花咲く世界のクロニクルセブン -じじいと孫のCode:VFD-   作:白鷺 葵

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・初代に出現した帝竜が登場します。ご注意ください。
・上記の帝竜は、初代とは違う能力が付加されています。ご注意ください。
・Ⅲの一刀サムライでは使えない技/2020シリーズの技を使うシーンがあります。ご注意ください。


黒を喰らう

「っ、くそ!」

 

 

 自分を庇うように前に躍り出た男性の背中。鮮烈な赤が、少年の視界に焼け付く。崩れ落ちて呻く彼の姿に、目を逸らすことなど許されやしないと告げられたような心地になったのは何故だろう。

 

 獰猛なマモノの唸り声が、どこか遠い。周りのざわめきの渦中に居るはずなのに、どうして何も聞こえないのか。少年の頭は異様な速さでフル回転/異様な愚鈍さで停止していた。原因の究明を行う脳と対照的に、呆けたまま動けずにいる。

 この事態を招いたのは誰だ。誰のミスが、男性が怪我を追う要因になったのか。――考えるまでもないことだ。少年の不注意が凶暴なマモノを呼び寄せてしまい、そのツケを払うような形で男性が少年を庇った。だから男性は倒れたのだ。

 誰かから指示を受け、ルシェ族――雪を思わせるような白銀の髪の女性が治療に当たる。男性の傷はあっという間に塞がった。入れ替わるようにして銃撃音が響く。マモノは赤い髪を束ねた女性によって、文字通りのハチの巣にされていた。

 

 自分の周りを取り囲んだ大人たちが説教を始める。みな、自分を思ってのことだとは頭の片隅で理解はしていた。

 けれど、それよりも重要なことがあった。少年はわき目もふらずに男性の元へと駆け寄る。

 

 

「おじさん!」

 

 

 少年の声に、男性はこちらを見返した。こめかみからは薄らと汗が滲み、苦しそうな呼吸が漏れている。眼鏡のフレームはねじ曲がり、レンズにはヒビが入っていた。

 ルシェの女性による治療で血は止まっているが、傷が完全に癒えたわけではないのだろう。眉間に皺が寄っていた。だが、男性は少年を視界に納めると、途端に笑って見せる。

 彼の怪我を気負う少年に対し、大丈夫だと告げるかのような力強い笑み。彼は少年を咎めることをせず、わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でた。男性の眼差しはどこまでも優しい。

 

 

「お前が無事でよかったよ。これからの未来を背負って立つ人材なんだからな」

 

「本当によかった。貴方が無事でいてくれて」

 

 

 少年の無事を喜んだのは、男性だけではなかった。優しい声の主は、マモノをハチの巣にした張本人である。彼女は慈しむような眼差しを、惜しみなく少年へと注いだ。相手のことを一心に想う、無償の愛。それを真正面から受け止めた少年は、どうしてか、心が震えたような心地になった。

 

 込み上げてきたのは安堵。溢れだしたのは、自分が犯した過ちの大きさ。間違いが引き起こした事態の大きさに、慌てふためく愚かな子どもは、ただただ無様に泣き叫んだ。

 幼すぎた少年には、謝罪の言葉を口に出すことしかできなかった。周りの優しさと厳しさを、真正面から受け止めることしかできなかった。それに応える術を持っていない。

 

 

「帰ろう。もうすぐ、夜が来る」

 

 

 そう言って、先陣を切ったのは誰だろう。

 男性の仲間たちは家路を急ぐ。人類復興の拠点へと。

 復興への道筋はあまりにも遠く、先は見えない。

 

 肩を支えられて先を行く男性の後ろ姿を、女性の腕に抱かれながら見つめる。

 

 

「……俺、がんばる」

 

「?」

 

「もっともっと、強くなるんだ。みんなの力になれるように」

 

 

 首を傾げた女性に――あるいは先を行く英雄たちの背中に誓うが如く、少年は呟く。

 

 矢面に立っていた彼らは、常に攻撃に晒されていた。時にはマモノの牙や爪によって、時には人間からの悪意によって、傷ついても歩き続けてきた。ひとえに「虐げられる無辜の人々を守りたい」という願い故に。

 たとえその経歴が、御伽噺の英雄を導いた『運命』とは程遠いものであったとしても。最終的に“立ち上がる/守り抜くために刃を掲げる”ことを選択したのは、ムラクモ13班に所属する人々だ。

 彼らが人々を守り、未来を切り開く先駆けとなったのは当たり前のことだった。――それでは、彼らが傷ついたとき、苦しんだとき、その背中を支えてやれるのは誰なのだろう。彼らを守れるのは誰なのだろう。

 

 どんな困難にも揺らがぬ、強くて逞しくて遠い背中。誰かを守るために前に立つことを生業としてきた人類の英雄。けれど、英雄が英雄として立っていられる理由は、守るべき人が居るからだ。支えてくれる人が居るからだ。

 少年は、拳を強く握りしめる。いつか自分も、彼らを――自分を守ってくれた英雄たちのように、彼らの背中を守りたい。彼らが奮い立つ理由になりたい。彼らのために奮い立てるような人間になりたい。

 

 

「――もう、おじさんや“□さん”たちを傷つけたり、悲しませたりしないように」

 

 

 少年の決意表明を耳にした女性は、ただ静かに微笑んでいた。彼女瞳が揺らめいたような気がしたけれど、少年は敢えてそれを無視する。

 道が険しいことは百も承知だ。彼らがそれを望んでいないことも知っている。でも、だからこそ、少年は敢えて、茨の道を選ぶのだ。

 

 ――自分の弱さを、抱えた罪を、超えて行くのだと。

 

 

 

■■■

 

 

 

 今、一瞬、意識が飛びかけていた。ブンイチは歯を食いしばり、どうにか己を奮い立たせる。練気手当で傷を癒し、刃下のリアクトをかけ直し、デッドブラックに向き直った。傷を癒してチャンスを伺っているとはいえ、ブンイチはジリ貧である。

 視界は最悪、相手は自分のテリトリーに居るおかげで超絶絶好調だ。スカイタワーのフロアを覆いつくした暗闇のおかげで、デッドブラックの能力は大幅に強化されている。マサハルは奴の攻撃のせいで倒れ、戦えるのは自分しかいない。

 突破口は見えない。自分の視界も、自分の生死も同じような状態だった。ブンイチは舌打ちしながら身構える。闇に塗りつぶされかかった世界の中で、デッドブラックの笑い声だけが耳障りに響いていた。

 

 

『どうした、家畜。派手な啖呵を切ったと思ったが、その程度か?』

 

 

 ――ああ、本当に腹立たしい。

 

 気配だけを頼りに、ブンイチは居合切りを放った。しかし、それは靄のように漂う闇を掠めただけで、デッドブラックには当たらない。その証拠に、どこからか奴の笑い声が響いてきた。

 次の瞬間、四方八方から刃が乱れ飛んで来た。そのすべてが、ブンイチの体に傷をつける。ブンイチは呻きながらも踏み留まった。まだ倒れるつもりはない。練気手当で傷を癒しながら、気を研ぎ澄ます。

 

 

『この闇の中では、我がどこにいるかなど分かるまい。お前はこのまま闇に飲まれるのだ。二度と光を拝むことはない』

 

 

 デッドブラックは高笑いした。奴の気配がぐっと近づいてくる。それを肌で感じながら、ブンイチは柄を握り締めて居合の型を取った。殺気が自分の眼前に迫る。

 何かが自分に到達するよりも速く刀を引き抜いた。勢いそのまま飛んで来た攻撃を打ち払い、一閃。間髪入れず、デッドブラックの悲鳴が響き渡った。

 

 

「――よし、思った通りだ……!」

 

『な、何故だ!? 何故、我の居場所が――!?』

 

 

 デッドブラックは驚愕しているが、奴は何故ブンイチが攻撃を受けてきたのかを知らない。

 答えは簡単、“攻撃が飛んでくる方向から、デッドブラックの居場所を索敵した”ためだ。

 回復スキルや事前準備としてアイテムを買い込んでいたからこそできた持久戦――その賜物である。

 

 

「ははっ。ただ無意味に攻撃を受け続けていた訳じゃないんだ、よっ!」

 

 

 ブンイチはデッドブラックへ払い崩しを叩きこみ、更に追撃へと走った。

 

 

「いっせーのーでっ! ――熱いのいくよっ!」

 

 

 刃が焔を纏う。ブンイチはそのまま、デッドブラックに一閃を叩きこんだ。剣の師匠直伝の技、モミジ打ちである。最近――U.E.77年の一刀サムライには馴染みがないようで、この技は完全に廃れてしまっていた。

 この技を知っている人間は、2020年代の竜戦役で活躍したムラクモ13班員である渡来ミカゲか、ムラクモ戦闘員の関係者から剣術を習った人間ぐらいであろう。最も、後者でもモミジ打ちを使わなくなった人間は多いようだが。

 モミジ打ちが廃れた理由をブンイチの個人的な観点から論じるとするなら、“双剣の割きモミジに持っていかれた”のではないかと思っている。――まあ、そんなことはどうでもいい。ブンイチはニヤリと笑った。

 

 崩し払いの効果があったのか、デッドブラックが呻く声がした。

 ほんのわずかだが、視界に炎が翻る。何かが焼けたような、独特の臭いだ。

 

 

『デッドブラックに火傷が入ったよ!』

 

 

 雑音しかないとばかり思っていたのに、鮮明に声が響いた。ナビゲーターであるミオの声を聞いたのが、随分久しぶりのように思う。

 

 闇の中に炎がちらついた。そこ目がけ、ブンイチは果敢に攻めかかる。この暗闇でも明りさえあれば、奴へ攻撃を叩きこむことは可能だ。ここから充分、巻き返しを図ることはできる。

 デッドブラックは忌々しそうに攻撃を躱し、ブンイチへ反撃した。氷の刃が容赦なく襲い掛かってくる。それを刃で打ち払いながら、ブンイチはモミジ打ちを叩きこんだ。また炎が翻り、導となる。

 

 勝機は見えた。あとは、このまま畳みかければ――

 

 

『――この程度の光で、我を倒せると思うな!!』

 

 

 デッドブラックが咆哮した。灯った導はあっという間に闇に塗りつぶされ、視界は黒一色に染まる。先程までどうにか掴めていた気配すら感じない。

 復活したはずの通信が、ノイズだけを残して断線する。冷たい殺意だけが四方八方から突き刺さってきた。ブンイチは思わず息を飲む。

 次の瞬間、何かがブンイチの頬を切り裂いた。痛みは大したことはないが、ブンイチの体がぐらりと傾く。場違いな睡魔が、ブンイチの体を蝕んだ。

 

 

(しまった!)

 

 

 『睡眠攻撃を繰り出してくる』というミオの注意を思い出したときにはもう、ブンイチは床に膝をついていた。そんな自分を冥土へと誘うかのように、溢れた闇が襲い掛かる。

 普段の体調であれば回避できたのだが、今のブンイチは睡魔によって身動きが取れない。闇はこちらへと迫ってくる。その光景が、やけにゆっくりと流れ――

 

 

『――躱せ、ブンイチ!!』

 

 

 声がした。愛おしい相手の声だ。眞瀬ブンイチが愛してやまぬ、ナガミミの声だ。

 

 そう認識した途端、ブンイチを蝕んでいた睡魔が一気に吹き飛ぶ。ブンイチは思わずその場から飛び退った。凝縮した闇が爆ぜる。あのまま動かないでいたら、ブンイチは間違いなく即死攻撃の餌食になっていたであろう。考えるだけでゾッとした。

 ブンイチは思わずノーデンスウォッチへ視線を向ける。ナガミミの姿がホログラムに映し出された。ナビゲーターをしていたはずのミオの姿がない。よく見れば、彼女はナガミミによって画面外へと押しやられたところであった。

 

 

『――ッ、このバカ! アホ! マヌケ! トンチキ!! いくら仮想空間とはいえ、この程度のエネミーに殺されかけるんじゃねえ!!』

 

「うわっ!? ご、ごめんってば……」

 

 

 容赦のない罵倒が降り注ぐ。マイクの至近距離で叫んだためか、ナガミミの声がわんわんと響いた。ブンイチの鼓膜を破らんばかりの怒声であった。

 だが、マスコットの声はどこか頼りなさげに震えているように思う。何かを失うことに対し、極端に怯えているかのようだ。切羽詰ったような響き。

 

 

『……ンな情け無ェ面晒すんじゃねーよ。オマエはいつも通り、オレ様に突っ込んでいくようなノリでやってりゃいーんだよ……!!』

 

「ナガミミ様……?」

 

『オマエが居なくなったら……誰が――』

 

 

 ナガミミの言葉の続きを聞く間も、違和感を問い詰める間もなかった。

 

 間髪入れず響いた発砲音。撃ち込まれた弾丸が、デッドブラックの闇を打ち払った。奴は堪らず呻き声を上げる。刹那、誰かがブンイチの前へと躍り出た。緋色の髪が鮮やかに翻る。その背中を、眞瀬ブンイチはよく知っていた。思わず口が動いて、女性の呼称を口走る。

 彼女は振り返り、柔らかに微笑んだ。桐野ヒイナ――旧姓東雲ヒイナ。ブンイチの前で倒れ伏したマサハルの異母妹。彼女はトリックハンドを発動させ、鞄から何かを取り出した。彼女の手には、こぶし大の結晶――ヒュプノ結晶が握られている。

 

 ヒイナはそれを叩き割った。キラキラとした光がマサハルに降り注ぐ。光が弾けたのと入れ替わりに、マサハルが呻きながら体を起こした。ブンイチとヒイナを見比べ、何となく状況を理解したらしい。

 

 

『悪りィ。迷惑かけた』

 

『だいじょーぶ、問題なし。あたしたちは負けないから』

 

 

 自信満々に言い切ったヒイナに、デッドブラックが首を傾げる。奴はヒイナの言葉を家畜の戯言だと認識したようで、すぐに嘲った。

 深い闇によって守られている――それが、デッドブラックの揺るぎない自信であり、自身が勝利することを確実視している慢心だ。

 

 

『この闇がある限り、貴様ら家畜に勝利などない。このまま闇の中で朽ち果てるがいい!!』

 

 

 闇を纏い、黒影竜は翼を広げる。紫を帯びた闇が吹きあがった。

 

 ヒイナは満面の笑みを浮かべて、天井を見上げる。

 その瞳は、自分たちの勝利を確信していた。

 

 

『――リョウスケ、ジュリエッタ! 派手にやっちゃって!!』

 

『任せて、ヒイナセンパイ!』

 

『準備は整ったわ! これで……!!』

 

 

 ノーデンスウォッチからリョウスケとジュリエッタの声が響いた。刹那、仮想空間に巨大な装置が出現する。

 ブンイチがそれの正体を理解するよりも、装置が作動する方が早かった。

 

 

『喰らえ! これが、2020年代を駆け抜けた“職人の心意気”だァァァァァァ!!』

 

 

 黒が白へと染め上げられる。この場を覆いつくしていた闇を、一瞬で光が塗り替えた。耳をつんざくような悲鳴がこの場に木霊する。闇に慣れていた目に、光の刺激は強すぎた。

 瞼の裏さえ貫く光に慣れ、視界が鮮明に映し出される。ブンイチは一瞬、呆気にとられた。己を守る闇を失った黒影竜デッドブラックの姿が、人工灯によって炙り出されたためだ。

 池袋でよく見かける鳥系のマモノ――ターゴイズファンとよく似たような外観だ。体の色は黒、尾羽の色が紫であることくらいの違いしかない。これが、デッドブラックの真の姿。

 

 

『これ、2020年の竜戦役、ザ・スカヴァー戦で使われていた装置……!?』

 

『正確に言うなら、旧ムラクモ技術班によって改造が施された舞台照明装置(スポットライト)を、仮想世界(セブンスエンカウント内)に再現したモノよ。出力は16000ルクス。一般的な舞台照明が1000ルクス後半から3000ルクスくらいだから、相当な眩しさのはずだわ……!』

 

『す、すごい……! デッドブラックの能力値がぐんぐん下降してるよ! このまま攻めれば!!』

 

『よし行け、ブンイチ! 叩きこめェェェ!!』

 

 

 ノーデンスウォッチから響くのは、勝機をつかんだことを確信する技術主任とナビゲーター候補の声。

 そして、ブンイチにとって一番の起爆剤となったのは――想い人であるナガミミの声だった。

 

 

「ここからだ!!」

 

 

 ブンイチは己のマナを解き放つ。膨大なマナが渦巻いた。エグゾーストの発動である。

 

 

『ちぃ……!』

 

『させるかよ!』

『させないよ!』

 

 

 デッドブラックは身を守ろうと闇を展開したが、ヒイナの銃とマサハルの拳が闇そのものを打ち砕く。

 盾を失い無防備になった黒影竜へとブンイチは走る。奴の懐に飛び込んだその一瞬で、ブンイチは刀を引き抜いた。

 

 

「開放! ――負けないよ!!」

 

 

 刀を引き抜き鞘へ戻すまで、コンマ数秒。刹那、一歩遅れて斬撃の軌跡が煌めく。その数、16。故に、この技の名前は十六手詰めと呼ばれるのだ。これもまた、師匠直伝の技であった。

 フロアを覆いつくす眩い光によって弱体化し、且つ、無防備な身体に叩きこまれた攻撃に耐えられなかったのだろう。断末魔の悲鳴を上げる間もなく、黒影竜デッドブラックが崩れ落ちた。

 エネミーの消滅を確認した作戦室の面々が湧きたつ声が響いた。それをどこか遠いことのように思いつつ、ブンイチは刀を鞘へと納めた。振り返れば、ヒイナとマサハルが柔らかに笑っている。

 

 なんだかむず痒くなってきて、ブンイチは手で鼻をこすった。非常に、非常に照れくさい。

 湧き上がってきたのは充足感だ。なんだか、もう、ちょっとだけ、泣きそうになる。

 

 どうにかそれを踏み留め、ブンイチたちは並んで歩く。いつかの日々と同じように、嘗ての夕焼けを思い浮かべながら、3人は仮想世界を後にしたのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 とんでもないバグチェック、もとい、那雲ミオの適性検査は幕を閉じた。アリーは上機嫌で彼女の合格を言い渡し、明日以後の作戦に合流することが決まった。

 合格通知を聞いたミオは照れた様子ではにかんでいた。ブンイチがいつか見た、兄貴分と姉貴分の笑い方とよく似ている。双子のナビゲーター。

 

 その背中を思い出しながら、ブンイチはエントランスを歩いていた。時刻は夜の7時を過ぎたところだ。調べ物――主に“探し物”の行方について――やヒーローショーの下準備を終えて、ブンイチは執務室へと戻る途中だった。

 

 

「ブンイチ」

 

 

 名前を呼ばれて振り返る。そこにいたのは、ノーデンス・エンタープライゼスのマスコットであるナガミミだ。普段は飛び跳ねるような足取りなのだが、マスコットの足取りはどこか不安定だ。

 それもそのはずで、マスコットの手には大きな包みが抱えられていた。しかも、包みの数は1つではない。複数個ある。ナガミミはよたよたとブンイチの元へと駆けてくる。一歩間違えれば転んでしまいそうだ。

 だが、マスコットは転倒することなくブンイチの元へと辿り着く。ナガミミの呼吸はやや粗い。切羽詰ったような様子からして、相当急いでいたことが伺えた。ナガミミがブンイチの方へ近づいてくるのは珍しい。

 

 

「ナガミミ様、どうかしたの?」

 

 

 ブンイチはしゃがみこんでナガミミに視線を合わせた。

 次の瞬間、ナガミミは何かを突き出す。それは、包みの1つであった。

 

 

「ん」

 

 

 ナガミミは包み――しかも、持っている/背負っている物の中でも一番大きいものだ――をぐいぐい押し付ける。受け取れと言わんばかりの勢いだ。それに気圧されるような形で、ブンイチはその包みを抱える。それを見たナガミミは満足そうに鼻を鳴らした。

 

 もう用は済んだと言わんばかりに、ナガミミは踵を返した。

 ブンイチは思わず、ナガミミを呼び止める。

 

 

「……これは?」

 

「…………だよ」

 

「え?」

 

「……差し入れだよ! 何か文句あんのか!?」

 

 

 苛立たしそうにナガミミが怒鳴った。気のせいでなければ、耳の先や頬がほんのりと赤らんでいるように見える。普段は表情の変化が少なく、声色で判断するしかないとされるナガミミだ。何て珍しいことだろう。ブンイチは目を瞬かせた。

 ぷんすこという擬音が良く似合う怒鳴りっぷりに、ブンイチは差し入れの包みをまじまじと見つめた。大きさは重箱の1段分程度であるが、心なしかずっしりとしているように思う。包みに使われた風呂敷は、緑基調で桃の花が描かれていた。

 他の包みに使われた風呂敷の柄は、黄色地に橙や白の水玉模様が描かれているシンプルなものだ。明らかに、ブンイチへ手渡されたものとは違う。よくよく見てみれば、弁当の大きさも一回り小さく感じた。

 

 桃の花はブンイチの誕生花である。どうしてナガミミがそれを知っているのだろう。それを問う前に、ナガミミはブンイチの懐へと視線を向けた。ブンイチはポケットへ手を突っ込む。そこから出てきたのは懐中時計であった。

 

 

「それ、眞瀬時計店の懐中時計だろ? あのメーカーは、注文した相手の誕生花や誕生鳥なんかを、時計盤や蓋、皮ひも等に刻むサービスがあるって聞いたことがあるからな」

 

「ナガミミ様……」

 

「か、勘違いすんなよ! オマエだけが特別ってワケじゃねえんだからな! あくまでもこれは、13班の面々への差し入れのついでなんだからな!!」

 

 

 ナガミミはそれだけを言い残すと、恐ろしい勢いで駆けだした。文字通り、“脱兎の如く”と言っても過言ではない。ブンイチはその背中を見つめることしかできなかった。

 特徴的な足音も聞こえなくなる。ブンイチだけがこの場に取り残されているかのようだ。ブンイチは暫し包みを眺めた後、カフェテラスの休憩スペースへと向かった。

 

 カフェテラスは閉店時間のようで、カウンターにはネットと布がかけられている。看板の文字もcloseとなっていた。休憩スペースが封鎖されていないのは、定時を超えて残業する企業戦士たち向けのためだった。

 運がいいのか悪いのか、カフェテラスの休憩スペースは閑散としていた。ただ、残業の息抜きに来ている人々の中に混じって、見知らぬ男が座っていることが気になる。ブンイチはその人物に視線を向けた。

 黒いバンダナを頭に巻いて、腰付近まで無造作に伸ばした銀の髪が四方八方に飛び跳ねている。蜻蛉の複眼を連想させるような緑のサングラスが、男性の表情を分かりにくいものにしていた。

 

 誰かを待ちぼうけているのか、頬杖をつくその横顔は非常に退屈そうである。ストローを弄ぶ仕草は、行き場のない思いの行方を憂いているかのようだった。

 

 

(あの人……)

 

 

 奇妙な懐かしさと親近感に、ブンイチは眉をひそめる。その仕草は誰のものだろう。見知った人々の仕草が頭をよぎったが、男性のそれは、ブンイチが思い浮かべた全員の特徴を完全に網羅していた。

 

 ぞくり、と、ブンイチの肩が震える。得体の知れない違和感と恐怖が、寒気を伴って背中を撫でた。ヒトという括りから逸脱したような気配。自分の中に湧き上がったのは、畏怖だ。ブンイチはごくりと生唾を飲み干した。

 ブンイチの存在に気づいたのか、もの鬱げにしていた男性がこちらを向いた。サングラスの奥に潜む瞳からは、彼の思考回路は分からない。男性は何かを懐かしむように表情を緩ませつつ、こちらに声をかけてきた。

 

 

「……何? 俺の顔に何か付いてる?」

 

「や、なんでもないです」

 

 

 ブンイチは思わず視線を逸らした。暫くの間彼からの視線を感じていたが、興味を失くしたのだろう。突き刺さるような感覚がなくなった。

 恐る恐る男性の方へ視線を向け直せば、男性は相変わらず待ちぼうけをしているところだった。視線はふらふらと漂っているように思う。

 彼から視線を外し、ブンイチはナガミミから手渡された包みを解いた。重箱を思わせるような黒漆の弁当箱がお目見えする。

 

 やはり、先程の発言はナガミミの照れ隠しだったらしい。想い人の可愛らしい姿に、ブンイチの頬が緩んだ。ご丁寧に添えられたメッセージカードには、ブンイチを労う言葉と『食べられるかどうかは分からないが』という謙遜の言葉が書き連ねてあった。

 今日は厄日かと思っていたが、人間万事塞翁が馬。何が起きるかなんて、起きてみるまで分からない。ブンイチが尊敬する人物たちが辿った人生だって、その言葉を体現した出来事で彩られていた。それが幸せか不幸かは、本人の価値観次第であろうが。閑話休題。

 

 

「ナガミミ様からのお弁当~!」

 

 

 鼻歌混じりに蓋に手をかける。開いた先にあったブツに、ブンイチは思わず口元を引きつらせた。

 

 何度見直しても、目の前の光景に変化はない。自身の五感に伝わる情報は、何一つとして変わらなかった。それ故に、眼前の光景は夢ではないのかと疑いを抱く。――だがしかし。ブンイチの願いも虚しく、眼前に広がる光景は夢ではなかった。

 重箱1段分の中にびっしり詰め込まれていたのは、炭。多分、元々は何らかの食材だったものが、調理中に炭化してしまったのであろう。冷めているはずなのに、焦げたような刺激臭が鼻に突き刺さってくる。一目見ただけで「これはダメだ」と直感するレベルだ。

 

 

(……な、ナガミミ様って、料理音痴なんだ……)

 

 

 失敗弁当を量産していた両親の背中が脳裏をよぎる。父の場合は“不自由な身体での調理”だったため、母の場合は“手の施しようのないレベルでの料理下手”だったためだ。理由はどうあれど、ブンイチは失敗弁当とは深い縁があるらしい。

 周囲に居た人々が何事かとブンイチの方を見て、立派な弁当箱の中に鎮座する石炭を見てすべてを察する。憐れみの視線が四方八方から降り注いで来たが、眼差しの主たちはこちらを素通りしていった。目の前の光景をなかったことにして、だ。

 勿論、自分の近くに座っていた男も視線を逸らして口笛を吹いていた。極力、自分の視界に石炭を入れないようにしている。彼のこめかみからは異常な汗が流れていた。まるで、“似たようなもの”を間近で見たことがあったかのように。

 

 

(――これは、試練だ)

 

 

 目の前の炭を見て、ブンイチはごくりと生唾を飲み干した。

 これを完食できるか否かに、ナガミミへの愛が試されている。

 

 

「う、うぇぇ……!!」

 

 

 ブンイチは口元を戦慄かせた。幾何かの間を置いて、意を決した。勢いそのまま、ブンイチは炭を口の中へと放り込んだ。文字通りの一気飲み――踊り食いである。

 後は、大量の緑茶で無理矢理流し込んだ。ブンイチは口を抑え、込み上げる吐き気ごと飲み下す。劇物が体内でのたうち回るような感覚に、体が小刻みに震えた。

 体の内部は焼けただれたような熱さを感じるのに、吹雪の中に放り込まれたような寒さが背中を撫でる。呼吸も荒い。アレは、体調に異常をきたすレベルの劇物だ。

 

 

「……ぐ……ッ!!」

 

 

 歯を食いしばって耐える。ひたすらに耐える。こめかみから、冷たい汗が流れ落ちた。

 

 荒かった呼吸も段々落ち着いてきた。ブンイチは緑茶を煽り、大きく息を吐く。

 体調が戻ったとは言い難いが、大分マシになった。そうして立ち上がろうとして、気づく。

 

 

(そういえばナガミミ様、『13班にも差し入れを持っていく』って――)

 

 

 もし、あの差し入れの中身も、ブンイチの弁当に入っていた炭と同じだったら――新13班の面々がどんな反応をするのか。

 そうしてその評価が、ナガミミの耳に入ったら。そのせいで、ナガミミが落ち込んでしまったら。そこまで考えて、ブンイチは立ち上がった。

 想い人が傷つくようなことなどあってはならない。ただそれだけの一心で、ブンイチは駆け出す。目指すは4階のレストフロアだ。

 

 エレベーターに乗り込み、目的の4階へ。レストルームの談話室の扉を開ければ、後輩であるイノリたちが途方に暮れたような顔をして弁当を眺めているところだった。

 弁当箱の中身は、はたして、ブンイチの予想した通りだった。先程自分が飲み下した炭の塊が、これでもかと言わんばかりに敷き詰められている。

 

 上司からの善意をどう扱うかで悩んでいる様子だ。イノリも、リヒトも、ソウセイも、シキも、どこか異世界チックな格好をした男女のルシェ族も、表情を引きつらせていた。食べたらマズイというのは、現物を見て分かっている。

 

 

「あ、ブンイチくん」

 

 

 珍しい訪問者に、イノリは目を丸くする。彼女が何かを紡ぐ前に、ブンイチはずかずかとテーブルの元へと歩み寄った。

 テーブルの上に山積みになった炭弁当をひったくる。いきなりの行動に、後輩たちは目を丸くした。

 

 

「お、おい。あんた、それをどうするつもりだ!?」

 

 

 ソウセイの問いに、ブンイチは迷うことなく返答した。

 

 

「――処分に困ってるんだったら、俺に頂戴。ナガミミ様のお手製弁当だもん、勿体ないよ」

 

 

 

■■■

 

 

 

「ねえ、キミ。一体何をどうすればこんなことになるの?」

 

「…………」

 

 

 ホリイの問いに、ブンイチは無言のまま彼へと背を向けた。小さな背中は、小さいなりに「黙して語るまい」という頑なな意志を示している。

 医者とて万能ではない。患者がレスポンスを返さなければ、治療の経過を確認したり、治療の手段を示したりすることはできないのだ。

 

 

「胃の広範囲が炎症してるね。まるで焼けただれたみたいだ。おまけに、穴も複数個所開いてる」

 

「…………」

 

「胃潰瘍や食中毒の症状も見受けられるし、更には異常な発汗と39℃代の発熱まで……。ホントに何があったの?」

 

「……愛だよ」

 

 

 ホリイの詰問に、ブンイチはぼそりと返答した。位置が悪いためか、こちらからは彼の表情を伺うことはできない。

 意味不明な返答を聞いたホリイが、「愛?」と鸚鵡返しに問い返す。ブンイチはもぞりと身を動かし、ホリイを見た。

 紫苑の瞳は、苦痛のすべてを甘んじて受けるという決意に満ちている。口元の笑みが歪んでいたけど、確かに弧を描いていた。

 

 

「俺は、愛に殉じた。……後悔なんて、あるはずない」

 

「は、はあ……?」

 

 

 満足げに笑ったブンイチに対し、ホリイは眉間の皺を深くする。患者の意味不明な言動に、看護師のマイマイ共々お手上げの様子だ。2人は顔を見合わせて肩をすくめた。

 

 そんな医務室の様子を、自分はこっそりと覗いていた。普段はあまり赴かない場所なのだが、ここに来たのには理由がある。

 脳裏に浮かんだのは、困惑顔で“それ”を自分へ伝えに来たイノリたち。ギリギリまで悩んだのだろう。どこか申し訳なさそうだった。

 

 

『ブンイチくん、ナガミミが差し入れてくれたお弁当を、全部1人で持ってっちゃったんだ。多分、1人で食べたんだと思う』

 

『僕たちの分を食べる前から調子が悪そうでした。自分の分はどうしたのかと尋ねたら、『自分のはもう食べ終わった』と……』

 

『『夜、医務室へ搬送されるブンイチの姿を見た』と、チカが言っていたな』

 

『時間的に、私たちから差し入れをひったくって1時間ちょっと経過したあたりだと思うんだけど』

 

 

 自分――ナガミミは、知っている。ブンイチが医務室送りになった原因を。

 彼の胃を焼き、穴をあけ、ベットの上に縛りつける原因は、ナガミミが作った弁当だからだ。

 

 

「……オレは……オレ様は、ただ……頑張ったアイツを……アイツらを労いたくて……それだけだったのに……」

 

 

 次作るときは、()()()()()()()()()()()()()まともな弁当を作れるようにならなければ――。

 よろよろとした足取りで仕事へ向かう中、ナガミミはひっそりと決意を固めたのであった。

 

 

 




リアルが忙しくて更新が遅れました。ナガミミの失敗弁当がグレードアップし、ブンイチ加入延長フラグが確立。ブンイチは殉教者になったんだ……“ナガミミへの愛”のな……。
元ネタはナガミミ様の差し入れ。失敗弁当から特上弁当になるあたり、相当料理を頑張ったんだろうなと予想します。2020シリーズのリン然り、2020-Ⅱで片腕になったキリノ然り。
Ⅲ外伝小説が発売されてもうすぐ1ヶ月になりますが、私はまだ小説を入手できていません。入手できたとしても、このお話に反映させることはないです。でも、「もしも」の話は好きなので、何かする可能性がないわけではありません。
Chapter2.5はここで一区切りし、次からChapter3へと移行します。遂に金ぴか竜との戦いへ。ノーデンス上層部、ISDF上層部、自称/他称“ニート”……様々な思惑が複雑に絡み合うお話になる予定。

【追記】
このお話を投稿した数時間後に、運よく『セブンスドラゴンⅢ UE.72 未完のユウマ』を入手することができました。地道に読破していこうと思います。

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