風が吹く。
飄々と、咽び泣く様な声を上げて風が吹く。
風が吹く度に木々は悲鳴を上げる様にざわめき、その葉を散らす。
不気味に変色したそれは風に乗り、地へと舞う。
舞ったその先にあったのは、小さな集落。
だが、そこにあるべき人々の生活の音は、今はない。
聞こえるのは、呻き。
そこに住む人々が、その地に住む動物達が、倒れ、もがきながら漏らす苦しみの呻き。
そんな、地獄の如き様相の集落の道端に、一人の少女が倒れていた。
頭の後ろで纏められた緑色の髪。身に纏ったカーキ色のローブが土埃に塗れている。
少女は苦しげに咳き込みながら、何かを求める様に右手を伸ばす。血の気の失せた唇が、戦慄く様に言葉を紡いだ。
「・・・ウィン・・・」
その言葉を最後に、少女の手はパタリと地に落ちた。
―1―
その日の朝、魔法族の里立ミナコ魔法専門学校の寮はいつも通りの喧騒に包まれていた。
「ふにゃあ~、皆、おはよ~。」
「おはよ~、じゃねえよ、ウィン!!遅い!!ほら、そこに朝飯用意してあっから、さっさと食っちまえ!!」
寝ぼけ眼のウィンに向かって、エプロンを着けたヒータが怒鳴る。
怒鳴りながら、片手でフライパンに乗ったパンケーキを器用に返す。
「こら、エリア!!顔作りなんざ後にして飯食え飯!!また遅刻してお仕置き喰らいてぇのか!?」
言葉とともに、ポーンと宙に舞うパンケーキ。それを皿を構えたギゴバイトが見事にキャッチし、化粧に余念のないエリアの前に置く。
『ヒータさんの言う通りだよ。そんなの後にして、さっさと食べちゃいなよ?』
「何言ってんのよ。身だしなみは女にとって最重要事項よ。寝癖のついた起き抜けの顔そのまんまなんて、見せられるもんですか!!」
顔にパシャパシャと化粧水などつけながら、エリアが言う。
『何言ってんの。そんな念入りにお化粧したって、どうせ見るのは他の霊使い皆か使い魔僕達くらいのもんじゃない。」
その途端、エリアがギッと射殺しそうな目でギゴバイトを睨む。
『な、何さ・・・?』
「何でもないわよ!!」
ことのほか不機嫌そうに言うと、エリアはグサリとフォークをパンケーキに突き刺した。
「あー、なにするですか!?かえすですー!!」
唐突に飛んできたのはライナの声。
見れば、シロップの小瓶を持ったダルクにライナが絡みついている。
「駄目だ!!」
「なんでですかー!?ヒータちゃんのパンケーキは、バターとシロップをたーっぷりぬるのがおいしいんですー!!」
「駄目だって言ってんだろ!!ついこの間、虫歯でリリー先生のお世話になったばかりだろうが!!」
「あれはもうなおりましたー!!いいからはやくシロップわたすですー!!」
「しつこい!!」
「あーもう、うっせぇな!!いいから、黙って食え!!」
こんがりと焼けたソーセージを、ボウルいっぱいに敷いたサラダ菜の上に乗せながら三度怒鳴るヒータ。
「いやあ、今日も皆、元気だねぇ。」
そんな喧騒から一歩引いた場所で、面白そうに皆を眺めているのはアウス。
もう自分の分の食事は終えたらしく、空の皿を前に優雅にカプチーノなど嗜んでいる。
「おいコラ、アウス!!手ぇ空いてんなら手伝えよ!!」
「いやぁ、ヒータ女史。料理の腕前はとても君には及ばないよ。下手に手を出して、邪魔になっても悪いしね。」
ヒータの声も何処吹く風で、乳白色の泡をすする。
「お、お前なぁ・・・」
ぶつくさ言いながらも、ヒータの手は止まらない。
立派なものである。さぞかしいい主婦になる事であろう。
―と、
ココンッ
「!?」×12
突然響いた音に、全員の視線が集まる。
「何だ?今の音。」
「窓の外からの様だね。」
言いながら、窓を開けるアウス。
「おや?」
彼女としては珍しい、戸惑った様な声。
それに釣られる様に、残りの面子も窓から顔を出す。
そこには、地に伏すモンスターが1頭。
犬に似た姿。緑の毛に覆われた身体を甲冑で包んだそれは、地べたの上でプルプルと微かに震えている。
先の音は、彼が窓を叩いた事によるものらしい。
「・・・見慣れねぇモンスターだな・・・。この辺にいるやつじゃねぇよな?」
首を傾げるヒータ。
「いや・・・。このモンスターは・・・」
アウスが何事かを言おうとしたその時、
「ああ!!」
不意に響いた声が、皆を飛び上がらせた。
声の主はウィン。
その手に齧りかけのソーセージを刺したフォークを持ったまま、瞬きもせずにモンスターを見つめている。
かと思うと―
「ザッくん!!」
そう叫んで、窓から飛び出した。
「ザッくん、ザッくん、しっかりして!!」
モンスターの頭を抱え、必死に声がける。
「ザッくん?」
「ウィンちゃん、しりあいですか?」
困惑する皆。
と、些か調子の違う声が響く。
「ザッくん・・・。やっぱり、『ガスタ・ザンボルト』かい?彼は。」
問うアウス。
ウィンは緑のモンスター、ザンボルトの頭を抱えたまま頷く。
「・・・“ガスタ”?」
その言葉に、ダルクの眉根がピクリと動く。
「おい、ガスタって言ったら・・・」
「ああ。」
アウスが頷く。
「北の方向、氷結界の少し手前。ミストバレー湿地帯に居を構える、原住民族・・・。」
眼鏡の奥の眼差しが、地面で緑の獣を抱く級友を映す。
「ウィン女史の、一族・・・いや、家族だよ。」
皆の表情に、緊張が走る。
目の前に横たわるザンボルトの様子は、只事ではない。
それは、彼の来た場所に何かの災厄が起こった事を如実に表していた。
「とにかく、リリー先生の所へ連れて行こう。」
あくまで冷静なアウスの言葉。
皆は、それに従うしかなかった。
「これで、取り敢えずは大丈夫。」
学校医のリリーの言葉に、皆は安堵の息をついた。
「ザッくん・・・良かった・・・。」
治療台に横たわるザンボルトの頭を、ウィンは再び胸に抱く。
「けっきょく、なんだったんですか?せんせい。」
ライナの問いに与えられた答えは、酷くあっさりしたものだった。
「”毒”ね。」
「・・・毒?」
「ええ。それも普通の毒じゃない。魔力で構成された毒だわ。」
ピクリ
その言葉に、エリアの肩が微かに揺れた。
「・・・魔力で構成って、どういう事・・・?」
エリアが問う。
その声音を、微かに震わせながら。
「魔法と同じ構成原理を持つって言う事よ。簡単に言うと、魔力を使って魔法を構築する代わりに、毒を構築したって事。」
「そんな事、出来るのかよ?」
「勉強不足ね。『ポーション』の類とか、『ご隠居の猛毒薬』とか、あるでしょう。あれらの魔法薬なんか、その典型よ。もっとも・・・」
言いながら、リリーはザンボルトの毛皮を撫でる。
「この子を侵してた毒は、”特別”みたいだけど・・・」
「特別?」
「気管及び、肺等の呼吸器官に重大な罹患が見られたわ。多分、毒の状態は気体・・・毒ガスって事ね。」
「毒ガス?」
それを聞いたアウスが、小首を傾げる。
「妙ですね。ボクの知る限り、そんなものを生み出す術式なんてなかった筈ですが?」
「公にはね・・・。」
潜める様な声で、リリーは言う。
「魔法の可能性は無限大よ。公に存在が認められているものだけとは、限らない。各地の原住民族や一族、組織だけが保有する”秘術”と言う可能性もあるわ。」
「秘術・・・。」
その単語を反芻する様に、呟く者がいた。
「エリアちゃん・・・?」
その者―エリアの様子がおかしい事に気がついたライナが声をかける。
「どうしたですか?おかおがまっさおですよ?ぐあいでもわるいですか?」
「・・・何でもない・・・。」
「でも・・・」
「何でもないってば!!」
不意に荒げられる口調。
皆の視線が、それに集まりかけたその時―
「ザッくん!!」
響いた叫びが、皆の意識を引き戻した。
見れば、意識を取り戻したザンボルトが、クンクンと鼻を鳴らしながらウィンに擦り寄っていた。
「ザッくん・・・。良かった・・・。ホントに、良かった・・・。」
涙声でザンボルトを抱き締めるウィン。
と・・・
パチ・・・
不思議な音が、室内に響く。
パチパチ・・・パチ・・・
ザンボルトが、額に頂く一本角。
それが、パチパチと帯電する様に光を放っていた。
「お、おい。何だよ?これ・・・」
ヒータが、慌てた様に声を漏らす。
しかし、ウィンは何かを悟ったかの様にザンボルトの瞳を見つめる。
「・・・何か、伝えたいんだね?」
呟く。
肯定する様に鼻を鳴らすザンボルト。
「・・・分かった。」
そう言って、火花を散らす角に己の額を当てる。
「え、ちょ、だいじょうぶなのですか?」
「心配ないよ。」
思わず手を出そうとしたライナを、アウスが止める。
「でも、ほら、あんなバチバチーって・・・」
「あれは放電じゃない。サイキック・エネルギーだ。」
「さいきっく・・・?」
ポカンとするライナに、アウスは説明を続ける。
「ガスタの系統は、サイキッカーだ。当然、属するモンスター達もその能力を持っている。」
「へ?でもウィンちゃんは・・・」
「
「ふぇ~。それじゃ、あれは・・・」
「ああ、
そんな二人の会話も、今のウィンには届かない。
意識を深く集中し、ザンボルトの精神と同調させる。
(教えて・・・。何が、あったのかを・・・)
やがて、無へと達した意識の中に何かの映像が浮かび始める。
ザンボルトの記憶が流れ込んでいるのだと理解する。
その瞬間、
そう。
紛う事ない、地獄の光景となって。
ガタンッ
唐突に響いた音に、場の全員が驚いた。
否。それは正確ではない。
皆が驚いたのは、その音を立てた張本人。
―ウィン―
その様子に、驚いたのだ。
いつも華の様な笑顔に飾られている筈のその顔。
それが今、真っ青に青ざめて色を失っている。
見開いた目の瞳孔は何か恐ろしいものでも見たかの様に縮まり、カラカラに乾いた唇がプルプルと怯える様に震えている。
震えているのは、唇だけではない。
その小さな身体も、瘧に罹った様にガタガタと震えている。
「お・・・おい。どうした?」
急に立ち上がった彼女の有様に当惑しながら、ヒータが問う。
けれど、返事はない。
代わりの様にその口から出たのは―
「・・・リリー先生・・・」
「・・・何ですか?」
「ザッくんの事、お願いします!!」
言うやいなや、窓に向かって走り出す。
バタンッ
大きく響く音。
ほぼ同時に、開いた窓から飛び出すウィン。
「お、おい!!」
「どうしたですか!?」
皆が慌てる中、一人全てを察した様な顔でアウスが問う。
「・・・行くのかい?」
コクリ
地面に降り立ちながら、無言で頷くウィン。
「分かった。先生にはボクから言っておく。」
「ありがとう、アーちゃん。」
そう言うと、ウィンは右腕を振る。
瞬間、広い袖口から滑り出る杖。
それを手に取ると、流れる様な動きで地面を突く。
「来て!!うぃっちん!!」
途端、巻き起こる暴風。
舞い散る羽とともに現れたのは、紺色の羽毛にその身を包んだ巨禽。
ウィンのしもべの一体、『ウイング・イーグル』。
雄叫びを上げる“それ”の背に、ウィンは一時の間をも惜しむ様に飛び乗る。
と、それを追う様にウィンに飛びつく小さな影。
ウィンの使い魔、プチリュウが彼女の腕に絡みつく。
「ぷっちん!!危ないから、キミはここで待ってて!!」
『いやだ!!僕も行く!!』
「ぷっちん!!」
プチリュウを睨みつけるウィン。しかし、プチリュウも負けずに睨み返す。
しばしの間―
折れたのは、ウィンの方だった。
「危ないよ?」
『分かってる!!』
「死んじゃうかもしれないよ?」
『大丈夫!!僕がウィンを守るし、僕も死なない!!』
「・・・分かった。行こう!!」
言葉とともに、ウィンがウイング・イーグルの背を叩く。
「ウィッチン、お願い!!」
キィエェエエエエエッ
それに応える様に一声鳴くと、ウイング・イーグルはその巨翼で空を叩いた。
凄まじい風とともに舞い上がる巨体。
そしてウイング・イーグルは、ウィン達を乗せて東の方角へと舵を切った。
見る見る遠ざかるその姿を、皆は呆然と見送る。
「何だよ・・・?どういう事なんだよ!?」
ヒータが、我に返った様にそう叫ぶ。
「どうもこうも、見ての通りさ。」
淡々と答えるアウス。
「見て分かんねーから、聞いてるんだろ!?」
「分かってるんじゃないのかい?」
胸倉を掴む勢いで詰め寄ってくるヒータに、しかしアウスはそう言って後ろを指差す。
その先には、今だ力なく治療台に横たわるザンボルトの姿。
「彼の様子を見れば、
眼鏡の奥で、細まる眼差し。
「一族の、存亡に関わる様なね・・・。」
その言葉に、皆が息を呑む。
「マジかよ・・・!?」
「そんな・・・!?」
突然の事態に、出るのは困惑の声ばかり。
だからその時、誰もが気付かなかった。
その場にもう一人、ウィンと同じ目で彼女が飛び去った空を見つめる者がいる事を・・・。
続く