ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第88話「彼女は今でも正解を探している」

(…もうちょっと優しくマットに戻してもらう仕様に変えてほしいな…)

月守はベイルアウトする度にそう思っているが、いつまで経っても実行に移せないでいた。

 

「月守先輩、お疲れ様です」

さて身体を起こそうか、と思っていたところでオペレーターの真香がゆったりとした足取りで近寄り、労いの言葉をかけた。

「ココア飲みます?」

ひんやりと冷えたココアの缶を差し出され、月守はそれを受け取る。

「飲むけど…、そろそろ彩笑がココア無くなりそうとか言い出しそうだね」

「あ、それなら大丈夫です。今朝冷蔵庫見たら、減った分がしっかりと補充されてました。多分、誰も見てない時に補充してるのかと…」

「新手の妖怪かな」

 

彩笑のことを妖怪呼ばわりする月守に真香は微苦笑を見せた後、何かを思い出したような表情で月守に問いかけた。

「ところで月守先輩、試合終了間際にしーちゃんとの反応がマップ上でほぼほぼ重なってましたけどあれって一体何が…」

しかし真香が言い切る前に、隣接しているベイルアウト用マットに彩笑と天音が帰還してきて、

「大っ!勝ー利っ!」

心底嬉しそうに彩笑がチームの勝利を祝った。

 

子供のようにはしゃぐ彩笑に倣って月守は自然に笑いながら言葉を投げかけた。

「テンション高いね」

「嬉しいもん!…あっ!?っていうか咲耶勝手にボクのココア飲んでるし!」

「たくさんあったから」

「うー…、せめて一言くらい断ってよー。せっかくさー、ボクが夜に『明日冷えてるといいなー』って思いながら冷蔵庫に補充してるのに…」

若干拗ねながら話す彩笑を見た月守は、

(いつかこいつのこと『妖怪ココア冷やし』って呼ぼう)

と、意味もなく心に決めた。

 

地木隊のベイルアウトマットは出入り口に近い順番に彩笑、月守、天音となっており、月守は拗ねる彩笑から視線を外して逆側にいる天音の方を見た。

「神音も、お疲れ様」

やんわりとした笑みで月守が言うと、

「…お疲れさま、でした…」

天音はか細い声で答えた。月守とは対照的に天音はやや伏し目がちながらもいつも通りの無表情だが、どことなく落ち着かない様子だった。

 

(試合であれだけ凄かったのに、終わってすぐにこの落差…)

戦闘時の天音と今の天音との落差に月守は興味を持ちつつもそれには触れずに、月守は再び彩笑の方を見た。拗ね続ける彩笑に向けて、月守は提案する。

「とりあえず、試合の解説聞く?多分今頃、京介と那須先輩がもう試合の解説始めてると思うけど…」

「あっ!それもそうだね!んじゃ、みんな大部屋に移動して解説聞きに行くよ!」

提案を受けた彩笑は素早くマットから降りて移動していき、月守と天音、そして真香の3人は少し遅れてその後に続いた。

 

月守の言った通り、彩笑が観覧席との音声を繋いだ時には烏丸と那須そして武富による解説はすでに始まっていて、4人は中途半端なところから解説を聞くことになった。

 

*** *** ***

 

『試合終了!最終スコアは7対3対1対1…、です!』

試合のスコアを読み上げた武富が一瞬だけ違和感を覚えたが、すぐに払拭して、そのまま得点の内訳を説明し始めた。

『地木隊が生存点込みの7点、荒船隊が3点、諏訪隊と柿崎隊がそれぞれ1点となっていますね。どうやら最後の月守隊員のベイルアウトは、トリオン漏出によるものであり、最も多くのダメージを与えた柿崎隊長の得点のようです!』

得点について、烏丸が補足する形で意見を口にした。

『タイミングが僅かにズレていたら穂刈先輩の得点になっていた可能性もありましたが…、序盤の乱戦から最後まで月守と対峙し続けていた柿崎隊長に軍配が上がりましたね』

『紙一重でしたね』

 

得点の整理が終わったところで、解説は試合終盤の戦闘へと移った。

『月守隊員のベイルアウトで幕を閉じた試合でしたが、終盤はなんだかあっという間にベイルアウトが続きましたね。あれは…、工場の中に潜んでいた穂刈先輩が地木隊長に見つかるもベイルアウト覚悟でそのまま攻撃を敢行、そしてその攻撃が別のビルで戦っていた月守先輩と柿崎隊長の2人を射抜く狙撃。それと並行して天音隊員がレッドバレッドで動きが鈍った荒船隊長を撃破したという形だと思いますが、那須隊長から見てどんな風に思いましたか?』

確認する形で話す武富の言葉を聞き、那須は頷いて肯定を示した。

『流れとしては、武富さんの言う通りだと思います。私としては…、月守隊員がレッドバレッドを、荒船隊がアイビスといった隠し球をしっかりと決めてきたところが印象的でした』

『それは確かにそうですね。月守隊員はレッドバレッドがあったからこそ荒船隊長の動きを止めることに、穂刈先輩はアイビスがあったからこそ2人抜きが成功したわけですし…』

『それぞれ上手く決まっていましたので、今後は正式にトリガー構成の中に組み込むかもしれませんね』

烏丸は発言しながら小さな疑問を感じ、その疑問について思考を始めた。

(…月守のやつ、トリガー構成が攻撃にかなり特化したな。戦闘で使ったトリガーを見る限り、8種類のトリガーを使ってる。フルガードもできないし、最大火力だろうギムレットも捨てて、幅広い攻撃ができる構成を組み上げたってところか)

後で月守にどんな意図があってのトリガー構成なのか確認しようと思った烏丸はそこで考察を切り上げた。

 

武富は話題を試合終盤のものから、全体を通してのものへと変えた。

『雪が降り積もる今回の試合、振り返ってみていかがだったでしょうか?』

質問に対して、普段から同じ条件で試合を重ねている那須が素直に思った事を答えた。

『主導権を奪い合う試合、だったかなと思います。序盤は天候設定で柿崎隊が他チームより優位に立って試合を進めていましたけど、乱戦になってからは地木隊が主導権を握りかけて…、でも完全に握る前に、荒船隊が狙撃でそこを崩した…。主導権をいかにして握るのか、というのがこの試合のポイントだったかなと…』

『目まぐるしく動いていた試合、ということですね』

『あ、はい。…勝った地木隊は当然として、柿崎隊は連携、荒船隊も狙撃で、自分たちの持ち味は十分に出せていた試合だったと思います』

 

2人の解説に、烏丸が再度補足する形で意見を挟む。

『主導権争いに上手く割り込まなかった諏訪隊は、開始早々に天音隊員に笹森を倒されたのが痛かったですね。諏訪隊長と堤さんの2人の連携は練度が高かったですが…、笹森がいるかいないかで諏訪隊の動きは大きく変わるので、諏訪隊は今回思うように動けなかったようですね』

 

烏丸の意見に天音の名前が出たのを受け、武富は話題を天音のものへと移した。

 

『今回の試合は序盤から、天音隊員が躍動していた印象がありましたね』

『復帰第1戦目ということもあったので、張り切っていたんだと思います。それに触発されたのか、地木と月守の動きも前の試合とはだいぶ違いましたね』

『あー、それは見ていてそう思いましたね。なんというか、生き生きしてる感じがありました!』

烏丸と武富が言う「地木隊の動き」に関しては那須も思うところがあり、言葉には出さないものの、

(…もしも咲耶が前の試合で今回みたいに動いてたら、もっと危なかったかも…。この先当たることがあったら、気をつけなくちゃ…)

前回の試合と比較して、そう考えていた。

 

話しながら武富はチラッと時計を見て時間を確認し、解説を纏めるべく総括へと話の舵を切った。

『試合の主導権を取り合うという同じ条件で、結果は地木隊が7点の大量得点で勝利というものでした。勝因はどんなところにあったと思いますか?』

 

地木隊の勝因は何か、という問いかけに烏丸が迷わずに答えを告げる。

『戦場に3人が揃っていたこと、ですね。圧倒的な速さの地木、スタミナと攻撃のバラエティに富んだ月守、近中距離の間合いでオールマイティに活躍できる天音隊員。十分に動ける3人が状況に応じて柔軟に、それでいて素早く布陣を組み替えて戦う…、常に有利というか不利な対面を作らずに戦えるという地木隊の強みを終始発揮していたのが、勝ちに繋がった要因です』

烏丸が語る地木隊の勝因に思うところがあった那須は、少し間を開けてから自身の考えを口にした。

『試合を見ていてもメンバーの誰か1人を切り離して戦う場面が多々ありましたけど、どの組み合わせになっても連携は滞りありませんでしたし…、何より、組むペアによって戦法がガラリと変わるのは、相手からすればかなり厄介だと思います』

『あの3人が自由に動き回る地木隊を相手にするのはA級部隊であっても一筋縄ではいきませんからね。しかしその分、1人離脱した時は一気に痛手になります。戦力ダウンというより選択肢の幅が大きく狭まるので、それだけで相手はかなり戦いやすくなるはずです』

『そういう意味では、途中の柿崎隊はすごくチャンスでしたね。3対1になった局面で月守隊員をベイルアウトに持っていけたら、試合をかなり優位に進めていけたと思いますが…、あと一歩踏み込めなかった感じがありました』

『ですね。恐らくあの戦闘が、今回の試合に最も大きな影響を与えた場面だったと言えます』

 

烏丸が発言を終えると、会場のモニターに映っていた画面が現在の暫定順位を反映したものへと切り替わった。

『おおっと!ここで暫定順位が更新されました!7得点の地木隊の得点が玉狛第二を1点差で上回っての6位で上位入り!ここまで上位だった東隊と香取隊が中位に下がり、荒船隊、諏訪隊は中位にとどまりましたが、柿崎隊は再度下位に後退するという結果になりました』

同時に次戦の対戦カードも発表され、それを見た烏丸が興味深そうな表情を見せながら小さな声で「面白い組み合わせだな」と呟き、組み合わせを読み上げていった。

『四つ巴の上位の対戦カードが、二宮隊、生駒隊、弓場隊、王子隊。三つ巴の方が影浦隊、地木隊、玉狛第二ですね。…私見ですが、三つ巴の試合が面白味があるかな、と…』

烏丸の言わんとする事を理解した那須が「そうですね」と同意した後に、

『上位に入り込んだ2チームがいるだけでなく、どのチームにも凄腕のスコーピオン使いがいますね』

『ええ。しかし、一口にスコーピオン使いと言っても3人の戦闘スタイルはバラバラなので、それがどうぶつかるのが楽しみです』

 

次戦の見どころを烏丸か説明したところで武富が、

『そんな次戦のランク戦は1週間のお休みを挟んだ2月15日になります!烏丸先輩、那須隊長、解説ありがとうございました!』

『『ありがとうございました』』

『はい!では以上をもって、B級ランク戦ラウンド3夜の部を終了いたします!』

そう言って全てを締めくくった。

 

*** *** ***

 

試合が終わってから、わずか30分後。

「あ!柿崎さんお疲れさまです!」

「地木か。お疲れさん」

彩笑と柿崎は通路でバッタリと出くわした。

 

柿崎は試合の結果を引きずったそぶりを見せず、普段と変わらぬ態度で彩笑に話しかける。

「こんなところをウロウロしてどうしたんだ?」

「えーと…、ちょっと時間があったのでソロランク戦やろうかなー…って思いまして…」

「…こことランク戦のブースは真逆なんだが…、もしかして迷ったか?」

「もしかしなくても迷ってます…」

 

気まずそうに笑う彩笑につられて柿崎は苦笑して、大雑把な方向を指差しながらブースへの行き方を説明した。

「ありがとうございます!」

行き方を教わった彩笑は笑顔でお礼を言った。

「わざわざお礼を言われるほどのことでもないさ。…それにしても、本部で迷う地木が、どうして戦闘中は迷わないんだ?」

「そう言われてみれば…?なんでかな…?」

指摘されるまで彩笑自身も疑問に思っていなかったため首を傾げたが、少し考えるそぶりを見せてから、

「んー…、きっと、どのフィールドでも『痛い目』をみてるから、それで覚えてるのかなー…、って思います!」

と、自ら結論付けた。それを聞いた柿崎は、地木らしい理由だなと納得してから、どこかからかうように、

「まあ、本部で迷うってのも少し困る程度のことだし、別にいいんだが…。もしネイバーが本部に侵入してきたら地木は苦労しそうだな」

「うへぇ…、それは困りますね…。そんな事が起こらないよう祈ります…」

言いながら彩笑はその小さな両手を合わせて本当に祈っていた。

 

祈り終えた彩笑は、周りをきょろきょろと見回してから、柿崎に尋ねた。

「というか、そういう柿崎さんはなんでここにいたんですか?」

「俺か?俺は…、ちょっと歩いて時間を潰してたんだ。この後、防衛任務だからな」

「ああ〜、ランク戦と防衛任務が連チャンする辛いやつですね」

「辛いやつだな。けど、どこの隊でもそういう時はあるからな」

 

話しながら柿崎の脳裏には先ほどの試合のことがよぎり、小さく息を吐いてから、

「…さっきの試合は完敗だったよ。やっぱり、元A級ってのは伊達じゃないな」

目の前にいる、小さな隊長に賞賛の言葉を送った。

 

褒められた彩笑は思わずはにかんだ笑顔を浮かべた。

「ありがとうこざいます。だけど、柿崎隊も強かったですよ。序盤もそうでしたけど、途中で咲耶がやられかけた時はすっごく焦りました」

「…でもあれは、月守の作戦だったんだろ?思い返してみれば、どことなくワザとらしいところもあったし、何より反撃が物凄かったからな」

「そうみたいですね。でも…」

「…でも?」

 

言い淀んだ彩笑は再びきょろきょろと周囲を見渡して、誰も近くにいないことを確認してから、小声で「本当は言わないでって言われたんですけど」と前置きをしてから、会話を再開した。

「ぶっちゃけ、あれは咲耶も賭けだったって言ってました」

「賭け…?」

「はい。今回の試合、柿崎さん色々と…、普段やらないこと仕掛けてたじゃないですか。だから咲耶あの時戦いながら『もし柿崎隊がまだ何か手を隠してたらヤバい』って思ってたって、さっき試合終わってから言ってたんですよ。だから本当は、もっとギリギリまで粘って粘って、それこそ本当にベイルアウトする直前まで耐えて、柿崎隊の手札を全部引き出そうとしてたって、言ってました」

「…そうか」

 

言われて柿崎は戦闘中のことを思い出した。

(あの時追い詰めたかもしれないと感じたのは…、半分は騙されていたが、もう半分は本当だったってことか…)

そんな物思いにふける柿崎の心情を気付かない彩笑は御構い無しに言葉を続ける。

「あと…、作戦会議の時に咲耶が何回もボヤいてたんですよ。柿崎隊はなんでもできるって…、それも、羨ましそうに言ってました」

「俺からすれば、1人1人にしっかりとした特技がある地木隊の方が羨ましいが…」

「いやいやいや柿崎さん。しっかりした特技って聞こえはいいですけど、その分個人のバランスは悪いですからね?ボーダーが出してるボク達3人のパラメーター見たことあります?ボクのはこれでもかってくらい歪ですし、咲耶は縦に細いし、神音ちゃんは左側どうしたの?って感じですからね!」

 

言われた柿崎は地木隊メンバーのパラメーターを思い浮かべ、確かに歪だなと思って僅かに苦笑した。

「言われてみれば、確かにそうかもな。でもそれなら、俺たちのはよく言えば何でもできるだが、悪く言えば器用貧乏かな。実際、陰でそう言われてるしな」

自虐的に柿崎が発言すると、途端に彩笑はムッとした。

「言わせておけばいいんですよ!そういうのは!どうせ、そんなこと言うのは何もしてない人なんですから!」

「お、おう」

今の今まで笑顔だった彩笑が急に怒り出したことに柿崎は驚くが、彩笑の口はそんなことでは止まらなかった。

「もうねー、ボク本当に嫌いなんですよ!結果とか見てこうすればよかった、あれがダメだったとか、ちょっと偉そうに上から目線で言い出す人!どうせそういう事を言ってる人だって同じ状況に放り込まれたら正解じゃない行動するんですから!」

「わかったわかった。地木の言いたいことはわかったから、少し落ち着いてくれ」

放っておけばどこまでも話し続ける勢いだった彩笑を柿崎は慌てて落ち着かせた。来客に対して警戒心を向ける猫のような落ち着きのなさだった彩笑は次第に冷静さを取り戻した。

「とにかく。柿崎さんはそういう…、目に見えないところからの声なんて気にしなくていいんですよ」

「ああ、そうするよ」

ひとまず柿崎はそう答えたが、内心では彩笑が言うようにできる自信がなかった。また、陰で何か言われているのを聞いた時、それを気にせずにいられるだけの胆力があるとは思えなかった。

 

しかしそこへ、

「…、柿崎さん。そんなこと出来るわけないとか思ってますね?」

彩笑はジト目で柿崎の心を見透かしたように尋ねた。

 

なぜわかった?と言いたげに柿崎が驚いたのを見て、彩笑はどこか呆れたような表情になった。

「もー。これ、咲耶も…、というか男の人全般かもですけど、案外嘘つくの下手なんですよね。身もふたもない言い方ですけど、もう『嘘ついてますよー』っていう雰囲気出てますから。しかもそのくせ、周りにはバレてないって思ってて…」

やれやれと言った様子で彩笑は肩をすくめた後、ビシっとキレのある動きで柿崎を指差す。

 

「柿崎さん、いいですか!もし今度、しょーもない陰口が気になった時は…」

 

そこで言葉を止めた彩笑に、柿崎はその続きを促した。

 

「…気になった時は?」

 

すると彩笑はいつになく神妙な顔で、

 

「その時は、さっき『柿崎隊は強かった』って言ったボクの事を思い出してください。目に見えない誰かじゃなくて、ちゃんと柿崎隊と戦ったボクが、柿崎さんの目の前で言った言葉の方を大事にしたら、いいんじゃないかなって思います!」

 

真剣そのものな声色で言った後、

「忘れちゃダメですよー?」

そう言って、ニコリとしたいつも通りの笑顔に戻った。

 

「…ああ、忘れないようにしよう」

柿崎は言われた事を、頭の中でしっかりと反芻する。

(目に見えない誰かじゃなくて、目の前で言った言葉、か…。…少し、耳が痛いな)

今回、目に見えない不確かな、しかしそれでいて確実に存在した噂が元になって普段とは違う趣きで試合に臨んだ柿崎に、彩笑の言葉が刺さった。その『普段との違い』は確かに成果を出したが、結果としては再び下位に下がったという事実が残った。

 

試合後すぐにチームで行った反省会でもみんな同じく、手応えはあったが結果が伴わないというちぐはぐさを抱えた状態であり、今後のランク戦の方針としてもいいものなのか意見が纏まっていない状態だった。

 

迷いがあった柿崎は、目の前にいる今日の勝利者に問いかけた。

「なあ、地木。ちょっと聞きたいんだが…」

「はい、何ですか?」

まっすぐ見てくる彩笑に対して、柿崎は例え話を切り出す。

「いつもと違う、これまで築き上げてきた事とは違う事をして、それでもいつもと同じくらいの成果が出たとして。今までやってきた事をそれでも貫くか、それを捨てて新しい事を続けてみるか…。地木ならこういう時、どうする?」

例え話の形を取っていた柿崎だが、彩笑は彼の言いたいことをすぐに察した。

「んーっと、それって今日の柿崎隊のことですよね?」

「…ああ、まあな。今まで俺たちがやってきた戦術と、今日試した戦術。地木だったら、これからどっちを取る?」

柿崎は今一度、彩笑にそう問いかけた。

 

それに対して彩笑は、キョトンとした様子で首を傾げた。しかしそれは答えがわからず困惑したためではない。その答えが彩笑にとっては当たり前に近くて迷うようなものではなかったからだ。

 

だから彩笑は躊躇うことなく、

「え?どっちもです」

ワガママな答えを提示した。

「どっちか選ばなきゃどっちかがダメになるなら、どっちかを選びますけど…。どっちも選べるならどっちもやってみたいです!」

 

彩笑にとっては迷わない答えでも柿崎にとってはそうではなく、柿崎は困惑した。困惑したが、

(そうだ、なにもどちらかに絞らなくてもいい…。なんなら、この先何度か試したっていいし…、今すぐに決める必要もないか)

柿崎はそう考えて、彩笑の意見に納得した。

「どっちもってあたりが、なんとも地木らしいな」

「えへへー、それほどでも」

「…確かに地木らしいが…、同じことが俺にも出来るか…」

少し目を伏せて自信なさげに話す柿崎に対して、彩笑は小柄な体格を生かして下から視線を合わせた。

「柿崎さんは柿崎さんですし、なにもボクとおんなじことしなくてもいいんですよ。…けど、ボクは柿崎隊なら、それが出来るって思ってます。保証しますよ」

 

しっかりと柿崎を見据えて「出来る」と断言した彩笑は、クスッと悪戯っぽく笑い、

「だって、柿崎隊は()()()()()()()んですよね?」

柿崎自身が口にした言葉を送り返した。

 

「…ああ、そうだな!」

確認するような彩笑の言葉を聞いた柿崎は咄嗟に答えた。そして同時に、思う。

(地木が言うと本当にそうなってしまう感じがするな…)

明るく自信に満ちた声のせいか、疑う事を知らない子供のような笑顔のせいか、射抜くようでありながら柔らかさがある視線のせいか、こういう時の彩笑が話す事には何故か自然に納得できてしまう何かがあった。細かな理屈などどうでもよく思えて、それでいて威圧的ではない、肯定させる何か。

そんな力、不思議な魅力にも似たものが彩笑にあると、柿崎は思った。

 

言いたい事を言い終えた彩笑は、そのまま数歩後退した。

「…さてと、じゃあボクはこの辺でおさらばしますね。ランク戦やりたいですし!」

「そういえばそうだったな。相談に乗ってもらってすまない…、いや、助かったよ地木。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして!あ!てるるんと、こったんと、まどちゃんに、よろしく言っといてください!」

手を振る彩笑がしれっと言った言葉に柿崎の脳内にクエスチョンマークが浮かんだが、すぐに文香、虎太郎、真登華のことだと理解した。

 

相変わらずのネーミングセンスだなと柿崎が呆れ半分に思っているうちに彩笑は走り去っていて、通路には柿崎が1人残された。

「……ふう」

無音の通路で柿崎は意識して1つ呼吸をとってから、自分たちの作戦室に向かって歩き始めた。

 

その顔は何か吹っ切れたような、明るい表情だった。

 

*** *** ***

 

彩笑と柿崎が話していた頃と、ほぼ同じ時刻。荒船哲次はスナイパー用訓練室で淡々と狙撃の練習をしていた。使っているのは普段愛用しているイーグレットでは無く、試合でぶっつけ本番で導入したアイビスだった。

 

狙いを定め、引き金を絞る。轟音と閃光と共にしっかりとした反動が荒船の身体にかかり、放たれた弾丸は狙った的に着弾して破壊する。的に当たってはいるが、狙いからはわずかにされており、その出来を見て荒船は舌打ちをして悔しさを露わにした。

「ちっ…。当たるは当たるが、ちょっとズレるな」

独り言を呟く彼の隣に、

「慣れてないと『アイビスは重い』って先入観で自然と構えが力みますからね。バイポッドで支えるか何かに委託するか、それか伏射に専念した使い方に限定するのもアリですよ」

同じくアイビスを展開した真香が自然に並び、アドバイスをしながら狙撃練習を始めた。

 

隣り合った2人は交互に撃ちながら、世間話をするかのような気軽さで会話を続ける。

「ありがたいアドバイスだとして受け取りたいが…、東さんや和水はアイビスを立射でもきちっと当ててるじゃねえか」

「東さんはどうか知らないですけど、私はかなり練習しましたからね。今思えば、気が狂ったかのように練習してました」

「当時の俺はスナイパーじゃなかったが、練習も含めて噂は色々聞いてたな。目隠しして練習してたとか、トリオン兵3枚抜きしたとか、アイビスを二挺でツインスナイプしたとか、ノールックで当てたとか、足場が不安定な電柱で狙撃したとか、モールモッドの脚やブレードだけを壊していたぶってたとか、色んな噂があったが…。全部デマだろ?」

「何個かは本当ですね」

「嘘だろ?」

荒船の目線は的を向いてるため横に並ぶ真香の表情を窺い知ることはできないが、何となく笑っているような、彼女を率いる小さな隊長とよく似た笑みを浮かべているのではないかと思った。

 

先程まで戦っていた相手の姿を思い浮かべてしまった荒船はわずかな悔しさを感じながらも、隣にいる真香におめでとうの一言を伝えようとした。しかし、それよりほんの少しだけ早く、真香が先に口を開いた。

「荒船先輩。試合中に勝負を挑んでくれて、ありがとうございました」

思いがけない感謝の言葉に荒船は一瞬言葉に詰まったが、すぐに答えた。

「なあに、気にするな。あのまま…、3チームで乱戦で敵が減ったところを仕留めたとして、堂々と勝ったとは言えないなって思った俺が勝手に勝負を仕掛ける判断をして自滅したってだけの話だ。礼を言われることじゃない」

「かもしれません。…でも、あの場面で荒船隊が勝負してくれたからこそ、私たちは勝てたので…」

「そうか?今日の地木隊の出来…、というか天音のキレがあれば、下手したらあのまま諏訪隊と柿崎隊を倒して6点取ってもおかしくなかったからな。いずれにせよ負けてたかもな」

「流石にそれは買いかぶりすぎです」

「どうだか…。今更だが、ほかのメンバーはどうした?」

「地木隊長がソロランク戦、月守先輩は人に呼ばれたとかでどこか行って、しーちゃんは桜子から今日のログデータ貰いに行ってます」

「…ああ、確かクラスメイトだったっけな」

「はい。おかげさまで、たまに優先してログデータ貰えます」

 

相変わらず淡々と撃ちながら会話する2人だが、ここで荒船は撃つのを止めた。

「それで、和水はなんでここに来た?」

「…用事はさっき済みました。荒船先輩にお礼を言うために来たんですよ」

「真面目だな」

「どうですかね」

荒船に倣って狙撃をやめた真香は自嘲気味に笑って、

「本当に真面目な人なら、守るべき市民に…、子供に向けてアイビスを撃ったなら。例え訓練だとしても、のうのうと武器を持てないんじゃないですかね?」

と、過去の防衛任務中に自分が犯した過ちを口にした。

 

真香が何をしたのか、それがどういう状況だったのか、荒船は知っている。新参の隊員以外ならばほとんどの者が知っているし、新参であってもある程度なら把握している事件だ。

 

 

 

 

 

かつて真香が戦闘員だった頃、防衛任務中にイレギュラーが起こった。警戒区域の中に子供が迷い込んでいたのだ。真香を始めとした隊員たちは皆子供の存在に気づかず、そのまま戦闘になった。

スナイパーとして布陣の後方に位置していた真香は広い視野で敵を探し、容赦なく撃ち抜いていた。視野が広かったから、いち早く子供の存在に気づき、目が合った。そしてその子の後ろに迫り、ブレードを構えているトリオン兵にも、気付いた。

 

そこからの真香はもはや反射の域だった。

 

敵がいる。子供が襲われそう。仲間はそれに気づいてない。気づいていたとしても遠くて間に合わない。対処できるのは私しかいない。子供に警告を声で促してもきちんと聞き取れる距離ではない。

 

《この距離で敵を仕留めるしかない》

 

その判断を真香は一瞬で下し、アイビスを構えた。子供とそのトリオン兵はほぼ重なっている形だが、やるしかない。

子供には当てず、トリオン兵だけを仕留める。

 

子供の存在に気付いてからアイビスを構えるまで、2秒も無かった。

 

結果として、真香は子供に当てることなくトリオン兵のみを仕留めた。200近い距離があったがそれをやり遂げた。

 

やり遂げたその直後は「なんとか助けられた」という安堵があった真香だが、すぐに「もし少しでも逸れてあの子に当たっていたとしたら」という不安がよぎった。その不安がよぎると同時に、()()()()()()()()()()()()()()子供の恐怖に満ちた悲鳴が真香を襲った。近くで戦闘していた仲間もその声で異常に気づき駆けつけるも、その子からすれば撃ってきた真香の仲間に違いなく、「撃ってきた」「あの人が撃ってきた」と真香を指差しながら同じ言葉を繰り返すだけでまともなコミュニケーションも取れず、彼らが事態を把握しきる前に子供は警戒区域から逃げていった。

 

そして真香たちが規定通りの時間に防衛任務を終えた頃には、街には「ボーダー隊員が子供を撃った」という噂が広まっていた。当然、真香たちも任務中に起こった出来事を報告してはいた。しかし、大騒ぎになると思っていなかった彼女たちの認識の甘さから、内容は不良明な部分もあり、緊急性がまるでない報告だった。

 

それからしばらくは、真香にとって地獄そのものだった。出所のわからない、虚実が織り混ざった情報があっという間に三門市を駆け巡り、やがて、面白おかしくそれでいて所々に悪意が込められて歪んだ『人を撃つ隊員』の虚像が出来上がっていた。

箝口令をいくら敷いても、人の口に戸は立てられない。自分に関係ない場所にいる悪に人は容赦なく攻撃する。守るべき市民を撃った隊員(真香)を悪として、人は言葉や声、文字の暴力で殴りつけた。

事件後すぐにボーダーは噂を否定し、2日後には会見を開いた。ボーダーの使う弾丸は人に当たっても危害が無いことと、隊員が記録しているログを開示して真香が子供を守るために行動したこと。その2点を明確に、丁寧に説明することで事態はある程度好転した。

 

それからボーダーと市民…、厳密には、その子供の親族との、いくつかの論争を経た後、事件はひとまず収束した。代償として、中学生2年生の少女にトリガーを起動することすら出来なくなるほどのトラウマを植え付けて。

 

 

 

 

 

事件のあらましを思い出して、荒船は苦々しい思いを抱いた。

(あの状況に、和水として俺がいたら…。撃つしか、選択肢は無いだろうな。チャンスは一瞬で、必ず当てなきゃならない状況で成功させる。だが結果はどうあれ…、例え和水のように子供を助けることができたとしても、あんな風に騒ぎになるか)

 

何が正解だったのだろうかと、荒船はこれまでにも何回か考えたことがある。

当時の市民の声には、「戦闘だけに気を取られていて迷い込んだ子供に気付くのが遅れたのが悪い」「錯乱した子供を保護しなかった自業自得」といったものがあって、それはそうかもしれないと荒船も思ったことはある。ボーダーでもこの事件が1つのきっかけとなって、警戒区域に入った市民を保護した際には記憶封印処置を行うことがより一層徹底されることになった。

しかしそれらの事を加味してあの状況をシュミレートしても、荒船は自分で納得する結末にはならないような気がしていた。

 

事件から1年以上経ったが、荒船は未だ「正解」だと思える答えに辿り着けないでいた。

今回も納得できる答えが見つからず、荒船は真香に視線を向けた。

(…和水はどうなんだろうな)

それを聞いてみたいとは思うが、真香のトラウマを刺激してしまうのではないかと思い、聞けずじまいでいた。

 

事件の騒ぎが大きくなってからの真香は、正直見ていられなかった。当時荒船はアタッカーだったため伝聞で知ったことだが、事件後の真香はトリガーを持つだけで身体が怯えたように震える上に、トリガーを起動するために必要な『意思』すら抱けなくなっていて、トリオン体に換装することすら出来なかった。

今でこそアイビスを平然と撃っているが、狙撃練習を再開した直後は狙撃用トリガーを持つだけで顔色が悪くなり、なんとかそれに耐えても途中で訓練を離脱、もしくは気絶して医務室に運び込まれ、時には嘔吐していた。

時間をかけて真香は回復しつつある。自虐的とはいえ、自分から事件の事を口にする事もある。だが未だに戦闘員として防衛任務に復帰することは果たせていない。

 

荒船が沈黙を貫くのを見て真香は声をかけようとするが、直前に連絡が入った。スマートフォンの画面に映る名前を見て、真香は穏やかに微笑んで電話に出た。

「どうしたんですか、地木隊長?……ああ、しーちゃんはもう用事終わったんですね。……、わかりました、合流ですね」

 

電話の相手はどうやら彩笑のようで、真香は嬉しそうに言葉を紡ぐ。

 

「場所は……、えー…?どこにいるか分からないって…。ソロランク戦のブースに向かうって言ってたんじゃ………。柿崎さんに教えてもらって……、ちょっ、教えてもらったのに迷子なんですか?」

 

しょうがないですね、と、真香は楽しそうに呟く。

 

「わかりました、じゃあ、捜しに行きます。絶対に見つけますから、変に動かないでくださいね」

 

電話を切った真香は、苦笑して荒船に話しかけた。

「すみません荒船先輩、私はこの辺で帰りますね。迷子になった地木隊長を捜しに行ってきます」

「ああ。ったく、あいつはいつになっても本部の中身を覚えねえな」

「あはは、ですね。でも、そこがまた地木隊長の可愛いところじゃないですか」

「どうだかな。…行っていいぞ、早くしないと地木が拗ねるんじゃないか?」

「あー、拗ねますねぇ…。では荒船先輩、さようなら」

そう言って真香はぺこりとお辞儀をして訓練室を去っていき、荒船はその背中が見えなくなるまで、見送っていた。


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