板張りの床を踏み鳴らす音が響く。
武道経験者ならば聞き覚えがあるであろうそれ。
震脚が床を踏み鳴らすあの音。
それが断続的ではなく連続的に鳴り響く。
「ぬんっ!!」
恐るべき速度と威力で掌底が繰り出される。
生半可な防御や回避などではあっさりと貫通されてしまう程のそれ。
それを手で優しく触れて受け流すことで自分にダメージを負わされることを防ぐ。
二流の存在であるならばこの回避で隙を見せていただろう。
だが相手は超一流とも呼ぶべき存在。
この程度では崩れるどころか焦ることすらなく次の一撃を放ってくる。
攻撃を受ける側としては一撃一撃が必殺の威力であるというのに、それを恒久的とも思える長さで繰り出して来るのだ。
いくら模擬戦とはいえども応えるものがある。
そんな一瞬の隙をついたのか意識の外から非常に鋭い一撃が降り注いだ。
「……っ!!」
ほぼまともに掌底が胸部に入る。
それに伴い強制的に外へと吐き出される肺の空気。
あまりの衝撃と出て行ってしまった空気のせいで一気に暗転しかける意識。
――――っざっけんな。
一撃を喰らった程度でリザインすることになってたまるかと、飛ばしかけた意識をどうにか根性で保ってカウンターとばかりにフックを繰り出す。
攻撃がヒットしたあとの硬直の為か一瞬といえども動けなくなっていた相手にそれは直撃する。
肋骨と肋骨の狭間。そして腹筋の少々上。鳩尾、そこに打撃は完全に直撃した。
「ぐぅ……!」
漏れる苦声。
鳩尾は人体の急所の一つだ。
腹筋を鍛えればある程度はカバーできるとはいえ、それでも苦痛を与える急所であることには変わりはない。
そこを突かれては流石の化け物的な実力を持つ存在であろうとも苦悶の声を漏らさずにはいられないのであろう。
だが、それでも与ダメージを考えるのであればこちらが圧倒的に不利だ。
鳩尾に一撃入れたとはいえ、体格差が激しすぎる。体重で言えば当方と先方で2倍以上も違うのだ。
いくら被弾部位が胸筋に守られた胸部であったとはいえ、そんな相手から与えられた一撃が重くない訳がない。
弱点に一撃入れたことを考慮したとしてもそれを補ってなお余りある被ダメージ。
一瞬たりとも気を抜くことが出来ない一進一退の攻防が続く。
つくづく思う。
あと体重がほんの10キロ重ければ、あと身長がほんの10cm高ければ、それだけで威力のある攻撃が生まれるというのに。
ーーー体格差って本当に不利だ。
その一撃以外、お互いに有効打を入れられずに訓練は終了した。
「その歳でその実力。大したものだ」
タオルで汗を拭く俺に、土宮雅楽がそう話しかけてくる。
俺が今いるここは土宮家の修練場。
退魔士最強一族と言われている土宮本家に俺はお邪魔しているのだ。
「いえ、俺なんか他の方々に比べればまだまだですよ。諫山黄泉や各支部の室長候補に選ばれるような人材には到底及びません」
俺と結構な死闘を繰り広げていたと思うのだが、しれっとした顔をしてこちらを見つめる土宮雅楽。そこに先程までの激闘の疲労の痕跡は残っていないかのように見える。
やはりこれが実力の差というやつなのだろうか。なかなかに良い試合をしていたように思えたのだが、実は結構手加減をされていたのかもしれない。
「謙遜することは無い。お主は神童の名に恥じぬ実力を持ち合わせている。このまま弛まず精進していけばいずれ大成するであろう」
「退魔士最強と言われているお方にそう言ってもらえると励みになりますね。みんなの期待に恥じぬよう実力をつけていくつもりですよ」
雅楽さんから差し出されたお茶を礼を言って受け取り、腹を下すことも厭わずにそれを一気に流し込む。
火照った身体に冷たいお茶が一気に下って行く感覚。
あー美味い。このために俺は生きているのでは無いだろうかというほどには美味い。
……これが小麦色の、アルコールが入った炭酸飲料だったならばもっと心と身体に染み渡るのだろうなとあの液体に思いを馳せることを禁じ得ない。
俺はまだ未成年なので残念ながら我慢するしかないのが辛すぎる。ぶっちゃけるとばれなきゃ犯罪じゃないので、つーか俺が飲んでも別に俺が罰せられるわけでもないので飲む気ならいくらでも飲めるのだが、俺の体の健やかなる成長を妨げるわけにはいかないとの一心で我慢している。
某ゴールデンブリッジのハンバーガーだって、カップラーメンとか化学調味料が入った系統も基本的には食べないようにしてるのにまさか飲酒で健やかな成長を妨げるわけにはいくまい。
軒先に隣り合って座る俺と土宮雅楽。
普通なら中々ありえない組み合わせであり、あまり考えられない図であるのだが、今現在俺たちは奇跡のコラボレーションを成し遂げていた。
「時に凛。……対策室での神楽の様子はどうだ」
わざわざお代わりを注いでくれた雅楽さんがおずおずといった様子で俺に尋ねてくる。
……ははぁ。この人が手ずからお茶を注いでくれるなんてと驚いていたのだが、なるほど、これが聞きたかったのか。年上にこんなことを言うのは失礼だとは分かってはいるが、随分と可愛らしいことをするじゃないか。
「元気にやってるみたいですよ。俺は来週から正式配属で頻繁に顔を出せてないので直には見てないんですが、諫山黄泉から聞いてる限り楽しくやっているみたいです」
「……そうか」
そう言って思案顔で黙り込む雅楽さん。
その顔はいかにも我が子を心配する親って感じの顔で俺は思わずクスリとしてしまった。
喰霊-零-11話にて和解した時、この人は土宮神楽に対して「お前を愛しているが故にどう接していいかわからなかった」と述べている。
喰霊-零-を途中までしか見ていない人だと、この人のことを「刀の入った鞘で神楽を折檻したクソ野郎」ぐらいにしか思ってないみたいだが(俺の友達に至っては最終話まで観てもその反応だったので笑ってしまったが)、この人は実は神楽を深く愛しており、ただその愛を正直に伝えることが出来ない不器用な人であるだけなのだ。
「結構厳しく接していたみたいですけど、やっぱり神楽ちゃんが心配ですか?」
性格が悪いのは重々承知だが、それでもやはり聞いてしまう。
一度聞いておきたかったセリフでもあったため、いい機会だと思ったのだ。
雅楽さんに分かったかどうかは知らないが、かなり意地悪な響きを持った言葉だったと自分でも思う程には性格の悪い言葉であった。
諫山黄泉の性格が移ったのかもしれない。……こんなことを言うと諫山黄泉ファンに殺されそうではあるが。
「……うむ」
そんな俺のからかいに雅楽さんが返した言葉は不器用ながらも本心の溢れた一言であった。
「……神楽には辛い思いをさせたとは思っている。幼い頃から鍛錬、鍛錬の日々。幼い少女にあの毎日はさぞかし苦行の日々であったことだろう」
ポロリと零れる独白。
……この独白が聞くことが出来るのは喰霊-零-ではこの人が死にかけた時のこと。
恐らくだが神楽本人には素直になれずとも、俺のような第三者にならば思いの丈を話しやすかったのだろう。
「お主の言う通りだ。私は神楽に厳しい父親として写っていただろう。だが、それ以外に愛し方を知らなかった。死んでほしくないからこそ、厳しく接することしか出来なかったのだ」
厳しく接していたのはあくまでも愛していたから。
そしてそうする以外に自分の愛を伝える方法を知らなかったのだと。
「……思う時がある。なぜあの子は私の元に生まれて来てしまったのかと。普通の、争いなど知らぬような世界になぜ生まれて来てくれなかったのかと。短命が運命づけられた、そんな一族に何故生まれて来てしまったのだろうと」
そう土宮雅楽は言葉を漏らす。
愛している。我が子を愛しているが故に、生まれて来て欲しくなかった。
そんな二律背反。それをたまに抱いてしまうことがあるのだと告白する。分からなくはない。産まれて来ることは喜ばしいことだが、同時に産まれてきたからこそ退魔士の使命を背負わなければならないのだから。 卵が先か、鶏が先かと同じ議論。永遠に答えの出ない命題だ。
「あの子は幼い。この宿命を負うには早すぎる。……だが、土宮に生まれた以上そんな悠長なことは言っていられまい。否が応にもあの子は禍に巻き込まれる運命にある」
土宮は実のところ
アニメでは最前線に立って神楽が切り込んで行っていたことからあまり意識はされていなかったかとは思うが、実は土宮は一般的な退魔士とも多少違う位置にいる。
公の祭事には関わることなく、裏に回って荒事を担当する。
その荒事に必須となる「力」である喰霊白叡を維持継承するために捧げられた人柱。
それが土宮だ。
故に土宮には必ず荒事が付きまとう。しかも表の最大の家系である「帝」家の裏ともなる家系だ。その荒事のレベルは並大抵のものではない。
そしてそれを一番よく分かっているのは現土宮であるこの人と、今もまだ病院で眠り続けたままの純土宮である土宮舞だ。
それを理解している人の口から発せられる言葉には、俺のような15年も生きていないような若輩者には無い重みがある。
「……あの子を頼む。妻が倒れている今、私はあやつの傍に居てやることが難しい」
お役目に就く人間は多忙だ。それにも増してこの人は土宮であり、そして喰霊白叡を持つ現当主は今動けない状態にある。
それこそ、わが娘を守ってやれないほどには。
「……任せてください。レディーの1人や2人の人生程度、俺が支えてみせましょう」
少々恰好をつけてそう答える。
頼られたのは意外だった。遠回しに娘のことを聞いてくるかな程度に考えていたのだが、まさか俺相手に内心を吐露して、尚且つ頼むとまで言われるとは。
元より、俺の目的は
だから、その願いを聞き入れることに何の躊躇いも無い。
むしろ、その程度のことは、言われずともやるつもりだったくらいだ。
「……頼む」
「任されました」
お茶の入った茶碗を持ちながら、眼前に広がる池を眺めながら雅楽さんはそう返す。
俺も同様に真正面を見据えて雅楽さんを見ないでそう答える。
普通なら顔も見ずに会話を、しかもお願いをする会話で相手の目を見ないなど言語道断なのだろう。
だけど、この場だけはこれが正しい。
この会話の仕方で正解なのだ。
穏やかな風が流れる。
もう夏は通り過ぎて秋どころか冬に差し掛かっている季節。
それにしては温暖な、温もりのある風。
あと二年と半分だ。
穏やかな風を受けながら、俺はそう思う。
早まる可能性も往々にしてあるが、喰霊-零-の開始まで二年半まで接近した。
土宮神楽は無事諌山黄泉と義姉妹となり、普通の少女らしくなったということだ。
―――さて、俺も頑張りますかね。
寝てしまいそうな程気持ちのいい風だが、せっかくの機会をふいにするわけにはいかない。
立ち上がって伸びをする。
実は今日俺がここにいるのは親父を通してこの人から呼び出されたためなのだ。
元々手合わせをお願いしていたのだが、中々この人の都合が合わず、ずっと保留になっていた予定が今日ようやく施行されたといった感じなのである。
「さて、土宮殿。一服も済んだところでもう一戦お願いします」
雅楽さんからすればこの話の方がメインで、俺との鍛錬はサブであったのかもしれないが、俺からすればこっちがメインだ。
確かに結構へとへとだが、親父のしごきに耐え抜いてきた俺の体力は鍛えている大人にも引けをとらない自信がある。この程度で終わらせるつもりは毛頭ない。
それに―――
「依頼料がまだなので、これで払っていただこうかなーなんて思いまして。来週から国家の狗に成り下がるとはいえ、いまはまだフリーなので依頼人から代金を徴収しないといけないんですよ」
茶化してそう言う。
我ながらふざけた発言であるとは思うが、シリアスは苦手なのだ。
道化を演じて、笑いを取ってやろうじゃないか。
「……それも、そうだな」
土宮雅楽はふっと薄く笑って立ち上がる。
どうやら俺のジョークを解してくれたらしい。
道場に向かって歩き始めた土宮雅楽に付き添って俺も道場へと向かう。
言葉もなく向かい合うと、俺と土宮雅楽は組み手を再開するのであった。
……ちなみに余談ではあるが、全く疲れを見せないかのように振る舞う土宮雅楽から、俺は一本も取ることが出来ずにぼこぼこにされてその日を終えたのであった。
アーメン。
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