花咲く世界のクロニクルセブン -じじいと孫のCode:VFD- 作:白鷺 葵
ふと気づくと、そこは紫の花が咲く平原だった。心地よい風が吹き抜ける。甘くやわらかな香りが鼻をくすぐった。
自分は今まで何をしていたのだろう。ウィータはそれを思い出そうと首をひねったが、靄がかかったように霞んでしまう。
(ここは一体、どこなんでしょう……?)
ウィータの故郷・アトランティスには、こんな花は咲いていない。見たこともない花だ。けれども、ウィータがよく知る花よりは美しく、可憐で、優しい香りがする。おそらく、陸に咲く花なのだろう。
ニアラが攻めてくる以前は、アトランティスにも綺麗な花が咲いていた。その平原はもうない。星晶石の守りが失われたことが原因で、大地ごと海の藻屑と化した。残されたのは下層区クラディオン、首都アトランティカ、最後の海洋宮となったベルク海洋神殿のみだ。
一面に広がる紫の花を見ていると、心が安らぐ。こんな気持ちになったのは久しぶりだ。ウィータたちは、アトランティス玉砕を掲げた王族たちの意見に反対し、ドラゴンやマモノたちとゲリラ戦を繰り広げている。
ウィータは屈み、紫の花を摘んだ。甘い芳香に、ゆるりと目を細める。
ざわり、と風が哭いた。星の聲が聞こえてきたような気がして、ウィータは思わず顔を上げる。
紫の海をかき分けるようにして、誰かがこちらに近づいてくる。人影は、若い青年だ。
しかし、彼の耳は尖っていなかった。肌の色も色白で、ウィータ達――ルシェ族とは違う者だ。身に纏う洋服も、ウィータ達――海の民の纏う服ではない。レンズのようなものを目にかけ、髪の色は薄い栗色。けれど、こめかみ付近の髪の色は退紅色だ。
そういえば、聞いたことがある。陸の民は、動物の皮を鞣した服を身に纏っているらしい。ウィータはその現物を見たことがないが、おそらく、今目の前にいる青年がそうなのだろう。ウィータはまじまじと彼を見つめた。彼もまた、ウィータを見つめる。
「――はじめまして」
青年は、ふわりと微笑んだ。先程までは惚けたような表情だったのに、今は柔らかな笑みを浮かべている。
彼はウィータに好意的だった。星占術師としてのウィータの第6感も、この青年が敵ではないと告げている。だから、ウィータはそれを信じることにした。
ウィータも微笑み返し、「はじめまして」と答えた。青年はそんなウィータを見返し、ゆるりと目を細めた。不意に、ウィータの胸の奥がざわめく。
これは、予感だ。星占術師としての能力が、“運命が回り始める”のだと告げている。以前、星詠みの力で“竜殺剣の真の担い手が現れ、ニアラを討つ”という託宣を受けたときと同じような確信だった。
伊達に、星占術師の卵として王宮勤めをしてきた訳ではないのだ。今は亡きウィータの師匠も、ウィータのことを「絶望と因果を断ち切り、運命を超えて希望を紡ぐ星占術師となるだろう」と言っていた。
「……貴方は、誰ですか?」
「僕はナ・サイラスリヒト・シヴィラティカ。エデンのプレロマで、星学者をやってます」
「え? ええと……」
「名前が長いんで、サイラスと呼んでください」
青年――サイラスは、にへらと笑った。外見からは想像できない、どこかふわふわした口調だった。
ウィータは一瞬驚いたが、こういう人もいるのだと納得する。外見と口調が一致していない例は、弟のモルスにも言えたためだ。
『モルスは、黙っていれば麗しい殿方なのですがね』
『わかる。口を開くと、途端に残念になるよな』
自警団の同僚からよく言われた言葉だ。ウィータもそう思う。一たび口を開けば、弟はお気楽なお調子者だからだ。閑話休題。
サイラスが自己紹介を終えた段階で、強い風が吹いた。星の声が聞こえる。ウィータはハッと目を見開いて、サイラスと名乗った青年を見返した。
託宣だ。彼はいずれウィータと出会い、ウィータ達が竜を討つための力となる。しかし、その託宣以上に、ウィータは別の予感も感じ取っていた。
しかしながら、それを口に出して言うのは憚られる。心臓が荒れ狂うように鼓動を刻む音が鮮明に響いてきた。落ち着かせるように、ウィータは胸の前で手を組む。
サイラスは何も言わず、ウィータの様子を見守っている。
まるで、ウィータの託宣を待っているかのように。
「……“遥けき楽園に待つのは、奇妙な出会いと見知った人々との別れ。希望と絶望の果てに、汝は竜の謎に触れるであろう”……」
「成程。今のが、古代文明アトランティスの星占師が持つ、星詠みと託宣の力なんですねー。……ふむふむ、興味深いです」
何が面白いのか、サイラスは興味深そうにウィータを見つめた。鳶色の眼差しは、穏やかな海を思わせるが如く澄み渡っている。奥底から溢れるのは、尽きることのない探究心。その眼差しに、ウィータは酷く惹きつけられた。
なんとか落ち着かせたはずなのに、また心臓がざわめき始める。高鳴る鼓動が何を意味しているのか、ウィータは重々理解していた。同時に、それが相手に伝わることがないということも。わかっているのに、酷くもどかしい。
次の瞬間、世界がぶれるような感覚に見舞われた。紫の花畑にいたはずなのに、咲き誇る花が形を変える。可憐な花は、ウィータがよく知る毒花――フロワロへと姿を変えた。見知った毒々しい赤色とは違う、薄い桃色の花。ウィータはぞっとした。
あの花は、命の選別をする花だ。多くの命をふるいにかけ、価値ある者だけを生かす。
(“揺るぎのない、絶望”――!!)
ウィータがそれを本能的に理解した途端、頭の中に不明瞭な光景が浮かんだ。命の選別を担う花が咲き乱れた大地、倒れ伏して動かない人々。誰が倒れているのか、ウィータには全く分からない。
しかし、その光景は断線し、いつの間にか、紫の花が咲く花畑に戻っていた。得体の知れぬ恐怖に、身体の震えが止まらない。一体何が起きたのか。そのとき、誰かに両肩を掴れ、引き寄せられた。
顔を上げる。そこには、至極真面目な表情のサイラスがいた。彼の双瞼はウィータをしっかりと映し出している。また、心臓がざわめいた。
彼はじっとウィータを見つめていたが、ウィータがサイラスに釘付けになったことを察した途端、へにゃりと微笑んだ。不思議な笑い方である。
だが、彼の笑みを見ていると、なんだか勇気づけられるような気がするのだ。……それもまた、サイラスという青年の魅力なのだろう。
「大丈夫ですよ。どんな絶望が待ち受けようとも、僕が貴女の力になります。貴女たちの道を切り拓く力になります」
顔はへにゃりとした笑みのままなのに、サイラスの眼差しはどこまでも真っ直ぐだった。力強い眼差しに、引きこまれそうになる。魅せられて、目が離せなくなるのだ。
次の瞬間、サイラスは至極真面目な表情になった。
ウィータは思わず息を飲む。そうして、サイラスは力強く笑った。
「だから、安心してください。この命に代えても、僕が、貴女たちを勝利へと導いてみせましょう!」
「エデンの頭脳の名に懸けて」と、サイラスは締めくくる。彼の瞳には、一切の迷いも躊躇いもない。嘘もなかった。
それ故に、ウィータの背中に悪寒が走る。サイラスはこの宣言通り、ウィータ達の戦いを勝利に導くためなら、命を懸ける覚悟でいるのだ。
再び、少し前に浮かんだ“絶望”がフラッシュバックした。飛び散った残骸、倒れた躯。あそこにいたのは、誰だったのか。
それを問う間もなく、強い風が吹いた。ウィータは思わず身を庇う。サイラスの纏う外套が風に揺られた。彼は無邪気に微笑む。
刹那、ウィータは何かに引っ張られるような感覚に見舞われた。紫の花畑と、サイラスとの距離がぐんと遠くなる。
「ま、待って! 私、まだ、貴方と――」
「待っています、ウィータ。貴女の言う、“遥けき楽園”――エデンで会いましょう」
ウィータは慌ててサイラスに向かって手を伸ばした。サイラスは穏やかに微笑み返す。途端に、世界は白く染め上げられた。
***
――欠けた夢を、見ていたようだ。
ウィータ・クリュティエはがばりと身を起こす。武装自衛団の仲間たちが、泥に浸かるかのように身を横たえていた。
周囲からはうめき声が聞こえてくる。怪我をした者の声だ。徹底抗戦を唱えた者たちが集まるクラディオンは、完全にジリ貧である。
(……戦況は、絶望的)
ウィータは静かに目を閉じる。星の聲に耳を傾けた。
金色の竜を討つのは、時を超え、彼方より来る異邦人。かの者たちもまた、“竜を狩る者”。
陸の民と海の民が手を取り合いしとき、“竜を狩る者”たちは青く輝く剣を以てして、絶望を吹き払うであろう――。
首都アトランティカにいた頃、ウィータが得た託宣。内容は、何も変わらない。玉砕なんてしなくても、未来を切り開く可能性は存在しているのだ。なのに、王族や役人たちはそれに耳を貸さなかった。王ですら扱えなかった竜殺剣を、異邦人が扱えるはずがないと切り捨てた。玉砕しかないのだと主張した。
特に、事実的な玉砕推進派の筆頭である叔父は「あの託宣を取り下げろ。お前を逆族にするのは心苦しい」とウィータを脅してきた程だ。あまりにも弱気な脅迫が、かえってウィータの決意を固くしたのだが。『叔父上なんて大嫌いです』と書いた置手紙を残し、ウィータはアトランティカから飛び出した。
首都を追放された者は、下層区へと流れた。特にクラディオンには、元親衛隊所属の騎士や優秀な占星術師が集まった。親衛隊長であったエーグルがいて、自警団を作ったという話を耳にしたためである。因みに、ウィータの場合は、生活の基盤をクラディオンへと移していたモルスを頼る形でここに転がり込んだ形となる。閑話休題。
(同じアトランティスの人間として、私は彼らに同意することはできません。私たちのすべきことは、命を繋ぐため、未来を手にするために戦うことではないのですか……?)
ウィータは祈るように手を組んだ。勿論、返事はない。ここには、玉砕派の人間なんてどこにもいないからだ。
クラディオンには徹底抗戦を唱えたものしかいなかった。玉砕派の人間たちは、生きたいという思いを握り潰している。
死相を手繰る星占術師は、死に敏感だ。ウィータも、ずっと死の気配を感じ取っている。その気配は濃く、じりじりと近づいてきていた。
それでも、諦めることはできない。それ故に、抗う。
ウィータはサイスを強く握りしめた。
(私の託宣が正しいならば――)
濃くなった死の気配と同じように、眩いばかりに輝く命の気配が近づいてくる。
死の気配に敏感な星占術師は、同時に、生の輝きにも敏感であった。命の放つ気配を、正しく把握できた。
それ故に、ウィータは感じていた。死に飲まれかけた海の国に、生に満ち溢れた光を宿す異邦人が足を踏み入れた気配を。
煌めく命の輝きが、クラディオンに近づいてくる。もうすぐ、もうすぐだ。逸る気持ちで、ウィータは星晶石を見つめた。
「姉上。エーグルから連絡だ。“クラディオンに侵入者の陰あり。緊急事態だから、戦う準備をしとけ”ってさ」
明るい声に振り返る。ウィータの弟であるモルスが、得物である短剣をくるくる回転させ、弄んでいた。淡く輝く光が、侵入者を滅するという意志を現している。ルーンナイトの剣が放つ、命の光だ。
クラディオンはマモノとドラゴンの襲撃をやり過ごしているにすぎない。集落を守る星晶石の力は日に日に衰えていく一方だ。しかも、上流階級の連中は、ここの石も玉砕用の特攻兵器として使うつもりでいる。
誰もが未来を諦めていた。諦めないと決めても、絶望が延々と広がるだけである。諦めた人間たちの気持ちも、ウィータは分からなくはない。退路は既に封鎖され、進むべき道は破滅以外にない――そんな状況の中で、異邦人の命の光が眩く輝くのが見えた。
「――ついに、運命が動くのですね」
「運命……」
「おそらく、ここに足を踏み入れようとしている者たちが、“狩る者”たちでしょう」
確証を持って、ウィータは託宣を告げた。それを聞いたモルスは、弾かれたようにウィータに視線を向ける。揺らぐことのないウィータの眼差しを真正面から受け止めた彼は、目を瞬かせた。
姉の言葉を確認するように、弟は駆け出す。ウィータも彼の背中に続いた。程なくして、クラディオンに繋がる洞穴付近にたどり着く。自警団の面々が、岩陰から侵入者の様子を伺っていた。
見たことのない衣を纏った者たちが、何かを話し込んでいる。自分たちの力を示すために転がしておいたドラゴンの死体にも物怖じする様子はない。むしろ、自分たちの実力に感心している様子だった。
男の耳は尖っていないし、女の耳は頭の上にない。あれが、地上の民。上流階級の連中が野蛮と称した国から来た、異邦人だ。
ウィータは、彼らが遠い時を超えてやってきた異邦人であることを知っている。絶望を吹き払う、命の眩い輝きを知っている。
(彼らとの戦いに、私たちは負ける)
そして、そこからすべてが始まるのだ。絶望をひっくり返し、命を繋ぐ戦いが。
ウィータはその託宣を口に出さない。口に出してしまえば、かえって逆効果になるためだ。陸の民と手を取り合うという選択肢を潰してしまいかねない。
ルシェ族は、戦いになると血気盛んな一面がある。武人気質が強く、名誉を重んじる節があるためだ。敗北を示されたなら、玉砕覚悟で挑むような面もある。
現に、アトランティスの上流貴族や王族たちは、その誇りによって滅びようとしていた。誇りを持って抗うことを選んだ自分たちが、彼らと同じ轍を踏むわけにはいかない。
「“どうか、示して。運命は変えられるのだと”」
誰にも気づかれぬほどの声で、ウィータは呟く。それと同時に、エーグルとモルスが異邦人の前へと進み出た。
■■■
「うわあ……」
イノリは思わず声を上げた。眼前には、浮遊する岩場が階段のように広がっている。助走をつければ飛べないわけではないが、踏み外せば下へと真っ逆さまだ。
興味本位で下を覗いてみたシキとソウセイが渋い顔をし、2人の様子から何かを察したリヒトが顎に手を当てて唸った。岩場を飛び移る以外、進めそうな道は無い。
ここは低層区クラディオン。ルシェ族繁栄の基盤となった採掘場や鍛冶場の集まる、労働階級者たちが住まう区画だ。ジュリエッタの見解では「マモノの巣窟になっているため、生存者がいる可能性は低い」とのことだが、イノリは悲観していない。
上層区が玉砕推進派で塗り固められていることは事実である。同時に、そこで救助したルシェたち曰く、「執政官に意見した気骨のある人々は、みな首都から追放された」とのこと。上が玉砕推進派と貴族の集まりならば、反対派と一般人以下の階級は下層部にいると考えた方が自然だ。
反対派で追放された人々の中に、女王ウラニアや執政官のタリエリと関わりがあるルシェが居てもおかしくない。一足飛びにウラニアと接触できる可能性は低いが、巡り巡ってでもウラニアへたどり着ければ勝機がある。可能性は限りなく低いが、ゼロではない。
「……聲が聞こえるな」
下を見るのを止め、オリハルコンの聲を聴いていたソウセイが鋭い眼差しで天を仰いだ。
彼の視線の先には、浮遊する足場の階段が続いている。その先には、ひときわ大きな岩場が見えた。
ソウセイが金属の声を聞いているのだと察したシキも、ルシェ族の力を使って金属の聲を聞き分けようとしたらしい。真剣な面持ちで目を閉じる。
金属の声を聞けるのはATLコード継承者だけではないそうだ。ルシェ族の血を引いていれば、大なり小なり聞き分けることができるらしい。
イノリはルシェではないためよく分からないが、ソウセイとシキ曰く、「最低でも“金属がどんな様子なのか”程度は察せる」という。
オリハルコンの聲を聞いたのか、シキはゆっくり目を開けた。彼女は嬉しそうに微笑む。
「本当だわ。私たちの来訪を歓迎しているみたい」
「ってことは、集落は無事ってこと?」
「おそらくね。……最も、ここを拠点としているルシェたちが、オリハルコン同様、私たちを歓迎してくれるとは限らないけど」
イノリの問いに答えたシキは、憂いを滲ませた表情のまま天を仰いだ。
アトランティスのルシェたちは排他的で、よそ者に対して厳しいきらいがある。それは事実だ。クラディオンを守護するオリハルコンがこちらを歓迎したからといって、住人たちもイノリたち異邦人を迎えてくれるとは限らない。
平時であれば、異邦人が首都の街中を歩くと詮議沙汰になる程だ。あちらでは有事ということで捨て置かれたが、今回はどうなのだろう。できれば穏便に済ませたいのだが、何が起きるかは分からない。
「なんにせよ、実際に会ってみないと分かりませんね。穏便に行かなかった場合の準備も重要でしょう」
「何かあったら、私が地上のルシェ族代表として矢面に立つつもりよ」
真剣な面持ちで、リヒトは眼鏡のブリッジを押し上げた。彼の眼差しは浮島の先――クラディオンに居るであろうルシェ族へと向けられている。
諍いが発生する可能性を語るリヒトの横顔は、そんなことが起きなければいいと願っていた。イノリも同意見だ。潰し合いなど御免被る。
しかし、拳と掌を打ち付けて不敵に笑うシキの様子を見ていると、なんだか嫌な予感がしてならない。彼女のポリシー的な意味で、だ。
「元よりそれは覚悟の上だ。玉砕に反対した気骨のあるルシェ族が、突如現れた異邦人に対して好意的に接してくれるとは思わない」
「ソウセイくん……」
「彼らは今、戦争中だ。しかも、勝算は無いに等しい。上層に住んでいた貴族階級同様、異邦人を許容できるほどの心の余裕もなさそうだ」
ソウセイは深々と息を吐く。紫苑の瞳には、憂いと不安が滲んでいた。衝突は避けられないと理解しているが故に、居たたまれない気持ちになっているようだ。
人は心に余裕があると、相手の話を聞こうとしたり、調和を崩さないよう配慮したりすることができる。しかし、心に余裕がなくなれば、それが他者に害を成すような行動でも、躊躇わず行動に起こしてしまうのだ。
余裕がない人間は、自分を守ることだけで精一杯である。他者を傷つけるのも、“自分の身を守り、自分が傷つく被害を減らすため”だ。手負いの獣が、相手を必要以上に激しく威嚇するのとよく似た原理である。
彼らを安心させるには、“自分は敵ではない”ということを分かってもらう必要があった。どれ程の時間がかかっても、相手の痛みに寄り添い、苦楽を共にし、信頼関係を築いていく――地道な行動以外、有効な手はない。イノリは手を握り締めた。
「行きましょう。彼らに希望を示すために」
嘗て祖父たちがそれを成したように、今度は自分たちがそれを成すのだ。当時の英雄たちと一緒に。
今はまだ未熟だが、嘗ての狩る者たちは一般人からのスタートだった。だから、充分挽回と成長のチャンスがある。
イノリは仲間たちを見回した。リヒトも、ソウセイも、シキも、真剣な面持ちで頷き返す。そうして、前に向き直った。
『こういう足場を見てると、六本木大瀑布思い出すんだ。落ちたら命がない的な意味で』
「死体がどこかに残るか、超強酸で跡形もなくなるかの2択か。ああでも、大瀑布の対策はナノコートがあるから大丈夫なのか?」
『流石に、体内まではカバーできないけどね。それに、オケアヌスを倒した後は、あそこを流れ落ちる強酸はすべて水に変わったもん』
『あそこ、未だに大瀑布のまんまなのかなあ』「ヒ○ズ族の夢の跡がああなるとは、誰も思ってなかっただろうな」と、リョウスケとミカゲが会話しながら岩場を飛んでいく。むしろ、ムラクモ13班の面々は、躊躇うことなく岩場と岩場を飛び移って行った。残ったのは、祖母のユイである。
『イノリ、行かないの? もしかして、怖い?』
「ううん、大丈夫。助走をつけて飛び移れば問題なさそう」
ユイに声をかけられたイノリは、満面の笑みを浮かべて首を振った。周囲を見回せば、ISDFの軍人たちが何やら話し合っている姿が伺える。どうやら、ゲートがある岩場の安全を確保してくれたらしい。
ゲートの出入り口を守っている軍人の中に、ヨリトモとユウマの姿はない。彼らの専門は戦闘だという点からして、一足先に奥地へ向かったことは明らかだろう。ナガミミもそれに気づいたようで、激を飛ばしてきた。
『オマエら、ISDFに後れを取るな! 主導権を取り戻せ!!』
「了解。行こう、みんな!」
「はい!」
「ええ!」
「ああ!」
イノリの号令を聞いたリヒト達は二つ返事で頷く。そうして、勢いよく駆け出した。
大地を蹴って、次の岩場に飛び乗る。思った以上にすんなりと飛び移れた。仲間たちの中で一番運動神経が悪い(但し、S級能力者のため、一般人よりは上である)リヒトも、問題なく飛び移れたようだ。
その調子で飛び移っていくと、ISDFの2人――ヨリトモとユウマ――と祖母を除いたムラクモ13班員がいた。前者は何とも言えなさそうな表情で下を覗き込み、後者は何やら話し合っていた。
「どうかしたんですか? 下に何が……――!」
イノリたちもISDFの2人に続いて下を覗き込む。そこには、首都アトランティカでミカゲが屠った帝竜トリスアギオンがいた。と言っても、トリスアギオンはもう動くことはない。奴の命はとうに燃え尽きていたからだ。
白い大天使の肢体には、幾重もの切り傷が刻まれていた。ミカゲの放った奥義、乱れ散々桜によるものだ。改めて見ると、奥義の威力、それを放った人間の実力がありありと示されている。祖父の強さを目の当たりにして、イノリはごくりと唾を飲む。
最終目標として、イノリたちは第3真竜ニアラを倒さなくてはならない。帝竜クラスで壊滅寸前まで追いつめられていたイノリからしてみれば、弱体化していて辛勝だったとはいえ、帝竜を屠った祖父の強さは尊敬する。勿論、一撃で帝竜を屠ったユウマも凄いが。
『今回の最終目標が全盛期のニアラだとするなら、帝竜相手で苦戦してると難しいかも……』
『帝竜相手に総力戦をしかけていた我々からすれば、雲の上のような話だな。掴めない訳ではないが、その距離が遠い。リハビリだけでは足りないかもしれんぞ? ミカゲ』
「おいおい。まーた気苦労が増えるってか」
シラユキが眉間に皺を寄せ、ヨツミが顎に手を当てて唸る。2人の言葉を聞いたミカゲはため息をついた。旧ムラクモ13班の面々は、例外なく真剣な面持ちで思案し始める。
イノリが彼らの横顔を見ていたとき、不意に、隣から密やかな笑い声が聞こえた。笑ってはいけないのだが、堪えられないと言わんばかりの響き。
隣を見れば、ユウマが楽しそう――けれどどこか挑戦的――な笑みを浮かべて、トリスアギオンの
自分の横顔を見つめられていることに気づいたのか、ユウマはイノリの方へ向き直った。彼は悪戯がばれた子どものように苦笑し、小声で打ちあげる。
「実は俺、楽しみにしてるんです。真竜と戦うことも、キミやキミのおじいさんたちと共闘することも」
「あはは。実は私もなんです」
色白の肌をほんのり染めたユウマは、子どものように照れ笑いしていた。
見ているこちらも照れくさくなって、イノリも苦笑しながら頷く。
「おじいちゃんと一緒に戦うのも、ユウマさんと一緒に戦うのも、すっごく楽しみにしてて」
イノリはくすくす笑いながら、ミカゲの背中を見つめた。8年前、イノリたちを守ってくれた大きな背中が目の前にある。
祖父が生きていたときは、いつか一緒に肩を並べて戦える日が来るのだと、信じて疑わなかった。彼が亡くなった後は、もう二度と叶わない夢なのだと思っていた。
なんだか胸が熱くなってきた。イノリは思わず、小さく手を握り締める。逸る気持ちを抑え込みながら、イノリはユウマの方へ向き直った。自然と口元が綻ぶ。
「だから、これからよろしくお願いしますね。ユウマさん」
イノリの言葉を聞いたユウマは、惚けたように目を瞬かせた。ややあって、彼もまた、ふっと笑みを浮かべる。
「はい。俺の方こそ、よろしくお願いします」
「…………おい、ユウマ」
互いに顔を見合わせて笑っていたとき、背後から控えめな声が響いた。振り返れば、これ以上ないくらいのしかめっ面をしたヨリトモの姿があった。
彼は中途半端に手を伸ばし、空中で彷徨わせている。ユウマは「あ」と間抜けな声を漏らした後、すぐにヨリトモの元へと駆け出した。
ISDFの2人は何かを話し合った後、岩場を飛び移っていく。彼らの姿はあっという間に見えなくなった。ミカゲやイノリたちもそれに続こうとしたときだ。
「なあ、ちょっといいか?」
「おじいちゃん?」
「話がある。と言っても、身構えるようなモンじゃないけどな」
祖父に呼び止められ、イノリは振り返る。ミカゲは真面目な面持ちで、イノリたちノーデンス13班を見つめていた。
『話なんて後にしろ。立ち止まってる暇はねぇんだ』
そんなミカゲに苦言を呈したのはナガミミだ。このマスコット――ノーデンス側の上層部たちは、Code:VFDの主導権をISDFに握られることを嫌がっていた。特に、ジュリエッタはISDFに並々ならぬ敵意と遺恨を抱いている。彼の言動からして、『ISDFと一緒に行動する』ことすらストレスになっていそうに思えた。
ISDFが絡んだ事象の場合、ジュリエッタは冷静でいられない。検体を燃やしてデータを消すと啖呵を切った彼が、渋々ISDFとの共同作戦に頷いたのは、社長であるアリーの采配があったためだろう。彼女が冷静なのは、ただ単に割り切っているか、彼女個人にISDFとの遺恨が存在しないためだ。そうやって、上層部はバランスを取っているらしい。閑話休題。
「えーと、ブンイチのアドレスはどれだったかな。『ナガミミ様の個人アドレスが知りたい』って言ってたから、聞いたら喜ぶぞぉ?」
『…………』
ナガミミを黙らせ、ミカゲはイノリたちへ向き直った。
「ノーデンス13班のリーダーは決まってるのか?」
「え……?」
「決まってないなら、今のうちにはっきりと決めておいた方がいい。いざというとき、矢面に立つ代表者が必要だ。実際、俺たちもそんな感じだったしな」
藪から棒にそんなことを問われて、イノリたちは目を白黒させた。
セブンスエンカウント攻略からCode:VFDに協力することにしたイノリたちだが、これまで、明確な“ノーデンス13班のリーダー”は存在して居なかったように思う。イノリ、リヒト、ソウセイ、シキの4人は幼馴染同士で旧知の仲であるというのも影響していたのだろう。
それ故、イノリたちは日常の延長線――イノリが他の3人のまとめ役になる――の形を崩すことなくやってきた。旧ムラクモ13班の面々が合流した後も、身内同士ということもあって、和やかな雰囲気は変わらないままである。
人類が身を寄せ合って崖っぷちを駆け抜けた80年前とは違うが、時代を超えて人や異種族と交流する必要はあった。実際、今回の任務の目標は『竜殺剣の材料の確保とルシェ族の保護』だ。彼らに交渉しに行くのに、代表者が決まらないまま行くのは問題である。
旧13班の実質的なリーダーは祖母のユイだった。戦場での指揮と民間人との交流窓口でその才能を発揮したという。
勿論、リーダーだけがすべてを背負うのではなく、他の面々も、それぞれの得意分野で矢面に立っていた。
ミカゲはサブリーダー兼参謀役としてユイをサポートしていたし、問題が発生した際は“ムラクモの汚れ役”として矢面に立った。東雲兄妹は13班とクエストカウンター担当者であるチェロンの繋ぎ役になっていたし、リョウスケは技術部にデータを提供していた。ヨツミとシラユキは、ルシェクローンと避難住民の交流および軋轢解消のために走り回っていたと聞く。
「年の甲と功績から考えると、ミカゲさんが妥当だと思います」
「やめてくれ、リヒト。
リヒトからの推薦に、ミカゲはしかめっ面をした。反ムラクモ派議員や報道陣からしつこく付きまとわれたときの表情だ。
経験則からして、ああいう表情を浮かべたミカゲは頑として頷かなかった。代わりに、と、ミカゲは言葉を続ける。
「リーダーが決まったら、全力でそのサポートとバックアップに協力させてもらう。リーダーを蹴って他者に押し付けるんだ、それくらいの責任は果たすさ」
『……うわー、ユイにリーダーやらせたときと同じ条件だ……』
『なら大丈夫だよ。ミカゲくん、宣言通り、私をサポートしてくれたし』
したり顔で宣言したミカゲの真横で、ヒイナが眉間に皺を寄せながら苦笑した。どうやら、祖父の言葉は“80年前の焼き直し”らしい。
対して、そんな伴侶の姿を見たユイは力強い笑みを浮かべて頷いた。若紫色の瞳は、ミカゲに対する惜しみない信頼で満ちている。
自信満々なユイの姿を目の当たりにしたヒイナは、『いやあ、お熱いねー』等と言いながら、苦笑しつつ肩をすくめていた。閑話休題。
イノリたちは互いに顔を見合わせる。誰もが難しい顔をして唸っていた。
「リーダーを決めると言われましても、今更のように思うんですよね。僕は率いるより、参謀役の方が性に合ってますし」
「私がリーダーになった場合、まどろっこしいのが嫌いだからって猪突猛進した挙句、自軍を壊滅させる末路しか見えないのよね……。周りから脳筋って言われてるし」
「むしろ、イノリ以外で俺たちを纏める人間の姿なんて思い浮かばないな」
「了解。期待に応えます!」
リヒトが、シキが、ソウセイが、神妙な面持ちでイノリの方へと向き直った。イノリに伺いを立てるかのような眼差しが向けられる。指名されたのならば、その期待に応えるのが筋だろう。イノリは満面の笑みを浮かべて頷き返した。
これでノーデンス13班のリーダーは決まった。イノリたちはミカゲの方へと向き直った。祖父はユイとイノリを見比べた後、神妙な顔をしてうんうん頷いていた。「やっぱり、ユイに似たんだよなあ」と呟いた後、ミカゲは満足げに微笑んだ。
先程から沈黙したままのナガミミに、話し合いが終わったことを伝える。ISDFに引き離されるということを危惧していたナビゲーターは『遅い』と文句を言いつつ、ナビゲートを再開した。
イノリ、リヒト、ソウセイ、シキが浮島を飛び移っていく。程なくして、一際大きな浮島にたどり着いた。
異邦人を迎えるかのように、青い岩場の奥にぽっかりと穴が開いている。
先行したヨリトモとユウマの姿がない。おそらく、この穴の奥へと進んだのだろう。
「洞窟、か」
「天然の要塞ですか。厄介ですね」
「でも、立ち止まってる暇はないわ。行かなくちゃ」
大穴を眺めたソウセイが唸り、リヒトは眼鏡のブリッジを押し上げる。シキは不敵な笑みを湛え、拳を掌に打ち付けた。
仲間たちの様子を一瞥し、イノリは前を向く。「行こう」という号令に、反対する者はいなかった。
■■■
『おじいちゃんと一緒に戦うのも、ユウマさんと一緒に戦うのも、すっごく楽しみにしてて』
そう言って笑ったイノリは、綺麗な空色の瞳を彼へと向けた。80年前の英雄にして彼女の祖父――渡来ミカゲへ。
絶対的なものに対する尊敬と崇拝。渡来ミカゲが現れる前までは、ユウマだけに向けられた特別なモノだ。どこまでも綺麗な空色は、ユウマではない相手を映している。ユウマ以外の誰かを。
自分の思考がそこに至った途端、胸の奥に走った痛みを何と言おう。痛みの後に溢れだした、ドロドロとした衝動を何と言えばいいのだろう。「どうして俺を見ないんだ」と叫びたくなったのは、何故。
しかし、その衝動は、イノリがユウマに視線を向けた途端に拡散した。彼女がこちらに向けた眼差しは、ミカゲに向けた眼差しとは違う。どこか密やかな輝きを帯びた空色は、如月ユウマという存在だけを見つめている。
空色の双瞼に捕らえられたように思ったのは何故だろう。暗い衝動を押し流し、代わりに湧き上がってきた甘やかな衝動を何と言おう。苦しいはずなのに、苦しくない。
ユウマは何も知らない。理解することができない。それが何を意味しているのかも、それが一体何を指しているのかも、その感覚をどうすべきなのかも。
「…………今は、任務の遂行が優先だ」
思考を切り替えるように呟いて、手を握り締める。
任務はまだ、始まったばかりなのだから。
アトランティスの13班関係者が出そろいました。同時に、「この時点でお前かよ!?」というお兄さんが1人登場。本格的に出てくるのはまだ先です。
ついでにフラグも着々と建設中。ユウマとイノリと並んで、ウィータと“彼”が躍り出ました。あとはシキのフラグで、現在登場している全員のフラグが確定します。
次話辺りで合流する予定になっていますが、どうなることやら。原作におけるVSエーグル戦では、シキが活躍する予定です。
Ⅲに登場した旧ダンジョン、未だに異界化の影響を受けていましたよね。東京タワー改め紅杭の塔とか。ってことは、六本木や渋谷もあのままなのかな……?