天音が復帰戦とは思えないほどの動きで笹森を圧倒した、その少し前。彩笑がステージに降る雪の寒さに耐えかねて叫んだのと同じタイミングで、地木隊の二大ブレインである月守と真香は柿崎隊が開戦時に仕掛けた行動によって混乱を招いていた。
まずは、月守。
彼は今回のランク戦にあたって、事前にトリオン体に備えられているレーダーレンジを可能な限り広げた状態で試合に臨んでいた。それこそ、どんなステージであっても、たとえ転送先が隅っこであっても全体を把握できるように。
転送直後、開幕直後にスナイプされる事を防ぐために射線が絶対に通っていないであろう物陰に素早く隠れて身の安全を確保した月守はレーダーで全体を見渡して、気付いた。
(…レーダーの反応が足りな過ぎるな)
そして、真香。
彼女は開戦と同時にオペレーターのパソコンの画面に転送された全体のマップとレーダー情報を受け取り、月守と同じ疑問をもっと早く、それでいて違和感を抱いた程度の月守以上に動揺して、思わず強く頭を掻いた。
「ちょっ、これ…!ああもう!めんどくさいじゃないですか!」
*** *** ***
12人が工業地区に転送されると同時に、武富は状況理解と並行して実況を行なった。
『転送完了!やや狭いマップの工業地区ですが、これは…、雪です!マップ選択権があった柿崎隊は、「粉雪」の天候設定も選択していました!』
モニターに映る白く不思議な様相を呈する工業地区を見て、柿崎隊と同じ中位グループでしのぎを削る那須が驚きの表情を浮かべた。
『これは…、意外ですね。…昼の部で私たちも天候設定を使いはしましたが…。まさかそれを、柿崎隊が使ってくるなんて…』
『普段やらないようなことをぶっつけ本番にやるなんて、堅実が信条な柿崎さんとしてはかなり珍しいですよ』
那須に続き、烏丸も意見を口にした。
これは何かある、柿崎隊は何かを仕掛けてくる。観覧室にいる全ての人間は思った。しかしそれはほんの少しだけ間違っていた。開戦と同時に、柿崎隊は既に仕込みを終えていたのだ。
そしてその仕込みに一番早く気付いたのは、天候設定以外に意識を割いた武富だった。
『おおっと!?開戦と同時に…、荒船隊のみならず柿崎隊の照屋隊員と巴隊員がバッグワームを起動しています!』
天候設定「粉雪」と、開戦同時のバッグワーム。
この2つが、柿崎隊の仕掛けだった。
*** *** ***
試合開始後、マップ選択権を持っていたためいち早く合流ポイントを定めることができた柿崎隊は、速やかに合流に移っていた。
普段よりわずかに走る速度を落とし、雪に足を滑らせないようにしながら巴虎太郎は通信回線を開いた。
『確認取れました!西の反応は諏訪さんです。中央にある反応に向かって走ってるので、多分それが堤さんか笹森先輩です』
「『その反応は笹森だな。さっきチラッと見えたが、北東の反応は堤さんだった』」
工業地区の中央より東にいた柿崎は虎太郎からの報告を受けとり、続けて、南に転送された照屋に問いかけた。
「『文香、そっちはどうだ?』」
『南東の反応は彩ちゃんです。えっと、すごく寒そうにしてます』
「『それは…、かわいそうなことをしたな』」
『試合後にあったかいココアを届けてあげましょう』
柿崎の下に移動しながら敵の位置を報告してくれた2人の報告を受けて、オペレーターの宇井が情報をまとめた。
『そうなると、南西の反応が月守くんですね』
「『だな。中央にある2つの反応は、同じチームの初期位置にしては近すぎる』」
『ですよね〜。あ、その2つの反応の片方、動き出しました!すごい速いです!』
「『だったらそっちが天音だな。何気にあの子は機動力の評価が高い』」
開始1分も経たない内に、柿崎隊は荒船隊を除く全チームの転送位置の特定を済ませた。
『さて…、どう行きますか、隊長』
情報が出揃ったところで、照屋が柿崎に指示を仰いだ。
「『よし。まずは室内戦で諏訪隊を叩く。俺が囮になる形で建物に入る。文香と虎太郎は打ち合わせ通り行動してくれ。真登華、サポート頼むぞ』」
『『『了解』』』
意思疎通を済ませた柿崎隊は、素早く動く。普段とは大きく異なる作戦を取っているにもかかわらず、彼らの足取りには迷いも淀みも、まるで無かった。
しかし、そうして合流する柿崎隊を捕捉する者たちがいた。
『捉えたぞ、巴を』
『こっちもっす。照屋さん見つけました』
穂刈篤と半崎義人がそれぞれ、構えたイーグレットのスコープに虎太郎と照屋を収めていた。
報告を受けて、隊長の荒船が応答する。
「『わかった。俺もザキさんを撃てる位置にはいるが…。マップを選んだ側だけあって、射線が通るところをよく調べてあるな。射程に収めるだけで、中々当てられそうな機会は無い』
『そっちもか、やっぱり。射線を切る場所を優先して通ってる、巴も』
『同じくっす。当てられないってことはないっすけど…、後のこと考えると、ダルいっすね』
全員が狙撃手の荒船隊は開戦と同時にバッグワームを展開して速やかに狙撃ポジションを確保し、敵を…、特に同じくバッグワームを展開した柿崎隊を優先して探した。
半崎は指示さえあればいつでも撃てるように構えつつ、口を開く。
『これ多分おれたち、前回と同じこと狙われてますよね?』
『そうだろうな、おそらく』
「『おそらくというか、確定だろ。この天候はどうやら俺たちに向けたものだろうが…』」
言いながら荒船はスコープから目を離し、
「…ちっ。このステージ設定、本当にザキさんが考えたのか?いやらし過ぎるぜ…」
ステージに点々と付く足跡を見て恨めしそうにそう言った。
*** *** ***
ランク戦をリアルタイムで観ることが出来るのは、何も観覧室だけではない。実況解説を聞けないということに目を瞑れば、各支部、各隊の作戦室に備わっているモニターで観ることも可能である。
そしてもう1箇所。
観覧室の後方上部に備わっている部屋…、もっぱら、VIPルームとあだ名されている部屋で観ることもできる。
そしてそのVIPルームにて、黒のスーツに白衣という普段の独特の装い…、ではなく、いつもの白衣に成り代わり薄手のトレンチコートを羽織った女性エンジニアが、ひどく楽しそうな表情でガラス越しのモニターを観ていた。
1人しかいなかったVIPルームに、もう1人観客が訪れた。
ガチャリ、と、開いた扉にエンジニアが目を向けると、そこには一級品の戦力を備えた本部長の姿があった。
「おやおや?忍田先輩じゃないか」
「不知火か…、珍しいな」
「ふふ。その珍しいは、ワタシがこんなところでランク戦を観てることに対してかな?それとも服装?」
「どちらもだが…、強いて言うならば服装だ」
互いに挨拶を交わしながら、忍田は空いている席に腰かけた。
「ほほう?女性の服装に目を向けるとは、忍田先輩も気がきくようになってきたね。でも残念ながら大した理由はない。今日はこれを観終えたら帰るつもりなんだけど、たまたま手持ちの白衣を全部ダメにしてしまってね。代わりにコートを着ているだけさ」
「ダメにした、か…。一体何があった?」
「うっかりお酒をこぼしてしまって汚れとアルコールの匂いを染み込ませてしまったり、鉄の匂いがする赤い塗料をぶちまけたりしてしまったりだね」
「なるほど。それなら白衣を着て帰るのはやめた方が良いな」
「うむ。わ…、お巡りさんのお世話になってしまうからね」
喉を鳴らして笑った不知火は、1つ答えた代わりにと言わんばかりに質問した。
「そういう忍田先輩こそ、何故ここに?いつもなら本部長室とかでタイガー腕組みしながら観てるんじゃないの?」
「私だってたまには…、待て、タイガー腕組みとはなんだ?」
「うん?いやなに、忍田先輩は虎って異名があるだろう?主に林藤さんとワタシしか呼ばないけど。んで、そんな忍田先輩が腕組みしてるのを見て地木ちゃんが言い出したやつ」
「む、そうか…」
真相を聞いた忍田は気難しい表情になった。言い出したのが不知火ならまだしも、まだ子供と言ってもいい者が言い出したことに目くじらを立てるのも大人気ないと思い、『タイガー腕組み』という言葉を甘んじて受け入れた。
「まあ、ここは1つ譲って聞き入れておきなさいな。子供の…、青春真っ盛りのJKのちょっとしたお茶目さ」
「そうしておこう」
「そうしておきなさい」
脇道に逸れた話題がひと段落したところで忍田は咳払いを挟んでから、脱線した話を元に戻した。
「話は戻すが…、私だってたまには、こうして会場に足を運んで試合を観ることもある」
「ふむ、指揮官として殊勝な心がけだね。じゃあ、今回はその『たまには』に当たるわけだけど、何か目的でもあったのかな?特別観たいチームでもいた?」
「ああ。少し確認したいことがあったが…。今は、この試合そのものが少し気になっている。あの柿崎が、天候設定を仕掛けているのは驚いた」
例に漏れず普段とは違う柿崎隊に忍田も驚いており、その視線は完全にガラス越しのモニターへと向いていた。ガラスの前に設けられたテーブルに肘をつき、手の上に顔を乗せて忍田を見ながら不知火は会話を続けた。
「ほーう。柿崎くんが天候設定を仕掛けるのは、忍田先輩から見ても意外だと?」
「そうだな。…ボーダーが今の形になって隊員を募集した時…、言うなれば第1期で入隊してきたから柿崎のことはよく知ってる。個人でもチームでも安定した能力と戦果を上げ続け、人柄も申し分ないが…、反面、少し遠慮しがちなところがあった」
「言わんとすることは分かるよ。こう…、マップは選べても、天候まで決めるのは有利すぎるというか不公平さを覚えてしまうような子だものね」
「そうだな。以前話してた時、そんな事を言っていたよ。ランク戦において一番順位が低いチームに与えられる権利でマップを選ぶことはできても、天候まで設定するのは気が引けるとな」
正隊員の中には柿崎のみならず、天候設定にある種の忌避感を持つものは一定数存在している。実力による勝利じゃない、本番なら防衛箇所は選べても天候までは選べない、など、実戦に即した考えを持つ隊員は特に、その傾向が強かった。
その事を知っている忍田からすれば柿崎が天候設定を仕掛けてきたのは、ちょっとした衝撃ですらあった。
柿崎の考えを知った不知火は頭の後ろで両手を組ませながら、妖しい笑みを作った。
「…何を良しとするか否かは、その人の価値観やら思想によるけど…。ワタシからすれば、勝つために手段を尽くさない方がどうかと思うけどね」
「ふ…、君らしいな」
「まあね。ブレードでは忍田先輩に敵わず、射撃では林藤さんに敵わない日々を過ごしたから、ワタシはちょっと捻くれて勝ちに貪欲だよ」
得意げに不知火がそう言ったところで、試合が少しだけ動いた。
柿崎隊の合流が完了したのだ。ただしそれは、普段取るような密集したものではなく、互いを目視出来て弾丸系トリガーで援護できる距離を保った合流だった。
「柿崎隊が合流したが…。妙だな」
合流した柿崎隊に忍田は違和感を示した。
「妙とは?」
不知火が問いかけると、忍田はその違和感を言葉にして説明し始めた。
「合流の形もだが…、何故柿崎だけバッグワームを着てないのか…。いや、それ以前に柿崎隊は荒船隊に見つかってる筈だろう?何せ、いくらバッグワームでレーダーの反応を消しても、薄く積った雪に足跡が残っているのだから、荒船隊がそれを辿れば捕捉は容易だ。しかし、荒船隊は攻撃に出ていない。何故だ?」
忍田の発言を聞き、不知火はあらかじめそんな疑問が出るのを知っていたかのように、素早く会話を繋いだ。
「忍田先輩が言うように、荒船隊は十中八九柿崎隊を見つけてるだろう。足跡残るし、柿崎くんの反応は映ってるし…、加えてバッグワームでトリガー片一方埋まってるから防御を万全に取れない状態だから、撃てば確実に仕留められるだろう」
「そうだろう。むしろ今の柿崎隊は、荒船隊からすれば格好の的であるはずなんだが…」
忍田の疑問に、不知火はイタズラっぽく微笑み、
「だって罠だもの。つい撃ちたくなっちゃうような格好の的…、最近、似たようなものを見たんじゃないのかい?」
諭すように、そう言った。
忍田真史のメイントリガーは弧月であり、ポジションは言うまでもなく攻撃手である。射撃が絡むポジションは専門外ではあるが、大規模侵攻のように複数の部隊が同時に動く時には全体の指揮を取るため、銃手・射手・狙撃手…、あらゆるポジションの特性は一通り学び、頭に入っている。
そうして忍田は不知火の言葉を受けて、荒船隊が柿崎隊を撃てない、いや、撃たない理由に気付いた。
「…なるほど。前回の玉狛第二が取った作戦と同じか…!」
「正解」
柿崎隊が荒船隊に対して狙っている事を見抜いた忍田は、そこから連鎖的に考察がまとまっていった。
「荒船隊からすればこのステージは、相手が屋内に逃げ込まない限りは捕捉することが容易な、絶好の条件だ。もちろん他の隊も足跡を辿れば敵を見つけやすいが、狙撃のために高さや広い視界を確保する荒船隊が一番その恩恵を受けることができる」
「その通り。有利が故に撃ちたくなってしまうが…」
「そこで撃っては、荒船隊は前回の二の舞を踏むことになる。全チームに『ここは荒船隊の狙撃に有利なステージだ。先に荒船隊をどうにかしなければ』と、共通意識を持たせることになる」
「そうだね。そして当然荒船隊もそのことに気付いて、撃つべきかどうか迷う…。ほら実際、荒船隊のメンバーはしきりに口を動かしてる。きっと撃つべきかどうか、意見を交わしてるんだろうね」
モニターではそれぞれが建物の影や死角に身を潜めつつ、通信回線で話し合う荒船隊の姿が映し出されていた。それを見て、忍田は苦々しい表情を見せた。
「…意見は割れるだろうな。もしこれが前回と同じ市街地Cなら、荒船隊の選択は『待つ』の一択だろう。身を潜めて敵が数点取って人が少なくなってから動く…、その選択を全員がしただろう。しかし…」
「そう。今回はその選択を取るべきか迷う。なぜなら、時間が経って人が移動するたびに足跡は増え、いつのものかわからなくなり、捕捉しやすいという優位が消えてしまうからだ」
ステージに足跡が残るのはあらかじめ積もった雪を踏みつけるからだが、マップに設定された雪は降ってるのが気にならない程度の、少量の粉雪である。刻まれた足跡を消して再び足跡を刻めるようになるまで、試合中に1回あるかないかのペースである。
故に、荒船隊の意見は割れる。
優位がある今のうちに仕掛けて全チームを敵に回すか、前回の反省を活かして優位を捨てるか。
狙撃が専門ではない忍田も不知火も、荒船隊がどの速さで結論に辿り着くかは分からない。しかし荒船隊が迷い攻撃の手が止まったことと、その間に柿崎隊があっさりと合流できたことは、紛れも無い事実である。
荒船隊が撃たない理由が解決したが、忍田の中にはまだ疑問が残る…、というより、新たな疑問が出てきた。
「…しかし、だとしたらなぜ柿崎隊は2名だけバッグワームを起動した?捕捉されやすいこのステージで、バッグワームを使う意味は薄いだろうに…」
新たな忍田の疑問に、不知火はノータイムで答える。
「バッグワームは地木隊対策さ。開幕と同時にバッグワームを使うことで、オペレーターの和水ちゃんの負担を増やして、月守に頭を使わせて足を止めるための策だよ」
不知火の解答を聞き、モニターに向いていた忍田の目線は無意識に動き、月守を中心に捉えているものへと標準を合わせた。
「確かに、月守は悩んでいるというか、何かを考えているように見えるが…」
「いや、アレは実際に色々考えてる顔だよ。我々のような観覧室から見ている側からすれば誰がバッグワームを使っているかは一目瞭然だけど、ランク戦をしている側からすればそうじゃない。月守にしてみれば…、
『消えた5つの反応のうち、3つは荒船隊だとしても…、他の内訳はどうなってる?柿崎隊で2人?諏訪隊で2人?どっちの隊からも1人ずつ?片方の隊で2人だとしたら、仕掛けた側の柿崎隊だろうけど、その意図は?ステルス?いや、足跡を辿ればすぐ見つけられるからバッグワームを使う意味は無い。ならばなぜ?』
って感じで、とても悩ましい状態だろうね」
適当に言った不知火だが、実際月守は頭の中で一言一句違わない言葉選びで思考をしており、非常に頭を悩ませていた。
そんなことはつゆ知らず、不知火の説明は続く。
「和水ちゃんの負担を増やすってのも似たようなものかな。和水ちゃんがここ2試合でやってるスナイパーの位置予測は、戦況に地形条件、それぞれのスナイパーが得意な距離や角度やシチュエーションやら何やらを、和水ちゃん自身のスナイパーとしての経験に当てはめてシミュレーション思考することで行ってるものらしくてね。精度は他のオペレーターより高いけど…、言い換えれば他のオペレーターよりも精度を上げるために多くの情報を必要にして、それらを吟味してるんだ。それを妨害するには意味の無い情報を…、ダミー情報を流し込めばいい。特に今回の場合、荒船隊の反応がレーダーに映るのなんて開幕直後でバッグワームの展開が完了しきるまでの、本当の一瞬だ。和水ちゃんからも、開幕と同時に消えた5つの反応はどれが誰か分からないから、その分シミュレーションしなきゃいけないものが増える。消えた反応が3つなら可能性は6通りで済むけど…。和水ちゃんが5つの反応の内3つを荒船隊のものだと割り切った上に、スナイパーだけに絞って初期位置をシミュレーションしたとしても、…60通りかな。数字の上だけなら10倍だよ」
「…それは……」
忍田は真香の行うシミュレーションがどのようなものか分からないが、10倍のしんどさは辛うじて想像できた。言葉には出さないものの、この作戦に仕込まれたえげつなさを感じ取っていた。
真香の事を気の毒に思うことが顔に出ていた忍田に、不知火はサラリと説明を追加する。
「ああ、ちなみに柿崎くんだけがバッグワームを起動してないのは、チームを特定されるのを防ぐためだよ。流石に開幕と同時にチーム全員がステルスしてきたら、それはマップを選んだチームを強く疑わざるを得ない。だけど、敢えて1人だけ姿を晒す、なんて意味の無い事をするだけで地木隊と諏訪隊は誰がステルスしてるのか頭を悩ませることになるのさ」
「……なるほど…。というか不知火、まさか…」
ここまで説明を受けた忍田はある1つの仮説が頭に浮かんだが、不知火はそれを聞かずに最後の説明を始めた。
「あとね、人の位置を捕捉させやすくするこの雪だけど、利点はあと3つある。1つは、地木ちゃんと笹森くんのカメレオン対策。姿消えてても足跡が出るんじゃ隠れてる意味がない。2つ目は、ささやかながら敵の誘導だね。荒船隊からすれば攻めるべきか悩ましい雪だけど、他のチームからすれば常に荒船隊に見つかってる事を考慮しなきゃならない。いつ狙撃される恐怖に神経を疲れさせるくらいなら、屋内戦を選ぶ。んで、3つ目は足場。忍田先輩、アタッカーとしてこの足場で戦いたい?」
「…できれば避けたいな。踏み込んだ時に雪で滑るリスクがある」
「でしょう?特に地木ちゃんみたいなスピード型は確かな足場が欲しいだろうから、このステージは嫌だろうねぇ…」
肩を揺らしながら、心底楽しそうに笑う不知火を見て、忍田は先ほど立てた仮説が、ほぼ正しいだろうと確信した。
深く、深いため息をついてから忍田は不知火に言葉を投げかける。
「…随分と、性格の悪い仕掛けを施したものだな」
「本当だねえ。柿崎くんがこんな手を使うなんて、ワタシには想像できなかったよ」
「よく言うな…。不知火…、柿崎にこの作戦を授けたのは、お前だな?」
確信を持って忍田が声に凄みを持たせて問い詰めると、
「あっはっは、流石にバレたか」
不知火はテヘペロをしながらあっさりと認めた。
忍田は『歳を考えろ』と突っ込みたい気持ちを抑えながら、額に手を当て、呆れた様子で口を開いた。
「バレるも何も、柿崎隊の狙いについて饒舌すぎる。どれもこれも、あらかじめ出てくるであろう疑問とその答えを想定していたのが見え見えだったぞ」
「見え見えというか、隠すつもりすらなかったからねえ」
「まったく…。一体、いつ授けた?」
「2日前の朝さ。明け方の任務開けの柿崎くんと食堂で朝食が一緒になってね。その時、この試合にどう臨むか思い悩んでいたようだから…、頭の体操がてら、この作戦を提案したよ」
「頭の体操がてら…。片手間でよく、この作戦を思いついたものだな」
「おお?もしかして褒めてるのかな?」
「そう受け取ってもらって構わない」
「あはは、ありがとう」
遠回しに忍田は不知火を褒め、褒められた不知火はやんわりとした笑みを浮かべて忍田に感謝の言葉を伝えた。
出会った時から変わらない不知火の笑顔を一瞥して、忍田は再びモニターに視線を戻した。
「君が考えた作戦なのは分かったが…。柿崎はよく、この作戦を受け入れたな。あいつの性格からすれば、この手の作戦は好まないだろうに…」
「よく分かってるじゃないか。実際に提案した時、柿崎くんはなんとも言い難い表情だったよ。受け入れたくは無いけど、作戦の有用性は分かってたみたいだし…。葛藤したんだろうねぇ…」
「…どうせ君のことだ。柿崎が思い悩むのを分かって、その作戦を伝えたんだろう?」
「もっちろん。いやぁ、ワタシも入隊の時から彼を見ているけど、あれほど悩んだ様は久々に見たよ」
柿崎が悩んでいた時の様子を、不知火は楽しそうに語った。
その表情はどうしようもなく面白くて仕方ないと言いたげなものであり…、それを見た忍田は、もしも人を陥れ誑かす悪魔がいるとしたら、こんな表情なのだろうなと思った。
「隊員を弄び、揺るがせる…。褒められた性格ではないな」
「性格の悪さは自覚してるけど…。ちょっとだけ反論しようかな」
両手を顔の前で組み、瞳に敵意を覗かせて不知火は自らの意見を忍田にぶつける。
「柿崎くんは真面目だ。そのことは君もワタシも…、多分きっと、正隊員の誰もが知ってるだろう。だからこそ、この試合で柿崎くんがこんな作戦を取ってることにみんな驚いているわけだが…」
一拍、間を空けてから不知火は問い詰めるように言葉を発した。
「じゃあ何故、柿崎くんはこの作戦を選んだ?自身の理念に反するような作戦を選ぶだけの、何かがあったんじゃないのかい?」
決定的な確信があるかのような不知火の言葉に、忍田は思わずたじろいだ。その言葉はまるで、自分にも原因の一端があるんだと思わせてしまうものがあり、忍田の心は揺らいだ。
が、しかし。その揺れが大きくなる前に、モニターの方から大きな爆発音が鳴り響き、2人の意識はそれに大きく引っぱられた。
「ベイルアウト…!?」
「みたいだね。随分速いが一体…」
言いながら不知火は状況を理解し、思わずといった様子で破顔した。
「あっは!なるほど天音ちゃんか…。ふふふ、いいねいいね。ワタシが仕掛けた策なんて、2週間も戦闘をお預けされた君には、関係ないみたいだね…!」
モニターには笹森を撃破し、無駄のない所作で弧月を収める天音が映っており、不知火と忍田を含む全ての観客はその姿に目を奪われていた。
ここから後書きです。
今回はランク戦にどんな仕掛けをしようかなと頭を悩ませました。しかし実際にこのようなランク戦に放り込まれた時、不知火さんが解説してくれたような言動になるのかは不明です。書いてるたびにそれが不安になり、これが妄想による物語なんだと強く意識させられました。尚1番頭を使ったのは不知火さんがしれっと言った60通りのところですね。間違ってたらどうしよ…。数学得意な人とか、「あれ、丁度今ここ勉強してますよ!」みたいな子から「ちょっちょっちょーい、うたた寝犬よぉ…、計算ミスってるぜえ?」なんて指摘が来ませんように…(ガクガクブルブル)。