ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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前書きです。

お待たせしました。


第78話「アマネ・バックドラフト」

ラウンド3の舞台となった工業地区に転送された12名のうち、9名は…、仕掛けた側である柿崎隊以外の3チームのメンバーは、すぐにステージに仕掛けられたものに気が付いた。

 

全員が転送された瞬間に同じ事を思い、そしてそれを代弁する形で、彩笑が仕掛けに耐えかねて、

 

「寒ーい!」

 

と、声を上げた。

 

戦場となったのは、うっすらと積もった雪がパイプやコンテナ、各種設備を覆う、どこか不思議で白く美しいステージと化した工業地区。

 

天候設定『粉雪』。それが柿崎隊が仕掛けた、ささやかにして全チームを困らせる罠だった。

 

*** *** ***

 

試合に出ている者はおろか、観戦している誰もが、柿崎隊がステージギミックを仕掛けてきたことに驚いていた。柿崎隊の強みは、堅実さと安定、そして実質オールラウンダー3人を揃えた万能性である。

そんな彼らがギャンブル要素がある天候設定を仕掛けるなど、誰も予想していなかった。試合前に真香と月守は話していたが、彼らも心の底では、柿崎隊がそんな事をしてくるわけがないと、タカをくくっていた。

 

虚を突かれ、開幕直後には誰もが思考が止まり行動が止まった。

 

ただ1人を除いて。

 

*** *** ***

 

「柿崎さんが…、天候設定を…?」

開幕直後、雪に覆われた工業地区の中で笹森日佐人は周囲を見渡しながら驚きを口にした。笹森が所属する諏訪隊と柿崎隊は幾度となく中位グループで戦ってきたため、相手の出方はよく分かっている。だが今回のこれは今までに無いパターンであり、笹森は大きく戸惑っていた。

 

(一体、どういう…)

柿崎隊の意図を読まずに困惑する笹森に、通信が入った。

『おい日佐人!ザキの狙いが読めなくて困ってんのはわかってるけどよ、まずは合流すんぞ!』

呼びかけてきたのは隊長の諏訪洸太郎だった。

 

「『り、了解です!』」

ひとまず合流という、試合前に出されていた指示を改めて受けた笹森は、視界に出したレーダーに表示された諏訪とメンバーの堤の反応を探そうとした。

 

レーダーに意識を向けた笹森と、戦場全体の把握に努めていたオペレーターの小佐野瑠衣が、()()に気付いたのは同時だった。

 

『ひさと!敵来てる!』

「『分かってます!』」

 

2人がレーダーで気付いたのは、とんでもない速度でまっすぐと笹森に近づき、ベイルアウト禁止である半径60メートルに侵入してきた1つの反応だった。当然ながら、味方ではない。動く速度が尋常ではなく、ガンナーやシューターではなくアタッカーの…、特に、機動力に特化した者の速度だったからだ。

 

2人の声で状況を理解した諏訪が通信に割り込む。

『この速さ…、地木か!?』

「『多分そうです!このまま、交戦します!』」

『おっしゃ!時間稼げよ日佐人!そうしたら俺と堤が援護に回る!』

「『了解です!』」

指示を受けた笹森は実体化させた弧月の柄に手をかけ、鞘から静かに抜いた。

 

依然速度を落とさず接近してくる反応を待ち構えながら、笹森は集中力を高める。

(正直、地木さんは強い。10回戦えば、6回は確実に負ける。でも…、勝とうとしなければ、負けないようにすれば時間は稼げる。そうすれば諏訪さんや堤さんが来て、戦える)

笹森は冷静に相手との実力差を認識し、その上で自分にできる事を選び取り、勝ちに繋がるものを手元に残した。

 

笹森がいるのはプレハブ小屋に取り囲まれたエリアの中にある、ちょっとしたスペースだ。狙撃の射線は通さず、アタッカー同士が切り結ぶには丁度いい広さを持った場所。

ほんの一時の一騎打ちをするためにその場に留まることを選択した笹森に、迷いなく近づいてくるレーダー反応が緊張を与える。

 

(この距離、プレハブ小屋を2つ挟んだ向こう…!)

そうして笹森がレーダーではなく、現実的に相手との間合いを測った瞬間、()()はプレハブ小屋の合間を高速で縫って笹森の前に姿を躍らせた。

現れたのは、小柄に地木隊の黒いジャージタイプの隊服を纏った人影。一瞬、予想通り彩笑だと笹森は思ったが、その人影は黒髪であり、鞘に収めたままの弧月の柄に左手をかけていた。

 

そう。

 

笹森の前に現れたのは、

仕掛けてくると思い描いた地木彩笑ではなく、

敵の虚を突くことを得意とする月守咲耶でもなく、

今日が復帰戦になる天音神音だった。

 

白魚のような指で弧月の柄を握り、

「戦闘開始、です」

開戦を宣言しながら天音は鋭く踏み込み、笹森との間合いを一気に埋めて抜刀して斬りかかった。

 

その動きはしばらく実戦を離れていた者とは思えないほど速く、弧月使いでありながらスピード型のスコーピオン使いに迫るものだった。だがいくら速くとも天音の動き自体は素直だったため対応は容易であり、笹森は防御の構えを取って天音の斬撃を防ぐことを選択した。

 

直線的で、小細工の無い、居合を思わせる抜刀によるシンプルな一撃。

 

しかし構えを取った笹森は、天音が抜刀した弧月の刃が見えた瞬間、背中に激しい悪寒が走った。それは今まで積み重ねてきた訓練と実戦による経験が気付かせた違和感にも似た警戒であり、無意識下で鳴り響いた警鐘は笹森を裏切らなかった。

 

天音の一撃を受けた瞬間、剣と剣がぶつかるけたましい音と共に、弧月どころか腕が吹き飛ぶのでは無いかと錯覚するほどの衝撃が笹森を襲った。

 

「がっ…!?」

あまりに速く重い斬撃に笹森は驚き表情を歪ませたが、

「追撃、いきます、よ?」

天音はいつも通りの無表情で、淡々と次の攻撃へと繋げていった。

 

*** *** ***

 

転送直後、天音は視覚から入ってきた情報を素直に受け入れた。

(白い、雪)

雪が薄っすらと積もっている、そこまで認識したのだが、天音はそれ以上の情報を読み取らなかった。

 

他の誰もが感じた柿崎隊の意外性も、仕掛けられたステージの意図も、何も読み取らなかった。読み取るつもりすらなかった以前に率直なところ、()()()()()()()()のだ。

 

(一番近い、敵…、見つけた)

ステージのことを無視して、天音はレーダーレンジを拡大して一番近くにいる敵を見つけ、それに向けて天音は動き出した。

 

一歩、二歩、三歩。踏み出す度に天音のトリオン体は目に見えて速さを増し、七歩目を数える頃にはトップスピードに乗っていた。薄っすらと積もった雪はスリップの可能性を増大させるが、天音は転ぶ気配など全く感じさせない足運びで工場地帯を駆ける。途中、パイプや工場の設計による段差など走破するのが困難な地形が何度かあったが、天音はそれをフリーランニングを思わせる動きで難なく突破し、速度をほぼ落とさず敵へと接近していった。

 

天音としては、最も速さを落とさず行ける動きを即興で選択しているだけなのだが、その動きには見るものを魅了するような流麗さと、何かを焦がれるような必死さが同居していた。

 

ベイルアウト禁止である60メートルに入り込むと同時に弧月を実体化させ、サブ側にセットした『ハウンド』もいつでも使えるようにした。

(あの、小屋の向こう、に、いる)

敵の位置を明確に掴んだ瞬間、天音の動きは更に一層加速し、迷いなく飛び出して自身の姿を敵に晒した。ほんの少しだけ碧みがかった天音の眼が捉えたのは、弧月を持った濃い緑色の隊服の敵だった。

(ああ、笹森先輩。よかった、月守先輩が、言ってた、先に倒せたら、有利な1人、だ)

敵を認識した天音はそう思って安堵すると同時に、それと相反する感情が心の中で激しく燃え上がった。安堵を大きく上回るその感情は天音の心を一瞬で支配し、天音は臨戦態勢に入った。

 

「戦闘開始、です」

言うと同時に左手で弧月の柄を握り、間合いを一気に詰める。笹森が守りの構えを取ったのは当然目に入っていたが、天音は構わず弧月を振るった。踏み込んだ力を余さず次の動作に連結させて放たれた単発の横薙ぎは笹森に防がれたが、彼の構えが崩れた事を天音は見逃さない。

「追撃、いきます、よ?」

言葉と同時に天音は次の一撃を繰り出す。

 

 

 

振り切った初撃の刃を反転させ軌道を逆再生するような一撃。

笹森、辛うじて弧月で受けて防ぐ。

天音、左半身を脱力しながら引き下げて構え直し、引き終えると同時に押し出して突きに繋ぐ。

が、笹森はそれに反応して弧月で防ぎにかかる。

事を天音は見切り、その突きには威力を乗せることをせず敢えて軽い一撃にして防がせ、更に速度を上げた二連撃の突きを本命として放つ。

三連撃目を捌ききれず、笹森の肩に薄い刀傷が走る。

天音、更なる追撃を試みるも笹森が反撃に転じて弧月を薙いだため諦め、素早く二歩下がる。

連撃から逃れた笹森も二歩下がり態勢の立て直しを図る。

それより天音は早く構え直し、自身の身体で笹森からは死角になっている背後に右手を一瞬回してスタンバイさせていたハウンドを展開して上方に向けて放つ。

笹森、構えを立て直すも天音は息をつかせる隙すら与えず再度踏み込む。

変則下段による左下からの切り上げによる一撃を天音は振り抜き、笹森はそれを身を引いて避ける。

笹森は無事回避するものの、天音は顔の隣に弧月の柄持ってきて再び突きの構えを取り、まっすぐブレのない刺突を放つ。

天音が繰り出した刺突は笹森の目にまっすぐ向けた、距離感を狂わせる正確無比ものだったが、笹森が当たる寸前に顔を逸らして致命傷を避ける。

左目に弧月の切っ先がかすり、笹森は視界の4割を失うも冷静と呼べる最低限の理性を残して大きく飛びのく。

天音、飛びのく笹森を追わず。

 

 

 

笹森、5秒弱の間に曝された天音の苛烈な攻撃から、ようやく逃れる。

 

 

 

「ぶはぁっ!」

一刀一足の間合いから大きく外れたことろで、笹森は今まですることすら出来なかった呼吸を、ようやく行った。荒い呼吸のまま、笹森は天音を睨みつける。左半身をやや前に出した左片手持ちの構えは一切ブレておらず、呼吸も当然のように安定。ほんの少しだけ碧みがかった瞳は無機質で何の感情も映さず、ただ淡々と笹森を捉える。

 

(なんだよ、今の攻撃は…!?動きにキレがあるとか、調子が良いとか、そんな次元じゃない!勝てる気が全く…)

笹森の思考が終わるより早く、天音は態勢をほんの少し沈めた。

踏み込んで仕掛けて来るであろう次の攻撃に笹森はかつてないほど警戒を向けるが、

 

そんな彼の頭上から、天音が攻撃の最中に放ったハウンドが今、降り注いできた。

天音の攻撃の対応で手一杯でハウンドを放ったことに気付かなかった笹森にとっては不意打ちでしか無く、無防備に被弾して態勢を崩し、大きな隙が生まれた。

 

そこへ、

「また、いきます」

天音は容赦なく踏み込み烈火さながらの攻撃を再開させた。

 

*** *** ***

 

バックドラフト現象というものがある。

密閉された空間に放たれた火が空間内の酸素を大きく消費して不完全燃焼となった状態になった時、窓やドアを解放して酸素を大量に供給すると爆発する、そんな現象だ。

 

この現象には当然、密閉された空間や火、酸素という条件が絡むため、主に気にかけるのは火災現場だ。逆に、それ以外の場所や状況では起こるようなことはなく、気にかける必要はほぼない。

 

しかし。

 

大規模侵攻にて戦線から離れ、B級ランク戦ラウンド3夜の部の試合を復帰戦とした天音神音に起こっていたものは、おそらくこの現象が一番近いだろう。

 

無表情で感情表現が希薄ということで誤解されているが、天音の中には喜怒哀楽や闘争心というものが、きちんと備わっている。地木隊入隊までの長いボッチ生活のおかげで表情筋が硬くなっていて上手く動かせない上に、そもそも表現の仕方が今一つ分からないというだけで…。大好きなチームメイトと一緒にいられて喜ぶ心も、居場所を脅かされて怒る心も、大切な人が傷ついて哀しむ心も、拮抗した勝負を楽しむ心も、ちゃんとあるし、人並みかそれ以上の闘争心も、しっかりとある。

 

そんな天音は大規模侵攻の終わりから、B級ランク戦ラウンド2まで治療の為に戦線から離れ、戦い続けるメンバーの事を、ひたすら見て、聞いていた。

 

自身を含む他のメンバーが離脱した中、大規模侵攻を最後まで戦い抜き民間人の救助活動にまで参加した月守の功績を聞いて、誇らしく思えた。

ランク戦ラウンド1で敵のスナイパーの潜伏位置を完全に予測してみせるという真香の活躍を観覧席で観て、素直に凄いと思えた。

ランク戦ラウンド2で新技を見せつけ、現状に満足しないでまだまた上を目指す彩笑を見て、無垢な尊敬を送った。

 

同時に、

 

命の恩人と思える人が独り戦場に残った中、そこに並ばなかった自らの無力さを呪った。

親友が離れ業を有言実行しているのに、ただ観てることしか出来なかった自分を恥じた。

隊長が止まらず成長を続けているのに、戦場にすら立てず足踏みをしている現状にひどい焦りを覚えた。

 

何より、

 

かつてない大規模な戦場に最後まで残っていられなかったことが、悔しかった。

2シーズンぶりのランク戦に乗り遅れたことが、歯痒かった。

隊長が、みんなが苦しい戦いをしているのに…、共にいることが出来なかった自分に、ひどい怒りを覚えた。

 

そして、

 

自分が唯一、熱くなれると思える戦闘が出来ない事に対して…、天音の心はかつてないほど飢え渇き、あらゆる感情が燃え盛った。

 

天音自身、自らの心の状態を全て把握しているわけではなく、燃え盛る感情の何割かは無意識下でのことではあったものの…。そんな状態で天音はおよそ2週間、過ごしていた。

 

戦闘をお預けにされて2週間を過ごした天音にようやく、待ち焦がれていた戦闘が与えられた。

2週間燻っていたものに、格好の燃焼材が放り込まれたならばどうなるか。それこそ、火を見るより明らかである。

 

ラウンド3が開幕した今、天音神音のモチベーションは過去最高なものであり、発揮されるパフォーマンスもそれに比例するであろうことは、想像に難くなかった。

 

*** *** ***

 

ハウンドによって態勢を崩した笹森に、天音は容赦なく攻め立てる。

その斬撃は速く、重く、正確。

一撃一撃が当たれば致命傷になりかねない連続技だが、笹森はそれを紙一重で躱し、防ぎ、いなしていた。

 

今までなら…、大規模侵攻以前の彼ならば、予想にしていなかった事態に焦り、半ば自棄になった特攻を仕掛けていただろう。しかし大規模侵攻にて、笹森日佐人は成長した。

諏訪が敵に捕獲された状況で焦り、満足に連携の練習をしたことのない風間隊の戦闘に参加しようと懇願したものの窘められ、それでも尚食い下がろうとしたところ風間に、

「じゃあ勝手に突っ込んで死ね」

厳しくもそう諭され、戦況を見て身を引くことの重要さを痛いほど学び、変わった。

 

その証拠に、笹森日佐人への評価は大規模侵攻以降、良いものが目立つ。彼と実際に戦った者は、

『試合中に挑発してみたんだよ、あいつを。揺さぶれたんだけどな、前なら確実に』

と、語っている。

 

笹森自身も、自ら変わることが出来たと少なからず実感していて、そしてその変化は成長と呼ぶに相応しいものだった。

 

訓練を積み重ね、経験になる実践を経た者は、確実に成長する。

 

 

 

 

だが、笹森日佐人は知らなかった。

 

負けても安全な場所に戻されるベイルアウト機能によって命の保証がされる中、勝っても負けても命に関わるリスクを背負って戦っていた隊員がいた事を。

攻めてきたアフトクラトルの中でも最高レベルのブラックトリガーの使い手である老練の剣士と一対一で斬り結んだ隊員がいた事を。

入隊して1年しか経っておらず、伸び代がたっぷりとある隊員が、大規模侵攻にて最も過酷で最も苛烈な状況を経て得たものが、どれだけ大きな成長をもたらすのかを、

 

笹森日佐人は知らなかった。

 

 

 

 

笹森の防御は後手に回り、トリオン体には多くの傷が刻まれていく。

長く戦っているような感覚はあるが、残酷なことにそれは錯覚であり、笹森と天音が交戦を始めてからまだ1分も経っていなかった。

(このまま戦ってても、諏訪さんたちは間に合わない…っ!その前にオレが、ベイルアウトさせられる!)

敗北はおろか、逃走すら叶わない事を笹森はとっくに認めており、後はひたすらジリ貧を迎えるだけとなっていた。

 

(せめて何か…、せめて一矢だけでも…!)

 

このまま負けるにしても、後で戦うメンバーが少しでも助かるようなダメージを負わせたい。笹森はその一心で天音の攻撃を凌ぐ。

 

防戦一方を背負い続けた笹森に、唯一の希望が見えた。

「あ」

その1文字が天音の口から溢れたと同時、攻撃が大きく乱れたのだ。

 

瞬間、笹森は理解した。

(そうか、雪で足元が…!)

激しい攻撃を続けた結果、戦場に薄っすらと積もった雪が天音の足を滑らせたのだと。

 

後にも先にも、天音に攻撃を確実に当てられるチャンスはここしかないと笹森は確信しており、天音を倒すつもりで弧月を上段から振り下ろした。

「おおぉぉ!!」

いくら負傷していても、ブレードを生業にさているアタッカーだけあって、笹森の斬撃は天音を正確に捉えていた。

 

当たってもおかしくない、むしろ避ける方が困難なタイミングでの斬撃。

 

だが天音からすれば違った。

彼女には、激しすぎて一生忘れられないであろう、ヴィザとの戦闘が脳裏に明確に残っていた。

この戦闘でもあの洗練された斬撃の残像が、目に焼き付いていた。

あの斬撃を確実に避けるための動きが、身体に染み付いていた。

 

リハビリではモールモッド相手で姿形が違いすぎて発揮されなかったもの。

 

何にも変えがたい経験を、この戦闘で如何なく活かしていた天音からすれば、迫り来るこの笹森の斬撃が、

(遅い…。ヴィザおじいちゃんに、比べたら、全然、怖くない)

そう思えて仕方なかった。

 

笹森渾身の一撃を天音は難なく躱した。

 

そしてその場でほんの少しだけ跳躍し、振り切って地面を切りつけた笹森の弧月の峰を右足で踏みつけた。

 

細身である天音の体重は平均的な15歳女子より僅かに軽く、その重さならば本来、生身より高い身体能力を発揮できるトリオン体ならば難なく持ち上げることができるものだった。

 

しかし笹森には持ち上げることが出来なかった。

斬撃に限らず、バレーのスパイクや野球の投球や打撃にも通ずる1つの法則。大きな力を出すために、直前のモーションで力を抜くということが染み付いていたアタッカーの笹森には、『弧月を振り切った後は次の斬撃のために力を抜く』というクセが染み付いており、振り切った弧月を持ち上げる腕に、咄嗟に力が入らなかった。

 

天音はそうして笹森の動きを封じ、下段からの切り上げを仕掛けた。相手の弧月が踏めるだけ近いのだから当然、天音の斬撃も踏み込み無しで届く距離だ。

 

弧月での防御が出来ない笹森にとって、選択肢は弧月を手放して回避するしかなかった。

でも出来なかった。直前の斬撃で強く柄を握りこんでしまったために…、何より、ここまでの戦闘で重い斬撃を受け続けたために普段より強く握り続けた手が、咄嗟に離れてくれなかった。

 

そして天音の刃が、ようやく笹森を捉えて深々と切り裂いた。

 

一太刀でトリオン供給器官とトリオン伝達脳の2つの弱点を破壊され、笹森のトリオン体にはあっという間にひび割れが広がる。

 

『戦闘体活動限界、ベイルアウト』

 

天音が斬撃を振り切ると同時にその音声が流れ、

 

「…ちくしょう」

 

笹森はその一言と共にトリオン体を爆散させて戦場から退場していった。

 

 

 

 

一連の戦闘を観覧室で観ていた、とあるC級隊員の少女が、思わずと言った様子で呟いた。

「…綺麗」

と。

 

 

 

 

天音神音には『雪月花』という通り名がある。

 

初めは、ただのもじりだった。

『雪』のように白く美しい肌。

『月』の名前が入ったトリガーを扱う。

『花』の響きがある名前である。

 

そんなことから付けられた通り名だったが、彼女が戦い続けていたうちに、次第にもう一つの意味が込められるようになった。

本来のその単語とはニュアンスこそ異なるものの…、流麗な太刀筋やブレない構え、何より華がある戦闘が相まって次第に彼女の通り名には『美しい』という意味が伴った。

 

今の戦闘を観て、正隊員は思い出し、訓練生は認識させられた。

 

この戦闘こそ、天音神音であると。

 

 

 

 

ベイルアウトしていった笹森の光跡を目で追った天音は、ゆっくりと弧月を鞘に収め、部隊の通信回線を開いた。

『…笹森先輩、倒し、ました』

そうしてメンバーに報告を入れた後、誰からの返事を待つことなく、一言追加した。

 

『…私、今日、 絶好調かも、です。誰にも…、負ける気、しません』

 

 

 

 

 

後に、この試合を観ていた者は、こう語る。

「あの日の天音神音は神掛かっていた。あの戦闘以上に綺麗な戦いは、もう一生観ることはない」

と。




ここから後書きです。

本作を読んでいる方の中でも、
『俺は天音ちゃん派だぜ!!』
という方のためのことを思って今回の話を書きました。

というか私が今回の話を書きたかったです。ぶっちゃけ一年半くらい前から。やっと書けた話だったのでこの話を書き上げた瞬間、
「よっしゃあ!」
って思わず叫びました。

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