ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第94話「りんご」

意識が灯った彼が、初めに思ったことは、

(……オレは、生き返ったのか……?)

という疑問だった。

 

妙な話だが、彼は自分が仲間に殺されたことを、はっきりと覚えていた。生身の身体に食い込んで貫く鋭利なあの痛みを、流れ出る血と共にぼやけていったあの視界を、眠るように意識が無くなっていくあの感覚を、彼は、はっきりと覚えていた。

 

自分が生き返ったとしか思えないこの現状を確認するため、彼はゆっくりと目を開けた。

開けた視界に飛び込んできたのは、見慣れない白い壁や天井。そして仕切られたガラスの向こう側に、2人の小太りな男と、白衣を着た女性がいるのが見えた。

彼が目を開けたことに気付いた3人は、程度に差はあれども、いずれも驚いたような表情を浮かべた。

 

「ふん……。不知火が言っていたように、角に記憶や人格の情報が残っとるというのは本当だったか……」

「んー、そうは言ったけど、まさか本当に目覚めるとはね。半分は冗談で『角乗っけましょう』って言ったのに……」

「え、副長、冗談でこれやったんですか?」

 

そうして会話をしている3人の中の唯一の女性に、彼は見覚えがあった。自分が死ぬ直前まで戦っていた彼女に、彼は問いかける。

 

「テメェは……。オイ、オレはどうなってんだ。説明しろ」

「はっはっは。言われなくても話すさ」

笑いながらそう言った女性は、一から丁寧に説明を始めた。

 

説明を聞き終えて、彼は……エネドラは思った。

(……ワンチャンあるな、これ)

と。

 

女性……、不知火花奈の話によると、自分はまず間違いなく死んだ。敗北してトリオン体が砕け、生身になっていたところを仲間のミラに助けにきてもらえたと思ったが、そこでもう用無しだと言われ、殺された。ここまでは彼自身も覚えていたため、不知火の説明と一致していたことで彼女の言葉には信憑性があると踏んだ。

そこから先の出来事に関してはエネドラは死んでいたため、不知火の言葉を真実として聞き入れた。

 

(要は……、オレは確かに死んだが、トリガー(ホーン)にオレの記憶が残ってて……、それをトリオン抜かれて空っぽになったラッドの身体に乗っけたら、意識が戻ったってことか……)

 

自分の体が偵察用トリオン兵ラッドのものだと思うと屈辱だったが、今は生きているだけで儲けものだと、エネドラは割り切った。

 

(なんとかしてアフトクラトルに戻るか、それか違うトリオン体に角を乗っけることが出来れば……)

 

そうしていくつかの光明が見えていた彼は、ここは大人しくミデン(ボーダー)に協力することにした。

 

一通り説明を終えた不知火は、やんわりと微笑みながらエネドラへと問う。

「さて……。今の君の現状はこんなものだ。何か疑問はあるかい?」

「いや、んなもんねえよ。……それで?オレ様を生き返られて何をさせる気だ?」

「情報収集に決まってるだろう。あらゆる情報を、あの手この手で引き出してやるつもりだから、覚悟したまえ」

両手をワシャワシャと動かしながらサディスティクな笑みを見せる不知火だが、エネドラはそれを鼻で笑った。

「はっ。んなことしなくても、聞かれたことはなんでも話してやるぜ」

「なんじゃと?」

その発言が予想外だった鬼怒田は思わずといった様子でガラスに近寄るが、エネドラは慌てず言葉を紡ぐ。

「そんなに驚くことでもねえだろ。たとえ猿とはいえ、お前らはオレ様を生き返らせてくれた恩人だぜ?協力させてくれよ」

「はっ。随分利口なことだ……、と言いたいけど、君は嘘が下手だね。本音は?」

先ほどの意趣返しのつもりで発言を鼻で笑った不知火の言葉に、エネドラは答える。

「なに。オレにだってまだ生きて、アフトクラトルに戻んなきゃならねえ理由がある。そのために手を貸すってだけだ」

「お、いいね。下手な善意なんかよりよっぽど信頼できる素晴らしい理由だ」

 

不知火にまっすぐな視線を向けられてそう言われたエネドラは、心の中で思う。

(とは言っても、全部の情報をすらすら喋るつもりはねえ。小出しにしながら、ある程度こっちの要望も通せるようにしていく必要があるし……、逆に、何が通らねえか、何をしたらこいつらが嫌がるか、出来ればその辺もそれとなく探っていきてぇな……)

 

考え事をするエネドラに、早速鬼怒田が質問をしようとした。

「よし、ではまず……」

「おい待て」

しかしエネドラはそれを遮り、1つ要求をした。意識が覚醒して現状を確認した時から、どうしても言いたいことだった。

「オレのボディは黒にしろ。話はそれからだ。黒にしたら、なんでも話してやる」

「なに?」

カラーリングを要求してきたエネドラに鬼怒田はつい目くじらを立てるが、

「まあまあ、色くらい良いじゃないっすか」

「そうだよポン吉。黒に染め直すだけでなんでも話すと言ってるんだよ」

寺島と不知火がそれぞれそう言って鬼怒田をなだめた。

 

その光景を見て、この程度の要求ならあっさり通る事を確認したエネドラは内心ガッツポーズを取る。そして順調な滑り出しを決めたエネドラは、

「話がわかるじゃねえか。んじゃ、さっさと頼むぞババァ」

「今なんつったオイ?」

滑りすぎて地雷を踏み抜いてしまった。

 

*** *** ***

 

三雲の特訓を昼前に切り上げた月守は、不知火に言われた通り天音を連れて開発室がある区画へと向かっていた。

 

ぐうぅぅ……

 

隣から空腹を訴える天音の腹の音が聴こえて、月守は苦笑する。

「お腹空いた?」

「はい……。その、朝、抜いて、きちゃった、ので……」

「ああ、そういう……。朝ごはんは食べなかったら、そりゃお腹空くよね」

 

それらしい理由に納得しかけた月守だったが、

「いや待って?でも途中でどら焼き食べたよね?」

三雲に差し入れられたどら焼きを、天音が軽く2つ平らげたことを思い出して、つい突っ込んだ。天音は必死に何か上手い言い訳はないかと、普段あまり行使しない、なけなしの頭脳を駆使して、

「うぅ……。…せ、成長期、なので……」

それっぽい理由を捻り出した。肉つきが薄い上に華奢な身体な天音が必死になって考えた言い訳に、月守は反論出来ず、

「……成長期なら仕方ないね」

しぶしぶ言いくるめられてしまった。

 

2人はそのまま、ぽつぽつと時折会話を挟みながら開発室へと向かう。そして目的地が目と鼻の先になった、その時、

「ぐあぁぁぁぁっ!こ、このババァ!テメェはそれでも人間かぁっ!」

開発室から、悲鳴と怨嗟の声が聞こえてきた。

 

「ふわ……、びっくり、した」

「んー、何かあったのかな……?」

声に驚き、何が起こったのか気になった2人は、少し早足で開発室へと踏み込み、声がする場所へ急ぐ。

 

「や、やめ、やめろぉぉっ!それ以上はやめろぉぉっ!」

 

絶えず聞こえる叫び声を辿り、2人は音源の部屋を見つけて、中に入った。するとそこには、

「やめろおぉぉぉっ!」

ガラス張りになった監察室に閉じ込められて叫ぶ黒いラッドと、

「悔しい?ねえ、悔しいかい?自分の好物を、目の当で美味しそうに食べられるのは、そんなに悔しいかい?」

そんなラッドに見せつけるように、赤く熟れたリンゴを美味しそうに食べる不知火の姿があった。

 

どういう状況か?月守と天音が疑問に思うと同時に、不知火が2人に気づいて声をかけた。

「お、2人ともよく来たね。ささ、まずはここに座ってくれ」

状況の説明もされないまま、2人は不知火が事前にセッティングしたであろうテーブルの前に用意された椅子に座る。ガラス張りの部屋の前という状況を月守は気にしつつも、不知火は2人に、傍に置いてあった紙袋からりんごを取り出して、差し出した。

「色々話すことはあるけど、まずは、このりんごを食べてくれ。ああ、なるべく美味しそうに、あのラッドに見えるように食べてね」

「えー……」

ますますどんな状況なのかと月守は訝しみ、恐る恐るラッドへと目を向ける。

 

「やめろ……、やめてくれ……」

ブツブツと呟くラッドの姿を見ると、月守はどこか申し訳なさを感じた。

「あの、不知火さん……」

月守がそう感じたタイミングで、天音が無表情ながらもリンゴを両手で大事そうに持ちながら話しかけた。やはり天音も似たような居心地の悪さを感じているのかと月守は考えたが、

 

「この、りんご……、そのまま、食べて、いいん、ですか?」

 

彼女の中では居心地の悪さをよりも、いかにしてこの空腹を満たすかということの方が重要らしかった。

 

天音の問いかけに、不知火はとても優しそうな(天使の皮を被った悪魔の)笑みを浮かべて、

「もちろん。好きなように食べたらいいさ」

「はい」

躊躇いなく天音の背中を押した。

 

小さく柔らかい天音の唇が、赤く熟れたリンゴに触れ、しゃくっ、という音と共に齧られる。小さな食み跡からは、赤い皮と対をなす仄かに黄色味がある色合いの白い果肉の部分が顔を覗かせ、天音の口の中ではその赤と白が、瑞々しい音を立てながら咀嚼されていた。

 

天音は無表情だが、その目はどこか輝いているようにも見えなくはなく、美味しそうに食べているのがなんとなく伝わってきた。だが天音がりんごを一噛みする度に、

「やめろ……、やめろぉ……」

と、ラッドから不穏な声が聞こえてくる。

 

そんなラッドの声など全く意に介さずリンゴを飲み込んだ天音は、その輝かせた(ように見える)目で、不知火に味の感想を伝えた。

「不知火さん、このりんご、すっごく甘くて、美味しい、です」

「ふっふっふ、そうでしょう?この時期に手に入るであろう最高級のりんごを、知り合いのツテを駆使して手に入れたからね!木箱ごと送ってもらった!」

ドヤ顔で言い放った不知火は「ささ、天音ちゃん。りんごはまだまだたくさんあるから、遠慮なく食べなさい」と付け足すように言って天音にりんごを食べるように促す。

 

しゃく、しゃく、しゃく。

 

天音はまるでリンゴを取り込む機械になったかのように、無心でリンゴを食べ、味わう。その間にもラッドからは呪いじみた怨嗟の声が聞こえるが、天音はまるで気にせず、不知火は声が聞こえる度に満足そうにしている。

 

月守も天音ほどではないが空腹を感じていたため、ラッドを気にしつつもリンゴを食べる。

(……確かに、甘くて美味しいな)

りんごの味に満足しつつ、月守は不知火に尋ねた。

「不知火さん、あのラッドはなんなんですか?」

「うん?ああ、エネドラだよ、エネドラ」

しれっと言われた名前に、一瞬頭に疑問符が浮かんだ月守だが、すぐに思い出した。

「確か……、大規模侵攻で風間さん倒して、本部に攻めてきた黒トリガー使いですよね。ログと報告書で確認しましたけど……死んだんじゃなかったんですか?」

「死んだよ?でも、アフトの技術のトリガー角を解析してたら、どうにも奇妙なデータが残っててね。もしかしてと思って、ラッドに角を乗っけてトリオン流し込んでみたら、この通りさ」

 

俄かには信じがたい、と思った月守は、試しにラッドに問いかけてみた。

「ねえ、今の話本当ですか?」

「うるせえ。まずはオレにも、りんごを食わせろ」

正確な解答は得られなかったが、声の感じがログで聞いたものと似ていたため、おそらく本物だろうなと月守は思った。

 

「……まあ、本物だろうなとは思います。でも、あの……それがどうして、このりんごに状況が繋がるかが分からないんですけど……」

「拷問だよ」

時折リンゴをつまみながら、不知火は語る。

「こいつには通信室のオペレーターが6人も殺されてるからね。そんな奴を悠々自適とまでは行かないけど、比較的好待遇で置いとくのも彼らに申し訳ないから、一応形だけでも、こういうのはしておかないとね。人型じゃないからどんな拷問をしたらいいのか迷ってたけど、運良く、こいつの好物がりんごだということが分かったから、それを利用させてもらったのさ」

死者への弔いという意味合いの拷問だと聞き、月守は改めて、この戦いで死者が出たのだと実感した。りんごを持っていない右手を胸に当てて、悔しさからか無意識に服を軽く握りしめていた。

「弔いのため、ですか……」

犠牲者を思って月守がポソリと呟いた瞬間、エネドラッドは大声を出した。

 

「嘘つけ!テメェはオレにババァって呼ばれたのが気に食わねえから、こんなことしてんだろうがよ!」

 

エネドラッドが叫んだ理由に、落胆にも似たもの感じた月守は、不知火をジト目で見る。すると、

「ぶっちゃけ、それが一番の理由だ」

不知火はあっけなく白状し、

「それを一番の理由にしないでください」

私怨を一番の理由にして拷問している母に苦言を呈した。

 

(これが俺の母親かぁ……)

月守が若干呆れつつ不知火を見ていると、

「あの、不知火さん。りんご、まだ、食べていい、です、か?」

隣でりんごを平らげた天音が、お代わりを要求した。

 

その質問を待ってたと言わんばかりに、不知火は楽しそうに笑った。

「もちろん。でも天音ちゃん、流石にりんごだけを、ずっと食べるのは飽きちゃうよね?」

「え……。べつに、そんなこと、な「飽きちゃうよね?」

「……はい」

表面上は笑顔だが有無を言わさない迫力に押された天音は、消え入りそうな声で返事をしてから、横目で月守を見た。

 

(うちの母が申し訳ない……)

月守の心はその思いでいっぱいで、表情にも出ていたそれを天音はきちんと拾った。

 

しかし息子の苦労なんぞ知ったこっちゃないと言わんばかりに、不知火は笑顔で言葉を紡ぐ。

「そう、流石にりんご単体だと飽きる……って思ったワタシは2人のために、りんごを使ってお昼ご飯を作ったんだ。というわけで、食べてくれないかな?」

不知火の問いかけに対して月守は、

(これ、はいって言わないとダメなやつだ)

どう足掻いても回避できないものだと悟り、悩まずに頷いて肯定した。

 

ウキウキとした様子で不知火は席を立ち、「お昼ご飯持ってくるから、少し待っててね」と2人に言い残して部屋を後にした。

「……不知火さん、ご飯、食べて欲しい、から……、呼んだ……の、かな……?」

独り言のように呟く天音の言葉に、月守は苦笑いと共に「多分ね」と答えてから、不知火がリンゴを切るのに使ったであろう果物ナイフとまな板に目を向けた。

 

「神音、りんご、まだ食べたい?」

「はい」

「よしきた」

言うや否や月守は不知火が残していった紙袋からリンゴを1つ掴み、それを手際よくカットし始めた。

「丸齧りもいいけど、りんごといえばコレかなと思って」

言いながら月守は定番の1つであるウサギ型にカットしたリンゴを、天音に差し出した。

「あ……、いただき、ます」

ウサギ型のリンゴを受け取った天音は、ほんの一瞬だけ勿体無く思うようなそぶりを見せつつも、リンゴを優しく齧った。

 

もぐもぐと、小さな口を動かしてリンゴを食べる天音に、月守は問いかける。

「味はどう?……って訊こうと思ったけど、同じりんごだし、変わらないよね」

「……、そう、ですね。変わらない、です」

天音はそう言い切ってから、

(……こっちの、りんごの方が、おいしいですって……、言えば、良かった、かな……)

少しだけ、後悔した。

 

言い直そうか天音が迷っていると、

「なんだ。今度はイチャつくガキどもを見させられる拷問か?」

「っ!?」

漂いかけていた和やかな空気を茶化すような言葉と共に、エネドラが会話に割って入ってきた。

 

「やー、特別そういうつもりは無いんですけどね」

不意に声をかけられたのに慌てる天音に対して、月守は落ち着きながらも、困ったような笑みを浮かべてエネドラに対応する。

「りんご、食べますか?」

「あ?この身体でどうやって食えばいいんだよ」

「あー、確かに。口、無いみたいですし無理ですね」

月守は残念そうに聞こえる言葉を選ぶが、表情はやんわりとした笑みであり、これ見よがしにリンゴを食べる姿をエネドラに見せつけていた。

 

明らかな挑発を前にしたエネドラは、借り物の身体をワナワナと震わせた。

「この、ガキ……っ!その態度だけでも腹立つが、それに輪をかけて仕草とか笑い方があのババアとそっくりなのがムカつくぜ…!」

「似てました?一応、親子なのでちょっとは似るだろうとは思いますけど……」

「……あ?親子?……にしちゃあ、ツラとかは似てねえな。お前、親父似か?」

「まあ、どっちかと言うとそうですね」

流れるように嘘をつく月守だが、それを確かめる術を持たないエネドラは納得したようで、ウンウンと頷いた。

 

「あの……、エネドラさんは、ずっと、ここに、いるん、ですか?」

うさぎ型リンゴを胃袋に収めた天音は、おっかなびっくりな様子ながらも、エネドラに話しかけた。

「あ?まあな。この、壁から生えてる線からトリオンを供給されてて、これが切れたらオレの意識も一旦切れる。供給を再開させれば、また意識も戻ってるって寸法だな」

「……、起きてる、間は、何を、してます、か?」

 

月守とエネドラは質問を続ける天音を見て、やけにグイグイくるなと思いながらも、ひとまずそれに触れずにいた。

「基本、起きてる間は質問ぜめだな。アフトクラトルの内情やら、周辺国の情報やら、オレが話せる分のことは話してやってるぜ」

「へぇ。すごく気前がいいですね。何か狙いでもあるんですか?」

エネドラの口が軽いことに月守は驚き、何か裏があるのではと勘ぐった。

「狙い?んなもん、オレを使い捨てにしたあいつらを一泡吹かせてやりてぇだけに決まってんだろ。それ以外何かあると思うか?」

「ああ、なるほど。そういうのなら納得です。中途半端な善意より信じれる、いい理由ですね」

 

信じれる、という月守の発言を聞き、エネドラは笑った。

「はっ。やっぱテメェと、あのババアは親子だな。似たようなこと言ってやがった」

「あはは。そういうところが……性格とかが似てるっていうのは、時々言われますね」

 

困ったように笑みを崩さないまま話す月守は、少し悩んだそぶりを見せたあと、「ところで、いくつか質問いいですか?」と控えめな声でエネドラに許可を取ってから、尋ねたいことを口にした。

「今回の侵攻にあたって、貴方たちにもいくつかの計画があったと思うんですが……、一番の狙いは、戦闘員になるくらいの高いトリオン能力者の捕獲ということで合ってますか?」

「表向きはな。ただ、今回の狙いは、ちょいと能力が高い程度じゃ全然足りねえ。それこそ、怪物じみた……、生身でもブラックトリガーに並ぶレベルのやつが狙いだったぜ」

「……なるほど」

 

エネドラの解答を聞いた月守は、

(心当たりが1人……、いや、2人いるな……)

チラッと、一瞬だけ横目で天音を見て、そう思った。

 

エネドラの回答の質で信憑性を確かめつつ、月守は初めに考えていた2つ目の質問をした。

「では……、そのいくつかの計画の中で、人の命を奪うようなものはありましたか?」

「おいガキ、何寝ぼけたこと言ってんだ?戦争で相手を倒さねえ、殺さねえなんて話があるか?」

当たり前のことを、エネドラは当たり前のように言った。

 

「……そう、ですよね」

直接的な答えではないにしろ、暗に疑問を肯定する言葉を受けて、月守の心の中に仄暗い感情が渦巻いた。

 

戦争において、エネドラの答えが正論なのは分かっている。

ただそれでも、人を殺すことが正当化されてしまうような状態であっても、それを平然と行ってしまった彼に、月守は熱量がこもった怒りにも似た思いを抱く。

きっと逆の立場なら……、もし自分がどこかの国を攻めて、そこで敵の人間を目の当たりにしたら、きっとエネドラと似たような行動を取ると思う。

だって、自分の命の方が惜しいから。

ここで敵を逃して、それが巡り巡って味方の損害や死傷に繋がったら、後悔するから。

 

月守はエネドラの行動が正しいと思った。だが一方で、奪われた側の立場の思いから、彼の行動が許せないという感情も同時に生まれた。

 

自身の中で対立する2つの感情は、どちらも正しかった。視点の位置が違うだけで2つとも正しく、間違ってはいないと月守は思えた。

 

それらに、瞬間で上手く折り合いをつけることが出来なかった月守は、肺の中の息を全て吐いてから、まるでそれらの思いを奥底に押し込むように、ゆっくりと沢山の息を体の中に取り込んだ。一連の行動で自身の思考を完全に切り替えようとした月守だが、ほんの少しだけ、エネドラを許せないという思いが頭の中から消えずに残った。

 

残ったそれをどうにかしようとして、月守は、

 

「……貴方に口がないのが、残念です。口があったら、特別な梨を食べさせてあげるんですけどね」

 

(あくい)を込めた言葉に残った感情全てを乗せて、吐き出した。

 

「あ?」

「梨……?」

突然の発言に疑問を覚えた2人に、月守は特に説明することはせず、いつものようなやんわりとした笑みに戻った。

「いえ、何でもないです。それより、最後の質問、いいですか?」

「なんだよ。聞きたいのはあと1つしかねえのか?」

「とりあえず今日は、これで最後にするってことです」

 

真っ直ぐにエネドラを見据えた月守は、先の2つの質問がどうでもいいと思えるくらいに、本当に聞きたかった質問を口にした。

 

「ギアトロス、という国を知っていますか?」

 

月守の隣にいた天音は思わず驚いて身体をビクつかせたが、エネドラはそれに構うことなく、質問に答えた。

「ギアトロス……、知ってるには知ってるが、行ったことはねえな」

「存在するんですか?」

「存在するらしいっていう国だ。ヴィザとか国の老人供は口を揃えて『有る』って言ってるが、その世代より下の奴らは誰も辿り着いたことがねえ。中には老人供のたわごとだって割り切ってる奴もいるが……。上の連中は時々、有るはずが無いものを探すにしちゃ高すぎる予算と人員をつぎ込んで、その国を探してる。だからまあ、有るんじゃねえのか?」

 

おそらく有るだろう、という答えを聞いた月守は、心の中で歓喜した。天音を助けるための道のりにかかっていた霧が、わずかに晴れたように思えた。

 

「なんか嬉しそうだな。お前、面倒な病気にでも罹ってんのか?」

「そういうわけでは無いんですが……、でもどうして病気だと思ったんですか?」

「どうしてって、ギアトロスは『治癒の国』とか言われてるからな。面倒な病気や怪我を見ると、老人どもは口を揃えて『ギアトロスに行きなさい』って言うくらいだしな」

「なるほど」

 

今一度、天音を助けるためのルートを月守が頭の中に思い描こうとしたところで、

「2人とも、お待たせ」

どこから調達したのか、出前のような岡持ちを手にした不知火が戻ってきた。

 

「お帰りなさ……、って、なんか凄い、柑橘系の匂いしますね」

「あ、ほんと、です。爽やかな、感じ……、レモン……ですか?」

2人の反応を見て、不知火は満更でもない顔をしてみせる。

「おお、2人ともいい嗅覚だね」

不知火は自信満々といった様子で、

「不知火シェフの今日のメニューは、リンゴの洋風がゆ(リゾット)だよ」

岡持ちからリゾットが盛られた皿を取り出し、2人の前に出した。

 

リゾットの中に混ぜられた角切りされたリンゴと柔らかく煮詰められた玉葱。カリカリに焼き上げられたベーコン。食欲をそそる爽やかで清々しい香り。

 

「……」

不知火が用意したリゾットを見た月守咲耶は、思った。

(どっかで見たぞこの料理……)

それをどこで見たのか思い出した月守は、その出所が正しいかどうかを不知火に確認しにかかった。

 

「不知火さん、最近ソーマ読みました?」

「ふっふっふ、愚問だね月守。ワタシはね、ソーマ全巻手元にあるだけじゃなく、開発部のみんなが徹夜でしんどい思いをしてる時に、『お疲れさま、頑張ってね』って笑顔で言いながら『季節の栄養ドリンク・食戟のソーマの美味しそうな料理が出てきたページのカラー印刷を添えて』を提供する人間さ」

「あなたは最低だ」

不知火の悪魔のごとき所業を聞いた月守は、後日、健康に良さそうな差し入れを持って開発部に謝罪しようと心に決めた。

 

母親の暴虐っぷりに月守はひとまず目を瞑り、早く食べたいと無言で訴える天音のために、ひとまずリゾットを食べることにした。3人が何食わぬ顔でリゾットを食べようとしたところで、それにありつけない1人が、驚きに満ちた声を発した。

「粥に果物……、だと……っ!?ミデンの奴らはとんでもねえ食い方をしやがる……っ!」

食事を妨げられた不知火はピクッと眉を動かし、視線をゆっくりとエネドラに向けた。

「作った人間の前で、そういうこと言うのやめてもらえるかな?」

「はっ、なんか言われるのが嫌なら、この線からのトリオン供給を止めればいいじゃねぇか」

「拷問にならないから、それは最後の手段にして、どうにか口を塞ぎたいけど……、君そもそも口無いから、発音の方式が違うんだよなぁ……。口があったら、梨を突っ込んで黙らせるのにね」

不知火が何気なく言った『梨』に、天音とエネドラは再び首を傾げるが、1人だけ同じ発想をしていた月守は、素早く不知火の意見に同意した。

「やっぱり、こういう時は梨ですよね」

「梨だね。あ、なんなら、トリガーで作ろうか?」

「作れますか?」

「余裕だね」

 

嬉々として会話する2人に、天音が問いかける。

「すいません、あの……。梨って、なんのこと、ですか……?」

質問された2人は顔を見合わせて、含みのある笑みをこぼした。

「天音ちゃんは知らない方がいいかな。知ったら多分、しばらく梨食べれなくなると思うし……、何より、若葉さんから『うちの子が梨を食べなくなった』ってお叱りを、ワタシが受けるはめになるからね」

だから絶対、知らない方がいいよ。と不知火は念を押した。

 

 

 

 

 

後々、好奇心に負けた天音は真香に件の「梨」について何か心当たりが無いか尋ねて、その正体を知り、しばらく梨が食べられなくなるのだが、それはまた別の話。




ここから後書きです。

不知火さんと月守の発想が似てるところが、書いてて楽しい。

月守はまだ自覚してない時に笑い方で嘘ついてるかどうか判明出来るので、「おいおまえ、そこは嘘なんかい」って思いながら書いてたりします。

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