ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第74話「不知火花奈の1日」

不知火花奈の朝は早かったり遅かったりする。

自宅は三門市内にあるマンションなのだが、そこまで帰るのが手間と言い張り、ボーダー本部内にある自身の研究室か職員や隊員用の仮眠室に寝泊まりする彼女は、毎朝起きる時間帯がまちまちだった。

 

2月7日金曜日の朝、不知火は6時前に起床した。前日は半ば自室となっている研究室にあるソファベッドで寝たのだが、酒を飲んでいたため記憶が少々曖昧で、寝る前の出来事があまり思い出せなかった。

 

(うーむ…。飲みすぎたか。でもそれにしては、ソファの周りに酒の缶やら瓶やらパックが無いな……)

疑問に思った不知火だが、テーブルの上に置いてあった1枚の置き手紙に気付き、そしてそれを読んで納得した。

 

置き手紙の筆跡は月守のものであり、内容は、ケーキの差し入れをしたことと、部屋が少し散らかっていたので研究と関係のなさそうなものだけ片付けた事の2つだった。

 

(真面目というか何というか……。まあ、今度何かで返さなきゃな……)

 

そうして不知火は月守へのお礼(という名目のイタズラ)と今日のスケジュールを頭に思い描きながら、仕事の準備を始めていった。

 

*** *** ***

 

起床から1時間後、身支度を済ませて仕事着とも言える黒スーツの上に白衣を羽織った不知火は食堂に来ていた。メニューが格安で提供されている上に職場から移動しなくて済むという理由で、不知火は基本3食をここで済ませていた。

 

「いただきます」

ほぼ定位置と化した場所に座った不知火は静かに手を合わせ、朝食を食べ始めた。艶のある白米にしじみの味噌汁、焼きジャケに海藻を基本としたサラダを食べ進めていると、

「副開発室長、お疲れさまです。隣、いいですか?」

開発室のチーフエンジニアの1人、寺島雷蔵が声をかけてきた。身振りで不知火は許可を出し、寺島は不知火の左隣に座った。

 

「相変わらず朝は眠そうですね。また、夜遅くまでトリガー弄ってたんですか?」

 

「いや、昨日は呑んでた。サンダー寺島こそ、朝から本部というのは珍しいんじゃないかい?」

 

「昨日は例のラッドの件で色々ありまして…」

 

「あー……」

例のラッド、というワードを聞き、不知火は一旦食べる手を止めた。

「…あのラッドについては、やっぱり実際に見てみたいな。今日にでも見に行こう」

 

「ダメです。鬼怒田さんから、不知火さんだけは絶対にラッドに会わせるなって言われてるんで」

 

「ケチだなあ。報告書だけじゃ物足りないんだよ」

 

「報告書ということなら、自分だって大規模侵攻の時の報告書見ましたよ。不知火さん、ラッドの中身が()()だって知ってるなら、私怨丸出しで接するでしょう?」

 

「当たり前さ。人のことをバ…、お年寄り扱いしたあの黒スライムに地獄を見せてやる」

すでに私情を多分に挟んでいる不知火を見た寺島はため息を吐き、

「だから許可が出ないんすよ」

疲れた様子でそう言った。

 

*** *** ***

 

不知火の仕事内容は毎日変わる。トリガー開発や改良、仮想空間のメンテナンスにトリオン兵のプログラミング、トリオンを用いた医療技術、トリオンそのものについての研究など、受け持っている業務が…、というよりは不知火本人がやりたがって取ってきた仕事多数に及ぶためだ。

 

研究室に戻ってきた不知火はモニターの前に座り、一呼吸取った。

「さーて…。期限が近いのは、『ストック』の一般隊員向けプロトタイプの完成と、実装の目処が経ったラービットのプログラミング修正…、かな。この2つが特に近い」

スケジュール帳から仕事の期限が特に近い2つを確認し、作業に移った。

 

モニターにはまず不知火が開発中のトリガー『ストック』のプログラムが表示された。夥しいほどの英数字の文字列を不知火は読み取り理解し、問題点を修正して『誰でも使いやすいように』手を加えていく。

(やはりネックなのはトリオンの吸引速度だね。一昨日ワタシが使った分には丁度良かったけど…、実際はポジション毎、いや、使う人と状況によって最適な速度は変わるだろう。吸引速度を完全マニュアルで設定できるようにするか…、いや、それだと使い勝手が悪いし、別トリガーを作った方がいいレベルだな。なら、速度を三段階くらい作ってそれを切り替えられるようにするか。それぞれの速度を弱、中、強として、弱はバッグワームレベル。中は…)

思い描いた修正点を不知火は手元のキーボードを叩き、プログラムへと反映させていき、ものの20分程で、とりあえずの修正が完了した。

 

「でーきた!」

作業を終えた不知火は問題が解けた子供のような声で完成を喜んだ。そして直後、顎に手を当てて考え始めた。

「出来たはいいけど…。やっぱり実際に使ってみないことにはどうにもならないねえ。また別の問題が出てるかもしれないし…。どれどれ、どこかにいいモルモ…、実験協力者はいないかな?」

呟いてから不知火は、プロトタイプのテストをしてくれる協力者がいないものかと考え始めた。いつもなら月守に、

『学校もしくは防衛任務が終わったら研究室に来なさい』

とメール一本送れば済む話なのだが、その月守は先日ようやく自分に合うトリガー構成を見つけたため(当たり前のように構成は8枠一杯だった)、今彼のトリガーに『ストック』を組み込む余地は無かった。

 

お手軽なモルモットが使えなかったため、不知火は他のアテが無いものかと考えて出した。

(ある程度自分のスタイルが固まってる子がいいな。とりあえず何人かに連絡を…、ああ、その前に一応本部長に許可を取らなきゃね)

思い立った不知火は、本部長である忍田に連絡を入れた。

 

忍田から返事が来るまでの間、不知火はしばし暇になった。期限が近いもう1つの仕事であるラービットのプログラム修正をするべきなのだが、こちらもストックと同じく、他の隊員による協力が必要な状態だった。

というのも、不知火はほぼ全て自前でラービットのプログラムを組んだため、その挙動を客観的な目線で見ることができなかったのだ。そのため他の隊員によるテストプレイ…、できれば大規模侵攻時にラービットと戦闘をした隊員による協力がほしいところだったが、一昨日月守を『ケルベロスプログラム』に放り込んだところ忍田から「隊員を大切にしろ!」という旨のお叱りを受けてしまい、ラービットのテストプレイはしばし控えるよう指示を受けていた。

しかし不知火としては、もはやラービットの完成はテストプレイと修正を繰り返すような段階に来ているため、何が何でもテストプレイを実施したいところだった。

 

そうして2つの仕事の納期が重なった不知火は、思いついた。

 

「そうだ、どうせならストックのテストとラービットのテストを同時にやろう」

 

と。

 

ストックのプロトタイプを使いに来てくれた隊員をラービットが待ち構える仮想空間に放り込めば、2つのデータが取れて一石二鳥だと。

 

本来ならば正確なデータのために別々に取りたいところであり、不知火としても正直やりたくない手段なのだが、この際仕方ない割り切った。あとからまた、別のデータもちゃんと取るからと、自分に言い聞かせていた。

 

(ちゃんと送ったメールにもラービットの件は書いてあるし、騙すことにはならない…、はず)

 

そんな風に結論付けた不知火だが、依然として暇なのは変わっていない。まだ期限が遠い別の仕事を進めるというのも1つの手段だが、それに没頭してしまうと肝心の2つの仕事が遅れる恐れがあったため、別の仕事を進める気にはなれなかった。

 

時間をほどほど潰せる何かがないかと不知火は悩んだが、幸いにも悩みはすぐに解決した。

 

『不知火、いるか?』

タイミングよく、扉に備え付けてあるインターホンから聞こえてきた音声に、不知火は答えた。

『ワタシはイルカじゃないけどねえ』

 

『何を言って…、ああ、そういうことか。つまらないシャレは要らないぞ。扉を開けてくれ』

 

『はいはい』

軽く笑いながら不知火は扉のロックを解除して、外にいた人物…、先ほどメールを送った忍田真史を研究室へと招き入れた。

 

「何か飲むかい?」

 

「何でもいいが…、いや、アルコール以外だぞ?」

 

「ひどいなぁ。流石にワタシだって仕事の時間帯にアルコールは出さないよ」

肩を竦めた不知火は「まあ適当なところに座ってて」と忍田向けて言ったあと、備え付けの冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。

「事前に来ると連絡くれたら、あったかいのを準備してたんだがね」

 

「すまん。連絡を貰った時、たまたまこの区画の近くにいたものだからな」

 

「あはは、じゃあどの道あったかいのは準備出来なかったかもねえ」

不知火は忍田とテーブルを挟んで向かい合わせになる形でソファに座り、適当な話題を放り込んだ。

「遠征の目処は立ちそうかい?」

 

「ひとまずはな。その前にやるべき課題は山積みだが…。目下のところ、正隊員全体のレベルの底上げが優先されるだろう」

 

「ほう、そりゃまたどうして?」

問いかけながら不知火は、そういえば会話しりとり仕掛けるの忘れたと思いつつ、忍田の言葉を待った。

「今回の遠征は、前回よりも大規模なものになる見通しだ。遠征部隊に求められるハードルも上がる事に加え、3チーム以上が防衛任務に参加できなくなったとしても、安全に防衛任務を回さなければならない。遠征期間中にこの前のような大規模な侵攻が無いとも限らない。そう考えれば、正隊員の実力向上はどうしても急ぐ必要がある」

 

「ふーむ、なるほど。…なら、遠征期間中はワタシも隊員として動こうか?エンジニア業務はその期間お休みにしたっていい」

 

「嬉しい申し出だが…」

 

「…だが?」

途絶えた説明の続きを不知火は促し、忍田はどことなく申し訳なさそうな表情で言葉を再開させた。

「…不知火。まだ決定ではないが、今回の遠征任務で、君を遠征艇のエンジニアとして乗せるべきという意見があるんだ」

 

「遠征艇のエンジニア、ね…。前回の任務で、冬島がやってた戦闘員兼遠征艇のメンテナンス要員として乗ってくれってことかな?」

 

「そういうことだ。もちろん他にも、エンジニアは搭乗させる予定だが…。どうだ不知火…、今現在の気持ちで構わないが、参加してもいいと思えるか?」

忍田は慎重な態度で、そう質問した。

 

遠征任務は普段の防衛任務やランク戦より、遥かに危険度が高いものである。未知の世界に踏み込みイレギュラーな状況が多数想定される上に、ベイルアウト機能も満足に機能しない。少しのミスが容易に死に繋がりかねない任務であるため、忍田は慎重に質問したのだが、

 

「ん、いいよー。指示してくれればいくらでも参加するさ」

 

不知火はそんな忍田の気苦労を嘲笑うかのように、あっさりと参加の意思を示した。

 

ちょっと友達ん家行ってくるわー、くらいの気軽さで答えた不知火を見て、忍田は一瞬目を見開き、そしてすぐに肩の力を抜いた。

「…君のことだ。危険なのは重々わかった上で、そう言ってるんだろうな」

 

「まあね。そもそもワタシ、遠征任務何回か行ってるし、忍田本部ちょ…、忍田先輩が心配しすぎなのさ」

 

「まて、なぜ今一回言い直した?」

 

「ふふ、やっぱりワタシにとって貴方は本部長ってより先輩だからねぇ…」

目を細めて楽しそうな笑みを浮かべて、

「第一…、トリオン体の速度なら川の上走れるかもって思って試してた所を18歳の小娘に見られて通報されかけてた人を本部長として見るのが難しいじゃないか」

忍田の黒歴史の1つをサラリと口にした。

 

脈絡も無く暴露された過去を聞き、忍田は思わず眉間に皺を寄せた。

「ぐっ…。まだそれを言うのか…っ!」

 

「当たり前だろう?しかも通報されそうになったら焦って、

『事情は説明するから通報するのは勘弁してくれ!』

って言ったり、挙げ句の果てには、

『秘密を知ったからには我々の仲間に加わってくれないか!』

なんて言ってきたんだよ?ちょっと話を聞いただけで強制入隊なんて、とんでもないと思わないかい?当時、その子がどれだけ震えていたか、忘れたわけじゃないだろう?」

 

「忘れたわけじゃないが…。私の記憶が正しければ、その時の子…、というか君は、未知の世界と技術に触れられることを喜ぶあまり震えていた気がするんだが…」

 

「お、よく覚えてるね」

答えを肯定した不知火は、喉を鳴らしてとても楽しそうな笑顔を浮かべていた。

 

 

 

コーヒーが空になるまで一通り雑談したところで、不知火がいよいよ本題を切り出した。

「さて、長々と前置きをしたけど…。忍田先輩、メールは見てくれたね?」

 

「当然だ」

 

「うん、なら話は早い。ストックのプロトタイプは概ね完成したし、今月中に仮想空間のシステムに組み込みたいっていうラービットも大体完成してる。あとは実際に使ったり戦ったりして微調整すれば、この2つは搭載可能だよ。そういうわけだから、テストプレイのために正隊員を何人か貸してくれるかい?」

不知火の要求を聞いた忍田は、腕を組んでわずかに考えてから口を開いた。

「正隊員なら、誰でもいいのか?」

 

「希望が出せるなら、大規模侵攻でラービットと実際に戦った隊員が望ましいね。ストックのデータも取りたいから、戦闘スタイルがバラけてると有り難い」

 

「そうか、わかった。任務扱いということで、大規模侵攻でラービットと戦った隊員に声をかけよう。何人集まるかは保証できんがな」

忍田はそう言って、あっさりと許可を出した。

 

思ったよりすんなりと解決したことに驚き、不知火は問いかけた。

「一昨日禁止されたから、もっと許可貰うには時間がかかると思ってたよ」

 

「私が禁止にしたのは、精神的に隊員を追い詰めるマネをしたことに関してだ。ラービットや新型トリガーの研究とは、また別だ」

 

「ふーん。まあ、なんにせよ許可が出てワタシは一安心さ」

安堵した不知火が座ったまま両腕をググッと伸ばしたところで、忍田が1つ追加の条件を出した。

「ただし…、正隊員の前に、私が直々に試させてもらおう」

 

「はは、そのくらいお安い御用さ。試すのはラービット?ストック?それともどっちも?」

 

「両方に決まっている」

スクっと立ち上がった忍田はスーツの内ポケットからトリガーホルダーを取り出し、不知火に手渡した。

「バッグワームを外して、その試作段階のストックをセットしてくれ」

 

「了解。あ、ストックの取り扱いマニュアルを作ったから、トリガーをセットしてる間、それに目を通してね」

数枚のマニュアルを忍田に手渡した不知火は、テキパキと忍田のトリガー構成を変更し始めた。

 

数分かけてマニュアルを目を通した忍田は、素直な感想を口にした。

「これは…、うまく扱えたなら、強力なトリガーになるぞ」

 

「お、やったね。忍田先輩のお墨付きを貰えたよ」

 

「ただ、取り扱いが難しそうなトリガーだが…」

 

「その難しさをどうにかするために、ワタシたちがこれからテストするんだろう?」

トリガーチップをセットし終えた不知火は、忍田にトリガーホルダーを手渡した。受け取った忍田は早速トリオン体に換装しようとしたが、ふと、今の言葉の違和感に気づいた。

「…ワタシたち、ということは、君もやるのか?」

 

「まあね。どうも遠征時期にはワタシも動かなきゃならないようだし、ボチボチ勘を取り戻さなきゃいけないだろう?」

話しながら不知火は白衣からトリガーホルダーを取り出し、忍田と同時にトリオン体へと換装した。

「ふむ、やはり忍田先輩はスーツよりも黒コートが似合う」

 

「そうか?…君は、白衣の方が似合うと思うが…」

 

「ほうほう、忍田先輩は白衣がお好みか。どれ、先輩を狙う女性方に教えてあげようかな」

 

「ふざけるのは大概にしてくれ。さっさと始めよう」

 

「ふふ、りょーかい」

戯けた雰囲気で不知火はそう言ってからプログラムを起動し、2人のトリオン体は仮想空間へと送られた。

 

 

 

 

送られた直後、忍田は絶叫した。

「8体同時なんて聞いてないぞっ!」

そこには、不知火の手が加えられた彩り豊かなラービットが8体並んでいたからだ。

 

「ふっふっふ、『ケルベロスプログラム』を上回る『ヤマタノオロチプログラム』さ!全滅させれば勝ちだけど、この子達は倒しても一定時間で復活する仕組みだから、ある程度まとめて倒さないとこのプログラムは終わらないよ!」

不知火がしれっと話したシステムに戦慄した忍田は思わず、

「貴っ様ーーー!!!」

ヤケクソ気味に叫びながら弧月を抜刀しラービットの群れに突撃していき、

「フォローは任せたまえよ、セーンパイ」

数歩遅れて、不知火は禍月を構えて後に続いた。

 

*** *** ***

 

昼過ぎ、やっとの思いでプログラムを終えた不知火は軽く忍田のお説教を受けた後、昼食を取ろうとして食堂に来ていた。天ぷら蕎麦定食を受け取った不知火は空いてる席を探してキョロキョロと周囲を見渡すと、空いている席と共に見知った顔を見つけた。

 

「やっほー、東。隣良いかな?」

見つけたのは、ベテラン隊員の東春秋だった。東は人当たりのいい笑みを見せて、不知火の言葉に答えた。

「ええ、もちろん。どうぞ」

 

「では遠慮なく」

座った不知火は朝と同じく静かに手を合わせて「いただきます」と呟いてから、食事を始めた。

 

不知火が蕎麦を数口食べたのを見て、東は会話を始めた。

「午前中、大学のラボの方にいましてね。例の実験をしてたんですよ」

 

「ほう、例のやつだね」

 

東はボーダーが提携している大学の研究室にて、トリオンに関して本部とは別ベクトルの研究を進めている1人だった。トリガーに転用する研究ではなく、『そもそもトリオンとはどういうモノなのか』という研究であり、それにも興味がある不知火はそちらの研究にも積極的に手を貸していた。

 

今2人がしている会話は、その研究に関することだった。

「それで、どうだった?」

 

「詳しくは後で資料を届けますけど…。1つ、仮説通りの結果がありましたよ」

 

「ほうほう、それはそれは…。ちなみに、当たってたのはワタシの仮説かね?」

嬉々として尋ねる不知火に対して東はバツが悪そうな表情を浮かべて、答えを返した。

「いえ…、当たってたのは俺の仮説です」

 

「むう、外したか…。トリオンの謎を1つ知ると、そこからまた謎がいくつも広がっていく…」

 

「先はまだ長いですよ」

 

「望むところさ」

未知に対して大きな興味を向ける不知火を、東は頼もしく思った。しかし当の不知火は東の気持ちを知る由もなく、何気なく天ぷらを口にして、

「それはそうと東。ワタシはせっかくサクサクに揚げた天ぷらを液体に投入する行為は如何なものかと思うんだけど、これについて君の見解を聞かせてくれないか?」

とてもどうでもいい疑問を投げかけてきた。

 

そして東は、

「そうですね…、しなびた天ぷらにも、また違った良さがあるんじゃないですかね?」

生産性の無い疑問に対しても真面目に答えたのであった。

 

*** *** ***

 

午後、不知火は暇を持て余した。

天音のアスターシステムのデータ整理や、個人的に飼育しているネイバーフット産の植物の管理、溜まっていた書類の処理、昔作った掃除機能がついた改造小型モールモッドのメンテナンスなど、今やるべきことをほぼほぼ片付けた不知火は、暇になった。

 

仕事や仕事に必要な知識の習得など、やるべきことが全くない訳ではないが、ひどく気分が乗らなかった。

 

時間を確認すると、15時を回ったところであり、仕事を切り上げるにはまだ早い時間帯だった。

(別にこのまま今日はお開きにしてもいいんだけど…)

少し悩んだ不知火は、気分転換を兼ねて散歩に出た。特に目的を定めることなく本部内をウロウロと歩き、時間を潰しながら脳をリフレッシュさせていると、小柄で白髪な隊員の後ろ姿が彼女の視界に入ってきた。

 

報告書や人づてに聞いてはいたものの、実際に会うのは初めてになる人物に、不知火は話しかけた。

「迷子かい?空閑遊真くん?」

話しかけられた遊真は振り向き、怪訝そうに会話に応じた。

「道に迷ってはいるけど…。おねーさん、だれ?」

 

「おっと、自己紹介が遅れたね。ワタシは不知火花奈。本部所属のエンジニアだよ」

不知火がそう名乗ると、名前に聞き覚えがあった遊真が手をポンと叩いた。

「シラヌイ…。ああ。前につきもり先輩が言ってた人か」

 

「へえ、月守から既にワタシの事は聞いていたのか。じゃあ、ワタシと同じだね」

 

「つきもり先輩からおれのこと聞いたの?」

 

「うん、そうだよ。…君は、遊吾さんの息子さんなんだってね」

不意に父親の名前を出され、遊真の雰囲気が少し変わったところで不知火はやんわりとした笑みを見せて、

「君の目的地に向けて…、歩きながら話そうか」

そう提案した。

 

 

 

遊真が目指していたのは、ソロランク戦のホールだった。今いる区画とはほぼ真逆の方向であり、不知火は遊真の迷いっぷりに苦笑してから、道案内を始めた。

歩き出してすぐに、遊真が問いかけた。

「しらぬいさんは、親父のこと知ってるの?」

 

「まあね。ワタシが入隊してすぐの頃…、少しだけ、お世話になった。トリオン体の基礎…、の、そのまた基礎を教えてくれた人だ」

 

「そっか」

遊真はそこで一度、会話を止めた。

 

(父親の過去を、あまり聞きたがらないか…。聞く気がないのか、敢えて聞かないのか…)

その判断に迷った不知火は、会話を再開させて遊吾についての話題を振った。

「遊吾さんのその後のことは、林藤さんを通じて聞いたよ。…君のその指輪が、遊吾さんなんだね」

 

「そうだよ」

言いながら遊真足を止めて、左手の人差し指に嵌めた指輪を不知火に見せた。

「これが…、親父のブラックトリガーだ」

 

「…ブラックトリガー、か。…意識のようなものは無い、とは分かっているんだけど…」

呟くように言った不知火は、フロアに右膝を付けて態勢を低くして、指輪に目線を合わせた。

 

そして、

「…遊吾さん、おかえりなさい。次に会う時はお酒を飲み交そうって約束してたのに…、これじゃあ約束、守れないね」

どことなく幼い雰囲気で、今は亡き遊吾と交わし、守ることができなくなった約束を物悲しそうに口にした。

 

数秒間、そうして不知火は固まっていたが、1つ長い瞬きをして立ち上がった。

「すまないね、遊真くん。初対面にもかかわらず、しおらしい姿を見せてしまった」

遊真に謝罪する不知火に先ほどまでの雰囲気は欠けらも無く、遊真はその切り替えの早さに軽く驚きつつも言葉を返した。

「べつにいいよ、気にしてないし」

 

「ふふ、それは助かる。さて、じゃあまた歩こうか」

そう言って不知火は颯爽と歩き出し、遊真はそれに続いた。

 

 

2人は移動中、他愛もない雑談を続けていた。

「そういえば遊真くんは…、遊吾さんからサイドエフェクトも受け継いだんだってね」

 

「そうだよ」

 

「嘘を見抜く、遊吾さんのサイドエフェクトか…。どれ、1つその精度を確かめようかな」

 

「確かめるって…、何かするの?」

クスッと笑い、不知火は人差し指を立てて提案した。

「いや何、難しいことはない。今からワタシが言う言葉を、嘘か本当か見抜いてくれればいいだけだよ」

 

「それなら簡単だよ」

淡々と遊真は言うが、その奥には確かに見破ることができる確信にも似た感情があった。それを見抜いた上で、不知火は言った。

 

「じゃあ、いくよ。…遊真くん、『()()()()()()()()』。さて、嘘かな?本当かな?」

 

問いかけに対してサイドエフェクトが働き、遊真はそれが真実かどうかを見抜いた。

 

「…うん、ウソはついてないね。だから、しらさんはウソつき…、ん?あれ?」

しかし答えを口にした途端、遊真は自分の言葉に違和感を感じて戸惑った。そして戸惑う遊真の様子を見て、不知火は満足そうに笑った。

「クックック、これは嘘つきのパラドックスと言ってね。ちょっとした言葉遊びさ」

 

「むう…。ウソはついてないのにウソつき…。しらぬいさんは、面白いウソつくね」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ」

そう言って不知火は、不敵な表情を見せていた遊真の頭をポンと軽く、一撫でした。

 

 

そうして雑談を重ねていくうちに、2人は目的地であるソロランク戦のホールに辿り着いた。

「到着だよ」

 

「おおー、やっと来れた。しらぬいさん、案内してありがとうございます」

 

「大したことじゃないさ」

丁寧にお辞儀をする遊真に対して、不知火は気にするなと言いたげにヒラヒラと手を振った。

 

そのまま踵を返してブースに向けて歩いていく遊真を見届けた不知火は、ほんの少し名残惜しそうな表情を一瞬だけ浮かべてから踵を返し、再び気ままに歩いて行った。

 

*** *** ***

 

日がどっぷりと暮れた時間になると、不知火のテンションは上がる。

世間一般の仕事が終わる時間に合わせて、仕事を切り上げた。仕事終わりのシャワーを済ませて、服装やら気分やら諸々を切り替え不知火は、冷蔵庫で冷やしていたお宝…、酒を取り出した。

 

 

 

 

 

不知火が酒の美味さに目覚めたのは、20歳の誕生日だった。

良識のある大人たちに周囲を固められて、不知火は20歳になるまで一滴も酒を飲んだことがなかった。

そして迎えた20歳の誕生日、良い機会だからと林藤に言われて不知火は初めて酒(ビール)を飲んだ。

 

飲んだ瞬間、不知火は思った。

 

苦い。

 

しかし同時に、

 

だが美味い!

 

と、確信した。

 

説明しようがないがコレは美味い!

不知火はそんな言い知れない感覚の正体を確かめるべく、お酒デビューしたその日に持ち込まれた酒のほとんどを飲んだ。飲めてしまった。常人離れした肝機能を彼女は持っていたのだ。

本来なら酔い潰されるはずの立場にいた不知火は、逆に居合わせた旧ボーダーの大人達のほとんどを…、いや、全員を酔い潰した。

 

最高責任者である城戸は、

「しらぬいくん…、さけは、のんでも…、のまれては、いけないぞ………」

と言い残して潰れた。

 

当時戦闘でコンビを組んでいた忍田は、

「む、むりだ…、わたしは、もう……、のめん……」

その言葉を最後に気を失った。

 

酒を勧め、メンバーの中では最も酒に強かった林藤ですら、

「おれぁ……、とんでもねえかいぶつを……、よんじまったの、かもなぁ………」

無残に散ってしまった。

 

それ以来不知火は酒の美味さに取り憑かれた。

幸いにも早い段階で重度の二日酔いを経験し、その状態では大好きな研究が手につかないことに気づけた不知火は節制も覚えた。城戸司令が言い残した『飲んでも飲まれるな』がきちんと出来たのであった。

 

 

 

 

兎にも角にも、不知火は無類の酒好きである。

出前(不知火が食堂に頼み込んで採用させてもらったシステム)で注文したおつまみが届くまでまだ時間はあるが、それすら待ちきれない彼女は、

(もういいや、開けちゃえ)

脳内でゴーサインを出して、プルタブに指をかけた。

 

しかしその瞬間、

「しーらーぬーいさーん!聞いて聞いてー!」

前触れも無く、元気と笑顔がトレードマークの地木彩笑が研究室に特攻をかけてきた。

 

彩笑の特攻に気づいた不知火はプルタブを開ける寸前で止めて、彩笑へと目を向けた。

「手短に頼むよ、地木ちゃん」

 

「あれ?今日は会話しりとりやらないんですね」

ワザと名前を呼んでしりとりを切り上げた不知火をに対して、彩笑は研究室にあるソファに座りながら問いかけた。不知火はプルタブが開く寸前のビールの缶を持ち上げながら答える。

「まあ、ご覧の通り、ワタシはこれからお酒を飲むからね。お酒を飲んじゃいけない未成年が同じ部屋にいる状態で飲むのは、世間体がよろしくない」

不知火は至極真面目にそう答えた。ここ2日間で、未成年にビールを持って来させたり、飲み散らかした部屋の片付けを未成年にしてもらった人とは思えない程度には真面目に見えた。

 

事情を理解した彩笑は申し訳なさそうに口を開いた。

「えーと…、じゃあボク、出てった方がいいですよね?」

 

数秒の間を開けて、不知火は優しくため息を吐いてから答えた。

「…もうすぐ出前が来るから、それまでなら聞いてあげるよ」

 

「やったー!」

許可をもらった彩笑は、ぱあっという効果音が付きそうな勢いで笑顔になった。しかしすぐに、その表情は不機嫌そうなものに変わった。

「それでね!聞いてよ不知火さん!」

コロコロと表情を変える彩笑をユニークに思いつつ、不知火は会話に応じる。

「はいはい、言ってごらん」

 

「さっき咲耶に、神音ちゃん取られました!」

 

「…うーん?」

彩笑の言葉は端的過ぎて、不知火は話が掴めなかった。話の全貌を確かめるべく、不知火は彩笑に問いかけた。

「地木ちゃん、順を追って説明してもらえるかな?」

 

「えっと…。さっきまでボクたち、チームで防衛任務だったんです」

 

「夕方の時間帯にシフト入ってたもんね。それで?」

 

「で、その防衛任務終わった後、神音ちゃんの特訓に付き合うことにしたんてすよ!」

 

「防衛任務の後なのに特訓とは、天音ちゃんは熱心だねえ」

 

「あ、神音ちゃんは防衛任務に参加してないんです。まだ動きに違和感あるからって」

 

「ああ、なるほどね」

テンポよく会話しながら、不知火は話の全貌を朧げに理解し始めた。

「それで特訓に付き合うことにしたのはいいけど…、そこで咲耶と何か揉めたんだろう?」

 

「そうなんですよ!明日のランク戦、神音ちゃんはオールラウンダーで出るつもりなので、ボクがアタッカーの動きを、咲耶がシューターの動きをそれぞれ確認して、明日は連携取っていこうなったんですけど…」

言いながら彩笑の身体はワナワナと震え、不知火はそこからほんの少しの怒気を読み取った。

 

そして彩笑は中途半端に止めた言葉の続きを口にした。

「その順番を咲耶に持っていかれました!先にアタッカーの動きを見てあげた方がいいって言ったのに!ジャンケンで負けたからボク後回しにされました!」

 

「…ふふ。ああ、だから取られたって事ね」

話の全貌を理解した不知火は、呆れ半分微笑ましさ半分の笑みを零した。

「要は地木ちゃん、大好きな天音ちゃんとの特訓をお預けされて拗ねてるわけだね」

 

「…うう、そうともいう……」

しょぼんと落ち込む彩笑に向けて、不知火はわずかに考えてから言葉を紡いだ。

「地木ちゃんの言う、先にアタッカーの動きを見た方がいいっていう言い分は分かるよ。人間、どうしても一番はじめに手をつけたものの記憶が残りやすいから、先に特訓したポジションの方が明日の試合に色濃く影響が出るだろうね。天音ちゃんはいろんなポジションを熟せるポテンシャルがあるけど、軸になっているのはアタッカーだ。軸がしっかりしてれば、他も必然と引っ張られて良くなるものだから、地木ちゃんの言い分は最もだね」

 

「ですよね!」

意見を肯定された彩笑は力強くそう言うが、不知火は反対の意見も出した。

「でも逆に、シューターを先に教えることのメリットもある。天音ちゃんのリハビリがまだ終わってないって事は、不完全で、本調子じゃないってこと。でも試合はもう明日で時間がない。アタッカーの動きが絡むシビアな連携よりは、シューターの方が連携の難度は低いから合わせやすい。ひとまず明日の試合に照準を合わせるなら、先にシューターの動きを見るのにも、一理あると思わないかい?」

 

「むむ…」

2つの意見にとりあえず納得した彩笑は、軽く唸った。

「じゃあ結局、どっちが良かったのかな?」

 

「どっちも一長一短があるからねぇ…。でもどちらかを選べと言われたら、天音ちゃんがやりたい方をやらせてあげるのがいいんじゃないかな」

不知火がそう結論付けたところで、頼んでいた出前が研究室に届いた。

 

時間切れだよと言って不知火は追い返そうとしたが彩笑は「一口だけ!」とゴネた。渋々不知火は彩笑の口に出来立ての鶏の唐揚げを1つ押し込んだところ、

「あっふーい!れもおいひい!」

と、大層幸せそうに言って研究室を出て行った。

 

 

「…よし、もういいよね」

研究室で1人に戻れた不知火はようやくと言った様子で缶ビールのプルタブを開き、間髪入れずに口をつけて一気に嚥下した。

 

キレのある苦味が口から喉を通り胃に流れ込む。あっという間に500mlを半分以上飲んだ不知火はテーブルに勢いよく缶を叩きつけるように置き、

「あー!美味しい!最高!」

心の底からそう叫んだ。

 

「ワタシはこの一杯のために働いてると言っても過言じゃないよ!」

と、不知火は誰に向けて言っているのか分からない言葉を吐き、残ったビールを飲み干し、食堂から届いた鶏の唐揚げに端を伸ばした。

 

カロリー?そんなの知ったことではない!

 

とでも言いたげに不知火は酒を飲み食べ物を口にする。お世辞にも身体には優しくない暴飲暴食である。

唐揚げを筆頭に、食堂のおばちゃんが調理して運んでくれた枝豆やらお刺身がみるみるうちに減り、冷蔵庫や戸棚にあった酒もそれに比例して減っていく。

 

まるで数人がかりで飲み食いしているペースを不知火は一人で楽々再現してみせる。そしてほんの少しアルコールが身体を回り、心地よさを覚えてきた頃、高らかに言った。

「ワタシの夜は、これからだー!」

 

界境防衛機関ボーダー所属のエンジニア、不知火花奈の1日はこうして終わりを迎える。

 

 

 

そうして1日が終わる不知火だが、そこに付け加えるならば、

「この前片付けたばっかりなのに、もう散らかしてますね」

定期的に月守が研究室に足を運び、そんなことを言って呆れつつも研究室の片付けをしているのであった。




ここから後書きです。

前話からしばし間が空いて申し訳ありません。
スマートフォンを触るのが朝起きる時と夜に目覚ましをセットする時だけ、みたいな生活がしばらく続いてました。
加えて私の悪友が、
「お前なら絶対面白がって読むから!読んでみ!」
と言ってSAOAGGO全巻を渡してきたのがいけません。超面白かったです。なぜ私は地木隊にガンナーとスナイパーを配置してないのかと後悔するレベルで面白かったです。

今回は不知火さんの1日でした。少し変わった日常回を書きたいなと思い、こんな話になりました。

暴飲暴食をする不知火さんを書いておいて説得力に欠けますが、暴飲暴食は絶対にやめましょう。健康ないし体型に影響が出ます。あと、お酒は20歳になってから、これ絶対です。

次話から本格的にランク戦ラウンド3になると思います。

本作を読んでもらって、本当にありがとうございます。
感想やお気に入り登録や評価を1つもらう度に、頑張ろうって思えます。

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