自分の行動は矛盾している。
下駄を鳴らして歩きながら、常々抱いていた思いを再度自分の中で反芻する。
自分のやろうとしていることはパンドラの箱を開けるが如き所業だ。
行えば必ず自分たちは厄災に見舞われることになる。未曽有の、経験したこともないようなそれになることは間違いがない。
間違いなく、誰かが命を落とす。
そしてそれは彼も例外ではない。いや、違う。
彼は間違いなく前線に立たされる。それも最重要な、戦局を確実に左右するような場面に必ず彼は登場する。
他の誰でもない、それこそ私ですらない戦況に、彼はあの女と共に投入されざるを得ないだろう。
だからこそ例外ではない。むしろ彼こそが例外ではない。
でも、死んでほしくないと、思っている自分がいる。もしかすると死ぬかもしれないと考えると、何故か心がずきりと痛むのだ。
多分それは、今私がこうして彼と合流するべく歩みを進めていることにも関連しているのだろう。
今着ている浴衣は元々私が所有していたものではない。わざわざこの日のために設えた、特別な一品なのだ。
髪だっていつものようにただ流しているだけではなく、セットして貰った、私にとっては特別なもの。
―――何故だろう。彼のことを考えると、自分が自分でなくなってしまうかのような、諌山冥でなくなるかのような、そんな、不思議な感覚に見舞われる。
この理由を、本当に私は理解していないのだろうか。
いや、間違いなく理解している。私はそこまで愚かではなく馬鹿でもないのだから。
でも、それでも私は愚かで馬鹿なのだろう。
だって、そんな彼を、自らの手で殺めかねない行動を、わざわざ起こしているのだから。
頬が熱くなる。秋の祭りにはふさわしくない、不思議な火照り。それを引き起こす感情は、多分。多分、その一つだけなのだろう。
でも、頭と心の一部は依然として冷たいままだ。胸が高鳴り、どこか抑えきれない感情に身を任せようとしてしまう自分が居ても、それの外で彼を殺める算段をしている自分が、間違いなく存在する。
矛盾している。
再度、そう思う。
最低なことをするのだと、そう分かっている。
―――でも。
「嗚呼。私はこれ程までにも―――」
好いている男を殺めてでも、それでも私は。
―――諌山に、なりたいのだ。
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異変が起きたのは、室長候補が集合して、3日目の昼のことだった。
室長候補会議。そう銘打たれたそれだが、実際には俺らは主役ではない。
実際には上の奴らの腹の探り合いに、人材の引き抜き、その他諸々の大人の事情こそがこの会議を占める最も大きな要素であって、俺らが必要だったのは初日ぐらいなもんだ。
一応開催期間は三日ではあったが、三日目ともなれば俺らに大人が課す課題などもう存在しない。
午前中に有った合同訓練が終われば後は自由行動だったので、室長候補筆頭6人でファミレスにきていたわけだが……。
「おい誰だ俺の辛味チキンをタバスコ漬けにしてくれた馬鹿は」
ちょっとトイレに行くために席を離れたところ、俺のチキンがタバスコの中に沈殿していた。
「貴方が”これ辛味チキンっていう割に辛味がないよな……”って言ってたから服部さんが気を利かせてくれたのよ」
「まじで要らん気の利かせ方だなおい。なにこれ俺が食べるの?」
「おいおい逃げんなよ小野寺?せっかくのプレゼントなんだ、味わってくえよ」
「小学生かお前らは……」
そう言って席に着く俺。
まあ結局その後、狭間と俺でそれは平らげたわけだが(狭間には煽って一つ食べさせた)、服部嬢は俺にどれだけの恨みを持っていたというのだろうか。
俺がやったことと言えば体を霊術で隅々まで縛り上げて動けなくして少しその状況を堪能して放置しただけだろうに。
……いや、完全アウトか。
黄泉の罠に気が付かず、辛味チキンで完全にやられた味覚と痛覚を冷めたコーヒーで元に戻そうとして危うく糖尿病になりかけてみたり、帝さんが気を利かせて持ってきてくれた水を飲んだりしていると、俺の携帯が振動した。
震えたのは仕事用の携帯だから、いつもの定時の霊力分布図報告だろうと思い、携帯を見る。
「……?なんだこれ、機械ぶっ壊れたのか?」
「なに?どうしたの?」
いぶかしげに携帯をのぞき込む俺を見て、これまたいぶかし気に俺の携帯をのぞき込む黄泉。
「いやこれ見ろよ。霊力分布図が半端ないことになっててさ」
そう言って俺は机の上に携帯を置き、皆が見やすい位置に調整する。
最新の霊力分布図が届いたわけなのだが、これがどうもおかしい。
なので黄泉に見せるついでについでに皆にも見せようと角度を調整する。
「この辺り。多分栃木の山奥かな。これは異常じゃないか?流石に」
画面を指さしながら説明を始める。
栃木の地理にはあまり詳しくはないが、多分これは山の方だろう。街中では間違いなくない。
「俺の経験上、とある霊気の流れって確実にいいことがないんだよ。具体的に言えばカテゴリーAクラスの怨霊の出現を示唆してると言ってもいい。つうか正直間違いない」
「凛の霊力分布予想は結構精度が高いものね。それで?」
「んでその空気の流れっていうのがまさにこれなんだけど……」
そう言って画面を指さす。
1か所。俺の指は1か所を指さしている。だが、皆の視線は俺の指を見た後、即座に違う場所へと移り変わっていく。
「……随分質の悪い冗談だな」
「だろ、帝さん。だから俺も機械の故障を正直疑ってるんだけどさ」
ポリポリと頭を掻きながら、服部嬢のほうにも目を向ける。
昨日謝り倒して、ようやく喋ってくれるようになった服部嬢。俺を見るときは中々ごみを見るような目で見てくれやがるのだが、今は非常に真剣に俺の携帯をガン見している。
「おい小野寺。その画像は間違いなく上から送られてきたやつなのかよ」
「そこは安心してくれ狭間。正真正銘霊力班から送られてきた正確無比なやつだよ。……いや、むしろ安心できないのか?」
うーんと、俺は唸る。
常識を疑うことには結構定評のある俺なのだが、流石に俺の中の常識がこの情報のおかしさを丁寧に説明してくれている。
幾らなんでもこれはおかしすぎる。流石に観測班の間違いだろうとは思うんだけど……。
「まぁそうよね。だってこの写真が正しいとするなら―――」
黄泉の指が、俺の画面をなぞる。
一か所ではなく、準繰りと二か所、三か所とスポットを指さし、最後に一か所を指さして止まる。
室長候補達が何とも言えない顔になる。多分おれの顔もそうなっていることだろう。
だって、この写真が本当に正しいなら―――
「
そう。そういうことになるのだ。
霊力分布図が示している異常は4つ。
台形みたいな形をした異常値が示されているのだ。
「そうなんだよなぁ。幾らなんでもこれは有り得ないとは思うんだけどさ……」
「観測班の精度が悪い時なんていくらでもあるが、流石にこれは見過ごせないな」
俺の言葉に、帝さんが同意を示す。
流石にここまでの異常値、はいそうですかと見逃すわけには絶対にいかない。
この霊力分布図は霊感が強いが戦闘能力の高くない女性達が、特殊な機械の上で瞑想をすることによって作られているため、その女性たちの調子いかんによっては狂うことも多々あるのだ。
だが、流石にこれを狂ってないなんて言うのは難しいし、でも狂ってるって断定するにはちょっと勇気がいる。
まあでもこれはあり得ないよな、と言おうとした瞬間、今まさに俺が持っていた携帯に着信が入る。
一瞬にして張り詰める空気。
電話の仕向け人は二階堂桐。緊急の用事があるときしか俺に電話をかけてこない、そんな女からの着信である。
さっきまで俺のコーヒーに角砂糖をありったけ投入して遊んでいた黄泉も、俺の辛味チキンが漬かるぐらいにタバスコを振りかけて提供してきた服部嬢も、鋭い目で俺を注視し始める。
室長候補の面々とアイコンタクトを交わしてから、数コールおいて俺は電話に出る。
「……もしもし」
『小野寺凛、今どこに居ますか?』
「渋谷のファミレスですが」
簡潔に答えて、携帯の音声をスピーカーに切り替える。多分この話は、俺達全員で共有しておいてなんの問題もない。というより共有しなければならない話に違いない。
『他の室長候補達もそこに?』
「ええ。東京観光させてあげようと思って。会議に出たメンバーは全員います」
『好都合です。皆にも伝達を』
「分かりました。……ちなみになんですが、霊力分布図は見ましたよ」
『なら話は早いですね。―――その件です』
その声を聴いて、俺を除いた全員がほぼ同時に立ち上がる。
「会計を済ませてくるわ。皆は外に行ってタクシーを捕まえてきて」
「分かった。捕まえた順に先に行っているぞ」
「よろしくね、帝さん」
流石は室長候補達というべきか。二階堂が何かを指示する前にもう勝手に動いている。
……少し行動が早すぎる気もするが。俺まだ話聞き終わってないんだけど。
『本当に話が早くて何よりです。緊急招集になります。各自最速で対策室まで集合を』
「了解。すぐ向かいます」
電話を切ると、会計を黄泉に任せて俺も外に向かう。
突如立ち上がってそそくさと退散する美男美女の集団に対してめっちゃ視線が集まっているが、俺以外のメンバーは気にせずさっさとファミレスを出ていく。
「小野寺。どこから乗るのが一番早い?」
「乗るなら反対車線からの方が早いから、向こうに渡って乗ってくれ」
スクランブル交差点の対角を指さしながら、指示する。確か環境省に行くならあっちの方が近いはずだ。
「俺は黄泉と行くから、四人は先行ってて。すぐ追いつく」
「分かった。何かあったら連絡をくれ」
「遅れんなよ小野寺」
帝さんはそう言い残して、女性陣二人は無言でスクランブル交差点を渡っていく。
浅黒いタンクトップ筋肉野郎に、白髪の長身イケメン、そして異様に小さい醤油顔の女に、ゴスロリの美人が四人揃うと流石に渋谷でも多少浮くらしい。
渋谷と言えば日本屈指の変な奴らが集まる所であるはずなのに、一際目立っていた。
「……流石はアニメキャラ」
そんなことを呟きながら、俺は先ほどの霊力分布図について熟考する。
アレは間違いなく、カテゴリーAの反応だ。一緒に分析した仲である二階堂が俺に電話をかけてきた辺りからも、それが間違いじゃない可能性をありありと示してくれている。
背中を冷たい汗が伝っていく。気が付けば、両の手を強く固く握りしめてもいた。
緊張しているのだろうか。いや、多分俺は恐怖しているのだ。
カテゴリーAクラスが4体。そんな未曾有の事態、過去にあっただろうか。
下手をすれば、日本が終わる。
流石に九尾の狐や天狗、阿修羅とか天変地異クラスのレベルではないだろうが、それでもカテゴリーBとは桁が違うだろうレベルの可能性が高い。
気を引き締めていかないと、死ぬ。
「凛、お待たせ!」
「来たか。んじゃ行くぞ」
畳みかけてきたと、そう考えるべきだろう。
恐らくは奴の全力。これが、最後だ。
―――最終決戦って訳か?三途河。
頭の中で奴に対する対策を全力で組み立てる。あいつならどう動くか、それに対して俺がどうするべきか。
俺は、それに特化すればいい。
タクシーを待つ間、それを俺は考え続ける。足りない頭で、必死に考え続ける。
それが、圧倒的な間違いだと、気が付かずに。