花咲く世界のクロニクルセブン -じじいと孫のCode:VFD-   作:白鷺 葵

25 / 29
決意と夕焼け

 アトランティスの竜殺剣は、戦いの後、執政のタリエリに引き渡されたという。タリエリは以前から竜殺剣に懐疑的であり、それを携えた先王ユトレロが戦死したことが、竜殺剣の不信――および、玉砕作戦へと向かう決定打となった。

 ヒュプノスの巫女たちが残した伝承では、“星を守りたいという想いを持つ鍛冶師によって作られた竜殺剣が、星を守りたいという強い意志を持つ心優しき勇者を担い手とすることで、初めて本来の力を発揮できる”という。

 元々、首都に住む上流貴族たちは、クラディオンの下層民を虐げていた。そんな折、ニアラ襲来という非常事態が発生したことで、民たちは一丸になって戦おうとしたのだろう。けれど、普段いがみ合っていた者同士が手を取り合うことは簡単ではない。

 

 “竜殺剣が力を発揮できなかったのは、作り手と担い手双方の想いが足りなかったのではないか”――それが、ユトレロから託された竜殺剣をタリエリへ引き渡した張本人・エーグルの見解だった。

 

 

「成程な。竜殺剣は執政のタリエリが持っていて、竜殺剣を鍛えられるのはアトランティスの王族だ。今となっては、女王ウラニアだけということになる」

 

「ちょっと待て! お前、どうしてそれを知ってるんだよ!?」

 

「俺のばあさんが言ってた」

 

「お前のばあさん何者なんだよ!?」

 

『マリナはオレのお嫁さんだよ! 食べることが大好きで、大好物はチョコバーなんだ! すっごく可愛いんだよ!』

 

「オレが知りたいのはそういうことじゃあねぇんだよ!」

 

 

 さらりとまとめたソウセイの言葉に、エーグルがぎょっとした様子で噛みついた。陸の民が竜殺剣の作り方に精通しているとは思っていなかったらしい。

 ソウセイの祖母に関してツッコミを入れたエーグルに対し、リョウスケが「待ってました!」と言わんばかりに惚気話を投下する。まるで漫才みたいだ。

 

 

『ほらほら、写真だってこんなにたくさんあるんだ! 見てよ! これが結婚式の写真!』

 

「いや、オレが知りたいのはそういうことじゃないんだって……――!?」

 

 

 リョウスケが指し示した写真画像を見たエーグルが目を剥いた。そこに映し出されたのは、リョウスケの妻でソウセイの祖母――2021年で発生した竜戦役で、竜殺剣を作り出したルシェの少女・マリナだ。鮮やかな桃色の髪を首まで伸ばし、目が覚めるような深緑の瞳を細めている。

 嘗て、アトランティカでソウセイがウラニアと顔を合わせたとき、彼はウラニアを祖母マリナと見間違えた。勿論、エーグルはその逆をいった。マリナの写真を指さした彼は、案の定、「ウラニア!?」と驚きの声を上げる。その声につられて集まってきたルシェ族の野次馬たちも、驚愕の声を上げた。

 髪型は違えど、ウラニアとマリナの面影は似通っている。マリナが“アトランティス最後の女王”のクローンなのだから、アトランティス最後の女王であるウラニアと瓜二つなのは当然のことなのだ。そんなことなど露知らず、クラディオンの民たちは、誰も彼もがざわめいている。

 

 

『ねえ、エーグル。オレのお嫁さん、この国の女王様とそんなにそっくりなの?』

 

「ああ。髪型は違うけど、凄くよく似てる」

 

 

 彼らの様子をまじまじと見ていたリョウスケが、エーグルに問いかけた。エーグルは頷く。それを聞いたリョウスケが、静かに微笑んだ。

 

 

『……そっか。なら、ますます玉砕作戦は止めなくちゃいけないね!!』

 

「お、おう……」

 

 

 俄然燃え上がるリョウスケの姿に若干辟易しつつ、エーグルとトグラウは顔を見合わせた。そうして、イノリの方へと向き直る。

 

 

「旅人よ。そなたらは、王族に……女王ウラニア様の元へ行くつもりなのだな」

 

「はい。ウラニア女王とは面識がありますし、話は聞いてもらえると思います」

 

「なんと……!」

 

 

 イノリの言葉を聞いたトグラウが目を見開いた。“ノーデンス13班がウラニアと知り合いである”という事実に、エーグルが目を瞬かせる。クリュティエ姉弟も驚いた様子だった。

 「すっげー。異邦人がウラニアと顔見知りだなんて……」と、モルスが感嘆の息を漏らす。彼は高揚しているのだろう。目が輝き、口元には嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 希望を見出したことで、周りのルシェたちも活気が満ちていく。メイヘムを倒す前のどんよりとした空気も、疲れ果ててやつれきった民の面影も、今はどこにもない。

 

 特に、この中で一番表情が輝いているのはエーグルだ。

 彼は輝かんばかりに笑みを浮かべた後、トグラウの元へと向き直った。

 

 

「長老、頼む! ウラニアと交渉させてくれ!」

 

「……まずは、執政官のタリエリ殿を通すのが筋というもの。そこだけは守るようにな」

 

 

 タリエリの名を出された途端、エーグルが苦々しく表情を歪ませる。どうやら、エーグルにとってタリエリは苦手な相手らしい。

 エーグルは助けを求めるが如く、モルスとウィータにアイコンタクトを送る。彼が何の合図を出したのかは分からない。

 しかし、クリュティエ姉弟はすべてを理解したようだ。真剣な面持ちで頷き返す。途端にエーグルとトグラウが不安そうな表情を浮かべた。

 

 そうして、誰かに想いを馳せるようにして天を仰ぐ。その眼差しに言葉を付けるとするなら、「可哀想に」、あるいは「ご愁傷さま」だろうか。

 

 

「ありがとうございます!」

 

「感謝します、長老」

 

 

 イノリとユウマが礼を言えば、トグラウたちも柔らかに微笑み返してくれた。丁度そのタイミングで、ヨリトモが帰投の音頭を取る。

 今日はもう遅い。外から差し込む赤い光が、夕暮れ時であることを指し示していた。それに、メイヘムとの戦いが終わったばかりだ。

 

 明日、クラディオンでエーグルたちと落ち合う約束をして、イノリたちは現代――U.E.77年の東京へと帰還したのであった。

 

 

 

***

 

 

 

「それじゃあ、また明日ー☆」

 

 

 アリーが解散の音頭を取った。それを皮切りに、ヨリトモが踵を返した。彼を筆頭にして、ISDFの隊員たちが続々と引き上げていく。

 

 元々、ノーデンスとISDFの間に結ばれた条件の中には、“ドラゴンの検体を分け合う”という取り決めがあったらしい。雑魚竜も帝竜も、等しく分けあったそうだ。Dz資材もそれなりに回収できたため、上層部はおおむね満足しているらしい。アリーやジュリエッタ曰く、「資材は武器や施設の開発に使う」とのこと。

 フロアの改修という話を聞いた旧ムラクモ13班員が、懐かしそうに目を細めた。嘗てミカゲたちはドラゴン資材を集め、都庁や議事堂を改修し、人類の拠点を支えていたことがある。フロア改修の権限を握っていたのもムラクモ13班だった。武器開発や避難民の居住区――彼らが集めたドラゴン資材は多岐にわたって使用された。

 そんな嘗ての“人類の拠点”――国会議事堂や東京都庁跡地は、特別保護区に指定されている。現在はマモノの巣窟になっており、一般人は入れない。特に、国会議事堂の方は、都庁よりも凶悪なマモノがひしめいているらしい。建造物の中に入れるのは、ISDF、もしくは戦闘訓練校の関係者くらいだ。

 

 9年前――祖父がまだ生きていた時期は、特別保護区にマモノは跋扈していなかった。指定遺跡がマモノの巣窟になったのは、祖父が亡くなった直後である。

 議事堂がマモノの巣窟になったと知ったら、祖父はどう思うだろう。彼は、議事堂がマモノと竜の巣窟になった現場を目の当たりにしているのだ。心配である。

 

 

「イノリ」

 

 

 そんなことを考えていたとき、ふいに声をかけられた。声の主の方へと向き直れば、ユウマが立っていた。

 翡翠の双瞼は、真剣な面持ちである。揺らぐことなくこちらを射抜く眼差しに、イノリは思わず目を瞬かせた。

 

 

「キミに少し話があるんですが、時間は空いていますか?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 

 イノリは迷うことなく、2つ返事で答えた。ユウマは安心したように微笑む。

 

 

「なるべく、静かで落ち着ける場所で話がしたいのですが……」

 

「じゃあ、4階のテラスとかどうですか? あそこ、とても眺めがいいんです。丁度、今頃は夕日が綺麗ですよ」

 

「分かりました。じゃあ、そこで話をしましょう」

 

 

 どこで話をするかの案は纏まった。早速、ユウマと共にテラスへ向かおうとしたイノリだが、背後から視線を感じて振り返った。ミカゲやリヒトらが、イノリとユウマを見つめている。前者はユウマを、後者はイノリを見ていた。

 イノリは面々に解散を言い渡す。自分は後から戻ると伝えれば、リヒトたちは納得したように頷いた。5人はそのまま、蜘蛛の子を散らすようにして会議室を去って行く。ミカゲは眉間に皺を寄せてユウマを威嚇していた。

 居心地悪そうにユウマが視線を彷徨わせる。ミカゲに気圧されたのだろう。彼の表情がどんどん曇っていく。イノリはミカゲの方を向いた。幾何の沈黙の後、ミカゲは渋い顔をする。見かねたユイが、ミカゲに何かを囁いた。

 

 ミカゲは渋々と言った調子で目を逸らした。これで、祖父はもう何も言わないだろう。すっかりしょげてしまったユウマを促し、会議室を出た。

 

 

「あ、あの……迷惑じゃありませんか? キミのおじいさん――」

 

「気にしなくていいですよ。それに、私もユウマさんと、ゆっくりお話したいと思ってたので!」

 

「! ……ありがとうございます」

 

 

 心配そうに声をかけてきたユウマに、イノリは満面の笑みで告げた。紛れもないイノリの本心である。それを聞いたユウマは、安心したように表情を綻ばせた。

 廊下を出てエレベーターに乗り込み、4階で降りる。自室を過ぎて、テラスへ続く扉を開ければ、眼前には東京の景色が広がった。

 

 黄昏の空が燃えている。昼間は真っ青な海と空が広がるテラスは、赤と金の輝きで満ちていた。対して、夕日の光が遮られた建造物は、一際暗い影に覆われている。

 

 

「これは……いい眺めですね」

 

「でしょう?」

 

「ええ。こんなに綺麗な夕焼けを見たのは初めてです」

 

 

 ユウマが感嘆の息を吐いた。イノリも頷き、暫し景色を堪能する。一瞬のような気もするし、永遠にも思えるような時間が流れた。

 今、イノリの隣にはユウマが居る。彼の隣で、彼と同じ景色を見ているのだ。――意識した途端、胸が締め付けられるような心地になった。

 締め付けられていると言っても、息苦しさは一切ない。苦しいと言っても、酷く甘い感覚が胸を締める。自分の鼓動が、やけに鮮明に響いた。

 

 それが、何故だか居心地の悪さを生み出していく。

 なんだかソワソワしてきて、イノリは思わず声をかけた。

 

 

「……と、ところで、お話したいことってなんですか?」

 

「――俺自身のことです。……聞いて、くれますか……?」

 

「勿論!」

 

 

 不安そうな眼差しで問いかけてきたユウマに対して、イノリは迷うことなく即答した。すぐに返事が返ってくるとは思わなかったようで、ユウマは目を丸くする。数回瞬きした後、ユウマは安堵の息を吐いた。

 

 美しい夕焼けから、ユウマはイノリへと視線を向ける。何かを言おうと口を開き、けれども、躊躇うように口を結ぶ。

 “彼が話したいこと”は、切り出すのにとても勇気のいることらしい。イノリは無理に急かすことなく、じっと待っていた。

 

 大丈夫だと眼差しで告げる。ユウマは暫く不安そうに視線を彷徨わせていたが、意を決したのだろう。ゆっくりと口を開いた。

 

 

「俺は……ISDF特殊戦術部、ISDFの研究所で作られた、人工生命体なんです」

 

 

 イノリは思わず動きを止めた。ユウマが喋った言葉が、異国語のように聞こえたためである。しかしそれは、一拍遅れて正しい意味へと変換された。

 人工生命体。医学、あるいは生命科学の分野として、長らく研究が進められていたものだ。80年前に復活したルシェのシラユキも、その部類に属している。

 他にも、旧ムラクモ13班をナビゲートしたミロクとミイナも人工生命体――試験管ベビーだった。祖父がいつも話をしていたことを思い出す。

 

 イノリにとっての人工生命体は、“祖父と共に戦った戦友たち”という印象だ。各分野に突出した天才であるが、体が弱い、寿命が著しく短い等の問題点もある。

 それを踏まえて、もう一度事実を反復する。ユウマが人工生命体――試験管ベビー。彼の能力から鑑みるに、ユウマが得意分野としているのは戦闘関連だろうか。

 

 

「……はは。突然こんなことを告白されても、困りますよね」

 

 

 イノリの沈黙を困惑と取ったのか、ユウマは苦笑した。

 

 

「――だけど、キミには、どうしても聞いてほしくなったんです」

 

 

 どこか縋るような声色で、ユウマは言葉を続ける。気のせいか、声が震えているように思えた。

 

 

「考え得る最適解の遺伝子配列を持ち、あらゆる戦闘技術、戦術理論を叩きこまれた“生きる竜殺兵器”……それが俺です」

 

「“生きる竜殺兵器”……」

 

 

 その単語で脳裏に浮かんだのは、シラユキやマリナのようなルシェクローンだ。前者は――竜殺剣の担い手にはなれなかったものの戦闘能力が優れており、後者はATLコード適応による竜殺剣作成に特化していた。

 そうしてもう1人、“兵器”として生きていた男を、イノリは知っている。イノリの祖父にして、旧ムラクモ13班――あるいは、データに存在し得る“狩る者”の中で最強と謳われた全能力S級保持者(マルチタスク・オール)――渡来ミカゲ。

 

 祖父は人工生命体ではないけれど、全能力S級保持者(マルチタスク・オール)の力によって、著しく寿命を縮めていた。

 だが、彼の能力に目を付けたヒュプノスの巫女/対竜研究の第一人者であるエメルが、ミカゲに延命治療を施したのだ。

 その代償として、ミカゲは対竜兵器として生きることを要求された。ミカゲはそれを受け入れ、前線で戦っていたという。

 

 

「おじいちゃんと、同じ……」

 

「ええ。だから、どうしても彼には対抗意識を抱いてしまうんですよね」

 

 

 イノリが零した言葉を拾い上げたのだろう。ユウマが苦笑した。

 

 

「この肉体も促進育成のおかげで青年体ですけど、実際にこの世に生を受けたのは12年前なんです」

 

「ええっ!? ユウマさんが、私よりも年下!?」

 

「はい。キミの方が、俺よりも年上なんですよ。驚いたでしょう?」

 

 

 突然の告白に、イノリは思わず声を上げた。それを聞いたユウマは笑ってみせる。声色が乾いているように聞こえたのは気のせいではない。

 声の違和感に気づいたイノリは、反射的にユウマの顔を見上げた。確かに彼は笑っていたけれど、その笑い方が歪に見えた。

 イノリが口を開くよりも先に、苦笑したユウマが俯く。翡翠の双瞼はイノリから逸らされ、床に縫い付けられている。

 

 

「……気味が、悪いですよね?」

 

「そんなことない! そんなことないです……!」

 

 

 イノリは首を振ってそれを否定する。ユウマは目を瞬かせたが、静かに微笑んだ。

 

 

「ありがとう。――だけど、俺、自分の運命に不満なんてないんです」

 

「どうしてですか?」

 

「俺の存在意義は、竜と戦って勝つこと……この星で最強の戦士になることです。そのためなら、家族も友達も恋人も、何も要りません」

 

 

 一点の淀みも躊躇いもなく、ユウマははっきりと言い切った。彼の言葉に、イノリは雷に打たれたような衝撃を感じた。何かを言いかけた口は、はくはくと頼りない呼吸を繰り返すだけである。

 ユウマが抱え続けてきた秘密は、あまりにも重い。戦うためだけに生み出され、そのためならば何もいらないとまで言い切った。それ以外の選択肢など彼は知ろうとしないし、知る必要もないと考えている。

 

 

(この人は、一体どんな人生を歩んできたというの――?)

 

 

 たった12年しか生きていない青年が、どうしてそんな悲しいことを言うのだろう。家族も、恋人も、友人も要らない――そんな寂しい人生を、笑って受け入れてしまえるのか。

 

 つい数分前までイノリの胸を満たしていた甘い感覚が、今はじくじくと激しい痛みを伴っている。

 イノリがユウマに抱いていた淡い感情は、ユウマにとって必要ないものでしかない――その事実が、ただ苦しい。

 渡来イノリという存在を全否定されたような感覚に見舞われる。込み上げてくる悲しみに、胸が潰れてしまいそうだ。

 

 途方に暮れるとは、こういう気持ちのことを言うらしい。イノリは思わず俯いた。

 そんなイノリの気持ちはおろか、様子の変化も気づいていないのだろう。ユウマは言葉を続ける。

 

 

「……だから、どんどん強くなっていくキミを見ていると、なんていうか……ああもう、分からないな……」

 

 

 考えあぐねたような声色につられて、イノリは顔を上げた。難しい顔をしたユウマが延々と唸っている。

 彼が必死になっているのは、常に最適解を明快にして即刻提示するようにしてきたためなのだろう。

 結局、自分の感情に対して最適解を出すことができなかったらしい。力なく頭を振った後、ユウマは途方に暮れた。

 

 イノリの脳裏には、似たような葛藤を抱きながら生きていた男――ミカゲの背中がよぎった。

 

 ユウマがイノリに向けている感情(もの)は、ミカゲがタケハヤに対して向けていた感情とよく似ている。敬意、嫉妬、憎悪、親愛――タケハヤはミカゲにとって、すべての意味で絶対的な存在だった。

 それ故に、タケハヤの話をしたミカゲは、「敬愛/憎悪しすぎて訳が分からなくなっている」と締めくくって唸るのだ。ユウマの瞳は、様々な感情がごちゃごちゃになっている。自分の衝動のはけ口が分からず、ユウマは深々とため息をつく。

 

 だが、彼はすぐに顔を上げた。感情がせめぎ合っていた翡翠の瞳には、明確な決意だけがある。

 

 

「ただ、俺は負けたくないんです。第7真竜を倒すのはキミじゃない。この俺でなくてはならない……!」

 

「ユウマさん……」

 

「そう、思ってるんです」

 

 

 言い終わるや否や、ユウマはイノリの方を見た。彼の瞳には、今にも泣き出してしまいそうな情けない面構えをした少女が映し出されている。

 嗚呼、何て頼りない顔をしているのだろう。平常心に戻ろうとしても、胸から溢れだす感情が止まらないのだ。自分はこんなにも無力なのか。

 

 そんなイノリを見かねたのか、ユウマがしどろもどろになりながら言葉を紡いだ。

 

 

「すみません。キミにそんな顔をさせるつもりはなかったんです。ただ、その…………――ッ、くそ! ……俺は一体、何がしたいんだ……!」

 

 

 ユウマは苛立たし気に舌打ちし、勢いそのまま手すりを殴りつけた。金属製の手すりはびくともしない。

 痛みで幾分か衝動が緩んだのか、ユウマは深々と息を吐いた。もう一度イノリに謝罪し、俯く。

 夕焼けはもう沈もうとしている。黄金に輝いていた海は、段々と暗くなりつつあった。潮騒の音が遠い。

 

 

「キミといると、自分の感情がまるでうまく制御できなくなってしまう。……キミは何も、悪いことなんてしていないのに」

 

「……仕方がないですよ。だ、誰にだって、訳もなく嫌いな人くらい居るんですから。ユウマさんはたまたま、私がそれだっただけで――」

 

「――それは違う!」

 

 

 イノリの言葉に対して、ユウマは即座に反論した。危機迫る眼差しがこちらを射抜く。

 噛みつくような調子で身を乗り出したユウマの様子に、イノリは思わず目を瞬かせた。

 

 驚いて身をすくめたイノリに謝罪した後、ユウマはもう一度「違います」と言った。

 

 

「俺は、決して、キミが嫌いなわけじゃないんです」

 

「ユウマさん……」

 

「寧ろ、キミのことは好ましく思っています」

 

「へっ!?」

 

「だから、“俺がキミを困らせてばかりいるという事実”に対して困ってしまって……」

 

 

 藪から棒にとんでもない爆弾を投下され、イノリは奇声を上げる。つい数分前、ユウマは「家族も友人も恋人も要らない」と自己申告したばかりではなかったのか。

 パニックになりかけたイノリだが、寸でのところで“ユウマが12歳である”ことを思い出した。彼から聞いた話を総合するに、ユウマは恋愛なんて意識していないのである。

 おそらくこれは、親愛の意味だ。他意はない。他意はない。他意はないのだ。イノリは必死になって自分に言い聞かせた後、どうにか取り繕う。……なんだか不公平だ。

 

 不平不満を飲み下し、イノリはユウマへと視線を向ける。ユウマはしきりに首をひねった後、諦めたように苦笑した。

 先程よりも日が傾いてきた。空の向こうには、一番星が瞬く。涼しげな風が吹き抜け、イノリとユウマの髪を弄んだ。

 

 沈黙の後で、ユウマはこちらへ向き直った。

 

 

「現時点では、俺の方がキミよりも断然強い。それは純然たる事実です」

 

「そりゃあ、帝竜を一撃で倒したユウマさんの方が強いですよ。格好良いし」

 

「……あ、ありがとうございます。こんなときにそんな風に褒められると、居たたまれない気持ちになりますね……」

 

「ユウマさんが格好良いのは本当のことじゃないですか」

 

「…………そうですか。なんだか、その、……照れます。すごく」

 

 

 イノリは素直に賛辞の言葉を贈る。それを聞いたユウマは、むずがゆそうに口元を振るわせた。

 

 

「私のおじいちゃんも格好良いですけど、ユウマさんも凄かったです」

 

「……そう、ですか」

 

 

 だが、ミカゲの話題を出した途端、彼の表情が一気に曇った。不満そうに唇を尖らせ、表情を歪ませる。青年の風貌からは想像できない程、子どもっぽい表情だ。ユウマの実年齢が12歳だと考えると、なんだか微笑ましい気分になってしまう。

 正直な話、失礼だとは知りつつも、イノリはユウマのことを可愛い人だと思っている。イノリがひっそりと微笑んでいたとき、ユウマが意を決したように顔を上げた。鬼気迫った眼差しに、思わずイノリは肩をすくめた。彼から目を離すことができない。

 

 話を戻すと念を押した後で、ユウマは言葉を続けた。

 

 

「現時点では、俺の方がキミよりも断然強い。それは純然たる事実です。……だから、今後、俺を助けないでほしいんです」

 

「え……」

 

「だって、自分より弱い相手に助けられるなんて許せない……そうでしょう?」

 

 

 ――なんだ、それは。

 

 イノリは、自分の背筋が冷えたような心地になった。翡翠の瞳には、侮蔑も悪意も何もない。ただ、「当然のことを当然のように語っている」という、揺るぎない確信があった。

 

 

「そんなことはないです。誰にだって得意不得意はあるんですから。補いあうのが仲間ってものでしょう」

 

「キミはそれでいいんです。そう在ることが許されるし、許されてきたから言えるんです」

 

 

 はっきりとしたユウマの言葉に、イノリはぐうの音も出なかった。

 

 実際、イノリは殺竜兵器として生きることを義務付けられたわけではないし、家族や周囲の人々の優しさと愛情に囲まれて生きてきた。

 両親を早くに亡くして祖父母に引き取られた後も、祖父母が亡くなった後も、沢山の人の助けを借りて生きてきた。助け合うことが当然の環境で過ごしてきたのだ。

 

 

「でも、俺は違う。誰かに助けられるということは、俺が至らない――……即ち、“俺が弱い”ということを意味しています。そんなこと、絶対に許されない」

 

 

 自分は、人類最強の戦士となるために生まれ落ちたのだ――翡翠の双瞼は揺らがない。それだけがすべてなのだと、強く強く訴えている。

 揺らぐことない眼差し。瞳に込められた悲痛な意志に、イノリは何も言えなくなった。胸の痛みに耐えられず、目を伏せる。

 ユウマが弱々しくため息をついた。つられて顔を上げれば、傷ついた表情を浮かべるユウマがイノリを見つめている。

 

 どうしたのだろう。イノリが問いかけるよりも先に、ユウマが沈痛そうな面持ちのまま苦笑する方が早かった。

 

 

「やっぱり、俺は変なのかもしれませんね」

 

「ユウマさん」

 

「任務に支障が出ない程度なら、嫌ってくれても構いません。……勿論、俺も、任務に支障は出しませんから」

 

 

 ユウマは確かに笑っている。だが、言葉とは裏腹に、今にも泣き出してしまいそうだ。青年は大人びた態度を通そうとするのに、12歳の少年が不安そうに顔を覗かせている。

 イノリは迷うことなくユウマの手を取った。いきなりのことに、ユウマは目を白黒させてイノリを見つめる。翡翠の瞳がゆらゆらと揺れていた。それを、真っ直ぐ見つめた。

 

 

「ユウマさんのこと、嫌いになんてなりませんよ」

 

「えっ……!?」

 

 

 イノリの反応が意外だったのか、ユウマは酷く狼狽えた。

 

 

「ですが、俺は明らかに、キミに対して無礼なことを――……あれっ?」

 

 

 狼狽していたユウマは目を見張る。彼の心の中に渦巻く感情の変化に、彼自身が着いて行けないようだ。

 青年の後ろで途方に暮れていた子どもは、イノリの答えに安心したらしい。表情を輝かせ、口元を緩ませる。

 悲痛に張りつめていた笑みは消えていた。年相応に表情を綻ばせるユウマの姿が、彼の心根そのものなのだろう。

 

 ユウマは自分の心情を分析しようとしているようで、顎に手を当てて唸った。

 だが、結局、自身が納得するような答えは見つからなかったらしい。

 

 彼は困ったように身をすくませた。弱々しい声で呟く。

 

 

「り、理解不能です……」

 

「あはは。そういうのは、理解するのじゃありません。感じるものですよ」

 

「感じる?」

 

「はい。自分の心が思ったことを、そのまま受け入れるのも大事なことです」

 

 

 イノリの言葉を聞いたユウマは、ぱちぱちと目を瞬かせた。大きく見開かれた翡翠の瞳は、目から鱗という言葉が良く似合う。

 感情は理屈で測れるものではないし、それだけで測ってはいけない。ユウマの場合、感情や心の動きに関しては重要視されなかったのだろう。

 

 ユウマは暫くイノリを見返していたが、静かに目を細めて微笑んだ。

 

 

「――良かった」

 

「え?」

 

「嫌われてしまったのかと思ったんです。……もう、今まで通りに話しかけてもらえなくなるんだろうと思って」

 

 

 夕日に照らされたユウマの笑顔は、とても綺麗だ。イノリはその笑顔に釘付けになる。遠くから、潮騒の音が響いていた。

 

 

「不思議ですね。いつもは誰に嫌われても気にならないのに……キミのことになると、やはり、感情がうまく制御できなくなってしまいます。すみません」

 

「その気持ちは分かります。私も、“おじいちゃんみたいにうまくやろう”と意識しすぎて、かえってうまくできなくなったことがありますから」

 

 

 イノリの言葉を聞いたユウマが目を丸くした。

 

 

「……意識のしすぎ? イノリを……俺が?」

 

 

 ユウマは惚けたようにこちらを見返す。

 イノリは微笑み、迷うことなく頷き返した。

 

 

「ユウマさんは、誰かに負けてしまうのが嫌なんでしょう?」

 

「えっ!?」

 

 

 イノリの言葉を聞いたユウマは、驚いたように目を瞬かせた。自分が想定していなかったものと相対峙し、どうすればいいのかと思案している様子だった。酷く動揺した彼の様子に、イノリは首を傾げる。

 自分は何も変なことを言ったつもりはない。一拍遅れて、ユウマは大きく目を見開く。途端にあたふたし始めた。「――……あっ! ち、違いますよ! 全くもってナンセンスです!」と、ユウマは慌てた様子で首を振る。

 何がナンセンスなのか、イノリにはさっぱり分からない。イノリの様子を見たユウマは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。暫し呆気にとられていたユウマだが、何かを察したように口元を覆った。弱々しく呻く。

 

 彼の横顔は、夕闇に隠れてよく見えない。心なしか、耳の端が赤らんでいるように感じたのは夕日のせいだろうか?

 

 

「と、とにかく……俺が言いたいのは、『キミには負けない』ということです」

 

「負けないも何も、ユウマさん、私よりも強いじゃないですか。私にとって、ユウマさんは恩人だし、憧れの人なんですよ」

 

 

 きっと、いくら頑張っても、イノリは彼を追い越すことなんてできないだろう。イノリの前には、スペクタスを一撃で屠ったユウマの背中がある。しかも、彼の背中がある場所はあまりにも遠い。

 重い使命を背負っても、ユウマは真っ直ぐ立とうとしている。“彼が今まで歩んできた人生”と“メイヘムとの戦いで倒れてしまった”ことが、ユウマが今、苦しんでいる理由なのだろう。

 

 どうしてユウマがイノリを選んだのかは分からない。分からないが、分かることがある。ユウマはイノリを信頼しているのだ。ユウマが孤独に背負い続けてきた、重大な秘密を話してくれた。

 それも、他の誰かではなく、渡来イノリに語ってくれたのだ。ユウマが秘密を語るのに、どれ程の勇気が必要だったのだろう。彼から向けられた信頼が嬉しくて、イノリは表情を緩ませる。

 イノリにとっても、ユウマは特別な相手だ。たとえユウマから「余計なもの」と断じられても、きっとこの想いは変わらないだろう。許されない想いを抱いていることは百も承知だ。

 

 

(それでも、ユウマさんの力になりたい。――貴方を守りたいんだ)

 

 

 そのためにも、強くなりたい。彼の隣に並んで、彼を支えられるくらいに――ユウマに背中を預けてもらえるくらい、強くなりたい。

 

 決意を込めて、イノリはユウマを見つめた。誰かに負けることを怖がるユウマの手前、言葉にはせずに、心の中で意志を固める。ユウマがひゅっと息を飲んだ。

 彼は数秒ほど惚けていたが、すぐに正気に戻ったらしい。半ば押し付けるような調子で、「そういうことですから! それだけですから!」と念を押した。

 

 太陽は完全に沈み、空の色は赤から藍色へと変わっていく。気づけば、瞬く星の数も増えてきていた。建造物の窓からは明かりが漏れている。

 どうやら、イノリとユウマは相当長い時間語らっていたらしい。時間の経過は早いものだ。時計で時刻を確認し、ユウマが苦笑した。

 そろそろ戻らないと、ISDFの門限に間に合わなくなる。正直まだ名残惜しいのだけれど、仕方がない。それを隠しながら、イノリは頷いた。

 

 

「それじゃあ、また明日」

 

「ええ。任務で会いましょう」

 

 

 ユウマは柔らかに微笑み会釈する。イノリも会釈し返し、彼の背中を見送った。

 そうして、改めて「強くなる」決意を固める。涼しい風が吹き抜け、イノリの髪を撫でていた。

 

 

 

■■■

 

 

 

(――ふーん)

 

 

 立ち去っていくユウマの背中を見つめながら、ミカゲはため息をついた。

 

 幾何かの間を置いて、イノリもテラスから立ち去った。彼女もまた、ミカゲの存在に気づいていない。――当然だ。トリックスターのスキル、ハイディングで身を潜めていたためである。

 ハイディングで身を隠すのは、ヒイナが最も得意としている分野だ。トリックスターでありながら銃の扱いがイマイチなヨツミも、ハイディングによって身を隠すことはヒイナと同格である。

 勿論、全能力S級能力者(マルチタスク・オール)であるミカゲも、ハイディングで身を隠すことは可能だ。旧ムラクモ13班時代は様々な職業を使い分けていたけれど、メインはサムライであった。閑話休題。

 

 

『出自はどうあれ、ユウマくん自身は悪い子じゃないみたいだよ? ミカゲくんが不安になるようなことはないと思うなぁ』

 

「現時点は、だろ。100歩譲って、あいつ自身がいい奴だったとしても、何が起こるかわかったもんじゃないんだ。注意するに越したことはない」

 

 

 希薄だった気配を濃くするように、ユイの姿が浮かび上がる。苦言を呈するミカゲに対し、ユイは苦笑しながら肩をすくめた。

 心なしか、彼女がミカゲに向ける眼差しは生温かい。頑固な亭主を許容し、優しく見守る妻のようだ。実際、ユイはミカゲの妻なのだが。

 

 

「『お宅のユウマくんには注意を払え』って、トウゴに伝えておかないと」

 

『ミカゲくん。イノリのことに関して、ちょっと過保護過ぎない? ユウマくんのことも、かなり厳しめに見てるようだけど……』

 

「当たり前だろう。イノリは俺の希望だ。あの優男の場合、俺とナツメ総長とタケハヤの悪いところだけを凝縮したような気配がする」

 

 

 「見てて憂いしかない」とミカゲは締めくくり、深々とため息をついた。

 

 力を欲して暴走し、挙句の果てに人類の敵になったナツメ。愛する者を守るために竜へ至り、その果てに、自分の愛した人のことをミカゲや他の人々に丸投げしたタケハヤ。大人げないまま情緒が止まってしまった、面倒くさい男であるミカゲ。

 イノリと会話をしていたユウマの様子を思い返し、ミカゲは頭を抱えたくなった。出自も情緒も思考回路も歪で不安定な男を見ていると、2020年の自分を思い出して嫌になる。文字通りの同族嫌悪だ。だからといって、むやみやたらに苛立ちをぶつけるような真似はしない。

 

 イノリはユウマに想いを寄せているようだが、難儀な気配しかない。孫の幸せを祈る身としては、如月ユウマは完全な地雷物件である。

 いくらISDFの若きエリート、しかもイケメンだからといって、「使命のためなら、友人も家族も恋人も要らない」と言い切るような奴はお断りだ。

 そこまで考えて、ミカゲはがしがしと頭を掻いた。ミカゲが抱く意見は一般人視点からのものであり、ミカゲ自身のことを棚上げした発言だからだ。

 

 タケハヤがこの話を耳にすれば、「お前が言うな」と突っ込まれるだろう。

 

 

(“使命があるから、友人も恋人も家族も持ってはいけない”、“俺に関わることで不幸になる人間を、1人でも減らすために必要なこと”)

 

 

 どうしてか、当時の心境が鮮明に浮かび上がる。久しく忘れていた、過去の残骸。膝を抱えて蹲っていた、小さな子どもの悲痛な決意だ。

 当時のミカゲは子どもなりに必死だった。寂しがり屋の癖に強がって、それでも優しい人たちの近くに居たかった。

 

 如月ユウマも――本人は無自覚だから性質(タチ)が悪い――似たような奴である。兵器としての自分と、人間としての自分に折り合いをつけることができない。それ故に、ふとした拍子に瓦解していく。

 

 

(ああ、嫌だ嫌だ。完全に俺のコピーじゃないか)

 

 

 このまま進めば、如月ユウマは潰れるだろう。帝竜との戦いで不調をきたしたとなれば、兵器としての適性が疑問視されて当然だ。風当たりも強くなることだろう。人工生命体として生まれた命や、人工生命体を扱う研究者の一部は、「役目を果たせなければ存在する価値がない」という思考に到達しがちである。

 一時期、シラユキはそれが原因で酷い目にあわされた。ヨツミからその話を聞かされたときは、シラユキを酷い目にあわせた研究者をぶん殴ってやろうとさえ思った程だ。そのときには既に、その研究者はこの世に居なかったが。ヨツミとシラユキが研究施設から脱走した後、研究所はドラゴンの群れに襲われたのだ。

 ヨツミの上司――亡くなった研究者のやったことは、人間に対する行為としては絶対に許されないことである。だが、兵器の扱いという点から見れば何も間違いではなかった。兵器として生まれた/存在している命を、関係者がどう認識しているかが明暗を分ける。

 

 その点から見れば、ミカゲやシラユキ、マリナやナビの双子は運が良かったと言えよう。自分たちには、自分たちのことを人間と認識し、接した人々がいた。

 ミカゲにはユイがいたし、シラユキにはヨツミがいた。マリナにはリョウスケがいたし、ナビの双子はミカゲたちにとって大切な仲間であった。

 

 ――では、如月ユウマはどうだろう。

 

 ハイディングで盗み聞ぎした話から推測するに、ユウマのことを人間として扱う相手は、一応だが存在している。その筆頭が、ミカゲの教え子でユウマの上司であるヨリトモだ。ヨリトモの様子からして、ユウマとの付き合いは長いのだろう。

 彼は那雲(ナグモ)三喜雄(ミキオ)とは義理の親子だから、生まれた直後のユウマを知っていてもおかしくはない。ユウマの語りや様子からして、奴の出自を知っているのはISDFの上層部だけだ。自らその秘密を喋った相手も、イノリ以外いないらしい。

 

 

(……どうしたもんかなー。分かりたくもないのに、全部分かっちまう)

 

 

 あの様子は、ユイに一目惚れした後、彼女をひっそりと神聖視しながら淡い思いを寄せていた渡来ミカゲ(2020年当時21歳)の焼き直しだ。

 いくら“イノリがユイの血筋を強く受け継いでいる”とはいえ、ミカゲとよく似た生い立ちと歪みを抱えた男をホイホイ釣り上げるのはいかがなものか。

 

 

『――ふふっ』

 

「どうした?」

 

 

 ユイが微笑ましそうに笑う。その声に、ミカゲは思考回路を中断した。妻へと向き直れば、菫色の瞳が静かに細められた。

 

 

『ミカゲくんは、優しいのね』

 

 

 藪から棒に爆弾を投下され、ミカゲは目を丸くする。

 ユイは柔らかに笑っていた。初めて顔を合わせたときと同じように。

 

 

『ユウマくんが昔のミカゲくんとよく似てるから、放っておけないんでしょう?』

 

「…………いや、違――」

 

『――私は、ミカゲくんとユウマくんは似た者同士だと思うけどなあ』

 

 

 鈴を転がすような笑い声に、ミカゲはそのまま押し黙った。残念ながら、妻は何もかもをお見通しらしい。おそらくは、ミカゲが持て余している感情も、なんとなく分かっているのだろう。分かったうえで、こうして寄り添ってくれている。

 文字通りの完敗だ。ミカゲは観念して両手を上げる。それについて何も言わないのは、ミカゲが持っているなけなしの意地だ。それが大人げないことは、ミカゲもユイも充分承知している。ミカゲの意地が許容されているのは、ひとえにユイの懐が広いからに他ならない。

 

 

(俺と優男が似ているのならば――)

 

 

 ミカゲは瞼を閉じて物思いにふける。ユウマに想いを寄せるイノリの横顔が、ミカゲに手を差し伸べたユイの表情と重なった。

 

 




渡来祖父孫によって、丸々1話使ってしまいました。「ユウマが自分の秘密を打ち上げる」シーンには、どうしても力を注ぎたかったんです。フラグとしてはデカいですから。
ユウマに想いを寄せるイノリ、無自覚ながらもイノリに想いを寄せるユウマ、過去の自分たちを投影しているため放っておけない渡来夫妻の考察を組み込んだ結果、仮面マント氏の出番が遠のきました。残念です。
Chapter2はここで区切り、他のフラグや話はChapter2.5と銘打って投稿します。リヒトとミオ、ソウセイとチカ、ブンイチとナガミミ、ミカゲ+αとアリー等に焦点を当てていきたいですね。仮面マント氏もここに組み込もうと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。