花咲く世界のクロニクルセブン -じじいと孫のCode:VFD-   作:白鷺 葵

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Chapter2.5 フラグメント/明日待ちの宵《パンジー:物思い、私を思って》
想いの花が咲く頃に


「興味深い……」

 

 

 勝利に湧くニンゲンたちを眺めながら、フードに身を包んだ仮面の男は息を吐く。杖で体を支えながら、男はニンゲンたちの背中を見送った。

 

 

「この短期間で、帝竜を屠る力を宿すとは」

 

 

 ほんの少し前まで、あのニンゲンたちは帝竜を倒すことなどできなかった。1人規格外はいるが、理由あって今は、脆弱なニンゲンたちと同格になってしまっている。

 しかし、あのニンゲンたちは爆発的な勢いで成長している。慈母による“作為”があったとしても、あの成長速度は予想以上だ。彼女も喜んでいるに違いない。

 

 あのニンゲンたちは、真の“狩る者”となり得るのか。それとも、竜の糧として喰われるのか。どちらにしても、ニンゲンという命の行く末は興味深い。

 古き命を喰らい、進化するのが命の理。命は巡り、新しき命を紡ぐ。決して途切れぬ循環を、男はずっと見てきた。命の種を蒔き、数多の命を生み出した。

 男の役目は“生み出す”こと。生み出された命はサイクルを繰り返して、命は淘汰を繰り返す。役目を終えた男は、その行く末を静観し続けてきた。

 

 その果てに、数多の命が糧と消え、6つの命が“進化の極北”へと至る。

 7つめの命もまた、産声を上げようとしているのだ。慈母はその瞬間を待ち焦がれている。

 

 

「脆弱で貧弱……しかし、この輝きは――」

 

「――『“極北の果てに生まれ出る命”として相応しい』ってか?」

 

 

 背後から聞こえた声に、男は思わず振り返った。そこに居たのは、年若い青年である。不気味な目が描かれた黒いバンダナを頭に巻き、刃を思わせるような白銀の髪を腰まで無造作に伸ばし、橙と灰色基調のつなぎを着ていた。目元は、蜻蛉の複眼を思わせるような緑のサングラスで隠されている。

 男は思わず身構えた。……と言っても、役目を終えたも同然の男には、青年に対抗する術など殆どない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことは、すぐに理解できた。――そして、この青年が、“この世界”にとって異質な存在であることも。

 

 

「汝は……」

 

「おおっと! 今の俺は()()()()()()ただのニートだ。出来事を脇から眺めるだけの傍観者にすぎんよ」

 

 

 怪訝そうな表情を浮かべた男に対し、青年は両手を上げて笑った。その態度は苛立たしさを助長させる。

 

 

「“()()()()()()()”存在が、“未だ因果に縛られる紡ぎ”の世界に、何用がある?」

 

「分からん」

 

 

 青年の言葉を聞いた男は、思わず彼へと向き直る。

 

 ……今、こいつはとんでもないことを言わなかったか。

 目的を持たずして、こんな場所に流れ着いた、と?

 

 

「――は?」

 

「気づいたら“ここ”に居たんだ。おまけに、“ここ”には俺が働く場所も理由もない。そこにはもう、既に“奴ら”が納まってるからな」

 

 

 青年はそう言って、鍛冶場の出入り口へ視線を向けた。過去の遺物、規格外の1人へ想いを馳せているのだろう。

 朋友(とは認めたくないが)ニアラを撃退し、フォーマルハウトを狩った張本人と、それを取り巻く思念体へ。

 

 

「……ならば、汝は“ここ”で何を成すと言うのだ?」

 

「強いて言うなら、見届け人かな。……未練があるとするなら、多分それだ」

 

 

 何かを思い返すようにして、青年は目を閉じる。再び開いた眼差しは、どこまでも優しいものだった。

 揺れていたのは労いか、敬意か、愛情か。それを判別することは、男には不可能である。

 

 

「見届ける? それは、彼の者の行く末か?」

 

「それもあるけど、それだけじゃない」

 

「……では、何を」

 

「――“頑張った奴”を、褒めてやらなきゃいけないよなあって」

 

 

 何も言えないまま、言わないまま“()()()”来てしまったのだと青年は語る。サングラスの向こう側に、該当者が居るのであろう。

 それが誰かなんて、男に分かるはずもない。ただ、この青年は、“未だ因果に縛られる紡ぎ”の世界に未練があるようだ。

 おそらく、青年は己が抱え続けた未練に惹かれて“ここ”に迷い込んだ。彼はそれを自覚しているし、どうすればいいかも理解しているらしい。

 

 

「絆される、って、こういうのを言うんだろうなぁ。毎回毎回、()()()顔を合わせる度に、ラウンジや会議室に連れ込まれるんだよ。前者は大食い勝負、後者は夜のプロレスごっこしようとするし。後者は逃げるの大変だったわー」

 

「…………」

 

「あのときは厄介極まりなかったんだけど、今思えば、アレ、“精一杯の甘え”だったんだろうな」

 

「…………」

 

「生まれながらの親としてやって来た分、そういう情緒に疎かったんだろう。自覚したとしても、“喰う”か“喰われてやるか”のやり方しか知らなかったんだ。無理もないかもしれんな」

 

 

 この言葉を聞いた途端、男は大部分を察した。青年の未練も、青年に迫った“誰か”の正体も、一瞬で理解してしまったのだ。男は頭を抱えて天を仰ぎたくなった。

 奴の発言を“誰か”が耳にしたら、どうなるだろう。そういう感情に関しては、“誰か”や自分たちは疎い傾向があるらしい。自分もまた、それを飲み込めていないでいる。

 

 青年は、自分たちと対を成す存在だ。それ故に、彼は“誰か”の“愛のカタチ”を受け入れなかった。青年にとって、“誰か”の愛は「愛と呼ぶには悍ましいもの」だったから。

 彼は“誰か”の愛を受け入れたわけではない。断じて、彼は『“誰か”が「“愛のカタチ”である」と主張し、続けてきた』行為を認めたのではない。

 認めるはずがないのだ。その身が進化の極北に近付いても、新たなる命の統合者――種を蒔く者としての資格を得ようとも、青年はニンゲンで在り続けようとするのだから。

 

 彼が認めたのは、ただ1つ。“愛のカタチ”を貫き通すために、何もかもを捧げたその在り方。“誰か”がすべてを賭して貫いた、揺るぎのない意志そのもの。

 

 

「それは、汝が統合者(なんじ)へと至る以前の感情(モノ)か?」

 

「いいや」

 

 

 男の問いに対して、青年は首を振った。

 

 

「俺はもう“彼”ではないし、“彼”もまた、俺には成り得ない。――これは、俺の意志だ。そこにはもう、“彼”は関係ない」

 

 

 はっきりと言い切ったあたり、青年は個人としての意志を確立していた。“一個人”として、彼はここに立っている。

 

 

「まあ、それ以外に関しては基本ノータッチで行く予定だし。俺が何もしなくとも、あっちの件はあっちで、勝手にしっちゃかめっちゃかにしてくれるだろ。その分に関しては楽だわ」

 

「……戯言を」

 

「怖いな。“基本はニート”同士、互いに不干渉といこうや」

 

「我はニートではない」

 

「じゃあご隠居で」

 

「…………もういい。好きにしろ」

 

 

 青年はけらけら笑いながら踵を返した。彼の足元に咲いていた、白い花が花弁を散らす。

 

 透き通った青い光が弾け、そこにはもう彼の姿はない。

 命の種を蒔いたとき以上の疲れを感じながら、男はこの場から姿を消した。

 

 茶色く変色した葬送花の花びらが、散った。

 

 

 

■■■

 

 

 

「いやー、本当にありがとうねー」

 

「いえいえ。同じ珍味好きの頼みですから」

 

 

 満足げに笑った女性研究員アミィの手には、新鮮なスパイラルミートが大量に抱えられている。珍味好きなら絶対に協力したくなるような依頼を果たしたリヒトの表情は、これ以上ないくらい晴れやかだった。

 グロテスクな巻貝の肉が大量に積まれている――マサハルからしてみれば、なかなかハードな光景だ。思わず口元を抑えて視線を逸らした自分は何も悪くないはずである。我が孫ながら、どうしてこんな好みになったのか。

 

 

「楽しみだなー。スパイラルミートのバター焼き!」

 

「バター焼き以外にも、刺身や味噌汁の具材にしても美味しいですよ」

 

「おおお! 情報ありがとう! さっそくチャレンジしてみるわ!!」

 

 

 満足げに笑ったアミィは、スパイラルミートを大事そうに抱え、奥へと走り去って行く。リヒトはニコニコ笑って彼女の背中を見送った。

 

 これから、アミィはスパイラルミートを調理するのだろう。数日前、マイルームのキッチンを阿鼻叫喚に陥れた光景がフラッシュバックする。あの後も、リヒトは独自で調理法を研究していた。その情報がどこから漏れたのか、話を聞きつけたアミィがリヒトに「スパイラルミートを分けてくれ」と頼み込んできたのだ。

 彼女は表向きとして“鉱石分布図調査のため、スパイラルミートが欲しい”と言った。実際、スパイラルキャノンは希少金属を凝縮して殻を形成する特性があるため、鉱石調査に持って来いのマモノである。勿論、仲間たちに対して、リヒトはこの依頼の表向きしか話していない。裏を話せば、大惨事になることは予測できたためだ。

 マサハルは深々とため息をつく。アミィという同類を得たリヒトは、珍味追及を深めていくだろう。このままいけば、“知り合いに対して珍味テロを行い、周囲を阿鼻叫喚に陥れる”ことは明白であった。自重しろと言っても止まらないことも明らかなのだが。東雲マサハルという人間は、苦労し続ける運命にあるらしい。

 

 そんなことを考えていたとき、背後から押し問答の声が聞こえてきた。何事かと振り返れば、受付嬢と少女――ミオが何かを話している。

 リヒトもミオの存在に気づいたようで、迷うことなくエントランスへと駆け出した。マサハルもリヒトの背中を追う。

 

 

「ミオ!」

 

「あっ、リヒト!」

 

 

 ミオの姿を見たリヒトは満面の笑みを浮かべてミオを迎え、リヒトの姿を確認したミオも表情を輝かせる。まるで、逢瀬の約束をしていた恋人たちのようだ。

 受付嬢の表情が引きつる。恨めしそうな様子からして、彼女は独身/彼氏と別れた直後なのだろうか。それを質問することは憚られた。

 

 

「リヒトさま、こちらの方は?」

 

「僕の大切な友人です」

 

 

 受付嬢の問いかけに、リヒトは穏やかな笑みを崩さず答えた。それを聞いた受付嬢は、非礼を詫びてミオを通す。押し問答から解放されたミオは、安堵の息を吐いた。

 

 

「助かったよ。ありがとう、リヒト」

 

「いえいえ。それは何よりです」

 

 

 2人の周辺は、まるで花畑の中に居るんではないかと思うくらい、空気がふわふわしている。マサハルは思わず目を細めた。この場にヨツミとシラユキがいたら、優しい眼差しで2人を見守っていたことであろう。

 丁度そのタイミングで、エレベーターからナガミミが降りてきた。マスコットの姿を確認した受付嬢がナガミミに声をかける。ウサギのマスコットが主任をやっているという光景は実にシュールだった。

 しかも、ナガミミの喋り方は完全な営業用である。13班をナビゲートするときのような毒舌や口の悪さなど、一切出していない。ナガミミの演技は文字通り完璧だった。思わずマサハルは舌を巻く。あれは絶対真似できない。

 

 ナガミミは主任の地位と営業用のフレンドリーな態度で場を収めようとしていた。主任の知り合い、主任本人の「任せろ」という言葉で、受付嬢は引き下がる。

 

 受付嬢の追及を捌き終えた後、ナガミミは深々とため息をついた。

 そして、ぎろりとミオを睨みつける。

 

 

「ブチ殺されてーのか、コムスメ……」

 

「ご、ごめんなさいっ!?」

 

「まあまあ、落ち着いてくださいよ。ミオが怖がっているじゃないですか」

 

 

 ナガミミに睨みつけられ、ミオは怯えたように身をすくませる。見かねたリヒトがナガミミを諌めた。マスコットと同じ目線まで屈み、そっと耳打ちする。

 

 

「これ以上ミオをいじめるなら、あなたの口に“加熱処理していないスパイラルエキス”を突っ込まなくてはいけなくなりますが」

 

「……で、コムスメ。ここに何の用だ? 遊びに来ただけだってなら、とっととお家へ帰った方がいいぞ?」

 

『うわ、えげつねえ!!』

 

 

 我が孫ながら、なんて悍ましい脅迫なのか。不慮の事故で“生状態のスパイラルエキス”を飲んでグロッキーになってしまったマサハルにしてみれば、以前の悪夢が形を変えて再来したことに他ならない。

 勿論、ナガミミは瞬時に高圧的な態度を軟化させた。ヒイナとマサハルが“スパイラルエキスを飲んで倒れた”ことは、ナガミミに報告済みだったためである。正体不明のマスコットでも、ゲテモノに耐性があるわけではないらしい。

 

 

「えっと、……実は、アリーさんに会いに来たの」

 

「アリーに? なんでまた……」

 

「……ナビゲーター、引き受けようと思って」

 

 

 そう言ったミオの瞳は、強い意志が宿っていた。

 

 彼女の横顔が、嘗てマサハルたちを助けた双子のナビゲーター――ミロクとミイナに重なる。その面影と意志は、確かにミオへと受け継がれたのだ。

 なんだか感慨深いものを感じて、マサハルは思わず鼻を鳴らした。滲んだ視界を服の袖で拭いながら、リヒトとミオの姿を見つめる。

 

 

「私もアリーさんに協力したい。ナビゲーターとして、リヒトを助けたいんだ」

 

 

 ミオの声には一切の震えがない。目の前に居るのはか弱い少女ではなく、自身の戦うべき理由を見つけ出した戦士だ。

 戦場へ赴く覚悟を固めた若芽色の瞳。彼女の覚悟を聞いたナガミミが、感心したように声を漏らす。

 その言葉につられるような形で、リヒトもまた表情を輝かせる。金色の瞳が嬉しそうに瞬いた。

 

 

「決心したんですね」

 

「うん。わたしは、わたしにできることを、もっと一生懸命に頑張りたい。……全部、リヒトやイノリたちの受け譲りだけどね。えへへ……」

 

「それでもいいんですよ。理由は何であれ、成し遂げようと思い、行動することが大事なんですから。ミオは凄いです」

 

「そ、そんなに褒められると、照れちゃうな……」

 

 

 ミオの決意に対し、リヒトは惜しみなく賛辞を贈る。真正面から褒められた経験が少ないのか、ミオは顔を真っ赤にして視線を彷徨わせた。

 そんなミオの姿を見て、リヒトは慈しむような眼差しを注いでいた。お花畑全開の2人に対し、物を申せるような猛者はいない。

 

 

「それに、ちょっとだけ下心があるんだ」

 

「下心?」

 

「わたし、お父さんを探してるの」

 

 

 ミオは密やかな告白をするように、小さな声でリヒトに話し始める。

 

 彼女がノーデンスを訪れたのは、行方不明となった父親を探しに来たためらしい。ミオの祖父は「両親は2人とも事故で死んだ」と語っていたらしいが、彼女はそれを信じていない。小さい頃、父親がノーデンス社について言及していたことを覚えていたためだ。

 他にも、父親に頭を撫でてもらった記憶も、父親の生存を信じている理由なのだと彼女は語る。それらを分析した結果、“一緒に居られないのは何か理由があるためだ”という結論に至ったらしい。勿論、確定的な証拠はどこにもない。妄想と言えばそれまでだ。

 

 

(……ミカゲの坊や那雲夫婦から全容は聞いてたけど……)

 

 

 すべてを聞いている人間としては、ミオの記憶力や直感には舌を巻かざるを得ない。マサハルは何とも言えない気分になりながら、ミオの父親と祖父に想いを馳せた。

 「ミオのお父さん、すぐ見つかりますよ」「も、もう。……リヒトが言うと、ホントにそう思っちゃいそう」――このままいくと、2人の言葉通りの光景が広がることになる。

 精神的な疲労が折り重なる図を思い浮かべ、マサハルの口元にも乾いた笑みが浮かんだ。完全に、人間関係が大事故を起こしている。マサハルは思わず遠い目をした。

 

 記憶力がいいのは、Nav.シリーズと銘打たれた人工生命体たちの能力だ。ナビゲーターには、ナビゲート能力だけでなく、膨大な情報を記憶し演算する力も必要なのだから。

 

 嘗ての英雄の系譜を引く者たちを、嘗て英雄たちを支えたナビゲーターの系譜を引く少女が導く――。

 因果と言えば因果である。マサハルは遠い過去へと想いを馳せた。ミロクとミイナの勇士は、今でも覚えている。

 

 

「ここで働いていれば、いつかきっとお父さんに会えると思うの。……まあ、採用されなきゃ意味がないんだけど」

 

「僕でよければ協力しますか?」

 

「……ううん、大丈夫! 自分でなんとかするって決めたから!」

 

 

 そう言って、ミオは力強く微笑んだ。

 

 

「……そうですね。ミオなら絶対採用されますよ」

 

 

 言いたいことを飲み込んで、リヒトも柔らかに笑い返す。ノーデンスに対して黒い取引を持ちかけようと考えていたらしい。

 最も、何かあったらすぐにそれをしようと思案しているようだ。……本当に、我が孫ながら恐ろしい奴である。

 

 

「それじゃあ、リヒト。行ってきます!」

 

「頑張ってください!」

 

 

 意気揚々と立ち去っていくミオの背中を見送る。

 ナガミミは今後のことを予測し、楽しそうにほくそ笑んだ。

 ……だが、その笑みは長くは続かなかった。

 

 

「ナガミミ様ー! ただいまーっ!」

 

「げぇーっ!? ブンイチ!!」

 

 

 本業を終えてノーデンスへと戻ってきたブンイチが、ナガミミを強襲したためである。ブンイチはナガミミにスライディングし、タッチダウン宜しくマスコットを抱きしめた。

 人目についているということで、ナガミミは営業状態でブンイチを迎え撃つ。しかし、ブンイチは何も気にすることなくナガミミとべたべたしていた。お持ち帰りを画策している。

 

 ブンイチの暴走を見ていたマサハルは深々とため息をついた後、彼を止めるために歩き出した。

 

 

 

■■■

 

 

 

「仕事、仕事ー! 仕事は本当に楽しいなー!!」

 

「…………もうムリなのです…………」

 

 

 リッカがヘタクソな歌を歌う。確か、曲名は“楽しい社畜ライフ”だろうか。徹夜明けの頭では、もうまともに思考することなど不可能だ。

 

 チカは虚ろな気分で書類と向き合っていた。急な仕事――主にフロア改修が追加されたためである。用途は資料室、スカイラウンジ、アトランティスの避難民受け入れだ。前者2つはすぐに改修できたが、後者はまだ未定である。

 アトランティス避難民の受け入れが実施されるか否かは、明日の交渉にかかっている。女王ウラニアに「避難民の保護と引き換えに竜殺剣製造を依頼する」作戦のため、フロア改修が始まるのは、交渉の結果次第なのだ。要するに未定であった。

 だが、その分の資材と場所はきちんと確保しておかなくてはならない。チカは現在、各種の改修手続きでヒイコラ言っていた。今日は布団で寝れると思っていたので、それが遠のいたと確定した瞬間といったら、ない。

 

 それが自分の仕事なのだ。唸りながらも、チカは必死になって己を奮い立たせる。

 自分には逃げることなど許されない。こんなことは、早く終わらせてしまいたい。

 

 

「やらなきゃ、終わらないのです……。終わらせるためにも、仕事をしないと……ううう……」

 

 

 いつもと変わらぬデスマーチ。なのに、どうしてか、涙が溢れてきた。泣いている暇なんてないのに。

 辛い、苦しい、もう嫌だ――普段は押し殺していた感情が、堰を切ったように溢れ始める。

 

 

「チカ? ……大丈夫か?」

 

 

 カウンター越しに聞こえてきた声に、チカは思わず顔を上げる。目の前には、小さな風呂敷包みを抱えたソウセイがいた。慌ててチカは涙を拭う。

 

 

「な、なんでもないのです。ちょっと、頑張りが報われなくて辛いなと思っただけなのです」

 

「……もしかして、フロア改修の申請のせいか?」

 

 

 大量の書類を見て、ソウセイの表情が曇る。改修セクションにフロア改修を申請したのは、他ならぬソウセイだからだ。

 彼にそんな顔をさせてしまうのはチカの本意ではない。仕事をしている以上、休みが潰れることは仕方がないのだ。

 チカは慌てて弁明しようとしたが、ソウセイが頭を下げて謝罪する方が早かった。紫苑の瞳は悲しそうに揺れている。

 

 嫌な沈黙が広がる。折角、ソウセイが声をかけてくれたというのに。

 

 チカがおろおろしていると、ソウセイは何とも言えない顔をして風呂敷包みを解いた。そこから姿を現したものに、チカの目線は釘付けになった。

 一口サイズの和菓子だ。紫陽花を象ったもの、西瓜を象ったもの、夏の夜空をイメージしたもの、清流で泳ぐ魚の様子を象ったもの――どれも、夏の風物詩を取り入れたものだ。

 

 

「疲れたときには甘いものだと言うだろう? ……和食しか作れないから、こんなものしかできなくてな」

 

「……これ、ソウセイの手作りなのですか?」

 

「ああ」

 

 

 ソウセイは静かに頷いた。

 

 ……確かに、ソウセイは「和食しか作れない」と言っていた。言ってはいたが、まさかこんな和菓子が出てくるとは思わなかった。しかも手作りである。

 何も言われなければ、高級和菓子店で売られている商品と見間違ってもおかしくない出来栄えだ。チカは思わず感嘆のため息をついた。

 

 

「……仕事を増やした詫びに足りないと言うのは承知しているが……」

 

「そ、そんなことないのです!」

 

 

 落ち込んでしまったソウセイに対し、チカは思わず声を張り上げた。チカが大声を出すとは思っていなかったようで、ソウセイは目を瞬かせる。

 驚かせてしまったことに謝罪して、チカはもう一度和菓子の詰め合わせを見つめた。どの和菓子も美しい見た目だ。見ているだけでも心が弾む。

 

 

「……見てるだけでも、なんだか元気が出てくるのです」

 

「そうか」

 

「はい。今日はもうちょっと、頑張れそうな気がしてきたのです。ありがとう、ソウセイ」

 

 

 チカは微笑み、和菓子の入っている箱を受け取った。中に納められた和菓子が宝石ならば、さしずめこの箱は宝石箱である。そんな煌びやかなものとは無縁だと思っていた分、じわじわと込み上げてくるものがあった。

 

 和菓子を受け取ったことに安堵したようで、ソウセイはふっと目を細めた。口元はマスクで覆われているけれど、多分、嬉しそうに綻んでいるのだろう。

 その様子を思い浮かべるだけでも、チカの疲れが一気に吹っ飛ぶ。リッカではないけれど、今日は何が起きても仕事を成し遂げられる気がしてきた。

 ソウセイはチカに会釈し、自室へと戻っていく。その背中を見送った後で、チカは和菓子の入った箱へと視線を戻した。

 

 さて、どれから食べよう。どの和菓子もきらきらと煌めいていて、何と言うか、食べるのが勿体ない。

 仕事を始める前に1つ食べようと思ったのだが、本当に悩ましい。ううむ、とチカは唸る。

 

 

「仕事、仕事ー! 仕事は本当に――ああっ、チカ!」

 

「リッカ……!」

 

「何してるの、手が止まってるよ!? 差し入れを食べるのは仕事が終わった後なの! これは没収だよ!」

 

「だ、ダメなのですっ! これは、ソウセイがチカのためだけに作ってくれたものなのです……! このお菓子が、今日の仕事を終えるか否かの生命線なのです……!」

 

 

 悩んでいたせいで、手を止めていた現場を片割れに見つけられる。ワーカーホリックでチカのことなど眼中にないと思っていたのに、なんでこんな時に限って見つけるんだ。

 取り上げようと手を伸ばしてきたリッカから、チカは必死になって和菓子を庇う。特に後者――“今日の仕事を終えるか否かの生命線”を強調すれば、リッカは渋々離れた。

 「ちゃんと仕事をしてよ? 絶対だよ!」と念を押して、リッカは仕事へと戻った。相変わらずヘタクソな歌を歌いながら、彼女は恐ろしいペースで仕事を片付けていく。

 

 チカは差し入れの和菓子へ視線を戻す。散々葛藤した後で、紫陽花を象った和菓子を選んだ。一口サイズの紫陽花を、チカはわざと少しづつ咀嚼した。餡の甘みがじんわりと沁み込んでいく。今度は違う意味で涙が出そうだ。

 

 この仕事が終われば、箱の中で宝石の如く煌めく和菓子たちを食べることができる。どの和菓子も美味しいに違いない――チカは自己暗示しながら書類と向き直る。

 書類は相変わらず山積みになっていて、心が折れてしまいそうだ。己を奮い立たせるように、チカは和菓子の入った箱へと視線を向ける。整然と並んだ和菓子が煌めいた。

 

 

「――よし」

 

 

 チカは気合を入れるように手を叩き、ペンを取った。

 

 仕事を片付けた後、この和菓子を食べる未来を手にするため。

 ひいては、この和菓子の感想をソウセイに伝えるために。

 

 

 

■■■

 

 

 

 国会議事堂には、千鳥ヶ淵へと繋がる地下通路がある。有事が合った際、そこが避難場所になっていた。実は、千鳥ヶ淵は隠れた花見スポットだったりする。現在は季節外れだし、そもそも立ち入り禁止区域だ。故に、ここには青年以外誰も居ない。

 ISDFや戦闘学校の関係者しか入れない決まりになっているのだが、青年はそのどちらにも該当しない。ここを管理している連中に発見されれば、即刻不審者として連行されるだろう。逃げ切る自信は充分あるため、気にしていないけれど。

 ここに立ち寄ったのは、この場所が青年にとって思い出深い場所だからだ。他にもいくつかの場所を回ってきたけれど、()()()()()()()ここが一番印象に残っている。愛に殉じた女が、己を喰らうべき命に祝福を残した場所だ。

 

 何度も()()()中で、その姿から目を逸らせなくなったのは何故だろう。満足そうに笑った女性が、寂しそうにこちらを見ていたことに気づいたのは()()()だったのか。

 

 青年は足元を見た。白い花が咲いている。

 それを目の当たりにした青年は、忌々し気に表情を歪めた。

 

 

「まったく、気を抜くとすぐこれだ」

 

 

 青年は吐き捨てるように呟き、白い花を踏みにじる。踏んでも踏んでも、次から次へと花が咲く。

 

 

「だから、俺は“■”じゃないっての」

 

 

 青年が苛立たしさをぶつけて踏みにじる花は、星に蒔かれた命を刈り取るために咲く葬送花だ。赤や黒とは違って毒性はないが、青年にはこの花を誇る趣味はない。

 己の咲かせた花を誇るのは、嘗て青年が統合者(じぶん)に至る以前、敵対し、狩っていた相手だけだ。特に、5番目の奴とは話が合わないだろうと思っている。

 ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり。白い花の花弁が舞う。次の瞬間、この場には何もなかったかのように花が消えた。葬送花が消え去ったのを確認し、青年は満足して笑った。

 

 花が咲く光景を見るのは好きだが、葬送花は嫌いだ。見ると全部踏み潰してしまいたいと願うくらいには。

 因果を()()()命の統合者(ごんげ)としての影響なのか、奴らに関連するモノを見ると苛立たしく思うのだ。

 

 

(そりゃあまあ、一歩間違えると()()の仲間入りしてしまうくらい不安定な存在だって自覚はしてるさ)

 

 

 青年は深々とため息をつく。どうせ花を咲かせるならば、色とりどりの花を咲かせたいものだ。勿論、葬送花ではなく、青年が知りうる限りの“普通の花”を。

 

 白い葬送花を咲かせてしまうエネルギーを、すべて別な用途へ転換する。その途端、青年の足元から沢山の植物が芽吹き始める。色とりどりの花が咲き誇った。風が吹き抜け、花弁が舞い上がる。

 青年が咲かせた花は、種類や季節、生息環境も無視した、統一感のない花たちだ。ピンクと黄色のチューリップ、タンポポ、ペチュニア、レンゲソウ、トリトマ、アングレカム、デンファレ、リンドウ、ブルースター等々。

 

 

「……わあお、タイムリー」

 

 

 この花が咲いた理由を、青年はよく知っていた。それ故に、難しい顔をして深々とため息をつく。丁度、この花が持つ花言葉にちなんだ出来事が発生したばかりだからだ。花言葉の共通点は“恋愛”である。

 青年が苦笑していたとき、彼の足元から新しい花が咲く。凛と咲き誇るエーデルワイスと、可憐な花を守るように群生するスイートピーとスイカズラ。この花が誕生花となっている人間のことは、青年はよく知っていた。

 それを起点とするようにして、様々な花が咲き始める。タチアオイ、サボテン、シラネリア、桃。その花を取り巻くように、カモミール、ナノハナ、レモン、ヒヤシンス、チューベローズが咲いた。まるで、取り巻く花を見守るように。

 

 青年は暫くそれを眺めていたが、静かに目を閉じた。

 

 深緑の葉を湛えた木々がざわめく。命の力強さを印象付けるような深緑は、あっという間に燃えるような赤茶色へと変色し、くすんだ枯れ葉へと姿を変えた。葉はあっという間に散って、この場一帯の木々は丸裸になる。

 しかし、次の瞬間、恐ろしい勢いで木々は花の蕾を付けた。淡い桃色の花はすぐに開花し、千鳥ヶ淵を彩っていく。現在の季節は夏だと言うのに、千鳥ヶ淵には様々な花が咲き乱れ、この場所を鮮やかに彩った。

 

 

「準備はこんなものかなあ」

 

 

 季節外れの花によって埋め尽くされた千鳥ヶ淵一帯を眺め、青年は満足げに頷いた。あとは、この光景を見たら喜びそうな相手に声をかけるだけである。

 相手が根城にしている場所へと赴く中で、何を言えばいいのかを考える。()()()自分はあくまでも傍観者。仮面の男と同じ、行く末を見届ける者だ。

 

 程なくして、青年は目的地へと辿り着く。有明にある大手ゲーム会社――ノーデンス・エンタープライゼスだ。夕焼けに照らされた施設外は閑散としている。青年は迷うことなく、ノーデンスへと足を踏み入れた。

 

 青年は受付へ歩み寄る。脇の方で、眼鏡をかけた青年と病弱な少女が何かを話していた。彼らが何を話しているのか、青年はよく知っていた。

 彼らを横目に、青年は受付嬢に声をかける。受付嬢は、青年の存在を見学と判断したらしい。事務的な挨拶を返してきた。

 

 

「すみませーん。お宅の社長に取り次いでもらえないかな?」

 

「失礼ですが、アポイントメントは取っていますか?」

 

「いいや。でも、火急且つ重要案件に関する話なんで」

 

 

 青年の言葉を聞いた受付は、目に見えて困った顔をした。アポなしで突撃してきた来客を、どう捌くかで悩んでいるのだろう。

 つい数分前まで、彼女は「社長に会いたい」と訴える少女をどう捌くかで四苦八苦していたのだ。終わったと思ったら新手が来た状態である。

 勿論、これは予測済みだ。青年には餌がある。このエサを撒けば、即座に、該当者――アリーが血相を変えて喰らいついてくる確証と自信があった。

 

 

「分かった。取り次ぐのが無理なら、社長へ大至急言伝を頼む」

 

 

 青年は、くつりと微笑んだ。

 

 

「“千鳥ヶ淵の、花見の件”。……そう言えば、社長には伝わるはずだ」

 

「……は、はい。必ずお伝えします」

 

 

 伝言内容の意味が分からず困惑する受付嬢を尻目に、青年はノーデンスのカフェテラスへと引っ込む。適当に飲み物と食べ物を注文し、だらだらと時間を潰した。

 眼鏡の青年と話をしていた少女は社内へと向かった。眼鏡の青年もエレベーターに乗り込む。あの調子だと、該当者がこの単語を耳にするのは深夜だろうか。

 

 

(まあ、いいけど。どうせ今の俺はニートだし)

 

 

 青年はそんなことを考えながら、待ち人が来ることを祈っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 待ち人が来たのは、カフェテラスが閉まってから数時間が経過した深夜のことである。デスマーチで残業している企業戦士(しゃちく)どもが徘徊していて、どこぞのゾンビパニック映画を連想していたときのことだ。

 アリー・ノーデンスは珍しく真顔である。半ば船を漕ぎだしたの受付嬢に、“花見の件”の伝言をしてきた人間の行方について訊ねた。うつらうつらしたまま、受付嬢は青年の姿を探す。彼女はすぐに青年を見つけ、指さした。

 受付嬢に礼を言ったアリーがこちらへ歩み寄ってきた。床を蹴る靴の音が、どこか焦燥を滲ませているように聞こえる。薄らと開眼した紫の瞳は、計画に横槍を入れるであろう存在――青年を射抜いていた。

 

 

「アリーに会いたいと言うのは、キミのこと?」

 

「そうだね」

 

 

 剣呑な眼差しが突き刺さる。そんなアリーを、青年は懐かしさと親しみを込めた眼差しで見返した。

 敵意を滲ませていたアリーが、ほんの一瞬、目を見開いた。驚いたように瞬きを2回繰り返し、今度は興味津々の眼差しでこちらを眺める。

 

 

「……キミ。どこかでアリーと会ったことない?」

 

 

 何か確証を得ているけれど、それは是非とも青年の口から聞きたい――細められた瞳は、そう訴えている。

 

 

「“俺”は、“アンタ”に会うのは初めてだよ。アリー」

 

 

 青年はニヤリと笑いながら、自信満々にうそぶいてみせた。青年の答えはアリーのお気に召したのか、彼女はぱあっと表情を輝かせた。

 子どものように無邪気な笑みは、段々と恍惚とした笑みへと変わる。成長こそ愉悦と語るアリーにとって、青年の存在は嬉しいものだろう。

 彼女のテンションが上がって()()()()を口走る前に、青年は彼女の手を引いた。何事かと、アリーは首を傾げる。

 

 青年は、受付嬢に残した伝言をそのまま口にした。

 

 

「“千鳥ヶ淵の、花見の件”。――さっきみたいに深く考えなくていい。文字通りの意味だ。……アンタ、花見好きだろ?」

 

「――うん! 夜のお花見も楽しそうだね☆」

 

 

 青年の眼差しに込められた意味を正しく理解したようで、アリーはこれ以上ないくらい嬉しそうな笑みを浮かべた。

 呻きながらデスマーチに励む企業戦士(しゃちく)の目の前で浮かべるには、いささか場違いな表情である。

 

 大声を出してはしゃぎそうなアリーを制するのは、本当に大変だった。

 

 

 

 




【参考および参照】
『花言葉-由来「由来も知りたい!」誕生花,画像など花情報満載(http://hananokotoba.com/)』より、『チューリップ(ピンクの花言葉:愛の芽生え、誠実な愛/黄色の花言葉:望みのない恋)』、『タンポポ(花言葉:愛の神託、真心の愛)』、『サクラソウ(花言葉:初恋、憧れ)』、『ペチュニア(花言葉:あなたと一緒なら心が和らぐ、心の安らぎ)』、『レンゲソウ(花言葉:あなたと一緒なら苦痛が和らぐ、心が和らぐ)』、『トリトマ(花言葉:恋するつらさ、あなたを思うと胸が痛む)』、『アングレカム(花言葉:祈り、いつまでもあなたと一緒)』、『デンファレ(花言葉:お似合いの2人、有能)』、『リンドウ(花言葉:悲しんでいるあなたを愛する)』、『ブルースター(花言葉:幸福な愛、信じあう心)』

―――
仮面マントのおじさんやその他のフラグをぶち込んだら、ナガミミとブンイチのフラグが中途半端に余ってしまいました。話の関係上、これは次回以降へ持ち越すことになりそうです。
今回大量に登場した花は、イノリとユウマの関係性に深く関わる花言葉の花を集めました。あとは、東京組+旧ムラクモ13班組の誕生花。花咲く世界と銘打っているのでいるんで、花に関わるシーンも書いてみたかったんです。
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