花咲く世界のクロニクルセブン -じじいと孫のCode:VFD-   作:白鷺 葵

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そして、運命は開かれる

 ISDFの軍人たちが、事後処理のために駆け回る。彼らは帝竜検体を回収して帰投する班と、怪我人の治療を行う班に分かれているようだった。

 

 

「それじゃあ、俺はこれで。キミたちは一般人なんですから、今後は二度と、こんな無茶をしないでくださいね?」

 

「あ、あはは……以後気を付けます。本当にありがとうございました」

 

 

 感謝の言葉の次は、やんわりとした忠告が向けられた。戦場を駆け抜けてきた軍人からしてみれば、イノリたちのようなひよっこが帝竜に挑みかかる姿は無謀以外の何物でもない。

 自分の未熟さを突きつけられたような心地になって、イノリは苦笑し身を竦めた。ユウマは命の恩人である。彼の言葉を素直に受け止め、イノリは深々と頭を下げた。

 ユウマの顔は見えないが、彼が笑ったような気配が漂う。はたしてそこには、イノリの予想した通り――イノリの予想した以上に――柔らかな笑みを浮かべたユウマがいた。

 

 彼は軽く会釈をすると、己の役目を果たすために踵を返した。ユウマの後ろ姿は、あっという間に軍人たちの中に消えていく。イノリはその背中を見送った。

 

 事後処理に奔走する軍人たちを眺めていたイノリたちだが、リヒトが弾かれたようにこの場を見回し始めた。

 探し人はすぐ見つかったようで、彼はその相手の元へと駆け寄る。

 

 

「ミオ、大丈夫ですか!?」

 

「え!? あ、うん。わたしは大丈夫だけど……」

 

「良かった。帝竜が暴れた際の余波もなさそうですし、安心しました」

 

 

 傷だらけで、額から血が滲んでいるにもかかわらず、リヒトはミオの心配をしていた。ホワイトドラゴン襲撃時以上の外傷が見当たらないことに安堵するリヒトの様子に、ミオはほんのりと顔を赤らめる。

 けれど、彼女はすぐに我に返った。ミオもリヒトのことを心配しながら、自分の鞄の中を漁った。取り出したのは大判のハンカチーフで、ミオは拙い手つきながらも額の傷を止血しようとする。彼女の瞳は、感謝と憂いに揺れていた。

 思慮深く慎重な性格のリヒトにしては、珍しいこともあるものだ。半日という短い時間で、彼は那雲ミオという少女に打ち解けている。英雄の系譜を継ぐ仲間たち以外では、かなり短い時間であると言えるだろう。

 

 それに、見ていると何とも微笑ましい。イノリがのんびりとそんなことを考えていたとき、どこかから物々しい視線が突き刺さってきた。

 出所はISDFの軍人たちに指示を出していたヨリトモである。眉間の皺はより一層深くなり、眉の端が引きつっているように見えた。

 

 

(……なんだろう。私がリヒトくんやソウセイくんと仲良くしてるのを目の当たりにしたおじいちゃんみたい)

 

 

 今は亡き祖父の姿が脳裏をよぎった。リヒトやソウセイを筆頭とした男友達の話をしたり、彼らと一緒に遊んでいる現場を見た祖父が、ヨリトモと似たような表情を浮かべていたように思う。困惑と驚愕、怒りと葛藤――ぐちゃぐちゃに混ざった感情が揺れていた。

 

 そういえば、祖父から「彼氏ができたのか?」と執拗に訊ねられたことがあった。得物片手に、相手の保護者の元へ乗り込まんと息巻く眼差しが印象的だった。

 勿論、イノリは滾々と「彼氏はいない」という事実を懇切丁寧に説明した。結果、祖父は居心地悪そうに視線を彷徨わせ、壊れた人形のように謝罪し続けていたか。

 祖父のミカゲ曰く、イノリは祖母であるユイに似ているらしい。特に、ミカゲを説教するときの様子はユイと瓜二つなのだという。祖母も大変だったようだ。閑話休題。

 

 リヒトはヨリトモの視線を察したのか、ごく自然な動作で彼に背を向けた。勿論、それとなくミオを庇っている。

 ヨリトモがミオを見ていることに気づいていたのだろう。リヒトは彼の眼差しを“ミオに対する不埒なもの”と認識したようだった。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 ヨリトモとリヒトが視線の応酬を開始した。互いが互いに対する不信感をむき出しにして、激しく睨み合っている。

 しかし、ヨリトモはリヒトから逃げるように視線を逸らす。何かを振り切るかの如く、ヨリトモは部下たちへ指示を出した。

 

 イノリは軍人たちへと視線を戻す。いずれ、自分も彼らと同じ組織に属し、彼らと同じように人を守るのだ。いずれ来るであろう未来に思いを馳せながら、彼らの背中を見つめていた。

 

 

 

***

 

 

 

 ISDFがノーデンス社の入り口から撤収したのは、日が傾き、そろそろ太陽が沈む時間帯だった。帝竜や翼竜の襲撃によって荒れ果てた大地が広がっている。

 だが、イノリたちの無茶が功を制したのか、被害は大したことがなかったようだ。「怪我人はいるが、死者は1人も出なかった」という報告を聞いたアリーは満足げに笑った。

 

 

「しかし、どうする? ありゃあ完璧にマークされたぞ」

 

「予定より早いけど、仕方ないわね。いつかはバレることだもの」

 

 

 ナガミミは面倒くさそうに肩をすくませた。ジュリエッタも額に手を当てて息を吐く。しかし、彼は切り替えるように頷いた。

 “ノーデンスが真竜検体を収集している”という事実は、現段階では伏せておくつもりだったようだ。

 計画を見直すように、彼は顎に手を当てて思案する。頭の回転の速さが、ノーデンスのNo.2/ブレーンとしての才能なのだろう。

 

 アリーは楽しそうに笑いながら、イノリたちの方に向き直る。

 

 

「初めての実戦はどうだった?」

 

「うーん……戦い終えた直後は何とか生きてるなあって思ってましたけど、今は勝てなかったことが悔しいかな」

 

「そうですね。僕らはまだまだ未熟者なんだと痛感しました」

 

「克服しなければならない点が沢山ある。改善の余地も見つかった。次は負けない」

 

 

 実践のことを思い出しながら、イノリは苦笑した。

 リヒトとソウセイも苦笑したのち、真剣な面持ちで頷く。

 

 嘗てのムラクモ13班も、敗北を喫してから巻き返すように強くなった。自分たちではどうしようもない壁にぶち当たりながらも、仲間たちの援護を得て、竜を倒してきたのだ。

 

 イノリたちは彼らと同じものにはなれないが、彼らと同じように強くなりたい。

 その決意を固めた自分たちの姿に、ジュリエッタは感嘆の息を吐いた。

 

 

「けど、初戦であそこまでやれたら充分よ? 普通のコならとっくに死んでるもの」

 

「ったく、マジで生きてるのは奇跡だぞ。長生きしたきゃ少しはオレ様の言うことも聞けっつの。……むしろ長生きしてくれよ。オレ様の精神安定的な意味で」

 

 

 ナガミミは面倒くさそうに悪態をつく。ナビゲーター役を買って出たナガミミには、本当に迷惑をかけてしまった。引けと言ったマスコットのアドバイスを無視し、帝竜に挑みかかったのはイノリたちである。

 言うことを聞かない問題物件――眞瀬ブンイチの暴走という爆弾を抱えているためか、ナガミミの言葉は非常に重々しい響きを宿している。イノリたちの無謀な行動が、ナガミミの災難をフラッシュバックさせたのだろう。なんだか申し訳ない気持ちになった。

 

 

「だけど、これで決まりだね! 初めての対竜戦でここまで戦えるなんて。――ゼッタイ、この街にいると思ったんだ。竜を狩る者が!」

 

「ちょっとアリー。嬉しいのは分かるけど、年甲斐もなく跳ねるんじゃないの」

 

 

 アリーは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。ジュリエッタはそんな上司の姿に苦笑した。彼がそんな表情を浮かべるのは、それだけが原因ではない。

 ジュリエッタはイノリたちを見つめながら肩をすくめた。傍から見れば、イノリたちは普通の学生にしか見えない。

 外見だけでは、戦う力を有しているようには見えないのだろう。いくら特別な力を持っていたとしても、S級能力者は“ニンゲン”なのだから。

 

 そんな話題で盛り上がっていたとき、ミオがこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。もう既に家へ帰っていると思っていたため、イノリたちは目を瞬かせる。彼女はイノリたちに礼を述べ、ぺこりと頭を下げた。

 

 

「あの、助けてくれてありがとう」

 

「いえいえ、当然のことをしただけですよ」

 

「そうだね。私たちはみんなを助けたくてやったんだから」

 

 

 リヒトとイノリは満面の笑みを浮かべて頷き返した。ソウセイは何かを言う代わりに、目を細めて頷く。

 ミオは目を瞬かせたけれど、首を振った。イノリたちが成そうとしたことは、並大抵のことではないのだと。

 

 

「当たり前のことじゃないよ。普通の人だったら、怖くて動けなくなるのが当たり前だもん。……自分の命を懸けて誰かを守るなんて、誰にでもできることじゃないんだよ?」

 

 

 自分は怖くて震えているだけだった、と、ミオは悲しそうに俯いた。その姿が、嘗てのイノリと重なる。

 

 

「分かるなあ、それ。私も、命懸けで守ってもらった人間だったから」

 

「え?」

 

「私のおじいちゃんは、私たちを守るために、私たちの目の前で死んじゃったんだ」

 

 

 祖父の死の現場に居合わせていたリヒトとソウセイは、当時のことを思い出したのだろう。痛みを堪えるように俯いた。彼らの表情には影が滲む。

 イノリたちはミカゲによって生かされた人間だ。彼の最期の背中は、イノリの瞼の奥に焼き付いて離れない。文句の付けどころのない、完璧な正義の味方。

 どうして自分は何もできなかったのかと悩んだことがある。どうして自分が生き残ったのだろうと悩んだことがある。あの頃の自分は、ずっと泣いてばかりだった。

 

 

『だったら、キミが証明すればいい』

 

『彼が命を賭けて救う価値が自分にはあったのだと、証明すればいい』

 

『そのためには、キミはもっと強くならなくちゃいけない。こんなところで泣いているような暇なんてないんだ』

 

 

 祖父の葬儀で出会った少年の言葉を、イノリは今でも覚えている。彼の言葉に、目が覚めたような心地になった。

 

 ミカゲに守られた命として、ミカゲが信じた希望として、恥じない生き方をしたい。

 彼が命懸けで切り開いてくれた未来を受け取った人間として、自分にできることを成し得たい。

 

 

「いつか私も、大事なものを命懸けで守れるような――誰かの未来を切り開き、希望を繋げるような人間になりたい。おじいちゃんがそうやって、私たちを守り抜いたみたいに」

 

 

 その想いが、イノリを突き動かす意志となるのだ。胸の奥底に咲いた小さな白い花を抱えるように、イノリは胸の前で手を組んだ。

 イノリの誕生花、エーデルワイスだ。花言葉は勇気、大切な思い出。イノリにとってこの花は、花言葉通りの意味を持つ。

 少年がくれた言葉を心の中で何度も思い返しながら、イノリはゆるりと目を細めた。胸の奥から温かいものが溢れてきた。

 

 そんなイノリを見ていたリヒトとソウセイは顔を見合わせ、小さく肩をすくめた。

 

 

「格好良いこと言ってますけど、やはり僕らはまだ未熟者なんですよね」

 

「そう易々とはいかないのが世の理というものだ。技術開発も人生も似たようなものだろう」

 

「……やっぱり、3人はすごいなあ」

 

 

 ミオは、眩しいものを見るようにイノリたちを見上げた。

 若草色の瞳には、羨望の色が滲んでいる。

 

 

「どうしてわたしは、何もできないんだろう……」

 

「ミオ……」

 

「――っ、ごめんね! 変な空気にしちゃって……。とにかく、さっきはホントのホントにありがとう!」

 

 

 泣き出してしまいそうなくらい、掠れた声だった。ミオの様子に心を痛めたリヒトが表情を曇らせ、それを目の当たりにしたミオは慌てて笑って見せる。どう見ても空元気であることは明らかだった。

 「このお礼はいつか必ずする」と言い残し、ミオは踵を返した。ドラゴン襲撃時の傷や汚れをそのままにして、彼女は立ち去ろうとする。その背中を、ジュリエッタが慌てて、アリーがゆったりとした調子で呼び止めた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい! アンタ、まさかそんなボロボロのまま帰るつもり!?」

 

「キミたちは、ノーデンス社自慢の医療チームがバッチリ手当てするよ☆」

 

「え、でも、私は……」

 

「んもう、細かいことは気にしないの! アタシだってヒトの子よ? ボロボロになった可愛いコちゃんを放置したままでいるなんてできないわ!」

 

 

 頑ななミオに対し、ジュリエッタはぐいぐいと言い募った。大人しいミオが、積極的にぶつかってくる相手を無視できるはずがない。

 ミオは躊躇うように視線を彷徨わせていたが、結局は押し切られるような形で同意する。ジュリエッタは満足げに頷いた。

 彼は藤色の瞳をアリーへ向ける。文句は言わせないと訴えるかのような眼差しだ。アリーは朗らかに笑いながら頷き返す。交渉成立のようだ。

 

 

「さ、みんなで行きましょ! 医療セクションの連中、手ぐすね引いて待っているわよ」

 

「手ぐすねって、私たちは敵じゃないんだけど……」

 

「例えの一種よ。だから、細かいコトは気にしないの!」

 

 

 イノリの突っ込みを流し、ジュリエッタが手招きした。彼はナガミミとアリーと共に、ノーデンスへと歩き出す。イノリたちとミオも、3人の後に続いて歩きだした。

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 進学先の義務講習を終えて宿泊施設に戻る道中で、シキがISDFの制服を着た軍人たちを見かけたのは偶然だった。

 慌ただしい様子の彼らに興味を持ったのも、KeepOutと書かれた黄色いテープの元まで近づいたのも偶然だった。

 

 

「また、“多発的な帝竜の出現”かよ。最近多いんだよなあ」

 

 

 防具に身を包んだ男が、面倒くさそうにため息をつく。出動が度重なっているためか、他の煩雑な仕事に振り回されている疲れと鬱憤が溜まってるためか、あくびをかみ殺しきれない響きがあった。

 

 シキは耳を傍立てる。情報収集は大切だと、両親が常々話していたことを聞いていたためだ。

 直接話を聞くのも、間接的に噂話を集めるのも、重要度は同じくらいである。

 ……最も、後者の場合は、慎重且つ念入りに裏を取る必要がある/手間がかかるが。

 

 自分たちの会話に耳を傾けられているとは思っていないようで、ISDFの人々――その中でも噂やお喋り好きな性格なのだろう――は密やかに会話を繰り広げている。

 どんな組織にも、口が軽かったり、喋りたくてウズウズしている人間はいるものだ。面倒くさそうな男に、いかにも明るそうな男が声をかけてくる。

 

 

「有明のノーデンス・エンタープライゼス前に帝竜が出現したんだけど、一般人が帝竜に挑みかかってたんだって」

 

「それ本当か?」

 

「本当に本当さ。ヨリトモ提督の率いる部隊に、俺の友人がいるんだ。そいつからの情報なんだから間違いない」

 

「おいおい……。その一般人、正気かよ。下手すれば、そいつらのせいで余計に被害が拡大してたかもしれないな」

 

「逆だよ。その一般人たちが帝竜の注意を引いてくれたから、被害は最小限に留まったらしい。怪我人はいたけど、死者は出てないって話だ」

 

「お手柄、ってヤツか。……そいつら、もしかしたら、旧政府でいう“S級能力者”なのかも。上層部が知ったら、あの手この手でISDF(ウチ)に引き入れようとするだろう」

 

 

 2人の男性は暫し話し込んだ後、上官に呼ばれたためにその場を離れて行った。期せずして手に入ったとんでもない情報に、シキは目を見張る。

 ノーデンス・エンタープライゼスといえば、イノリたちがセブンスエンカウントで遊ぶために訪れている施設である。――そこに、帝竜が出現した?

 不安に駆られたシキは、慌ててイノリたちに連絡を取ってみる。イノリは出ない。リヒトも出ない。ソウセイも出ない。誰とも繋がらないのだ。

 

 英雄の系譜を継ぐ、特別な幼馴染。互いが互いの理解者であり、信頼できる相手であり、無二の友人であった。

 

 もし、イノリたちに何かあったら――考えるだけで恐ろしい。だが、やみくもに動くのも得策ではないだろう。今から有明へ行ったとしても、到着時間は夜になる。

 宿泊施設は軒並み閉まっているだろうし、あの近辺の施設はセブンスエンカウント目当ての客で賑わっている。到着したとして、泊まる場所が見つかるかどうか。

 

 

「……明日の始発から電車に乗れば、お昼過ぎまでには有明に到着する。その間に連絡が取れなかったら、ノーデンスに乗り込めば……」

 

 

 はやる気持ちを抑え込むようにして、シキは明日以降の予定を立てる。一緒に遊べなかった腹いせに、明日の午前中は観光旅行にでも洒落こもうと思っていたが、観光なんてしていられなかった。

 

 お土産を楽しみにしている面々には悪いが、宿泊施設にある売店の品物で済ませよう。

 そうと決まれば、ここでゆっくりしているわけにはいかない。

 野次馬たちの海をかき分け大通りへ出ると、シキはタクシー乗り場へと急いだ。

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 有明の海に太陽が沈む。寄せては返す波の音、空の向こうを悠々と横切る翼竜の影、遠くに輝きはじめた一番星――それらを、眞瀬ブンイチはぼんやりと眺めていた。ブンイチの隣には、相棒であるブラスターレイブンがぐったりと座り込んでいる。

 つい数時間ほど前まで、自分たちは東京に出現した帝竜たちを相手に大立ち回りを演じていた。勿論、周辺住民の避難誘導もばっちりである。帝竜退治もハードだったが、ISDFが来る前に撤収する方が大変だったように思う。

 

 

「元から持久力が無い方だったけど、最近はもっと酷いことになってるような気がするなぁ。調整はしっかりやってるはずなんだけど……限界が近いのかも」

 

 

 レイブンは掠れた吐息のような声で呟いた。目元が覆われているせいで表情がよく分からないけど、マスクの下には途方に暮れた深緑が揺れているのだろう。

 

 相棒同様、ブンイチも同じことを考えていた。欝々とした気持ちのまま、己の手を見る。傷だらけの手は、遠い昔の自分のものと何ら変わりない。

 傍から見れば、眞瀬ブンイチは普通の子どもに見えるだろう。外見から推測すれば、大体中学生~高校1年生程度の年齢と認識される可能性が高かった。

 実は、眞瀬ブンイチは病を患っている。真竜の瘴気が原因となる病であり、現代社会に蔓延っている竜班病とは“ルーツ違いの類似”であると言えるだろう。

 

 

「……タイムリミット、か」

 

 

 ブンイチは、自分の手の中にある書類に視線を向ける。自分が患う病が、『治療不能で死を待つだけ』という段階に入ったことが記載されていた。

 その書類のページをめくる。2枚目の書類は、前のページとは反対のことが記載されていた。『症状が飛躍的に改善しつつある』という内容である。

 

 

(ノーデンスのパートタイマー社員になってからだ。俺の病気が劇的に改善されたのは)

 

 

 2枚の書類を見比べつつ、ブンイチは眉間に皺を寄せた。

 

 本来、自分が患う病にはステージが2まであり、セカンドステージに移行すると身体機能が著しく衰弱して死に至る。ブンイチはセカンドステージに入った直後であり、症状を和らげる治療薬を大量摂取することで、帝竜と戦える状態だった。相棒の言う調整やエネルギー充填と似たり寄ったりである。

 パート社員の面接を受けたときも、履歴書や偽造戸籍に『U.E.16年に病を発症した』と記載していた。セカンドステージに関することは一切記載していなかったが、社長直々且つ強制的に医療フロアに放り込まれたことで発覚した。クビにされるかと戦々恐々したものの、アリーは気にせずブンイチを雇い入れた。

 因みに、ナガミミにはセカンドステージ云々に関する話はしていない。話したら嬉々としてクビにしようとする可能性が高いからだ。惚れた相手に会えないとなったら、ブンイチの寿命は一瞬で尽きるだろう。まったくもって笑いごとではないし、そんなことになってしまうのだけは避けたい。

 

 

「そう考えると、最近のブラスターキッズは絶好調だな! ……俺が居なくなっても、キミが居るなら大丈夫だ」

 

「――“■さん”」

 

 

 “正義の味方・ブラスターレイブン”の調子を崩さずに不謹慎なことを言ってのけた相棒に、ブンイチは咎める代わりに彼の名前を呼んだ。

 自分でも申し訳ないと思うくらい、不平不満を込めた恨めしい響き。どうしようもないと分かっているのに諦められない、未練がましい声色だった。

 

 レイブンはブンイチが何を言いたいのか、何を考えているのか、はっきりと察知してしまったようだ。恋愛関係のことにはてんで疎かったらしい男であるが、人の心――特に苦しみや悲しみ等を察知することには聡い。

 

 

「……ごめんね、“文一”。でも、これは“どうしようもないこと”なんだ」

 

 

 彼は困ったような、哀しそうな視線を向けてきた。当たり前の願いに答えてやれない、自分の不甲斐なさを詫びるかのように。

 相棒にそんな顔をさせてしまったブンイチは自己嫌悪した。彼に、そんな顔をさせたいわけではなかったのに。

 幾何かの沈黙の後で、ブンイチは絞り出すようにして謝罪の言葉を口にした。「俺の方こそ、ごめん」――何とも情けない。

 

 

「分かってる。ちゃんと分かってるよ。“■さん”だって、いつまでも、天下無敵のブラスターレイブンでいられるわけじゃない。何事にも終わりがやってくるんだから、俺もいつかは“眞瀬ブンイチ”を辞めなくちゃいけなくなる」

 

「“文一”」

 

「この調子で黒呪病が治った後、ISDFが放置したままのアイツを倒した後、“■さん”がいなくなった後……考えなきゃいけないことは沢山あるってことも分かってるよ。想定しなきゃいけないことが沢山あるってことも分かってるんだよ。……だけどさぁ……!!」

 

 

 今までの自分を構成する要素の大半が、そのまま今の自分を構成し、突き動かす要素そのものだ。同時に、その要素も、物事の解決によって意味を成さなくなる。

 ブンイチにとって“要素がなくなる”ということは、これからを生きていくために必要な道標を失うことと同義だ。未来という荒野に、地図もなく放り出されることを意味する。

 

 1つのことを全うするために、“文一”は全身全霊を賭けた。それを全うするために何をすべきかを思案してきたけれど、終わった後のことは考えてなかった。明確な終わりが近づいてきているという事実が、今まで考えてこなかったツケとなって、“文一”の前に突きつけられている。

 

 自分の歩んできた軌跡を、自分が抱えてきた痛みを、自分が背負ってきた悲しみを、共有できる相手なんてどこにもいない。相談できる相手もいない。

 そんな相手を見つけるには、“文一”の人生は遅すぎるし、重すぎた。――まあ、“想い人ができた”という点は充分遅くないことだったが。

 

 

「……“文一”。僕はね、お前に幸せになってほしいんだ。幸せになってほしかったんだよ」

 

 

 レイブンは柔らかな声で言葉を紡ぐ。まるで幼子に語り聞かせるかのような口調で。

 

 

「僕や彼女たちみたいな“使命”とは無縁の、穏やかな人生を送ってほしかった。気の合う仲間や仲間や友人たちに囲まれて、誰かを好きになって、誰かと寄り添って、家庭を築いて、床の上で大往生するような、普通の人生を」

 

「“■さん”」

 

「今のお前になら、それができる。そんな未来が、目の前に広がっているんだ。――僕だったら、こんなチャンス、絶対に逃さない。死に物狂いで掴もうとするし、そういうチャンスが目の前にある人を見たら、その人に絶対掴んでほしいって思うよ」

 

 

 レイブンは柔らかに微笑む。そこにあったのは、後継者の幸せを一心に願う眼差しであった。目元がマスクで覆われているはずなのに、優しく細められた深緑が容易に想像できる。

 幼い頃から“文一”を見つめていた眼差しだ。そんな風に笑う“レイブンになった男”の表情が大好きだった。沢山苦労してきたのだから、これからは沢山笑ってほしかった。

 彼と一緒にやりたかったことがある。一緒に街に繰り出して、買い物なんかもしてみたかった。色んなところに旅行をしたかった。一緒にアルコールを飲んでみたかった。

 

 でも、それが叶わないことは、“文一”と“レイブンになった男”自身が一番知っている。

 

 幸せになりなさいと相棒は言うけれど。

 “文一”の手の中は、幸せへの切符が握られていたけれど。

 

 ――眞瀬ブンイチ/“文一”には、どこへ行けばいいのか/このまま幸せになっていいのか、分からなかった。

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「随分と機嫌が良さそうだな、ユウマ」

 

「え?」

 

 

 先程から頬を緩ませていた部下――如月ユウマに、頼友(ヨリトモ)東吾(トウゴ)は声をかけた。

 ユウマは目を丸くして瞬きした後、「分かりますか?」と苦笑する。

 

 

「実は、先程からずっと、口角が上がったまま下がらないんです」

 

「ほう」

 

 

 作り物めいた笑み――関係者以外が見ると“人当たりの良い爽やかな笑み”に見えるらしい――を浮かべていることが多いユウマには、珍しい変化である。よくよく見れば、彼の笑い方は普通の人間が浮かべるものと大差なかった。

 

 本人は自分の変化に驚いているようで、どうしたものかと持て余している様子だった。

 出自が出自なだけに、ユウマは情緒や一般の人間が経験するような物事に疎い。

 周りの環境もあってか、彼の佇まいはどこか危うく脆いように思える。

 

 

「何か、いいことでもあったか?」

 

「取り立てて言うような特記事項は、何も。……ああ、そういえば、先程帝竜に挑んでいた一般人の少女から感謝されましたね」

 

 

 ユウマの言葉に、ヨリトモは先程のこと――ノーデンス・エンタープライゼスに出現した帝竜スペクタスに関する出来事を思い返した。

 

 ISDFが現場に駆け付けたときにはもう、既に、一般人たちが帝竜を相手に奮戦していた。圧倒的な力に叩き伏せられても尚、3人の少年少女は戦おうとしていた。

 彼女/彼らの眼差しを目の当たりにしたとき、ヨリトモが真っ先に思い浮かべたのは恩師の渡来ミカゲである。恩師もまた、瞳に揺るがぬ意志を宿していたためだ。

 帝竜相手に奮戦していた3人は、今は亡き恩師の“想い”を継ぐ人間なのだ――ミカゲに師事していたヨリトモには、それがすぐに分かった。

 

 あの人は無茶苦茶なことばかりしていた。その無茶苦茶さを、あの若者たちは忠実に受け継いでしまったらしい。

 湧き上がった感情を、何と言えばいいのだろう。自身の後輩にあたる人間との出会いに、言葉にし難い感情が湧き上がったのは事実だ。

 

 

(想いはこうやって、受け継がれていくんだな……)

 

 

 暫しの間懐かしさに浸ったのち、ヨリトモは閑話休題とばかりに咳ばらいした。そうして、ノーデンスで起きた出来事をもう一度回想する。

 帝竜は普段通りユウマが片付けた。帝竜襲撃の事後処理を部下たちに指示していたとき、ユウマは無茶をやらかした一般人の元へ歩み寄って行ったか。

 

 彼はそのとき、一般人の少女と会話していたように思う。黒髪のショートボブに、花を模した銀の髪飾りを付けていた少女だった。

 

 年恰好は10代半ばから後半、制服の形状からして、彼女は暁学園の生徒だ。出身校までヨリトモと同じである。

 恩師の孫も、今なら丁度あの少女くらいの年頃だろう。葬儀で泣いていた女の子は今、どうしているだろうか。

 

 

「不思議なんですよね。あのとき、俺は彼女から目を離すことができなかった。……帝竜と戦うなんて無茶をした一般人は、他にも2人いたのに」

 

「ユウマ……」

 

「――また、会えるかな」

 

 

 他人のことに関心を示さないユウマが、思いもよらないことを口にした。ヨリトモは思わず目を瞬かせる。

 驚いたのはヨリトモだけではない。そのことを口走ったユウマ自身も、はっと息を飲んだ。

 自分自身の発言に困惑し、ユウマはしきりに首を傾げる。暫し顎に手を当てていた青年は、助けを求めるようにヨリトモを見上げた。

 

 ヨリトモはふっと微笑む。

 

 

「きっと会えるさ。可能性が0ではない限り、な」

 

「……だと、いいですけど」

 

 

 天文学的な数値だろう――翡翠色の双瞼は、ヨリトモの言葉を希望的観測と取ったようだ。しかしユウマは、可能性は限りなく低いと知りながらも、0ではないという事実に拠り所を見出そうとしている。彼の瞳には、そうあってほしいという願望で揺れていた。

 ユウマはまだ、自身の感情を把握しきれていない。自分の言動が、彼の心の奥底にある想いに由来しているものだと気づいていないのだ。無意識に口元を綻ばすユウマの横顔を眺めながら、ヨリトモはひっそりと目を細める。ユウマには、若者らしい幸せを手にしてもらいたいものだ。

 

 

(……あの、娘……)

 

 

 そんなことを考えたとき、不意に、脳裏に少女の姿が浮かんだ。愛する人の面影を忠実に受け継いだ、若芽色の髪を束ねた少女。

 泣き虫で怖がりな寂しがり屋で、でも、思った以上に頑固で、とても優しい女の子。向き合うことを恐れて、背を向けた相手だ。

 ヨリトモが彼女に顔を合わせる資格はない。顔を合わせ、“そう”振る舞う資格もないのだ。逃げ出した自分には、おこがましい。

 

 だが、件の少女には、いつの間にか、やけに仲がいい男がいた。

 目撃者たちの話を総合すると、その男が少女を守るようにしてドラゴンと対峙していたという。

 

 関係者からそんな話を耳にしたことが一度もなかった。故に、寝耳に水どころか、自分の目前でテロが行われた並みの衝撃である。

 

 

(俺にはもう、それについて文句を言う資格などない。……だが、だが……!!)

 

 

 ヨリトモの握り拳が小刻みに震える。自分の胸中は、焦土の中で大混乱になっている人々と大差ない。

 今ならば、恩師が娘婿の家に得物片手で乗り込もうとしたときの気持ちがよく分かる。

 妻の関係者が、ヨリトモに対して最大威力の自爆特攻(エグゾーストサクリファイス)を仕掛けようとした悲壮感もよく分かる。

 

 分かりたくないのに、手に取るように理解できるのだ。自分もそんな年齢になったらしい。

 

 

「提督? そんなに難しい顔して、どうかしたんですか?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

 ユウマや他の部下たちが聞いたら確実にしょっぱい顔をしそうな思考回路などおくびにも出さず、ヨリトモは粛々と返答した。

 余計なことを考えるのはやめる。ISDFの職務は帝竜退治だけではないのだ。今日1日の務めは、まだ果たされてはいないのだから。

 

 

 

 

 その日、ヨリトモは夢を見た。夢の内容はおぼろげで思い出せない。

 

 ただ、その夢が悪夢だったこと、自分が得物片手に誰かに襲い掛かろうとしたこと、恩師が魔王のような笑みを浮かべて誰かに襲い掛かろうとしていたのを止めようとしていたことだけは覚えている。

 目覚めたとき、ヨリトモの体は冷や汗でびっしょりだった。こんな恐怖を感じたのは、“学生時代、自分の鞄の中にとんでもない本が紛れていたこと”と、“恩師との実戦訓練”以来であったことを記載しておこう。

 

 




そうして、彼らの運命は廻り始める。
終焉への始まりは、物語の始まりと同義。
Code:VFDの名の元に、狩る者は惹かれあい、ここに集うのだ。

……なんだか怪しいフラグが立っている人もいるけど、まあ、ご愛嬌ということで。

―――
小説投稿後に改めて見直した際、設定の一部に重大な欠陥を発見。慌てて各話の文章を修正したのはここだけの話。
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