花咲く世界のクロニクルセブン -じじいと孫のCode:VFD- 作:白鷺 葵
「人類戦士と人竜に関する資料?」
「ああ。誰かが旧ムラクモの資料を拝借したようだ。……勝手に、な」
ヨツミは眉間に皺を寄せ、深々と息を吐く。生命科学を扱う彼は、“2021年で発生した竜戦役においてルシェクローンを現在に復活させた”研究者の1人だ。人工生命体研究の先駆けとなった那雲博士の息子(双子の弟)であり、その研究の後継者でもある彼からしてみれば、放置できない事案であろう。
自分が生み出したルシェ族の人権保護に駆け回る傍ら、ヨツミは兄である
U.E.55年、ムラクモ機関に関する記録はISDFに吸収された。ムラクモ機関の関係者が高齢化したというのが理由である。その際、ムラクモの各研究資料も徴収された。
だが、一部のバカどもが暴走し、“ムラクモ機関から接収したデータを悪用した挙句、まともな尻拭いをしないままその案件を握り潰す”という事案が発生した。
事案は公にされていないが、その案件は未だに決着がついていない。事態を重く見た元ムラクモ関係者は、ムラクモの研究データを悪用されぬよう厳重保存する部署を設立した。
その部署に、たった1人で所属しているのがヨツミであった。ムラクモ関連情報の番人とは、彼のことを指す。
「年を取っているからごまかせると踏んだのだろう。舐められたものだよ」
そう言って口元を尖らせたヨツミの外見年齢は、どこからどう見ても20代後半~30代後半にしか見えない。70年近く前に世界を救った英雄だと言われても、誰も信じないだろう。
いいや、ヨツミだけではない。嘗てムラクモ13班に所属し、ニアラとフォーマルハウトを撃破した面々は、外見年齢が当時のままで固定されてしまっている。勿論、ミカゲもだ。
対竜研究をしているミカゲとヨツミの教え子が「真竜の瘴気を真正面から浴びた副作用」だの「真竜の瘴気に適合した証」だのと語っていたけれど、真相は定かではない。
「……しっかし、持っていかれた情報を考えると、穏やかじゃないな」
「嘗て人竜や人類戦士と名のつくものと縁があったキミにしてみれば、黙っていられる問題ではあるまい?」
「ルシェクローンや人工生命体に関わっていたお前にとっても、だろ?」
「そうだな。生物兵器を作るという観点で見れば、人工生命に関する研究とも無関係とは言えん」
ミカゲとヨツミは顔を見合わせ、ため息をついた。
「知的好奇心は諸刃の剣だ。向けるべき矛先を間違えれば、多くの命が不幸になる。……もう、そんな悲しみや不幸を背負わせるようなことは、あってはならん」
「違いない。現に、それが原因で悲劇的な方向へ逸れた連中を、俺たちは見てきたからな」
「ミカゲ……」
ミカゲの言葉に、ヨツミは合点がいったのだろう。気遣うようにこちらを見返し――ヨツミの方がミカゲに気遣われていることを察すると、何とも言えなさそうに視線を逸らした。
ヨツミの脳裏に浮かんでいるのは、妻でありルシェクローンであるシラユキのことだろう。シラユキは元々、ATLコードと竜殺剣を扱うことを想定した殺竜兵器として生み出された個体だ。ヨツミはそんな彼女の世話役に任命されており、訓練関係やメディカルチェックも行っていたという。
しかし、シラユキはATLコードに適応することができず、竜殺剣を扱うことも不可能だった。所詮は失敗作なのだから、と、ヨツミの上司はシラユキに対して不当な暴力を行っていたらしい。肉体的な暴力、精神的な暴力、性的な暴力の3つが揃っていたそうだ。現代の法律でもスリーアウトチェンジものだ。
更に腹立たしいことに、そいつはシラユキを脅し、ヨツミに訴えられないようにしていたらしい。陰湿極まりないやり口に気づけなかった自分自身のことを、ヨツミは未だに許せないでいるようだ。……最も、この話はヨツミからまた聞きし、関連情報を見たもののため、ミカゲは詳細を知らないのだが。
「……シラユキ、大変だったらしいもんな」
「ああ。……私の場合は、運が良かったんだ。手遅れに等しかったが、シラユキが抱えてきた闇に気づいてやれた。彼女の手を引いて研究所を飛び出し、降りかかる火の粉を払うための力を開花させることができた。……それだけじゃない。シラユキは、伴侶として私を選んでくれたんだ」
「こんなに幸せなことはないよ」と、ヨツミは笑う。
拭えぬ痛みと悲しみを抱えた、影のある笑みだ。
しかし侮ることなかれ。この男は、「愛する人を守りたい」という一心で俊敏性Sランクを開花させたムラクモ13班員である。その一心で、ドラゴンやマモノ、マリナ以外の殺竜兵器としてシラユキを狙ってきたSECT11の連中をナイフで磔刑に処した男である。結果、「毒ハメは紳士的である」という謎の結論にたどり着いた、クセモノどもの1人であった。
「キミも、だろう? ……ナツメ総長と、タケハヤのこと」
「まあな。どっちも、俺の手の届かない所へ逝っちゃったよ」
対して、ヨツミがミカゲを心配したのは、異母姉ナツメ/人竜ミヅチと親友のタケハヤのことだ。この両名は、片や私利私欲で、片や愛する女を守るために竜へ至った人間たちだった。帝竜たちの検体から抽出したドラゴンクロニクルは、神に等しい存在へ至る鍵であり、竜を殺す力を有している。
すべてが御伽噺になりつつあるものの、世界の危機は去ったわけではない。最近流行り始めた謎の病――巷では竜班病と呼ばれている――を筆頭に、世界各地では緩やかに異変が起こっている。竜災害が再発する可能性は9割9分。しかし、歯がゆいことに、それがいつかは分かっていない。
「どうしてみんな、生物兵器の方に走るんだろ。ドラゴンクロニクルと言えば竜殺剣だってのに」
「生物兵器の方が現実的なのだろう。帝竜の心臓3つで、1回限り使用可能の竜殺剣だからな。コストパフォーマンスが限りなく悪い」
2021年に発生した竜戦役で使用された竜殺剣のことを思い出したのだろう。ヨツミは眉間に皺を寄せた。ミカゲも納得する。竜殺剣を用いてフォーマルハウトにとどめを刺したのは、他ならぬミカゲだ。竜殺剣の材料に、帝竜の心臓が最低でも3つ必要だということは知っている。その説明を、キリノから直々に聞かされたためだ。
ここ最近になってから、各地で帝竜が姿を現している。一般人には情報統制によって伏せられているが、各国のISDFが活躍し、被害を防いでいた。昔は帝竜相手でヒイコラ言っていたのに、時代は変わるものらしい。
技術の進歩によって対竜兵装が充実および発展してきたこともあって、“帝竜相手に総力戦”という時代は終わった。対竜武装の研究開発に取り組んでいたリョウスケの努力が実を結んだ賜物だろう。その担い手の育成に、ミカゲも全力を注いでいる。
「ついでに、竜殺剣という単語を鼻で笑う世代が増えてきた弊害かもしれん。……特に、甥っ子の教え子がな」
「ああ、アクツとか言ったっけ? そいつも『竜殺剣なんて御伽噺など信じない』派閥か」
「時間の流れとは残酷だな。こうして悲劇の教訓が薄れ、過ちは繰り返される……センチメンタルな気分になってしまうよ」
良くも悪くも、時代は動くものらしい。ヨツミの眼差しは、遠い所へ向けられていた。
瞳には強い憂いが滲んでいる。その気持ちは、ミカゲも理解できた。
これでは、若い世代に未来を託して隠居生活なんてできやしない。ヨツミは苦笑した。
「死ぬ前に、まだ一仕事ありそうだな。隠居は遠いという訳か」
「その意見には同意だ。後輩の育成と一緒に、人間兵器開発なんてモンを止めないと」
「……ミカゲ、キミは変わったな。嘗てのキミもまた、人類戦士の正統な候補者だったろうに」
ヨツミは懐かしそうに目を細める。ミカゲは肩をすくめた。
「今でもずっと、思ってるよ。『俺がきちんと人類戦士になって、きちんと死んでいればよかったんじゃないか』って」
「その言葉、間違ってもキミの伴侶に聞かせてはいけないぞ」
「分かってるよ。ユイ怖いし」
眉間に皺を寄せたヨツミに、ミカゲはへらりと苦笑する。
渡来家はカカア天下だ。息子が嫁を迎えて/婿に嫁いでも、娘が婿を迎えて/嫁として嫁いでも、結局女性が主導権を握る。
その系譜の始まりは、十中八九ミカゲとユイの関係性だろう。喜ぶべきことか、悲しむべきことかは分からない。
“「丸く収まっているから幸福なんじゃないか」という見解で落ち着いている”という現状だ。ミカゲは苦笑した。
「それに、今こうして生きてなかったら、こんな風に思えないだろ」
嘗ての
ミカゲは最初から、すべてを諦めてきた。家族も、恋人も、友人も、作ってはいけないと思っていた。どうせ自分は兵器として死ぬことが確定しているわけだし、自分と友達/恋人/家族になった相手を悲しませてはいけない。むしろ悲しませたくない。だから、人間関係では表面上無関心を装ってきたのだ。
幼少期から、異母姉のナツメに『お前なんか生まれてこなければよかった』や『お前さえ居なければ、自分は幸せになれたのに』と言われてきた。今の自分であれば、それを精神的暴力と言えるだろう。だけど、当時の自分は、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。「生まれてきてごめんなさい」と、常に考えていた。
都庁で行われた選抜試験で出会った面々を13班に加え、一緒に戦ううちに、自分に与えられた役目を忘れられた時間があった。最初はうっかりだったけど、都庁の集団失踪直前頃からは本気で忘れていたと思う。これからも仲間と一緒に居たいと、死にたくないと思うことが増えた。一緒に居られるのだと、本気で信じてしまっていた。
姉の暴走で責任を取ろうとし、仲間たちに無断で死にに行こうとしたことがある。1回目は串刺しにされて返り討ちにあったが皮一枚で繋がり、2回目は同じことを考えていたタケハヤにバレて鍵の争奪戦――一騎打ちをした果てに敗北し、阻止された。
その際に派手に狼狽して取り乱して叫び散らした結果、鬼の形相になった未来の妻(当時の時点では恋人ですらなかった)から詰問されたときの修羅場は忘れられない。勿論、洗いざらい全部話す羽目になり、何とも恥ずかしい思いをすることになったが。
(俺みたいなバカを見捨てず、傍に居てくれた人たちがいた。俺みたいなバカのために泣いて、笑ってくれた人たちがいた。終いには、そんなバカを愛して、「生まれてくれてありがとう。生きてくれてありがとう」と言ってくれた人がいた。――そうして、大切なものが沢山できた)
ミカゲは、自分が手にした奇跡/誤算の数を数える。13班の戦友、愛する伴侶、自分を慕う後輩たち、未来を担っていくであろう教え子/孫たち――何もなかった己の手の中には、溢れんばかりの希望で満ちている。なんて幸せなことだろう。
たとえ兵器として生まれ落ちても、意志と心がある限り、感情からは逃れられない。誰かを想い、誰かに想われる悲しみや苦しみ、そうして、喜びから逃れることはできないのだ。ヒトである限り、心を断ち切ることなどできやしない。
痛いものは痛いし、苦しいものは苦しいし、悲しいものは悲しいのだ。兵器だから傷つかないわけじゃないし、兵器だから傷ついていけないわけでもない。常に平気でいなければならない訳でもない。想いを無視されることがどれ程苦痛なのか、ミカゲは嫌と言う程知っている。
ミカゲの想いを理解したのか、ヨツミは目を伏せた。琥珀色の瞳は、憂いが溢れてしまいそうだ。
「……敢えて言おう、ミカゲ。私は
「ヨツミン……」
「最も、この言い分は、“生み出す側”の詭弁だ。……そして、人類戦士関連の資料を盗んだ相手にとっては、生ぬるい理想論でしかないのだろう」
ヨツミは大きく息を吐いた。彼の願いは、ミカゲの過去とシラユキの過去が根底にある。特に、後者の影響が強いのだろう。
生まれてきた命が幸せになってはいけないなんて理由はない。むしろ、生まれたのだから、幸せになっていいはずである。
「夢物語を語る人間が居なきゃ、未来なんて作れない。理想がなければ、ヒトは生きられないし生かせない。それを形にしたいと願うから、世界が動くんじゃないか」
「ミカゲ……」
「そういう奴こそ、次世代の人類を背負って立つ存在になるんだよ。ヨツミンの周りにも、そういう奴が居るんだろ?」
「――ああ、そうだな。甥の
嘗ての軌跡を思い返す。土壇場で才能を発揮し、道を切り開く発明を生み出してきた2代目総長キリノと技術班の人々。13班を全力でバックアップしてくれた自衛隊やSKY、SECT11や政治家、そして都庁/議事堂の避難民たち。彼らが居てくれたから、ムラクモ13班は戦ってこれたのだ。
星が生み出した守護者、狩る者。凄まじい力を持っていると言われているけれど、本当に褒め称えられるべきなのは、13班をサポートしてくれた人々なのだ。良くも悪くも、彼らが運命を動かしてきた。13班は、彼らが動かした運命に乗って、絶望を断ち切ってきただけでしかない。
武器の担い手、作り手、理想の語り手――それらが密接に関わり合い、結ばれあったからこそ、人類は勝利を勝ち得たのだ。ミカゲたち13班はそう信じている。だから、13班員たちは各々の道に進みながらも、後継者の育成という点では密接に連携を取っていた。
『
『おいやめろ! エクゾーストサクリファイスはやめろ!!』
不意に、“那雲ミハルとミカゲの教え子が結婚するという話が出たとき、悲壮感を全開にしたヨツミがエグゾーストサクリファイスをぶちかまそうとしてきた”際のてんやわんやが脳裏に浮かんだ。どこで何が繋がるか、分かったものではない。
ミカゲたちが斃れた後にも、道ができる。その道がどこでどう交差するのかなんて分からない。
良いことだけではないのだろう。繋がってほしくなかった場所に行きつくこともあるのだろう。
(それでも、信じたい)
最後にたどり着く場所で、皆が笑いあえる未来があるのだと。
数多の絶望を踏み越えて、希望を手にした人々の想いを。
自分たちが見出した後継者たちが、光に満ち溢れた世界を創っていくのだと。
「ヨツミ博士ー! いらっしゃいましたら返事してください、ヨツミ博士ー!!」
「この声はトマリくんだな」
廊下から、若い青年の声が聞こえた。声色からして、かなり切羽詰っているらしい。名前を呼ばれたヨツミはゆるりと笑い、ミカゲに背を向けた。
「じゃあ、俺も戻るわ」
「ああ、達者でな」
「お互いに」
ひらりと手を挙げて会釈し、ヨツミは廊下の向こう側へと消えていく。
その背中を見送ったのち、ミカゲも彼とは反対方向へと歩き出した。
■■■
「――誰にも、私の邪魔はさせない」
腹部に衝撃を感じたのは、その言葉が放たれたのと同時だった。一歩遅れて激しい痛みが体を蝕む。――ここでようやく、那雲ヨツミは、“自分がその人物に刺されたのだ”ということに気がついた。
嘗てのムラクモ13班とはいえ、ヨツミは竜戦役終了後にさっさと元の研究畑に戻ったタイプだ。戦闘能力は健在であるものの、マモノに対する自衛手段と、定期的に行われるタケハヤの老老介護で使うくらいだ。
それに、目の前の人間は、ヨツミにとって(甥を通じた)旧知の間柄であった。嘗ての友人、日傘ナツメと同じ気配を持っているが故に、心配していた人物でもある。彼もまた、ヨツミと同じく研究畑の人間だ。
いくら英雄とはいえ、所詮、ヨツミはただの人間だ。S級能力者といえども、死からは逃れられない。無敵ではないのだ。
ヨツミは呻きながらも、必死になって踏みとどまろうとする。だが、身体に力が入らなかった。そのまま、地面に膝をつく。
「キミ、は……どうして……!」
「貴方が悪いんですよ、那雲ヨツミ博士。私の生命進化研究を否定し、邪魔しようとするからです」
「貴方はここで死ぬんですよ」――甥の教え子は、どこまでも冷ややかな眼差しでヨツミを見下していた。
手に持たれたナイフが鈍く光を放つ。
付着していたヨツミの血が赤黒く照らされた。
「……は。それは、悪い冗談、だな……」
性質の悪い悪夢のような光景に、ヨツミは思わず笑ってしまった。笑えない状況だからこそ、笑ってしまった。
「妻が……シラユキが、私の帰りを、待っているんだ……!」
だから死ねるわけがない。死んでいる暇はない。半ばのたうち回るようになりながらも、ヨツミは立ち上がる。
ドラゴンやマモノ、SECT11相手にナイフ1本でサバイバルしてきたときと状況が似ていた。あのときも、相当切羽詰っていたか。
妻の元へ帰る――それは、ヨツミを奮い立たせる絶対的な理由だった。ヨツミを突き動かす意志そのもの。
それを見た甥の教え子は、地べたを這う虫けらを見るような眼差しを向けた。まるで、帝竜フォーマルハウトが人類のあがきを馬鹿にしているかのような視線である。ぞくりと肩が震えた。フォーマルハウトのときは一切億さなかったのに、だ。
絶対的な終焉――それは、絶望を伴って近づいてくる。ヨツミは縫い付けられたかのように動くことができない。人竜になったナツメ/ミヅチに、成す術もなく串刺しにされた友人のことが頭によぎった。彼も、もしかしたら、今のヨツミと同じ気持ちだったのかもしれない。
「『人類こそが、この宇宙で優秀な生命体である』……私はその持論を証明するため、確固たる意志を持って、生命進化研究を進めてきた」
夜の空気を切り裂くように、甥の教え子の声は朗々と響き渡る。彼を突き崩す力を、今のヨツミは持ち合わせていない。
「貴様のような老人が語るバカらしい理想も、夢物語も、御伽噺も、もう必要ない。ニセン世代はもうすぐ終焉を迎え、新たなる時代が幕を開ける」
彼がこちらに歩み寄ってくる。
ローファーの靴底が石畳を打つ、軽やかな音がやけに響いてきた。
「貴方には、新たな夜明のための礎として、犠牲になってもらう」
鈍い光を放つのは、彼が持つナイフだったのか。
それとも、
――もう、ヨツミには分からない。
「だから、貴方は、夫人の元へ帰ることはできないんです」
刃の切っ先は、ヨツミの心臓に向けられる。
「――さようなら、前時代の英雄」
彼が降り下ろした刃は、ヨツミが抱いていた『シラユキの元へ帰る』という意志/願いを、木端微塵に打ち砕いた。
■■■
那雲ヨツミが(表向き)不幸な事件で亡くなってから、ISDFは不穏な空気を漂わせるようになったと思う。ミカゲの予感は間違っていなかったようで、彼亡き後、ムラクモの研究資料は本当の意味でISDFが独占徴収してしまった。
相変わらず以前の件は握り潰して放置したままだし、最近は更に怪しい計画が進んでいるようだ。“ヨツミが目をかけていた若い研究者がトラブルを起こしてISDFを辞めた”という噂や、“ヨツミの甥が殺竜兵器の研究に携わっている”という噂もある。
「ISDFも一枚岩じゃないってことか。……絶対権力は、腐敗すると碌なことにならんからな」
ミカゲの脳裏に浮かぶのは、国の権威を取り戻そうと躍起になっていたアメリカ大統領、デイビッドだ。殺竜兵器をめぐるいざこざを思い出し、頭が痛くなった。負けたら殺竜兵器/マリナから手を引くと言いながら、負けた後無様に喚き散らした姿が脳裏に浮かぶ。
その後、彼は本国でフォーマルハウト襲撃時の無能っぷりをなじられて肩身の狭い思いをしながらも、最後まで狸を貫いていたか。ルシェ脅威論といい、ISDF結成時のゴタゴタといい、最後の最後まで嫌な奴だった。政治家があまり好きになれない理由の1つである。
政治家という生き物は、どうして内ゲバばかりしているのだろうか。ムラクモの味方になってくれる人たちも沢山いたけど、敵に回った連中のしつこさの方が印象に残りすぎている。特に、オケアヌスの酸の雨で議事堂が大変なことになっていたのに、予算問題だなんだで証人尋問してきた派閥とか。
「おじいちゃん、どうしたの?」
「ん? ――ああ、イノリか。おかえり」
欝々としたミカゲの思考を断ち切ったのは、孫の渡来
彼女の両親/娘夫婦は、物心つく前に事故に巻き込まれて亡くなっていた。ミカゲはイノリの親代わりとなって、一緒に住んで生活している。去年見送った妻・ユイの面影を強く残したイノリは、芯が強く優しい子に育った。
……正直、ミカゲの孫というより、ユイの孫と言った方が正しいような気がする。立ち振る舞いも、佇まいも、笑い方も、包容力や器の大きさも、ミカゲとは大違いだからだ。自分に似てダメな奴にならなくて本当に良かった。
「こんにちわ、お邪魔します」
「……こんにちわ」
「こんにちわ!」
「お。
イノリの後を追いかけるようにして続々やって来たのは、赤茶色の髪に赤い淵の眼鏡をかけた少年――東雲リヒト、顔半分を黒いマスクで覆った少年――風間ソウセイ、眩しい金髪が印象的なルシェ族の少女――那雲シキの幼馴染たちだ。この3人はイノリと同じ歳であり、とても仲がいい。
リヒトは現東雲財閥社長の末っ子だし、ソウセイはリョウスケの、シキはヨツミとシラユキの孫である。13班員が次々とこの世を去って行く中で、残されたのはミカゲ1人だけだ。今は、自分が見出した教え子や孫たちの行く末を見守ることが、生きる理由となっている。
この4人は、旧政府の分類で言う“S級能力者”たちだ。本人はまったく自覚していないし、ミカゲも、今はまだそれを話すつもりはない。ISDFのデータバンク辺りには「要人」として登録されているだろうが、教え子や関係者たちが目を光らせているため迂闊には動けないだろう。
「おじいちゃん、稽古つけて!」
「僕もお願いします、ミカゲさん」
「……お願いします」
「私も!」
ミカゲの心配など知る由もなく、後継者と孫たちは遠慮なく群がってきた。ミカゲは思わず苦笑する。
「稽古の前に、まずは宿題をやろうな」
「えー!!」
ミカゲの提案に対し、4人はブーイングで合唱した。「宿題をしない子には稽古をつけない」と言えば、4人は渋々鞄から宿題を出してテーブルの上に広げる。座布団の上に思い思いの体勢で腰かけ、後継者たちは宿題を始めた。
始めるまではぶつくさ文句を言っていたけれど、始めた途端、4人は恐ろしい程の集中力を発揮する。鋭い眼差しを見ていると、戦場で共に戦った仲間たちの姿を連想するから不思議なものだ。ミカゲは目を細めつつ、4人の邪魔にならないように部屋から出た。
そのまま別の部屋へ移動し、テレビを点ける。丁度、ワイドショーをやっていたらしい。
『この度、研究所長に就任したアクツ氏にインタビューを……』
テレビに映し出されていたのは、渡来邸の近辺にあるISDF関連の研究所だ。情報処理能力Sランクの力を駆使して調べてみたが、どうやら生命進化研究に関する施設らしい。そして、研究所の所長になったアクツは、
アクツについては、何やらキナ臭い話題が多い。火のないところに煙は立たないわけだから、裏では法律の抜け穴を使い、好き放題やっているのだろう。彼に反対意見を述べていた政敵や研究者たちは、軒並み職を失っている。場合によっては命を落とした者、死んだも同然な状態になった者もいた。――丁度、彼の計画に反対した那雲ヨツミのように。
証拠はすべて揃っている。予備のバックアップやその他諸々は、親愛なる総長さまに預けておいた。彼ならば、ISDF/アクツからマークされないだろう。ただ、彼がミカゲの集めた証拠資料を公表してくれるかと言われると、素直に頷くことはできない。彼は可能性という言葉が大好きで、その言葉が絡むと黙認してしまうという残念な短所があるからだ。
でも、そこが総長さまのいいところだ。彼ならば、ミカゲがいなくなった後、人類戦士計画で生まれ落ちた命を慮った判断を下してくれる。
勿論ミカゲも全力を尽くす。生まれ落ちた命が絶望することのないように、だ。決意を込めて、ミカゲは手を握り締める。
そのタイミングを待っていたかのように、宿題を終えたイノリたちが部屋に雪崩れ込んできた。
***
報復が来ることは予想していた。そのやり口は本当に悪質である。
『丁度、研究所からマモノの検体が脱走したんですよ。色々とてんやわんやで、討伐隊はこちらに回せないそうです』
『――そういえば、貴方の大事な
ミカゲ本人を狙うならまだしも、ミカゲの孫や13班の系譜を継ぐ者たちを狙うとは。奴のやり口は“本人に害を与える”パターンが多かったため、そちらに注意を向けていたのが仇になった。ミカゲは舌打ちしながら、得物を片手に駆ける。
「イノリ! リヒト! ソウセイ! シキ!」
後継者たちの名前を叫ぶ。返事はない。嫌な予感が頭をよぎる。
散々命を取りこぼしてきたミカゲだけれど、失いたくないものがあった。
これからの未来を切り開いていく、可能性を秘めた希望たち。
孫たちの姿はすぐに見つかった。みんな血まみれの傷だらけで、ぴくりとも動かない。おそらく気絶しているだけだろうが、このまま放置すれば死に直結する。
早く治療を施したいのだが、ミカゲの目の前には異質なマモノが佇んでいる。見た目はどこにでもいるラビであるが、体格はミカゲと同じくらいで、爪と牙が異常に発達していた。
(――っ!!?)
悪寒が背中を駆け抜ける。狩る者としての本能が、派手に警笛を上げた。
(ただのマモノじゃない……! こいつ、竜因子が組み込まれてる!!)
真っ先に浮かんだのは、都庁で発生した集団失踪。住民を誘拐するために用いたのが、ロア=ア=ルナの因子を組み込んだマモノである。見た目はブンブクやムジナとよく似ているが、奴の能力はブンブクやムジナ如きではかれるようなモノではなかった。METALポンポコというふざけた名前に反して、奴は腹立たしい程厄介な相手だった。睡眠攻撃と2回行動――思い出すだけで頭が痛い。
今、ミカゲの目の前にいるラビは、複数の帝竜検体だけでなく、雑魚ドラゴンの因子も組み込まれているのだろう。S級能力者でも、イノリたちのような未熟な者たちでは太刀打ちできない。ミカゲですら難しいだろう。
人類戦士計画がどのようなものか理解していたミカゲであるが、その前段階でここまで悍ましいマモノを生み出し、報復のために使うとは思わなかった。嗚呼、技術の進歩とは素晴らしい。おかげで今、物凄く泣きたい気分である。
「――取捨、選択……」
ミカゲの口から、自然とそんな言葉が出た。
何を守り、何を犠牲にするか。頭の中で天秤が傾く。
守るべきものは決まっている。犠牲にすべきものも、だ。
『
『おいやめろ! エクゾーストサクリファイスはやめろ!!』
昔、ヨツミと繰り広げたやり取りが脳裏をよぎった。あのときは馬鹿らしいと思っていたが、今、自分が行える最良はこれしかない。
その前にやるべきことはある。ミカゲは躊躇うことなく、己の力を解き放った。周囲にマナが収束する。自身のマナを代償に、奇跡をここに具現させる。
「――っ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ありったけのマナを解き放つ。美しい羽根が広がり、温かな光が舞った。サイキックの秘奥義――キセキの代行者である。ありとあらゆる傷を治し、息絶えたものを呼び戻す禁術だ。
弾けた光は、倒れ伏したイノリたちの傷をあっという間に癒していく。苦しそうな呼吸は、穏やかな寝息に変わった。その事実に安堵する。ミカゲがイノリたちに意識を向けていたとき、マモノが襲い掛かってきた。即座に刀で受け止めるが、刀は真っ二つに折れた。
舌打ちしつつ、ミカゲは即座に新たな得物――二丁拳銃で応戦する。エイミングショットの必中効果で着実にダメージを重ねていくが、手数は相手の方が上だ。ハイディングで身を隠そうにも、奴の狙いは即座に孫に変わるため、できない。おまけに視界を奪うこともできなかった。
そのとき、視界の端でイノリが身じろぎした。まだ夢心地なのか、彼女はぼんやりとミカゲの方を見つめている。「……おじいちゃん?」――その声に反応したのか、マモノはミカゲからイノリへと狙いを変えた。ミカゲは迷うことなくイノリを庇う。マモノの牙が、ミカゲの肩に深々と食い込んだ。
「ぐ……!」
「おじいちゃん!」
「――来るな!」
ミカゲが傷ついたのを目の当たりにしたイノリが、慌てて双剣を構えようとした。ミカゲはそれを一喝し、止める。
イノリはびくりと肩をすくませた。マモノも一瞬身を竦ませると、怯えるように後退りする。ミカゲがエクゾーストを発生させたためだろう。
迸る力が、この場にいる者たちを釘付けにする。エグゾーストの殺気に影響されたのか、リヒトたちも目を覚まし、現状に息を飲んでいた。
「――大丈夫」
ミカゲは、イノリたちに視線を向けて、微笑んでみせた。
「おじいちゃんが、守ってやるから」
それは、揺らぐことのない意志だ。ミカゲと13班の後継者にして、これからの未来を切り開いていく希望たち。それを、絶対に守り抜く。
ミカゲは沢山のものを犠牲にしてきた。ナツメ、タケハヤを筆頭に、考えると本当にきりがない。そうしていつか、自分も犠牲になる日が来るのだろう。
予感は見事に的中し、それがこの瞬間なのだと分かっていた。自分よりも先に逝ってしまった年上の同僚の姿が頭に浮かぶ。――彼も、同じ気持ちだったのかもしれない。
ミカゲは躊躇うことなく、マモノへと突っ込む。マモノは悲鳴を上げたきり、逃げの動作に入らなかった。
「――俺の希望に、手ェ出すんじゃねぇぇぇぇぇええええええええええええッ!!!」
体当たりがクリーンヒットし、ミカゲとマモノは崖から落ちていく。
一歩遅れて、文字通りの自爆特攻が発動した。爆薬の熱と白い光に視界が焼かれる。
マモノの断末魔がか細くなっていき――ミカゲの視界は、完全にブラックアウトした。
■■■
何をすればいいのか、どうすればいいのか、少年には何もわからない。
ただ、今、目の前で泣きじゃくる少女の涙を止めてやりたかった。
少年は無言のまま、少女の隣に寄り添う。奥の方では人々がざわめいている。誰かの陰口や怒鳴り声がひっきりなしに響いてきた。
祭壇の上には、快活に笑う青年の写真。遺影に使うには場違いなのではなかろうかと思うような写真だ。あとは仏頂面や間抜け面など、葬儀に不適切な写真しかなかったという噂話を聞く限り、仕方ないことなのかもしれない。
周りの人々は噂する。「彼は、少女たちを庇って命を落としたのだ」と。彼がどれ程素晴らしかったのか、どれ程敵に回したくなかったのか。中には、その彼が庇った少年少女たちの価値を疑問視する声もあった。近代神話の英雄を惜しむ声が止まない。
「みんな言うの。“お前じゃなくて、おじいちゃんが生きていたらよかったのに”って。……そんなの、私が一番分かってるよ……!!」
少女はそう言って、ぼろぼろ涙をこぼしていた。
自分の価値を探すその姿を、どうしてか、少年は放っておくことができなかった。
普段は他人のことなんて気にしないのに、彼女から目を離すことができなかった。
「だったら、キミが証明すればいい」
少年は、当たり前のことを言った。
「彼が命を賭けて救う価値が自分にはあったのだと、証明すればいい」
少年の言葉を聞いた少女が、ぴたりと動きを止めた。
「……証明、する?」
「そう。そのためには、キミはもっと強くならなくちゃいけない。こんなところで泣いているような暇なんてないんだ」
少年はそう言って、ハンカチを差し出す。少女はおずおずとそれを受け取った後、ハンカチで涙を拭った。すん、と、最後に小さく鼻を鳴らして、彼女はまっすぐ前を向く。
涙にぬれて途方に暮れていた空色の瞳は、揺らぐことのない意志で満たされていた。少年は一瞬、呆けてその瞳に釘付けになる。目を離すことは、できなかった。
「――ありがとう」
少女はにっこりと微笑む。ハンカチを洗って返すという彼女に、返さなくていいと返答した理由は分からなかった。
丁度そのタイミングで、少年を呼ぶ声が聞こえた。少年は声の主の元へ行こうとし、寸前、少女に手を引かれる。
意味が分からず、少年は一応その場に留まった。少女は庭先に出ると、花壇に咲いていた花に手を伸ばした。
小さくて可憐な花。薄く雪を被ったかのような白い花だ。
少女はそれを一輪摘むと、少年へと差し出す。
ますます意味が分からない。少年が首を傾げると、少女ははにかんだ。
「これ、あげる」
「……うん。ありがとう」
少年は彼女を直視できなくて、ふいっと視線を逸らした。そのタイミングで、少年を呼ぶ大人の声が鋭く響く。少年は無感動のまま、大人に連れられて家を後にした。
車に乗り込んだ後も、少年はじっと、白い花を眺めていた。この花の名前は確か、エーデルワイスと言っただろうか。スイスの国花であり、今の季節が見ごろの花。
少女はどうしてこの花を差し出したのだろう。庭に生えていたからか。自分の問いに自分で答えながら、少年は白い花を見つめていた。
――以来、少年は、彼女に会っていない。
***
「ん……」
懐かしい夢を見たような心地に、思わず微睡んでしまいそうになる。けれど、そんな誘惑に浸る暇も、意味も、価値もありはしない。青年は迷うことなく夢心地を振り払うと、勢いよく体を起こした。
カーテンを開ける。朝日はまだ出ていないため、外の様子はまだ薄暗い。青年は時計を確認する。只今の時刻は午前5:00。毎朝起きる時間には変動がない。いつもと変わらぬルーチンワークが今日も始まるのだ。
青年は手早く身なりを整えた。ISDF特務部隊の制服を身に纏い、鏡で自分の様子を確認する。顔色は悪くないし、体調に異常はない。体調管理もまた己の重要な任務だ。
朝食前の早朝訓練に向かおうとして、一冊の本に目を留める。正確に言えば、本に挟まっている栞にだ。必要最低限のものしか置かれていない青年の持ち物の中では、あまりにも異質なモノ。
青年は引き寄せられるように、本のページを開いて栞を手に取った。エーデルワイスを押し花にし、ラミネート加工した手作りの栞。上部には穴があけられ、空色のリボンが結ばれている。
奇妙な懐かしさと親近感。惹きつけられてしまったかのように、栞から目が離せない。脳裏をよぎったのは、泣いていた女の子の横顔だ。その子がこちらを見て目を瞬かせ、柔らかに笑ったときの表情。
(……なんだ、これ)
胸の奥底に明かりが灯ったような心地になる。それが何なのか理解できなくて、青年は思わず首を傾げた。
これが感傷というモノならば、浸っている暇も余裕も意味も価値もない。青年は栞を本に戻す。しかし、その手つきは、貴重品を扱うかのように慎重、且つ、丁寧なものだった。
もう少し栞を眺めていたかった――不思議な名残惜しさに後ろ髪を引かれるような心地になったが、任務なのだから仕方がない。青年は名残惜しさを断ち切るようにかぶりを振る。
青年は部屋を出る。通いなれた廊下を過ぎて、早朝訓練を行う訓練場へと足を踏み入れた。人の姿は、青年の上官以外見当たらない。それもそうか、早朝訓練の開始までもう少しだけ余裕がある。
「おはようございます、ヨリトモ提督」
「ああ、おはようユウマ」
上官――
圧倒的なフラグ回。
犠牲があったからこそ成り立つ今があって、その犠牲がなければ存在できない命もある。
自分が生まれ落ちたときに支払われた犠牲に、自分は釣り合う/見合うような存在だろうか。