ガンッッッ!
大きな音と共に天音は弧月を地面に突き刺して杖代わりとしつつ、
「ハァー!ハァー!ハァー…!」
限界を突破したトリオン体と極限の戦闘から解放されたことによって乱れた息を何とか整えた。
とてもではないが、今の天音に生身のヴィザを拘束することなどできそうになかった。
落ち着いてきたところを見計らい、ヴィザは口を開いた。
「……敗北したにも関わらず、これほど清々しい気持ちになったのは十数年ぶりのことでございます……」
そんなヴィザの言葉に天音は答えた。
「……どうも、です。……できれば、最後の最後まで、真正面から、正々堂々と、勝ちたかった、です、けどね……」
「ほっほ。貴女方は最初からチームで戦っていたのですから、この戦果で恥じる必要など何処にもございませんぞ?」
「……、そう、ですね」
そこまで答えたところで、
「……ッ!?」
天音は激しく咳き込んだ。これが生身であったならば吐血するのではないかと思うほどに、辛そうな姿だった。
何とか会話できる程度になったところで、天音はヴィザを見据えて言った。
「……次に、戦う時は…、今度こそ、実力で、勝ちます、から……」
だがそこまで言えた所で、天音は再度激しく咳き込んだ。
そんな天音を見つつ、ヴィザは呟くように言った。
「……ギアトロス」
と。
「ぎあ、とろす……?」
ボヤける目の焦点を何とか合わせつつ、天音はヴィザの言葉を聞いていた。
「ええ。お嬢さん……いえ、雪月花殿。もし貴女が私との再戦を望むのであれば、まずはギアトロスという国に行くといいでしょう。少々見つけるのが困難な国ではありますが……、もし辿り着けたなら、必ずや貴女の救いになるものがございます……」
「…………」
天音はどう反応していいか分からなくなり、ポカンとしていたが、そんな天音を見てヴィザは「ほっほっほ」と笑い、
「年寄りの独り言だと受け流しても結構ですぞ」
と、言葉を続けた。
だが天音はその言葉が何故か嘘だとは思えず、
「ありがとう、ございます……」
そうお礼を言った。
それに対してヴィザはやはり「ほっほっほ」と笑った。
この話はここまでだと言わんばかりに、ヴィザは唐突に話題を変えた。
「……最後の援護射撃からの連携は見事でございました。いつの間に打ち合わせをしておられたのですか?」
ヴィザの問いかけに対して、天音は頭を振って否定した。
「打ち合わせ、してない、です…」
「なんと……。それにしてはタイミングが合っておりましたぞ?」
素直に驚いたヴィザに向かい、天音は答えた。
「打ち合わせ、は、してない、です、けど……。何か、起こるのは、分かって、ました……」
「……どういうことですかな?」
再度問いかけられ、淡く微笑んで天音は言葉を続けた。
「……あの人は……、私が、辛くて、苦しくて、本当に、助けてほしい、時に……、絶対に助けて、くれるから……」
と。
そしてそれと同時に、
「ヴィザ翁!」
ヴィザの隣にゲートが開き、そこから仲間のミラがヴィザを呼んだ。
「おお、ミラ嬢。任務の方はどうなりましたかな?」
「申し訳ございません、金の雛鳥は回収できませんでした。加えて敵の攻撃により、遠征艇は強制帰還を余儀なくされています」
「それはそれは……。私も含め、今回は完敗でございますな……」
ヴィザは残念そうだが楽しそうにも聞こえる不思議な声で言いながら艇へ乗船した。それを横目で見たミラは、憎々しげな目でヴィザを撃破したであろう天音を睨んだ。
残量トリオンは残りわずかだが、このままいいようにやられて帰るのが癪であったミラは、無意味だと知りつつも『小窓』による攻撃を天音に向けた。
それを視た天音は、思う。
(攻撃、来るけど……、もう、足、動かない、なぁ…)
と。
天音は回避も防御も諦めた。だが、攻撃が当たるなど微塵も思っていなかった。
動けぬ天音に向けてミラの小窓による突き刺すような攻撃が放たれる直前に天音は呟いた。
「……こういうこと、できちゃう、から、ズルい、です……」
と。
そしてミラの攻撃が放たれたが、それは天音に当たることはなかった。
何者かが天音の身体を抱きかかえて跳び、ミラの攻撃を躱したのだ。
抱きかかえられた天音は、途切れた言葉を誰にも聞こえないほどの小さな声で繋いだ。
「……月守先輩……、本当に、助けて、くれる、から…。また、好きに、なっちゃいます、よ……」
恩人である先輩の顔を見て、天音は安心しきった声でそう言った。
*** *** ***
(間に合ったっ!)
月守がトマホークによる援護射撃後に全力で駆けた甲斐があり、ミラの攻撃を受けそうになった天音を抱きかかえて回避することは間に合った。
トリオン体である今ならやられてもベイルアウトするだけだが、そんなのは今の月守にとっては関係なかった。ただもう、これ以上天音に負担をかけてはいけないという思いで一杯であった。
天音が何か言ったような気がしたが、月守の意識は今、攻撃を仕掛けたミラへと向いていた。
「撤退するなら潔く撤退しろよ、角付き共」
「……今回の勝利で驕らないことね」
ミラはそう言い残してヴィザを回収したゲートを閉じ、強制帰還となった遠征艇を出航させた。
そしてそれが合図であったかのように、この戦いが始まってから上空を覆っていた雲が吹き飛び、まるで今までの戦いすらも嘘だと思いたくなるほどの眩い太陽の光が三門市を照らした。
*** *** ***
帰還の道へと舵を切ったアフトクラトルの遠征艇の中で、ヴィザは足りない人員に気付いた。
「おや?ヒュース殿は……?」
その呟きのような問いかけにハイレインは答えた。
「金の雛鳥を捉え損ねた。ヒュースは連れて帰れない」
と。
ヴィザはその一言で事情を察した。あれほどの人材を捨ててしまうのは勿体無いと思いつつも、本国アフトクラトルのこの先の事を…、ハイレインの考えるシナリオを知る者にとってはヒュースの存在がどんな障害になり得るかわかっているので、ヴィザはそれで納得した。
ヴィザが思考する内に会話は進み、ハイレインは言った。
「金の雛鳥を逃したのは惜しいが……。エネドラとヒュースの件を含めて
と。
そうして残ったメンバーがそれぞれ休息に移ろうとする中、
「……ところでヴィザ翁。貴方が敗北するなど、一体どのような強者だったのですか?」
ハイレインはヴィザに問いかけた。
その疑問は誰も口にはしなかったが、この場の誰もが気になってはいた事だ。ヴィザは口元に笑みを浮かべて、ハイレインの疑問に答えた。
「……儚くとも美しい剣士でございました。もし、我が国に生まれたならば、私は何が何でもあのお嬢さんを弟子に取ったでしょう。……そしてゆくゆくは、私の後継者としてオルガノンを託してもいいと思えるような……、それほどの腕を持ち合わせた剣士でございます」
それを聞いた3人は思いがけない高評価に驚いた。
「……それほどの剣士がミデンにいたのですか?」
「ええ。……願わくば私が死ぬまでにもう一度、剣を交えてみたいものです」
近年稀にみる高評価をヴィザは下し、先に休ませてもらうと呟いて遠征艇の作戦室を後にした。
「……」
遠征艇の窓から見える、ネイバーフットの夜の海を眺めながらヴィザの頭はぼんやりと思考した。
(雪月花……。確か、自然の美しさを表してみせた言葉でしたな……)
考えていたのは、天音が最後に名乗った通り名についてだった。
(雪……、おそらく見た目でしょうな。新雪を思わせるあの綺麗な肌の事を指していたのでしょう)
通り名の由来を、ヴィザは考察していた。
(月……、これは武器であったあの剣の事でしょう。戦いの最中、私と同様に戦いを共にする剣の名前を、何度も何度も呼んでいた)
そっとオルガノンを見てヴィザは考察を続けた。
(花……、これは……)
最後のワードでヴィザは詰まったが、すぐにピンときた。
(なるほど。それ故に雪月花ですか……)
通り名の意味と由来に気付いたヴィザは「ほっほっほ」と、楽しげに笑っていた。
*** *** ***
「……」
「……」
アフトクラトルが完全に撤退しても、月守と天音の2人はしばらく無言だった。
それを破ったのは天音だ。
「あの……、月守先輩…。もう、降ろして、もらって、大丈夫、です……」
いつも以上に、か細い声で天音はそう言った。
「……」
月守は無言ながらも、丁寧に天音を降ろした。
トン、と、天音の両足が確実に地面に着いたと同時に、月守は天音の碧みがかった黒い瞳をしっかりと見据えながら、
「……アクセス・アスターシステム・オン」
天音のトリオン体に組み込まれているアスターを起動した。すると、
「あ……」
天音のトリオン体はまるで糸の切れた操り人形のようにその場に倒れこんだ。
だが、
「無茶しすぎだよ、神音……」
そうなることがあらかじめ分かっていたかのように月守は倒れこむ天音のトリオン体を支えた。
そしてそう言う月守の声はいつもより低くて、彼が怒っているのだと天音は否が応でも分かった。
(足に、力、入んない……。身体が、鉛、みたいに、重い……。思うように、動けない……)
自身の状態を確認していき、天音はこの戦いで本当に無理をしたのだと自覚した。
1人では立てないような状態の天音は月守に体重を預け、月守の言葉に答えた。
「……ごめん、なさい……」
その言葉は、怒っている月守に対してのものだった。
次の瞬間月守が動き、そして、
「……ぇ?」
天音の口からは間の抜けた声が漏れた。
月守が取った行動はとてもシンプルであり、支えていた神音をグイッと引き寄せて抱きしめたというものだった。
「……っ!?」
天音は今の状態をなんとか認識したが、驚きのあまり何も言えずに目をパチパチと瞬きさせることしかできなかった。
抱きしめたまま、
「……神音、よく頑張ったね……」
そう、天音を褒めた。
てっきり怒られると思っていた天音は思わず、
「怒らない、です、か……?」
と、問うた。
月守は即答する。
「そうだよ…!本当は最初に、俺は君を叱らなきゃいけないんだよ…!なんでこんなに、無茶しちゃったんだって…、怒らなきゃいけないんだよ……!」
そう言う月守の表情は抱きしめられている天音には見えないが、その声には所々に嗚咽のような涙の成分があるように思え、きっと泣きそうな表情なのだろうと、天音は思った。
言葉を返さぬ天音に向かって、月守は言葉を続ける。
「でも、その前に言わせて。彩笑も俺もいなかったのに……、1人でブラックトリガー相手によく頑張ったね……」
そう言った月守は天音の柔らかな黒髪を優しく1度だけ撫でた。
それを受けた天音は、
「……ありがと、ございます」
照れくさそうに、はにかんだ笑顔で答えた。
そしてそこで、
「ごめん……!ごめん、神音……!」
今度は月守が不意に謝罪の言葉を口にした。
「……え?」
なんで先輩が謝るんですか?という疑問が天音の頭をよぎるが、月守は天音の華奢な身体を大切に抱きしめて言葉を続ける。
「君に…、君にそこまで無茶させて……、ごめん……!」
「……」
「無茶させないって……、俺も、彩笑も、真香ちゃんも、みんな決めてたのに……!ごめん……!」
「…………」
「助けてあげられなくて…、謝ることしか、できなくて……、本当にごめん……!」
月守はただただ、何度も謝った。
無力さを噛み締め、泣きながら月守は何度も謝った。
本当に、今の月守にはそれしかできなかった。
謝り続ける月守に向かい、天音は苦笑して、
「月守先輩は、優しい、ですね。結局、怒れなくて、謝って、ばっかりです……」
穏やかな声でそう言い、言葉を紡ぐ。
「先輩が、謝る必要、なんて、どこにもない、ですよ……。私が、隊長に、ワガママ言って、私の、意志、で、全力、出しただけ、です……。……ちょっと、無茶、しちゃった、ので……、この後が、辛い、かも、ですけど……」
天音のその言葉を聞いた月守は、戦闘中に天音がアスターを解除したと知らせを受けた時と同じように、表情を歪めた。「ごめん」の言葉と共に、月守はまた大切そうに天音の身体を抱きしめた。
それに対してやはり天音は、
「だから、謝らなくて、いいんです、よ……」
と、力なく穏やかな声でそう言った。
そしてそのタイミングで、2人に通信が入った。
『不知火だ。天音ちゃんか月守。どっちでもいいから応答してもらえるかい?』
『……こちら月守です。神音もそばにいますよ、不知火さん』
通信には月守が応じた。それに伴って月守は抱きしめていて天音から離れて、さっきまでのように天音が倒れないように支えた。
『うん、2人が近くにいるのはレーダーで分かってる。あと、天音ちゃんがかなり無理して病気の進行を進めたのも分かってる』
『不知火さん。神音はあまり責めないで……』
『誰が悪いとか、今はそういう話ではないよ月守。今は天音ちゃんの容体が優先だ。……天音ちゃん、聞こえてるよね?』
不知火に問いかけられ、
『はい、聞こえて、ます……』
天音はそれに答えた。
『うむ、だいぶ無茶したようだね。ワタシは今、君たちの作戦室にいる。戻ってきたらすぐにワタシのラボに移動して処置に移れるように準備してある。……戻ったらすぐに反動で意識を失うと思うし、その後も色々あると思うが……。もう限界だ、ベイルアウトしなさい』
『……わかり、ました。ご迷惑、おかけ、します……』
『気にしなくていいよ。……準備できたらベイルアウトしておいで』
不知火はそう言って通信を切った。
天音は虚ろになった瞳の焦点を月守に合わせて口を開いた。
「……じゃあ、私、先にベイルアウト、します、ね……」
「俺もついていくよ。もう、戦いは終わったんだから」
月守は力なく困ったような笑みでそう言ったが、天音は小さく首を左右に振り、
「もー、ダメ、ですよ、先輩……。まだ、戦いは、終わってない、のに、ウソついて、早く切り上げちゃ、ダメです……」
と、月守のウソを見抜いた。
そう、確かにまだ戦いは終わっていない。人型ネイバーが撤退しただけであり、警戒区域やその先の三門市内にはまだトリオン兵が残っているし、戦闘の余波で崩落した建物には取り残されて救助を必要としている人だっている。
救助はともかく、トリオン兵の駆逐はボーダーにしかできないのだから、最低でもトリオン兵を全て倒し切るまでは戦いが終わったことにはならないだろう。
月守はそれを知った上で、戦いは終わったとウソをつき、天音は月守のウソを見抜いた。
ウソを見抜かれた月守は申し訳なさそうな表情を見せた。
「確かに終わってはないけど……。でも……」
言葉を続けようとした月守だが、
「終わって、ないなら……、まだ先輩は、ベイルアウトしちゃ、ダメ……です、よ……」
少し強引ながらも天音がそう言い、月守の言葉を制した。
「……っ」
月守は言葉につまり、天音はそこに言葉を重ねる。
「私の分、まで、先輩に、託します、から……。この戦い、最後まで、頑張って、ください……」
「……」
「先輩は、優しい人、です……。でも今は……、その優しさを……、私じゃ、なくて、三門市の、人たちに、向けて、くれますか……?」
弱々しく天音は小首を傾げて月守に頼み、
「……ああ、わかった……」
俯き、小さな声であったがしっかりとそう答えた。
そしてそれを見た天音は満足そうに和んだ表情を浮かべて、
「ワガママ、言って、ごめんなさい、先輩……」
表情とは裏腹に申し訳なさそうに謝り、
「ベイルアウト」
消え入りそうな声で緊急脱出機能であるベイルアウトを起動した。
天音のトリオン体が爆散し、そこから本部へ向けて飛んでいく軌跡を目で追った月守はやがて、両膝を地面につけた。
身体から力が抜けたその体勢で、月守は呟くように口を開いた。
「違う、違うんだよ神音……!」
と。
月守は分かっている。
自分自身が優しい人間ではない事を分かっている。
それでも天音や彩笑、真香に優しくできる理由は分かっている。
知らず知らずのうちに、月守の口からはその理由が漏れていた。
「俺は……、ただ怖いだけなんだ……っ!みんなが、俺が知っている誰かが……っ、俺を俺にしてくれたみんなが傷つくのが、いなくなるのが、怖いんだよ……っ!」
怖い、という言葉と共に月守の瞳からは涙がこぼれた。
自身の無力さを呪うその涙は足元に雨のような痕を作り、無力さに耐えかねた両手の拳がそれを叩いた。
晴れ渡る空の下で、月守の慟哭が響いた。
ここから後書きです。
これから数話ほどかけて、色々とこの物語の全貌(?)をお見せしていく予定です。
今まで肝心なキーワードに当たる部分が欠けた状態にも関わらず、ここまで本作を読んでいただいていた皆様には本当に感謝いたします。