ワールドトリガー 《ASTERs》   作:うたた寝犬

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第89話「変わりたくても変われない」

寿司。

それは日本が世界に誇る食文化であり、世代を問わず人気がある食べ物である。その中でも多くのチェーン店がしのぎを削る回転寿司というジャンルは誰もが気軽に寿司を楽しめるものであり、試合開始前に彩笑が宣言した通り、地木隊は回転寿司に来てきた。

 

レーン側に座る彩笑が小さな手で注文用のタッチパネルに触れた。

「えびアボカド注文するけど、みんな食べる?」

彩笑の隣に座る月守が食べ終えたサーモンの皿を重ねながら答える。

「俺はいらない。…というか彩笑、えびアボカドだけで4皿目なんだけど…」

「美味しいからいいじゃん!神音ちゃんと真香ちゃんは?」

彩笑の正面に座る天音がふるふると首を左右に振って否定を示し、真香も「私も食べないですよ」と答えた。

 

「りょうかーい」

言いながら彩笑はタッチパネルに操作、えびアボカドをオーダーした。直後にパネルの表示が変わり、事前に注文していた皿が届来そうなことを知らせた。

「これ誰頼んだやつ?」

「あ、私、です」

控えめに挙手した天音は流れてきたハマチを受け取り、醤油につけて食べる。

「………」

無言かつ無表情だが、1年間共に過ごしたメンバーからすれば美味しそうに食べている事が伝わっていた。

 

2貫目を食べようとしたところで、天音は何の気なしに尋ねる。

「真香、食べる?」

「うーん…、私はいいや。しーちゃん食べちゃっていいよ」

「ん、わかった」

そうして食べ終えた皿を天音が積み重ねたところで、真香は1つ質問した。

「…しーちゃんそれ何皿目?」

「……12、くらい?」

「…もう、お腹いっぱい?」

「ううん。まだ、食べる」

むしろここからでしょ?と言いたげな天音を見て、真香はげんなりとした目を向ける。

 

「真香は、もう食べない、の?」

4皿ほどしか食べていない真香を見て天音はどことなく心配そうに尋ねたのだが、それが真香の琴線に触れた。

「…いい?しーちゃん。普通はね、食べ過ぎたら…、ううん、食べ過ぎなくても人は太るようになってるの。そういう仕組みなの。ここまで分かる?」

真香が説くのは、おおよそ殆どの人に当てはまる事実なのだが、天音はそれを聞いて首を傾げた。SF作品でロボットが「感情とはなんですか?」と尋ねるシーンばりに、不思議そうな雰囲気である。そういう概念そのものが欠落しているかのような反応を、天音は見せていた。

 

太るという概念が欠落した天音を真香が心底羨ましそうな目で見ている傍ら、月守は食べ終えたサーモンの皿を積み上げてレーン側にいる彩笑に頼んだ。

「彩笑、また任せる。なんか適当なやつ取って」

「おっけー…。あ、これとかどう?カニミソ軍艦」

「魚卵じゃないから別にいいけど…」

「はいどうぞー」

月守の言葉を遮って彩笑はカニミソ軍艦を月守に渡して、それを食べる反応を観察する。

「どう咲耶?美味しい?」

「…不思議な味。嫌いじゃない」

「ほんと?ボクも1つ食べていい?」

「…最初から、食べたみたいけどちょっと怪しいネタを選んでただろ」

「えへへー、バレてた?」

「当たり前。…むしろ俺もそれを前提にして食ってるから、どうぞ」

「わーい!ありがと!」

正式に許可を得た彩笑はカニミソ軍艦を食べて、

「…うーん、嫌いじゃない!なんか不思議な味だね!」

月守と同じ感想を答えた。

 

1人を除いてお腹がある程度満たされたところで、彩笑は話題を切り出した。

「来週のランク戦、ボク今からもう楽しみなんだよね」

「上位入ったし、相手がカゲさんと遊真だからな。その2人と最近、ソロ戦とかしてる?」

「ゆまちとはたまに。戦績はボクが若干勝ち越すくらい」

「カゲさんとは?」

「最近は全然戦えてないかなー、上手く時間合わなくてね。トータルだと負けてる」

彩笑の話を聞いて月守は「やっぱチームで当たらないと厳しいな」とポツリと呟いた。

 

天音に対する怒りをなんとか沈めた真香が、2人の会話に参加する。

「烏丸先輩の発言でスコーピオン対決みたくなってますけど、わざわざその土俵じゃなくてもいいと思います。今回の試合でしーちゃんの調子が良かったので使()()()()()()()()もあるわけですし、スコーピオン対決と思わせて不意をつくとかもできると思います」

「あー、それいいね。まあでも、どういう対決になるかは玉狛が選ぶステージ次第かな」

 

月守が玉狛の事を口にした瞬間、ポケットに入れていたスマートフォンに着信が届いた。

3人に断りを入れて画面を確認すると『烏丸』の表示がされており、随分とタイムリーだなと思いながら月守は電話に出た。

「もしもし?」

だが月守の声に応えたのは烏丸ではなく、

『…ミデンの電話はいろんな形状のものがあるな。この前観たエイガというやつには、黒い固定式のものだったが、この薄いものも電話なのか』

玉狛支部にいるアフトクラトルの戦士、ヒュースの声だった。

電話口の声が聞こえたのか、彩笑が小声で「もしかしてヒュース?」と聞いてきて、月守は無言で頷いて肯定した。

 

「ヒュースか。電話を借りたのか?」

『ああ。トリマルにお前と話をさせろと言ったら、これを使えといって渡された。…これもトリガーによるものではなく、ミデン独自の技術によるものか?』

「まあ、そうだな。…で?わざわざ電話してきてまで何を言いたいんだ?」

 

異国の地の技術に関心するヒュースに月守が切り出すと、少し間を空けてから本件へと移った。

『お前が観ろと言ったから観ていたが…、大見得を切った割りには、随分と苦戦していたようだな』

「まあ、それについては否定できないな。思った以上に、柿崎隊が仕掛けてきたし…。それに何より…、いや、ここで何を言っても言い訳だな」

『ふん…』

月守から反論らしい反論が出てこなかったことにヒュースは満足そうな雰囲気を漂わせるが、そこに月守がヒュースの予想外の一言を投げ込んだ。

「でも、良かったよ」

『…?良かった?何がだ?』

「だって、ヒュースはこの前期待しないって言った割りには今日試合をちゃんと観てたし、内容についてもわざわざ電話で言ってくるあたり、それなりに期待して観てたんだろうなと思ってさ」

『前向きを通り越して滑稽だな。オレがとにかく文句を言いたいだけかもしれないだろう?』

ヒュースの声に苛立ちの色が混ざるが、月守は気にすることなく通話を続ける。

「それでもいいから、次の試合も観ててくれよ。観た上で、また文句を言いたくなったら言えばいい。まあ、次はそんなの言わせる気はないけどな」

『…良いだろう。粗を探すつもりで次戦も観てやる』

 

あまり嬉しく無い約束をしたなと月守が思ったところで、ヒュースは電話を手放して相手が烏丸に代わった。

『今日の試合は勝てて良かったな』

「おかげさまで。京介も解説おつかれ。明日にでもみんなでログ、しっかり観て復習させてもらうよ」

『熱心だな。ところで月守、明日ログを観ようとしてるって事は、本部には来るんだよな?』

「そうだな。緊急の用事とか入らない限り、作戦室に向かうつもりだけど…。それがどうした?」

『いや、お前に頼みたいことがあってな』

「頼み?」

 

烏丸に頼みごとをされる心当たりがなく訝しむ月守に、烏丸は予想外の頼みごとを放り込んできた。

『明日からしばらく俺の弟子を…、修に修行をつけてやってくれないか?』

「はあ?」

思わず素っ頓狂な声を上げた月守に対して寿司を食べていた3人は驚くが、それに構わず月守は会話を続ける。

「…京介、何か変なものでも食べたか?俺と三雲くんは1週間後に対戦するんだぞ?」

『そうだな』

「練習試合とかじゃなくて、チームのランクがかかった公式な試合だ。レベルアップできるとしても…、普通、なるべく対戦相手には手の内を隠してたいって思うものじゃないのか?」

『俺もそう思うが…、この申し出は修から出たんだ』

「三雲くんから…?」

『ああ。一応説明すると…、さっき修から、シューター単体でも敵を倒す手段を身に付けたいって言われたんだ。修にはまだ早いと思ったが、あいつも今日の試合で思うところがあったみたいだったし、勉強できる時に勉強させるのも悪くないと思ってな。嵐山さんや出水先輩みたいな本職の人間に頼むことにしたんだが、修が唯一、お前の事を名指しで指名したんだ。当然、俺もさっきのお前と同じ事を説明したが…、どうにも引かなくてな』

一通り設定を聞いた月守は「三雲くん頑固だな」と呟いて、呆れ混じりの苦笑いを浮かべた。

 

「まあ、本人がいいなら俺は別にいいけどさ。でも京介…、俺が次の試合に勝ちたいあまり、三雲くんに適当なこと吹き込んだらどうする?」

困ったように笑いながら月守はそう問いかける。それは月守が無意識に嘘をついている時にしていた仕草であったが、電話越しの烏丸はそれが見えていないにもかかわらず、

『塩を送るのが好きなお前はそんなことしないとは思ってるが…』

と答え、

『まあ、もしそんなことをしたら、修に紹介した俺の認識が甘かったことにしておくか』

そう言葉を続けた。

 

少しくらい責めてくれと月守は思いながら乾いた笑い声を零した。

「いや、そんな事はしないから安心してほしいな。えーと、稽古をつけるのは明日でいいのか?」

『ああ。時間は…、後でそっちの都合のいい時間を指定してくれれば、その時間に向かわせる。内容はさっき言ったが、シューター単体でも敵を倒すために必要な事を教えてやってくれ』

「オッケー。ビシビシ鍛えておく」

『頼んだ』

そう言って、互いに電話を切った。

 

「とりまる、なんて?」

電話を終えた月守に彩笑がその内容を問いかけて、月守は端的に答える。

「明日三雲くんに稽古つけてやってくれだって」

「んーへー…、ん?ええ?」

その内容に彩笑も驚いたようで、不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「まあ、それは置いといて…。電話中にいなくなった2人はどこに行ったのかな?」

月守は電話中にいなくなった天音と真香の居所を尋ねると、

「水持ってきてくれるって。ただ、今お店混んでるし、ここからセルフサービスの水まで遠いから、ちょっと時間かかるかも」

店内のどこかにいるであろう2人を指差しながらそう説明した。

 

しばらくの無言を挟んでから、彩笑は呟くように月守に頼みこんだ。

「ねえ、咲耶…。ボクのこと、怒ってくんない?」

「なにそのいきなりのマゾ発言。気持ち悪いんだけど」

「ちょっ、ひっどいなあ!」

プンプンと憤慨する彩笑に対して月守はクスッと笑って答える。

「ごめんごめん。でも、本当にいきなりどうした?」

「…その、今日の試合中さ…。咲耶との約束、守れてなかったなー…って思って」

言われて、月守は思い出した。

 

それは前の試合が終わってから、喧嘩のように行ったソロランク戦の最後に交わした約束。月守は彩笑にもう自分の価値を下げるような事をしないことを、彩笑は月守にいつでも笑っていることを、それぞれ約束した。

 

改めてその約束を思い出してから、月守は試合中のことを思い出す。

「でもなー…、流石にあの局面で笑っててって言うのは無理だろ。俺だって、彩笑や神音がピンチだったら笑ってられないよ」

「…それはそうかもなんだけど…」

「第一、あれは俺の戦い方が原因だったし…。彩笑がそれを言うなら、あんな戦い方した俺だって約束守れてないってことにれなるな」

「でも、咲耶のアレにはちゃんと狙いがあったし…。咲耶らしく戦っただけでしょ?ボクの中では咲耶の価値下がってないもん」

少しむくれながら、彩笑は月守は約束を破ってないと主張する。そして月守はそれに倣って、

「…じゃあ彩笑も問題ないよ。俺の中でも、彩笑のあれは約束破ったことにカウントされてない」

そう主張した。

 

互いに自分は約束を少し破ったが相手は破っていないという認識をしていた2人は、どちらともなく笑い始めた。

「じゃあさ、今回はノーカンってことにしよっか」

「…だな。お互いに約束を破ったと思ったら、破ったことにしよう」

「ん、わかった」

そうして1つ、互いの約束に決まり事が加わった。

 

その直後、月守のスマートフォンに1つのメールが届いた。烏丸と電話を終えてからスマートフォンを持ちっぱなしだったので、月守はそのまま画面をスライドさせてメールを確認すると、

 

『母(プライベート用)』

 

という人物からのメールだった。

 

「………」

内容を読んだ月守は無言で『わかりました』と打ち込んで返信した。

 

「メール?誰から?」

「家の人」

「ホント?良かったね」

「…ありがと」

「何でお礼?」

「なんとなく」

「そっか。…にしても、約束ちゃんと守ってくれたんだ」

「約束?」

「んーん、こっちの話ー」

 

それからすぐに水を取りに行った2人が帰ってきて食事は再開された。放っておけば無限に食べ続けるんじゃないか、と思えてしまうほどに淡々と食べ続ける天音をメンバーが見守る中、月守はメールが来てから寿司を1つも食べなかった。

 

*** *** ***

 

まだ少し食べ足りないと言いたげな天音が、他の3人の合計に並ぶとだけの寿司を食べたところで、地木隊のお寿司会は(半ば無理やりに)終わった。

 

4人の帰路は途中まで一緒だが、彩笑と真香が商店街方面へ、月守と天音が住宅地方面へと分岐する別れ道に差し掛かった。

「じゃあ、ここでバイバイだね!明日また作戦室で!」

元気よく彩笑が言い、

「じゃあお疲れさま」

「おつかれさま、でした」

「ではでは」

それぞれが一言ずつ言い、二手の帰り道に分かれていった。

 

 

 

小さな歩幅で歩く度に自身の茶髪を揺らしながら、彩笑は隣を歩く真香に話しかける。

「真香ちゃん、今日は色々ありがとね!」

「色々…、ああ、迷子になった地木隊長を助けた件ですか?」

「それもそうなんだけど、わざわざそこチョイスしちゃう?」

 

ジト目で彩笑がわざとらしく恨めしさを込めて言うと、真香は目を細めて笑った。

 

「ふふ、すみません。ワザとです」

「もおー。…真香ちゃん、だんだんイタズラ好きになってきたよね?」

「あはは、そうですかね」

 

穏やかに笑う真香に向けて、彩笑は言葉を紡ぐ。

 

「迷子のやつもなんだけど…、一番は、今日の試合のオペレートかな。ボク途中で、乱戦にするって決めたけど…、本当は心の中で『乱戦にしていいのかな、間違ってないかな』って不安だったけど…、すぐ後に真香ちゃんが『圧倒的に勝ってください』ってオーダー出してくれたから『良かった!間違ってない!』って思って、おもいっきり戦えたんだよ。だから、ボク的に今日のMVPは真香ちゃん!」

 

屈託のない笑顔で彩笑は言い、その笑顔のまま、

「だから、そのことに対してのありがとうだよ!」

心からの感謝の言葉を真香に送った。

 

裏表が無い、純粋な好意だけで構成された彩笑の感謝の言葉を受け取った真香は気恥ずかしそうに笑いながら答える。

「…そこまで言ってもらえて、嬉しいです地木隊長。私こそ、ありがとうございます」

「えへへー、どういたしまして!」

 

ルンルンとした効果音が聞こえてきそうなほど上機嫌で帰り道を歩く彩笑は、真香に日頃から思っていたことを伝える。

 

「ねえ真香ちゃん」

「何ですか、地木隊長」

「ボクね、いつも思ってるんだけど…、今日はそれが特別強かった。真香ちゃんがボクたちのオペレーターでいてくれて、本当に良かった!」

「えー、本当ですか?」

「本当だよっ!?なんで疑うのさ!」

 

真香のイタズラ心が宿る返しに、ほんの少しの憤慨を込めて彩笑が答える。

 

「疑ってごめんなさい」

 

クスクスと笑いながら謝る真香だが、心の中ではひたすらに嬉しさを噛み締めていた。

 

かつて心身ともに追い詰められて限界で、ボーダーを辞めようとしていた真香に、彩笑は救いの手を差し伸べた。本人はそんなつもりは無く、ただ純粋に、仲間として真香が欲しいという我儘だった。スナイパーだった真香に対して「スナイパーじゃなくてもいいから君が欲しい!」と言い放った彩笑には、真香を救ったという自覚はない。だがそれでも真香にとって彩笑は誇張なく、あの時の自分にはどこにも無くて、欲しくて欲しくてたまらなかった居場所をくれた恩人である。罪の意識に苛まれていた自分に、何の偏見も持たないで笑顔で隣にいてくれた、かけがえのない人だ。

 

真香は彩笑に、返しきれないだけの恩があると思っている。それこそ、自分の人生をかけても返しきれないかもしれないほどの恩かもしれない。それほどの人に「仲間でいてくれて、本当に良かった」と言われたのが、真香には嬉しくて嬉しくてたまらなくて、幸せだった。

 

(嬉しいし、救われた気すらある。でも、私が地木隊長から貰った恩は、こんなんじゃない)

そう思いながら、真香は告げる。

「地木隊長」

「なあに?真香ちゃん」

「私ね、もっと頑張ります。地木隊長に今日以上に、仲間でいてくれて良かったって思ってもらえるように頑張ります」

「ん!了解!でも、頑張りすぎて身体壊しちゃダメだよ?ほどほどにね?」

「あはは、わかりました!」

そう言いながら真香は、かつて深い傷を負った事などまるで思わせない、彩笑と同じような屈託のない純粋な笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

帰路が分かれてしばらくしてから、

「420円になります」

「500円で」

月守は近くのコンビニに寄り、フライドチキンとあんまんを購入していた。

 

80円のお釣りとビニール袋を受け取った月守は、入り口で待っていた天音と合流した。

「神音ごめんね。家の人に買ってくるように頼まれて…、待たせちゃったね」

「あ、いえ。全然大丈夫、です」

コンビニを出た2人は並んで帰り道を歩いた。

 

2月の風は冷たく、寒さに耐えるように天音はマフラーに顔の半分をうずめるが、その隙間から白い息が溢れていた。隣で寒そうに歩く天音に月守は今しがた買ってきたあんまんを差し出した。

「神音、どうぞ」

「え?これ…」

「あんまん。買い物で待たせちゃったし、さっきのお寿司じゃまだ食べ足りないって顔してたから」

やんわりと微笑みながら差し出されたあんまんに対して天音は少し躊躇うが、

「…ありがと、ございます」

空腹には勝てなかった。

 

争いとはまるで無縁そうな白く細い手であんまんを受け取った天音は、

「えっと…、いま、食べてもいい、ですか…?」

おっかなびっくりな様子で、横に並ぶ月守に確認してきた。

 

尋ねてくる天音の姿はどこか微笑ましくて、月守は小さく笑ってから答える。

「うん、いいよ」

改めて許可を得た天音は包み紙を丁寧に剥がして、ホカホカと温かいあんまんを取り出した。

 

寒い時のあんまんとか肉まんってやたら美味しそうに見えるよなぁと月守が考えていると、天音はあんまんを半分に割った。てっきり天音は元からそういう食べ方をするのかと思っていた月守に、

「あの…、半分、どうぞ…」

その半分の、ほんの少しだけ大きい方を差し出した。

 

キョトンとする月守に、天音はもう一度、

「…半分、どうぞ…」

そっと身体を寄せて、再度差し出した。

 

ここでようやく、月守が動いた。

「んー…、神音にあげたものだし、食べちゃっていいんだよ?」

「あ、はい…。でも、月守先輩も、お腹空いてます、よね?さっき…、途中から、全然食べてなかった、みたいですし…」

よく見てるなと月守は思ってから少し悩み、天音の差し出しを受け入れることにした。

 

「じゃあ、貰おうかな。たしかに少し、食べ足りなかったからね」

月守が差し出されたあんまんを受け取ると、天音は嬉しそうな反応を見せた。と言っても無表情は全く崩れていないので、長い時間接している地木隊だけが見抜ける反応、もしくは、そうあってほしいという月守の思い込みによる変化だった。

 

並んで食べたあんまんの味は、全国に展開されるコンビニ製だけあって、食べ慣れた変わり映えしないものだった。しかしその温かさと甘さは、たしかに美味しいと思えるものでもあった。

「おいしい、ですね」

「そうだね、おいしいね」

2人はその変哲も無い感想を言い、すぐにあんまんは胃袋の中に消えていった。

 

元々積極的に話す正確では無い2人は同じ速さで歩きなら、しばし無言を挟んだ。そして、

「今日のランク戦…」

「さっきの、試合…」

同じタイミングで、同じことを話そうとした。示し合わせたわけでも無いのにタイミングと内容が重なり、月守は思わず笑みをこぼし、天音は少し困ったような、それでいてどこか嬉しそうな反応を見せた。

 

「えっと…、お先に、どうぞ…」

天音に譲ってもらい、月守から話し始めた。

「今日のランク戦さ、神音すごかったね。調子良かった?」

「あ、はい。…今日は、久々のランク戦、だったので…。意識して、なかったんです、けど…、すごく、張り切ってた、みたい、です」

「あはは、張り切ってたんだ。…じゃあもしかして、試合前に落ち着かなかったのは武者震いみたいなものだったのかな?」

「多分、そう、です」

答えを天音から聞き、月守は彼女が思っている以上にアクティブであることを改めて知った。無表情で誤解される部分が大きいため勿体ないと思ったが、同時に、なぜかそのことをあまり他の人に知られたく無いと、心の片隅で思った。

 

「あの、でも…、月守先輩も、すごかった、です」

 

天音から話題を切り出したのをみて、月守は思考を一旦止めて天音の言葉に耳を傾ける。

「柿崎隊に、囲まれたのに…、あっという間に、打開してて…、やっぱり、月守先輩、すごいなって、思いました」

「ありがと。でも…」

「…?」

何かを言い淀む月守を見て天音は首を傾げた。

 

ゆっくり丁寧に、1つ1つ選ぶ形で月守は言葉を紡ぐ。

「あれは…、あんまり褒められたものじゃないかなって、思ってる。確実に勝つためだってあの時は思って戦ってたけど、結果的には柿崎隊を騙す形になったし…。何より…」

月守が思い出していたのは、虎太郎を倒した後のことだ。柿崎と照屋、どちらを先に倒すか判断する時、月守は自然に『先に照屋を倒せば柿崎は自身の判断ミスを悔やみ動きが鈍くなるだろう』と予想して判断を下していた。柿崎の人の良さ、善意に漬け込む策を、息をするように自然と立てていたのだ。

 

時間が経ってからその時の事を思い出すと、月守は自身がやはりそういう性格なのだろうと、嫌でも実感した。人を騙し、弱みに自然に漬け込むような性質が強く備わっていると思い、自己嫌悪に沈んだ。

 

本当はさっき彩笑に約束の事を言われた時、責めてほしいと思っていた。あれはちょっと違うんじゃないのと、一言釘を刺してほしかった。しかし彩笑がくれたのは、「咲耶らしく戦ったんだからいいよ」という許しの言葉だった。そしてまた、それで許された気になって、良かったと思ってしまう自分もいて、月守はまた深く自己嫌悪の海に浸る。

 

月守が止めた言葉の続きを、天音は静かに待っていた。無言によるプレッシャーなどまるで無く、話し出すのをいつまでも待つ構えだった。

 

凄いと言ってくれた後輩にこういう事を言っていいのかと迷った末に月守は、

「何より…、そういう事(ひとをだますこと)が出来る自分が、ひどい人なんだなって嫌でも思ったよ」

偽らずに今の心境を吐露した。

 

正直な月守の気持ちを聞いた天音は、「んー…」と呟きながら何かを考える仕草をしてから、月守に問いかけた。

 

「…月守先輩には、私は、どんな風に、見えてます、か?」

「…どんな風にって…」

「えーと…、私の性格、とか、私が、好きそうだなって、思うところ、お願いします」

 

何なんだろうと訝しみながらも、月守は歩みを止めずに答える。

 

「控えめ…、というより、恥ずかしがり屋…、どっちかと言うと受け身がちなんだけど、でも自分がコレって決めたことは、しっかりとやるから、安心して任せられる。あと、案外身体動かすの好きだよね。生身でもトリオン体でも、よく動くし…。何より、食べるのが好きでしょ。それと…、時々、ちょっと独特。考えが読めない時があるんだけど、そこが、こう…、かわいいというか神音らしいって思うけど…。えーと、まだ言えばいい?」

「あ、えっと、もう、だいじょぶ、です」

 

月守が考えている自分像を聞かされた(言わせた)天音は少し息を整えてから、

 

「月守先輩が、考えてる私って、そんな感じ、みたいです、けど…。私は、自分のこと、ダメな人だなって、思ってます」

 

その独特な、よく区切る話し方で天音は自分で思い描く自分像を語り始めた。

 

「言いたいことも、うまく言えなくて、言われた通りのこと、しか、できなくて…。そのくせ、やるって決めたこと、は、周りの人の声、聞かないで、押し通して…。食べるのは好き、だけど、誰か人と食べるのは、少し苦手で…、楽しいんです、けど、今日の真香みたいに、たまに、怒らせますし…。あと時々、自分でも、自分がわからなくて…、何を考えてるか、わからなくなってて…。私は、自分のそんなところが、あんまり好きじゃないんです」

 

天音が話す「自分の嫌なところ」は月守が「そこが天音の良いところ」だと思っていたことを別の視点から話したことだった。天音はそのまま辿々しく、言葉を続ける。

 

「でも…、私はそう思ってても、月守先輩は、そこが良いって、思ってる、みたいで…。あの…、自分の…、性質?とかって、人の見方で、全然違ったりする、から…。もしかしたら、自分からも、他人からも、おんなじ風に、見えるかも、ですけど。でも、だから、その…」

 

見方を変えれば、同じものでも違って見える。

 

かつて同じことを体験して救われた少女は、同じことを、救ってくれた少年に伝えたかった。

 

しかしここで、天音は言いたいことが上手く纏められなくなった。

言葉に気を取られて、本当に伝えたいことが言えなくなってしまうのではないかと思った。

絡まって解けなくなった思考を、天音はそこでリセットして、一旦会話を大きく区切る。

 

そして、自分の言葉を待ってくれる月守に向けて、

 

「私から見た、月守先輩は…、優しくて、良い人です。だから…、今みたい、な、辛そうな顔、しないでほしい、です」

 

本当に伝えたかったことを素直に告げた。

 

天音に言われた言葉で、月守は今の自分がそんな顔をしているんだと思った。同時に、天音にそれだけ言われても、彼は自分が優しい人だとは思えなかった。

「優しい人、か…」

「はい、優しいと、思います」

あくまで優しいと断言する天音に、月守はイタズラ半分で問いかける。

「じゃあ、いつ…、どんな時にそう思う?」

 

 

 

 

 

「今です。悩んでても、何か食べてても、自分の嫌なところ、言いながらでも…、月守先輩は、私とおんなじ速さで、歩いてくれてます」

 

 

 

 

 

即答だった。帰り道で自分の隣にずっといてくれた月守のことを、天音は答えた。

 

天音の答えを聞いた月守は『そんなことで?』と思った。

「たまたまじゃ、ないかな」

「…帰り道、ずっと、でしたよ?」

「…特に意識してなかったんだけど…」

「本当、ですか?だったらきっと、月守先輩は、すごく優しい、ですよ。無意識で、優しいこと、してくれるんです、から」

 

月守は天音の発言に呆気をとられて、思わず言葉を失った。おし黙る月守に、天音は言葉を重ねる。

 

「もしかしたら、月守先輩の優しさを、甘さだって、言う人だって、いるかもです、けど…。私は、月守先輩のそういうところ、とびきり優しいって、思いますよ」

真っ直ぐに見てそう言う天音の言葉は、自己嫌悪の海に浸っていた月守に刺さった。

 

「そっか…」

言いながら月守は、

(…そんなことを優しいって言える神音の方が、そんな俺なんかよりずっとずっと優しい人なんだろうな)

天音のことを、優しい人だと思った。

 

自分はひどい人で、そんなところが嫌いだということは、多分変わらない。でももし、自分の中にそうじゃない部分…、天音が言うように優しいところがあるんだとしたら…。

 

(少しは、そういうところがあるんだって、思いたいな)

 

と、自分に必死に言い聞かせた。

 

そして…、天音の主張を受け入れた()()()()()月守は、()()()()やんわりとした笑みを浮かべた。

「…ありがとね、神音。だいぶ気が楽になったよ」

「はい、どういたし、まして」

天音はほんの少し、本当に少しだけ微笑んで、月守の助けになれた喜びを素直に表現した。

 

 

 

 

そんな天音を見て、月守は自分の事を、どうしようもなくクズだなと思った。

 

 

 

 

それからしばらく歩いて、2人の帰路も分岐に差し掛かった。

「神音、本当にここまででいいの?」

「はい。…もう、家、見えてますし、大丈夫、です」

そこまで遅い時間ではないとはいえ夜には違いなく、月守は心配するが天音は安心させるために、

「いざと、なったら、トリガー使います、ので…」

市販の防犯グッズとは比較にならない安全性を誇る兵器の存在を出した。極端だがこの上ない安全策を提示された月守はクスッと笑い、

「逆にやりすぎないようにね」

軽い冗談を言って、天音を見送った。

 

月守はそのまま、まっすぐ自宅であるマンションに帰宅する。

 

いつもなら真っ暗な部屋だが、今日は明かりが灯っていた。

「ただいまー」

普段なら言わない帰宅の言葉を月守が言うと、

「おかえりー」

普段なら帰ってこない返事が奥から聴こえてきて、月守はそのまま会話を続けた。

 

「帰ってくるって聴いてなかったんですけど?」

「言ってなかったからね。しばらく帰るつもりもなかったんだけど…、たまには帰るようにって、職場の小さな後輩に言われたからねえ」

「…いつまで居ますか?」

「適当。とりあえず1週間」

 

靴を脱ぎ奥に進むにつれて、普段家には無い匂いが濃くなる。

(あの人が帰ってくるといつもこうだ。アルコールとカレーの匂いが入り混じった、この匂いがいつも漂ってる)

匂いの元凶は、滅多に帰ってこない月守の保護者が飲酒しながらカレーを作るためである。

 

リビングに立つエプロン姿の女性に向けて…、自称母親を名乗る保護者に向けて、月守は改めて言う。

 

「帰ってきましたよ、花奈さん」

 

「やあおかえり、咲耶」

 

そう答えた不知火花奈はやんわりと微笑み、今しがた完成したカレーをくるっと一回かき混ぜて、

 

「晩御飯にしようか」

 

穏やかな声で、そう言った。




ここから後書きです。

ちょっと前に、去年からずっと応援してた人のミニライブに行けたんですよ。応募とかするのも初めてだったので当選したのはめっちゃ嬉しかったんですけど、すぐに「不文律とか暗黙の了解とかあったらどうしよう」って不安になりました。そして当日、案の定ありました。
イベント最後の抽選会で「素数が出た場合めっちゃ盛り上がらなければいけない」という決まりを当日初めて知ったので、いざという時、流れに乗るのが遅れました。人生で「素数!素数!」ってあそこまでのテンションで盛り上がったのは初めてでした。


アンケートですが、今回初めて「どんな感じなんだろう?」という、お試し感覚で使ってみました。

今回のお話で不知火さんと月守の関係が1つ明らかになりました。これに関しては以前から何個も伏線をぶん投げていたんですが、それを見つけてたよー、という人はそれを何個見つけてたかというアンケートです。

  • 1つ
  • 2つ
  • 3つ
  • 4つ
  • 5つ以上

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