「神楽、手を出しなさい」
「……はい」
カテゴリーDの襲撃を乗り切った後、俺と土宮殿、そして神楽に黄泉は近くにある神社に移動していた。
あれだけの数のカテゴリーDから一人の負傷者すらも出さずに乗り切った、非常に喜ばしい状況。戦果としては上々だったと言えるだろう。
普通ならば喜びの声が上がっていてもおかしくはない。俺と黄泉がセットだったことを抜きにすれば手放しで喜べる状況だ。称えられるべきことであるとは思う。
だが、この空間においてはそんな祝勝ムードは一切なかった。
夕暮れの赤に染まる美しい景色の中、俺と黄泉は緊張感に溢れた真剣な顔で二人のやり取りを見守っていた。
鉄でコーティングされ、高々と掲げられた鞘が、齢15にも達していない乙女の手へと振り下ろされる。
「……うっ!!」
「……っ!」
響く平手打ちのような、それでいてそれよりも重い音を孕む一撃。
見た目や音からは想像に難いことではあるが、これは相当に手酷い一撃だ。
日本刀の重さは1.5㎏が大体平均であり、プロ野球で使われている木製バットよりも0.5kgほど重い。それに鞘に入った舞蹴においてはそれよりも確実に重い。
さらにはその鞘の強度も折り紙付きであり、金属バットや木製バットと殴り合ったとしても余裕で勝利することが出来るだろう。
そんな破壊力を持った武器での一撃が両手の甲に振り下ろされたのだ。黄泉が思わず反応してしまっていたのも頷ける。単純な比較はできないが、言ってみれば木製バットで手を殴られるクラスのダメージだ。折檻にしては多少行き過ぎている。
「退魔師の家系に生まれた使命は知っているな」
「……はい」
問い、というにはあまりにも断定系なそれ。
問うつもりは元よりないのだろう。あくまでも再認識させるためのそれ。
なぜなら、俺たちがそれを忘れるわけがないのだから。
「その責任の重さも知っているな」
「……はい」
「ならば、精進せよ」
再度鞘が振り下ろされる。そして響く高いのに鈍い明らかに痛いとわかる壮絶な音。
神楽が苦しそうにうめく。当然だ。俺であったとしても呻かずに耐えきる自信はあまりない。
……正直、止めようかと思った。二回目の体罰は俺からしてみれば必要のないものだと思う。
こんな痛い仕置きは一発で十分だし、そもそも神楽だってこの状況になった時点で十分に反省している。それなのに追撃で仕置きを与えるのはやりすぎだと言っても過言ではないはずだ。
だが、これは神楽と雅楽さんの問題だ。
そこに部外者である俺が口を出すのは良いことだとは思えないし、それに神楽がどうしようもないミスをしたのは本当のことだ。
あそこで敵が切れないということは黄泉を、自分を見殺しにすることに等しい。結果として俺や雅楽さんが来たから問題はなかったが、最悪の場合二人はあそこで死亡していた可能性がある。
戦闘や過去に対して最良のifは考えるべきではないことが多いが、最悪のifは常に想定するべきだ。少なくとも俺はそう習ってきたしそうしてきた。
「土宮殿!」
神楽に折檻を残し、立ち去ろうとした雅楽に思わずといった形で黄泉が声をかける。
何を言おうとしたのだろうか。折檻についてか、それともついつい声をかけてしまったのだろうか。
「……強くなれ」
「えっ?」
「強くなれ神楽。お前が、死なぬように」
それに対する返答は、神楽に対して成された。強くなれと。退魔師の使命などではなく、神楽自身が長く生きれるようにとそう返答したのだ。
……はて。こんな会話、アニメであっただろうか。強くなれは言っていた気がするが、最後の一言が俺の記憶にない。
まあ喰霊-零-の記憶も結構薄れてきているし、俺の記憶違いだろう。もしかすると変わっている可能性もあるが。
「相変わらずスパルタですね、雅楽さんは」
下を向いて反省をしている神楽にちらりと目をやってから、軽い皮肉としてそう雅楽さんに声をかける。
俺の軽口に隣で黄泉と神楽が驚いているのがわかった。
無礼なことだし、父の娘を思っての行いに口を出すのは無粋なことではあるが、頑固おやじに皮肉の一つでも言いたくなってしまうのはわかってもらえるのではないだろうか。
「……そういうお主は相変わらず無茶をするな、凜よ」
「いやいや、あの程度無茶には入りませんよ」
バイクでの突入のことを言っているのだろう。
実際は結構ビビってたりしたのだが、それは内緒である。
特戦四課のバイカ―の方なんか首都高速から一般道に飛び降りるとかいう自殺行為にも等しいようなことを平然とやってのけてるぐらいだし、俺の今回の一件程度驚くには値しないでござろうというものだ。
「今日は助かりました。俺一人だったらどうなってたことやら」
「謙遜は美徳だが、行き過ぎると侮辱にもなる。お主程の実力者ならば謙遜はすべきではないぞ」
「黄泉ならともかく、俺はそうでもないですよ。足りない所ばかりで嫌になります。……それはそうと、華蓮の誕生日にまた色々貰っちゃったみたいでありがとうございます」
華蓮は春生まれであり、つい最近誕生日だったのだが、またしてもこの人から贈り物を頂いたのだ。
奥さんも入院していて、娘も離れて暮らしているというのに本当に律儀な人だ。
「新しい命を祝うのは当然のことだ。礼を言われる程のことではない。……守ってやるのだぞ、凜」
「言われなくとも。あの約束に関してもお任せください」
「ああ。頼んだぞ」
そう言って今度こそ踵を返す雅楽さん。
去っていくその姿にはやはり俺のような若輩者では追いつくことの出来ない貫禄が浮かんでおり、年月の重みを感じさせる。
「……凜ちゃんってお父さんと仲がいいんだね」
雅楽さんが去ってからしばらくして、ポツリと神楽がそう言った。
「結構鍛錬に付き合ってもらってるからな。ここ数年だと神楽よりも会話数多いかもしれない」
俺と雅楽さんの会話を聞いて複雑な顔をしている神楽。
実の父と自分が上手くいっていないというのに、俺のほうが気楽に会話を交わしているのが何となく腑に落ちないのだろう。多分俺も逆の立場だったならば同じことを思うに違いない。
「あの人不器用だからなぁ。他人の方が喋りやすいんだろうよ」
「……そう、なのかな」
「思春期の娘にどう接していいかわからない、っていうか娘にどう接していいかわからない父親なんてざらだからな。案外奈落さんみたいな人のほうが稀有なのかもよ?」
神楽の頭を軽くポンポンと叩いてあげる。
実際娘との接し方がわからない親父さんなんてそこそこの数がいるだろう。うちの親父がどうなるか見ものだ。
……まあ、それ以上に息子との接し方がわからないという親父も一定数以上いるのが現実ではあるが。
「さて、もう夕暮れだし帰ろう。神楽も手、痛いだろ?」
「そうね、神楽の手冷やしてあげないといけないし帰りましょうか。……でも神楽。この手の痛み、忘れちゃだめよ?」
神楽の手をさすりながら、黄泉はそう付け加えておくことを忘れない。
いざとなれば霊術も使えたし、万が一の状況に陥る可能性は極小であったとはいえ、それでもそうなる可能性がゼロであったわけではない。
退魔師は自分の命だけ背負っているわけではない。自分が死ねば自分の数倍、数十倍の命が失われる。
それは上位の退魔師になればなるほど顕著になる。それが、あの土宮であるのならば猶更だ。
「……うん、わかった」
殊勝に神楽は頷く。
神楽はまだ幼い。この年の子にこんな覚悟を背負わせるのは心苦しいが、この世界に生まれた以上そうしなければこの子が死んでしまうのだ。
今すぐにとは言わない。だが、割り切ってもらうしかないのだ。……相変わらず糞な世界だ。ここは。
「じゃあ行こうか、神楽、黄泉。……パンケーキ、食べにでも行く?」
ふと思い出したいつぞやの約束。なんとなくそれを提案してみた。
場にそぐわないことはわかっている。だからこそ提案してみたのだ。気遣いになっているかは怪しいが、一応俺なりの気遣いだ。
そんな俺の思惑に気が付いたのだろうか。優しい心を持った目の前の少女は、ぎこちないながらも今日再会してから初めて笑みを見せてくれた。
まだこの子はメンタル的に未熟なところが多い。俺や、黄泉、そして冥さんですらも精神的には大成していないのだから当たり前と言えば当たり前なのだ。
だけど、この子が強いことを俺はよく知っている。未来知識としても今までの3年間でも。この子なら大丈夫。きっと苦しみながらも乗り越えてくれる。
「……ふぅー。よし!青山行こう青山!美味しいとこやっちから聞いた!」
「え?」
「え?」
順に俺、神楽の「え」である。しばし起きる沈黙。深呼吸をしてからパン、と顔に喝を入れた後に発した神楽の一言に俺はしばし停止した。
「今から行くの?」
「いや、なんで凛ちゃんが疑問形なの?誘ったの凛ちゃんでしょ?」
「えっと、そうなんだが……」
そうなんだが、行くのか。なかなかメンタルが図太いというかなんというか。提案したもののまさか本当に受け入れられるとは思ってなかった。
「私も行こうかしら。フォロー下手の凛くんのフォローに回ってあげるわん」
「……誰がフォロー下手だ誰が」
口に手を当てながらウププと笑う黄泉。こいつが安達だったら1回ぶん殴ってやったのに残念だ。
「あの子なりに今日のことを割り切ろうとがんばってるのよ。ここは何も言わずにサラッと奢ってあげるのが吉ね。私は純粋に甘いものが食べたいからついて行くけど」
「本音少しは隠せよお前。……それはわかんだけどさ、あの1件の後に本当にパンケーキ食べに行こうとするほど気丈に振る舞えるとは思わなかったからちょっと驚いててさ。……まぁ良いことか」
アニメ版よりメンタルが強い気がするのは気のせいだろうか。……いや、アニメでもあの事件の後に黄泉とノリさんをくっつけようとしてたし、気のせいか。
俺のバイクの座席をバンバン叩いて俺を催促する神楽を、黄泉は温かい目線で見守る。……俺も華蓮を見てる時はこんな顔をしてるのだろうか。そうならば確かに神楽にブラコンと言われても致し方ない。
「凛ちゃんまた後ろ乗せてよ」
「ヘルメット無いからだーめ。電車でいくぞ電車で」
……ちなみにだが、2人で合わせて5000円分近く食べられました。俺のコーヒーと軽食代金は入っていません。
1番高いヤツを容赦なく頼む2人に俺の顔が引き攣ったのは言うまでもない。アルバイトをしてるといえどもお小遣い制なのは変わらないというのに。
そして、
「ただい……ま?」
「遅い」
「おそい」
お使いで買ったものを所有していることも連絡を入れることも完全に失念しており、玄関で仁王立ちをして待っていた母と華蓮にこってり絞られたことも付け加えておこう。
アーメン。
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コンコンコン、と三回扉をノックする。
「お義父さん?呼びました?」
扉を開けてお義父さんの部屋に入っていく。
朝日のさす部屋の中でお義父さんは椅子に腰掛けていた。
朝食を食べて神楽が先に出発した後、私も家を出ようかとしていたらお義父さんから呼ばれたのだ。
一体なんだろうか。義父は最近よく家を空けており、あまり話せていなかったため、よく考えてみれば直接話すのは久々となる。
「うむ。それを開けてみなさい」
そう言われ目線の先を見てみるとそこにあったのは高級そうな桐箱だった。
……なんだろうか。箱の見た目からすでにいい値段のするものであることがわかる。少し疑問に思って眺めた後、促されるままにそれを開けてみる。
「―――うわぁ、綺麗……!」
箱を開けて目に入ったのは、女の子なら喜ばずにはいられないそんな一品だった。
鮮やかでありながら落ち着いた紫色の着物。日本の伝統とも言える一品であるその衣装。それが桐箱の中には入っていた。
憧れというか羨望というか、そんな喜色の色に満ちた表情を浮かべてしまう。月並みな感想にはなってしまうが、とにかく本当に綺麗で美しい一品だったのだ。
「妻が着ていたものだがな。よかったら着てみなさい」
「いいんですか?」
疑問形で聞いてはいるが、声には明らかに喜びが乗ってしまう。
「遠慮するな。もう丈も合う頃だろう」
「ありがとう……!わぁーー!」
着物を手に取る。綺麗なのは見た目だけではなくて、手触りもだった。
手触りが綺麗というのは日本語としておかしいとは思うけれど、そう表現してしまいたくなるような手触りだったのだ。滑らかなのに生地の強さがしっかりと伝わってきて。重厚なのに手触りはしっとりとしていて。
大きさをみたり、身体に少し合わせてみたりと色々してしまう。やはり戦場に身を置くものだといっても私は女の子なのだ。こんな綺麗なプレゼントを贈られたらはしゃいでしまうのは仕方ないと思う。
「どうだ、学校の方は」
「はい、変わりありません」
「仕事は順調か」
「仕事なんて。まだアルバイト扱いよ」
着物に意識を取られながらもそう返答する。
私や凜は神童などと呼ばれてはいるけれど、所詮はまだアルバイトとしての契約だ。
私は高校を卒業したら、凜は大学を出てから対策室に正式に配属になる予定だ。
「対策室に新人が入るそうだな」
「ええ。小野寺凜の推薦で1人」
「ほう、凜君の推薦か。なれば実力は確かなのだろう」
「私はまだ手合わせをしたことはないけど、少し鍛えれば戦力になるって凜が」
着物をたたんで元に戻しながら、入って来るという新人のことを思う。
凜と神楽と一緒にご飯を食べに行ったときにたまたま見つけた少年だ。低級の霊を殴って除霊していた所を凜が助けて何故か勧誘していた。
珍しく凜が目の色を変えていたが、何かあったのだろうか。理由を聞いてもなんでもないとしか答えてくれなかったのでわからないのだが。
名前は剣輔と言ったと思う。強い霊感を持つ少年で、保有する霊力もなかなかのものだったように思える。
「剣道をやってたみたいで立ち振る舞いも悪くなかったし、期待はできるかもしれません」
「そうか。人手不足のこの業界だ。新しい芽が入ってくることは歓迎しなければならないな。黄泉、きちんと目をかけてあげなさい」
「はい。わかりました」
なぜ凜がわざわざ勧誘したのかはわからないが、神楽も同年代の人間が増えて嬉しそうにしていたのを覚えている。
神楽共々守ってあげなければならないだろう。
―――もっとも、神楽を守ってあげるなどと何時まで言えるか定かではないのだが。
「凜君とはうまくやっているようだな」
「年も近いですし、実力も近いですから色々と話が合って」
「そうかそうか。お主と言い、彼と言い、その歳で大したものだ。親として誇りに思うぞ」
「……ありがとう、ございます」
少し、照れてしまう。褒められることは多々あるが、お義父さんからこうして褒められることは殆ど記憶になかったから、突然言われると、その、困ってしまう。
「それはそうと、対策室の紀之君との仲は良いか」
しかし、その嬉しい困惑は、違う困惑で上塗りされる。
「黄泉話がある。飯綱家との縁談についてだ」
飯綱家との縁談。紀之と私の、結婚についての話。
「お前も紀之君も乗り気でなかったことは知っている。このまま当人の気持ちも汲まずに話を進めてしまうのもどうかと思う。もう一度、お前の気持ちを聞いておきたい」
許嫁。親が決めた結婚相手。恋愛結婚ではなくお見合い結婚でもなく、親同士が決めた男女の契りの約束。
物語の中ではよくある話だ。そしてそれはロマンティックなものとして語られることが非常に多い。神楽も私と紀之のこの関係を非常にロマンティックなものだとみているみたいだ。
少しばかり顔を落とす。
正直な話、困惑したかしていないかで問われれば非常に困惑したというのが正しい。
私はまだ17歳だ。周りが恋だ彼氏だと受かれている最中、私には婚約を約束された相手が居て、将来誰に身を捧げるのかが既に決まっている。
……紀之が諌山になるわけだから正確には誰に身を捧げられるのかが決まっているというほうが正しいのかもしれないが。
「―――お義父さん」
立ち上がりながら、そう声をかける。
「お義父さんは身寄りを亡くした私を引き取って、ここまで育ててくれました。この縁談も、より親族と縁が深まるようにと私を気遣ってくれてのこと。―――反対する理由などございません」
私は養子だ。正式な諌山ではなく、実の血の繋がりはない。だから、私を疎ましく思う存在がいることも知っている。
だから実力のある家系である飯綱家と縁談を結び、親族の中や対外への発言力を増そうとする意図もあるのだ。
綺麗ごとでは済まないのがこの世界だ。結婚一つとっても私達の自由に行かないことはよく知っている。それこそ、身をもって。
でもこの縁談は本当にお義父さんが私を気遣ってくれてのこと。乗り気でなかったとお義父さんは言うが、本当に私たちが一切乗り気でなかったのならば話を進めたりなどしないだろう。
だから、私は。
「―――この縁ありがたくいただきます」
せっかくお義父さんがくれた縁だ。ありがたく頂戴しようと思う。
それに、実のところお互いに満更ではないのだから。
パロのみさーせん。
あとちょっとで話動き始めるんで、お待ちくださいませ。