―6―
最初に見えたのは影。
赤黒い陽光を受けて黒く染まる、巨大な鳥影。
次に見えたのは朱。
彼女から散る、真っ赤な飛沫。
次に見えたのは顔。
鳥の背からこっちを見下ろす、子供。
泣きながら笑う、奇妙な顔。
ゆっくりと揺らぐ視界。
宙に浮かぶその先で、同じ様に宙に舞う彼女の姿。
手を伸ばす。
必死に。懸命に。
だけど。
だけど。
届かない。
空しく空を掴む、手。
落ちる。
堕ちる。
“彼女”が、落ちていく。
決めたのに。
誓ったのに。
守ると。
絶対に守ると。
ああ、この手が。
この手が、もっと大きければ。
この手に、もっと力があれば。
巡る思考。
落ち行く視界。
そして、全てが闇に堕ちて―
エリアを崖に突き落としたカムイが、その場を去ってしばし後―
すっかり日が沈み、薄闇の満ちた湿原にボソボソと響く声があった。
「あ~、もうすっかり日が暮れてしまったがな。」
「ろくに足元も見えないでやんす。」
【ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇ。さっさと済ましちまえ。】
そんな会話を交わしながら歩くのは、三人の異形の者。
一人は蛸。
一人は鮫。
そして最後の一人は、他の二人にも増して奇怪な姿。
全身を覆う火山岩の様な鱗。
その間から吹き出るのは、紅蓮の炎。
メラメラと燃え立つ身体を宵闇に揺らす、大蜥蜴。
彼はその身を篝火代わりとし、闇に包まれた周囲を淡く照らし出していた。
「それにしてもチェイン。オメー便利な身体になったもんでやんすなぁ・・・。」
鮫の男―『リチュア・アビス』にそう声がけられた火蜥蜴が、ギラリと鋭い視線を彼に送る。
『な、何でやんすか?』
ビビるアビス。
【“チェイン”じゃねえ!!『ラヴァルヴァル・チェイン』だ!!】
怒鳴る声に呼応する様に、全身の炎が猛り立つ。
「あち!!熱いでやんす!!」
「ちょ、やめぇな!!たこ焼き・・・もとい焼きだこになるやないか!!」
蛸の男―『リチュア・マーカー』が飛び跳ねながら悲鳴を上げる。
【いいか。テメェらとはもう格が違うんだよ。気安く声かけるんじゃねぇ!!】
「分かった!!分かったから落ち着きぃな!!」
「これじゃあ、大事な
必死でなだめる二人。
【ケッ・・・。分かりゃあいいんだよ。】
チェインがそう言うと同時に、火が収まっていく。
「ああ、酷い目にあったがな。」
ホッと息をつくマーカーに、アビスが耳打ちする。
(なあ、チェインの奴、ああなってから性格変わったと思わんでやんすか?)
(うぅむ・・・。まぁ、なんだかんだでノエリア様のおメガネに適ったんは確かやからなぁ・・・。少々天狗んなるのもしゃーないんやないか?)
(心が広いでやんすなぁ・・・。マーカーは・・・)
ポソポソ囁き合う二人の背を、チェインのイラついた声が叩く。
【オラ!!何コソコソやってやがる!!んな暇あったら、さっさと手ぇ動かしやがれ!!テメェらに付き合って午前様なんざ、ゴメンだからな!!」
「へいへい。」
「うーぃ。」
気のない返事をしながら、シュルシュルと伸ばした触手で手近な茂みをまさぐるマーカー。
一拍の後、茂みから引き抜かれた触手が掴んでいたのは小さなモンスターの死骸。
おそらくは、
それを持っていたズタ袋に放り込むと、マーカーの触手はまた次の獲物を探し始める。
「にしても、スゲェでやんすなぁ。キリがないでやんす。」
同じ様に拾った死骸を手にしたまま、アビスは辺りを見回す。
よくよく見れば、死骸の数は一つや二つではない。
チェインの炎が照らし出す範囲だけでも、無数に散らばっている。
かの毒の凄まじさを示すその光景に、アビスは背筋を震わせる。
次々と死骸を袋に放り込みながら、マーカーは言う。
「しかし、こいつらも因果やなぁ。死んでからまで”資源”にされるなんて。ワイやったらよう成仏出来へんわ・・・アン?」
草むらを漁っていたマーカーの手が止まる。
「ちょお、二人共、こっちきーなー。」
【あん?】
「どうしたでやんす?」
その声に、集まってくる二人。
「見てみぃ。何かちょいと毛色の変わったのが転がってんで。」
マーカーが指差す先のものに、他の二人の視線が集まる。
「おんや?こいつは、ほら、何てったでやんすかな?」
「ガガギ・・・じゃなくてギゴガ・・・?」
【コイツ、本来の住み場は“アトランティス”とか海の方じゃねぇか?何でこんなトコでくたばってやがるんだ?】
言いながらチェインが上を見上げる。
そこにあるのは、高く切り立った崖。
その天辺には薄靄がかかり、彼の炎も届かない。
「あそこから落ちたんでやんすねぇ。ほれ、体中の骨、バッキバキでやんす。」
草むらから“それ”を掴み上げながら、アビスが気の毒そうに溜息をついた。
「で、どうするんでやんすか?」
「どうするもこうするもないわ。こうやって見つけたんも何かの縁や。ありがたく“使わせて”もらいまひょ。」
そう言って、マーカーは冷たくなったギゴバイトの亡骸を持っていた袋に放り込んだ。
その頃、カムイはファルコスを駆って夜の空を飛んでいた。
今、その顔に涙はない。
仇を討ったという高揚感は胸に満ち、両親を失った悲しみから一時彼を解放していた。
その手にはエリアからむしり取った髪が一束、しっかりと握られている。
早くこれを、村の皆に見せてやろう。
ただその想いだけを胸に、カムイは空を駆けていた。
と、その目に一つの光が映る。夜闇にぼんやりと浮かぶ、朱い光。それが、誰かが焚く焚き火だと気付くのに、時間はかからなかった。
(旅人か?)
思い当たったその考えが、彼の胸に警戒感を沸き起こらせる。
そもそもあの時も、ただの旅人だと見過ごした油断がこの凶事を起こしたのだ。
犯人が、あの女一人だけとは限らない。
カムイは、その目に険しい光を灯らせながらファルコスを降下させた。
「あんたも眠りなよ。見張りはアタイがしていてやるからさ。」
焚き火の横で丸くなったプチリュウを撫でながら、リーズが向かいに座るウィンに言う。
「・・・眠れないよ・・・。エーちゃんの事考えたら・・・」
毛布に包まりながら、呟く様に言うウィン。
「大丈夫だって。あの娘は強いし、便りになる使い魔もついてるんだろう?」
「でも・・・」
毛布に包まったまま、ゴロゴロと転がるウィン。
その様に、リーズは苦笑いをする。
―と、
『ん?』
焚き火の横で丸くなっていたプチリュウが、不意に頭を上げた。
『ウィン、リーズさん、何か来る!!』
その言葉に、転がっていたウィンと座っていたリーズがガバリと立ち上がる。
見上げた彼女達の目に映るのは、こちらに向かって降下してくる巨大な鳥影。
「あれは・・・」
「『ダイガスタ』?一体、誰が?」
訝しがる彼女達の前に、そのダイガスタが舞い降りる。
巻き起こる羽風に、焚き火の火が大きく揺らめいた。
一方、焚き火に近づくにつれ、カムイの警戒心は薄れていった。
燃える炎の傍らに座る人影。その頭で揺れる、見慣れたツインテール。
「リーズ姉ちゃんだ・・・!!」
それは、幼い頃から姉弟同然に育った少女の名。
彼にとっては、亡き両親と同じくらいに心を許せる相手。
そしてまた、両親の死に共に涙を流した同士でもあった。
(姉ちゃんに、教えなくちゃ!!)
カムイの警戒心は、逸る心へと変わる。
(姉ちゃんに教えるんだ!!仇を、父さんと母さんの仇を討ったって!!)
その逸る心のまま、カムイはファルコスを焚き火の前にと降り立たせる。
揺らめく光の中、驚くリーズの顔が見える。
焚き火の向こうにも誰かがいるのが見えたが、気にもかからなかった。
「リーズ姉ちゃん!!」
彼女の名を呼びながら、ファルコスの背から飛び降りる。
「カムイ!!あんた、どうして・・・!?」
「リーズ姉ちゃん、これ!!」
駆け寄ってくるリーズに、手にした髪を突き出した。
「・・・え?あんた、これ・・・?」
うろたえるリーズに向かって、カムイは興奮に満ちた声でまくし立てる。
「オレ、討ったんだよ!!仇!!母さんと父さんの仇!!あいつを、あの女を、崖から落として!!殺したんだ!!仇を、討ったんだよ!!」
「な・・・!?」
カムイの言葉に、絶句するリーズ。
その後ろで―
「殺した・・・?エーちゃんを・・・?」
魂を抜かれた様な声が、ボソリと響く。
立ち尽くすリーズの後ろから、ユラリと現れるウィン。
「エーちゃんを、殺したの・・・?」
「え・・・?な、何だよ?あんた・・・」
今度は、カムイが動揺する。
見知った顔ではあった。
あの毒の風を祓ったとかで、村中で英雄扱いされていた娘だ。
だけど、なぜそんな奴が、こんな所でリーズと野宿しているのか。
カムイには、訳が分からない。
しかし、そんな彼が目に入らないのか、ウィンの視線はカムイの手の中のものに集中する。
小さな手の中で揺れる、青色の髪の束。
「エーちゃんの・・・髪・・・?」
茫然と呟く声。
そして―
「う・・・うわぁああああああっ!!」
突然の叫び声とともに、ウィンがカムイに掴みかかった。
「わぁ!?」
もつれ合い、地に転がる二人。
主の危険を察したファルコスが、ウィンに一撃を加えようとする。
しかし、
『シャアァアアアアアアッ!!』
その前に、牙をむいたプチリュウが立ちはだかる。
いつもの大人しい彼からは、想像も出来ない様な形相。
その気迫に押され、ファルコスは思わず後ずさる。
「返せ!!返せ返せ返せ返せ返せ!!エーちゃんを返せぇ!!」
ウィンはカムイに馬乗りになり、その胸倉を掴んで激しく揺する。
「な、何だよ!?何なんだよ!?あんた!!」
戸惑いながら、されるがままのカムイ。
その顔に、ウィンの目から散る涙が当たる。
「おい、落ち着け!!落ちつけったら!!」
リーズが慌てて二人を引き離す。
「はあはあ・・・何なんだよ!?一体!!」
息を整えながら、カムイがウィンを睨みつける。
「・・・そう言えば、あんたあの時も“あいつ”をかばってたな。さては、あんたもグルか!!二人で自演して、オレ達の村を・・・」
パシンッ
夜空に響く、高い音。
リーズが、カムイの頬を打っていた。
「ね・・・姉ちゃん・・・?」
リーズの厳しい目が、唖然とするカムイを見据える。
「カムイ・・・アンタの目は何処まで曇っちまったんだ!?」
厳しい声が、カムイを打ち据えた。
「見な!!アンタのやった事の答えが、これだよ!!」
言われて、示された方を見やる。
そこには、カムイから奪った髪を胸に抱き、身を震わせるウィンの姿。
「エーちゃん・・・エーちゃん・・・」
その口からは嗚咽に震える声が洩れ、その目からは涙の粒が止め処なく零れ落ちる。
あまりにも痛々しい姿。
カムイは、絶句する。
「アンタには、あれが毒を使って無差別に人を殺める奴の様に見えるのかい!?」
「・・・でも、だって・・・だってオレは・・・オレは・・・」
動揺し、戦慄くカムイにリーズは詰め寄る。
「崖から突き落としたって言ったね!?どこの崖!?」
その剣幕に怯えながら、カムイは自分達が飛んできた方を指差す。
「西・・・オベリスクの渓谷の方か!?」
言うと同時に、リーズの杖が地を突く。
「おいで!!『スフィア』!!」
その声とともに、地面から光が溢れる。
夜闇を照らす輝きの中から現れたのは、球形をした奇妙な物体。
リーズはそれに向かって手をかざし、高らかに言い放つ。
「
途端、一層強い光が閃き、強い風が巻き起こる。
「な・・・なに・・・!?」
吹き荒れる光の嵐に翻弄される、ウィンとカムイ。
やがてその光の中から現れたのは、『スフィア』と呼ばれた物体を鎧の様に身に纏い、長い髪を風になびかせるリーズの姿。
「ね・・・姉ちゃん・・・」
「あなたも、『ダイガスタ』を・・・?」
茫然と呟くウィン達の前で、リーズ―ダイガスタ・スフィアードは杖を宙に浮かし、それに飛び乗る。
「来な!!」
そう言って、ウィンに向かって手を伸ばす。
「・・・え?」
「まだ、あの娘が死んだって決まっちゃいない!!探そう!!一緒に!!」
戸惑うウィン。そんな彼女にスフィアードは激を飛ばす。
「こんな所で、ウジウジ泣いてたって何も始まりゃしない!!」
「そ・・・それは・・・」
「あの娘が生きてるのか、死んでるのか、アンタはどっちを信じるんだ!?」
その言葉に、ハッと我に帰るウィン。そして―
「うん!!」
力強く頷くと、差し出された手を取り、杖に飛び乗る。
『ボクも!!』
プチリュウも、それに付き従う。
杖に上がったウィンが自分の腰にしっかりと手を回すのを確認すると、スフィアードはゆっくりと宙に舞いあがっていく。
と、その目が茫然と自分達を見上げるカムイを見止める。
「カムイ・・・、頭を冷やして、もう一度じっくり考えな。何が正しいのか、何が間違ってるのか・・・」
「姉ちゃん・・・」
「アンタがそんなんじゃあ、父さんと母さんあの人達は、安心してsophia様の所に行けないよ・・・。」
そう言って、ほんの少し優しげな視線をカムイに向けると、スフィアードはキッと前を向く。
「最高速で行くよ!!しっかり掴まってな!!」
「うん!!ぷっちん、ここに!!」
その言葉に、プチリュウがウィンの胸元に潜り込む。
次の瞬間―
パシィッ
空気の破裂する音を残し、スフィアードとウィンの姿は一瞬で消え去った。
「・・・・・・。」
カムイはその様をただ茫然と見つめ、佇むだけだった。
パンッ パンッ パンッ
空気の壁を突破する音が、連続して耳を打つ。
「いいかい!!絶対放すんじゃないよ!!そしたら、風に吹っ飛ばされてミンチになっちまうからね!!」
スフィアードのその言葉に、ウィンは声も出せずただ頷くだけ。
けれど、細い腰に回された手には、今もしっかりとエリアの髪が握られている。
(エーちゃん・・・絶対、助けるからね・・・!!だから、無事でいて・・・!!)
二人を乗せた杖は、風の咆哮を響かせながら文字通り疾風の如く進む。
必死にしがみつくウィンの、その想いすらも置き去りにして―
・・・夜明けは、まだ遠かった。
続く