ガンダムビルドファイターズ Evolution 作:さざなみイルカ
≪④≫
翌日。ミコトは、海に足を運んだ。
住んでいる町から、バスで十数分ほど行った、星見岬。そこの臨海公園で、彼女は穏やかな春の海を眺めていた。寄せては返す波の音に、耳を傾けながら、アクアの心境に少しでも心を近づけようとしていたのだ。
『ネタ、ウカンダ?ネタ、ウカンダ?』
ハロも一緒だった。ベンチに腰を下ろしている主人の前を右に左に跳ね交う。
「ううん、まだ」
そう答えると、簡易的な人工知能搭載しただけに過ぎないその球体のロボペットは、「サンポ!サンポ!キブンテンカン!」と言ってきた。プログラミングされた言葉をランダムに発しているだけだが、ミコトはその提案を受け入れる。
今日は土曜日。昼時の前。
晴天の臨海公園には、デート中のカップルや、釣りをしている人が何人か見受けられる。ひと月前まで大気を冷たくしていた寒さはすっかりなくなって、春の心地よい暖かさで満たされていた。
海が隣接する街道を、ハロを傍らに歩むミコト。もう一度、地上世界に来たばかりの己の分身の気持ちを、
脚から伝わる、大地の感触。
それは、成長の証や、新世界や新しい冒険に対する期待といった、明るいものではない。
ミコトは気が付いた。
それは、“不安”――。“停滞”、これからどうすればいいのかという“迷い”――。
それが、アクアの地上世界に辿り着いた先の心境。そして、高校生活という新しい世界に踏み込んだ自分の気持ち。
『水の国のアクアと虹色の真珠』の最後で、胸に押し殺したはずの不安が、再び彼女の胸中を満たしていたのだった。
それを知った瞬間、ミコトは海の方に歩み寄る。両手を柵に乗せ、水平線に目をやった。
彼女とアクアの深層心理に隠されたその本心は、佐々波イルカの停滞が、より深刻なものだという答えでもあった。アクアも、自分も、この先の未来に希望を見出していないのだ。出来れば、帰りたい。あの優しい海に。兄と過ごしたあの優しい思い出の中に。そんな気持ちすらあった。
たとえ、虹色の真珠や脚を手に入れても、佐々波イルカという名前や不自由のない暮らしを手に入れても、彼女達の心は、未だ未来とは反対の方向に囚われたままだったのだ。
ミコトは俯いた。このままでは、物語を進めることなんてできない。
『ミコト、ダイジョウブカ?ミコト、ダイジョウブカ?』
ハロは、その青い身体を弾ませて、彼女を慰めようとする。しかし、やはりただの機械。彼女の心を立ち直らせることなんて、出来なかった。
先の展開については、いくつかネタがあった。
アクアは最初に辿り着いた港町で、海の仲間の一人であった深海ペンギン・クリオと再会する。このクリオというのは、アクアの兄の旧友で、ハロをモデルにしたキャラクターだ。
アクアは、再会したクリオから、水の国を探そうとする極悪な海賊の存在を聞かされ、自分が人魚であることを秘密にするよう警告される。しかし、その港町で、クリオはその海賊に捕まってしまう。
クリオを助けたいアクア。しかし、一人ではどうすることもできない。そこで新しい仲間と出会い、その人とクリオを救出する、といった展開だ。
しかし、例え展開が定まっていても、アクアが“冒険ファンタジー小説の前向きな主人公”でない限り、物語は進まない。それに、港町で出会う新しい仲間の案も定まっていないのだ。
無理矢理書き進めても、佐々波イルカが、自分自身が、誇りを持てる文章を書くことはできない。
「プロの人は、こんな時でも筆を進められるのかなぁ……」
呟いた。同時に、思い出した。書籍が発売されている。自分ももう、プロなのだという事実を。
それを認識したとき、彼女の意識は暗い海水の底に引きずりこまれていった。
『ダイジョーブ!ゲンキ、ダセ!ゲンキ、ダセ!』
ハロはひたすら主人を励ます。しかし、もはやその機械音声はミコトには届かない。
『ゲンキ、ダセ!ゲンキ、ダセ!ゲン……』
しかし、次の瞬間。
着地を誤ったハロは、柵の取っ手にぶつかり、その身体を海に投げ出してしまった。
その様に、ミコトは意識を戻し声を上げた。
「……ハロッ!?」
浅瀬の水面に落ちたハロ。一度波に揉まれ、丸い身体を水中に沈める。
音声の代わりに、機体中の空気を気泡にして吐く様は、苦しんでいるようにも見えた。やがて、機能が停止し、目の点滅が消える。
落ちた場所は深くはなく、柵越しであっても、その姿は見える。しかし、地上から海面までに高さがあるため、手を伸ばしても届きそうもない。
ミコトは絶望に青ざめ、途方に暮れた。
兄からもらったハロが、兄の形見ともいえるハロが、海に沈んだ。どうやって助ければいいのか、わからない。よしんば、助けられたとしても、海に沈んだ精密機械が直るのかもわからない。
「誰か……、誰かッ!!」
思わず、叫んだ。助けを求めて、どうなるのか、考えていない。それでも、ハロを助けたかった。
「誰かッ!!誰か、助けて下さい!!」
必死に声を上げた。
すると、ソフトクリームを片手に持った女の子が1人、ミコトに駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
口元にクリームをつけたその女の子は、ミコトに尋ねる。
パニック状態だったミコトは言葉よりも先に、人差し指で状況を伝えた。
女の子は、口元のクリームをふき取りながら、指された海面をのぞき込む。
「あちゃ~、沈んじゃってる!おっけー、ボクにまかせて!」
食べかけのソフトクリームをミコトに預けると、その少女は、少し向こうで釣りをしていた男性の方へ駆けて行った。数秒後、魚取り用の長い網をもって、彼女は戻ってくる。
「じゃーん!これで、すくっちゃおう♪」
柵を飛び越え、地面に身を寄せて、彼女は網を海中に押し込む。二度、三度、つっつく様に網を操作してようやく、ハロを海の中からすくい出した。
「はい、救出かんりょ~♪」
「あ、ありあとうございますっ!」
ミコトは、網の中にすっぽり
しかし当然ながら、ハロはウンともスンとも言わない。
「ハロ……」
死んだように沈黙したロボペットを見て、落ち込みを隠せないミコト。すると、彼を救ってくれた少女は自分のスマートフォンを取り出して、どこかに電話をかけ始めた。
「もしもし?ボク、ボク!突然だけど、海に水没した機械って直せる?」
その言葉を聞いたとき、ミコトは顔を上げた。
「ハロだよ、ハロ!えっ?機種?……ちょっと貸して!」
少女はハロを手渡すよう、ミコトにジェスチャーで伝える。迷わず、すぐに応じた。
受け取ると、少女は背中のカバーを外す。
「えっとね……。SX、ハイフン、4型って書いてあるよ。……うん、そうそう。……えっ?応急処置が必要?どうやるの?……うんうん……電源を切るんだね、わかった!」
右耳と肩でスマートフォンを挟み込んで操作する彼女。電話相手の指示通り、ハロの電源を切った。
「それから?……えっ、そんなことして大丈夫なの?……わかった、信じるよ。えっと、ちょっとまってね……」
携帯電話を手に持ち替え、周囲を見渡す彼女。目的の物を見つけたようで、再びそのディスプレイを耳にあてる。
「おっけー、あったよ!あとは?……うん、それだけ?それじゃ、後でお店に持ってくね!バイバイ!」
電話を切って携帯電話をしまう。
少女は、「ちょっと待ってて」とミコトにハロを返し、借りてきたのであろう網を持って、さっきの釣り人の方に走っていった。そしてまた数秒後、今度は黄色いバケツを持って戻ってくる。
「さぁ、行こう!」
バケツを持ったまま、芝生の方に走っていく少女。ミコトは、沈黙したままのハロと食べかけのソフトクリームを持って彼女の後を追った。
向かった先は、公園の水道。彼女は、そこで蛇口を全開まで開き、バケツに水を注いだ。
バケツに水がたまると、ミコトからハロを再び受け取り、あろうことか、その水の中にハロを押しこめ始めた。その行動に、ミコトは驚かずにはいられない。
「な、なにやってるの?」
「洗っているんだよ。海に水没した機械を直すにはまず、機体中の海水をこうやって洗い流さないとダメなんだって」
そう言うと、少女は水を一旦捨て、また新しい水を汲んで再びハロを洗った。
「大丈夫!ボクもビックリだけど、教えてくれた人は機械の天才だから。安心して」
笑顔でウィンクする彼女。その可憐で無邪気な笑顔は、見る者の希望を引き出す、“明るさ”があった。
その少女は、少年のようなさっぱりとした雰囲気と、春の日差しのような暖かい雰囲気を持った女の子だった。黒髪のショートボブに、
一見、ボーイッシュ寄りの女の子という感じで、ミコトが抱いた第一印象もそれに等しかった。
しかし、彼女の瞳の色。蒼穹の空を封じ込めたような澄み切った瞳の色が、第一印象を上回る不思議な量感をミコトに感じさせた。
「あ、そうだ。自己紹介してなかったね。ボク、ほのか!
◇ ◆ ◇ ◆
ハロを洗い終わると、借りていたバケツを返し、2人は臨海公園を後にした。
バスで移動するとき、ミコトは、ほのかと幾らかの会話を交わした。そのとき、彼女はスウェーデン人のクォーターであること、瞳の色が蒼いのはその故だということを教えてもらった。
「へー。そのハロは、ミコトちゃんのお兄さんからもらったものなんだね」
「うん……。だから、とても大事なものなの」
「そっかぁ、じゃあ尚更直して貰わないとね。……ところで、ミコトちゃんはあそこで何してたの?」
「え、あ、そ……それは……」
問われた瞬間、ミコトの目があらぬ方向に泳ぎ始める。書いている小説のネタ探しのためとは言えない。自分が佐々波イルカであることは隠さなければならないし、小説を書いているということ自体、恥ずかしくて他人に知られたくなかった。
「お……、お散歩かな……あ!着いたみたいだよ!」
「ホントだ。降りよ、降りよ」
そこは、ミコトの通う開星高等学校の近所だった。ガンダム専門店『G-MAX』星見店。何度か店の前を通りかかったことはあったが、店内に入るのは初めてだ。
ガラス張りの自動ドアを通過すると、店内から放たれる独特の匂いが、ミコトの嗅覚に軽く触れた。ガンプラの箱が積み込まれた棚に、完成済みの模型を飾られたショーケース。二階に続く階段もあって、看板によると上のフロアはグッズ売り場らしい。
何より、ミコトの目にとまったのは、囲いで仕切られたバトルスペースの隣にある、六角形のバトルフィールドだった。それは、かつて兄と行ったビリヤード場にあったそれと、まったく同じものだ。
ほのかはカウンターに赴き、店主らしき男性に声をかける。
「
「これは、ほのかさん。お待ちしておりました」
長身で面長、頭は坊主刈り。鼻の下に髭を拵えた、紳士的な雰囲気を持つ中年の男性だ。しかし、見る者はその容姿の、ある一点に、視線の全てを持っていかれる。その、右目の眼帯に。
「彼女でしたら、二階の奥にいますよ」
「おっけー、ありがとう」
ほのかはミコトの元に駆け寄り、ハロを受け取った。
「それじゃ、この子を修理に出してくるから、ミコトちゃんはここで待ってて」
「うん。お願いね」
返事すると、ほのかは沈黙したハロをつれて二階に駆け上がっていった。
1人になったミコトは、何気なく傍らのショーケースを見遣った。
精工に作られたプラモデル達が、塗装されたその鮮やかなボディを輝かせて、透明のケースの上で陳列されている。あるものは、ただ佇んで自らの重武装を無言でアピールし、またあるものは、劇中のシーンらしき動作を静止した状態で表現する。
「今にも動き出しそうな」という台詞は、模型に用いられる陳腐な比喩だが、このショーケースの中の小さなロボットたちを言い表すには、その言葉を用いる他になにもなかった。
眺めていると、ミコトは見覚えのあるガンダムを見つけた。
中央の動力部に、青と白のボディ。細い肢体に、先端が尖った盾。華奢な体格と、右腕を沿うように取り付けられた巨大な剣のギャップが、その機体に“少年剣士”といった趣を与えている。
傍らの立て札に“ガンダムエクシア”と書かれていたそれは、兄の使っていたガンダムの、元々の姿だった。
その懐かしい姿を目の当たりにして、ミコトはやはり過去を振り向かずにはいられなかった。
◇ ◆ ◇ ◆