―30―
―そこに、絶望が立っていた。
青銅色の肌。
見上げる程に巨大な体躯。
筋骨隆々とした4本の腕。
悪魔の羽の如く広がる大鰭。
そして、凶気の宿る形相から天を突く二本の豪角。
奈落の様な洞穴に、無数に並ぶ鋭い歯牙。
ゴォルゥアァアアアアアアアアアッ
響き渡る咆哮が、世界を揺らす。
その場にいる者は皆、ただ呆然とそれを見上げるしかなかった。
「お・・おお・・・あれは・・・あれは!!」
突如現れた巨人の姿は、距離のある療養所からも容易に見て取れた。
村人達がざわめく中、ムストは戦慄に身を震わせる。
「まさか、あれは・・・」
戦慄く唇が、言葉を紡ぐ。
その名が、頭の中で反鍾する。
「”イン・・・ヴェルズ”・・・」
こぼれた声音は、絶望の色にと染まっていた。
かの地に古く、伝わる存在がある。
ある時代。
”彼ら”はこの地へと現れた。
不運な偶然だったのか。
それとも、愚かな導きでもあったのか。
それは分からない。
ただ、こことは異なる世界よりまろび出た。
それだけは、確かな事。
”彼ら”は、貪欲だった。
地に住まう、あらゆる命を手当たり次第に狩り、喰い漁った。
動物も。
植物も。
人間も。
モンスターも。
果ては、己らの同族でさえも。
それは絶望の体現であり、滅びの担い手だった。
当時の人々は、恐怖に焼け付く声帯で、”彼ら”の事をこう呼んだ。
『
そして今、伝承を知る神官も、恐怖にひりつく喉でその名を紡ぐ。
「馬鹿な・・・。
・・・地の住み人達が、ただ餌となる事をよしとする筈もなかった。
彼らは種族を超えて手を組み、武器と術をもってかの脅威に立ち向かった。
しかし、相手は余りにも強大かつ凶悪だった。
同胞は次々と喰われ、世界は暗黒へと染まっていった。
そして、捕食者達の爪が最後の希望を摘み取ろうとしたその時―
奇跡は起きた。
突如として天を降り下った流星群。
それから散り落ちる、光の粒子。
舞い降りたのは、星の聖騎団と機械仕掛けの天使達。
星光の剣に貫かれた悪魔達はその身を散じ、精巧なる神律によって魂を次元の狭間へと幽閉された。
かくて、悪夢の刻は終焉を告げる。
残された希望の種達に己らの欠片を分け与え、星の使徒達は姿を消した。
世界に神話を。
希望に未来を。
久遠に託して―。
「何故・・・何故それが・・・」
目の前の現実を、せめて夢へ変えようと、ムストは幾度も目をこする。
しかし、幾ら望もうとそこにある世界は変わりはしない。
彼は、熱病に侵された様に呟き続ける。
「・・・いかん・・・。そやつと、戦っては・・・。逃げろ・・・。逃げてくれ・・・!!」
微かな風に乗る願い。
それを、凶魔の王の叫びが無慈悲にかき消した。
グゥフルルルルル・・・
地鳴りの様な唸りを上げながら、巨人―イビリチュア・ジールギガスが地べたを睥睨する。
その様はまるで、最初の獲物を物色する様にも見える。
そして―
「来るぞ!!」
誰かが叫んだ。
次の瞬間、
ゴワッ
迫る、巨大な爪。
狙われたのは、動きの鈍かったアウス。
「「させぬ!!」」
ギガスの手が彼女を鷲掴みにする瞬間、咄嗟にアクアマリナが氷壁を張る。
しかし、
メキメキ・・・バリ・・・
「「何!?」」
響く、驚愕の声。
マインドオーガスの攻撃すらものともしなかったそれが、爪先が触れただけでひび割れた。
「危ない!!」
「「マリナ!!」」
ガルドスが風矢を。ルビーズが炎閃を放つ。
ガゥンッ
鈍い音とともに大気が弾け、ジールギガスの腕を揺らす。
その隙にアクアマリナはアウスを抱え、手の下から転げ出る。
一瞬の後、氷壁は粉々に砕け散り、ジールギガスの爪が地を抉る。
ガルドスとルビーズ。二者の攻撃が直撃した筈の腕には、傷一つついていない。
グフルルル・・・
目の前の前菜を攫われたジールギガス。
不機嫌そうに唸ると、次の標的を邪魔をした”小鳥”へと向ける。
グワッ
4本の腕が、ガルドスを囲い込む様に宙を滑る。
「速い!?」
その動きを注視していた筈のウィンダ。
しかし、彼女の予想を上回る動きで腕は迫る。
「―――っ!!」
必死に羽ばたくガルドス。
その尾羽根に、鋭い爪がかかる。
悲鳴を上げるガルドス。
そして―
グラリ
ジールギガスの巨体が、急に傾いだ。
見れば、その片足にガガギゴとスフィアードが組み付いている。
【んっぎぃいいいい!!おっもいわねぇ!!このデカ物―――っ!!】
「デカ物なのはアンタも一緒だろ!!グダグダ行ってないで、もっと踏ん張りな!!」
【んなっ!?何て事を!!二人の愛の結晶を、こんな化け物と一緒にするなんて――っ!!】
【ケンカしてる場合じゃないだろ――!?】
ギャアギャア言いながらも、組み付く腕に力を込める二人。
グググッ
ジールギガスの足が、微かに浮く。
【リーズさん!!今―――っ!!】
「おっしゃあ!!」
瞬間、ギガスの足と地面の間に展開する『
「よし!!離せ!!」
【あいよ!!】
同時に飛び退く二人。
落ちる足。
ジールギガスの体重が
ガゥンッ
その重量に等しい反動が、ジールギガスの身体を弾き飛ばした。
ズズゥウウンッ
地鳴りの如き振動と共に、仰向けに倒れ込む巨体。
「!!、勝機!!」
今の隙に爪から逃れていたガルドスが、鋭く旋回する。
「「正しく!!」」
ルビーズも戦斧に紅蓮を纏って突進する。
他の者達も、追従する様に構えを取る。
倒れたジールギガスに向けて展開する、複数の魔法陣。
皆が、一斉攻撃を仕掛けようとしたその時―
ヴゥンッ
ジールギガスの胸の鏡が、不気味な光を放つ。
ゾワリ
背筋を這い登る悪寒。
ウィンダールが叫ぶ。
「皆、離れろ!!」
その叫びに反応したウィンダ達が身を翻すのと、同時だった。
ゴバァッ
鏡から放たれる、青白い光。
「きゃあっ!?」
「「ウォアッ!?」」
幾条にも放たれた光が、空を、地面を貫く。
途端―
ブォアッ
光に触れた雲が。
家が。
地面が。
魔法陣さえもが。
消えた。
散らされたのでも、砕かれたのでも、焼かれたのでもない。
文字通り、消えた。
瞬間、
ゴォウッ
悲鳴の様な音を立てて、大気が歪む。
「きゃあぁっ!!」
捻れる空気の狭間に巻き込まれるガルドス。
引き寄せられる先は、大きく開いたジールギガスの口中。
「お姉ちゃん!!」
悲鳴を上げるウィン。
「させん!!」
ウィンダールの声とともに、イグルスが走る。
うねる大気の渦を掻い潜り、ガルドスの肩を掴む。
ガキャァアアアアンッ
閉じる
「は・・・はぁっ!!」
「大丈夫か!?」
蒼白な顔で息を吐くウィンダを、ウィンダールが労わる。
「お・・・お父上、風が・・・」
戦慄く様な娘の言葉に、ウィンダールは頷く。
「ああ。風が、大気が、”消された”・・・。」
「な・・・何だよ!?今のは!!」
「分からない・・・。だけど、効果は把握した。」
青息を吐くヒータの横で、アクアマリナの腕から降りたアウスが言う。
「消えた存在の残滓が感じられない・・・。」
「はあ!?」
「破壊されたのでもなければ、消し飛ばされた訳でもない・・・。存在を、”還された”んだ・・・。」
「ど、どういう事だよ!?」
「存在自体をキャンセルされたと思えばいい。”あれ”は、触れた存在全てを”無に還す”んだ。」
皆の顔が引きつる。
「全てが、存在を否定される。物理攻撃も、魔法も、意味がない。還されたが最後、多分蘇生も転生も叶わない。」
「・・・マジかよ・・・!!」
ズズズ・・・
青ざめるヒータの後ろで、不気味な地鳴りが響く。
虚壊の巨人が、再びその身を起こしていた。
ゴォオオオオオッ
轟く咆哮。
胸の鏡が、再び光を宿す。
「逃げ・・・」
誰かの叫びをかき消す様に、虚無の光が世界を染めた。
ガラガラガラ・・・
その身を光に喰われ、支えを失った家々が瓦礫となって落ちてくる。
光が舐めた場所は整地された様にまっさらになり、無機質な地肌を晒す。
と―
ポッ ポッ ポッ
何もなくなったそこに、淡い灯が浮かび始める。
ポッ ポッ ポッ
幾つも。幾つも。
ポッ ポッ ポッ
浮かびゆく。
「「何だ?あれは。」」
瓦礫の影から様子を伺っていたアクアマリナが問う。
「多分、
彼の横で、瓦礫に身を預けていたアウスが大きく息をつきながら言う。
魔力の大半を失った状態で身を動かす彼女。
かなりの労苦である事は、間違いない。
「
アウスの傍らでは、ヒータが片膝をついて彼女の汗をローブの端で拭っている。
「言ったままさ。この世との繋がりを消された魂達が、行き場を無くして漂ってるんだ。」
「スゲェ数だぞ?」
見る間に数を増していく”それら”を、ヒータは不吉そうに見上げる。
「多分、光に巻き込まれた植物や小動物、大気中の微生物のものだろう。全く、業の深い事をするよ・・・。」
と、ジールギガスの胸の鏡が輝き始める。
「「!!、またか!?」」
身構えるアクアマリナ。
しかし、先だってとは違う。
鏡が瞬いた瞬間、
無秩序に漂っていた筈のそれらが、まるで何かの目標を定めたかの様に流れ出す。
その先にあるのは、ジールギガスの鏡。
それが、流れ来る魂魄を次々と呑み込み始める。
魂魄が呑まれる度、悲鳴の様に大気が揺れる。
それを身に感じながら、ジールギガスは愉悦に浸る様に顔を歪めた。
「・・・喰ってやがる・・・。」
その様を目の当たりにしたヒータが、呆然と呟く。
「・・・あれほどのエネルギー、どこから調達してるのかと思ったら・・・。ループ回収ってわけか・・・。良く出来てるよ・・・。」
苦笑いしながら皮肉を言うアウス。
「「・・・醜悪なり・・・。」」
アクアマリナは、怒りにその身を震わせた。
震える足をバチンと叩いて、スフィアードが言う。
「・・・最後の最後で、とんでもない奴が出てきたもんだね・・・。」
「・・・全くだ。ついてない・・・。」
答えるダルクの声も、震えている。
「・・・ライナ、もう一度、”呼べる”か・・・?」
答えの分かりきった問い。それでもライナは、笑って応じる。
「にゃはは・・・。誰に訊いてるですか?あんなもん、いくらでも・・・」
「「止めておけ。」」
その言葉を遮るのは、ルビーズ。
「「”あれ”は、貴殿らの命を削る。これ以上やれば、貴殿らが持たぬ。」」
「でも・・・」
「「この場の誰も、それを望む者はおるまい。」」
反論も、その一言で封じられる。
「「今考えるべきは、皆がこの場を生き延びる事だ。それ以外は、考えるな。」」
(そう言う事だよ。)
突然、しかし密やかに声が響く。
驚いた皆が辺りを見回すが、声の主らしき者はいない。
しかし―
「今の声・・・。」
「アウスか!?」
(そうだよ。)
ライナとダルクの言葉を、”声”が肯定した。
「ちょっとあんた、何だか知らないけど”念話”なんかして、大丈夫なの!?」
(心配ないよ。”これ”は周囲に散らした『ダニポン』達を中継して行ってる。魔力の消費は最低限に押さえてるよ。それより・・・)
”エリア”に向かって、アウスが訊く。
(君達、いつ
「あ~、これ?全く、腹立つったら、ないわ。」
ブチブチ言うエリアに代わって、ジゴバイトが答える。
『実は、さっき例の光を食らっちゃって・・・』
(何だって!?)
声の調子が変わる。
(無事なのかい!?)
その問いに、自分も訳が分からないと言った体でジゴバイトは続ける。
『いや、実際もう駄目だと思ったんだけど。気がついたら
(・・・ふむ・・・。)
しばし、考える様な間。
そして、アウスは答えを導き出す。
(どうやら、『ガガギゴ』と言うエクシーズ体の存在だけが否定された様だね。なるほど、存在の上にもう一つの存在を重ねた身体なら、一度の猶予がある訳か・・・。)
また、間。
やがて・・・。
(手は、あるかもしれない・・・。)
静かな響きで、彼女はそう言った。
「”手”って何!?」
アウスを代弁するダニポンに向かって、ウィンは言う。
後ろにいるウィンダとウィンダール、そしてカームも次の言葉を待つ。
(・・・”あれ”を使う。)
「!!」
その言葉に、ウィンが息を呑む。
彼女だけではない。
他の霊使い達も同様に、その表情を変える。
「あれって、”あれ”か!?」
ヒータが聞き返す。
(ああ。)
冷静に返す声。
「なるほど・・・。まだ“あれ”があったわね。」
不敵に笑むエリア。
「だけど、”あれ”をやるには少なくともアウスちゃん達4人が揃わないと・・・」
ライナが困った様に言う。
「今みたいにバラバラじゃあ・・・」
(なら、集まればいい。)
その言葉に、ダルクが眉を潜める。
「そう言うけどな、今下手に動いたらお前らが集まる前に
それは、確かな事。
先の一撃から必死に逃れた結果、今は皆散り散りの状態。
複数名がジールギガスの目を盗んで集まるには、あまりにも距離があり過ぎた。
しかし、アウスはたった一つの解を述べる。
(・・・だから、陽動役が要る。)
「陽動役!?」
皆が、驚きに顔を強ばらせる。
「馬鹿言わないで!!あんな化け物相手に陽動なんて、死にに行く様な・・・!?」
言いかけたウィンの言葉が止まる。
思い当たる事があった。
さっきの話。
エリアと、ジゴバイトの例。
―”存在の上にもう一つの存在を重ねた身体なら、一度の猶予がある”―
ウィンの背後で、風が舞う。
「なるほど。妙案だ。」
「頭いいなぁ。流石、我が妹の友!!」
ダルクとライナの両脇で、立ち上がる気配がする。
「は、良い役じゃないか。」
「「うむ。実に誉れ高い。」」
アウスとヒータの目の前で、鉄の軋む音とともにアクアマリナが身を起こす。
「「ふふ。エリア氏の言う通りだな。実に、頼もしき軍師だ。」」
そう。
複数の命を寄り代に召喚されるシンクロ体。その亜種である『ダイガスタ』。
文字通り、複数の命の合成で生まれる融合体。それを極めた『上級ジェムナイト』。
彼らなら、エクシーズ同様、アウスが見出した条件に合致する。
しかし、それはあくまで一度きりの事。
次は、ない。
「ちょ、ちょっと待てよ!!」
「・・・すまない・・・。」
ヒータは慌て、アウスは目を伏せて詫びる。
けれど、彼らは言う。
「「何を謝る事がある?」」
「アタイらは、死にに行く訳じゃないよ。」
「「正しく。」」
「これ以上、この地で犠牲者は出さない。君達も。そして勿論、我々もだ。」
「そういう事。」
ウィンの前で、舞い上がっていく2羽の神鳥。
「後は頼むぞ。ウィン。」
「そう。私達の命運、貴女達にかかってるんだからね。」
二人の笑顔が、呼びかける。
声も出せず、見上げるウィン。
ウィンダは、何処かにいるアウス達に向かって言う。
「
「お父様!!お姉ちゃん!!」
叫ぶウィンの背を、重なる声が押す。
「行きなさい!!」
「我らの、そしてこの地に生ける全ての命のために!!」
「―――――っ!!」
走り出すウィン。
背後に聞こえる、風切りの音。
響き渡る、魔王の咆哮。
滲む涙を振り払い、ウィンは走る。
振り返る事は、もう許されなかった。
続く