ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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前書きです。

同日連続になります。バレンタイン完結です。


第103話「もう少し素直になれたなら」

『防衛任務や必要な業務を請け負ってない隊員や職員は、酔いを覚ました上で速やかに帰宅すること』

 

予想外の事件により慌ただしくなったボーダーは、全職員・隊員・訓練生にそんな指示を出した。

 

 その指示は例外なく地木隊にも適用され、地木隊は天音の目が覚めたところで帰路についた。

 

 すっかり歩き慣れた帰り道を辿る途中、天音は小さな声で唸った。

 

「うー……」

 

「しーちゃん、大丈夫?」

 

「……ん、大丈夫」

 

まだ完全に酒が抜けきっていないのか、時折足元が怪しくなったり唸る天音を心配して、真香が声をかける。

 

 大丈夫と言い張る天音だが、その顔色はいつもよりやや青ざめたように見える。そんな天音を気遣って、彩笑が視界に入ったコンビニを指差した。

 

「神音ちゃん、コンビニ寄ってこっか。ちょっと休憩ついでに、お水とかスポドリ買ってあげる」

 

「……はい。ありがとう、ございます……」

 

 口でこそ大丈夫と言い張った天音だが、やはり大丈夫ではなかったらしく、コンビニに入るや否やすぐにイートインコーナーに座り込み、俯きだした。

 

 天音を心配しながらも、3人は飲み物コーナーで買い物をしつつ、小さな声で会話する。

 

「しーちゃん、大丈夫ですかね」

 

「んー、どうなんだろうね。……ボクらお酒飲んだこと無いからなんとも言えないんだけど……。咲耶、分かる?」

 

話題を振られた月守は、買い物かごにミネラルウォーターやスポーツドリンクを放り込みながら答える。

 

「……俺の中での酔っぱらいっていうと不知火さんなんだけど……。あの人、ボトルを何本か開けた直後なら別だけど、一回寝るとケロっと復活するからなぁ……。参考にならない」

 

 今頃、酔いが覚めた城戸や鬼怒田やらに叱られているであろう不知火の姿を想像しつつ、月守はそんな母の事が参考にならないと切り捨てた。

 

 イートインコーナーを大人数で占領するのも悪いという理由で、コンビニの中に天音と真香を残し、彩笑と月守は外で待つことにした。

 

 寒空の下、じんわりと暖かいココアの缶を小さな両手で握りしめながら、彩笑は白い吐息混じりに月守に話しかける。

 

「なんかバタバタした1日だったね」

 

「だな。……うちの母親が申し訳ないことをした」

 

「あはは、いーよいーよ。いつもの事だし、ああいう所があるからこその不知火さんじゃん」

 

屈託無く笑う彩笑に釣られて口元を緩ませた月守は、ふと、気になった事を尋ねた。

 

「そういえば、彩笑は騒ぎが起こってる時、何してた?」

 

「えっとね、騒ぎを聞きつけた時は、とりあえずみんなと合流しようかなって思ったけど迷子になって、それから東さんと合流して色んなチームの作戦室に突入してた」

 

「なるほどね。酔ってる人、どれくらいいた?」

 

 どれくらいかな、と彩笑は呟いて、夜空を見上げながら記憶を辿る。

 

「意外と多くなかったよ。酔ってたの、弓場さんくらい」

 

「あー、弓場さんも食べたんだ……。酔った姿、何となく想像できるな」

 

ぐでんぐでんになりながら「帯島ァ!」と部下の事を何度も呼んでそうだなと思いながら、月守はポツリと呟く。

 

「……弓場さん、最近会ってないな」

 

「会いにいってあげなよー。ガンナーとしての師匠なんでしょ?」

 

「早撃ちを参考にさせてもらったくらいだよ」

 

とは言ったものの最近会っていないのは確かなので、今度ランク戦で当たるような事があれば会いに行くかな、と月守はぼんやりと思った。

 

「ところでさ」

 

月守の思考を彩笑はその一言で断ち切り、意識を自分へと向けさせる。彩笑は猫じゃらしを前にした子猫ような、興味津々といった様子の笑顔で質問した。

 

「酔った神音ちゃん、どうだった?」

 

 目を輝かせて答えを待つ彩笑だが、月守としてはある種痴態とも思える天音の様子を赤裸々に語る気はなく、言葉を濁す事を選んだ。

 

「んー、まあ……可愛かったよ」

 

しかしそんな月守の回答を聴くと、彩笑は不満げに口を尖らせて抗議した。

 

「何言ってるの? 酔った神音ちゃんが可愛いのなんて当たり前じゃん! ボクが知りたいのは、神音ちゃんがいかに可愛く酔ったかってこと!」

 

 遊んでほしくてじゃれついてくる飼い猫のように、酔った天音の詳細を教えてとせがむ彩笑に根負けして、月守は話そうとする。だが、

 

「……ごめん、無理。言えない」

 

語るためには必然とその時の事を思い出す羽目になり、月守は再びあの時の感情を追体験し、恥ずかしさのあまり顔を手で覆い隠した。

 

 しかし彩笑にとってそんな事情は知ったこっちゃなく、教えてと駄々をこねる。

 

「えー! ズルイ! 可愛いの独り占めは許さない!」

 

「いやでも、本当に無理……。どうしても知りたかったら、可愛すぎて死んでもいいくらいの覚悟はしてほしい……」

 

「そんなに!? ますます気になる!」

 

 目をキラキラと輝かせて彩笑が更に食いついたところで、コンビニの自動ドアが開き、中から天音と真香が姿を見せた。

 

「神音ちゃん、どう? 気分、楽になった?」

 

「あ、はい……。でも……、顔、ちょっと痛い、です……」

 

「え、顔?」

 

顔が痛いと申告する天音を彩笑は心配そうな目で見るが、それを隣にいる真香がクスっと笑い飛ばした。

 

「あはは。どうも筋肉痛っぽいんですよね。表情筋の筋肉痛」

 

「表情筋の筋肉痛!? そんなのあるの!? ボク、なったこと無いよ!?」

 

驚く彩笑に対して、

 

「だろうね」

「だと思います」

 

月守と真香がピッタリと声を揃えてツッコミを入れた。

 

 ニコニコとしながら真香は彩笑に近づき、両手で彩笑の左右の頰をつまむ。

 

「地木隊長はきっと、普段から笑って表情筋をたくさん使ってるので、筋肉痛にはならないですよ」

 

「ほお?」

 

柔らかいお餅のような、もにゅっとした感触を楽しむように、真香は彩笑の頰をつまんで弄ぶ。

 

「しーちゃんのほっぺつまんでから触ると、全然違うのがよく分かりますね」

 

「ほんほ? まなはひゃんのほっへお、ははっへひひ?」

 

「私のほっぺですか? いいですよ〜」

 

月守はなんで会話が成立するんだろうと不思議に思いながら、身長差がある2人がお互いの頰を触り合う光景を見ていた。

 

 気配無く、隣にいつのまにか移動していた天音に気づき、月守は視線を2人から外さないまま声をかける。

 

「顔、そんなに痛い?」

 

「えっと……、ちょっと、だけ。表情、変えな、かったら、多分大丈夫、です」

 

普段から無表情を貫く天音ならば簡単だろうなと月守は思いながらも、それは口に出さず心の中にしまい込んだ。

 

「まあ……、神音があれだけ色んな顔してたら、そりゃ筋肉痛にもなっちゃうかもね」

 

「……」

 

 なかなか言葉が返ってこないのを不思議に思い、月守が天音の方に視線を向けると、

 

「……」

 

マフラーに顔を半分埋めて表情を隠した天音が、何か言いたそうな目でジッと見つめていた。

 

 何か言いたいことあるの? と月守が尋ねようとしたところで、

 

「ってかさっむい! 外寒くて風邪引いちゃう! 早く帰ろうよ!」

 

 ココアを飲み干して暖をとる手段を無くした彩笑が寒さに負けて駄々をこね始めたため、4人は再びコンビニから歩き出して帰路へとついた。

 

*** *** ***

 

 途中まで同じ帰り道の4人だが、最後まで同じ道というわけではない。

 

「じゃあ、今日はここまで! 明日は最低でも試合開始の1時間前には本部にいること!」

 

 分かれ道に差し掛かったところで彩笑は隊長らしくそう言い、違う道を行く月守と天音に向けて、バイバイと真香と共に手を振って別れた。

 

「……」

 

「……」

 

 いつもなら、この帰り道で2人は何気ない会話をぽつぽつとする。その日の防衛任務やランク戦の出来事を確認するように話しつつ帰るのだが、この日に限っては2人とも無言だった。

 

 このまま最後まで何も話さず帰るのかと思えたが、その沈黙を天音が破った。

 

「月守先輩……あの……、今日は、その……すみません、でした……」

 

 何に対しての謝罪なのかは明確に言わないものの、十中八九酔っ払っていた時の事だろうなと判断して、月守は天音の謝罪を受け入れる。

 

「気にしなくていいよ。元はと言えば、あんなに危ないお菓子を作って、それを無造作にデスクの上に置きっぱなしにしてた不知火さんが悪いから」

 

 言いながら月守は、帰ったら不知火が家に戻って来る前に酒をどこかに隠さなければと画策する。そんな事を考えながら、

 

「それに……神音、だいぶお酒に酔ってたみたいだし、自分が何をしたかなんて、覚えてないでしょ?」

 

微苦笑混じりに、何気なく月守は言った。覚えてないなら気にしなくてもいいと伝えたかったのだが、

 

「……えっと……あの……、お、おぼえて、ます……」

 

口元を隠したマフラー越しに、天音は消え入りそうな声で、そう主張した。

 

「……え?」

 

 まさかの答えに月守は思わずギョッとして天音の顔を見ると、とても気まずそうに天音はゆっくりと視線を逸らした。

 

 目を合わせないまま、天音は口を開く。

 

「その……、私、酔ってた時、の、こと……わりと、はっきり覚えてる、みたいで……。私が、月守先輩に、何をしたか、とか……その……、おぼえて、ます……」

 

肺の中から少ない空気を絞り出したような声で、天音ははっきりと自分が何をしたか覚えていると、月守に伝えた。

 

 天音に酔っていた時の記憶があると分かった瞬間、

 

(待って待って待って! ってことは俺に何されたかとか、何言われたかも覚えてるって事!? ぎゅってはしたけど、それ以外危ない事してないよね!? 変な所とか触らなかったよね!? え、これ大丈夫? 俺、訴えられないよね!?)

 

月守は本日2度目のオーバーヒートに陥った。酔ってる時の記憶など無くなるものだと思い込んでいた月守は、天音がどうせ忘れるなら、という思いで行動していたため、その前提が崩れて自らの言動を振り返って赤面していた。

 

 一方、無言で赤面した月守を見て、

 

(どうしようどうしようどうしよう! 月守先輩のこの反応、絶対全部覚えてる! 酔った私、月守先輩の上に、ま、また、跨って、なんか色々してた! なんか色々言ってた! 変な声で、「だーめー」とか言ってた! ダメなのは私だよばか!)

 

天音もまた、自分の言動を恥じて赤面していた。

 

 決壊したダムのごとく羞恥の思いが溢れ出てくる天音は、無言ではあるものの心臓は壊れんばかりに脈打っていた。もしここに、カメレオンを起動して菊地原の強化聴力(サイドエフェクト)を共有した風間隊が潜んでいたとすれば、

「三上、聴覚の共有を解除しろ。音が大きくて意識が削がれる」

と、風間が感覚の解除を求める程度には、天音の心臓の音は煩かった。

 

 自分の言動を思い返しては悶え苦しむ事を繰り返していた天音はなんとかそのループから抜け出し、未だに赤面して沈黙を続ける月守に記憶の確認をする事にした。

 

 淡々とした声をほんの僅かに震わせて、天音は声をかける。

 

「つ、月守先輩……」

 

「え、ああ……なに?」

 

 心ここに在らずといった様子で受け答えする月守に、天音は一刻も早く確認しなければと思い、慌てて言葉を紡ぐ。

 

「その……覚えてます……よね?」

 

 林檎と見紛うほどに赤らめた顔の天音に問いかけられた月守は、誤魔化すといった類のことを全く考える事なく、

 

「……えっと……覚えてる」

 

正直に、答えた。

 

「──ーっ〜〜!」

 

 声にならない悲鳴をあげた後、天音は矢継ぎ早に言葉を繋げた。

 

「ぜ、全部……ですか?」

 

「うん……多分……」

 

「えっと……私が、怒られないか、確認したこと、は……?」

 

「お、覚えてる……」

 

「ソファ、となりに、座ってって、言ったことも……?」

 

「それも、覚えてる……」

 

「……お、押し倒した、こと、は……?」

 

「ば、ばっちり……」

 

「う、上……上に、跨った、のも……?」

 

「はっきりと……」

 

「……急に、泣いちゃった、こと、も……?」

 

「……うん。覚えてる……」

 

 月守のみならず天音自身も、作戦室で過ごした時間の事をこの上なくハッキリと覚えていた。なんなら、今の確認でより強固に海馬へと刻み込まれた。

 

 穴があったら入りたい、という言葉の意味をこの上なく実感している天音は、なんとか月守の記憶を消さねばと目論む。だが、冷静さを欠いた天音の頭では答えまで辿り着けなない。

 

 唯一ある可能性としては、ボーダーが機密を知りすぎた隊員や一般人に施す記憶の封印処理だが、

「想い人の頭の中にある自分の恥ずかしい言動を忘れさせてほしい」

などという理由では流石に使用許可は降りない。

 

 どうするべきか悩んだ末、天音は1つの方法に行き着いた。

 

 それは今日、この日ににしかできない。この日だからこそできる、特別な方法だった。

 

 恥ずかしくて、照れ臭くて。

 今すぐにでも、この場から走って立ち去りたいという思いをぐっと堪えて。

 天音は月守に想いを告げる。

 

「月守先輩……。今日の、事は……お互いに、忘れちゃい、ましょう」

 

「んー、そうだね……って言いたいところだけど……。ちょっとコレを忘れるのは厳しいかな……」

 

「……そう、ですか……。なら……」

 

 忘れられない、と言う月守に向けて、天音はスクールバックの中にしまい込んでいた切り札を取り出した。

 

 頼りになる親友と、笑顔が可愛らしい先輩と協力して作ったそれを、天音は両手で大事そうに持ちながら、月守へと交渉する。

 

「……忘れてくれる、って約束、してくれない、なら……。コレは、月守先輩に、あげません」

 

 天音が取引として出したのは、丁寧に包装され可愛らしい紅色のリボンでラッピングされたチョコレートだった。

 

 不慣れながらも頑張って作ったチョコレートを人質とした天音だが、その心のうちは不安でいっぱいだった。

 

 もらってくれなかったらどうしよう。

 普通に渡せば良かった。

 

 そんな思いが次々と湧いては消えていき、それがまた天音の心の平静を大きく崩していく。

 

「……今日のこと、忘れないならチョコ貰えないの?」

 

 確認してくる月守の言葉に対しても、

 

「はい。忘れて、くれない、なら、あげません」

 

口でこそ、そんな風に答えてしまうが、心の中では「そんなことないです」と叫びたい思いでいっぱいだった。

 

 焦りが焦りを呼び、心と体をちぐはぐにしていく。

 頭ではこうするべきだと思っているのに、身体が言うことを聞いてくれない。

 

 ごちゃごちゃに思考が取っ散らかる天音だが、根元にあるのはたった1つの願いにも似た思い。

 

 このチョコレートを受け取ってほしい。

 

 それさえ叶えばと、天音は切に祈る。

 

「そっか……」

 

 天音の無表情下での必死な祈りに応えるように月守は、

 

「……じゃあ、今日の事は頑張って忘れるようにするよ。……だから、神音。そのチョコ、欲しいな」

 

()()()()()()()()で、そう言った。

 

 そんな彼を……嘘をついている時だけに見せる月守の顔を見ながら、天音は思う。

 

 この人は、今日の事を忘れるつもりなんて……、もしくは、忘れらるなんて、サラサラ考えてはいないのだと。なのに、どういうわけか嘘をついてまで、このチョコを受け取ろうとしている。

 

(月守先輩は、やっぱり、嘘つき、です……)

 

心の中で月守をそう評しながらも、

 

「……じゃあ、あげます。……月守先輩、チョコ、受け取ってください」

 

天音は筋肉痛で痛む顔を綺麗に歪めて(ほほえませて)、月守にチョコを渡した。

 

「……ありがとう、神音」

 

 照れ臭そうにお礼を言いながら、やんわりとした笑顔でチョコを受け取る月守を見て、天音は、

 

(月守先輩が、嘘つきで……本当に良かった)

 

想い人のダメなところを、また1つ好きになった。

 

*** *** ***

 

 防衛任務や必要業務のために、最低限の人数しか人が居なくなったボーダー本部で、不知火は盛大なため息を吐いた。

 

「ぐぅ……流石にお説教2時間コースは堪えるなあ……。減給、始末書……ペナルティも多いし……」

 

 説教された事を反省しながらも、不知火は涼しい顔で自作の改造ラービット3体の猛攻を捌ききり、大鎌を的確に振るい絶命させる。

 

 一通り満足するまでラービットを屠った不知火は仮想空間から戻りトリオン体を解除し、部屋に残していた自作のウイスキーボンボンをパクパクと食べ進める。

 

「……これ、そんなに酔うようなものかな?」

 

 不思議そうな顔で自作チョコを味わいながら、デスクの上のパソコンを操作し、先程スマートフォンから転送しておいた動画を……酔った天音に絡まれる月守の動画を再生した。

 

 酔った天音に絡まれてしどろもどろになる月守を見て、不知火は微笑ましそうに破顔する。

 

「ふふ、あの子もこんな顔できるようになったんだねえ……。この動画、いつか暴露しておちょくってあげよう」

 

 息子をいじめる算段を笑顔で整える不知火だったが、そんな彼女の楽しみを邪魔するように、スマートフォンに着信が入った。

 

「むう? 良いところだったのに、どちらさ……」

 

どちら様、と言い切ろうとした不知火の口は、着信画面を見て止まった。

 

 そんなバカな。なぜこのタイミングで? 

 

 不知火はあらゆる可能性を危惧しながらも、痙攣していると言っても差し支えないほど震えている指先で画面をスライドさせて電話に出た。

 

「も、もしもし?」

 

冷や汗を垂らしながら不知火が電話相手に向けて言うと、

 

『いきなりごめんなさいね。今大丈夫?』

 

相手は淡々とした声でそう返してきた。

 

 一見、何の変哲も無い電話のやりとりだが、相手のその言葉を聞いた瞬間、不知火の全身から脂汗が滲み出た。

 

 怒っている時は、名前すら呼ばずに用件に入る。不知火が知っている、相手の人の癖なのだ。

 

「ダイジョウブ、デス」

 

『ふふ、何でカタコトなの?』

 

 言葉こそ柔らかく笑っているようにも感じるが、この電話相手の恐ろしさを知っている不知火からすれば、その柔らかな言葉の奥に数多の爆弾が着火直前状態で待機しているのが嫌でもわかった。

 

 出方を警戒する不知火に向けて、

 

『まあ、それはいいわ。ところで花奈ちゃん、あのね……』

 

一拍間を開けてから、その人は遠慮なく自らの爆弾を爆発させた。

 

『帰ってきたウチの子の口の中からアルコールの匂いがするんだけど、貴女、何したの?』

 

「ご、ごめんなさい若葉さんん!!」

 

電話越しであるにも関わらず、目の前にいるかのような殺気を突き刺してくるその人に向けて、不知火は全力で謝罪し、相手からは見えていない事を知りつつもこの上なく綺麗な土下座を決めた。

 

『いや、ごめんなさいじゃないの。私は、貴女が、ウチの子に、何をしたかを、聞、い、て、る、の』

 

 もし相手が眼前にいたならば、例え自身がトリオン体であったとしてもボコボコにされているビジョンを想像できた不知火は、逆らうとか言い訳するとか、そんな考えを欠片ほども挟むことなく、嘘偽りなくありのままの真実を答えた。

 

『なるほどね。問題の大元は花奈ちゃんの好奇心ではあるけど、よく分からないものを勝手にパクパク食べてるあの子も悪い』

 

 一通りの説明を終えたところで双方に問題ありと判断され、不知火はかろうじて首の皮一枚繋がった事に安堵の息を吐いた。

 

『でも聞いた分にはだいぶ大きな騒ぎにしちゃったみたいだし、その件に関しては花奈ちゃんは反省しなさい。今度、飲み会名目の反省会をするから覚悟するように』

 

 繋がっていた首の皮は綺麗に消し飛び、不知火は慌ててあの手この手で交渉する羽目になった。

 

*** *** ***

 

(お母さん、珍しく、長電話、してる……)

 

 濡れた髪をドライヤーで丁寧に乾かしながら、天音は珍しく長電話している母の背中を横目で見た。

 

 髪を乾かした後に少しだけ母親と、なんて事無い会話をしてから眠りにつくのが天音の日常だった。しかし今日はそれをせず、電話を続ける母の背に小さな声で「おやすみなさい」とだけ言ってから自室に行き、ベッドに潜り込んだ。

 

 真っ暗な部屋の天井を見上げながら、天音は今日という日を振り返る。

 

 天音にとって、今日は幸せな日だった。

 

 ほんの1年前までなら、今日のように友達とチョコレートを交換しあったり、普段食べないようなお酒のお菓子を食べたり、大切な人にドキドキしながらチョコレートをあげるなんて事は、想像もつかなかった。

 

(……月守先輩、チョコ、食べてれた、かな……)

 

 心臓が破裂するんじゃないかという思いで渡したカップケーキを、ちゃんと食べてくれたかなと天音は心配する。そしてもし食べてくれたなら、それを美味しいと思ってくれたなら、この上なく嬉しいなと思いを馳せる。

 

そんな事を思える今日は、まず間違いなく、天音にとって幸せだった。

 

 このまま幸せな思いに浸ったまま、微睡みに身を任せて眠る……。天音が眠りに落ちようとした、その時、

 

ズク、

 

と、身体の中に嫌な痛みが走った。

 

(……何も、今日じゃ、なくても、いいのに、な……)

 

 ついさっきまで幸せだった気持ちが嘘のように冷め、天音はこれから来るモノに対して堪える覚悟を決める。

 

 それを、不知火と林藤は病気の症状の1つだと言った。天音が罹る病、その症状だと。

 

 痛みはみるみるうちに酷くなり、天音は布団の中で丸まり、必死に痛みを堪える。

 

 棘で覆われた手で内臓を撫で回されるような。

 有害な液体を無理やり体内に流し込まれたような。

 スプーンで体内を掬い取られるような。

 

 言い表しようがない痛みが、天音を襲う。

 

 天音は1年間、この痛みとも戦い続けている。月一度のペースで、日が落ちてから夜が明けるまで、この痛みは天音の中を駆け巡る。

 

 夜が明けるまでには、この痛みは必ず引く。1年間の経験で天音はその事は分かっているが、分かっていても耐えきれないほどにそれは辛かった。

 

 何より、この痛みが起きた夜は絶対に眠れず、翌日は寝不足で頭は回らず、コンディションは最悪を下回る。

 

(……明日、ランク戦、なのに……)

 

 試合を危惧する天音だが、痛みはズクズクと増していく。

 

 身体の水分が枯渇するんじゃないかという勢いで脂汗は出続け、一夜のうちに耐えられなくなって何回かは吐く。

 

「……いたい……いたいよ……」

 

 耐えきれずに天音は布団から這い出て、必死の思いでトイレに辿り着き嘔吐する。

 

「……ゔぉ……ぇ……」

 

 一度吐いたところで天音は、この症状が今日起こった事を心の底から憎んだ。

 

 きっと今ので吐いてしまった。

 

 彩笑から贈られたチョコチップクッキーを。

 真香が作ったお店顔負けのチョコケーキを。

 たくさんの人から貰った美味しいチョコを。

 

 全部、全部吐いてしまった。

 

「……ぅ……あぁ……!」

 

 辛くて悲しくて、天音は嗚咽を零すが、身体の痛みは引かない。

 

 表情を苦痛に歪めながら天音はベッドに戻り、早く夜が明けるようにと願いながら、ひたすらに痛みを耐え続けた。




ここから後書きです。

補足になりますが、本文中で不知火さんが「トリオン体であってもボコボコにされる」という部分は「両者共にトリオン体であったら」という事です。生身ではトリオン体に勝てない。

読んでる皆さんは、チョコもらえましたか?うたた寝犬は「チョコもらえる」の定義がガバガバなので、「自分で買ったものだけれど、レジがお姉さんだったからチョコもらえた事にする理論」もオッケーとします。チョコ食べて、幸せな気持ちで2/14を終えてください。

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