(未完作品)XenobladeX 焼却のワルキューレ   作:夏葵 涼

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Episode.02 ゴーン

                   ......Few hours later

 

 死屍累々。

 例えそれが外殻に覆われた無機質な柩でも、しかしその内にはあったはずの鼓動は失われている。なるべくして葬られた存在だとしても、憎まれ排除されるべき対象だったとしても、事実としてそれは、何千の生命の喪失なのだから。

 永遠に。

 死は、この場所に、この空気に、この情景に沁みついて消えない。

 

 鋼鉄の殺人機械たちの亡骸が埋め尽くした平原は、穏やかであるはずの世界を不気味に塗り替えていた。それが日没ならば尚更だ。

 完璧な円を描くたおやかな月たち。純黒な夜空に散らばった星屑の厳かな明かり。

 その下で風に撫ぜられているのは山川草木ではなく、虐殺を試みた害悪の成れの果てだ。

 ――それらを眺めても、決して戦勝の達成感を感じることはなかった。

 戦闘の真っ最中は敵機撃破、としか感覚しない。しかし冷え切った戦場跡ではその戦勲でさえも、幾つもの血の通った生命の息の根を止めたという事実の、重みが伸し掛かってくる。

 折り取った花と血を奪い去る蚊の他に、初めて意識的に生命を奪ったのはBLADEに来てからだ――

「何をぼーっとしてるんだ、シェスカ」

 ふと背後から届いた声の主は、気付けば既に彼女の隣に腰を下ろしていた。Cセクションの回収班誘導を担当していた彼女は、ネイビーのタンクトップにワークパンツというアームズの整備員がやるような出で立ちだった。

「ヒルダさん……終わりましたね」

「ああ、呆気なくな」

 遠方を眺めて頬を掻くヒルダ。端的な物言いですね、と思いながら、腰かける岩盤に両手を着いた。

 目の前を、両肩に電磁クレーン・コンテナをコネクトした残骸回収班のドールが通過する。中程度の歩行速度でも、その巨躯が押し退けた空気が作る風圧は、うなじで纏めた私の後ろ髪をそよがせるのに十分だった。

「やっぱり、こうも一気に、しかも大量駆逐した戦闘って、任務というよりも殺戮に思えてしまうんですが」

「ちょっと違うよ。殺戮っていうのは、残忍な手段で大量の命を奪うことだから。今回のは単なる戦争。単に相手が――ぞっとするほど弱かっただけ」

 飄々とした声色で、人間辞書的に告げる。

「それはそうですけど、でもなんか、私は空しくなっちゃいます」

 旧態依然とした道徳観に縛られた発言であることはわかっている。そうした私のメンタリティが実力を引っ張っていることも。

 でも、それでずっとやってきたんだ。

「まあ、仕方ないよ。どう足掻いても段々慣れてくるもんだから」

「んん、でも、それはそれで……――!?」

 そう不満げに開いたシェスカの口に、唐突に固形の物体が押し込まれた。それが一体何なのか確認する暇もなく激烈なまでの甘味が口腔に広がり、前歯が物体をサクリと噛み切る感覚があった。

 その疎らなサイズの破砕されたアーモンドと頭がくらくらするほど甘ったるいチョコ・コーティングは、間違いなくNLAマートの安物クランチチョコバーだった。

「ほら、奢りだよ。深く考えてても仕方ないだろ?」

 好物を餌に勝手に話題を切られたことに恨めしそうな目をヒルダに向けるも、その麻薬的なテイストに咀嚼を止めることができない。いつも無表情なくせして、多分この人はブレイドで五本の指に入る策士だ、とシェスカは思う。

「この後祝勝会がダイナーであるんだから、食い()()ないでよ」

 それはもっとあるってことですか!

 十八歳という年齢を鑑みる余地などなく、頬をモキュモキュと動かしつつ「もう一個」と左手を差し出す。

「ん」

「全く……」

 ヒルダがほんの少しだけ口角を上げる。間近で見てようやくはにかんでいるとわかる角度だけど、その判別ができるようになってくるといかにそれが希少でかつ神秘的なモノかも理解できてくる。温かい微笑みというのはそういうことだ。

 と、彼女が二本目を取り出すべく腰のポーチに手を入れようとした時、その中身から唐突に女の人の叫び声が空気を劈いた。

 思わず顎が硬直し、呆然としてそちらをただ見やっていると、平然としてヒルダが取り出したのは携帯デバイスだった。

「着信来ちゃった。ちょっと待ってて」

 よく思い返せば、あれはハードコアなメタルバンドの女性ボーカルがシャウトしてる部分だった気がする。そういうの疎いからよくわかんないけど。

「あ、はい、ヒルダです」

 画面の着信ボタンを押して、デバイスに顔を向ける。自動顔輪郭認識(AFCL)がトリミングした女性のバストアップ映像が投影され、彼女はもはや不要となった電話口での挨拶というヤツを口にした。

『もしもし、イリーナだけど』

 イリーナ・アクロフ中尉――チーム・フィリアの所属するユニオン「インターセプター」の代表的なチームの一つを率いる敏腕リーダーで、男勝りな口調と性格とは裏腹に、結構話しやすい先輩だ。

「ああ、イリーナさん。今日はお疲れ様でした」

『お世辞はやめてよ。あんたらだって、今からNLA三周しろって言われても余裕綽々だろ?』

「そこまでは……」

 ――私ができそうなんだから、あんたらができないわけないって。

 何の悪気もなくにこやかにそう言い放つイリーナの顔が思い浮かぶ。

『まあいいさ。今回の祝勝会、来る?』

「ええ。三人でお邪魔するつもりです」

『そっか、オッケー。いやあ、フィリアにかけてもつながらないからさ。滅多にないことだから、何処にいるか知ってる?』

 ……微妙な緊張が空気に走ったのを、シェスカは感じ取った。それが何に起因するのかはわからなかったが、ヒルダの瞳孔がわずかに動揺を隠しきれず小刻みにぶれたのをその高精細な視力は捉え逃さなかった。

「――ええと、いや私もよく知らないんですよね、六時には帰ると言ってました」

 良くあることだ。

 統合政府軍時代からの親友であるという二人は、シェスカにも、誰にも決して明かさない秘密を持っていて、また同時に現在も()()()している。配属後から薄々感付いてはいたが、妙に詮索するのも後ろめたく、ただ、それがあまりよろしくないことであるとは勘付いていた。

『そか。じゃあ遅れないようにな』

「はい。失礼します」

 画面に指を滑らせ、通話を終了。イリーナの顔画像と"talking"の文字が表示されたホログラム・ウィンドウが空中から消失する。さっきの女の人の金切り声は、絶対この通話の着信音だ。

「……ヒルダさん」

 「ん?」とこちらを向いたヒルダに「忘れてないですよね」と二度目の手を突き出すアピール。

「ああ、オッケー」

 端末をポーチにしまい、二本目のチョコバーを取り出した彼女は、慣れた手つきでそのビニールパッケージを剥く。露わになった芳香を放つ暗褐色に唾液が溢れ出しそうになるのを堪えようともせず、シェスカはお目当てに直接噛みつこうと首を伸ばした。

 ――が、それは顎が閉じた瞬間にスッと前方に引き戻された。

 二本目が味わえると疑いもしていなかったシェスカが歯応え無く閉じられた口をぽかんと開けて困惑するより早く、ヒルダは自らの口腔にそれを運んだ。

「あっ」

 真珠に引けを取らないほど白さを保った前歯が、その柔らかい固形物を噛み切る。

 サクッと、軽快で、しかし取り返しのつかない音がその事実を確定させた。

「うん、相変わらずクスリみたいな味」

 咀嚼を一段落終えたヒルダがどうとも捉えられない微妙な感想を告げても、ショックのあまり正常な思考が停止したシェスカは、ずっと彼女の継続的に微動する唇を瞬き一つしない双眸で見つめ続けていた。

 

 

 

 17:22、状況終了。

     司令部は脅威の完全な終息を判断、即時26分に戦後処理開始――

 イーストゲート後衛部隊ブラボーチーフ:チーム・フィリアは敵機32機を撃破。被害は皆無。唯一破られた戦線をオールカバーした後、バックアップで三時間以上待機。作戦終了後の処理配当はなし。

 逆を言えば後衛部隊は彼女ら以外に出る幕がなく、敵勢力はその殆どを前衛部隊と本隊の一部により掃討、逃走エネミーも一機残らず戦闘不能に仕上げたところで本戦は終了した。

 経過時間は四時間少々。敵兵10000機に対してこの数字は、異例中の異例にも程がある。それもそのはず、敵軍全滅に対し――こっちは死者すら片手の指で足りるのだ。

 まるで、獰猛な獣の被り物を着込んで虚構の勇気を獲得したアリの集団が、その本物の一団に無謀な争いをけしかけたような、言うなれば当然の殺戮。作戦的に見れば圧倒的かつ絶対的な”脅威の排除(ETT)”。そして確実な、一つの勝利だ。

 だが異常なまでの不自然さは、彼らの疑念となってこの後の数か月、尾を引き続けることとなる。

 そして全ての懐疑が消し払われたその時、今は誰も知る由のない、彼らの網膜に映るはずの何か。

 ――まだ、やがて迫りくる峠は厚い巻雲に閉ざされたままだった。

 

 

 

                     ...at night   

 

『――では、現時点での今回の戦闘の総括報告をさせていただきます』

「うむ」

 本作戦における記録担当リーダーからのビデオ通話に、ヴァンダムは無機質な白塗りの壁に寄りかかって応答していた。その奥に扇状に広がった二段の巨大なオペレーターデスクには三、四人だけが疎らに残って、黙々と事務作業を進めている。

 そのため照明は彼らのデスクライトの他は殆ど落とされ、隅に佇むヴァンダムの周囲は特に薄暗かった。手にした携帯デバイスのホログラム・スクリーンの青色光が、そのごつごつと盛り上がった強面を浮き上がらせる。

 現在時刻は20:22。

 戦場処理担当もしくは司令部所属以外の大抵のブレイドは、NLA商業エリアの各所で宴を繰り広げていることだろう。しかしヴァンダムがそうしないのは職務に追われているからではなく、単純に戦勝を祝う気にはなれなかったからだ。

 続けて、担当ブレイドがゾンビチックな抑揚で文字列を読み上げる。眠いのかてめえは。

『今回の敵軍総数はクムーバ通常機凡そ10000、内特殊機30。その大半を前衛部隊・偵察部隊・本隊で駆逐。戦闘時間は4時間6分。唯一イーストゲート中央の戦線が突破されましたが、直ぐに後衛部隊が鎮圧。被害は非常に少なく、残党は未確認です。今回の戦場は平原地帯だったので、探索班が見逃す可能性は極めて低いと思われます』

 平地戦。

 障害物が非常に少ないフィールドでの交戦は、両者が射程距離に入った瞬間に本格的な銃撃戦が始まる。であればそのリーチが遠距離であれば遠距離であるほど有利な訳で、ただでさえ数少ない特殊機の内にもミサイルやスナイパーライフルを武装しているかすら分からないグロウス機と、十分なドールの馬力と相応の金額さえあればグレネードランチャーでも超高出力レーザーガンでも何でも換装し放題なブレイドのドールでは、どちらが先制し主導権を握るかは言わずもがなだ。

 ――その程度の明白な戦力差くらい、グロウスの指揮官も簡単に推察できたはずだ。これまでほんの小競り合いから戦争規模の一大会戦まで、何百何千と兵器を交えて来た因縁の異星人組織。とっくにスーパーデータベースすら破裂(BAN)させられるほどの戦術データを与えているはずだし、実際こちらも厳選の上厳重にストックしている。

特に今回交戦したバイアス人は、大して人類と知能差がある種族ではない。今までで恐らく最大の決戦であったNLA防衛戦でも、こちらは商業エリアまで侵攻された上にその激戦でさえ全て陽動作戦で、あえなく引っかかった人類は貴重な研究対象を侵奪されたのだ。

 今日だって、その時と同じ最大レベルの戦力で挑んだのだ。

 それがこのような結果に落ち着くとは――――

『今回の”ダブル・ゲート掃討作戦”は当初の警戒レベルMAXから大幅に引き下げ、CまたはC-帯の戦闘であったと判断します』

 C+~C-帯の警戒レベルの定義は”多少の死者・被害はあっても、敵軍を完全に屈服させ、残党などのカバーできなかった要素による事後被害の想定も殆ど考慮されない場合”である。大してMAXは全面戦争――オールアウト・ウォーによる人類の存亡を賭けた全面戦争のこと。

 つまりは敵兵総数など完全にこけおどしで、それに見合わずほどに相手があまりに弱小だったと、そういうことなのだった。

 ”戦”の名すら冠されず作戦と称されているのも、恐らくはその小規模さによるのだろう。

『総被害は死者5名、負傷者12名、破損ドールは22機。被害総額は、本月度予算の余剰金で十分補えるレベルです。敵軍残骸の回収作業は原生生物の襲撃の危険があるため22:00には打ち切るので、今週いっぱいかかるものと』

 ……予想以上にこちらは何ともないな。

 ため息すら出ないほど無駄に戦力を総動員したものだと、いくら看破できそうもない敵性だったからとはいえ、ヴァンダムは自らの手腕を顧みて意気消沈せざるを得なかった。

『あと、それに関して戦場処理担当・回収班、対グロウス対策室から捕捉だそうです。回収前に全残骸を一通り確認しましたが、これといって解析すべき装備は発見できませんでした。確認した特殊装備は既にサンプル回収・研究済みの自爆装置、ガトリングガン、キャノン換装ボディパーツ、ミサイルポッドのみで、どれも旧型のままだそうです』

 知るか。

 いくら元白鯨の技術師であるとはいえ、ヴァンダムが精通しているのは兵器類ではなく主に駆動機関全般のメカニカルなのだから。

「そこまで詳しくなくていい」

『す、すみません。これで報告は以上です』

「わかった。仕事に戻っていいぞ」

『了解です。失礼いたします』

 電子音と共に通話が切断され、画面がブラックアウトする。

 今度こそ微量に残っていた全身の緊張が解け、怒涛の勢いで押し寄せる疲弊感が彼の岩塊のような巨躯を地面まで引きずり降ろそうとする。しかし決して外部からの重力ではないという点で、忍耐力と筋力の塊であるヴァンダムはそれに決して屈することはない。

「――どうやらだいぶお疲れのようね」

 ふと、聞き覚えのある声が、優しい言葉が染み込むように彼の左耳を通り抜けた。

「おお、エルマか。お前は祝勝会に行かなくていいのか?」

「夕飯はチームで食べてしまったわ、リンのお手製のをね。三人――いえ、二人と一匹? ああ、ノポン人だから人で数えていいのよね、たまに忘れてしまうわ――皆そういう打ち上げに参加する気はなかったみたいでね。そういうあなたは、報告を受けるだけならお酒を煽りながらでも構わないんじゃないかしら?」

 銀髪に透き通った碧眼、浅黒くも女性的な肌を持つ彼女は、チームエルマのリーダーとして多くのブレイドに尊敬されている女大佐。その微塵も揺るがない冷静沈着さ、そして判断力と洞察力は、地球時代、統合政府軍にヴァンダムと共に属していた頃からずっと変わらない。特殊車両教導隊(通称:ドール隊)で教鞭を振るっていた彼女は人脈も広く、ドールの操縦技術はお手の物だ。

「ここは俺のホーム・ポジションなんだ、気にするな」

 140×68ミリサイズのデバイスをズボンのポケットに押し込んで、剛毛な口ひげを弄る。

「それはもしかしてゲームの用語かしら」

「気にすんな。それで、何の用だ?」

「あら、用がなければあなたを訪ねちゃいけないのかしら? あることにはあるのだけれど」

 エルマは腕組みをして壁に肩から体重を預けた。いつの間にか多くの人に神秘的と形容されるその微笑みが、深刻な顔つきに引き締められている。

「例の()()、どこかのチームに所属させた方がいいと思うの」

「……ああ」

 そうか、その案件はエルマも関わっていたな。

「今の状況はどうなってる?」

「大きな変化はないわ。相変わらずB.B.メンテナンスセンターの閉鎖病棟で眠ってる。片手に手錠をかけられたままね。最近は食欲もあるそうよ」

「俺は彼女の経歴について全く知らないんだが……その、まず第一に、喋れるのか?」

 最初は本当に()()()()()さえあやふやだったというのに。

「ええ、不便なくね。ボランティアの人たちが基礎的な知識も習得させたし、日常生活に支障はないはずよ。ただまあ、感情表現は少し、苦手みたい」

「そいつはブレイド入隊を承諾しているのか?」

「ごめんなさい、それはまだ。でも了承はするはずよ。あの時はあなたも見ていたでしょう?」

 それは10日前、彼女が白樹の大陸から司令部宛にモニタ共有した映像のことだ。

「そうか、エルマのチームが止めたんだったな」

「ええ、あの時とは比較にならないほどの落ち着きようよ……。

 もちろん強要はしない。あの子自身のことも考えてあげなくてはいけないし、リスクが伴うのもわかってる。一応監視役も必要だけれど、あの戦闘能力を使わない手はないわ」

 そう言ってのけるエルマを、ヴァンダムは小難しい視線で見返した。

 例え利用価値の高い人材が病み上がりであっても、さも前線で費やすべき駒のような扱いか。

 少しだけだが、けれど確実にミラに堕ちてから変わったな――その沈着冷静な判断力から、彼女は在って然るべき感情を余計に差し引いてしまったのだろうか。

 生存危機に瀕する機会も多いこの惑星でそれは当然の適応ともいえるし、またそれだけ人類の平穏の崩壊が深刻であることを示していた。

「制御はできるのか」

「私が候補として考えているチームでは十分に個々で対応可能だわ」

「そうか……」

 通常はオペレーションルームとして機能するこの高層階は、二ケタを超えるオペレーターが昼夜常駐し、全ブレイドの通信中継点となって指令を行う、いわばBLADEの心臓部だ。

 しかしその優秀なオペレーターたちを総動員しても、膨大な数のブレイドたちが各所で活動しているのを総てモニタリングするのは不可能だ。そのため大抵の任務は現場レベルの判断を強いられることが多い。特に情報探査機であるデータプローブ未設置の、つまり今のところ外部データ収集ネットワーク「フロンティアネット」に接続できない未開拓地では。

 つまりもし力量不足のチームが()()の暴走に巻き込まれれば、応援を呼ぶ甲斐なく全滅し、その上危険な状態で位置も特定できぬまま野放しにされることになる。そうなれば只でさえ存亡の危機が間近に迫っている人類は、同じ人間を相手に警戒態勢を敷かねばならないのだ。

「もう明日には環境だけは整えるつもりでいるわ」

 彼女の端的な通告を背中に受けながら、ヴァンダムはおもむろに前方に歩き出すと、オペレーターデスクに両手を着いて、およそ今の会話とは関連しないモノを見つめた。

 夜景。漆黒の空に散らばる無数の星と月があれば十分明度を確保できるだろうと思うが、この街では殆どの車道沿いに等間隔に街灯が整列している。

 NLA=ニュー・ロサンゼルス。模倣したカリフォルニア州の大都市の名を冠するそれは、地球から脱出した恒星間移民船「白鯨」の居住ユニットとしての役割を終え、今ココに人類唯一の領域拠点として鎮座している。

その内で最も高い建築物、ブレイドタワー。BLADEの中でも重要な部署が詰め込まれているそこは、上部に巨大なオレンジカラーのホログラムで数字が羅列されているシンボルがある。それが意味するところはBLADEの中でもごく少数の古参兵しか認知していないが――。

「ヴァンダム?」

「……ああ。いいだろう、お前に任せた」

 こちらを振り向くヴァンダムの輪郭が暗夜に溶け、端的に言って”ガサツな筋肉バカ”というエルマの経験則的なイメージと著しく乖離した凛凛しい立ち姿が、そこにはあった。

「わかったわ。B.B.や登録情報の細部は私の方で勝手に専門に委託しても?」

「構わない。全面的にエルマ、お前さんが担当してくれ。俺は決して口出しせん」

 ブレイド最高司令官としての、機密事項対策案の許可。

 恐らくこれが、今日の最後の仕事になるだろう。

 帰ったらウイスキーとビールのどちらを引っかけるか考えながら、ヴァンダムは最後に尋ねる。

「きっちりやってくれよ。それで、その候補のチームとは? どこなんだ?」

 それにエルマは、いつも通りの微笑みを浮かべて答えた。

「それは――――――――――」

 

 

 

 NLA――ニュー・ロサンゼルスは大まかに五つのエリアに分かれる。

武器・兵器開発を担うユニオン、アームズ総合管理の下様々な製造・開発ラインが立ち並ぶ「工業エリア」、様々な店舗・娯楽施設がNYばりの碁盤の目状に整列している「商業エリア」、住民が予算相応のマイホームを区画別に並べ立て、教会や公園なども設置されている「住宅エリア」、そしてミラ不時着後に到来した地球人と友好条約を締結済みの”マ・ノン人”生活区画である彼らの宇宙船をNLA防壁の上に固定した「マ・ノン宇宙船エリア」。

そして実質的に地球人軍と化している民間軍事組織BLADEの各施設がブレイドタワーを筆頭に高層ビル街を形成し、対異星人兵器の人型ロボット”ドール”特別整備区画のハンガーや、BLADEが包括的な管理体制を敷く人工生体――|B.B.(ブルー・ブラッド)のセンターを含めた極めて軍事的な区域である「ブレイドエリア」。建設中の地点も多く、まだ発展途上のこの街は既に、人類最後の市街地として半永久的な持続を図っていく方針で進化を続けている。

 ……個人的には別大陸に比較的大規模な拠点(まち)でも建設した方が気分転換になるよ、と身勝手なことを考えている。けれどもお偉いさん方は、ミラ各所に点在する”居住・整備ファシリティなどの総合遠征拠点兼フロンティアネット管理・区域監視施設”「ベースキャンプ(BC)」の普及率に満足しきっているようだ。

 全く。もうちょっと楽観的で娯楽的な視点を持つべきだろ。

「――なーにーを神経質な顔してるんスかぁ」

 そんな至極どうでもいい思索に耽っていたフィリアはどうやらしかめっ面をしていたようで、表情筋の緊張を解くと、その呂律のはっきりしない声の主を見上げる。

「グイン……一体何杯飲んだんだ」

「いやあ~やっぱりバーボンは最ッッッ高ッス!」

 無造作に左後方に流した茶髪の下には、それと対照的に真っ赤な顔が破顔している。

 イリーナチーム所属の優等生、グインは統合政府軍時代からエルマとイリーナの部下として活躍してきた古参兵だが、その年齢はまだ彼らに若造と言わしめる域だ。幼さの残る顔はブレイドの女先輩たちに結構人気なのだが、フィリアはどうしてもミニチュアダックスフンドが生まれ変わりに人間になりきれなかったような印象を受ける。かなり失礼だけど。

 そう言えば、お酒にめっぽう弱いことで有名でもあった。

「フィリアも一杯どうスか? 残り少ないんスって、バーボン!」

「いらない。強いのは好みじゃないんだ」

「え~~~! そりゃあ人生損してるっスよ! さあさあ一杯だけでも!」

 どうやら彼の酩酊具合は深刻なようだった。

「そんなことより、向こうでイリーナが腕相撲トーナメント勝ち抜いてるぞ。行って来たら?」

「え、マジっスか! じゃ、俺行ってくるんで! バーボン飲んどいてくださいね!」

 彼女の誘導にまんまと引っかかって、グインはブレイドたちでごった返す店内を人垣の奥へと歩いていく。

コルクが密閉を果たしていたから三割程度残っている中身は零れずに済んだものの、彼が危うい手つきでテーブルに置いた瓶は間もなくぐらりと揺れて、なす術もなく横倒しになった。幸いなことに、カラリとしたガラスの透き通る音にヒビの入った感触はない。

「全く……」

 それを立て直すと、ちょっとばかり首をもたげた好奇心が右手を伸ばし、掴んだコルクが軽快な音と共に抜けた。

 ダイナー(DINER)

 バーアンドグリルを謳うこのレストランは、手軽に飲めるうえに宴会場も設営してあるとあって、ブレイド一ポピュラーな酒場となっている。飲食店が両手で数えるほどしかない工業エリアにあり、またNLA外へと通ずるウエストゲートに近いこともあって、仕事終わりのアームズや任務から帰還したブレイドが比較的寄り易い店舗となって、入り浸る者が出るほど繁盛している。

 現在は、インターセプターの祝勝会が貸し切りで行われていた。

 本当はユニオン一つ分の人数が入りきるほど広くはないのだが、その二割ほどが残党探索(索敵)班に動員されていることもあって、イリーナチームの幹事のもと残りの殆どが一堂に会していた。毎度ユニオン同士で壮絶な争奪戦が行われるダイナーの宴会場だが、聞くところによると今回はNLA自治政府軍務長官であるナギ・ケンタロウのコネを利用したようだった。

 そうして周囲はバカ騒ぎしている荒くれ者や陽気な奴やキザったらしいのが、あちこちで乾杯のグラスがぶつかる音を響かせている。チームの区別なく知り合いのいるテーブルに赴き、談笑しながらカクテルでもスピリタスでも何でもござれと酒をあおり、甘辛ソースのローストチキン・レッグを頬張って一段落すると他のテーブルに移動する。横の繋がりが広いブレイドではそんな渡り歩きスタイルが宴会のメジャーで、そして大抵最後は幹事の掛け声で、全員同時に乾杯してスコッチを飲み干すのだった。

 残念なことに、フィリアはアルコールにそれなりに弱い体質だった。

 今は店員の女の子に頼んで作ってもらったウーロンハイを、ワイングラスに注いでちびちび飲んでいた。よく「ロシア人にしては珍しく虚弱体質だね」なんて言ってくる輩は彼女に、仕事帰りシックな雰囲気のバーに訪れてカウンターでピンクカクテルのグラスでも揺らしているOLみたいと印象を受けていたりするのだろう。

「リーダーさん、バーボンなんて飲んでる」

 ふと声が掛けられ、ようやくフィリアは自分がそいつを空けてしまっていることに気が付いた。

 唯一残った厚めのガラスが構成する曲線を取り上げ、ラベルをしげしげと観察したヒルダは「うっわ、度数45!? 何やってんの!?」と驚嘆した。

「……今気づいた」

 心なしか、そいつを飲み干した記憶が一切ない。

「久しぶりにメルクロヴァ()()相当のバカっぷりを見たよ」

 ため息をついて、そういう自分も十分頬を紅潮させているフィリアは向かいの椅子に腰かける。手にしているのは缶ビール。腕相撲の次はレスリングと、男たちの熱気で室温が六度くらい上がっても、彼女は濃紺のタンクトップの外に脱ぐものはなく、首筋を伝う汗は尽きず雨ざらしの車のフロントガラスのような流れ方をしていた。

 比較的付近のテーブルで「乾パァイ!」と猛々しい合唱。成人男性十数人分の大声は蒸している空気を振動させ、寒いからと店員が頑なに開放しない窓枠で、挟まったガラスがわずかな隙間を飛び跳ねる。

 不意にヒルダは手にした缶を突き出した。

 目線の交錯で――(何で?)(別に、そういう気分になったから)――執り行われた意思の疎通は一秒とかからず、ニヤリと笑いを浮かべた二人の間で、まだ水溜り程度に残っていたワイングラスとアルミニウムがコツン、と軽い音を奏でる。

「……グラスハープ、懐かしいね」

「覚えてるよ~。一人づつやったね、一番上手だったのはマサアキだっけ」

「何言ってるのフィリア、私の完璧な『星に願いを』に決まってる」

「あーゴメン覚えてないや、アハハッ」

 自分の冗談にフィリアは声をあげて失笑する。いつもはこれほど大っぴらに歓談することはないのにな――と、不満げな視線を送りながらも微笑ましく思うヒルダは、すっかり炭酸の抜けた毎夜の嗜みを啜った。

「それ、ビールだ」

 無意味な発言だという自覚はない。

「そうね」

「なぁんの」

「アサヒって知ってる?」

「ん~変な発音。外国語?」

「日本語。アサヒ・スーパードライ」

「何でさワインじゃなくてビールがドライなんの」

 間違えて舌をかみそうな程度のちょっとした呂律の愚鈍さは、言葉の呈を崩すには至らない範囲内。酔いが回っていても、通常の英語でドライを辛口という意味で使うのはワインに限る、という知識を動員するのに苦労はしなかった。

「和製英語ってやつでしょう。飲み心地が普通に意味通り辛いから、命名した日本人はそう思ったんだよ」

ジャパニーズピクルス(梅干し)でも入ってるんだよきっと。絶対そう。こう、丸ごと、ドバンと」

 相変わらずつまらない冗談を言う。

 フラフラの手つきでよく分からないジェスチャーをするフィリアを眺めて、ヒルダは呆れ顔の中にも微笑みをたたえていた。

「それ梅酒っていうんじゃない?」

「そうなの」

 最後に彼女が酩酊したのはもう五年も前、ロサンゼルスのクラブのカウンターで、アイリッシュを十五杯も消費して――終いには泣き出してしまったのを、背中を擦って慰めた記憶がある。その時のアルコールの量は、バーボン一瓶よりずっと多いはずだ。制止する甲斐もなく乱暴にグラスをひっくり返す、あの頃の彼女の衝動は今はもう無い、過剰なまでのストレスの連鎖によるものだった。自殺の意思がなかっただけマシだったな――

 いや、思い出すのはやめよう。そうすべきでないのは二人とも分かっている。

「今日もお疲れさん」

 沈鬱な後味のする追憶を振り払うように、ヒルダは親友に労いの言葉をかける。

「ぜーんぜん。これから風上要塞掃討作戦もう一回やれって言われても余裕」

「そのグデグデ具合じゃ、味方を誤射しちゃっても文句言えないね」

「今日のお疲れさんは整備員の皆様方でーす。あんだけ頑張って調整した機体の六割が動きさえされずに戻ってきて『レベルA-以上の戦闘後のため使用された全兵器のメンテナンス義務』が課せられるんだもの」

 ハンガーに大量に常駐しているアームズ直属整備員は、普段でさえ朝から晩まで専ら任務に出向くブレイドたちの武器兵器類メンテナンスでかなり多忙な身だというのに、今朝彼らがBLADE所有の全兵器を完璧にアクティヴな状態に仕上げるために与えられたのはたったの四時間だった。

 つまりはそれほど敵軍到達までの期間が短かったのだ。まあ確かにそれだけではなく、少々伝達の遅延があったようだが、いつ敵に取り囲まれるか分からないレベルのリスクを背負いながらもごく少数で長期間、危険地帯に出向いている――特に今回の黒鋼の大陸はその最たる区域で――監視員の怠慢を疑うのはあまりに不憫だろうと、暗黙の了解が彼らの共同意識として存在していた。

「私たちが処理した箇所以外は、全部前衛部隊が仕留めてくれたんだってさ」

「ありがたい話だね、我々の大半は蠅たたきを持ち上げさえせずに済んだわけだ」

 唇で挟んだグラスに皮肉のため息を注ぎ込む。

「本当に」ヒルダはオークの四枚刃がのろのろと回転する天井を仰いだ。「何であんなミジンコの餌にもならない史上最もな雑魚部隊出してきたんだろうね、完全に武力の無駄じゃないか。一体何のために」

「意味があるとも限らないよ。異星人の脳の構造は我々地球人とは根本的に違うのだから、私たちが定義する無駄は彼らにとって、もしかしたら娯楽的なのかもしれない」

 カクテルの尽きたグラスをテーブルに下ろして、彼女は気だるげに頬杖を突く。

「ただ、私がそれをやるとすれば――要らなくなった駒の処理か、実験だけどな」

 ”敵を知り、己を知らば、百戦危うからず”とは座学のお勉強に欠かせない『孫子の兵法』の言葉。崩して言えば、敵の立場に自身を仮定して予測するというよくある思考法だが、フィリアはそれに非常に長けていた。統合政府軍時代のオペレーターであった彼女の、あらゆる確定・不確定要素を考慮した上で的確なオーダーを出す能力は、現在もチームリーダーの才幹として重々に発揮されている。

 完全に――作戦を立案する時の無表情に転化した彼女は、酔いの混迷などどこかに吹き飛んだかのように、いつもの澄んだ声色を堅苦しい言葉に形取り始めた。

「要らなくなった駒?」

 アップダウンの激しい話題の変容ぶりに同調するヒルダ。長年フィリアの説く戦術論から零した愚痴までが鼓膜に浸透している彼女は、そのペースに寄り添うことに感覚野が慣れてしまっている。

「例えば指揮官Aに反抗した部隊。無礼な態度に腹を立てた指揮官は、しかしその兵量や普段の品行方正な評価あるいは自分の中途半端な権限では、彼らに思うように制裁を下すことはできない。そこである日、彼らに大作戦を与える――敵軍に突っ込め、君たちだけなら多大なる功績をあげられるチャンスだ、この多勢なら負けることなしだ、と」

「で、唆された羊質虎皮たちはあえなく荒野に散ったと……」

「有り得なくはないだろ? もう一つは実験か。まあ真面に受けずに聞いてくれ」

 伏し目がちになる長い睫毛が、彼女の予期している事態の深刻さを如実に表していた。

「正直に言って、彼奴らの純正クムーバのスペックで、黒鋼の大陸から原初の大陸まで四時間で到達するのは高高度直線距離でも不可能に近い。対策室のメンバーも訝しんでいた。確かにバイアス人の科学技術は侮れないが、危惧すべき程度ではない……しかし他の異星人組織のそれを奪ったのなら、その評価は妥当とは言えなくなる。事実としてそんな事例も何度か報告されているだろう。

 つまりだ。私が言いたい可能性は、彼らは何らかの技術を使って移動時間を短縮したのであり、今回はその大量治験を、同時に不要な兵力の削ぎ落としとして実行に移したしたのだと――――」

「あー、二人とも、なぁにを辛気臭い顔でちびちび飲んでんですか!」

 唐突に話を遮られた二人は怪訝な顔で、両手を腰に当ててテーブルの傍らで直立しているつり目の女性――いや、少女と言っても何ら違和感のない佇まいだが――を見やった。

「シェスカ……そのだな、第一にお前、未成年者じゃなかったっけ」 

 困り果てた顔付きのヒルダが指差すのは、シェスカが左手に握る、例の小麦色の液体がなみなみと注がれたビールジョッキだ。

「ちょっとくらい、いいじゃないですか! それより大の大人であるお二人がしかめっ面しててどうするんですか! 私だって大っぴらにお酒飲みたいのに」

「私はあまり飲めないんだが……」

「でも任務帰りにたまにコンビニでノンアルコール買ってくじゃないですか! 私がお会計に行ったらもう身分証身分証、ノンアルだってばおじさん!」

 ……どうやら鯖を読んで実は結構飲んでいるのか、そうでなくても虚弱体質なのか分からないが、いつしかのレジのやり取りを全身を使ってドラマチックに表現している辺りあまり強くはなさそうだ。

「みんな、聞いてくれ!」

 唐突の声がけに急速に喧騒は静まり、店内の全員の視線が奥側の席の椅子に乗っかっている女性に集束する。彼女の純色プラチナブロンドヘアは無造作に肩口の辺りまで伸ばされ、顔付きからも滲み出る男勝りな雰囲気は至る所作に表れている――例えば、片手を腰につく堂々とした立ち姿。

 イリーナ・アクロフはその張りのある声で幹事としての締めの役割を果たす。

「今日はお疲れ! 活躍した者はおめでとう、活躍してないモノもまた別の機会にな。取り敢えず、今日は大きな勝利だった! 我々インターセプターもかなりの戦績だ、こんなことは滅多にない! 明日からまた通常任務が始まるけど、締まっていこう!

 そういう訳で、今回の勝利を祝って! 乾杯(cheers)!」

 全員の声色が混じり合って「乾杯(cheers)」の発音すらあやふやな大合唱と同時に、一斉に掲げられた何百の(さかずき)が、同じ高度にズラリと勢揃いした。

 フィリア班は三杯のグラスをかち合わせて、同様にしている周囲に同調する。

 文字通りの満天の星空の下、工業エリアの隅のその小さなレストランの掛け時計は、大宴会場予約時間の22:00を指し示していた。

 

 

 

 

 純粋に綺麗だ、と感じた。

 月というモノはこの世界のどんな空を繋ぎ合わせてもたったの一個、だとそういう記憶があるのだけれど、どうやらこの世界では二つの大きさの異なる満月が隣り合っているなんて現象は全く珍しくないようだ。

 そしてそれを引き立てるように取り巻く密度の濃い星屑。窓ガラス越しでも全く輝きが減退して見えることはない、人知の及ばぬ先の摂理だ。

 けれどそれはここに来てからもう数十回目で。

 案の定一分とかからず飽きのやってきた彼女は視線を外し、ベッドサイドテーブルからタブレットを手に取った。スリープを解除すると、ブックリーダーが読みかけの電子書籍のトップページを表示した。

 『シャイニング』――モダン・ホラーの巨匠スティーブン・キングの幽霊小説。そのベタ塗りな洋館の描かれた表紙は、ある意味で不気味さを禁じ得ない。イラストにしてもこちらを不安にさせるほどの無機質さは意図的なものだろうか、それとも。

 就寝前の読書に種類は選ばない。付け合わせにピーナッツという文化も生憎。こんなガチガチのホラー小説の時もあれば、『マリー・アントワネットの一生』から『ドイツ軍の戦闘規範の歴史』まで、彼女の持っていた端末にはもともと二百冊以上のデータが入っていたらしい。しかし内容は殆ど()()の彼方にあるので、目覚めてからはそれを再度脳にインストールし直しているというわけだ。

 読後感が不快で寝られないということはない。カミュでもカフカでもどんとこいだ。

「――失礼するわね」

 引き戸のドアの向こうでした優しい声色を、上巻154ページを捲ろうとしていた彼女は聞き取った。

「どうぞ」

 エルマは廊下の明るみから、スタンドライトの照らすベッドの枕元以外は真っ暗なこの病室に、コツコツと足音をさせて立ち入った。

「夜分に申し訳ないわね、明日明後日と忙しいものだから、今日中に決めてもらえてよかったわ」

「いいえ、迷うことではないので」

 タブレットの画面を暗転させ、傍らに置いた彼女は上半身を起こし、ベッドの隣の椅子に腰かけたエルマの表情を見やる。

「じゃあ、正式に了承してもらえるのね? ――BLADE入隊を」

 彼女はそれに頷いて答えると、

「よろしくお願いします」

 そう軽く頭を下げる。

「オーケー。で、()()()()()()()()()()()()()()()()()。あなたは明日から――インターセプター、チームフィリアに所属してもらうことになるわ。詳しい説明は本人たちに聞いてね」

「はい、わかりました」

 暗がりで判然としない中、エルマは右手をまっすぐこちらに向けて差し出した。

「こちらこそよろしくね――リジー」

 そう呼ばれた彼女ははい、としかし無表情に答えた後、その皺一つない精緻なディティールを、そっと握り返した。

 

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