子でため息をつくと現状を説明し始めた。
「フリーダムの方は組み立ては順調だよ。宇宙に運んで今はe.s.デバイスの調整を行ってる。でもこれが難航しててね、もう少し時間が掛かりそうなんだ。それより問題はイノセントの方でさ」
「どうしたんだ?」
「例のグラオ・イーリスに対する嫌がらせだよ。あの部隊に戦力を集めたくないって圧力があって、フレームごとお蔵入りだよ」
キラの報告にアレンは思わず「またか」と呟いてしまった。
いつもの事ではある。
今回は邪魔をされないよう念入りに手を回していたつもりだったのだが、どうやら準備不足だったようだ。
しかし頼んでいた機体が用意できないとなるとエクリプスで戦い続ける事になる。
「嫌がらせばかりに力を注いで、全く暇な連中だ。しかし新たな機体が用意できないのは痛いな」
「それについてはこっちにも考えがあるから」
「どういう事だ?」
悪戯を思いついた子供のような無邪気な笑みを浮かべキラが端末をこちらに向けてくる。
「実はフリーダムの予備フレームを流用しようかと思ってるんだ。アレは元々僕がデータ収集の為に作ったものだから、連中も口出ししにくい。その分急造ではあるけど、時間もなさそうだし。グラオ・イーリスに配備するには手回しが必要だけど、それはこっちでやるよ。今アストが動くと余計に連中を刺激するだけだからね」
「済まない、頼む」
「うん。まあ結構ギリギリになるかもしれないから、テストも満足にできないかもしれない」
「無いよりはマシだよ」
機体の件はキラに任せておけば大丈夫だろう。
だが話はそれだけではない。
いや、こちらが本題である。
「キラ、ヴェクト・グロンルンドという男を知っているか?」
「ヴェクト・グロンルンド? いや。その男がどうしたの?」
アレンはキラに話すべきかどうかを少し迷った。
だがキラの場合はレティシアの件とは事情がさらに違う。
警告の意味でも伝えておくべきだ。
「実は――」
アムステルダムで会った研究者の事。
そして情報と引き換えに実験に協力するように要請された件を伝えるとキラは憤りを堪えるように拳を握った。
「メンデルの研究者……」
「ああ、ユニウス戦役時の調査で、それらしい名前は無かったか?」
キラとニーナはユニウス戦役時、プラント側の情報を集める為に諜報活動を行っていた時期がある。
だからキラ達ならヴェクトの事を知っているかも知れないと思ったのだが――
「メンデルのデータはデュランダル元議長の指示だったのか、私達が調査に入った時にはすべてのデータが消去されていました。しかもかなり念入りに」
「うん。それに僕達が調査に入った他の施設にも、そんな名前はなかった」
「そうか」
ヴェクトがメンデルの研究者であった事は間違いない。
という事はメンデルの事故以降はずっと月にいたという事だろうか?
そこで研究を続けていた?
「アスト、その研究者について単独で内偵するつもりかい?」
「……お前に隠していても仕方ないな。俺は奴の条件に乗ろうかと思っている。流石にルナマリアを巻き込む気はないが……」
「そう。分かった。僕も協力するよ」
「キラ、お前」
「メンデルなら僕も無関係じゃない。気になるのは僕も同じだからね」
どうやらキラもアレンと同じ結論に至ったようだ。
ヴェクト・グロンルンドは放置できないと。
なら、止めても無駄だろう。
メンデルの件で傷を負ったのはアレンだけではないのだから。
「……分かったよ」
頷くキラと共にアレンは出来る限りの情報交換を行う事にした。
世界に巣食っているかもしれない暗闇と戦っていく為に。