お付き合いいただけると幸いです。
第一話「ハーフアップ」
街中の大通りと大通りをつなぐ細い路地の中に、その店はあった。場所を周知していなければ辿り着けないような場所にあるのに外装に派手さは無く、看板を一見しただけでは何の建物なのか分からない、利益などあまり考えていないような、半ば個人の趣味で成り立っているような店。忙しさや喧騒から隔離された雰囲気を持つその店が、天音神音の数少ない行きつけの場所だった。
カランカランと、店の扉を開けると来客を知らせるベルが鳴り響く。
「こんにちは……」
1年近く通った場所であり、事前に予約を入れているにも関わらず、天音は未だに店に入る時、遠慮がちに声をかける。
木目調の壁と、時間がゆっくりと流れる森の中を想起させる香りが漂う店内に、この店唯一の店員であり店主である人物がいた。
「神音ちゃんいらっしゃい。相変わらず、時間ピッタリね」
店主は天音を見ると嬉しそうに目を細めて頰を緩めた。
明るく染めた腰まで届く茶髪とスラリとした高い背丈が特徴的な店主のニコニコとした笑みを見ながら、天音は挨拶する。
「お久しぶり、です」
「1ヶ月半ぶりくらいかしらね。どう?元気してた?」
「ええと……はい。あ、じゃなく、て……。このまえ、ちょっとだけ、入院、してました…」
「へえ、そう。入院……って、入院!?大丈夫なの!?」
「だいじょぶ、です」
しれっと驚くような発言をした天音に店主は驚いたが、天音は相変わらずの無表情なので、店主は天音の言葉を信じた。
「大丈夫ならいいんだけど……。ホントに、神音ちゃんは表情が読めないわ」
「……ごめん、なさい」
「ああ、違う違う。謝るようなことじゃないの。むしろそこが、神音ちゃんの可愛いポイントの1つよん」
「……ありがと、ございます」
「どういたしまして。謝ったりお礼を言ったり、神音ちゃんは忙しいね!」
無表情で淡々とした天音の微かな反応の変化を楽しみながら、店主は殊更嬉しそうに笑う。
店主は活き活きとしながら天音を席へと案内する。
「はい、じゃあ……神音ちゃん座って」
「あ、はい」
天音は羽織ってきたコートを脱ぎ、勝手知ったる店内にコートを掛けてから案内された席に座る。
店主は商売道具を準備しながら、天音からオーダーを取る。
「今日はどうしちゃう?」
「いつもの、で、お願いします」
「いつものね、オッケーおっけー。でもたまには違うのもどう?ちょっと冒険してみない?」
「いつもの、で、お願いします」
頑なに「いつもの」と言い張る天音の顔を鏡越しに見て、店主は苦笑いを浮かべた。
「神音ちゃんはいつものに拘るねえ」
「……これが、好き、なので」
「神音ちゃん
「………」
押し黙る天音だが、彼女がそこで口をつぐむ理由を知る店主はにんまりと笑い、柔らかく天音の頭を撫でた。
「あーもう、神音ちゃん若い〜」
「スイさん、いじわる」
天音は店主の事を名前をもじったあだ名で呼び、無表情の中にほんの少しだけ感情を乗せた。
意地悪と言われた店主のスイは、それを全く悪口だと思っておらず、むしろ褒め言葉だと言わんばかりに気分が乗った。
「はいはい、私はイジワルですよ〜。でもイジワルでも、仕事はきっちりやるよん」
準備を終えたスイは腰にいくつも差した、仕事をこなすための相棒にそっと手を触れた。
指先にあったのは、店内の照明を鋭く反射する輝きを持った、ハサミ。
それは、人の背後で刃物を持つにも関わらず限りなく警戒されない職業であり、人の魅力をどこまでも高めてしまえる職業。
天音にスイさんと呼ばれる人の職業は美容師だった。
*** *** ***
地木隊結成から1ヶ月ほど経ったある日。
不知火に頼まれたヤボ用を終えて作戦室に戻ってきた月守咲耶に、隊長である地木彩笑は、
「ねえねえ!咲耶ってどんな子がタイプなの?」
嬉々とした笑顔で、特大の爆弾を投げ込んできた。
遡ること30分前……月守が不知火に呼び出されて作戦室を離れた直後のこと。
「神音ちゃん、そのまま座っててねー」
「はい」
天音は彩笑の指示に従って筋の通った綺麗な姿勢で椅子に座り、彩笑は大人しく座る天音の背後に回り込み、
「とりあえず、三つ編みするよ〜」
鼻歌まじりに天音の長く艶のある黒髪を三つ編みにしていった。
この頃、地木隊(というより彩笑と真香)は天音の長い髪をアレンジすることに凝っていた。天音は自身の髪についてあまり頓着がなく、櫛でとかすだけで毎日無造作に髪を下ろしていた。チーム結成から1週間ほどでそれを見かねた彩笑が、
「神音ちゃん折角だし、髪結ってみない?」
そう提案してから、天音の日替わりヘアスタイルショーが恒例になった。
最初は単にヘアゴムで纏めただけだったものが日に日にバリエーションを増していき、いじる彩笑と真香はもとより、いじられる天音もどことなく満更でもなく、最早毎日の楽しみになっていた。
ちなみに当時、天音は髪型だけではなくトリガー構成も色々変更していたため、
「天音隊員の髪型とトリガー構成は関連がある」
という噂が流れた結果、ランク戦中に、
「隠岐、天音ちゃんおった?」
「おりましたよ。今日はポニテです」
「ポニテちゅうことは弧月二刀流やな。あとどう?可愛い?」
「ばり可愛いですよ」
遠距離で天音を視認させて髪型でトリガーの型を読もうとするチームが多発したが、実際はその噂自体が眉唾ものであり、
「アカン、今日の天音ちゃんショットガンや」
「ありゃ、予想とちゃいますね。フォロー行った方がええですか?」
「頼むで。あとな、とりあえず天音ちゃん可愛い」
「イコさん思ったより余裕ですね」
「余裕ちゅうか、詰みや、これ。あ」
『戦闘体活動限界、ベイルアウト』
読みを外して苦戦するという事態が多発し、地木隊の勝ち星を増やす一因となっていたのは、また別の話。
兎にも角にも、当時の地木隊には天音の長い黒髪をアレンジするという習慣があった。
「できたー!」
天音の髪で三つ編みを完成させた彩笑は満足げに額を拭った。
「えっと……、和水さん、どう、ですか?」
天音はその出来栄えを正面に立つ真香に尋ねた。真香は胸の前で組んでいた腕を解き、カメラマンのように両手で作るフレームに天音を収めた。
「うーん。アリなんだけど『これじゃない感』もある……。地木隊長はどう思いますか?」
「んー?言われてみればそんな感じはあるよね。何かが足りないような……、あ!メガネはどうかなメガネ!」
彩笑の提案に対して真香は即座に指パッチンをして、
「それです!ということでメガネも足します」
自身が掛けているブルーライトカット用のメガネを天音にかけた。
「なんということでしょう。匠の手によって、一瞬で勉強ができそうな神音ちゃんが完成しました」
有名なリフォーム番組を真似た真香の言うように、いかにも勉強ができる雰囲気の天音が完成した。実際はそれなりにひどい成績の天音は返す言葉に戸惑うが、普段自分1人ならやらないであろう髪型を試してもらうこと自体は楽しくて、この時間は嫌いではなかった。
写真を数枚撮って2人が満足したことで、天音は元の姿に戻されていった。
「次真香ちゃんだけど、どんなの試すの?」
解いた天音の髪にゆっくり櫛をかけながら彩笑が真香に問いかけた。
「そうですね……。ハーフアップやってみようかなって思います」
「あれ?やってなかったけ?」
「そこまで難しくないので逆に……、って感じでスルーしてました」
「あー、そうかも」
「ええ。神音ちゃんはどう?いい?」
真香は一応天音に確認するが、
「はい。どうぞ」
天音は毎度のことながら迷うことなく答えた。
彩笑と真香は位置を入れ替えて、天音の日替わり髪型ショーが再スタートした。テキパキと手際よく進める真香を見て、彩笑は何気なく尋ねた。
「真香ちゃん毎回手際いいけど、もしかしてこういうのやったことある?」
「はい。私、妹がいるんですけど……、子供の頃はよくあの子の髪を結ってたんです。最近はあんまり触らせてくれないんですけどね」
「お姉ちゃん離れしたのかな?」
「んー、どうなんですかね?話す事自体減りましたし、そうかもしれません」
話しながらでも真香は手を止めずに、あっという間に天音のハーフアップは完成した。
その出来栄えを見た彩笑は脊髄反射に近い速さで、
「もうね、可愛い。もしこんなのでデートしに行ったら、神音ちゃんの彼氏は100%死ぬ。死因はキュン死」
褒めちぎって空想上の天音の彼氏を殺した。
どれどれと言った様子で真香も同じように確認すると、
「これは100%彼氏さん死にますね。そしてそれに気づいて駆け寄ってきてくれた見知らぬ一般人も死にます。集団キュン死です」
空想上の死者が増えた。
2人の言い分がオーバーだったため、流石に天音も今の自身の姿がどんなものか気になり、鏡が見える位置に移動しようとしたが、
「真香ちゃん!神音ちゃんを止めないと!」
「ええ、これはいくら神音ちゃんでも自分の可愛さに酔ってしまいます」
ふざけた事を大真面目に言う2人に止められて、自分の姿を見ることは叶わなかった。
三つ編みの時と同じで数枚の写真を撮ってから天音の髪を解いて、心拍が平常に戻ってから会話を再開させた。
「いやー、神音ちゃんのハーフアップの威力半端ないね」
「ですね。ここ1番の時ハーフアップにしたら、勝ち確です」
真香が天音の髪に櫛をかけながら言うと、天音はその独特なよく区切る話し方で問いかけた。
「和水さん、ここ1番の時って、A級昇格戦、の、こと?」
「えーと……、そっちでもいいけど、私としてはデートの時って意味で言ったよ。ハーフアップって、男子ウケいいみたいだし」
「んー……、そっか」
そう呟く天音は毎度のごとく無表情であり、彩笑も真香も彼女が心中で何を思っているのかは窺い知ることはできなかった。
天音の胸中を知る事を諦めた彩笑だったが沈黙することなく、新たな話題を放り込む。
「ところでさ、2人は彼氏とかいるの?」
その質問を聞き、天音と真香は2つの意味で戦慄した。
1つ目は、男子っぽいというか子供っぽい純粋さがある彩笑が恋バナに興味があったこと。
2つ目は、その質問に対する自身の答えがNOであったことである。
しかし2人はその心の揺らぎを表に出さない。天音は持ち前の無表情、真香は作り笑いで、それぞれ対応する。
「あはは、いませんよ」
「同じく、いない、です」
表面上は普段と変わらない2人の答えを聞き、彩笑は笑いながら、それでいてがっかりとした雰囲気を醸し出す。
「えー、残念。2人とも可愛いのに」
「ありがとうございます。でも、そういう地木隊長はどうなんですか?」
「どうって?」
「そういうお相手がいるんですか?ってことです。例えば、月守先輩はどうなんですか?とても仲良しに見えますよ?」
実に当たり障りなく滑らかに真香は反撃に転じた。天音は無言なのだが真香の言葉に賛同する形で頷いて援護射撃をしていて、連携はバッチリである。
しかし彩笑は2人がかりの攻撃を難なく笑顔で捌く。
「え?咲耶?無い無い。ボクと咲耶はそういうのにはならないよ」
焦った様子など全く感じさせずに答える彩笑を見て、真香は攻撃を畳み掛けることにした。
「やけにあっさり言い切りましたね」
「うん。だってさ……」
彩笑は少し考える仕草をしてから、真香の言葉に答える。
「ストーブって、あったかいじゃん?」
「え?はい」
「けど、あったかいからって近づきすぎたら熱いし、触ったら火傷しちゃうでしょ?」
「そう、ですね……」
「でも離れすぎちゃったら、寒いでしょ?」
「それは、まあ……」
一体彩笑は何を言いたいのか訝しみながらも、真香は会話を進めて、天音はそれを黙って聞き続ける。
「何事にもさ、丁度いい距離ってあるじゃん。近ければ近いほどいいってわけじゃないし、離れすぎてもダメ。ピッタリだなって、思える距離」
彩笑は両手を近づけたり離したりしながら言葉を紡ぐ。
「真香ちゃんは、ボクと咲耶の事を仲良しに見えるって言ったけど……、多分ボクらは、今のこの距離が1番丁度いい
その小さな両手を一度合わせてからすぐに交差させてバッテンを作った彩笑はいつになく真剣な表情で、
「だから、ボクと咲耶はそういう関係にはならないよ」
そう断言した。
「………」
「………」
彩笑の持論を聞いてず沈黙した2人に対して、彩笑はいつも通りの笑顔を見せて、
「まあそれと、咲耶と恋人らしいことをするのを想像できないっていうのもあるね!咲耶相手にときめく自信がない!」
何とも彩笑らしい理由を付け足した。
付け足された理由を聞き、真香は思わず苦笑し、天音も無表情ながらも雰囲気を柔らかくした。
「地木隊長、ぶっちゃけそっちの理由が本音じゃないですか?」
「まあね!最初の方がそれっぽい理屈で、後の方が感覚的な理由!」
「地木隊長、らしい、です」
一瞬でいつもの空気に戻った地木隊作戦室だが、そんな中で真香は、普段ならあまり出ない話題を放り込んだ。
「ところで地木隊長。月守先輩はそういう人いないんですかね?」
「咲耶に彼女がいるかってこと?」
「はい」
真香が言いたいことを確認した彩笑は、
「いないでしょ」
一考の余地なく断言した。
「そう、なんです、か?」
天音がそれに食いつくが、彩笑は笑顔でそれを否定する。
「だってボク学校のクラスも同じだけど、そういう話題出ないし」
「今も、昔も、ですか?」
「無いよ。噂も無いし、咲耶とそういう話題したことも無いし……」
言いながら彩笑は自身の中に生まれた1つの疑問を口にする。
「というかボク、咲耶の好みな女の子とか知らない!」
それを皮切りにして、地木隊作戦室では『咲耶はどんな子がタイプなのか予想しようよ選手権』が始まった。
十数分に及ぶディスカッションの結果、彩笑は、
「咲耶にそういう話が無いのは、好みの女の子が近くにいないから!だから咲耶のタイプは、戦闘とはまるで無縁な中身までお嬢様な子!」
と予想を立てて、真香は、
「でも、何だかんだ言って地木隊長が月守先輩と1番仲が良いんですし、地木隊長みたいに笑顔で月守先輩を振り回せるような人がタイプだと思います」
そんな予想を立てて彩笑をわずかに憤慨させて、最後に天音が、
「もしかしたら、そういうのが、無い……、とか、どうでしょう。好きになった人が、タイプな人、とか、言いそうな、感じ、します……」
半ば予想を放棄したような回答を下した。
そして全員の予想が出たそのタイミングで、月守が作戦室に帰還した。
「ただいまー。呼び出されたから何事かと思ったけど、研究室の片付けを手伝ってくれってだけだったよ。ちょっと前に買い出しに行ったみたいで、色んなチラシが散らばってた」
月守が不知火の頼み事についての内容を説明するが、3人はそれをきちんと聞いていない。とにかく答え合わせしたいという思いで一杯だったからだ。
3人が醸し出す普段とは異る雰囲気に月守は気付いたが、それが何なのかを確認するより早く彩笑が、
「ねえねえ!咲耶ってどんな子がタイプなの?」
突拍子の無い質問をぶちかましてきた。
月守としては出会い頭に相手が笑顔でホールケーキを投げつけてくるくらいに、突拍子がない状態だった。
「待って待って、そもそも何がどうなって彩笑はそういう事聞いてきたの?」
ひとまず現状を理解するべく月守が尋ねると、彩笑は「んっとね」と前置きをしてから事の経緯を説明し始めた。なお説明の途中で彩笑は『今日の作品』と題して天音の三つ編みとハーフアップの写真を月守に見せたところ、
「2作目すごいね。ランク戦で神音を応援してる人たちにこれ見せたら、何人か『可愛すぎる』って言って死ぬんじゃない?」
案の定、死人が増えた。
一通り説明を受けた月守は悩ましいと言わんばかりに腕を組んで首を傾げた。
「さて咲耶。というわけでどんな子がタイプ?どんな子見るとドキドキしちゃう?」
彩笑は嬉々として質問するが、月守は、
「どんな人がタイプかって聞かれても……、そういう目で人を見たことないからなんとも言えないんだけど……」
真面目にそう答えた。
月守の表情を見る限り彼が誤魔化したり嘘をついているのではなく素直に答えていることが彩笑は分かっているが、それでもその答えはとても面白くない。
「嘘でしょオイコラ」
思わず彩笑の口調が荒くなるが、月守は怯むことなく言葉を返す。
「嘘じゃないんだけど……」
「あーごめん、それは分かってる。……てか咲耶、そもそも女の子見て『可愛い!』って思ったことある?」
「んーと……こういうのが可愛いんだな、みたいな事を思うことはあるよ。さっきも彩笑が見せてくれた神音の写真見て可愛いというか、綺麗だなって思ったし」
「んあー、そっか。でも神音ちゃんだとボクら身内目で見ちゃうからノーカンで。神音ちゃん以外で誰かいる?あ、なるべく客観性が欲しいから、できれば芸能人!」
「質問がどんどん難しくなっていく……」
矢継ぎ早に放たれる質問を前にして、月守は軽く頭痛を感じ始めていた。
彩笑との会話で分かる通り、月守が口にする「可愛い」や「綺麗」には、特別な感情は込められていない。月守の中には10年以上の記憶が欠落しているせいなのか、彼が話す「可愛い」や「綺麗」にはそれ以上の意味はない。小動物を見て反射的に「かわいい」と言うのと大差ない。
しかし月守に……話し手にそういう意図が無くとも、聞き手が話し手の思う通りに言葉の意味や本質を受け取るとは限らない。
結果、月守が言う「可愛い」や「綺麗」が自分に向けられたものであると自覚した天音は無言ながらも、心の中は、
(かわいいって、言ってもらえた……!)
純粋な嬉しさで一杯であり、普段の無表情をあっさり瓦解させて赤面していた。漠然とはしているが月守に対して淡い恋心を抱く天音にとって、たとえ深い意味が無くとも「可愛い」や「綺麗」という言葉が持つ力はとても大きかった。
地木隊入隊以来初めて見せた天音の無表情以外の表情なのだが、当の本人が他の3人から顔が見えない角度を向いて赤面しているため、残念ながら誰もその事実には気付かない。
月守は彩笑からの質問から一旦逃げるため、逆に質問を繰り出した。
「というか、そういう彩笑はどんな人がタイプなの?」
「ボク?とりあえずイケメン!」
「顔かよ」
「顔カッコいいのに越したことなくない?」
「否定はできない」
「でしょー?」
楽しそうに話す彩笑を見て、月守は今、思いついたことを呟いた。
「……彩笑さ、俺らが夕陽隊だった時の『ルパン事件』覚えてる?」
「覚えてるよー。不知火さんが『トリオン体の性能を最も効率よく発揮できる体格』があるはずだって仮定して……、その中の実験の1個で、他の人のトリオン体を操作してみようってやつだったよね。夕陽隊みんなで、トリオン体を取り替えっこしたやつ!」
「取り替えっこっつーか……、お前と夕陽さんと不知火さんが、俺のトリオン体になっただけなんだけどな……」
「まあね。でも、あれは楽しかったー!咲耶の目線の高さから見る世界がすごい新鮮だった!」
満面の笑みで話す彩笑だが、その実験には続きがあった。
イタズラ好きな彩笑と夕陽は外見が月守であることを利用して、普段の月守ならやらないことを他の隊員に目撃させて楽しみ、不知火はそんな2人が騒ぎを起こした後の現場に月守の姿で現れ、
「今ここに俺が来ませんでしたか?」
「そいつがルパンだ!バッカモーン!」
と言い残すという遊びをしていた。後々、当然のように3人は忍田と鬼怒田と白金に怒られた。
一通り事件のあらましを思い出した彩笑は「で、それがどうしたの?」と月守に問いかけた。
「ほら、トリオン体って基本的に生身と同じサイズと外見で作るじゃん」
「結局それが使うのに1番違和感ないし、外見違いすぎると他の人が見た時に混乱するもんね。それで?」
「諸々の理由で生身と同じ姿を再現してるけど、別にその辺いじれないわけじゃない。つまり……」
「つまり?」
月守は一拍置いてから、至極真面目な表情で言った。
「やろうと思えば彩笑の理想のイケメンのトリオン体データを作ることって可能なんじゃない?不知火さんあたりなら『面白そう』って言って協力してくれると思うぞ」
「咲耶天才じゃん!早速作ってくる!」
月守の提案を受けた彩笑は戦闘時さながらな速度で作戦室から姿を消して、不知火の研究室へと急行した。
半分冗談のつもりだった提案を褒められた月守は苦笑した。
「……作ったトリオン体データ、誰に使わせるつもりなんだろう?」
「多分地木隊長、誰にも使わせないと思いますよ?」
「真香ちゃん、その心は?」
「私キャラメイクできるゲームで似たようなことやりましたけど、どうしても細部が思った通りになりませんし、何より自分の理想の外見が戦闘でボコボコにされるのを見ると忍びないんです」
「なるほどね」
真香の言い分に納得した月守に、天音が淡々とした声で問いかけた。
「でも、月守先輩、地木隊長の質問、うまくかわしました、ね」
「んー、まあね。正直、この手の話題は苦手だから」
苦手なのを隠すように頬を掻く月守を見て、真香は質問した。
「男子って恋バナしないんですか?」
「人によるんじゃない?少なくとも俺の周りじゃ、そういう話題にはあんまりならないし……」
「あんまりってことは、ゼロじゃないんですね?」
「……まあ、そうだね。でもアレだよ?恋バナとかじゃなくて、『女子隊員で誰が可愛いと思う?』とか、そんな感じの話だからね?」
「あー、男子っぽいですね。ちなみに誰が人気ですか?」
「隊員の人とこの話題になると人気は分かれるけど、隊員じゃない人と話せば知名度がある絢辻先輩がダントツで人気」
少し考えれば分かる答えだったので、真香は無駄な質問をしたなと少し悔やんだ。
その間、黙って会話を聞いていた天音が、ふと疑問になったことを尋ねた。
「あの……、ちなみに、月守先輩は、その話題になった、時、なんて答えて、ます、か?」
何気なく質問した天音に、真香は心の中で『ナイス!』と叫んだ。
だが、天音の質問に対して月守が答えようとした瞬間、明るい曲調のメロディーが、作戦室に響き渡った。
その電子音に心当たりがあった月守は、素早くポケットに手を伸ばしてスマートフォンを取り出した。
「彩笑、どうした?」
メロディーの正体は月守のスマートフォンに設定されていた彩笑からの着信音だった。
『あ、咲耶?迷ったから助けて!』
「また迷子か。いい加減本部の中の地図くらい覚えれば?」
『ごーめーんー!とりあえず助けて!』
未だに本部内で迷子になる彩笑を情けなく思いながらも、月守は彩笑の現在地を聞き出して、電話を切った。
「えー、緊急事態です。我らが隊長が今週3回目の迷子になりました」
「わかりました。他の方に見つかって迷子だとバレて泣いてしまう前に、救出しに行きましょう!」
迷子の彩笑を助けることにノリノリになる真香に月守は彩笑の現在地を伝えたが、
「しかし残念なことに、救助対象者の情報伝達能力はとても低い。『今ね、どこかの階の通路の曲がり角にいる!』程度の曖昧な情報しか受け取れなかった。しかしそれらを照らし合わせた結果、なんとか三箇所にまで位置を絞り込めた」
完全な補足ができておらず、チームは散開を余儀なくされ、
「まあそんなわけだから、三箇所にそれぞれ1人ずつ行って、彩笑と合流した人がそのまま不知火さんの研究室に連れてくってことで」
月守のざっくばらんな指示のもと、3人は彩笑を捜索するために作戦室を出て行った。
作戦室を出て5分経ったところで、月守のスマートフォンが再度メロディーを奏でた。
『あ、月守先輩ですか?たった今、迷子になってた地木隊長見つけました!』
「ん、了解。じゃあ悪いけど、そのまま不知火さんの研究室まで連れて行ってくれるかな?」
『はーい』
目的を果たした月守は来た道をゆったりとした足取りで戻り始めた。
作戦室にたどり着く途中で、同じように捜索から戻ってきた天音と合流した。目が合った途端早足で駆け寄ってきた天音に、月守はやんわりとした笑顔で話しかける。
「俺たち、無駄足になっちゃったね」
「はい。でも、よかった、です」
「まあ、そうだね。無事に迷子の彩笑は見つかったし」
月守が苦笑しながら言うと、天音はどことなく気まずそうに口を開いた。
「それも、そう、ですけど……。その、不知火さんの、ところに、私が行かなくて、よかった、です」
「うん?どゆこと?」
不思議そうに月守が尋ねると、天音は少し躊躇ってから、
「その……。不知火さん、スキンシップが、ちょっとだけ、激しく、て……。あと、たまに、ちょっと恥ずかしい、質問、してくる、ので……」
不知火がセクハラをしてくるという事実をカミングアウトし、それを聞いた月守が、
「うちの母が申し訳ない」
身内の恥を謝罪した。
それから2人はのんびりと歩いて作戦室に向かった。天音は自分のペースで歩きながら、隣に並ぶ月守に視線を合わせる。
「地木隊長、どんなお顔、作るんですかね?」
「さあ、そればっかりは見てのお楽しみ……、だけど、彩笑がそもそも見せてくれるかってところはあるね」
「そう、ですね」
見たいなぁ、と呟く天音を見て、月守は穏やかな声で問いかけた。
「ちなみに、神音はそういう人いる?」
「ふえ…?えっと、好きな人の、タイプ、ってこと、です……か?」
「うん、そう。それか、シンプルに好きな人とか」
何かを観察する時に見せる、瞳の奥から来る鋭い月守の視線を見て、天音は彼が純粋な興味から質問していることを察した。
しかしその質問の答えに、天音は迷う。
一度月守から視線を外した天音は、どう答えようか考え込んだ。
天音神音は月守咲耶を好いている。それは紛れもない事実なのだが、天音もその好きがどういう『好き』なのかを判別しかねていた。天音は月守に対する好意を、彩笑や真香に対する仲間としての好きや、母親や従姉妹に対する家族としての好きとは異なるものだと断言はできた。だがその先は天音自身にも分からない。異性としての好きなのか、尊敬する人としての好きなのか、それともまた違う好きなのか。
「……んー、難しい、ですね……」
その好きがどういう好きか天音も分からなかったから、月守の質問にどう答えようかと迷った。天音もまた、自分がどういう異性を好きになるのか、まともに考えたことがなかった。
安定の無表情で感情を全く表現しない天音は、そのまましばらく悩んだ。
でもそれでも。
どれだけ悩んでも。
どういう好きなのか分からなくても。
天音が好きだと思える異性は、月守しかいなかった。
天音が誰かと一緒にいる時、うるさいと思うほど心臓が脈打ってしまう異性は、月守咲耶だけなのだ。
だから天音は思い切って、
「……えっと、その……」
貴方が好きですと、伝えてみようと思った。
不意に足が止まった天音に合わせて、月守も歩みを止めて、その言葉を待った。
天音の心臓の脈音は月守に想いを伝えようと思ったその瞬間から一際大きく脈打ち、無表情の下にいつも以上の緊張が走る。
天音はゆっくりと月守に視線を合わせてから、無意識にその小さな両手にぎゅっと力を入れて握りしめた。
「……私の、好きな人、は……」
そしてひどく躊躇ってから、天音は勇気を振り絞った。
「月守先輩……
みたいな、優しい人が、好きです」
だが告白は失敗した。
言葉にするまでは良かったが、言葉にしたその瞬間から、羞恥心にも似たなんとも言い難い気恥ずかしさが湧き出して、天音はそれに耐えられず、告白の後に急いで言葉を付け加えた。
月守が少しだけ驚いた表情を見せる中、天音は何かを言われてしまう前に、慌てて言葉を積み重ねる。
「えっと、その……、私の好きな人、は……、月守先輩みたいに、優しくて、地木隊長みたいに、笑ってくれて、和水さんみたいに、落ち着いてる、人……、です」
かなり苦しいが、天音はなんとか意見を形にした。
急ごしらえで作った理想像だが、決して嘘ではない。ひどい人よりなら優しい人の方が好きだし、怒りっぱなしだったり笑ってくれない人よりなら笑ってくれる人がいいし、不安を煽るような人よりなら落ち着いてくれている人の方がいい。
天音の間違ってはないが正確性に欠ける好きな異性像を聞いた月守は、顎に手を当てて少し考える素振りを見せた。
「優しくて、笑ってくれて、それでいて落ち着きがある人ってこと?」
「あ、はい。そう、です。その……、そういう人と、一緒にいられたら、幸せかなって、思います」
告白(まがいの事)に触れずに話してくれたことで天音は安堵するが、しかしそれはそれで月守の中で告白がどういう風に処理されたのか少しだけ不安になる天音だった。
天音の小さな不安をよそに、月守はゆっくりと歩みを再開させて、天音がそれについてきてくれたのを見てから言葉を紡いだ。
「そっか。いつかそういう人が見つかるといいね」
それを聞いた天音は、「もう見つけてます」と答えかけたが、その言葉は口にせずに生唾と共に飲み込み、
「はい」
ただそれだけ、答えた。
それからしばらく無言で歩いた2人だが、作戦室を目前にして、天音は少し思い切って問いかけた。
「……あの、月守先輩。1つ、聞いても、いいです、か?」
「ん?何?」
なんでも聞いてと言わんばかりの穏やかな声とやんわりした笑顔で、月守は天音の質問を受け入れる。
「その……、正確じゃ、なくても、いいですし……、嫌だったり、分からなかったら、言わなくても、いい、ので……」
拒絶されないようにと願いを込めて、天音は尋ねる。
「月守先輩は、結局……、どんな人が、好き……ですか……?」
「……」
質問の内容を理解した月守は、考え込むように視線を上に向ける。
「……」
天音は答えてくれますようにと願いながら、月守の言葉を静かに待つ。
そして、
「……必ずってわけじゃないんだけど」
月守は左手で口元を隠してそう前置きをしてから、
「ショートカットが似合う人を見た時、可愛いって思うことがある……、かな?」
一音一音選んだような丁寧な言葉で、天音の質問に答えた。
「……ショートカット、ですか?」
言いながら天音は、無意識に自分の長い黒髪に触れた。
「うん、そう。必ずじゃないけどそう思うかな、くらいなんだけど……。んー、例えばね。それぞれロングとショートが似合う綺麗な人がいたとして、どっちを可愛いと思いますかって聞かれたら……、多分ショートの方選ぶかな?……って感じなんだけど……」
そこまで言った話したところで、月守はロングヘアの天音が誤解しないように、慌てて言葉を追加した。
「あの、その…!ロングの神音が可愛くないとかじゃないから!あくまで俺がそう感じるってだけで……、ロングが似合ってる神音もすごく可愛いと思うし、俺は好きだよ!」
慌てたせいか口調がいつもより強くなった月守は、すぐに自分が天音に面と向かって色々言ったことに気づき、思わず右手で自身の両目を隠して、
「……ごめん、神音。なんかちょっとテンパって、色々言っちゃった……」
申し訳なさそうに、そして何より恥ずかしそうに謝罪した。
それに対して天音は、
「えっと……、大丈夫、です。その……、き、気にしなくて、いいと、思います……」
返す言葉こそいつも通り淀みない平坦な口調だが、その表情は嬉しそうに緩み、そして誰がどう見ても「赤」と答えるほどに気恥ずかしさで真っ赤に染まっていた。
時間をかけて落ち着いた2人が作戦室に戻ると、また月守のスマートフォンが鳴った。
「もしもし?」
完全にいつもの口調に戻った月守が電話口に言うと、向こうからは楽しそうな声色が返ってきた。
『咲耶、地木ちゃんにずいぶん面白い事を吹き込んだね』
電話をかけてきた不知火の言葉から、月守は2人が無事に研究室にたどり着いたのを察して、そっと胸をなでおろした。
「半分くらい冗談だったんですけどね。迷惑でしたか?」
『いや、全然。地木ちゃんの理想のイケメン作成を見てるのはとても面白いよ。なかなかに理想が高い』
クックッと喉を鳴らして笑う不知火に倣って、月守も小さく笑った。
『ああ、それで咲耶。1つ頼みがある』
「なんですか?」
『急なんだが、今日は一度家に帰る。そんなに遅くならないはずだから、晩御飯はワタシに任せてくれるかい?』
「わかりました。カレーの材料、買っておけばいいですか?」
『助かる。ではでは』
そう言って不知火は通話を切った。
「電話、不知火さん、ですか?」
スマートフォンをポケットにしまうと、天音が月守の瞳を覗き込むようにして見ながら話しかけた。
「そう。2人とも無事に着いて、早速作ってるってさ」
「よかった、ですね。それで、あの……、月守先輩、これから買い物、ですか?」
「んー、そうだね。今日はもうランク戦終わったし……、夜の部観たいけど、今日は仕方ないや。これから買い物行って、その足で帰るよ」
「わかり、ました」
テキパキと持ち帰る私物をバッグに詰めて、月守は帰り支度を手早く整えた。
「じゃあ神音、お疲れさま」
「お疲れさま、でした。あの……、また、明日」
「うん、また明日」
どこか名残惜しそうに見える天音に手を振った月守は作戦室を出ようとして扉に手をかけたところで、1つ、忘れていたことを思い出した。
「不知火さんのとこからもらったチラシ、片付けてないや」
「大丈夫、です。私、片付けます」
「あー、なんかごめんね」
「いえいえ。気にしないで、ください」
「うん、ありがとう。じゃあ、それだけお願いね」
そう言って月守は、今度こそ作戦室から出て行った。
1人残された天音は、頭半分ぼんやりしながら、テーブルに残されたチラシを一枚一枚目を通した。市内のスーパーや家電量販店から個人経営と思わしき手作り感のあるものなど、様々なラインナップであった。
(……不知火さん、なんでこんなに、チラシ、溜め込んだんだろう……?)
髪の毛の先を右手でいじりながら、天音はチラシを読み進める。と言っても天音は物欲も薄く、これといって欲しいものや興味が惹かれるものは無かった。
ただチラシに目を通していただけの天音の手が、不意に止まった。
(……?店名の英語、よめない……、Pho…なんとか、ライト?……美容室、みたい、だけど……。あ、しかも、明日開く、新しいお店、なんだ……)
その手にあったのは、他のものより一回り小さなチラシだった。店名、連絡先、最低限の説明、店の場所のみが描かれた、余分な情報が限りなくゼロのチラシ。正直、広告としては出来栄えが限りなく低いものなのだが、今の天音はそれにひどく惹きつけられ……、気づけば天音はスマートフォンを手にとっていた。
ここから後書きです。
個人的に美容院とか床屋さんでの思い出は、髪を切ってもらってる時に雑談してたら、テレビで流れてた銀魂から「髪を切ってもらってる時の会話は世界一下らない」みたいタイトルコールが聞こえてきた事ですね。
あの瞬間は時止まりました。