ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第58話「前に進む前に」

村上が那須を倒したところで勝敗が完全に決まり、モニターに表示されていた各隊の得点表に生存点込みの点数が出たところで、宇佐美は勝敗を口にした。

 

『村上隊員が冷静な太刀筋で那須隊長を撃破したところで、試合終了!最終スコアは4対2対2対1!鈴鳴第一が終了間際に生存点込みの3得点を獲得し、逆転勝利となりました!』

 

スコアの内訳は鈴鳴第一が4点、那須隊と地木隊が2点、漆間隊が1点となった。暫定順位が更新されるものの、この後に控える夜の部の試合結果ですぐまた更新されるため、宇佐美は順位についてはあえて触れずに解説担当の二人へと講評を尋ねた。

 

『中盤戦から南側での激しい乱戦が続いた本戦ですが、振り返ってみていかがでしたか?』

 

宇佐美の問いかけるに対して、先に不知火がやんわりとした笑みを浮かべながら答えた。

『ん〜……。チームランク戦素人のワタシが言っても説得力欠けるだろうけど、中盤の乱戦に関しては地木隊が主導権を取ってたって感じだったねぇ…』

 

『なるほど……具体的に、そう感じられた場面などありますか?』

 

『具体的にってなると、まずは地木ちゃんの新技かな。技自体も驚いたけども、アレがきっかけで地木隊が一気に動いたからね』

不知火の説明を受けながら宇佐美はさりげなくモニターを操作し、その場面を映し出した。モニターを見ながら不知火の意見に二宮が解説を加える。

『熊谷のベイルアウトとほぼ同時に月守が動いている。事前に打ち合わせしていたのは当然として、この時点で地木隊はステージ選択権がある那須隊の思惑やバッグワームで隠れてる隊員の位置を予測できていたんだろうな』

 

『戦いながら相手の思惑を読むのは程度に差があれども誰でもやることだけど……。月守は昔から、対戦チームの仕掛けを予想して妨害することにかけては病的に上手かったからね。まあ、その辺は実際に戦ったことのある二宮くんなら重々承知だろう?』

 

『ああ……』

言われて二宮は、かつて東隊にいた頃の記憶を思い出した。

(昔、東さんが秀次に作戦立案をさせたことがあったが、あの時は運悪く対戦相手に夕陽隊がいて、月守の奴にことごとく作戦を読まれて妨害を受けたな…。それで試合後、東さんが落ち込んでる秀次を励ましてた時に月守が、

『東さん、今日どうしたんですか!?あんな雑な作戦組むなんて東さんらしく無いですよ!体調悪いんじゃないですか!?』

って遠慮なく言ったな。東さんは笑ってごまかしたが、秀次は内心ブチ切れて……あれ以来、秀次は無駄に月守を目の敵にするようになったんだが……)

 

今でこそ旧東隊メンバーの笑い種になる話題だが、この時の出来事が原因で月守は三輪から嫌われていることを月守本人は知らない。ちなみに現東隊で作戦立案をしている小荒井と奥寺に対しても似たようなことをしてしまい、それが理由でコア寺コンビから嫌われていることも月守は知らない。

 

一度思考が逸れた二宮はすぐに頭を切り替えて、話題を修正した。

『不知火副開発室長が言うように、地木隊は乱戦に関して一時的な主導権は取ったのは確かだ。途中、来馬に一撃当てるまでは完全に地木隊の流れだった』

二宮の解説に合わせて、宇佐美はモニターを操作して場面を変更する。変更された場面は彩笑が高速機動で来馬と村上の背後を取り、斬撃を繰り出す場面だった。

『こうして見ると、地木ちゃんの動きは速いだけじゃなくて鮮やかだね。これ、現役隊員最速なんじゃないの?』

 

『どうだろうな。少なくとも、地木本人は頑なに最速を認めようとしないらしいが……』

 

『なんでまた?』

 

『知らん』

バッサリと話題を切り捨てた二宮であったが、彩笑が頑なに『ボーダー最速』を名乗らない(認めない)ことに関してはアタッカー界隈では有名な話であり謎でもあるのだが、そのことを知らない二人に対して宇佐美が軽くフォローを入れた。

『それはアタッカー界隈でも度々話題になってるみたいですよ。色んな憶測が飛び交ってますけど、地木隊長からハッキリとした答えを聞いた隊員はいないみたいですね』

 

『ふーん、なるほど。じゃあ今度、直接訊いてみるよ』

 

『教えてくれますかね?』

 

『美味しいココアをチラつかせれば、地木ちゃんは大抵何でも話してくれるさ』

笑いながら不知火が冗談めかして言ったことにより、宇佐美やギャラリーの空気が少し和んだ。そうしてる間にもモニターで再生される場面は進み続け、鈴鳴第一の別役太一が狙撃した場面へと移った。

 

『だが地木隊がペースを握っていられたのも、この狙撃までだな。狙撃によって陣形を分断せざるを得なくなり、そこから崩れていった……というところだ』

 

『んー……ま、これはシンプルに別役隊員の狙撃が見事だったね。息を殺して姿を潜めて決定的な隙を狙い撃つ、スナイパーの基本に忠実ないい狙撃だった』

 

『タイミングが良かっただけに、仕留め損ねたのが勿体無いな』

 

『二宮くん辛口だねぇ……仕留め損ねたとは言うけど、地木ちゃんはこれが致命傷となってベイルアウトしてるし十分じゃないかな』

 

『……まあ、そういうことにするか』

含みがある様子ではあるものの、二宮はそこで一度話題を区切った。長すぎず短すぎない程度に間をとってから、宇佐美が次の話題を切り出した。

『最終的に乱戦を制して勝利を勝ち取ったのは鈴鳴第一でしたが、その勝敗を分けたポイントはどこにあったのでしょうか?』

 

宇佐美が切り出した次の話題に対して不知火は思案に入った。しかしそんな不知火とは対照的に、

『チームとしての実力とチームランク戦の経験値、その差だ』

前もって答えを用意していたかのように、間髪入れずに二宮は答えた。

 

(ほう……)

手際の良さに関心し、またその答えに興味を持った不知火は続く二宮の解説に耳を傾けた。

『今回勝った鈴鳴第一は、明らかに作戦を立てて動いている。別役の立ち回りが普段とは大きく異なるのが最たるもので、その他にも事前に打ち合わせたような動きがいくつもある』

不知火だけでなく会場全ての人間が静まり、二宮の解説へと聞き入る。

『今回、形としては鈴鳴第一の作戦勝ちだ。人によってはそれを工夫だと捉えることもあるだろう。だが……』

 

意図して間をとった二宮は小さく息を吐き、

『今回鈴鳴がやったことに特別なことは何もない。あくまで自分たちの実力を把握し、対戦相手の実力や戦闘スタイルに合わせて作戦を練った、ただそれだけの、当たり前のことだ』

そう言い切った。

特別なことではない、当たり前のことだと言い切り言葉を続けた。

 

『当たり前のことをしている以上、モノを言うのはそのチームの戦術レベルや地力に経験の深さ、あとは対戦チームとの相性だ。今回鈴鳴第一が勝利したのは、妥当な結果だ』

 

その意見を聞き、不知火は頭に浮かんだ疑問を問いかけた。

 

『二宮くん、質問いいかな?』

 

『……貴女でも誰かに何かを尋ねることがあるのか?』

意外そうな表情を浮かべる二宮に対し、ケラケラと笑ってみせた。

『ワタシは自分で考えても分からないことはあっさり他人に尋ねる主義だよ。で、質問よろしい?』

 

『構わない』

 

『どうも。二宮くんは「チームランク戦の経験値」の差が勝敗を分けたと言ったけど、それは少しおかしくないかい?地木隊の2人はボーダー部隊制度が導入された初期からチームを組んでるんだよ?今回の組み合わせの中じゃ、あの2人が一番のベテランだと思うけど……』

 

『経験値は積んでいるから優れているというものでは無いだろう』

 

『……?』

首を傾げる不知火を見て、二宮はどこか呆れた様子で口を開いた。

『試合開始前にも、似たようなことを言ったんだかな…』

と。

 

『……んー、試合前?』

そう言われた不知火は記憶を手繰り、試合前に交わした会話や出来事を思い浮かべる。

 

(えーと、試合展開の予想をして、その前に二宮くんをお酒のネタでこっそり弄った、それでその前は自己紹介で、さらにその前は…)

一通り思い出したところで、

『ああ〜、あれかな?君がドヤ顔で言った、「あの頃の常識は通じない」ってやつかな?』

不知火は納得したように呟いた。

 

『そうだ』

あえて二宮は不知火の小ボケには触れずに解説を続けた。

『確かに地木と月守が持つチームとしての経験値は、今回の面子の中では群を抜いているだろう。だが奴らはランク戦に不参加だった分、ランク戦そのものの経験は去年で止まっている。その間に他のチームはランク戦を積み重ね、地木隊には無い最新の経験値を持っているんだ。その差が、今回の勝敗を分けた』

 

『あはは、そこまで言われると納得だ。予想だけど、今回のランク戦に当たって地木隊は対戦チームのログを見直しただろう。月守の事だし、多分、全チームのログを最低でも1シーズン分は漁ったと思う。そこから各隊の傾向を割り出して対策を練ったとしても、他のチームは身を持って相手との戦闘を経験してる分、そんな段階はとっくに過ぎてる。地木隊が全チーム分の対策を練らなきゃいけないのに対して他のチームは、

「地木隊以外はいつものように」

で済ませて地木隊の対策をじっくり練れるもんね。そりゃあ、差がつくわけだ』

饒舌に話す不知火を見て、よくもそんなスラスラと考察が口から出るものだと二宮は感心し、さらに意見を加える。

『場合によっては経験が無いことが功を奏して奇策が成功する場合もあるがな。……それを考慮すれば、途中で月守との戦闘を避けた漆間の判断は懸命だ。不確定な戦闘を避けて情報の獲得につとめ、獲るところで点を獲った。今回、一番クレバーな選択をしたと俺は思ってる』

 

『はー、そういう見方もあるわけだ。ランク戦って、奥が深いねえ』

 

しみじみと納得したように言う不知火を見て、なんだかおばあちゃんみたいだと宇佐美は思いながら解説のまとめに入った。

 

『結果としては鈴鳴第一が勝利を収めましたが、展開次第ではどのチームが勝ってもおかしくない試合内容でしたね。では最後に、今後に向けて各チームにそれぞれ何かありますか?』

 

そう尋ねられた不知火は少し唸ってから、

『まー、とりあえず単純なレベルアップかな?いくらチーム戦と言っても、個人の実力が高いに越したことはないし、シンプルにそれぞれの技能を磨くべきだとワタシは思うよ』

と答え、それに続けて二宮もそう講評した。

『各人の鍛錬は当然として、それぞれの戦術の見直しや強化、それと対戦相手のスカウティングだ。基本的なことだが、そこをしっかり抑えてるチームはちゃんと伸びる』

 

2人のまとめを聞いた宇佐美はニッコリと微笑み、この場の締めくくりにかかる。

『それではこれにて、B級ランク戦ラウンド2昼の部を終了します。二宮さん、不知火さん、解説ありがとうございました!』

 

『いやいや、こちらこそだよ宇佐美ちゃん。()()()()()()()()()()()()

宇佐美の態度に応えるような、やんわりと微笑んだ不知火の言葉をもってして、ラウンド2昼の部は幕を閉じたのであった。

 

*** *** ***

 

試合後の解説が終わったその頃、地木隊作戦室は、かつてないほど重苦しい空気に包まれていた…。

 

「みにゃああ!!負っけたーーーー!!」

 

ということもなく、彩笑は隊室のソファーに座りジタバタしつつも、いつものような底抜けに明るい声で叫んでいた。

 

「ち、地木隊長……」

負けて地団駄を踏むという子供っぽすぎる上司の言動を見て、オペレート用のパソコンの前に座る真香はなんとも言えない表情を浮かべたが、その一方で月守は彩笑の意図を汲み取った。

 

「暴れすぎだろ、彩笑」

ベイルアウトしてマットに叩きつけられたままだった身体を起こし、苦笑いを浮かべながら2人のそばに近寄ると、彩笑はまくしたてんばかりの勢いで口を開いた。

「だって悔しいもん!あのタイミングで村上先輩落とせてればとか!序盤からブランクブレード使ってればよかったとか!色々反省点いっぱいだよ!あーもう!めちゃんこ悔しい!」

 

「いやまあ、そりゃ俺だってそうだよ。左手自爆したのなんか、2年ぶりくらいだし」

 

「うわ、ダッサ」

 

「やかましい」

生身の左手をさすりながら答える月守に対して、彩笑はふと思い出したことを問いかけた。

「そういえば、咲耶。最後バッグワーム着ながら逃げてた時、なんで途中にメテオラばら撒いたの?あれ、意味わかんなかったんだけど」

 

「あー、あれね。その前にくらった狙撃とか乱戦で結構ダメージ入っててさ。あのままベイルアウトしたら、トリオン漏出からのベイルアウトと似たようなダメージ判定で鈴鳴に点入っちゃうとこだったんだよ。だから……」

 

「ガス欠寸前になるまで、わざとトリオン使ったってこと?」

 

「そういうこと。鈴鳴からのダメージで失ったトリオン量より、俺自身が攻撃で使ったトリオン量を多くしとけば、ルールというかシステム上は点動かないし」

月守の説明を聞いた彩笑は笑い、思ったことを口にした。

「あはは、なんかセコい」

 

「誰しもがお前みたいに、正々堂々と挑めると思うなよ」

彩笑に言われたことを自覚しつつも月守はそう答えて、彩笑と同じように笑った。

 

2人はそうして笑い合っていたが、そこへ、

「……あの。す、すみません、でした……」

と、真香がこの上なく申し訳なさそうに、謝罪の言葉を発した。

 

深々と頭を下げて謝る真香を見て、彩笑は笑みを浮かべたまま言葉をかけた。

「んー?なんで真香ちゃんが謝るの?」

 

「だって、私が……!」

 

「うん」

 

「その……私の、スナイパー位置予測が間違ってたから、先輩たちは狙撃を受けたんじゃないですか。……さっきの解説でも、狙撃されるまでは私たちのペースだったって言ってましたし……」

 

「ニノさんが言ってたね。まあ、位置が分かってても完璧に防げるとは限んないし、あんまり気にしないでも……」

穏やかな声で彩笑は話していたが、

「でもっ!」

それに反比例するかのように、真香の声は険しいものになっていた。今の真香にとっては、彩笑のその穏やかで優しいその態度がどうしようもないほど辛く、自然と声が荒ぶった。

「私、何も出来ませんでした……。私のせいで、負けたようなものじゃないですか……!」

うなだれ、今にも泣きそうな声で話す真香を見て、彩笑はピョンとソファーから降りて真香へと近づいた。

 

そして、

「真香ちゃん!」

と、穏やかな声から一変し、まるで叱りつけるような強い声で真香の名前を呼んだ。

 

「っ!」

真香は咄嗟に怒られると思い、ギュッと目を閉じた。昔の経験がフラッシュバックし、叩かれるとすら思った。

 

そうして怯える真香に対して彩笑は、

「そんな泣きそうな顔は禁止〜。笑おうよ」

俯いた表情を見上げるようにしゃがみ込み、真香の両頬に手を当て、ニッコリと微笑みながら柔らかな声でそう言った。

 

「ふぇ……?」

キョトンとする真香に向けて、彩笑は怒った様子など微塵も見せずに言葉を続けた。

「そりゃまあ、確かに真香ちゃんの位置予測は外れちゃったけどさ、それは同じ予想した咲耶だって同じだよ?むしろここは、2人の予想を上回ったベッシーのことを、素直にすごかったって認めちゃお」

 

「……ベッシー?」

 

「ん?ああ!太一のこと!別役太一だからベッシー!」

にぱっと笑いながら彩笑はそう言うが、

(なんで別役太一でベッシーなんだろう?)

と、真香は彩笑のネーミングセンスについて疑問を覚え、そして月守に至っては、

「彩笑、太一のことは名前呼びじゃなかったか?」

ツッコミを入れた。

 

「さっきまでは名前呼びだったけど、ベッシーはボクを仕留めたからね。健闘を讃えてアダ名を付けた!」

 

「……それ、なんか違わないか?」

 

「いーの!咲耶細かい!」

月守との会話を無理やり切り上げ、彩笑は再度真香を見て会話を再開させた。

「真香ちゃんは狙撃されたのが悔しいかもだけどさ、でもそこまでは完璧だったじゃん。仕掛けた側の那須隊の作戦を見切ったし、ほぼステルス化してた漆間さんの動きも読めてたじゃん!ふつーはさ、これだけでもう十分だよ」

 

「でも……」

 

「でも、じゃないの」

前を向けていない真香に対して、彩笑は底抜けに明るい笑顔で向き合い続ける。

「真香ちゃんが、自分の未熟なとこを認めたくないっていうか、許せないのは分かるよ。どうして負けたのかって、思うよね。ボクだってそうだもん」

 

「……なら」

 

「けど、そうやって負けたことにばっかり目を向けちゃうのは、ダメ。どうしても気持ちが重くなっちゃうし、何より勝者に敬意を向けられなくなるから。…今の真香ちゃん、試合に勝った鈴鳴第一に対して、敬意を払えてる?」

 

「……っ」

言われて真香は自覚する。

 

自分が、勝者である鈴鳴第一に敬意を払うどころか、それ以前に自らのミスを悔やむばかりで鈴鳴第一の勝利に目を向けてすらいなかったことに、気付いた。

 

そして、まるでそれを見透かしたかのようなタイミングで彩笑は口を開く。

「どう?できてた?」

 

「……いいえ」

真香は小さく首を振り、否定を示した。

 

そこから反省の意を見て取った彩笑は、優しく諭すように言葉を続けた。

「負けたことを悔やむのは大事だけど、それより前に勝った相手に敬意をちゃんと払うこと。そうしないと相手に失礼だし、何より……」

彩笑はそこでもったいぶるように間を空けてから、

「……そうした方が、後でちゃんと強くなれる。相手に敬意を払って、良いところをまず認める。それから、自分の未熟だったとこを反省するの。……分かった?」

そう言った。

 

それを聞いた真香は、思う。

 

(地木隊長、強い……。普段は1番年上なのに1番子供っぽい……そんな人だけど……絶対にブレない芯があるから、負けもちゃんと受け入れて、進んでいける……どこまでも、まっすぐに進んでいける人なんだ……)

 

今まで見えていなかった彩笑の一面が見えたように感じた真香だが、それをすぐに心の中で否定した。

 

(ううん、違う。私はもっと前……1年前から、地木隊長がそういう人だって、知ってた)

 

1年前。より正確には1年と1ヶ月ちょっと前の日の記憶が、真香の脳裏を一瞬だけ駆け抜けた。

 

*** *** ***

 

ボーダー本部の廊下に佇み今にも泣き出しそうな真香を下から見上げ、彩笑は真剣そのものの表情で怒鳴りつけるように言った。

 

−それでも、いいの!−

−戦えなくなったのなんて、関係ない!−

−周りがなんて言うかとか、もっと関係ない!−

−ボクは、君が!−

−他の誰でもなくて、君がほしい!−

−和水真香が、ボクの作るチームに居てほしいの!−

 

*** *** ***

 

「……ふふ」

懐かしい記憶を思い出した真香は、無意識に笑いに似た声が漏れていた。

 

そんな真香を見て、

「ま、真香ちゃん!?何そのなんとも言えないリアクションは!?ボク、変なこと言った!?」

彩笑は少し慌てたようにそう言った。会話の流れからすれば、彩笑が問いかけた答えとして真香が笑いを返した形になるので彩笑が慌てるのも無理はないが、真香はそうして慌てる彩笑にしっかりと目線を合わせて口を開いた。

「いえ、その……なんでも無いです」

 

「……ホント?」

 

「はい、本当です」

 

「ホントにホント?」

 

「もお、本当に本当ですよ、地木隊長」

彩笑と言葉を1つ交わすごとに、真香の沈んでいた雰囲気は普段のものへと戻っていき、その表情には笑顔が戻った。

 

「……地木隊長の言う通りです」

 

話し方や声のトーン、背筋をピンと伸ばした綺麗な姿勢や優等生然とした雰囲気、その他諸々。全てが完全にいつも通りに戻った真香は、言葉を紡ぐ。

「まず、相手の勝ちをしっかりと認めて敬意を払って、それから自分の未熟さを反省する…。当たり前ですけど、大事なことですよね」

 

「分かってくれた?」

 

「はい」

 

「うん!だったら良し!」

真香の答えを聞いた彩笑は満足そうな表情を見せながら、はつらつとした声でそう言った。

 

そしていうや否や立ち上がり、パンパンと数回手を叩いた。

「よし!じゃあ早速ログ見て今の試合を振り返ろっか!こういうのは早い方がいいし!」

 

「だな。真香ちゃん、試合のログってもう観れるかな?」

彩笑の意見に同意した月守が真香に問いかけた。すると、

「ええ、観れますよ。でもどうせなら、実況解説付きのログの方がいいですよね?」

真香はそんな提案を月守に返した。

 

「あー、そうだね。でも実況解説付きのログってなると基本、竹富持ちだよね?そんなすぐに用意できるものなの?」

 

「できてると思いますよ。竹富ちゃんの所属してる海老名隊、私たちと同じ昼の部の試合で、もう試合終わったみたいなので、早速録画まとめてると思います」

 

「そっか、ならいいんだけど……ってか、海老名隊のとこ終わるの早くない?勝ったのどこのチーム?」

 

月守の質問に対して真香はオペレート用のパソコンを操作し、試合の結果を確認してから答えた。

「えっと……柿崎隊です」

 

「あ、ザキさんたちか。なら納得。柿崎隊は順位と実力が噛み合ってないだけで、本当はちゃんと強いとこだからね」

 

「はい」

 

2人が納得したように言ったところで、彩笑が再び口を開いた。

「じゃあ、ボクがログ貰ってくるよ。2人はここで待ってて!」

 

そう言っていそいそと彩笑は作戦室を出ようとするが、

「彩笑ストップ」

月守は彩笑の細腕を掴んで引き止めた。

 

「え?どしたの?」

キョトンとしながら彩笑がそう尋ね、

「彩笑はここで待機な。じゃないと迷子になる」

間髪入れずに月守は答えを返した。

 

迷子になると言われた彩笑は、すぐにプンプンと憤慨した。

「ボクが迷子になると思ってるの!?」

 

「うん、思ってる」

 

「失礼なっ!」

そう怒る彩笑に対して、月守は努めて冷静に対応する。

「……海老名隊の作戦室に行くためには、ここを出て右と左、どっちに進む?」

 

「右!」

 

「彩笑、最初から違う。まずは左」

 

「え!うそ!?」

彩笑は全力で疑いの目を月守へと向けるが、答えは月守の言うようにまずは左である。

 

警戒心剥き出しの猫を思わせる彩笑から月守は視線を外し、真香に声をかけた。

「真香ちゃん、そういうわけだから竹富のとこに行ってログ貰ってきてくれるかな?俺が行ってもいいんだけど、俺が行くと、

『あげますけど、その代わりにランク戦の実況やってください』

って言われるから」

 

「あはは、了解です」

笑いながら軽く敬礼した真香は、デスクから立ち上がり作戦室を出ようとした。

 

そんな真香の後ろ姿に向けて、

「そうだ。一応、ログ受け取れたら連絡ちょうだい」

月守は取って付けたようにそう言い、

「あ、わかりましたー」

真香は一瞬だけ振り返り、作戦室を後にした。

 

 

 

 

 

足音が遠のき、真香が完全に作戦室から離れてたことを確認した月守は、ゆっくりと作戦室の扉を閉めた。閉めると同時に彩笑は脱力し、勢いよくソファーへと座り込み、そのまま横になった。

左手で自身の視界を覆った彩笑は、か細く呟くような声で月守へと声をかける。

「……真香ちゃん、行った?」

 

「行ったよ」

 

「そう……」

 

「……咲耶」

 

「なに?」

 

「……もう、いい?」

 

その問いかけに対して、月守は振り向かないまま、

 

 

「悔しいなら、泣いとけ」

 

 

と、言った。

 

すると次の瞬間、

「…う、わあぁぁ…。わぁああぁぁ…!あああぁぁ……!」

堰を切ったように、彩笑は泣き出した。

 

 

 

 

 

彩笑を知る人に、

『地木彩笑はどんな人物か?』

と問いかけると、ほぼ間違いなく、

『よく笑うやつだ』

そんな答えが返ってくる。

 

確かによく笑う。それは間違いではないが、ボーダーの中で最も付き合いの長い月守に言わせれば、その答えは不正確である。

 

彩笑は『よく笑うやつ』ではななく、『感情表情が豊かなやつ』だと、月守は知っている。

 

嬉しかったり楽しければ、笑う。

間違ったものや不条理があれば、怒る。

納得できなかったりイライラすれば、拗ねる。

悔しかったり悲しかったり、寂しければ、泣く。

 

地木彩笑はそういうやつだと、月守咲耶はよく知っていた。

 

 

 

 

 

「………」

泣き続ける彩笑の声を聞き、どうするか迷いながらも月守はソファーの肘掛けへと腰を下ろして、口を開いた。

「……よく、泣くの我慢したな」

 

「だっでぇ……」

彩笑は目元の涙をグイッと無理やり拭き取り、言葉を続ける。

「ボクがベイルアウトして戻って来た時……真香ちゃん、顔真っ青で、今にも泣きそうだった……。あの顔見たら、がまんしなきゃって……泣いちゃダメだって、思ったんだもん」

 

「予想外したのが……いや、負けたのが、よっぽど悔しかったんだな」

 

「ん……。真香ちゃん、すっごい真面目だもん。きっと、自分のミスで誰かに迷惑かかるの、ダメなんだと思う」

 

「……だよな」

 

「うん……」

 

そうして会話が途切れると、彩笑は再び泣き出す。幼子のように、自身の感情に従い素直に、彩笑は泣く。

 

 

 

 

 

ソロランク3位にしてA級3位部隊を率いるトップランカーの風間蒼也は、

『落とされて学ぶことがランク戦の存在意義だ』

と、語る。実際、ランク戦は負けてナンボの戦いである。たとえランク戦に負けても、多くの隊員はすぐに次を見据え、行動に移る。そうすることが勝ちへと繋がることを、身を以て経験しているがために、それができる。

 

そして彩笑とてそれは例外ではない。

 

それどころか、彩笑は基本ソロランク戦でトップランカーに好んで挑む上に、一時期は敗北を重ねに重ねた結果、正隊員でありながらソロポイントが2000を切っていた時期すらある。

ゆえに負けることに関して、少なくとも負けた回数に限れば彩笑は同期・同年代の中では頭一つどころか群を抜いている。

 

しかし。

どれだけ負けようが、悔しいものは悔しい。

負けを認めて受け入れた瞬間、その悔しさは一気に溢れ出る。

何度負けようが、彩笑はその感情に慣れることができなかった。

 

 

 

 

 

とめどなく、彩笑はいつまでも泣き続けるのではないかと思った月守は、小さな声で問いかけた。

「席、外そうか?」

 

「……うん」

 

「わかった……」

言われて、月守はゆっくりと立ち上がった。

 

そして一旦作戦室から出るために扉に手をかけたところで、

「……何か俺に、言っとくこと、ある?」

振り向かずに扉を見たまま、彩笑に尋ねた。

 

「いいたいこと……」

彩笑は目を擦り、とめどなく溢れる涙で目元をぐしゃぐしゃにしながら、

「……咲耶さ。もう、ダブルスタイル使うの、やめてよ……」

と、言った。

 

「………」

無言で何も反応を返さない月守だが、彩笑はそれでも言葉を続ける。

「咲耶が、ボクと神音ちゃんのために、ダブルスタイルを使い出したのは、知ってる。それは嬉しいし、感謝もしてる……」

 

「………」

 

「でも……!そのせいで!咲耶は自分の実力、発揮できないじゃんっ!」

涙の成分が多分に含まれる声で、彩笑は吐き捨てるように叫んだ。

「ダブルスタイルの所為で!咲耶のすごいところ、全然活かせてないっ!咲耶がっ!自分の実力をちゃんと出せれば!!もっとすごいのに…っ!それが、全然できないじゃんっ!!!」

 

「………」

 

「そんなの、ボクやだ。ボクのせいで……ボクのためにダブルスタイル、使わせてるせいで……。咲耶のすごいところ、ダメにするのは……いやだよ」

 

「………」

 

「……おねがいだから。もう……ダブルスタイル、使わないで………」

 

ダブルスタイルを使わないでと、彩笑が言い切ったところで、

「……わかった」

小さく、彩笑に辛うじて聞こえるかどうかというほどに小さい声で、月守は答えた。

 

月守はそのまま、

「……とりあえず、不知火さんのラボに行ってくる」

と言い残して、作戦室を去っていった。

 

 

 

*** *** ***

 

 

 

1人、作戦室に取り残された彩笑は、ソファーに横たわりながら天井を見上げる。視界は涙で滲んでいるが、それを拭うつもりは起きなかった。

 

しん、と、静まった作戦室で、彩笑は震える声で呟く。

 

「…ぼく、さいてーだ」

 

と。

 

 

 

 

彩笑は月守に向かって、ダブルスタイルをもう使わないでと懇願した。

 

咲耶の本領はダブルスタイルでは発揮できない。

ダブルスタイルが、咲耶を駄目にしている。

 

口ではそう言ったものの、彩笑は心の奥深い部分では、それとは異なる暗い思いがあった。

 

その思いとは、

咲耶が本領を発揮すれば、この試合は勝てた。

咲耶がダブルスタイルで実力を発揮しなかったから、負けたんだ。

という、思い。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()、という、暗くて醜い、思い。

 

 

 

 

その暗く醜い感情に襲われ、彩笑は自己嫌悪の海に浸る。

そして海に溺れぬよう、それこそ藁にもすがる思いで、

「……ごめん…!ごめんよ、さくやぁ……っ!」

1人何度も、謝罪の言葉を繰り返した。

 

 




ここから後書きです。

彩笑らしくないようで彩笑らしくなったお話でした。

途中で少し触れましたが、真香ちゃんの過去編も書き進めなきゃなと思いました。

少し重たい話になりましたが、次回もよろしくお願いします。

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