ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第99話「美味しく食べて欲しい、その心が大切」

 2月12日。平日ではあるものの、この日は防衛任務が入っていないため地木隊にとってはオフであった。そしてそのオフを利用して、彩笑、天音、真香は市内のスーパーマーケットに行き、2日後に控えるバレンタイン用のチョコの材料を買いに来ていた。

 

「真香ちゃん、とりあえず板チョコ買えばいいの?」

 

学校帰りから直行ということもあって制服姿の彩笑がカートを押しながら、お菓子コーナーへと向かいながら確認するように問いかけると、左隣を歩く真香が柔らかな笑みを浮かべながら頷いて肯定した。

 

「はい。今日は練習も兼ねて色々作ってみるだけなので、板チョコに限らず、今日買う分は適当でいいです。余ったら明日用に回してもいいですし、最悪……私たちのお腹の中に入れてしまえばいいですから」

 

「あはは!それもそうだね!」

 

気を良くした彩笑の足取りは自然と僅かに速くなり、真香はその事に気付きつつも、特に言及はしなかった。

 

 棚とか人にぶつかったりしないかな、と真香は彩笑の事を心配しつつも視線を右に向けて、自分と同じ早さで歩く天音に焦点を合わせた。すると、ずっと前からこちらを見ていたのか、それとも今たまたまこっちを見たのかは分からないが、2人の視線が交錯する。目が合うと同時に、天音は無表情ながらも何処と無く気まずそうに口を開いた。

 

「真香、あのね……」

 

「うん、なに?」

 

「その……、私、本当に、普段料理、とか……お菓子、作ったり、しないん、だけど……。それでも、作れる、の、かな……?」

 

心底自信なさげに話す姿を見て、いつもランク戦や防衛任務で見せる頼もしさはどこへ行ったのかと思ったが、むしろ天音は戦闘や運動以外は不得手なものが多かったのだと思い出して、真香は明るい声で笑ってみせた。

 

「大丈夫大丈夫。やってみれば案外いけるし……、それに今日はあくまで練習。14日に渡す用のチョコを作るのは明日なんだから、今日は本当に気楽にお菓子作りを楽しめばいいの」

 

「……ん、わかった」

 

真香の言葉に安心感と納得を覚えた天音は小さく頷いた。

 

 

 

 

 数日前に天音が「美味しいチョコを渡したい」宣言を、真香と彩笑は「月守先輩(咲耶)に美味しい手作りチョコを渡したいってことだよね」と解釈し、彼女らは行動に移った。真香曰く、

 

「こういうのは手書きの手紙と一緒で、自分で作って渡すから意味があるんです。月守先輩って案外ちょろいところがあるので、市販品じゃないってだけでグッと来ると思います。とはいえ、ぶっつけ本番で作って不恰好すぎるのは流石にアレなので、一回練習しましょう。それでしーちゃんにそういうセンスがどうしようもないくらい無かったら、前日に市販品購入作戦に移行するということで」

 

との事で、今日はその『練習』に当たる日だった。本来なら本番2日前ではなく、もう少し余裕を持たせたかったが天音の宣言のタイミングと3人の都合が合う日が今日と明日しか無かったため、半ば強制的にこの日程となった。

 

 

 

 

 事情が事情とはいえ、やはりもう少し日程に余裕が欲しかったなと真香が考えながらスーパーを歩いていると、目的地であるお菓子コーナーへとたどり着いていた。

 

 甘い誘惑の塊を目の前にして、彩笑は目をキラキラと輝かせる。

 

「真香ちゃん!とりあえず板チョコ何枚必要?」

 

「ひとまず10枚で」

 

「そんなに買っていいの!?」

 

「本当はもっと欲しいくらいなんですけど、今日は練習で数人分作るだけですから、ひとまずこれくらいでいきましょう」

 

「そっか、わかった!」

 

今日明日において料理監督を担う真香のゴーサインが出た事により、彩笑は普段ならば買わない量のチョコを買い物カゴに積み重ねていく。真香としては、余れば作戦室のお菓子にすればいいという考えの他にも、普段キッチンに立たないという2人の腕前の予測がつかないため、余分に買っておこうという考えの方が強かった。

 

「真香、あと、何買う……?」

 

彩笑と共に買い物カゴにチョコを入れ終えた天音に尋ねられ、真香は少し悩むそぶりを見せてから、

 

「薄力粉……バターとかグラニュー糖も欲しいかな。あとなんだかんだで使うから、ホットケーキミックスと卵と牛乳も買おうか」

 

「ん、わかった」

 

天音はキョロキョロと周囲を見渡し、トコトコとした足取りで言われた物を探し始めた。

 

 そんな天音を彩笑はカートを押して追いかける。真香は一歩後ろをついていきながら、小さな隊長の背中に向けて確認するように問いかけた。

 

「地木隊長、あの……、この後本当に、地木隊長のお家にお邪魔してもいいんですか?」

 

控えめな声を一字一句聞き逃さなかった彩笑は首だけ振り返り、真香に視線を合わせてニコッと笑いながら答える。

 

「いいよー。っていうか、お菓子作る練習に使えそうな場所、ボクん()くらいしか場所ないじゃん?」

 

「まあ……ここからしーちゃんの家は遠いですし。私の家も……ちょっと2人を上げにくいので……」

 

「ほらね?そもそもボクん家が一番ここから近いんだし、こう……ごうりてきじゃん?」

 

彩笑は朗らかにそう言う。自宅に他人を招くのになんの躊躇もなく、それが当たり前だと言わんばかりに話す彩笑を見て、真香は羨ましく思えた。

 

 だって、自分にはそれが出来ないから。性格的にも、家の実情的にも、出来ないから。

 

 心に暗い影が差しかけたが真香はそれを振り払って、彩笑の提案を改めて受け入れた。

 

「ふふ、そうですね、合理的ですね」

 

「でしょ!」

 

にしし、と彩笑は無邪気に笑い、それにつられて真香も自然と笑顔を返したところで、

 

「真香、あった」

 

真香に頼まれた品物を見つけてきたであろう天音が戻ってきて、丁寧にカートへと詰めていく。

 

 卵、ホットケーキミックス、牛乳……と真香がチェックしていくと、ミスとまでは言わないが1つ惜しい点に気付き、嗜めるように小さく苦笑いした。

 

「あー……、しーちゃん、牛乳はこれじゃない方がいいかも」

 

「……?」

 

 不思議そうに天音が首を傾げ、

 

「え?なんでなんで?」

 

彩笑もキョトンとした様子で真香に理由を尋ねた。

 

 真香は天音が持ってきた成分調整牛乳を手に取って、理由を説明し始めた。

 

「お菓子のレシピに書かれてる『牛乳』って、大抵が『成分無調整』のものなんです。生乳だけで出来ていて、水や添加物とかで成分を弄ってないものですね。一応規定では、乳脂肪分が3%以上、無脂乳固形分が8%以上ってなってますけど……大体は乳脂肪分は3.5%くらいかな。それで、今しーちゃんが持ってきたのは、『成分調整牛乳』というもので……すごくざっくり言うと、牛乳とか低脂肪牛乳とかのカテゴリーに分類できない成分バランスの牛乳です」

 

 唐突に始まった牛乳説明会だが、普段その事を意識しない天音は真剣に真香の説明を聞き入れる。

 

「この『成分調整牛乳』が全くダメってわけじゃないですけど……、殆どのレシピで『牛乳』を想定してるので、『牛乳』以外をレシピ通りの分量入れちゃうと、上手く膨らんでくれなかったり、水っぽくなりやすいんです。もちろん、それでも美味しく作れるコツもありますけど、今回は2人ともお菓子作りがほぼ初めてという事でレシピ通りいきたいので『牛乳』を使いたいんです。あ、見分け方は、パッケージの分かりやすいところに『種類別』っていうのがあるので、そこで見分けられますよ」

 

ひとまず伝えたいことを伝え切った真香だったが、それがちゃんと2人に伝わったか心配でもあった。しかし、

 

「えっと、つまり……美味しく作る、には、その……成分、調整牛乳?っていうの、じゃ、なくて……牛乳の、方がいい、ってこと、だよね?」

 

確認するように天音が言ってくれたので、ひとまず理解してくれたのだと思い真香はホッと胸をなでおろした。そして、

 

「真香ちゃん真香ちゃん!ってことで牛乳持ってきた!」

 

彩笑に至っては天音が確認している間に『牛乳』を確保していた。

 

「あはは、相変わらず速いですね」

 

 感心8割呆れ1割微笑ましさ1割のバランスで真香はそう言い、彩笑から牛乳を受けとってカートの中へと入れた。3人はそうして店内を歩き回り必要な物をきっちり買い揃え、仲良く地木家に向かっていった。

 

*** *** ***

 

(あれ?地木隊長ってもしかして思った以上に育ちがいいのかな?)

 

 スーパーから徒歩10分ほどで辿り着いた地木家を前にして、真香は率直にそう思った。ボーダーからの帰り道が途中まで一緒とはいえ、これまで一度も彩笑の自宅を見たことが無かった真香だったが、地木家は思った以上に立派だった。

 

 庭、車庫付き、二階建ての一軒。日頃から丁寧に手入れをしているのが伺える、真新しく綺麗な外観。車庫には家族車らしき大きめの黒いミニバンが停められており、小さいながらも庭には野球グラウンドにある枠付きのネットがあった。

 

「ささ、入って入って!」

 

笑顔で2人を促しながら慣れた手つきで扉を引く。それと同時に、

 

「ワンワンワン!」

 

家の中から元気いっぱいといった様子の犬の鳴き声が聞こえ、タカタカタカという足音が近づいてきた。

 

(そういえば地木隊長、犬飼ってるって言ってた気が……)

 

真香がそんな事を思い出している間に、家の中から明るいクリーム色の毛並みをしたモフモフ生命体……もとい、ゴールデンレトリバーが軽やかな足取りで彩笑の元にすり寄ってきた。

 

「ナツ〜、だだいま!」

 

 彩笑は買い物袋を持っていない右手で、ナツと呼んだ犬の頭をわしゃわしゃと撫でた。彩笑の小さな手は茶色い毛並みに沈むが、ちゃんと撫でているようでゴールデンレトリバーは気持ち良さそうに笑っているような表情を見せた。

 

(うわ、大っきい……)

 

 初めて間近で見るゴールデンレトリバーの大きさに軽く驚く真香だが、その一方で天音は物怖じせずに彩笑のそばに近寄った。

 

「あの、地木隊長……、この子、触ってみても、いい、ですか……?」

 

「うん、いいよー。乱暴に触らなきゃ、大体大人しくしててくれるからね」

 

「あ、はい……」

 

 彩笑のアドバイス通りに、天音は警戒させないように慎重に左手を伸ばし、壊れ物を扱うように優しく触れた。見ただけで手入れが行き届いているであろう毛並みは案の定柔らかく、天日干し直後の布団のように触り心地が良かった。

 

「わ……、すごい、ふわふわ、して、ます……」

 

「でしょでしょ!毎日お手入れ頑張ってるから!ね、ナツ!」

 

 名前を呼ばれたのを自覚しているらしく、ナツはもぞもぞと身体を動かして呼びかけに答えたかのような仕草を見せた。

 

 彩笑と天音が2人がかりでナツをもふもふなでなでしていると、

 

「あら、さーちゃんお帰り」

 

家の奥から、一目見ただけで彩笑の母だと分かる女性が出てきた。

 

 彩笑ほどではないが小柄で華奢な体つきと、スラっとした手足、どことなく猫を思わせる瞳、彩笑と良く似た色合いの髪。そして何より、楽しそうに笑った時の雰囲気が彩笑と瓜二つだった。

 

「ママ、ただいま〜。あ、昨日言った通り、友達2人連れてきたよ!」

 

「うんうん、見れば分かるわ。キッチンの方も片付けてあるから、自由に使っていいわよ」

 

 彩笑の母はその穏やかな笑みのまま天音と真香を見つめて、柔らかく優しい声で挨拶をする。

 

「初めまして〜、さーちゃんの……彩笑の母です〜」

 

活発な印象の彩笑とは違っておっとりした話し方をする人だなと天音と真香は思いながら、ひとまず挨拶を返した。

 

「地木先輩のお母さん、初めまして。ボーダーで地木先輩のチームで活動させてもらってる、和水真香です。今日は台所をお貸しいただいて、ありがとうございます」

 

真香は誰がどう見ても優等生だと答えるような表情に態度、言葉遣いで自己紹介をして、

 

「あ、えっと……天音神音、です。はじめまして……」

 

天音はいつの調子を崩さずに名乗った。

 

 ぺこりと頭を下げて2人が挨拶したのを見て、彩笑の母はニコニコと微笑み、楽しそうに口を開いた。

 

「真香ちゃんに、神音ちゃんね。……ふふ、本当にさーちゃんから聞かされた通りの2人なのね〜」

 

そこで一度言葉を区切った彩笑の母は、真香をジッと見つめたかと思うと、

 

「真香ちゃんはメガネが似合う美人ちゃんで、頼り甲斐があるというか、落ち着きがあって大人っぽくて……包容力もあって、こう、優しいお姉ちゃん、って感じね〜。礼儀正しいし言葉遣いもハキハキしててるし……声質が良いのかしらね。よく通るけど耳にキンキンってこない、良い声してるわね〜。録音して、毎晩聴きたいくらい。それにしても、真香ちゃんってどんなお洋服でも似合いそうなくらい背が高くて羨ましいわ〜。私もさーちゃんも背が小ちゃいから、背が高くて綺麗な子みると『羨ましい〜』ってなるのよ〜。姿勢もピシッとしてるし、見栄えとか写真写りがすごく良さそう……ううん、良さそうじゃなくて、絶対に良いわよね」

 

ニコニコとした微笑みのまま、真香を褒め殺した。普段、容姿を褒められることがあまりなかった真香は、

 

「え……あ……はい……」

 

戸惑いと照れ臭さが混ざった表情を浮かべ、なす術なく褒め殺され、思考力と語彙力を破壊された。

 

 真香を褒め殺した彩笑の母は、その微笑みを天音へと向けて、

 

「神音ちゃんもさーちゃんが言ってた通りね〜。大人しい感じだけど、存在感があるというか、目が離せなくて……ついつい見ちゃう感じの子ね〜。……じー……。神音ちゃんって、なんというか……天使が間違って地上に来ちゃったのかな?ってくらい可愛らしいのね〜。私もさーちゃんも生まれつき茶髪だから、黒髪サラサラな子ってすごく憧れちゃうし……。え、というかお肌白いし……すごくもっちもちしてそう……。ひたすらプニプニしていたいわぁ……。あとね、なんだかお目目が不思議ね〜。深い海の色というか……、ずっと覗き込んでいたいくらい、綺麗なお目目だわ〜」

 

同じように天音を褒め殺した。生まれつき無表情かつコミュニケーション能力がやや欠けている天音にとって、ここまで面と向かって褒められては本人のキャパシティを容易に越えてしまい、

 

「…………、…………」

 

言語能力ごと破壊される羽目になった。

 

 後輩2人が母親による褒めの暴力を振るわれたのを見て、彩笑はぷんぷんと憤慨した。

 

「もー!ママはそうやって、ボクらが連れてくる人みんなをすぐに誑かすんだから!」

 

「えー?悪気は無いのよ?特にさーちゃんが連れてくる子って、みんなすごくいい子ばっかりだから、気付けば勝手に褒めちゃうのよ」

 

「そりゃそうなんだけどさ!でもママはいきなり褒めすぎなの!ほら2人を見て!褒められすぎてちょっと固まっちゃってるじゃん!」

 

彩笑の指摘を受けた彩笑の母は困ったようにむくれて、頰に指先を当てると、

 

「んー……これでもさーちゃんに怒られないようにセーブしたのにー……」

 

ボソっと呟いた。

 

 辛うじて思考力が回復した真香は、彩笑の母のその呟きを聞き、もしかしたら今日は冗談抜きで褒め殺されて心臓が止まるのではないかと懸念した。

 

 しかし同時に、目の前で楽しそうにじゃれ合うような口喧嘩を繰り広げる彩笑と母親のやり取りを見て、真香はとても自然に、

 

(……ああ、そうか。地木隊長はこの人に育ててもらったんですね)

 

この2人が親子なんだなという事に納得し、思わず羨ましそうな表情を浮かべた。

 

*** *** ***

 

 家の中に招かれてお菓子作りの準備が整うまでの過程で、真香と天音は彩笑の母に何度も褒め殺されながらも徐々に耐性をつけて回復し、なんとかお菓子作りにこぎつける事が出来た。

 

 学校ジャージにエプロン姿の真香は、普段とは違うキッチンに物怖じせず、落ち着き払った声で彩笑と天音に向けて指示を出す。

 

「えーと……それじゃ、改めてお菓子作りを始めますね」

 

「はーい!」

 

真香の声に合わせて、同じように学校ジャージとエプロンに着替えた彩笑が明るく返事をして、

 

「ん」

 

天音も言葉短く答えた。

 

 真香はそのまま2人に向けて、お菓子を作る際の注意事項を話し始める。

 

「始める前に注意事項というか、私が伝えておきたいことがいくつかあるので、まずはそれから入りますね」

 

複数あるという説明に合わせて、真香は利き手の人差し指を立てて1つ目の注意事項を語る。

 

「1つは、食べ物を粗末にしないこと。2人がそんなことするわけないって思ってますけど、いたずらに調味料入れまくったりとか、そういうことは絶対にしないように。そういうのやったら、私は人として軽蔑しますからね」

 

表情自体は笑顔であるものの、その瞳の奥には真剣な色が濃く出ていて、彩笑はこのタブーを破ったら真香ちゃんブチ切れるやつだと直感的に判断した。

 

 次いで真香は2本目となる中指を立てて、2つ目の注意点を語る。

 

「次に、必要以上に慌てないこと。手順を1つ2つ忘れてたからって、慌てる必要は無いので。包丁とか火を取り扱う場面もある以上、不必要の慌ては怪我の元。何かあっても、まずは落ち着いて、それから行動に移りましょう」

 

普段の戦闘で咄嗟の時に半ば身体が勝手に動く天音としては、これは特に意識して守らないとダメかなと思い、それを肝に命じた。

 

 そして真香は薬指を立てて、最後の注意点を話す。

 

「そして最後。……お菓子作りは楽しいものなので、楽しんで作って、最後には美味しく食べましょうね」

 

守れますか?と最後に小さく笑いながら付け加えられた一言に、

 

「オッケー!」

 

「ん、わかった」

 

彩笑と天音はそれぞれ自分らしく返事をした。

 

 そしてその光景を、

 

「うんうん、美味しいお菓子ができるの期待してるからね〜」

 

彩笑の母はほののんとした穏やかな笑みを浮かべながら、スマートフォンで撮影していた。

 

 彩笑は母の行動をジト目で見るが、母はそれを気にする事なく撮影を続ける。

 

「いや、ママ何してるの?」

 

「うん?さーちゃんの初お菓子作りを記念して、動画に収めてるの〜」

 

「もー!流石にこういうの撮られるの恥ずかしいから撮らないでよ!」

 

表面上は怒りながらだが、どことなく照れ臭そうに彩笑は抗議する。しかし母はめげる事なかった。

 

「えー?でもさっきパパとお兄ちゃん達に、『さーちゃんが家でお菓子作ってるよ〜』って連絡したら、みんな速攻で既読ついて『動画で様子を教えて!』ってメッセージ来ちゃったし……」

 

「待って待って待って!?お兄ちゃん達はともかく、なんでパパもすぐに既読付くの!?パパ、ちゃんと仕事してる!?」

 

「ちゃんと仕事してるわよ?だって、『今日は絶対残業しない!しっかり仕事終わらせて定時で帰って彩笑の作ったお菓子食べる!』ってメッセージも来たもん」

 

ニッコニコな母から父の並々ならぬ決意、もとい娘愛を受け取った彩笑はしょんぼりしながら「親バカぁ……」と呟き、それを見た天音がいつも通りの平坦な口調で話しかけた。

 

「地木隊長は、家族の中心、なんですね」

 

「んー、そうなのかなぁ……中心というか……マスコットというか……」

 

 悩ましげに、それでいてほんの少し嬉しそうに語る彩笑に、真香がクスッと小さく笑みをこぼした。

 

「地木隊長。どうせならカメラに向かって堂々と言っちゃえばいいんじゃないですか?」

 

「……真香ちゃん、今絶対面白がってやってるよね?」

 

「いえいえ、そんなことはないですよ?」

 

白々しい笑顔で答える真香の発言をダウトだとするのは簡単だったが、彩笑はそれをせずに折れて、真香の提案を受け入れることにした。というより、こうでもして撮られている事に対して自分の中で区切りを付けなければ、お菓子作りに集中できそうになかったからだ。

 

 彩笑は意図して小さく呼吸を取ってから、キッチンカウンター越しにいる母が構えるスマートフォンに一歩近づいて目線を合わせてから、1つ咳払いを入れた。そしてスマートフォンに向けて、

 

「パパ、学兄ぃ、一兄ぃ。今からボクお菓子作るから、楽しみにしててよね。ちゃんと仕事とか学校とか野球とか終わらせてから帰ってくるように。以上!」

 

いつものような笑顔で、宣言した。

 

「おー」と呟きながら感心したようにパチパチと拍手をする真香につられて天音も拍手を重ねるが、彩笑はすぐにクルッと振り返り、

 

「よし!じゃあ始めよっか!真香ちゃん、まずは何すればいいの?」

 

意気揚々とお菓子作りへと取り掛かろうとした。だが、

 

「あ、さーちゃんごめん。今ちょうど動画切り上げてパパ達に送ってたところだったから、さーちゃんのメッセージは動画に撮れてないの。だから今のもう一回やって?」

 

ニッコリと微笑んだ母の発言に出鼻を挫かれ、恥ずかしい思いをしながらもう一度カメラに向かって宣言する羽目になった。

 

 *** *** ***

 

 ガトーショコラとトリュフ。それが真香が2人に練習用メニューとして提案したものだった。

 

 メニューを聞いた瞬間、天音は無表情のまま固まり、彩笑は露骨に苦い表情を浮かべた。

 

「えー……真香ちゃん、それ大丈夫?ガトーショコラとか難しくない?」

 

「そんなに難しくないですよ。ホットケーキ作るのに一手間二手間加えるくらいの感覚です」

 

「……ほんと?ボクらを騙そうとして、適当言ってない?」

 

疑り深い彩笑の言動を可愛らしく思った真香はクスクスと笑い、

 

「言ってないですよー」

 

嗜めるようにそう言い返した。

 

 案ずるより産むが易し、と言わんばかりに真香は2人にレシピを渡しながら、説明を始めた。

 

「まずはガトーショコラの下準備として、刻んだチョコをバターと一緒に湯煎にかけて溶かしておくのと、型の用意、それとオーブンの予熱があります」

 

 真香の発言を受けて、まずは彩笑がスタスタと歩いてオーブンの前に移動して予熱のセットを始めた。

 

「予熱予熱……真香ちゃん、何度に設定すればいいの?」

 

「180℃です。……というか地木隊長、オーブンは扱えるんですね」

 

「そ、それくらいは出来るもん!」

 

自分が思っていた以上に真香に低い扱いをされた事に彩笑はムクれつつも、きっちり180℃にオーブンをセットする。そしてその間に、事前に真香がキッチン上に用意していた型を見つけた天音が、それを手に取った。

 

「真香、型って、これ?」

 

「そうそう。それにオーブンシートをセットするの」

 

「おーぶん、しーと……」

 

 普段聞きなれない単語に天音は一瞬困惑したが、すぐにさっきの買い物でそれらしきものを購入していたことを思い出して、それを見つけて手に取った。

 

「これ?」

 

「うん、正解」

 

 正解を選んだ天音に、真香は褒めるような優しげな笑顔を送り、天音は不慣れな手つきながらも型にオーブンシートを敷いていく。

 

 天音にオーブンシートを持たせた真香は、次の指示を天音に出した。

 

「しーちゃん、せっかくオーブンシート持ってるからさ、それをまな板の上にも敷いてもらえるかな?」

 

「まな板……?」

 

「うん、そう。ガトーショコラじゃなくて、トリュフの方でそれを使うからね」

 

2つのメニューを同時に進めていくのだと理解した天音は小さく頷いて、素直に指示に従った。

 

 オーブンシートを天音に任せた真香は、予熱の設定を完了させた彩笑に次の指示を出す。

 

「地木隊長、次はチョコの用意しましょうか。今回はガトーショコラでボウル1つ、トリュフでボウルを2つ使うので、ボウル3つを用意します」

 

「ボウル3つだね、オッケー」

 

 普段料理しないとはいえ、勝手知ったる我が家のキッチン。彩笑は迷わずボウルを見つけ出して、それを3つ並べた。

 

「わかりやすくするために、付箋貼りますね」

 

 並んだ3つのボウルのフチに、真香は自前の付箋をペタっと貼っていく。それぞれ、「ガトーショコラ」「トリュフ・ガナッシュ」「トリュフ・コーティング」と達筆な文字で書かれていた。

 

「付箋、いる?」

 

 彩笑が不思議そうに尋ねると、真香は小さく笑みを返した。

 

「正直要らないんですけどね。まあ、不必要な混乱を少しでも避けたいっていうのと……」

 

そこまで言った真香はチラリと視線を、キッチンカウンターの向こうにいる彩笑の母に合わせて、

 

「写真撮った時に、どれがどれなのか分かりやすくするため、ですね」

 

茶目っ気を込めてそう言った。

 

 真香の意図を理解した彩笑の母は、ニッコリと笑んだ。

 

「あらあら〜、そこまで言われたら撮っちゃおうかしら」

 

とても楽しそうにキッチンに移動してきた彩笑母は用意されたボウルを始めとして、お菓子作りに励む3人の姿をパシャパシャと写真に撮っていく。

 

 自分以上にはしゃいでいる母を見て彩笑は気まずさと照れ臭さが入り混じったような表情を浮かべるが、そんな彩笑に真香は声をかける。

 

「でも実際、こうして写真とかに撮ってもらうと後から思い出しやすいんです。なので明日は当然として……来年も再来年も、この時期になったら写真を見返しましょうね」

 

「……うん!そうだね!」

 

真香が言わんとする事を理解した彩笑は明るく返事をして、「ママ、写真たくさん撮っていいから!むしろ撮って!」と(カメラマン)にお願いした。

 

 オーブンシートを天音が敷き終わったところで、それぞれのチョコを刻む作業へと移った。

 

「では、次にチョコを刻んでいきます。使うのは買ってきた板チョコ……ミルクチョコですね」

 

 用意したチョコの銀紙を外そうとしたところで、彩笑が「真香ちゃん」と呼びかけた。

 

「……?どうしました?」

 

「あ、えっとさ……これって、ミルクチョコじゃないやつでも大丈夫かな?例えばこの、ビターチョコとかでもできる?」

 

 彩笑が手に取ったのは、買い物の際に真香がレジを通すまでに気づかなかったビターチョコだった。真香が使おうとしたミルクチョコは十分な量があったため、別にいいかなと思ってスルーしたビターチョコだったが、どうやらそれは彩笑が意図して買い物カゴに入れていたらしかった。

 

 彩笑の提案を受けて、真香は一瞬だけ思案して答えた。

 

「ええ、大丈夫ですよ。地木隊長、何か理由があってビターチョコ使いたいんですよね?」

 

「うん。一兄ぃ……あ、2番目のお兄ちゃんがさ、甘いのちょっと得意じゃないから……」

 

「ああ、なるほど。じゃあいっそのこと、トリュフはビターテイストにしちゃいましょう」

 

ガトーショコラが甘い分バランス取れますし、と真香は小さな声で付け加えた。

 

 必要分のチョコを取り出してまな板の上に置き、それぞれの前に彩笑と天音が包丁を持って並ぶ。

 

「次は、チョコを細かく刻んでそれぞれのボウルに入れます」

 

「刻むのは、どれくらい、細かく、やればいい、の?」

 

天音が最もな疑問を尋ねると、

 

「そこは、まあ……感覚で」

 

真香から酷く曖昧な答えが返ってきた。

 

「……」

 

答えになってない、と言いたげな雰囲気を天音は醸し出すが、それに対して真香は申し訳なさそうに苦笑する。

 

「ごめんね。だって普段作る時って、慣れで大体このくらい……っていうのでやってるからさ」

 

「……え?普段から、真香、こういうの、作る、の?」

 

「普段からっていうか、小腹空きそうになったらその時冷蔵庫にあるもので色々作る感じだよ。今日2人に渡したレシピだって特別調べたものじゃなくて、私がそういう時に作るのを文字に起こしただけだし」

 

さらっと告げられた真香の発言に、彩笑と天音は戦慄する。小腹空きそうだから何か作るという発想そもそも存在しなかった2人に取って、真香の発言は異国人のそれだった。

 

 呆気に取られる2人に苦笑しながら、真香は柔らかな声で指示を出す。

 

「まあ、ひとまず刻んでください。丁度いいところで私が言いますから」

 

もはや完全に先生と生徒の関係になった彩笑と天音は、大人しく真香の指示に従い、チョコをザクザクと刻み始める。

 

 躊躇いなくチョコを刻む2人を撮影していた彩笑の母が、不思議そうに呟く。

 

「……2人とも、普段お料理しないのに刃物を怖がらないのねぇ。少なくとも私、さーちゃんに包丁触らせたことないのに……」

 

彩笑の母の発言を聞いた真香は、

 

(まあ、2人とも普段から刃物は扱ってますからね……)

 

 内心クスクスと笑いながら、そんなことを思った。

 

 

 

 後々になって真香が2人に初めて包丁を持った時の事を尋ねると、

 

「スコーピオンより重くて使いにくかった」

 

「弧月より軽くて使いにくかった」

 

それぞれそう答えて真香を笑わせたのであった。

 

*** *** ***

 

 火にかけた鍋が謎の爆発を起こす、砂糖と塩を間違える……といった不要なミスを起こす事なく、和水先生によるお菓子教室は無事に進んでいった。

 

 ガトーショコラはオーブンで焼きあがるのを待つ段階まで進み、トリュフの方はガナッシュ……いわゆる中身の部分を冷蔵庫で冷やし終わる段階まで進んだ。

 

 冷やし終わったガナッシュを真香の指示で冷蔵庫から取り出した彩笑は、思わずと言った様子で呟く。

 

「おお、なんか……すごい手作りっぽい雰囲気が出てきた……」

 

「はい……」

 

彩笑に同調するように天音はコクコクと頷く。お菓子作りの面白さを感じているであろう2人に、真香は次の指示を出す。

 

「それじゃ、これからこのガナッシュをお団子みたく丸くします。待ち時間でレシピ読んだから分かると思いますけど、冷やしたガナッシュは人肌の温度で溶けてしまうこともあるので、このボウルに張った冷水で小まめに手を冷やしながらやってくださいね」

 

「はーい」

 

「ん」

 

言われた通りに2人がガナッシュを丸め始めたのを見て、真香は静かに次の工程に移った。

 

(あとは2人がガナッシュ丸め終わるまでに、コーティング用のチョコを湯煎にかけて……)

 

頭の中で内容を文字に起こすが、真香の動きはそれより早く進み、最初に用意していたコーティング用の刻まれたチョコが入ったボウルを手に取って、あらかじめ用意していた55℃のお湯を張ったボウルに重ねて湯煎にかけ始めた。

 

 2人の動向に目を張りながらも自分の作業とガトーショコラの焼き上がりも気にかける真香の姿を見て、彩笑の母が動画の撮影を一旦止めて、コソコソと真香の側へと近寄った。

 

「真香ちゃんって、本当に出来る子なのね〜。周りを見ながらバランスを取ってというか……いろんな事を考えながら2人に教えてるのが分かるわぁ……」

 

「あら。ありがとうございます」

 

褒められた事を素直に受け取り、にこりと優等生スマイルを真香は返した。

 

「でも……」

 

「……?」

 

彩笑の母はひどく不思議そうに、小首を傾げながら言葉を紡いだ。

 

「そんな真香ちゃんはさーちゃんのチームメイトで……その、普段はさーちゃんがチームのリーダーで……というか、隊長で、あれこれ指示を出してるんでしょう?」

 

「ええ、そうですよ」

 

真香の即答を受けて、彩笑の母はますます困惑したかのように、頭の上に沢山のクエスチョンマークを浮かべる。

 

 何が不思議なのか、と、真香が詳細を尋ねようとした時、

 

「真香ちゃん、ガナッシュ丸め終わったよ!」

 

彩笑と天音がすべてのガナッシュを丸め終えて、それを知らせてきた。作業をあまり滞らせる事を良しとしない真香は、申し訳なさそうな表情を彩笑の母へと向けた。

 

「すみません、地木先輩のお母さん。そのお話は、また後でしましょう」

 

湯煎にかけ終えたチョコを持って移動して、真香は2人のそばにそのボウルを置いた。

 

「さて、次はこの湯煎したチョコを、ガナッシュにコーティングしていきます。手にコーティング用のチョコをつけて、あとは今丸めた要領でガナッシュにコーティングしちゃってください」

 

チョコが熱く感じると思うので気をつけてくださいね、と真香が付け加えて言うと、2人は楽しそうに湯煎されたチョコを手につけてガナッシュをコロコロと手のひらで回し始めた。

 

 表情に隠さずに出している彩笑は言わずもがな、天音も無表情ながらもどことなくウキウキとした雰囲気であり、2人が楽しそうにお菓子作りをしている姿を見て、真香は安心して胸を撫で下ろした。

 

 不意に、ガナッシュをコーティングしながら彩笑が呟いた。

 

「なんかさ、やってることは違うけど……結局いつもの形だね」

 

その発言の意図を、真香はすぐに理解する。

 

「あはは、そうですね。ランク戦と同じです」

 

「だよね!多分それだからだと思うんだけど、今日初めてやる事のはずなのにすごく安心感ある!」

 

ニコニコと、本当に楽しそうに笑いながら彩笑はそう言う。

 

(お菓子作りを楽しむように、とは言いましたけど……こんなにも楽しそうにしてくれるのは予想外……)

 

 果たして自分にも、こんなに夢中になってお菓子作りをした日があっただろうかと真香が考えている間に、なんやかんやで器用な彩笑と、お菓子作りをモノにしつつある天音は全てのガナッシュをコーティングし終えた。

 

「真香ちゃん、どう!?」

 

自信満々にコーティングし終えたガナッシュを見せられた真香は、バッチリですと言わんばかりに笑顔を返す。

 

「そしたら仕上げで、このピュアココアを引いたバットの中に入れて、コロコロって転がしてあげてください。表面に満遍なくココアがついたら、トリュフは完成です」

 

 真香が言い切るのと同時にオーブンから「焼き上がったぜ!」と主張するチンという音が鳴り、天音がオーブンに素早く視線を向けた。

 

「できた、かな……?」

 

淡々とした口調ながら自信なさげな雰囲気の天音に対して、真香はその不安を煽るように意味深な笑みをこぼす。

 

「ふふ、どうだろうね〜?途中何回か外から確認したけど……焼きすぎてダメになっちゃってるかも?」

 

「うー……。真香、言い方が、イジワル」

 

「いやいや、私も実際そういう経験あるし。……まあ、とにかく開けてみなよ、しーちゃん」

 

そういう経験ある、の部分がガチトーンだったため天音は一層不安になったが、腹をくくってゆっくりとオーブンを開ける。

 

 慎重にガトーショコラを取り出す天音の姿を後ろから見守る真香は、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。

 

「出来てるよ、って答えるのは簡単だけど……その一言で、初めてお菓子を作った時の1番の楽しみを奪っちゃうのはもったいないでしょ」

 

取り出されたガトーショコラの出来栄えは、天音と彩笑の後ろ姿に阻まれている真香には見えない。だが……出来上がったガトーショコラを見て顔を見合わせた2人が零した綺麗な笑みが、確認するでも無く、成功を何よりも証明していた。

 

 

 

 この後、ガトーショコラの粗熱を取る傍らでキッチンを片付けて綺麗にしている間に、彩笑(娘・妹)の手作りチョコを食べたいがために必死になって帰宅した彩笑の父親や2人の兄にも真香と天音は褒め殺され、ゴリ押される形で夕飯までご馳走になり、お菓子を食べた男家族(親バカ&シスコン)が感極まって号泣するという事件が起こるが、それはまた別の話。

 

 

 

 そして地木隊はこの日と翌日の練習を経て、バレンタイン当日を迎えることになる。




ここから後書きです。
世間はハロウィンらしいですが、そんなの知ったこっちゃないバレンタイン編が始まりました。

今回の話を書くにあたって「地木家の設定とか練ってたかな…?」と思って設定集もどきを漁ったところ、彩笑の部屋に関して「サボテン」とだけ書かれたメモは見つかりました。部屋もしくはベランダでサボテンを育ててる彩笑。

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