ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第62話「魔法の一言」

月守が不知火の研究室で3体のラービットを相手取っていた、その一方……。

 

*** *** ***

 

「ほらもう、泣いてないで元気出しなさい」

A級6位部隊の隊長を務める加古望はその作戦室にて、

「……泣いてないもん」

目を真っ赤に腫らした地木彩笑の隣に座り、彼女を励まして…、というよりはあやしていた。

 

加古は、拗ねたように顎を机に乗せた彩笑の髪の毛を指先で弄りながら言葉を投げかける。

「それにしても、『匿ってください』ってメール来た時はビックリしたわよ」

 

「……ごめんなさい。平日のお昼だから、大学生くらいじゃないと暇してないかなって思って……」

 

「ああ、ううん、匿うのはいいのよ。事情はさっき一通り聞いたしそれは別に構わないわ。でもその前に彩笑ちゃん?大学生は別に全員が全員、暇なわけじゃないわよ?」

 

「……太刀川さん、平日のお昼でも作戦室とかソロランク戦のブースとか、本部でウロウロしてるから」

 

「学科試験を目前にして死にそうな顔になってる人を模範的な大学生にしちゃダメよ」

ピシャリと断言した加古は1つ咳払いをして、話題を元に戻した。

「まあでも、本当に匿うのは別にいいのよ。泣き止むまで、ここにいなさい」

 

「だからもう、泣いてないってば」

 

「あら。じゃあ、さっき追い払ってあげた和水ちゃん、ここに呼んじゃおうかしら」

笑顔でスマートフォンを取り出す加古を見て彩笑は慌ててそれを止めにかかる。

「や、それはダメ!」

 

「どうして?」

 

「……さっき真香ちゃんに、泣かないでって……笑おうよって言ったばっかりだから……。今、真香ちゃんに会ったら、泣いてたの絶対にバレちゃう……」

スマートフォンを奪おうとする彩笑を空いている片手であしらい、加古は口を開く。

「冗談よ、じょーだん。笑いながら人の弱みにつけ込むほど、私はひどい人じゃないわよ」

 

「……もし握った弱みが、太刀川さんとかニノさんとかのだったら?」

スマートフォンを奪うのを諦めた彩笑がジト目で問いかけ、

「迷いなくつけ込むに決まってるじゃない」

加古は清々しいほど躊躇いなく即答した。

 

あまりの潔さと即答ぶりに彩笑は一瞬面を食らったような表情を浮かべたあと、力の抜けた苦笑いを見せた。

「もー、加古さんってやっぱりイジワルだね」

 

「彩笑ちゃんのところの月守くんほどじゃないわ。さっきランク戦の動画見たけど、あのバイパーは相当性格悪いじゃない」

 

「あはは……うん、確かに咲耶はイジワルなところもあるけど……それ以上に……」

そこまで言った彩笑は一度言葉を止め、少し迷ったそぶりを見せたあと、どこか気恥ずかしそうに言葉を続けた。

「いいやつだから」

 

「……いいやつ、ね」

気恥ずかしそうながらも真っ直ぐなその言葉を受け、加古は彩笑から視線を逸らしてから会話を再開させた。

「うん、月守くんがいいやつなのは知ってるわ。……昔、彩笑ちゃんのために……重い懲罰があるのを覚悟した上で、本気の本気で怒ってくれたくらいだものね」

 

「うん……。あ、でも今思えば、あの時の咲耶はちょっと…、というかかなり、やりすぎだったかな」

 

「あんな悪ガキ供にはあれでもまだ足りないくらい……って言いたいけど、実際あのランク戦を観て気持ち悪くなる子がたくさんいたし……。上層部でも、ランク戦中はいつでもベイルアウトできるルールにするべきだって意見が出てきちゃうくらいには問題になったし……。まあ、そう考えるとやりすぎだったのかしら」

 

「んー、今の咲耶なら、

『神音に見られたら教育に悪いじゃん』

とか言って、絶対にやらないと思う」

 

「過保護ねぇ」

 

「咲耶は基本誰にでも優しいけど、神音ちゃんには特に優しいもん」

どこか他人事のように言う彩笑を見て、加古は深く考えずに思ったことをそのまま口にした。

「彩笑ちゃんも十分に優しいわよ」

 

「……」

しかしその『優しい』という言葉を聞いた彩笑は数回パチパチと瞬きをした後、自嘲的な笑みを浮かべた。

「加古さん、ボクは優しい人じゃないよ」

 

「そう?」

 

「そうだよ」

躊躇いなく断言した彩笑は、視界がジワリと滲むのを感じながら、

 

「だって、本当に優しい人なら……助けてくれた人に向かって、あんなひどいワガママ……言ったりしないもん」

 

震える声でそう言い、そして言い切るや否や瞳から大粒の涙をボロボロと零し、再び泣き始めた。

 

加古はそんな彩笑を宥めるため、その小さく華奢な背中を撫りながら声をかけた。

「その……彩笑ちゃんが言うワガママって、さっき月守くんに言った『ダブルスタイルを使わないで』……のことよね?」

 

「……ん」

言葉短く、小さく頷いて肯定を示した彩笑を見て、加古は首をわずかに傾げた。

 

(でも、彩笑ちゃんが言うことは最もじゃない?)

 

加古には彩笑が言うことがそこまでワガママだとは思えなかった。あくまでチームメイトからの忠告、要望のレベルであって、ワガママというには程遠いように思えた。

 

「ねえ彩笑ちゃん。それは、本当にワガママなのかしら?」

 

「ワガママだよ」

 

「そうかしら?」

頑なにワガママだと言い張る彩笑を、加古は崩したいと思った。

 

ただ意地を張っているだけなのか、それともそう言い張れるだけの何かがあるのか、知りたいと思った。

 

(……それこそイジワルかもしれないけど、ごめんね、彩笑ちゃん)

心の中で加古は謝罪し、彩笑に食ってかかった。

「月守くんは銃手と射手両方いける技術も適性もあるけど、あの自由豊かな発想力は明らかに射手向けよ。大規模侵攻の時も射手スタイルで戦って結果を出してるし、戦闘力の面で見てもそっちを使ってる時の方が高いじゃない。今日のランク戦だって、月守くんが射手スタイルで戦ってれば勝てたって見方をする人が大半じゃないかしら?」

 

そこまで言った加古は一度言葉を止め、彩笑の反応を伺った。出続ける涙に構うことなく、彩笑は小さく口を開いた。

「加古さんも、そう?」

 

「……?」

 

「加古さんも……今日のランク戦で、咲耶がダブルスタイルじゃ無かったら、ボクたちが勝てたと思う?」

 

「……勝敗までは断言できないけど、少なくとも那須ちゃんや村上くんをもっと追い詰めたり苦しめたりはできたと思ってるわ」

口調こそ静かで穏やかだが、その内に自信を秘めた答えを加古は彩笑に告げた。

 

(さあ、彩笑ちゃんは何て言うのかしら)

 

好奇心が多分に混ざった目で彩笑を見つめ、答えを待つ。

 

そして数秒の間を開け、彩笑は、

 

「……うん、そうだね。()()()()()()()()()()()()()()

 

予想に反して、加古の答えを肯定した。

 

「……へ?」

思いがけず間の抜けた声が出た加古だが、それに構うことなく彩笑は言葉を続けた。

「射手スタイルの咲耶、ホントにすごい。トリオンいっぱいあるだけでズルいのに、フルアタックに合成弾も使えて火力あるし、置き弾とか騙し弾、それに自由自在なバイパーみたいなテクニックもあるから攻撃の幅がすっごい広いでしょ。枠の制限あるから取っ替え引っ替えだけど、レッドバレッドとかスパイダーとかオプショントリガーもバッチリ使えるし、オマケにボクほどじゃないけどグラスホッパー使えて機動力だってある。それになにより、頭いいの!組んで戦えばわかるけど、ホントにもう『何手先まで何パターン考えてんのっ!?』って感じ」

涙はまだ止まりきっていないが、それが時間の問題だと思えるほど彩笑は楽しそうに饒舌に月守について語り続ける。

「やろうと思えば接近戦もできるし、点だって取ろうと思えば取れちゃう。あの、よくわかんない体質?のせいでシールドが脆いから防御が苦手ってこと以外、欠点らしい欠点無いんだ。おんなじ射手として、加古さんはどう思う?」

そんな彩笑に気押されながら、加古はなんとか反応を返した。

「そ、そうね……。改めて言われると確かに、いい射手ね」

 

「でしょ!」

まるで自分のことを褒められているかのような、心底嬉しそうな声で彩笑は答える。それから気恥ずかしさを隠すように左右の指を組み合わせつつ、

「……咲耶、ホントにすごいの。なんていうか……。ボクが男の子だったらっていうか……生まれ変わったらあんな風になりたいなって感じの……」

これまで自らの胸の内に秘めていた、

「……憧れ」

何1つ飾らない本音を、吐露した。

 

他の感情や雑念が何1つ混ざることなく、純粋な尊敬の念だけが宿った彩笑の瞳を見た加古は、

「羨ましいわ」

彩笑にも自分にも、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

そこまで純粋に、隣にいる人を尊敬できる彩笑のことが、どうしようもないほどに羨ましく思えたのだ。

 

同時に、なんとなく加古には理解できた。

 

彩笑が月守に出す要望の、どこが、何がワガママなのか。何故それを口にしたと同時に涙を流したのか、なんとなくのようでいてはっきりと、理解できてしまった。

 

理解が追いつくと同時に、答え合わせをするように彩笑が言葉を再開させた。

「…なのに、なのにだよ…。ホントはそんなにすごい咲耶なのに…っ。ぼくの…、せいで…、それが全然出せないんだもん」

つい数秒前までの明るい声は再度震え、その瞳には涙と薄暗い感情が宿り始めた。

「…咲耶と一緒に戦ってる時ね、ボク、割と好き勝手に動いてるんだ。咲耶なら…、こんな風にフォローしてくれるはず、くらいには思って動くけど、それを声とかサインで伝えるとかは、何もない」

 

そして涙と同じように、内からとめどなく溢れる嫌な感情を言葉の端々に滲ませながら、

「さっきの試合もそう。咲耶は、ボクが欲しい時に、最高のタイミングで弾丸をくれる。くれるけど…、それは咲耶本来のスタイルじゃない。本来のスタイルを捨てて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()

そう言い切った。

 

泣きながら話す彩笑の言葉を聞いた加古には、その心の内にある思いが痛いほどに伝わった。

「そうね。憧れる人が自分のためだけに用意してくれたものなのに、『前の方が好きだから戻して』って言うのは、確かにワガママね」

 

「うん…。ひょっとしたら、咲耶にはダブルスタイル自体に特別な思い入れはないかもしれない。ボクが動きやすいようにって、ことだけを追求してくれた、機能だけを…求めてできたスタイルかもしれない」

いつの間にか、手のひらに爪の痕が残るほど強く握り込んでいたことに彩笑は気付いた。痛みはあるしこのまま握り続ければまず間違いなく血が滲むだろうが、そんなのはどうでもいいと思えた。

 

「咲耶の足、引っ張ってるのに…。やりたいように、やっていいよって、ずっと…、ずっと言わなきゃ、いけなかったのに…。ても、咲耶がボクのために使ってくれるのは、嬉しくて…。だけどやっぱり、使わないでほしくて…。嬉しいけど、嫌で、それがもうぐちゃぐちゃで…」

 

この今、胸の内にある己の醜さが詰まりきった感情を言葉に乗せて吐き出すことに比べたら、全てがどうでもよかった。

 

何も加工されていない彩笑のまっさらな感情が言葉に乗り、部屋に虚しく響く。

 

「恩人なのにっ…!憧れなのにっ!大切なのに!なのに、なのに…っ!さくやに、あれだけは言っちゃだめだって、決めてたのに…」

 

「どれだけ損しても、周りからどんなにひどいこと言われても、隣にいてくれるさくやに、ずっと助けてもらってたのに…」

 

「思わず笑っちゃうくらい、いいやつなのに…」

 

「なにより、そんな…。さくやに向けて、そんなこと思っちゃうボクが嫌だ。自分で自分が嫌だよ。気持ち悪くて、もう…」

 

「…消えちゃいたい…」

 

方法など知らない。自殺とはまた違う気がするし、明確なビジョンがあったわけではない。

それでも彩笑はこの時、消えてしまいたいと、心の底から願った。

 

*** *** ***

 

和水真香は1人寂しく本部内を歩きまわり、彩笑の行方を捜し続けていた。

(地木隊長、やっぱりいないな。結局他の作戦室にもお邪魔したけど見つからないし、ソロランク戦のところにもいない。あと他には、屋上とかかな)

思考をまとめつつ、未捜索な場所をしらみつぶしに捜して歩く。なお月守に関しては先ほど不知火に連絡を取ったところ、

『ワタシの研究室でタダ働きさせてるよ。終わったら返してあげる』

という返事が届いたので、真香は安心して彩笑の捜索に専念していた。

 

「きっと、屋上にもいないんだろうけど……」

無意識にそう呟きながら、真香の足取りは屋上に向かっていた。するとその途中、知り合いの後ろ姿を見つけ、思わず声をかけた。

「双葉ちゃん?」

 

「和水先輩。お疲れさまです」

後ろから声をかけられた黒江双葉は振り返り、軽く頭を下げて真香に挨拶をした。ボーダーだけでなく同じ中学校の後輩でもある黒江の隣に真香は並び、にこやかに話しかけた。

「うん、お疲れさま。学校終わって直接来たの?」

 

「はい。このまま一回、作戦室に顔出そうかなと……」

 

「そっか。じゃあ途中まで一緒だね、私屋上に行くからさ」

 

「屋上……?」

 

「そ。迷子の子猫を探してね〜」

地木隊で猫を飼い始めたのかと疑問に思った黒江は、1つ提案をした。

「本部内で放送かけてもらえれば、すぐに見つかるんじゃないですか?」

 

「……っぷ、あはは!それもそうだね!でもね、うちの子猫は恥ずかしがり屋さんだから、放送されたら余計出てこなくなっちゃうかな」

 

「……えっと、放送かけてもらって探されてるのがわかるってことは、その子猫って人の言葉がわかるんですか?だとしたらすっごいお利口な子猫ですね」

 

「あはは。双葉ちゃん、案外言うね〜」

 

「…………?」

黒江は今話していることに関して何か決定的な齟齬があると感じ始めたため、この話題を切り上げることにした。

「えっと、子猫はともかく……和水先輩はランク戦終わってから学校行かなかったんですか?」

 

「まあね。午後からの授業だけってのもあったし、3年生はもう授業ないようなものだから……早い話、サボっちゃった」

あっけらかんと言い放つ真香を見て、黒江はどこか不思議そうな表情を浮かべた。

「おんなじ学年1位で姉妹でも、こんなに違うんですね」

 

「真綾のこと?そういえば双葉ちゃん、同じクラスだよね」

 

「ええ。……今日最後の授業が体育でちょっと話したんですけど、真綾、怒ってましたよ。『授業に出ないとか、あの人は受験生の自覚ない』って」

 

「うわー、相変わらずはっきり言うなぁ、真綾は……。あ、というかごめんね、うちの妹が愚痴っちゃって」

 

「いえ、それはいいんですけど……」

笑顔を絶やさない真香と話せば話すほど、似てない姉妹だなと黒江はつくづく思った。

「……あ、そういえばランク戦観ましたよ。その……惜しかったですね」

 

「んー、負けは負けだけどね。でも今回で課題見えてきた。やっぱりスナイパーをどう攻略するかがキモだね」

 

「うちのチームもスナイパーいるところと戦う時は、加古さんちょっと頭を悩ませてます」

 

「あ、やっぱり。1人でもスナイパーいたらカウンタースナイプ警戒してくれるから楽になるんだけど……」

そこまで言った真香は苦笑し、

「私が出れたら、多分それが1番手っ取り早いんだろうね」

控えめな声でそう付け加えた。

 

「まだ、出られないんですか?」

窺うような黒江の問いかけに、真香は少し悩んでから答えた。

「多分ね。狙撃訓練は問題無いし、B級ランク戦は……我慢すればいけるはず。防衛任務は……ちょっと無理かな」

 

「そう、ですか」

わずかに不安げな様子の黒江を見て、真香は一転して明るい笑顔を浮かべた。

「まあ、私の状態に関わらず防衛任務は無理だから大丈夫だよ。上層部もそうだけど、それ以上にモンペがうるさいし」

 

「モンペ……?」

 

「モンスターペアレント」

 

「あ、なるほど…。あの、というか私今でも納得いかないです。あの時、和水先輩悪いこと何もしてないじゃないですか。むしろあの状況で、あれ以上の正解なんて無いですよ」

瞳に熱を宿らせて話す黒江を見て、真香は落ち着いてと言わんばかりに頭を撫でた。

「そう言ってくれるのは嬉しいよ、双葉ちゃん。…でもそもそもね、あの状況になっちゃった時点で私の落ち度だし…。それに何より…」

話しながら真香は優しく撫でる手を止めずに、

「……今更何を言っても、私が子供に向けてアイビスを撃った事実は変わんないよ」

穏やかな笑顔で事実を口にした。

 

「和水先輩……」

名前を呼ばながら、黒江はその笑顔の下にどんな思いが隠れているのか考えずにいられなかった。しかしその考えが纏まるより早く、真香は再び口を開いた。

「でもどの道、私はスナイパーできないよ。ほら、私がスナイパーやったら、誰かが代わりにオペレーターやんなきゃいけないしさ」

 

「……それもそうですね。でも正直、地木先輩はオペレートよりはやっぱり実戦って感じですし、天音先輩も……オペレーターにするには勿体無いですよね」

 

「まあね。しーちゃん、機械の扱い得意じゃないし……」

 

「となると、月守先輩ですか?」

 

「かなぁ。月守先輩指揮るの上手いし、思考もロジカルとラテラル両方やってるっぽいし、適任な気はする」

 

「ですよね。あれ、ということは……」

そこまで話した黒江はあることに気付き、そのことを躊躇いなく口にした。

「月守先輩がオペレーターの制服着ることになりますね」

 

「そういうことになるね。月守先輩が……オペレーターの制服を……」

 

「………」

 

「………」

2人はしばし沈黙し、どちらともなく顔を見合わせた。

「オペレーターって、男子用の制服ってありましたっけ?」

 

「あるかもしれないけど……見たことないね」

 

「あたしもです。……え、じゃあ、スカートなんですかね、月守先輩」

 

「スカートかもね、月守先輩」

 

「………」

 

「………」

 

「この話はなかったことにしましょう」

 

「うん、そうしよう。記憶の奥底にしまっておく」

2人はそう言い、この話題を無かったことにして会話を断ち切った。

 

そのまま会話が途絶えるかのように思えたが、そのタイミングで歩きながら会話していた2人は廊下の分岐点にたどり着いた。

「和水先輩、屋上に行くならここで別れますよね?」

 

「そうなるね。それじゃ、またね双葉ちゃん」

ひらひらと手を振りながら真香にそう言われた黒江は「ではまた」と再度軽く会釈をして、背を向けて歩き出した。

 

最年少A級隊員であり所属する加古隊では切り込み隊長の役割を担っている黒江の細く華奢な背中を見て、真香は少し胸が痛んだ。

 

(……本当は私も戦場にいて、双葉ちゃんみたいな後輩を守ってあげなきゃいけないんだけど…)

 

戦場に立たない自身の不甲斐なさを胸中で呪いながらも、真香はそんなことを表情の欠片にも出さずにこやかな笑みを浮かべる。そして、

「そうだ双葉ちゃん!加古さんに一個、伝言お願いしていい?」

その笑顔のまま、黒江に1つの伝言を託した。

 

*** *** ***

 

消えてしまいたいと呟いた彩笑は、今日何度目になるかわからない涙を流した。そんな彩笑に、加古は優しく声をかける。

「彩笑ちゃんは、本当に月守くんが大切なのね」

 

「……うん、大切」

 

まるで幼子のように素直に答える彩笑に対し、加古はただただ優しく言葉をかけ続けた。

「そうね。それはもう、今の彩笑ちゃんの話を聞いてて、痛いくらいに伝わってきたわ」

 

「……うん。なのにボク、咲耶にひどいこと、言っちゃった……」

 

「そう……。だったら彩笑ちゃん、月守くんに謝ってきたらどうかしら」

 

「え、でも……」

 

「でもじゃないでしょ。こういうのは後に回せば回すほど言いにくくなるし、引きずるものなの。パパッと謝ってきた方が良いわよ?」

 

「うぅ……それはわかってる……けど……」

 

「けど?」

 

「……咲耶、怒ってるかもだし……あれだけ言っちゃったから、会うのが気まずい……」

月守に会いに行こうと思えない彩笑を見て、加古は内心わずかに呆れた。

(月守くん、このくらいで怒らないと思うけど……。そもそも今回のことだって、彩笑ちゃんが一方的に言いすぎたと思ってるだけで……ああもう、こうなった時の彩笑ちゃんってとことんネガティヴになって厄介なのよね)

ため息が出そうになるのを堪えながら加古は俯く彩笑を見ながら思考を進める。

(まあでも、そこも含めて彩笑ちゃんだし、それがまた魅力でもあるんだけどね。これでイニシャルがKなら迷わずスカウトするのに。彩笑ちゃんを部下に持ってた夕陽くんが羨まし……)

そしてそこまで考えたところで、かつて共に肩を並べて戦っていたこともある夕陽柾が話していたことを、加古は思い出した。

 

*** *** ***

 

『隊長になったら、あの2人が欲しい?』

『やめとけやめとけ。あいつら、ああ見えて歪なんだよ。お互いにこう……精神的にちょっと脆いっつーか不安定っつーか……』

『良い時は良いけど、落ちた時はとことん落ちるっつーか駄目になるからな』

 

−そうなった時、夕陽くんはどうしてるの?–

 

『そういう時のあいつらにはな、一言自信満々にこう言えばいいんだよ』

『あいつらに前を向かせる、オレからの魔法の言葉だ』

 

*** *** ***

 

(夕陽くん、その言葉ちょっと借りるわよ)

懐かしい思い出した加古は、口元に小さな笑みを見せた。

「彩笑ちゃん」

 

「……はい」

 

「今の彩笑ちゃんを見たら、ある人はきっとこう言うんじゃないかしら?」

 

「………?」

 

「『おまえ、つまんない生き方してんなあ』……って」

 

「……それ、夕陽さんの……!」

借りた言葉をなぞっただけで口調や声色は本人にも似ても似つかない加古の言葉だが、その一言は確かに彩笑に響き、わずかながら表情に明るさが挿した。

「きっと今、ここに夕陽くんがいたらきっとそう言うんじゃないかしら」

 

「……うん、きっと言われちゃう。それでその後……『おまえみたいなのがウジウジ悩んでも時間の無駄だっつーの。とにかく動け!』って、あのちょっとムカつく上から目線で言われちゃう」

 

「あはは、言いそう言いそう。……それに夕陽くんじゃなくても……私からみても、悩んで止まっちゃうよりガムシャラ気味に動いてる方が彩笑ちゃんらしくて好きよ」

 

「うー、加古さんひどい。ボクだって、ちょっとは考えてるのに……。でも、今回は確かにちょっと悩みすぎちゃった」

悩みすぎたと言った彩笑はわずかに俯き、両手で軽く自らの頬を数回張った。

「……よっし!」

動作と共に気合も入れなおした彩笑は、さっきまでの落ち込み具合がまるで嘘だったかのように明るい笑顔を浮かべていた。

「加古さん、たくさん愚痴っちゃってごめんなさい!怒られるかもだけど、まずは咲耶に謝ってくる!」

そう話す彩笑は完全にいつも通りの、周りの人間が思わずつられて笑顔になってしまう明るい地木彩笑そのものだった。

 

「うん、行ってらっしゃい。怒られたら、また来なさい」

その彩笑の笑顔に加古はさっそくつられて同じような笑みを作り、ひらひらと手を振りながら送り出し、

「ありがと加古さん!行って来ます!」

彩笑は今日一番の笑顔でお礼を言い、加古隊作戦室から旋風のように出て行った。

 

 

 

1人となった作戦室にて、加古は椅子にもたれかかり天井を見上げた。

「夕陽くんか……。ほんと、惜しい人を無くしたわね、私たち……」

最近顔もほとんど見ない夕陽のことを思った加古は、今度お見舞いに行こうかと思った。

「久々に顔見に行こうかしら。二宮くんとか太刀川くんも誘って……」

そこまで考えたところで、作戦室のドアが開いた。小柄なシルエットは一瞬、彩笑が戻って来たのかと思ったが、そこにいたのは隊員の黒江双葉だった。

 

「加古さんお疲れさまです」

 

「あら、お疲れ双葉」

挨拶をした黒江は学校の荷物をロッカーに入れながら加古との会話を続けた。

「加古さん、今日はチームで何かやりますか?」

 

「あー、今日は特になし。私、ちょっと野暮用というか……人に会ってくるわ」

 

「わかりました」

加古が自らの予定を話すのは少し珍しいなと黒江は思いつつ、ロッカーに荷物を仕舞い終えた。それと同時に、黒江は真香から託された伝言を思い出した。

「そういえば加古さん、地木隊の和水先輩から伝言頼まれてました」

 

「伝言……?」

 

「はい。えっと……『今回は騙されておきます』って、言ってました」

真香からの伝言を聞いた加古は、少し間を置いてから破顔した。

「ふふ、そっかそっか」

 

「……あの、騙されたってなんのことですか?」

 

「んー、双葉は知らなくていいのよ。でも和水ちゃん、やっぱり分かってたのね……」

満足そうな表情を浮かべた加古は、

 

「ほんと……。イニシャルKならみんな欲しいわねぇ、あのチーム」

 

とても幸せそうに、そう言った。




ここから後書きです。

人の悩みとは不思議なもので、後々振り返ってみると「なんであんなことで悩んでたんだろう」ってなることがほとんどだと思うんですよね。今回の彩笑が話していた苦悩もいつか「ボク、なんであんなに悩んでたんだろう?」ってなってほしいなと思います。
あと今回真香と黒江が話していたパートは最初全然違うキャラ同士の語らいが書かれていて、その時に「月守ルパン化事件」というものが浮上しました。案外書ききれてない小ネタ的な話もたくさんあるので、いつかそのあたりも日の目を見させてあげたいなと思いました。

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