ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第71話「月蝕」

烏丸の左手を掴んだ月守は、ただ一言呟いた。

 

「スナッチ」

 

と。

 

そしてその一言と同時に、烏丸のトリオン体の視界は薄い赤黒いフィルターがかかったように変わり、アラームの音と警告音生が流れた。

『警告、外部から不正なアクセスを受けています』

 

「不正なアクセス……っ!?」

普段ならほとんど耳にすることのない音声を聞いた烏丸は、慌てて月守の手を振りほどこうとしてもがいた。すると月守の手は拍子抜けするほどあっさりと振りほどけた。しかし、

 

「ちょっと遅かったな」

 

月守は烏丸から手を離して数歩下がってから、余裕を持ってそう言った。月守に間合いを取られたところで、烏丸は自らの異変に気付いた。

 

目眩い、吐き気、気怠さ…、そのどれとも違う、言い表しようがない不快感が烏丸の全身を駆け巡っていた。そしてなにより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

不快感に襲われながらも、烏丸は重い足取りで月守から更に距離を取ってから、何が起こったのか予想し始めた。

 

不正なアクセス。

月守が呟いた「遅かった」という言葉。

全身を巡る不快感。

解除されたガイスト。

そして、「スナッチ」という単語の意味。

 

全てのピースが烏丸の頭の中で繋がるより早く、月守が両手を脚に添えながら答えを披露した。

「ガイストオン・機動戦特化(スピードシフト)

『カウントダウン開始・ベイルアウトまで423秒』

その言葉と共に月守の両脚に膨大なトリオンが流れ込み、禍々しい黒の双脚へと姿を変える。

 

それはまさしく、烏丸だけが持つワンオフトリガー『ガイスト』そのものだった。

「月守、お前それは……っ!」

「悪いな京介、時間制限があるから質問は終わってからだ」

言うや否や月守は小さなモーションで足に力を溜め、解き放つ。ガイストで強化された両脚は普段のトリオン体の身体能力とは一線を画す膂力を発揮し、たった1歩で2人が開けた間合いを埋めた。

 

「ははっ!動きやすいな!」

嬉々とした笑みを見せる月守は右手にキューブを生成し、8分割して放った。

 

ここまでの戦闘で烏丸は月守のメイン側にセットされているのはアステロイドとメテオラであることを看破していた。弾種の区別はつかないものの不規則な軌道を取ることは無いと判断し、烏丸は盾型トリガーのエスクードを自身の目の前に展開して、それを防いだ。着弾と同時に弾丸は爆発し、粉塵と轟音が烏丸を襲う。

(使ったのはメテオラか)

なんとか烏丸は冷静に弾種を判断し、反撃を始めようと試みた。だが、

「もう一丁!」

速さを強化された月守はその速度にモノを言わせて烏丸の背後に回り込み、もう一度メテオラを撃ち込んだ。

 

烏丸は咄嗟にそれに反応してシールドを展開しながら回避動作を取ろうとしたが、直前に月守に押し付けられたレッドバレッドが動作を妨げたことに加え、一手前に展開したエスクードが烏丸の退路を塞いだ。

(しまった!)

烏丸は自らの悪手を悔やみ次善の行動に移ろうとしたが、実行する前に月守が放ったメテオラがシールドに当たり爆発した。

 

1発目とは違い、2発目は分割せずに威力を高めに設定されたものであり、烏丸のシールドは威力に耐えきれず砕け散った。その衝撃で烏丸は飛ばされ、背後のエスクードに叩きつけられた。叩きつけられた瞬間、キューブを分割した音が微かに烏丸の耳に届いた。そして、

「アステロイド」

月守は弧月の間合いの外からアステロイドを放ち、烏丸を敗北へと追い込んだ。

 

 

 

 

 

10本の模擬戦を終えると同時に002号室の訓練モードは解除され、2人はトリオン体を解いた。

 

「月守、アレは何だ?」

開口一番に烏丸はそう尋ね、月守はトリガーホルダーをクルクルと手元で回しながら答えた。

「スナッチのことか?」

「そうだ。不知火さんあたりが作った新作か?」

「そう思うのは無理ないかもしれないけど……スナッチは一応、技術だよ」

トリガーではなく技術と言われ、驚きに目を見開く烏丸に向けて月守は説明を始めた。

 

「京介、トリガーの臨時接続は知ってるよな?」

「ああ。戦闘中、万が一の場合を考慮して他人が展開したトリガーでも使用者の許可、もしくは手放してある状態なら本人以外でも使えるシステムだろ」

「そうそう。まあ、普通は自分が使い慣れてるトリガーでいたいだろうから、あんまし積極的に使われるものじゃないけどな。そんで俺が使ったスナッチってのは、その臨時接続を応用したものだ」

臨時接続を応用したもの、という言葉を聞いた烏丸は首を傾げた。

「臨時接続って……いや待て。俺はガイストの使用許可なんて出してなかったぞ」

「俺が触った時、なんか警告音とか出なかったか?」

「……確かに、不正なアクセスってやつが出たな」

「だろ?ざっくり言えばさ、アレは京介のトリオン体にちょこっと干渉して、ほんの一瞬だけガイストの接続を剥がしたんだよ。その剥がした一瞬で、臨時接続を仕掛けてガイストを拝借した……これが、スナッチのカラクリらしい」

 

スナッチの仕組みを聞いた烏丸は考える素振りを見せたあと、月守に質問を始めた。

「言葉の通り、まさしく強奪だな。だがなぜ、今までそんな便利な技術を使わなかったんだ?」

「理由は色々あるけど…」

 

言いながら月守はポケットにトリガーホルダーを収め、それから烏丸に見えるように指を1本立てた。

「まず第1に、使える状況が限られる。さっき接続を剥がすって言ったが、これ自体がまずネックだ。銃型トリガーなら弾丸になるエネルギー供給のため、ブレード型トリガーならオプションのため……それぞれのトリガーと使用者の接続ってのは仕様が違うから、スムーズに接続を剥がせる可能性は高くない。仕掛けるには相手に触る必要があるんだが、剥がそうとしてる間に反撃食らってもおかしくないし、そもそもそこまで接近できたなら普通に攻撃した方がいいからな。ハイリスクでローリターンなんだ」

 

自虐的に笑いながら、月守は2本目の指を立てた。

「第2に、この『剥がす』って過程そのものだ。他人のトリオン体に接続ってのはトリオン体の機能だから誰でもできるけど、その先に干渉するってのは……使ってる俺ですらどういう仕組みなのかちゃんとわかってないんだよ」

「分かってないって……じゃあ、なんでできるんだ?」

「俺としては相手のトリオン体に接続した瞬間にトリオンを一瞬だけ流し込んでるだけなんだけど、なんでそれで剥がせるのか分からない。不知火さんの予想だと、『鍵穴に適当な針金入れてガチャガチャしたら運良くロックを解除できてるようなもの』らしい。とにかく、この『剥がす』ってやつが今のところ技術として確立できるようなもんじゃない。理屈だって、俺と不知火さんがそう言ってるだけで、もしかしてら全然違うものかもしれない。そんなものをランク戦とかで使うと面倒になりそうだからって理由で、不知火さんと夕陽さんに禁止されてた」

 

自分ですらよく分かっていない技術を使えるという月守に対して、烏丸は奇妙な感情を抱きつつも言葉の続きを待つと、月守が3本目の指を立てた。

「そして3つ目。京介、今ちょっと気持ち悪くないか?上手く言い表せない不快感というか……そういうのあるだろ?」

「ああ、あるな」

「だろ。その不快感が3つ目の理由。これもどういうわけか知らないけど、このスナッチを仕掛けると、食らったやつだけじゃなくて俺自身もその不快感が湧き上がってくるんだ。今回は軽めだし大丈夫だけど、前使った時は気持ち悪すぎて吐いた」

涼しげな顔で話す月守を見て、烏丸はこれでも軽い方なのかと訝しんだ。

「理由はこんなところだけど、納得できたか?」

「ひとまずな」

「そっか」

 

2人は話しながら歩き出し、訓練室を出てリビングに向かった。月守が烏丸の許可を得て適当な椅子に座ったところで、会話を再開させた。

「それにしても、トリオンで作られた物質が脆かったり、他人のトリオン体に干渉できたり、お前は不思議なやつだな」

「不思議だけど得してる気分は、ほとんどないな。だけど、俺はこれが出来るお陰で理論上不可能に近いって言われた2人がかりの合成弾が成功したみたいだし、そこだけは良かったって思ってる。けど、それでも奇異な目で見られるから、あんまり広がって欲しくない」

「だったらなんで、俺にスナッチを見せたんだ?」

「京介はそんな目で見ないからだよ。俺個人の考えだけど、一回でも遠征行った人ってなんか価値観広がってる感じがするんだ。良いものか悪いものかじゃなくて、それ自身がどんなものかちゃんと見てくれるっていうか……」

「それは……そうかもな。最近だと、風間さんが遠征に行く前と後で考えが変わってるかもって林藤さんが言ってたな」

 

言われて月守は風間の事を頭に思い浮かべ、遠征前後で何か変わったことがないか思考した。

(俺は風間さんより、風間隊自体が変わった感じがするな。慌てても、芯の部分はブレなくなった気がする)

そう思いながらも月守は烏丸の言葉に「そうかもな」と肯定して、話題を変えた。

 

「とりあえず今日は、京介と模擬戦出来て良かったよ」

「こっちこそ。勝負勘を養いたいみたいなことを言ってたが、参考になったか?」

「十分。これでこの先の試合で前みたいなヘマしないだろうし、何より次戦からは神音が復帰する。ほぼ万全で、俺たちはこの先戦えるよ」

チームのコンディションを話す月守がどことなく嬉しそうに見えて、烏丸は小さく安堵の息を吐いた。

 

「そうか。地木隊が完全復活するのは頼もしいが……ランク戦に限っては複雑だな」

「ああ、玉狛第二が勝ち上がるのが難しくなるからか?」

「まあな。月守、お前は玉狛第2をどう見てる?」

烏丸に問われ、月守は少し考えてから言葉を紡いだ。

「素直に答えれば、遊真のワンマンチーム。雨取ちゃんの規格外のアイビスは厄介だけど、あれだけ威力があった遊真か三雲くんに接近してれば封じれる……他のスナイパートリガーなら勝手は違うけど、対策は無いわけじゃない。三雲くんの戦況をコントロールする能力は中々だけど、自分から流れを作れるだけの何かはまだ無いっぽい。遊真の得点力はさすがだけど……マスタークラス以上で遊真と相性の悪いスタイルの奴が対戦相手にいたら、しんどいと思う。遊真以外の得点源があれば良いだろうな」

「……対戦相手じゃないのにしっかりと研究してるな」

「そのうち戦うこともあるだろうし、直前の相手を分析するついでだよ」

やんわりとした笑みでそう言った後、月守は席を立った。

 

「行くのか?」

「まあな。夜間に防衛任務のシフト入ってるし……絶対に外せない用事ができたから、行くよ」

月守は烏丸の言葉にそう返事をして、玉狛支部を後にした。

 

*** *** ***

 

不知火の研究室を出た彩笑と天音は、別行動を取っていた。彩笑はソロランク戦のブースへ、天音は地木隊作戦室へとそれぞれ移動していた。彩笑は天音も誘ってソロランク戦のブースに行こうとしていたのだが、天音はその誘いを断った。本当は彩笑と不知火の訓練を見ていたあたりから混ざりたくてウズウズしていたのだが、不知火の『今日いきなりソロランク戦とか防衛任務はダメだよ』という言いつけに従い、天音は彩笑の誘いを丁寧に断った。

 

そうして1人寂しく本部を歩くこと数分、天音は通い慣れた地木隊作戦室へとたどり着いた。久しぶりに作戦室の扉を開くと、そこにはモニターと睨めっこしてメモを取る真香の姿があった。

 

「あ、しーちゃんだ」

作戦室にやってきた天音に気付いた真香はモニターから視線を移し、天音を見て破顔した。

「ただいま、真香」

「おかえり。不知火さんのとこ行ってきたんでしょ?どうだった?」

 

作戦室において定位置である自らの椅子に座り、天音は真香の問いかけに答える。

「許可、出たよ」

「おー、良かったね。じゃあ今日、早速ソロ戦とかする気?」

「したいのは、やまやま、なんだけど……その前に、リハビリしなきゃ、だから」

言いながら天音はトリガーホルダーを取り出し、大事に握りしめながら真香に尋ねた。

「真香、トレーニングルーム、使っていい?」

「もちろん。シンプルなやつでいいよね?」

「うん、お願い」

天音の頼み事を聞くや否や、真香はテキパキとトレーニングルームに設定を施して用意を進めていった。

「トレーニングルームの中に何か設置する?」

「んーと、とりあえず、モールモッド、1つ」

「オッケー、モールモッド設置しとくよ」

真香が天音の要望通りにトレーニングルームの設定にモールモッドを追加したところで、思い出したように口を開いた。

 

「あ、そうそう。私はちょっとやる事あるから……。中から出る前には呼びかけてね」

「ん、わかった」

淡々とした声で返事をした天音は、久しぶりにトリガーを起動して仮想空間であるトレーニングへと潜り込んだ。

 

 

 

 

 

真香が設定したトレーニングルームは、本人が言うようにシンプルなものだった。青白いタイルのような足場が延々と続くだけのフラットなステージであり、壁のようなものはなかった。よく目を凝らせば20mほど先に黒い格子状の模様が存在しており、そこが広さの限界なのだと天音は判断した。格子模様は天音を中心として円を描くように展開され、その円の中には天音と1体のモールモッドしかいなかった。

 

目が合うと同時に、モールモッドは動き出した。4本の足を動かして接近してくるモールモッドに対して、天音は間合いを保とうとして後退しようとした。

 

何もない、ただひたすらに平面なステージ。しかし後退のために動かした天音の足は不自然にもつれ、尻餅をつく形で転んだ。

「あ……」

天音はすぐに立ち上がろうとするが、その動作はどこかぎこちなく、緩慢だった。その間にもモールモッドは淡々と距離を詰め、ブレードの攻撃範囲に天音を捉える。

 

モールモッドが攻撃体制に入ると同時に天音は立ち上がり、辛うじて回避行動に移ってモールモッドの攻撃を躱した。

(危な、かった。思った以上に、動きにくい、かな……)

息と思考を整えながらも天音の目線はモールモッドを捉え、繰り出される攻撃を回避し続けた。

 

回避自体は成功するものの、動きは精彩を欠いていた。彩笑や月守が行うような反撃をスムーズにするため、あえてギリギリで避けるものとは違い、今の天音の回避は本当にギリギリで避ける危うさが伴っていた。

 

その動きの鈍さは半月ほど空いたブランク、そして天音の病を抑えているアスターシステムが原因であった。

 

天音のトリオン体に組み込まれているアスターシステムは、病がもたらす異常なトリオンを制限しているが、それに巻き込まれる形で伝達系等のトリオン体の働きを鈍くするという副作用があった。アスターシステムに阻害されたトリオン体は天音がイメージする通りの動きが出来ず、伝達脳が下す指示と実行される動きにはズレが存在していた。

 

粘り気のある空気の中を動くような阻害感。か細い糸が身体に巻きつくような動きにくさの中、天音は自身のトリオン体の反応を一つ一つ確かめる。イメージ上の動きと、実際の動きのズレをひたすらに擦り合わせるが、その修正は容易ではなかった。

大規模侵攻にて天音は自らの病を悪化させており、アスターシステムを管理する不知火は対抗するためにシステムの制御を引き上げた。結果、病気の進行速度は大きく抑えたものの、代償として天音のトリオン体はトリオンの出力と伝達系の働きをより一層制限された。

 

以前にも増して動きにくくなった身体を必死に動かしてモールモッドの攻撃を避け続けた天音だったが、その精度が徐々に上がってきた。

 

(うん、いける。もっと、いける)

 

動きに手応えを感じ始めた天音は、全ての動作のスピードをほんの少しだけ上げた。最初の数歩こそぎこちなくなったものの、天音は再び生じたズレをすぐに修正し、適応してみせた。

 

修正して、変速して、再び修正する。それを幾度となく天音は繰り返し、繰り返すほどに動きの不自然さは消えていく。天音は誤差修正は無意識下に染み込んでいくまで…、初めから誤差など無いと錯覚するまで、モールモッドの攻撃を躱し続けた。

 

迫り来る一撃を、躱す。

一定の距離を保ち、躱す。

反撃することなく、躱す。

薄く碧みがかった瞳で見据えて、躱す。

 

無言で延々と動き続ける天音の姿は、ある種の恐怖と狂気を思わせるものがあったが、それを指摘する者はここには誰もいなかった。

 




ここから後書きです。
元々1話だったのをぶった切ったので、話の引きがいつも以上に中途半端です。続きはできるだけ早く投稿したいなと思います。

公式設定では不可能とされる2人がかり合成弾が使えた件について、どうにか設定してみよう、と考えた末の今回のお話でしたが結局ゴチャっとしただけでした。

後半の天音のアスターシステムの誤差についてですが、思った通りの物が出力されないって案外気持ち悪いんですよね。昔友人が用意した、音がほんの少し遅れて鳴る電子ピアノを弾いた時、超気持ち悪かったです。

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