ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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前書きです。

連続投稿になりますので、話数の確認をお願いします。


第102話「本音はお酒の香りと共に」

 天音が酔っている事に気付いた月守は、ひとまず他の隊と同じように作戦室に隔離しなければと思い、天音の細い腕を引いて地木隊作戦室まで辿り着いた。

 

「隔離したはいいけど……捜索は一旦中止だな」

 

外部から一方的に部屋をロックする事が叶わない以上、月守は酔った天音と共に作戦室に籠らなければならない。しかし当然ながら、それをしている限りは忍田に頼まれた調査は不可能になる。

 

(ひとまず現状を忍田さん……いや、真香ちゃんに報告して……)

 

これまでの報告も兼ねてメールしようと月守が右手でスマートフォンを取り出した瞬間、

 

「ぅー……。つきもりせんぱい、いきなり、うで、ひっぱるから……こわかった……」

 

隣にいた天音が、今にも泣きそうな顔をしながらその小さな両手で月守の右手を抑えた。

 

「…………」

 

 弱々しく握ってくる小さく頼りない両手が、指先の仄かな温もりが、涙を溜め込んだ碧みがかった黒い両目が、ほんの少しだけ震える鈴の音のような声が、月守の動きを止めた。

 天音の全てに囚われて月守の体はまるで固まったかのように動かなくなり、そして徐々に罪悪感にも似た感情がふつふつと湧き上がってきた。

 

「ご、ごめん! 大丈夫だった!?」

 

 その感情に駆られて月守は半ば反射的に謝った。謝ってもらえた事……というよりも心配してくれたと感じた天音は、笑みを浮かべた。

 

「うん。だいじょうぶ、だよ」

 

 普段なら絶対に見せない(できない)であろう、へにゃりとした柔らかな笑みで、天音は答える。

 

 天音の笑顔を向けられた月守は、自身の動悸が激しく乱れたのを感じた。

(落ち着け、落ち着け俺!)

平静を乱すまいと自身に言い聞かせながら、月守は会話がどの程度通じるかの確認も兼ねて、天音に問いかけた。

 

「神音。もしかして、チョコレート食べた?」

 

「……?」

 

少し間を空けて、カクっ、と首を傾げた天音は、ゆっくりと首の角度を戻してから質問に答えた。

 

「うん。たべ、たよ?」

 

「そっか。どこで食べたか、覚えてる?」

 

「んっと、ね……、しらぬいさんの、おへや〜」

 

ぽよぽよとした雰囲気に、言葉遣いや言葉選びに幼さを感じた月守は、天音は酔うと幼児退行するタイプだなと頭に刻み込みながら、対話を続ける。

 

「不知火さんの部屋だね。どれくらい食べたか、覚えてる? 言える?」

 

「えっと……」

 

食べたチョコの数を問われた天音は視線を落として自身の左手に向け、

 

「ひとつ、ふたつ……? みっつ……? ……んっと、ふたつ……?」

 

困り顔で指折りしながら数を数え始めた。

 

 そんな天音の姿を見て、月守は何の躊躇いもなく、

(なんだこの可愛い生き物は)

そんな思いが心から湧き上がった。

 

 そんな月守に、酔った天音は無自覚に追い打ちをかける。

 

「えっと……わかんない。でもね、そんなに、たくさんは、たべてない……。……おこる?」

 

まるで悪い事をして親に叱られるのを怖がる子供のような、怯えて揺れる目で天音は月守の事をジッと見つめた。

 

 その目は再び、月守にさっきと同じ感情を抱かせた。罪悪感に似た、いたたまれない思いに蝕まれて、月守は咄嗟に天音の恐怖を否定するために頭を左右に振った。

 

「怒らないよ」

 

「……ほんとう? ほんとうに、おこら、ない?」

 

「うん、怒らないよ。だから、安心してね」

 

幼子のような言動の天音に釣られて、月守も自然と子供と接するような話し方になっていた。

 

 怒ってない、と穏やかな声で言われた天音は、強張っていた顔をふにゃっと緩めた。

 

「ふふ、よかった……」

 

安堵した天音は、ふらふらとした足取りで室内を歩き始めた。天音が離れたところで、月守はスマホを操作して、素早く真香にメッセージを飛ばした。

 

『神音が酔ってる。作戦室に隔離してる』

 

暗に、自分は今動けない、という意味を込めたが真香ならそれを汲んでくれると月守は信じた。

 

 メッセージを送信した後で、月守は自身の状態以上に伝えるべき案件があった事を思い出す。

 

『不知火さんの居場所

 

しかし文字を打ち込んでいる途中で、

 

「つーきもーりせーんぱい。ここ、きーて」

 

いつの間にやら作戦室のソファに座った天音が、無邪気な声と笑顔で月守を呼びつけた。

 

 自身の左隣のスペースをぽんぽんと手を叩く仕草を見るに、隣に座ってほしいのだと月守は察した。書きかけのメッセージを急いで完成させて送信して、スマートフォンをポケットにしまい込んでから、天音の指示に従う。

 

 月守は基本、酔っ払いを相手にする時はまず相手の指示に従う。日頃から彼が酔っぱらい(不知火)相手に身につけた経験だが、会話が成立する程度の酔いならばまだセーフなのだ。真に恐れるべきは、ふとしたきっかけで癇癪を起こされてしまう事だ。

 

 ゆえに月守は、自身の経験に従って酔った天音の指示にひとまず従い、彼女の左隣にそっと座った。

 

「ふふふー」

 

満足げな笑みを浮かべているあたり、どうやら隣にいて欲しかっただけらしい。

 

 月守はとりあえず、アルコールのせいで低下した天音の脳内キャパを越えない程度に話しかけることにした。

 

「神音、酔ってる?」

 

「う? ……んー……? わかん、ない」

 

 ゆっくり一音一音丁寧に月守が問いかけ、天音はそれに対して地に足が着いてないような、ふわふわとした輪郭の言葉で答える。

 

「じゃあ、気分はどう? お酒で、気持ち悪くなってない?」

 

「んー……、ちょっと、きもちわるい、かも……?」

 

「そっか。じゃあ気分悪いなら、何か飲む?」

 

スポーツドリンクでも飲ませて酔いを緩和させようと画策していた月守だったが、この作戦室の冷蔵庫にある飲み物は、妖怪ココア冷やしが夜な夜な笑顔で仕込んだココアしか入ってない事を思い出し、心の中で舌打ちをした。

 

 ダッシュでスポーツドリンクを買ってくるかと一瞬悩んだ月守だったが、結果としては、

 

「ううん、いらない」

 

天音の否定の言葉で動きを止められ、

 

「つきもりせんぱいが、となりに、いて、くれたら、しおんはまんぞく、だよ?」

 

天音が気恥ずかしそうに言いながら、その小さな手で月守の右手をぎゅっと握った。

 

 瞬間、月守の呼吸と心臓は、一瞬止まった。

 

 月守咲耶にとって酔っぱらいとは、ほぼほぼ不知火か、彼女がたまに自宅に連れてくる飲み友のことをさす。彼女たちを一言で表すなら『面倒臭い』存在であった。

 

 話が通じなくなる。

 同じ話題を延々と繰り返す。

 時には糸が切れたように眠り込む。

 時には嘔吐する。

 何度振り払ってもしつこく絡んでくる。

 

 彼にとって酔っぱらいとはそんな存在であった。程度に差はあるだろうが、人の負の一面が垣間見える状態だと、月守は思っていた。

 

 しかし今、4年かけて築き上げてきた彼の中の酔っぱらい像が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 

 こんな可愛い酔い方をする人がいるのかと、月守は多大なショックを受けた。

 

 酔っ払いをあしらう事に自信があった。しかし月守は、それは自信ではなく自惚れであり、そして勘違いだった事に気づく。

 

 彼があしらう事が出来るのは酔っ払った不知火だけなのだ。

 

 今、目の前にいる天音には、四年かけて培った経験が全く通用しない可能性がある。それを自覚した月守は、どうすればいいのかと悩み、行動が完全に停止した。

 

 目の前で完全に動きを止めた月守を見て、酔った天音はニッコリと、とても楽しそうに笑った。

 

 飼い主と戯れたくてウズウズする子犬を想起させる可愛らしい笑みを浮かべた天音は、

 

「えへへ、すきあり〜」

 

イタズラを仕掛ける子供のような純真さで、隣に座る月守を押し倒した。

 

*** *** ***

 

 キリキリと痛む胃に耐えながら、忍田真史は本部作戦室で不知火製チョコレートによる被害の沈静化に勤めていた。

 

 組織のトップである城戸や幹部である鬼怒田や唐沢がチョコにやられた時は冗談抜きで脂汗がにじみ出て内臓が冷えたものの、事態そのものは現在収束に向かっている。

 

 チョコそのものはあらゆる場所にばら撒かれたものの、幸いにも数はそこまで多くない。酔ってしまった隊員がSNSに不適切な画像や動画を投稿するといった事態も、まだ起きていない。今は素面の隊員が連携を取り、チョコレートの回収及び酔っ払った隊員の介抱に当たっている。今も、忍田の指示のもとで嵐山隊と三雲が加古隊の救助に当たっている。

 

 事態が収束に向かい、精神的・思考能力的に落ち着きを取り戻せた忍田は、その余裕ができたリソースを、首謀者(しらぬい)の居場所特定へと向けた。

 

(……この状況で、不知火はどこに逃げた?)

 

 組織に勧誘した張本人であり、それなりに長い付き合いである不知火の行動パターンを、忍田は腕組みをしながら予想する。

 

(いつだったか、不知火は言ってたな……。『勝負で勝つ1番楽な方法は、前提を崩す事』だと……)

 

 記憶の中にいる、今よりも幼い顔つきの不知火が語った戦法に則り、忍田は自身の思考の前提を疑う。

 

(前提……逃げた場所か? 本部の中にいると思っていたが本部にはもういない……いや、それは無い。不知火のトリガーはこちらが抑えている。トリガー無しに本部への出入りは不可能だ)

 

 崩すべき『前提』は、『場所』では無い。ならばどこか……忍田は、堤大地が医務室に運び込まれたという報告を聴きながら思考を巡らせるが、あらゆる可能性が浮かんでは消えて、すぐに思考は行き詰まりとなった。

 

(八方塞がり、か……)

 

 先に事件を完全に収束させ、不知火は最後に人海戦術で探し出すべきだと忍田が判断した、その瞬間、

 

「忍田本部長! 不知火さんの居場所が掴めました!」

 

 慌てた様子の真香が忍田のそばに駆け寄り、吉報を伝えた。

 

*** *** ***

 

 彩笑がしれっと他人に言いふらしながらも、意外だと思われがちな事の1つに、

「咲耶は中途半端な状況のアドリブに弱い」

というものがある。

 

 何事にも思考から入るタイプの人間にはさほど珍しい特徴では無いのだが、『中途半端な』という所がポイントだ。

 

 月守はいわゆる「理論派」と呼ばれるタイプの隊員であり、基本的に思考を組み立てて行動に移す。しかしその思考形式は月守のかつての相方である夕陽柾によって修正されて身についたものであり、根っこの部分は『感覚派』である。

 

 例えば「殺意を持って刃物を向けてくる人が急に現れた」のような緊急事態ならば、状況に合わせて迎撃や逃走など適切な選択肢を迷いなく取れる。逆に、その咄嗟の判断が働かないような緊急性が低い、もしくは命に関わるような危機では無い場面、あるいは自身の想像力で想定できていないような状況には、めっぽう弱い。

 

 結果、

 

「ちょ……神音、ちょっと待って……」

 

「ふふふ〜、やーだー」

 

割りかしあっさりと、酔っ払った中学生に押し倒されていいように遊ばれていた。

 

 天音は押し倒した月守に跨ってニコニコと笑うものの、特別なにかをするわけではない。時折、戯れるように細い指先で月守の髪の毛を弄ったり、

 

「つきもりせんぱい」

 

と、アルコールで鈍った舌足らずな口で月守の名前を呼ぶが、それだけだ。そして月守がその呼びかけに反応すると、

 

「えへへ。よんでみた、だけ」

 

 とても幸せそうに微笑み、弄ぶように答えるだけだった。

 

 月守としても、一応の抵抗は試みている。上に乗られているとはいえ、細身な天音の体重などたかが知れており、その気になれば力ずくで起き上がる事もできるだろう。だが、月守がその手の行動に移ろうとすると、

 

「ん〜? だーめー」

 

天音は無邪気な笑みのまま、月守の動き出しを抑えてしまう。力が入れにくい絶妙な部分を手で押さえられたり、身体の位置を動かされて体重の掛け方などを変えられると、まるで魔法にかかったかのように月守の抵抗は封殺されてしまう。

 

 単純に、天音が生来持っている運動センスが図抜けて高いためこの上なく的確に月守の動きを抑えているというのもある。だが、それ以上に、

 

(ちょっ、待って神音! 制服でその動き方はアウト! スカートで跨ってる時点でアウトだし何か甘くていい匂いする! ってか神音体温高っか! ポカポカしてる! 何!? 酔ってるから!? あとずっと笑顔なのズルくない!? それと抑えてる指先を時々もにょもにょ動かすのくすぐったいし、なんか、もう……あああああ!!!!!)

 

月守がテンパりすぎてまともな対応ができないというのが最たる理由だった。酔っ払った後輩女子に物理的にも立場的にもこれほどにマウントを取られているこの状況は、当たり前ながら月守にとって初めての経験であり、彼のキャパシティを余裕で超えた。

 

 不幸中の幸いは、キャパシティを超えすぎたゆえに、一周回って表情は無表情になったことくらいである。

 

 月守にとって、ある種の拷問のような時間がしばらく続いた。人によっては、「おい月守、ちょっとそこ代われや」と言いたくなる状況だが、月守にとっては拷問だった。

 

 いつまでも続くのか、と思えるような錯覚に月守が陥りかけた時、

 

「……つきもりせんぱい。しおんは、おもい、ですか……?」

 

 不意に天音が、そんな質問をしてきた。

 

「え……?」

 

問いかけに戸惑い、しどろもどろになりながらも月守は天音を見上げる形で見据えて、何とか言葉をひねり出す。

 

「……とりあえず、食べた物はどこに消えてるんだろう、って思うくらいには軽いけど……」

 

「ぅ……うれしい、けど……そうじゃ、なくて……」

 

ずっと戯れてくるような、遊びに興じる子供のような雰囲気を漂わせていた天音だったが、その空気は一瞬で消えた。

 

 悲しさを堪え、少しでも触れたら泣き出してしまいそうな顔で、天音は月守を真剣に見据えて質問をしてきた。

 

「……しおんは、おもく、ない……? みんなの……ちきたいの、みんなの、あし、を、ひっぱって、ない……?」

 

 地木隊(みんな)の足を引っ張っていないか。

 

 そう問われた月守は答えに迷わなかった。

 考えるよりも先に、彼の感覚が答えを口にした。

 

「なってないよ。神音は、そんな事してない」

 

偽りのない本心ではあるが、その答えは天音には届かなかった。

 

 きっと彼は、本心がどうであろうと、そういう答えをくれると信じてたから(予想していたから)

 

 予想通りの、言葉に何の意味も重みも見出せない答えを聞き、天音の目尻に涙が溜まる。軽く指を曲げてシワがよった紙のように、クシャリと表情を歪めた。

 

 天音はそのまま月守の身体にしな垂れかかって表情を隠し、彼の心臓(こころ)に向けて涙ぐんだ言葉を突き刺す。

 

「しおんが、いなかった、らって、かんがえたの……。そしたら、みんな、もっともっと、じゆう、だったの……」

 

「……自由? どんな風に?」

 

 月守に促され、天音は自分が思い描く『私がいなくてもっと自由になった地木隊のみんな』を語る。

 

「ちきたいちょう、はね……。しおんのこと、きにしないで……あわせなくて、よくなる、から……、もっと、やりたいこと、たくさんできるように、なる、かなって」

 

「うん、そうかもね」

 

 月守は決して天音の言葉を否定せず、ただ静かに肯定して、悲しい"もしもの世界"を語らせる。

 

「まなかは、がっこうで、わたしのめんどう、みなくてよくなる、から……もっと、すきなべんきょう、たくさんできる、し……。もしかしたら、そのじかんで、とっくんして……、いやなこと、こくふくできるかも、しれないし……」

 

「かもね。自分のために自分の時間を、たくさん使えるようになるだろうね」

 

 天音は言葉の端々に嗚咽を混ぜ、自分がいない世界にいる最後の1人の事を語る。

 

「つきもりせんぱいは……しおんのために、いっしょうけんめいにならなくて、よくなる、から……。いろんなひとの、ために、いろんなこと、できるように、なる、の……に……」

 

 言葉を絞り出すのが辛くなったのか、天音の言葉はそこで途切れた。

 

「……」

 

 月守は無言で、しな垂れかかる天音の華奢な身体を抱きしめるように手を回して、ガラス細工に触れるように優しくトントンと背中を叩いた。

 

 もういいよ、と言われたような気がした天音は小さく頷き、言葉を止める。

 

 月守は一度、天音の存在を確かめるように、優しく抱きしめた。

 

 思ってた以上に細く、薄い背中だった。戦いとはまるで無縁で、戦場で居合わせたら何かの間違いで迷い込んだ子なのかなと思ってしまうほどに頼りない、華奢な身体である。

 

 ほんの少しだけ震える天音の身体を抱きしめながら、月守は思う。

 

(……この細い身体で、神音(きみ)は色んなものを背負い込みすぎだよ)

 

 少しの力で砕けてしまいそうな、この背中で、チームのエースポジションとしての期待や、治る見込みが薄い病を抱えてると思うと、胸が痛んだ。

 

 背負っているものを少しでも軽くしてあげることが出来れば、と思いながら、月守は天音に優しく言葉をかける。

 

「……神音は、みんなの足を引っ張るような事、してないよ」

 

「……」

 

 天音は「そんなのウソです」と言いたいのをグッと堪え、無言を貫き通す。疑ってくる天音の背中を優しくさすりながら、月守は言葉を続ける。

 

「……確かに、もし神音がいなかったら……彩笑はもっと思った事をたくさん出来るようになるかもしれない。真香ちゃんも、自分のトラウマと向き合う時間が増えて克服への道が見えるかもしれない。俺も……色んな人と、もっと関わりが持てるようになるかも、しれないね」

 

「……ほら、やっぱり……」

 

ゆっくりと身体を起こした天音は、穏やかな表情の月守を見つめながら、その事実を自覚する。じわりと天音の視界はぼやけて、右目から一筋の涙がこぼれた。

 

 頰を伝う涙を、月守は左手の親指で受け止めて、そのまま手を天音の頰に添える。

 

「……でもね、神音。そうやって、やりたい事をなんでもできるようになった彩笑は、きっと……誰にも……俺でもついていけない速さで、1人で先に行って……独りぼっちになっちゃうよ」

 

「……」

 

月守は、天音が言わなかった"もしもの世界"の続きを、淡々とした声で紡ぐ。

 

「真香ちゃんも……1人で自分に向かい合う時間が増えるから、その分、1人で辛い思いに向き合う時間が増えちゃうね」

 

「……うん」

 

小さく頷きながら、天音は月守が語るもしもの世界の行き着く先を想像する。

 

「そうなったら俺も……そんな2人に倣って、そのうち1人で色々勝手にしだすよ」

 

「……みんな……」

 

月守がもしもの世界を通して伝えたかった事を、天音はポツリと呟いた。

 

「……ひとり、だね」

 

「そう……独りぼっちなっちゃうんだよ、神音」

 

 碧みがかった黒い瞳を真っ直ぐに見つめながら、天音がここにいる意味を告げる。

 

「もしも神音がいなかったら、彩笑も、真香ちゃんも、俺も……多分今頃1人だよ。少なくとも、今よりみんな仲良くはなってない」

 

 思いを告げる月守は過去を回想する。

 

 今より髪が長く、自分の事が嫌いで嫌いで仕方なかった天音がこの作戦室に足を運び、俯きながら『このチームに入りたい』と震える声を絞り出してくれた日の事を思い出しながら、月守は、

 

「あの日、神音がこの作戦室に来て……このチームに入りたいって、言ってくれたから、俺たちは今、こうしていられる(チームでいられる)。神音が、みんなを繋げてくれてるんだよ」

 

 優しい声で、天音がここにいていい理由を言い聞かせた。

 

「……ほんとう? ……しおんは、ここにいて、いい……?」

 

 天音はあの日と同じように震える声で、自分の存在意義を問いかける。

 

「もちろん。いてくれなきゃ困るし……、チームのエンブレムの意味が無くなっちゃうよ。それに……」

 

「……それに?」

 

 口を噤んで躊躇い、勿体ぶった月守を天音は不思議そうな目で見つめて、紡がれる言葉の続きを待つ。

 

 月守は迷った。少し照れ臭い、この言葉の続きを伝えるべきか迷った。

 

 迷ったが、それでも伝えることにした。

 

 この瞬間の記憶を酒によって忘れてくれますようにと心の片隅で願いながら、月守は、

 

「何より、俺が……神音と一緒にいたいから。……だから神音。お願いだから、地木隊にいてよ」

 

それらしい理屈を幾千と並べる事をせず、自身の心からの本音を伝える事を選んだ。

 

 その言葉が天音にどんな風に届いたかは、月守にはわからない。天音はただ小さく頷いて左の瞳から涙を零し、月守はそれをさっきと同じように左手で受け止める。

 

 左手の向こうで、天音は言う。

 

「……月守先輩、ありがとうございます」

 

 その声は近くにいる月守に聞こえないほど小さく、その上に口元は左手で隠されていたので、誰にも届くことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな2人のやり取りを、作戦室の奥の小部屋から見つめる者がいた。

 

(よし行け咲耶。話してる内容は聞こえないけど、雰囲気は良さげだ。ワタシの子なら、このまま逆に押し倒せ!)

 

彼女は、画面越しでドラマを観ているような野次馬根性全開で、2人のやり取りをこっそりと見守る。

 

 しばらく分かりやすい動きがなかったが、彼女の心の声が届いたのか、ここで2人が動いた。

 

(お、動いた動いた。さて、どうなる……?)

 

ワクワクとした面持ちでそれを観察するが、結果として2人の動きは彼女の期待外れに終わった。

 

 月守が起きれるように天音は彼の上から降りてソファにきちんと座り直し、月守はそんな彼女の頭を優しく撫でた。

 

 会話こそ聞こえないものの、雰囲気的に天音がもう月守に絡む気配が無くなったのを感じて、彼女は一旦小部屋の奥に引っ込んだ。

 

(むぅ……あの状況で手を出さないとはね。まったく、咲耶は誰に似たのか草食だ)

 

月守の事を草食だと心の中でなじりながらも、彼女はそこで一度考え直す。

 

(いやでも……ここから何かある可能性もワンチャンある……?)

 

 そう思い、そろりそろりと小部屋からこっそり顔を出して2人の事を見ようとするが、

 

「何してるんですか、不知火さん」

 

いつのまにか小部屋の目の前に移動して腕組みをしながら、ややお怒りの表情の月守に咎められ、不知火はやんわりと笑った。

 

「あれ? 天音ちゃんは?」

 

「なんか、眠いって言い出してすぐに寝ちゃいました」

 

 不知火は視線を月守の後ろに向けると、そこには確かにソファで横になって、スヤスヤと規則正しい寝息を立てて眠る天音の姿があった。

 

「あー……。酔うと眠くなるよね。……それに、天音ちゃんは眠れない夜があるって言ってたから……寝れる時に寝かせてあげなきゃね」

 

 何気なく不知火が口走った言葉に、月守は眉をひそめた。

 

「眠れない夜?」

 

「……まあ、それは置いといて、だ。よくワタシがここにいるって分かったね。いつから?」

 

 露骨に話題をそらしつつも、観念した様子で不知火は小部屋から姿を現す。逸らされた話題を気にしつつも、月守は不知火の質問に答える。

 

「俺たちが作戦室に戻ってくる直前、ですね」

 

「あはは、流石にそれは強がりが過ぎない?」

 

 疑ってくる不知火に対して、月守は根拠を提示する。

 

「自分が探されてると知った時、必ず自分の事を探す側の頭数の中にいて、それでいて見つけてくる可能性が1番高い……高い精度で自分の思考を読んでくる人は誰かと考えた時、貴女はきっと俺の事を想定しましたね?」

 

「まあ、仮にそうだとしよう。それで?」

 

 月守の言葉を、不知火は楽しそうに聞き入れる。

 

「だからきっと、不知火さんはこう考えたはずです。俺が貴女の思考を読んだ上で、絶対に探さない場所はどこかと」

 

「……それが、ここだったわけか」

 

「はい。探し始めたスタート地点であるここは、探したって意識が限りなく低いので、2回目3回目と探した場所を確認しようと思った時、スルーしてしまいそうだったので。不知火さんなら、それを読んでここに隠れるだろうなと思いました」

 

月守は根拠を突きつけたが、

 

「……いやまあ、そういうのもあるかもしれないけど。ワタシは単純に、普段いる研究室とか以外で、どっか隠れる場所ないかなって思った時に、パスワード知ってる部屋がここくらいだったから逃げ込んだだけなんだけどね」

 

不知火はしれっと偶然だった事をカミングアウトし、月守を赤面させた。

 

 ドヤ顔で理由を説明しただけあって月守が受けた反動は大きかった。穴があったら入りたいと月守は小声でボソっと呟き、それを聞き逃さなかった不知火はケラケラと笑う。

 

「まあ、理由はどうあれワタシは見つかったからね。ひとまずもう1回逃げるとするよ」

 

「いや、逃がしませんよ。大人しく本部に自首してください」

 

逃す気が無い月守が不知火の前に立ちはだかるが、不知火はカードを一枚切る。

 

 白衣の右ポケットからこれ見よがしにスマートフォンを取り出し、ニヤリと笑う。

 

「咲耶……さっきの天音ちゃんとのやりとりが、これの中に動画として残ってる。ワタシの邪魔をするなら、本部内のネットワークに君の……いや、天音ちゃんの恥ずかしい動画が流れ出る事になるよ」

 

「……っ」

 

 手塩にかけて育てた子供のことだ。不知火は月守の事をよくわかっていた。

 

 自分の痴態だけならいざ知らず、後輩のそれを盾に取られてしまっては、月守は手を出せなくなる事を、不知火はよく知っていた。

 

「外道」

 

本音8割程度に月守は不知火をなじるが、なじられた本人はどこ吹く風かと笑い飛ばす。

 

「大人は汚いぞ。よく覚えておきなさい」

 

 月守の動きを封殺した不知火は、堂々と地木隊作戦室を闊歩し、出入り口へと向かう。

 

(上手くいってよかった……。さてさて、次はどこに逃げようかな……?)

 

 次なる逃走先を思案しながら、不知火は出入り口の扉を開けた。すると、

 

「どこへいく気だ、不知火」

 

開けた扉の先には、腕組みをして行き先を塞ぐように立つ忍田の姿があった。

 

「デジャヴ……」

 

つい1分くらい前にも同じような光景見たな、と思いながら、不知火は苦笑いを浮かべる。

 

「忍田先輩、現着が早すぎないかい?」

 

「事前に月守から連絡をもらえたからな」

 

言われて不知火は、ジロリと月守に目を向けると、月守はしてやったりと言いたげに笑っていた。

 

視線を忍田に戻す途中に左の通路を確認したが、嵐山と時枝が待ち構えているのが見えた。

 

(きっと右の通路も誰かいるんだろうね)

 

退路を塞がれた事に観念し、不知火は降参だと言わんばかりに両手を挙げた。

 

「忍田先輩、言い訳をさせてくれないか?」

 

「聞くだけ聞こう」

 

「あのお菓子は多分、お酒を複数混ぜたのがいけなかった。調子に乗って三種類ブレンドはやりすぎた」

 

そこそこ真面目に自身の反省点を口にする不知火だが、

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

煮えたぎるマグマのような視線で睨まれた不知火は、言うだけ言おうと考えていた百八の言い訳を頭から消し去った。

 

(長々と語って怒りを鎮めるのは無理かな?)

 

 お叱りコースはもう避けられないと踏んだ不知火は、1つため息を吐いた。

 

「言いたいことは、それだけか?」

 

 今一度確認するように言った忍田に対して、不知火はイタズラっぽく笑った。

 

「うーん、あと1つだけいい?」

 

「なんだ?」

 

「ハッピーバレンタイン、忍田先輩」

 

食事の前に『いただきます』と言うのと同じくらい自然に不知火はそう言い、左のポケットから丁寧に包装された小包みを取り出して忍田へ差し出した。

 

「……なんだ、これは?」

 

「チョコ。ノンアルコールでワタシお手製の安全品」

 

 チョコを差し出しながら、不知火はやんわりと笑う。

 

「部下が見てる手前だ。乱暴に突っぱねる事は出来ないだろう?」

 

「……」

 

 どう動くべきか忍田が迷う中、気配を消して不知火の背後に移動した月守が口を開く。

 

「不知火さん、動画撮ってるって言ったのウソだったんですね。動画無いじゃないですか」

 

 その言葉に反応して不知火が慌てて振り返ると、いつの間にか不知火のポケットからスマートフォンを抜き取り、粗方動画を探し終えた月守がいた。

 

「スリさながらの鮮やかな手口にも驚くけど……月守、どうやって解除した?」

 

「普通に番号入力しました」

 

「教えた記憶は無いが……」

 

 不思議そうな表情を見せる不知火に向けて、月守は意趣返しのつもりで言葉を選ぶ。

 

「親が思ってる以上に、子供は親のこと見てるんですよ」

 

返されたスマートフォンを受け取った不知火だが、往生際悪く抵抗する。

 

「甘いね、月守。すでにデータはワタシのパソコンに転送済みだ」

 

「いやいや、そういう嘘はいらないんで。ひとまず、忍田さんにちゃんと叱られてください。俺はその間に、家にある酒全部捨てますから」

 

「それはギルティが過ぎるぞ月守ぃ!」

 

真顔で酒を捨てると言い放った月守を見て、不知火はコイツならマジでやると心の中で慌てふためくが、そんな彼女に忍田が追い打ちをかける。

 

「安心しろ不知火。しばらく減給という処罰が下るだろうから、どの道酒は買えない」

 

「忍田先輩、減給はシャレにならないから勘弁してもらいたい。ほら、賄賂のチョコあげるから、これで手を打ってくれ」

 

「賄賂のチョコなど受け取れるか」

 

 ピシャリ、と突っぱねる忍田に対して不知火は、「ケチー」「おにー」と駄々をこねるように喚きながらも、素直に忍田に連行されていった。

 

 忍田と嵐山隊、そしてたまたま嵐山とともに居合わせたという三雲に囲まれて遠ざかる不知火の背中を見ながら、月守はふと思った。

 

(……忍田さん、あの言い方なら賄賂じゃないチョコなら受け取るつもりがあったってこと?)

 

 そこを意図したのかどうなのか、月守はいつか忍田に確かめてみようと、ひっそりと誓う。

 

 こうして、不知火が引き起こした慌ただしいバレンタインデーは幕を閉じた。




ここから後書きです。

フィクションの世界ということでコミカルに書いていますが、実際だとマジでシャレにならない事件だなぁと読み返してて思います。

お酒の時に出る言葉って、本音に近いけど決して本音じゃないなと、私は勝手に思ってます。

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