「……なん、ですかこれ」
「……これは。ここまでとは想像もしていませんでした」
眼前に広がるのは昼間とは思えないほどに暗く、澱んだ空気。循環という言葉を忘れてしまったかのように空気は重く閉鎖的で、圧迫的だった。
三森峠旧道。数十年前に使用が中止され、閉鎖された道路。
体を冷や汗がつたう。そこらじゅうから強い怨念を持った霊の視線をひしひしと体に感じる。もはやそれは物質的な圧力を持っているかのように俺達二人にのしかかってくる。
低級の霊の視線程度なんてことはないのだが、怨嗟のこもった上級の霊の視線となると話は別で、その視線や存在には現実世界への影響が伴い始める。自殺に選ばれるような場所というのは大抵そういった霊が存在し、その影響を受けて此岸から彼岸へと誘われていることが多い。
……普通ならそんな存在が一体いる程度で十分危険なのに、ここは何体いるのかすら予想がつかない。気候としては非常にのどかで、過ごしやすい気温のはずなのに、本能的に危険を察知してかそれは流れていく。
「……ここって災害指定レベルのスポットじゃないですよね?確かに色々噂はありますけど、対策室じゃ話題にもならないようなスポットだったと思うんですけど」
「私もそう記憶しています。決してこんなに危険なスポットではなかったはずです」
先程まで車内では気楽な雰囲気を見せてくれていた冥さんも完全に警戒態勢へと移行している。
チラリと冥さんの左腕に目をやる。先程からしきりに抑えたり離したりを繰り返したりして鳥肌を押さえ込んでいる。
こういった場には弱く無いと言っていた冥さんですらここの異常な霊気にはあてられてしまっているようだ。
確かに、この道は少々不気味ではある。
使われなくなって久しいせいで草木が道路にまで生い茂り、ガードレールは錆びてしまい、アスファルトも割れたり汚れたりして一種のそういったスポットになりえるくらいの雰囲気はある。
だが、これだけの異様さを放つ理由にはならない。
カテゴリーDが大量発生しているようなスポットでも、死んだ人間の霊が地縛霊として絡みついた土地であろうとここまでの雰囲気を出すことは稀有だ。少なくとも昼間からこれほどの霊圧を放つスポットは全くないといっても過言じゃない。
「これは確実に何かありますね。殺生石で無いにせよ、カテゴリー上位の怨霊か、どっかしらの阿呆な機関が絡んでいると考えて間違い無いでしょう」
「人払いの結界の中にこれだけの怨霊を集めているのですからそれは間違いないと思います。しかしそれを一体誰が……」
そのまま思考に浸る諫山冥。
人払いの結界。それがこの三森峠旧道を覆うように仕掛けてあった。
アニメや漫画でよく見るそれだが、当然のようにこの世界にも存在した。「人の目が向かなく」なったり、「近くにあっても」認知できなくなったりと特異点の隠蔽、人の意識を避ける事に重点を置く術式だ。
この三森峠旧道にもそれが仕掛けてあり、恐らくこれのせいで特異点たる存在がいるにも関わらず対策室は見逃してしまっていたのだろう。とはいえ、今のところ中から見てみても強大な特異点は観測されていないので俺たちが出動することになるかどうかはいまいちなところではあるが。
ちなみにこの人払いの術式はなかなか高度なものであり、使える者は少数であること、費用対効果が低いことなどから殆ど用いられることはない。
……逆に今用いられているということはそれだけの効果が認められることが行われているということだけどな。
「……何が起こってるんだ?これはいくら何でも異常だ。こんな心霊スポット、任務でも見た事が―――」
「―――お待ちください」
何気なく一歩を踏み出そうとしたところ、諫山冥に袖を掴まれて止められる。意外にも強い力で引き止められて少々驚く俺を、諫山冥は真剣な顔をして見つめてくる。
「どうしました?」
「この辺りに何か感じませんか?」
「この辺りですか?」
ぐるっと景色を見渡す。が、特に変わったことや異常な点はパッと見では見当たらない。むしろ異常な事しかなくてどれを言っているのかわからないレベルだ。
「……特に何も。むしろ異常ではない事が見当たらないくらいです」
「……そうですか。少々違和感を覚えたものでして」
そう言ってその端正な顔を俯かせて再度思考に入る諫山冥。
違和感か。そんなものあるだろうか。何度も言ってはいるが、むしろ異常な事ばかりだ。違和感しかこの空間には満ちていない。
こんな森のような道路で違和感を探すのはまさに森に隠された木を探すようなもの―――
そこでハッと気づく。ちょっとまて、おかしくないか。
「冥さん、俺たち20分は歩いてますよね?」
「ええ、車を降りてから22分が経過しています」
「やっぱり。冥さん。三森峠で
その言葉で諫山冥はハッとした顔をして俺の真後ろを見る。三森峠なんていうマイナーなスポット、普通は皆知らないレベルだ。名前のみならず更にそれの詳細なんて覚えている奴普通はいやしない。俺のような専門家もたまたまとある縁で三森峠を調べたという程度であったため、単純な事を忘れていた。
「―――トンネル、でしたね」
「ええ、流石です冥さん」
そう、本来ならこのスポットは
だが、歩き続けて10分以上。俺達はそのトンネルとやらをまだ拝んではいない。
いや、実際は違う。俺はゆっくりと後ろを振り向く。
そこにあるのは如何にも幽霊が出ますといった風貌のトンネル。ツタが絡み、明らかに古び朽ちているその外観。さっきまでずっと俺たちの目の前にあったこのトンネル。別にトンネルを覆うようにツタが生えていて見つかりにくかったとか、場所的に目に入りにくかったとかではない。
ずっと目に入っていた。このトンネルを、俺たちは何度も目にしていた。だが、俺達は
こんないかにもなトンネルを、何故か俺たちは思考の外へと追いやっていたのである。
誰だか知らないが、俺達でも気が付かないような人払いの結界を貼るなんてやってくれやがる。これが怨霊の仕業だとしたら黄泉とかクラスに厄介な相手じゃないのか?
それほどの怨霊が住み着いているのならばこのスポットがこれほどの魔境と化してしまっているのもうなづける。
トンネルに向かって歩いていく俺達。人払いの結界の中に、それ以上のクオリティの人払いの結界が張ってあるとは流石に予想もしていなかった。
「ちょっと見てきます。申し訳ないんですが、呼ぶまでここで待機しててください」
そう告げて人払いの結界に触れる。人払いの結界は人の意識をそれが張ってあるものから逸らすためのものだが、何らかの理由でそれが一度認知されてしまうと途端に効果が薄くなるという欠点がある。俺と冥さんはそれを認知したために人払いの結界は最早意味のないものとなってしまっているという訳だ。
そのまま結界内に押し入っていく。トンネルの入り口手前に張られたそれは潜り抜けるだけでも相当に上級な一品で、詳しく解析などしなくても十二分に相手の力量が伝わってくる。
術のレベルから言えば黄泉とか紀さんクラスじゃなきゃこんなのは張ることが出来ないだろう。詳細に分析したわけじゃないからあまり大それたことは言えないが、この結界、ただ人払いをするだけの効果を狙っているんじゃないように感じる。なんというか、人払いの効果以外にももう一個くらい効果が入っているような気がするのだ。
―――本当に、誰が張ったんだ?これ。
あまりに高性能な結界だ。俺と冥さんが認知をそらされるレベルだし、それ以外にも何かしらの機能を持っている。加えて外にはこれよりも大規模な結界が展開されている。この結界の展開が個人の仕業と思うのは中々難しいのではないか?などと思いながら一歩を踏み出したとき、身体の芯のほうから以前にも体験したことのある感覚が這い上がってきた。
ヘドロが心臓に纏わりつくかのような、ゲルの海で溺れるかのような、ドロドロとしていて剥がれることのない不快な感覚。本能的に近づきたくないとそう身体が、心が主張しているかのようなそんな感覚。
これを俺は体感したことがある。
あの夜に。あの森で。半年以上前、神楽の母を助けきれなかった時に。
俺はここでようやく結界が二重になっていた意味、二つ目の結界に施されたもう一つの機能の意味を理解する。
「―――おや、誰かと思ったらまた君かい?つくづく僕の邪魔をしに現れるね君は」
見慣れてしまった黒と青のコントラスト。その後ろに佇み悠然と笑みをたたえている、白い髪をした美少年。
半年以上も前にあった時と全く変わらない姿。
時間を切り取って保存しているかのように、あの時と全く変わらない。その外見も、憎たらしさも。
「……三途河」
三途河カズヒロが、トンネルの奥から現れた。
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「久しぶりだね小野寺凜。驚いたよ、見違えたじゃないか」
「そういうお前は見違えないな。成長という概念をママのお腹にでも落としてきたか?」
「やれやれ、前言を撤回させてもらおうかな。減らず口とジョークのセンスは全く成長していないみたいだ」
やれやれと口に出しながら皮肉気に首を振る三途河。
……一番可能性が低かったんだけどなぁ、お前の出現は。
こいつが出てくることは予測が出来ていた。というよりも真っ先に
ここが魔境になってたり、異常に高度な結界が張ってあった時点でこいつの出現可能性が上がったのは確かではあるけれども、こいつは出てこないのではないかと予想していた。
なぜなら
殺生石は一種の独特の魔力というか、独特の雰囲気を持っている。諌山黄泉が諌山冥に感じたような、霊力に敏感な人間であるなら何か違和感を感じる要素がある。
そして、俺はその違和感を感じる能力が殊更に高い。
何故だかはよくわからないが、近づくと身体が拒否反応を示し始める。それは嫌悪感であったり鳥肌であったりするが、どうやら俺は殺生石センサーとして超一流であるらしく、身体や精神の不調という形で殺生石の存在を感じることが出来るのだ。
それは封印処理のされた石でも問題がないらしく、土宮舞がICUから一般病棟に移された際も、病室の具体的な位置を知らないにも関わらず病室までたどり着けたほどだ。
「安心しろよ三途河。俺のジョークも今日で聞き納めだよ」
両腕に霊力を纏わせて具現化する。金色の刃。この前はこいつに届かなかった。でも、今回は届かせる。
「気が早いなあ君は。もう少しおしゃべりを楽しもうという気概はないのかい?」
「ないね。怨霊と会話をしてやる必要がどこにある?」
刃を出したまま、三途河に近づいていく。
濃厚に感じる石の霊力。この二つ目の結界をくぐった瞬間からその気配を雄弁に語り始めていた。
あの石の放つ霊力は膨大だ。例え一瞬の出現だったとしてもその反応は外界に瞬時に察知され、特異点として認知される。俺のセンサーは流石にそこまでの長距離で感知できる精度はないが、それでもこの森くらいなら感知できるはずだった。
だが、俺は全く感知できなかった。
目の前に居る赤ジャケットを油断なく睨みつける。一気に近づくのではなく、あくまでもゆっくりと距離を詰めていく。確かにそこに殺生石がある。……いや、正確にはそれだけじゃない気がするが、とにかくこの空間には一個以上のそれがある。
―――殺生石の気配も抑え込む結界ねえ。
二つ目の結界に感じた何らかの機能。恐らくそれは殺生石の気配を抑え込むものだと推測できる。そんな結界聞いたこともないが、封印処理を大規模な結界を蓋のように用いて行ったみたいな感じなのだろう。こいつがしていたのはそれの実験だろうか。
じりじりと歩み寄る。出来ることなら一気に距離を詰めてさっくり切ってやりたいものだが、こいつのことだ。こいつが居る暗いトンネルの中に何を仕掛けているかわからない。迂闊な考えで一気に近づいて地雷が炸裂するなんてことがあったら死んでも死にきれない。
「……へぇ。また一段と腕を上げたみたいだね。身のこなしだけで十分わかるよ。個人的な興味なんだけど、君のその力への欲求はなんなんだい?君ほどのそれを抱いている人間にはなかなか会ったことがないよ」
「さてね。男なら誰しも一度は世界最強って言葉に憧れるらしいぞ?それじゃないか?」
「あながちウソに聞こえないから判断に困るね。どうだろう?この石を使えばそれも夢じゃないかもしれないよ、小野寺凜」
「残念ながらチートってやつはあまり好きじゃないんだよな、俺」
徐々に距離が詰まっていく。左右の壁に虫の存在……確認できず。地面及びに天井……異常は確認できず。
細心の注意を払いながら、尚且つ警戒をしていないかのように振る舞いながら攻撃のチャンスを狙う。正直、ここでこいつを殺せるとは思っていない。トンネルみたいな遮蔽物がない空間での戦いは黄泉とか神楽のほうが向いているし、こいつに十二分に攻撃の準備のための時間や撤退のための時間を与えてしまっている。
だが、僅かでも殺せる可能性があるのならばやらなくてはならない。こいつは生きている限り、俺達にも人の世にも害を成す存在なのだから。
「それは残念だ。君とこの石は相性が悪そうではあるけど、間違いなく君には担い手の資質がある。君がこの石に魅入られるのを楽しみにしているよ」
「残念だけどそれは無理だろうな。石に魅入られてる頃にはお前はきっと彼岸で両親とよろしくやってるだろうさ」
その言葉に僅かながら三途河の表情が動いたのがわかった。こいつの行動原理は母親の復活。やはり両親のワードには反応しやすいのだろう。
「……相変わらずよく回る舌だね」
「そりゃどうも」
武装はどうだ?いつも通りだろうか。通り過ぎた所からも蟲の気配はどうか。蟲に強襲される可能性は排除しなければならない。
前方にほとんどのリソースを裂きながらも、後ろも決して警戒を怠らない。……本当に、巫蠱術って厄介すぎるよな。
「それにしても、いい仕事だ。流石は名家のお嬢さんだと思わないかい?」
「……はぁ?お前、何言って―――」
「―――ご苦労様、諌山冥。本当にいい仕事だよ」
ちょっと待て。なんでその名前が今お前の口から出て―――?
「っっつ!!」
どういうことか問いただそうとしたところ、三途河の言葉に続いて、鼓膜に直撃し、かつ腹の底に響くような轟音が鳴り響いた。次いで響き始める、コンクリートで出来たものが破壊され、質量のあるそれが地面へと降り注ぐ轟音。直撃したら一瞬で命が刈り取られる程の重量を持ったそれが次々に降り注いでくる。
―――くそが!!!
俺は諌山冥に嵌められたのか?そう考える暇もなく鳴り響く破裂音に内臓を震わせるかのような重低音。見なくても何が起きたかわかる。トンネルが爆破されたのだ。
後ろを一瞬確認する。三途河から意識を逸らすことは自殺行為に等しいが、後ろを確認しないことも同様だ。
一瞬ながらしっかりとトンネルの様子を観察する。次々と崩れてくるトンネルのコンクリート部分。だが、幸いと言えばいいのか、爆破されたのは本当に入り口の付近だったらしい。崩れてきているのは全体ではなく、入り口付近のみ。流石に300m以上あるトンネルが今ので全部壊れるとは思えない。
「―――!!」
瓦礫を回避しながら三途河へとダッシュする。
「相変わらずいい反応だね。でも、少し遅いかな」
遅くはない。三途河のいる位置は瓦礫が落ちてきておらず、俺は降り注ぐ瓦礫に一個も当たらずに、こいつの身体を切り裂いたのだから。
だが、遅い。
続く崩壊の音。そして伝わる空を切った手ごたえ。人型の青い蝶が周りを舞うなか、俺は舌打ちをしながら後ろを振り向く。
「やってくれる……」
そこにあるのは完全に埋まってしまった入り口。既に諌山冥の姿は見えない。
……よく生き残れたものだ。俺が先ほどまでいた辺りは瓦礫と土砂で殆ど埋められてしまっている。それに伴って太陽光が遮られ、トンネルはたちまち暗くなる。
『君なら生き残ってくれると思ったよ。期待を裏切らないね』
「……ぬかせ」
崩れたのは入り口付近だけ。だが、ここもいつまで持つのかわからない。もしかしたらこの先も崩れずに耐え続けるのかもしれないし、次の瞬間にも崩れるのかもしれない。恐らく、こいつが作業だかをするために確保しておいたのだろうが。救いは何故か僅かながらも稼働している電灯があるということだ。懐中電灯を持ってきているにはきているが、それ一つではこの状況では流石に心もとない。
『残念だけど、
その声に合わせて、突如として鳴り響くバイクの音。
『三竦みになりながら君と戦うのは避けたいからね。君の相手はそいつに任せることにするよ』
そういって、蝶は何処かへ消えていく。
俺と同じく、出口は塞がれているはずなのに、そんなことは関係ないと言わんばかりに何処かへ消えてしまう。そしてそれと共に消える不快感。それは殺生石が消えた、つまり三途河が消えたことを指している。
「……デッドエンドってやつか?」
だが、全てではない。心臓に楔でも撃ち込まれているかのような、身体の芯を乗っ取られてしまうかのような違和感はまだ消えきっていない。
軽快なバイクの音とともにそいつは姿を表す。
首なしライダー。このスポットで見かけられたという怨霊。一種の都市伝説。
……面倒なやつを残してくれたもんだな。
その胸に光るは赤い石。絶望の象徴たる九尾の狐の魂の破片。
あいつがここで何をしていたのかはわからない。大方、ろくでもないことをしていたであろうことはわかる。そして、一つ確実に言えることは、
「……ふざけんなよマジで」
殺生石付きの怨霊を、この視界も足場も悪い中で俺は相手しなければならないということだった。
※ちなみ、三森峠は本当に存在するスポットです。ですが、現在、三森峠のトンネルは埋められており、完全に見えない状態になっております。なので三森峠に行ったとしてもこのトンネルは見ることが出来ません。