ガンダムビルドファイターズ Evolution 作:さざなみイルカ
「親父は海難事故で死んだってみんな言うけれど、実はそうじゃない」
遠い海に目をやった。緩やかな潮風が、その赤毛を撫でる。
「親父は人魚に殺されたんだ」
~ 『水の国のアクアと嘘つき少年』 第一章「港町アネスタ」より ~
≪⑤≫
昔。
あるところに、蒼い瞳と4分の1の北欧人の血筋をもった、双子の姉妹がいた。
姉妹は、まったく同じ顔だったが、周囲の人間が2人を見間違えることはなかった。髪型、話し方、趣向、雰囲気、性格、歩く動作さえも、全く異なっていたからだ。
彼女たちの父親は、常にこう言っていた。
「個性が人格を作る。双子だからといって同じ物を好きになる必要はない。むしろ、お互いに違うものを好きになってそれぞれの人格を形成していくべきだ」
父親は当時、新作ガンプラ開発チームの主任を務めていた。個性を敬い、多様性を尊ぶその哲学は、多種多様なガンプラの世界を長年愛し関わっていった中で育まれたものだった。父にとってガンプラは、自分の人生に多くの物を与えてくれた根幹であり、生き甲斐そのものといっても過言ではない。
娘達は、そんな父の言いつけを忠実に守った。姉は数学や機械工学、犯罪学にのめり込み、妹はダンスやスポーツ、特撮番組を楽しんだ。服装も、進んで相手と違ったものを選び、次第に喋り方や動作も異なってきた。
しかし、そんな姉妹にも、共通の好きなものがあった。父親と、ガンプラバトルである。
物心ついたときから2人は前者が大好きで、その影響で後者も好きになった。
彼女達の家の地下室には、置き型バトルフィールドが設置されており、その傍らには父の過去の作品を並べた棚があった。別の部屋には制作室もあり、母もガンプラバトルが好きだった。まさに姉妹は、ガンプラに囲まれて育ったのだ。
小学校に上がる前。
姉妹は毎日のようにガンプラバトルで遊んだ。
勝つのはいつも決まって、姉だった。
妹が技の命中を楽しんでいる間、姉はフィールドの状況を読み、有効な戦術を練り、実践的な腕を着実に身に着けていたのだ。
妹はまったく上達しない一方、姉はランドセルを背負うよりも早く、母の腕を上回り、父と互角に戦えるようにまで成長した。
母はそんな姉を“天才”と称え、父は幼くして対等の腕を持つそのファイターとのバトルに心を躍らせていた。
姉が才能を開花させたのは、バトルの腕だけではない。小学校の入学式を終えたころ、姉はすでにニッパーを手に持ち始めていた。
自分はガンプラの対象年齢外であることを律儀に守っていた妹とは対照的に、姉は7才の誕生日を迎えるより早くガンプラを1人の手で作成した。そして、メーカーが推奨する年齢に到達するころにはオリジナルの改造機体を、構想のままに作りだせる位にまで上達していた。
小学3年生の時に、雑誌のコンテストで出品したノーベルガンダムの改造機は大賞を受賞。その結果に、両親は言葉の限り彼女を賛美した。
姉は、まさに“天才”だったのだ。
妹は、そんな姉を深く妬んだ。
異なる人格は、双子に新たな可能性を作り出す一方で、強い嫉妬をその間に生み落としていたのだ。
小学2年生に上がる頃、妹は次第にガンプラバトルを離れていった。
月日は流れ、小学4年生の夏。
妹は習っていたダンスの発表会に父を誘った。
センターにはなれなかったが、一生懸命練習した姿を愛する父親に見てもらい、褒めてほしかったのだ。
しかし、会場に来ていたのは、ビデオカメラを回した母の姿だった。父はその日、姉が出場したガンプラバトル世界大会の応援に行っていたのだ。
その夜。母が撮影したビデオを見て、父は「よく頑張ったじゃないか」と褒めてくれた。
しかし、妹は込み上げてきた涙と一緒に父の言葉を振り切った。自分の部屋に駆け込み、ベットで声を押し殺すように泣いた。
父は私よりも姉を、ガンプラを優先した―――。
あたしがどれだけ頑張っても、姉に、ガンプラに勝てない―――。
ガンプラなんて、大ッ嫌い!―――。
この日から、妹は離れかけていたガンプラバトルを完全に捨てた。
5年生に上がる前の春休み。
彼女は髪を切ってショートボブにした。服の好みもガーリッシュ系から、ボーイッシュ系に一新。一人称も“あたし”から、“ボク”に変えた。
父は、かねてより息子がいないことを惜しんでいた。男の子らしく振る舞えば、父の気を引けるんじゃないか、と彼女は思ったのだ。
さらに、ダンスや空手――習い事に今まで以上に精を出し、学校生活においては社交的に振る舞って親しい友人を増やした。
ガンプラとそれを極めつつある姉に対抗するためには、父にとって理想的な子供になるしかなかった。妹は、必死だった。
双子が中学校に上がると、姉の実力はその世界において絶対的になまでに成熟していた。世界最強のファイター、世界最高のビルダー、そして、七代目“メイジン・カワグチ”の称号。
公式の場において、姉は偽名を使い、男装し、フードとキャップで顔を隠していた。その為、その若きビルドファイターの正体が知れ渡ることはなかった。
一方、妹は中学生活を満喫し、ボーイフレンドを作ったりもしていた。姉に対する嫉妬も、父親に対する執着も、ガンプラの影と共に忘れて、外の世界に新しい刺激を求めたのだ。
そんな姉妹に、転機が訪れる。
妹が変化に気が付いたのは、中学3年生になったばかりの頃だった。仕事にいく父の姿に、違和感を感じた。
疲れているのだろうか。妹は父に声を掛けると、父は微笑んで返してくれた。
大したことない。そう思った妹は「無理しないでね」と言い、学校に向かった。
しかし翌日。そのまた翌日。さらに翌日。感じていた違和感は日毎に顕著さを増していた。
以前は姉妹よりも早起きだったのに、いつからか家族で一番遅く起床するようになった。
週に何回かは父が夕食をつくる当番があったのに、いつからかなくなった。
休日はいつも散歩に出かけていたのに、いつからか一日中寝て過ごすようになった。
以前はガンプラが大好きだったのに、いつからか作らなくなっていた。
そんなに今の仕事が大変なのか。夕飯の調理を手伝いながら、妹は母に訊いてみた。
「お母さん。最近お父さん疲れてるみたいだけど、何かあったの?」
ポリエスチレンの白いまな板の上に寝かせた魚を捌きながら、母は言った。
「実はね、お父さん最近仕事で異動になったのよ」
「異動?」
「新しい職場で、慣れない仕事をするから、大変みたい。だから、お父さんを労わってあげてね」
「慣れない仕事って、どんな仕事なの?」
「さあ。よく知らないけど、ガンプラを作る仕事には変わりないそうよ」
よくわからなかったが、取り合えず大変なんだということだけは確認できた。
姉に訊けばもっと詳しく知れるのかもしれない。しかし、ガンプラを捨てて以降、妹は姉を避けていた。言葉を交わせば、過去の嫉妬が込み上げてきて、憎しみで感情が汚染されそうな予感がするからだ。
話さない、関わらない。それが同じ顔を持ちながら、雲泥の差がある双子との唯一平和的な関係だった。
季節は変わり、夏。
それは、鈴虫がよく鳴く涼しい夜だった。妹は、受験勉強対策のために通い始めていた学習塾から帰ってきた矢先、玄関で父と鉢合わせた。私服の父は手ぶらで、靴紐を結んでいる最中だった。
「おかえり。塾はどうだった?」
「フフン♪模擬テスト、なんと91点!この調子なら第一志望の旭川学園に合格間違いなしだって、先生も言ってた」
「そうか。それはよかった」
「お父さん、どこか行くの?」
「ちょっと、夕涼みを兼ねてコンビニまでツマミを買いに。何か買ってこようか?」
「うーん……、いいや。いらない。実は、帰りにシュークリーム食べてきちゃって、あんまりお腹減ってないの。ジャンボシュークリームを5個だよ。5個」
「あはは。本当にシュークリームが好きだな」
「えへへ」
「それじゃ、行ってくる」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
出ていく父を見送り、妹はリビングに足を運んだ。
誰もいない。姉は二階、母は今日は仕事の出張で帰りが遅い。
鞄を投げ、靴下を脱ぎ捨てる。ソファーに飛び込み、ガラスのテーブルの上のリモコンに手を伸ばした。今日は、好きなドラマの放送日だった。
放送時間まで、少し早かった。テレビに映ったのは、番組間のニュース速報だった。今のうちに何か飲み物でも、と思い妹はソファーを離れキッチンの冷蔵庫に向かった。麦茶を取り出し、専用のコップに注ぐ。
すると、ダイニングテーブルの上に置かれた茶色い長財布が目に止まる。それは何年か前の誕生日に、母と姉妹の3人で選んで、父に送った品だった。
「あれ?」
怪訝に思った妹は、その財布を手に持った。父は、財布を忘れて出かけてしまったのだろうか。
すると、リビングの扉が開いた。姉だ。
寝起きなのか、姉は物凄い機嫌が悪そうだった。長く艶やかな髪は乱れきり、眼鏡越しのその青眼は照明の光を瞼で阻んでいる。短パンにシャツ、低血圧でよろめくその姿からは、七代目メイジン・カワグチの風格や品位が微塵にも感じられない。
無言のメイジンは、冷蔵庫に直行。愛飲するコーラを取り出して、ラッパ飲み。喉の渇きのまま、カフェイン豊富な黒い炭酸砂糖水を貪り飲む様は、お世辞にも健康的とは言えない。運動好きで、社交的な妹とは対照的に、姉は根っからのインドア派なのだ。
「ん?それ、父さんの財布じゃないか」
顔の前に垂れてきた髪をかき上げながら、姉は飲み乾したコーラのペットボトルをシンクで洗う。
「うん。お父さん忘れて出ちゃったみたい」
妹は、スマートフォンを取り出して父の携帯に電話する。すると、二階から着信音が響く。
「あれ?携帯も忘れてる?」
「おい、父さんどこ行ったんだ?」
不意に、光を阻んでいた姉の目に、鋭さが宿る。
「えっ。コンビニにツマミを買いにだって……」
「柿ピーにカルパス。チーズにプリンに蒲鉾。冷凍庫にはアイスクリームが二種類。ツマミは十分あると思うが?」
「えっ、どういう……」
姉はペットボトルを投げ捨て、リビングを飛び出した。
「ちょ、どうしたの!?……まどかっ!」
尋常ならざる彼女の後を追った。妹がリビングを出たとき、姉はすでに玄関を出ていた。
夜道を走る双子。時刻は夜の9時を過ぎている。
姉よりも足の早い妹は、走りながら姉に問うた。
「ねぇッ!本当にどうしたのッ!?お父さんどうしたの!?」
「今の父さんを1人で外に行かせるのは危険だ!早く探し出さないと……死ぬぞ!」
「死ぬ!?お父さんが!?どうして!?」
「父さんは生き甲斐を失った……いや!奪われたんだ!!」
「生き甲斐ってガンプラのこと?でも、今の仕事だってガンプラをつくる仕事なんじゃ……」
「“開発”と“製造”は全然違うッ!」
走りながら、姉はこの数か月間の違和感の正体を説明した。
事の発端は去年の暮れ。
クリスマス商戦における、ガンプラの売り上げが目標値を大きく下回り、ガンプラバトル開闢以降の史上最低を記録した。
それを受けて、現ガンプラとガンプラバトルの製造開発を一手に担う“G-NEXT社”とその親会社である“ヤジマ・ホールディングス”は年明けに緊急対策会議を開催。今後のガンプラバトルの商業戦略が協議された。
かねてより、G-NEXT社には商業戦略を巡って、2つの派閥が存在していた。1つは「ガンプラバトルの再興のためには、ガンプラバトルによるプロリーグを発足し、競技としての地位を向上させていくべき」と主張する保守的な“競争推進派”。そしてもう1つは、「簡素化を推し進めて、ガンプラバトルを新しい世代にも馴染みやすい形に改革していくべき」という開明的な“簡素改革派”。普段、両派閥は対立することなく、会社も2つの考え方を両立させる形でマーケティングを展開させてきた。
しかし、緊急対策会議を受けて、G-NEXT社はその玉虫色の方針を変えざるを得なかった。G-NEXT代表取締役・
父はその後、製造部長という管理職に回された。事実上の昇格だが、ガンプラの研究・開発に心血を捧げてきた父にとって、管理職の仕事は負担が大きすぎた。彼は慣れない人事管理に、日毎に神経を磨り減らしていたのだ。
たとえ、使命感や情熱があっても、人には向き不向きがある。父はそれを知っている人だが、天職を失い、仕事の能率も上げられず、ただただ高給を貪るだけの自分を許せるはずもなかった。
そんな父が、財布も携帯も持たず外出。
妹の背筋にも、冷たい予感が走った。
自殺―――。
「父さんッ!!」
父は、橋の上にいた。欄干に腰を下ろし、肩越しに川の水面を見つめている。
疾走してきた姉妹の息を切らす声を聞いて、その視線を二人に向けた。
「お前達……」
「はぁ、はぁ……。財布……、忘れていたぞ」
「そうか」
姉は一度息を飲み込んで、呼吸を整えた。流れる汗を、手首の甲で拭う。
「何考えているんだ?水浴びなら風呂でやってくれ」
「すまない………もう、ツラいんだ」
父は再び暗い水面に視線をやった。その声のトーンはいつもと変わらないのに、その様子が醸し出す雰囲気は不吉さに満たされている。
見たことない父の姿と、静寂の中の恐怖に、妹は声すら出せない。
「バカなこというなッ!今の役職が合わないなら、移転申請なり、労働組合に相談するなり、解決する方法はいくらだってあるだろう!?父さんが死んだって、何も解決しないぞッ!!」
姉は声を上げた。
引きこもり性質な彼女だが、その内実はとても強い。こういう時でも果敢に説得できるのは、嫉妬していた妹にとってもとても心強かった。
しかし、父の答えは首を横に振るだけだった。
「それじゃあ、ダメなんだ。私は、津波の夢にとって、荷物でしかない」
時雨津浪と父は古くから親交があった。2人は30年来の親友で、時々家にも遊びに来ていた。
そんな父の親友には、夢があった。衰退期にあるガンプラバトルを再興し、“第三次ガンプラブーム”を作り出すこと。30年前、父と初めて見たプラフスキーの輝きがもたらす感動を、後世の子供たちに受け継いでいくこと。
父の夢もそれに等しく、2人は考え方は違えど共通の目的のために協力してきた。父は研究・開発で、親友は経営・マーケティングで、それぞれG-NEXT社を支えてきた。
しかし、父はそんな親友に裏切られた。コマンドデバイザーの生みの親である彼を、時雨津浪は開発部から締め出したのだ。
「父さんは裏切られたんだろう?だったら、あの男を恨むべきだ。自分を責めるべきじゃない」
「無理だ。私に、津浪を恨めない。彼は苦しんでいたハズなんだ。彼には立場があった。夢にかける情熱も私以上だ。彼と彼の夢と私の夢のために、私が身を引くしかなかった……」
父の頬に滴が一閃、駆ける。
いつも菩薩のように微笑んでいた父の、怒った表情以上に珍しい、涙。
「それで、与えられた立場に適応しようとしていたんだな……。父さん。私はアンタのそういうところが好きだが、この場合は愚かとしか言えないぞ。あの男には立場があるかもしれないが、父さんにだって権利があるはずだ。それを主張するだけの資格もな。抗議し、争って、自分の正当な地位を回復させていくべきじゃないのか」
「争いたくない。津浪は私の親友だ」
「奴はアンタを裏切った」
「裏切られても、親友だ。少なくても私はそう思っている」
親子の会話に、妹は入る余地を見出せなかった。
欄干に座る父は物静かだが、いつ転落するかわからない。双子は橋に一歩たりとも近づくことができずにいた。
「30年前。私は彼と初めてプラフスキー粒子が作り出す戦いを見た。それに魅了された私達は、ガンプラバトルにのめりこみ、私はビルダーとして、津浪はファイターとして、世界大会を目指した。栄冠を手にすることはなかったが、それでも毎日が輝いていた。それは、PPSE、ヤジマ商事、そしてG-NEXTに行っても変わらなかった。彼と過ごした時間を忘れて、彼を恨むことなんてできない」
「じゃあ私たちはどうなる?母さんだって悲しむぞ」
「…………」
重苦しい沈黙が、辺りを包み込んだ。鈴虫と蛙の鳴き声だけが、暗闇に虚しく響く。
静粛の中、口を閉じていた父は首を振った。
「………やっぱりダメだ。もう、無理なんだ」
「父さん」
「ごめんな。まどか……ほのか。情けない父親で……」
刹那、凶夢が姉妹の脳裏を掠めた。
その言葉と微笑みの示す結末が、現実よりも一瞬早く目に写った。
その時。発せられなかった言葉が、彼女の喉から叫びとなって突出した。
「やめてッ!!お父さん!!」
末娘の声に、父は動きを止めた。
彼女は駆けつけ、父の両腕を強く握る。その心に訴えかけるように、顔を彼の胸に押し付けて叫んだ。
「どうしてお父さんが死ななきゃいけないの!?そんなの、間違っているッ!……仕事なんてできなくてもいい!ガンプラが作れなくてもいい!ボクお父さんに、生きていてほしいッ!!」
「ほのか……」
「お願い!死なないで!お父さん!!」
無垢なる訴えと、掴まれた腕から伝わる握力と、胸を濡らす彼女の涙に、彼は未来を儚む絶望を収めた。
しがみつく末娘のボブカットを優しく撫でる。
静かな夏の夜。
友里家に新たな転機が訪れた。
◇ ◆ ◇ ◆
秋。
チャイムが鳴り響いた。
ほのかは、インターフォンのモニターのスイッチを入れた。
「はい」
〈こんにちは。G-MAXサービスです。バトルフィールドの撤去作業に伺いました〉
それは、姉のまどかが依頼した業者の人達だった。
水色の作業着に身を包んだ3人の大人は、地下室に赴く。器具を出して、六角形のバトルフィールドを解体し始める。まず電源供給コードが外され、次に粒子発生装置が抜かれる。外殻が取り外されると、次に硬質な黒いガラス状の卓上部分。作業開始20分足らずで、その原型は完全になくなっていた。
ほのかは、その様子を開いたドアから見ていた。
小学4年生のときに完全にガンプラバトルを捨てた彼女だったが、家族4人で遊んだ思い出の機器が部品に解体されていく様には、何か胸を締め付けられるものがあった。
その日の午後。
母と姉は、2階のある部屋で家にある全てのガンプラと、作製用の機材を箱に詰めていた。
「何してるの?まどか、お母さん」
「見ての通りだ。ガンプラと機材を箱に梱包している」
父のゴッドガンダム、母のライジングガンダム、そして、姉のガンダムシュピーゲル・ゲシュペンスト。それらが箱に詰められた姿は、解体されるフィールド同様、ほのかの胸に確かな切なさを覚えさせていた。
「それはわかるけど、どうして?」
「機材は売りに出して、ガンプラは知り合いに譲る」
「えっ?」
その言葉に妹が戸惑っている間、作業していた姉は立ち上がった。
「ガムテープが尽きた。下に取ってくるよ。母さん」
ほのかとすれ違い、部屋を出ていくまどか。
「ちょと……、待って!」
廊下で、姉を呼び止めた。
「どうして、ガンプラを全部処分する必要があるの?」
「家にあると、父さんを苦しめることにもなりかねないだろう」
「そうだけど……」
夏のあの日、父はなんとか自殺を思い止まった。あの後、心身の不調を理由に仕事を辞めた。現在はメンタルクリニックに通院している。
「まどかはそれでいいの?まどかは、七代目メイジン・カワグチなんでしょ?」
「欲しくて手に入れたもんじゃない。それに、カワグチの名なら返上した」
「え?」
「私はガンプラバトルをやめる」
「え、ちょ、まどか!?」
そう言い残してまどかは階段を下りて行った。
妹は、部屋に戻り、今度は母に問いかけた。
「お母さんもそれでいいの?お母さんだって、ガンプラバトル好きなんでしょ?」
「……仕方ないわ。お父さんが追い詰められて、まどかが嫌って、みんなしなくなったのに、私だけやっていても仕方ないでしょ」
「でも……」
「そんなことより、高校の学費の件だけど……心配しないでね。まどかはすでに奨学金取っているし、ほのか1人の学費なら母さんの収入だけでも十分工面できるわ。だから、第一志望の旭川に……」
「ううん。でもボク、やっぱり公立の学校に志望を変えるよ。今からならまだ間に合うし」
「いいの?それで」
「大丈夫。それほど強く望んでいたいたわけじゃないし、この機会にもっと広い視野で志望校を探すよ」
「そう。ありがとう」
作業は一日で終わった。幾つもの部品と化したフィールドも、制作機材もそれぞれの業者に引き取られた。
箱詰めされた数百体のガンプラだけは、家に残ったものの、翌日には父の古い知り合いに譲渡された。G-MAX星見店の
かくして、友里家からガンプラバトルは姿を消した。
しかしその一方で、一家の中で一番早く手放した少女の胸の奥に、小さな哀惜の念が萌芽していた。
◇ ◆ ◇ ◆
ほのかは、姉に嫉妬していた。
ガンプラが嫌いだった。
そのはずだった。
なのに何故か、今は心が晴れない。
彼女の身の周りからそれらが全てなくなったのに、視界から消えたのに、とても淋しい。
自分は、本当はガンプラバトルを続けたかった―――?
クリスマスを来週に控えた、冬のある日。薄暗い曇天の下を走る電車の中で、彼女は自分自身の本当の気持ちに触れた。
妬んだ。憎んだ。嫌悪だってした。しかしそれでも、遠い昔、一家4人で楽しんだ記憶まで否定することは出来なかった。
青白い粒子が織り成す人形たちの戦いは、躍動感があって、臨場感があって、心を震わした。胸の奥に感じたその感動は、事実だったのだ。
親友に裏切られた父も、こんな気持ちだったのだろうか。
たとえどんなことがあっても、自分が愛した思い出を捨てきれないもどかしさ。未来の可能性よりも、過去の美しさを求めてしまう弱さ。
暖かすぎる車内。背中越しに霙振る景色に目をやり、ほのかは自問した。
もう一度、ガンプラバトルを始めてみたら―――。
しかし、答えは「NO」だった。
自分は弱い。姉のような天才でもないし、ガンプラだって作ったこともない。実は、ガンダム作品も殆ど観たことない。両親と姉が観ていたのを、横目で観ていたくらいだ。
今更、プラフスキー粒子の世界に帰れる訳もなかった。無言で拒まれるのが関の山だろう。
考えるのを止めた。何度自問しても、答えが変わろうはずもない。
ほのかは、スマートフォンを開いた。
時間潰しに、軽くネットサーフィンに興ずる。学校の友人間で話題になっていた単語を幾つか検索に掛けてみた。
その中で、『水の国のアクア』という単語を調べてみた。とある携帯小説投稿サイトの人気小説らしい。
「へぇ、来年の春には書籍化するんだ」
人気があるんだ、とほのかは思った。興味本意で、その内容を覗いてみた。
それは、深海の“水の国”に住む、幼い人魚姫のストーリー。
主人公・アクアには、優しくて強い兄がいた。物語は兄妹の甘く、微笑ましい日常から始まる。しかしある日、兄妹の父にあたる水の国の王が凶暴化し、王妃を殺してしまう。アクアにも、その牙が向けられるが、兄の助けで難を逃れる。その後、父は自らを狂気に貶めた毒により自死。兄妹の優しい日々は一変した。
その後、アクアの兄は父が凶暴化した一因となった“海の変異”の原因を突き止めるべく、水の国を出て、1人地上に旅立つこととなる。
それから5年の月日が経過。内気で人見知りのアクアは城に籠り、ひたすら兄の帰りを待った。そんなとき、城にクリオと名乗る、深海ペンギンが訪ねてくる。世界中を旅する彼は、兄からの便りをアクアに届けにきたのだ。
クリオが持ってきた便りには、「捜査が難航していて、まだしばらくは水の国には帰れない」との内容だった。
アクアは兄の帰還が近い将来ではないと知り、悲しみに暮れる。クリオに「だったら、君も兄を追って地上世界に行けばいいじゃないか」と諭される。
外界に対する恐れから、その言葉を拒むアクア。しかし、再び部屋に独り籠ったとき、その部屋の広く暗い天井を見て考えを改めた。
5年経過しても、何も変わらない天井。それは、彼女が独りぼっちのままだということを示していた。
アクアは想像する。あと何年、自分はこの不変の空を眺め続けることになるのだろうか、と。いやもしかしたら、兄は一生帰ってこないかもしれない。
想像したとき、この空間に広がる暗闇を、アクアは怖ろしく感じた。
「…………」
いつの間にか読み更けてしまっていたほのかは、その次の文章に、封印しかけていた問いの答えを見出した。
…―――人生とは、後悔の形を選択することなのかもしれない。未知の世界で行動したことを怨むのか、それとも、晦冥の中で待ち続けたことを嘆くのか。天秤を挟んで釣り合う二つの恐怖。それに差をつけたのは、無垢なる願いだった。
それは、“兄にまた会いたい”というアクアの願い。
自分の願望を呟いた人魚姫は、その後部屋を出て旅立ちを決意する。
ほのかは続きを読まず、ページを閉じた。そして検索アプリを開き、新たなキーワードを打ち込んだ。
“G-MAX 星見店 地図”と。
◇ ◆ ◇ ◆
最寄り駅を降りた。
こぎれいなショッピングモールのアーケードを抜け、美味しそうな香り漂うケーキ屋さんの前を通り、幹線道路の横断歩道を渡ると、目的の店が見えてきた。
そこに到着する前、野球部らしき坊主頭の集団が列をなして走って行くのを見かけた。この近くに学校があるのか、とほのかは思った。
G-MAXの店内に入る。入店したほのかと目を合わせた
「これは驚きました。貴女がこの店にお越しになるとは」
両手の拳をそれぞれ握りしめ、声を上げた。
「
彼女の言葉に、眼帯の店長は眉を動じさせる。
「ボク、ずっとガンプラが嫌いだった……。上手くできないから避けていた……。でもっ!お父さんが愛したガンプラが、まどかが極めたガンプラが、こんな形でなくなっちゃうなんて嫌!もう一度、向き合いたい。もう一度、一から始めたい。だから、
力強く瞼を閉じ、頭を下げる少女。
彼女の正直な気持ちを聞き受けた店長は、少し間をあけ、穏やかな口調で話し始めた。
「……双子というのは、どこかで心が通じ合っているものなのかもしれませんね」
そう言って彼はしゃがみ、カウンターの下の棚から2つの品を出した。1体のガンプラと、1基のコマンドデバイザーだ。
ガンプラの方は、ほのかにも見覚えがあった。それは、姉・まどかが小学3年生のときにコンテストで賞を受賞したガンダムだった。
「実は、貴女のお姉さんから頼まれていたんです。もしも、貴女がここに来て、そのようなことを頼んできたときは、このフェアリーノーベルとコマンドデバイザーを貴女に渡して欲しい、と」
「まどかが……」
ほのかはフェアリーノーベルを手に取った。
木漏れ日のような金髪に、ホワイトブリム。美しく華奢な肢体とフリルエプロンのような装甲。その凛々しさに象られた可憐さは、製作者のアバンギャルドな嗜好と高い技量を如実に語っている。
「そのフェアリーノーベルには、モチーフがあったことをご存じですか?」
「いいえ、知りません」
「貴女ですよ。ほのかさん」
「え?」
「まどかさんは話しておりました。それは貴女をイメージして制作した機体だと。貴女のもつ、少女としての可憐さ、少年のような活発さ、太陽に似た明るさ、そして、妖精の如き無邪気さ。それらを調和させ、最大限表現したのが、作品だと」
「ボクが……この機体のモチーフ?」
「まどかさんは、昔から貴女を嫉妬していたんですよ。自分にない健全さをもった貴女を。誰からも愛される貴女を」
「そんな……」
嫉妬していたのは、自分のはずだった。しかし、そうでないことを妹は初めて知った。自分が姉を妬んでいたように、姉もまた自分を嫉妬していたのだ。
父は、自分達双子に個性を与えた。その個性は、自分の知らないところでかけがえのない宝に変わっていた。フェアリーノーベルのその風貌は、ほのかにそのことを暗示した。
「そして、このコマンドデバイザー。これは数年前、発売日に先駆けて貴女のお父様が貴女の為に特注で作った品です。貴女がいつか、ガンプラバトルを再び始めるとき、使えるようにと」
清らかなエメラルドグリーンとピンクのコマンドデバイザー。そこには、『親愛なる娘・ほのかへ』と題されたカードが差さっていた。
抜き取り、二つ折りのそれを開いた。当時の日付で、こう綴られていた。
〈親愛なる娘・ほのかへ―――。ほのか、お前がガンプラバトルをしなくなって随分月日が流れたと思う。お前が普通の女の子であること、ガンプラ離れが進む世の中の潮流、強大すぎる姉の存在。それらを考えると、お前がバトルを離れてしまうのも当然のことなのかもしれない。しかし、私はお前の純粋にバトルを楽しむ姿が好きだった。プラフスキー粒子を映すお前の瞳は、輝いていた。これは私のワガママなのかもしれないが、それでも、私はおあの輝きをもう一度見たいと思っている。またガンプラバトルを楽しんでもらいたいと願っている。この手紙とこのコマンドデバイザーが、お前の手元に届くことを祈っている。―――父より〉
不意に、涙がこぼれた。
強くないといけないと思っていた。そうでないなら、可愛くあり続けなければならないと思っていた。でも、父は、そんなこと求めていなかった。強くあろうがかろうが、可愛くあろうがなかろうが、自分を愛してくれていた。
右手にフェアリーノーベル。
左腕にコマンドデバイザー。
中学最後の冬。友里ほのかはガンプラバトルを再開した。
◇ ◆ ◇ ◆
あれから、年が明けて4ヶ月―――。
「いってきまーす」
ほのかが袖を通しているのは、旭川学園のセーラー服ではなく、開星高等学校のブレザーだった。
最近、父の容態は安定してきている。しかし、家族はガンプラバトルをやっていない。
でも近い将来、また家族4人でプラフスキー粒子の光を囲む日がやってくる。
そう信じて、ほのかは今日も外へ駆けていく。その鞄に、コマンドデバイザーとフェアリーノーベルを詰めて。
◇ ◆ ◇ ◆